2008年4月号

☆「心に言葉を植える」☆

   春光あまねくふりそそぎ、心もやすらぐこの頃です。皆さん、お元気ですね。

   さて、『木を植えた人』という物語を読みました。著者はジャン・ジオノです。
 
 この作品は、アメリカの編集者から『実在した忘れ得ぬ人物』というテーマでの原稿依頼に書いた作品でした。

 しかし主人公エルゼアール・ブフィエは実在しないことがわかり、原稿は返却されました。

 ジオノはこの作品の版権を放棄し原稿を各所に寄贈したのです。現在、世界13カ国語以上に翻訳されて出版されています。


         
  
  この物語は、第1次世界大戦の前年、酷暑と厳寒、その上、強い風が吹き、次第に人が住まなくなって荒廃が進む

 プロバンス地方が舞台です。この地を旅する一人の青年が出会った自然と不思議な人物・羊飼いエルゼアール・ブフィエの

 紹介から物語は始まります。青年は水が無くなって羊飼いの小屋を見つけ泊めてもらいます。

 寝床に入る前、羊飼いは食卓に団栗(どんぐり)を袋からあけ、良い実100個を選び出し休みました。

 翌日30頭ほどの羊を牧草地に導いて残し、水桶に浸してあった団栗を高原の荒地に一粒ずつ心を込めて植えていきました。

 これを始めて3年、10万個の団栗の実を植え、1万本が芽を出したが、その半分しか育たないだろうと羊飼いは言います。

 またこの土地は誰のものか、との青年の質問に羊飼いはわからないと答えました。

  7年後に再びこの地を訪ねた青年の目に映った自然は、創造の連鎖反応を起こし、小川に水が、
 
 林に動物が戻り見事な再生が始まっていたのです。翌年からは毎年この地と、木を植え続ける羊飼いを訪ね、

 その自然の見事な変貌を驚きの目で伝えます。植林が進むと人と家が増え、人の顔にも活気が戻りました。


       

  聖書は言葉を種に、心を土地にたとえています。心に蒔かれた言葉の種は育って大きくなり、その種にふさわしい実を

 結んでいくのです。このような実話があります。

  修道女のヘレン・ムロスラは、寄宿学校の教師をしていました。彼女のクラスの男子生徒は、いつもけんかばかりする、

 わんぱく少年ばかりでした。

  ある日ヘレンは、クラス全員の名前が書かれた紙を一人に一枚ずつ渡しました。そして、けげんに思う彼らに、クラスの

 みんなの最も良いと思うところを書かせたのです。

  その紙をクラス全員から集めたヘレンは、生徒たちが書いた「素晴らしいところ」を生徒ごとにまとめてリストにしました。

 そしてそれを、それぞれの生徒に渡したのです。その紙を読んだ少年たちは、みんな声を上げて叫びました。

 「みんなが僕のことを、こんな風に思っていたなんて!」


  それから何年もの歳月が流れました。彼女の教え子の一人がベトナム戦争で亡くなり、お葬式に出席してもらいたいという

 連絡が入りました。葬儀の後、教え子の父親は当時のクラスメートたちとともに、ヘレンを家に招きました。

 居間でしばらく歓談していると、父親が突然、ヘレンに言いました。「息子の遺品の財布に中から、こんなものを

 見つけましてね…」。彼はその財布の中から黄ばんでくちゃくちゃになった1枚の紙切れを取り出しました。それまぎれもなく、

 あの紙切れだったのです。


  すると、葬儀に集まっていた他のみんなも、静かに微笑みながら、自分たちの財布やカードケースの中から、あの紙切れを

 取り出しました。良い言葉はいつまでも心に残り、少年たちの支えとなっていたのでした。

    キリストは「神の言葉」としてこの世に来られたと聖書は証言しています。キリストはご自身の命を賭けて神様の

 言葉をイスラエルの地に蒔かれました。そしてその神様の言葉の種はこの2千年間成長と実りを繰り返し、今や世界中に

 広がっています。

  『木を植えた人』の本当の主人公は天地創造者であり生命の源である神様であると言われています。神様は、私たち

 人間の愛に基づいた、ねばり強い行いを忘れることなく、報いてくださるお方なのです。あなたはどのような言葉を自分自身や

 子供たちの心に植え続けていますか?神様に期待して良い言葉を植えていきましょう。


    「あなたのパンを水の上に投げよ、

    多くの日の後、あなたはそれを得るからである。」伝道の書11章1節

                         
                        教会学校教頭 新谷和茂