思わぬ梅雨寒にふるえるこの頃です。
ホザナ通信をお読みくださっている皆様、いかがお過ごしですか。
5月号の発行が遅くなってすみません。
さて、先日私は、早稲田大学教授の東後勝明先生が書かれた「ありのままを生きる」を読みました。
東後先生は、1972年から13年間にわたり、NHKラジオ「英語会話」の講師を務め、好評を博した方です。
東後先生が17歳、高校2年生の夏、酷暑の中、お父さんが病死しました。
お父さんは息を引き取る前、息子の東後青年を呼びよせて、
「勝明、お前、出世しろよ!」と絞り出すような声で言いました。
東後青年はとっさに「出世をする」ということがどういうことか分からず、「出世するとは、どういうこと?
偉くなること?お金を儲けること?有名になること?地位を得ること?」と矢継ぎ早に訊ねました。
しかしお父さんはその問いには答えず、息を引き取ったのです。
その時から東後先生の心の中で「出世するためには、とにかく頑張らなくては」
「何とかしなくては」という思いが支配し始めたのです。
この思いが「このままではいけない」と東後先生を駆り立てるようになり、
いつしか、なりふり構わず出世街道に身を投げ出しいきました。

大学教授、NHKラジオ「英語会話」講師、執筆活動、取材旅行、講演旅行など、
時間に追われる超多忙な日々が続きつつも、自分の思いはほとんど叶えられ、
すべてが順風満帆に進んでいるように見えました。
しかし、ふと振り返ってみると、子どもが不登校になり、どこか取り残された感があり、
家族の信頼関係が大きく揺らぎ始めていたのです。
頑張れば頑張るほど、深みに落ちていくような無力感と焦燥感に襲われ、
「自分はこんなに頑張っているのに。なぜだ?」という大きな疑問符が、
東後先生の前にどかっと立ちふさがったのです。
東後先生は、子どもの不登校、奥さんの入院、そして、
ご自身の突然の入院などの度重なる試練を通して、不思議に神様に導かれていきました。
特に、ご自身の入院中、お見舞いに来てくれた牧師が朗読する詩篇23篇に耳を傾けていると、
誰かに後ろから軽く肩に手をかけられ、「そのままでいいんだよ」という声が聞こえてきたのです。
その途端、東後先生の目から涙があふれてきました。
「このままではいけない」「なんとかしなければいけない」という強迫観念から東後先生が解放された瞬間です。

東後先生は、戦後日本の「頑張り型人間」の象徴のようなお方と言ってもいいでしょう。
いくら頑張っても平安がない。だから、さらに次を目指して頑張る。
その先にあるものは、自己破壊であり、家族関係の崩壊です。
しかし東後先生はすんでの所でそれらの危機から免れました。
神様の愛を知ることは、価値観の大転換をもたらします。
自分は自分のままでいい。自分は生かされている。
今ある自分を受け入れ、ありのまま生きる。これこそが、神とともに生きることにつながります。
「頑張り型人間」からの価値観の大転換は、今の日本人にとって最も重要なメッセージではないでしょうか!
今までの日本は「これではダメ」「それではダメ」「今のままではダメ」「もっともっと頑張って上を目指して」という
「ダメだし」によって奮い立って来ました。
そのような「超頑張り時代」の歪みが“ひきこもり”“フリーター”という形で出ているのかも知れません。
神様の愛は、過去を赦し、現在を褒め、将来を励まします。
この神様に出会うときに、私達は自分らしさを楽しみ、
一度きりの人生を豊かに且つ思いっきり生きる力と目標を与えられるのです。
教会学校教頭 新谷和茂

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