残暑厳しい中、いかがお過ごしでしょうか?
7月号は休刊になってしまい申し訳ございません。7月・8月合併号としてお届けします。
毎年夏になると原爆慰霊祭、
終戦記念日と否が応でも大東亜戦争(太平洋戦争)のことが思い出されます。
本当に世界平和を念願せずにおれません。
さて、戦後直ぐに、ある人物がキリスト教伝道者になりました。
彼の名前は淵田美津雄、真珠湾攻撃総指揮官です。
淵田氏は大東亜戦争の開戦の幕を自らの手で開けながら、
ミズリー号上で日本の敗戦の歴史的瞬間をも見届けた人物です。
昨年彼の自叙伝が出版され、読みました。
淵田氏はどうしてクリスチャンとなり、キリスト教の伝道者となったのでしょうか。
敗戦直後の淵田氏は、精神的支柱を失い虚無状態でありました。
更に日本社会は軍人をひどく批判し、淵田氏は惨めさを味わっていたのです。
そんな時期に、彼は3つの出会いをします。
一つは、マーガレット・コベルとの出会い。といっても直接出会ったのではありません。
淵田氏とアメリカの捕虜収容所から帰還した部下との会話でのことです。
淵田氏が部下の労を労うと、部下はマーガレット・コベルという娘さんの話を始めたのです。
彼女は毎日収容所を訪ね、日本軍捕虜のお世話をしたのです。
病人への看護に、物品の差し入れなど親身になって奉仕をしてくれました。
そのあまりの親切に、日本人捕虜はその理由を彼女に尋ねました。
すると彼女は答えました。
「私の両親は日本で宣教師として働いていました。
しかし戦争が始まったので、フィリピンに逃げました。
そのフィリピンで両親は日本兵に捕まり、殺されたのです。
両親は殺される前に、日本兵に願って30分の猶予をもらったのです。
その30分間、両親は聖書を読み、熱心に祈りました。
両親が殺されたことを知った私は日本人に対する憎しみと怒りで一杯になりました。
しかし、両親が、殺される前の30分間に何を祈ったかを思いめぐらせている内に、
私の気持ちは憎しみから愛へ、
両親が持っていた日本人への愛へと変わっていったのです」。
淵田氏はその話に深く心を揺さぶられました。
2つめの出会いは、1枚のキリスト教のリーフレットとの出会いです。
著者はジェイコブ・デシーザー、元アメリカ兵でした。
デシーザー氏は真珠湾攻撃を知らされた時、
日本を激しく憎み、復讐心に駆り立てられました。
直ぐに彼は志願兵となり、訓練を受けて、日本空爆に飛びました。
名古屋を攻撃した後、彼の飛行機は中国に墜落。
日本軍に捕縛され、捕虜となりました。
収容所にいる時に、何故人間同士がこんなにも憎みあわなければいけないのかと考え、
彼は聖書を読み始めたのです。
聖書を通して憎しみの連鎖を断ち切るキリストの愛を体験し、クリスチャンとなりました。
彼は日本人にキリストの愛を伝える使命を抱き、
戦後直ぐに、宣教師となって日本に戻ってきたのです。
淵田氏が読んだリーフレットには、そんなデシーザー氏の体験談が記されていました。
この体験談は淵田氏の心を捕らえました。
淵田氏は早速、聖書を買い求め読み始めたのです。
ここに3つめの出会いが起こりました。
キリストとの出会いです。淵田氏は聖書を読み進め、
ルカによる福音書23章34節「父よ、彼らをおゆるしください。
彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」とのキリストの祈りに釘付けになりました。
キリストの祈りとコベル夫妻の祈りが一つになりました。
淵田氏は感動して大粒の涙を流し、その日にキリストを救い主と信じて受け容れました。
やがて彼は、「憎しみの連鎖を断ち切るキリストの愛」を伝える伝道者となり、
日本国内はおろか、アメリカ本土、更には真珠湾をも訪れて、
キリストの愛と平和を訴えたのでした。
新渡戸稲造の歌に「にくむとも、憎み返すな憎まれて、にくみ憎まれ、
果てしなければ」というのがあります。
今日、日本では戦争という形での戦いはありませんが、
様々な人間関係に起因する憎しみの連鎖による事件が多発しています。
世界平和を求め、全人類は愛せても、
日常の人間関係の平和や身近にいる人を愛することは至極難しいものです。
本当の平和は足下から始まることを覚え、
そのためにこそキリストの十字架の愛が必要であることを知っていただきたいのです。
教会学校教頭 新谷和茂
|