2007年9月号

☆「人を成熟させるもの」☆

  深まる秋を虫の音が伝えてくれます。

 皆さん、お元気ですか?  

 今月もホザナ通信を通してより良い人生についてご一緒に考えて参りましょう。


  先日私は、ポール・トゥルニエ来日講演集「生きる意味」を読みました。

 この本は、今年7月に数十年ぶりに復刊されました。

 ポール・トゥルニエ氏は普通の内科医でありましたが、

 「人格医学」の必要性を強く覚え、このことを提唱し広めていった人物です。

 「人格医学」といいますのは、病気を単に肉体だけの領域、

 心だけの領域と分離して捉えるのではなく、

 その人全体が関わっている問題(生き方の問題)として

 捉えていこうとするものです。

 彼は医者として専門知識と技術をもって患者を診ると共に、

 その人との深いコミュニケーションを重視し、

 診査時間外に患者と様々な会話をし、

 その人の生き方そのものを恢復へと向かわせていったのです。

              

  そんな彼の「人間性探求の旅」という講演の中にこのような文章がありました。

   ・・・・・・ 私たちはまた、

 他の人をその成功あるいは失敗で判断します。

 当然のことながら、私のところに来る人々の中には、

 人生で失敗された方が多数おられました。

 周囲からほめられることもなく、尊敬されることもなく、

 つまらない一人の人間としてしか、見られていない人たちです。

 しかし、このように周囲の世間から忘れられ、

 あるいはつぶされている人たちの中に、

 私はしばしばすばらしい資質が隠されているのを発見しました。

 ですから、医師として体験からいえることは、

 人間の成熟は、

 成功よりも失敗や試練を通してこそ実現されるということです。

 健康な人たちよりも、

 病気の人たちの中に真に人生を生きている人たちがあるものです。

 幸せを求めるあまり、もっと富がなければならないとか、

 もっと才能がなければならないとあせって、

 かえって不幸せに沈んでいる人たちが案外多いかと思えば、

 試練や失敗に苦しんでいるように見える人たちの中に、

 本当の幸せに輝いている人が少なくないということも知りました。・・・・・・・

  人生に対するこのような視点は今日においても非常に重要なことです。

 数年前「勝ち組・負け組」という言葉が流行りましたが、

 それは正にトゥルニエ氏が言う

 「人を成功と失敗で判断してしまう」ことに他なりません。

 しかし彼が言うように「人間の成熟は、

 成功よりも失敗や試練を通してこそ実現される」ものなのです。

           
  彼の言葉は失敗を健全に前向きに受けとめる勇気を与えてくれます。

 失敗を経験しない人なんて誰もいません。

 人は子供時代から大人時代に至るまで数多くの失敗を経験します。

 思い出しただけでも恥ずかしくなるような失敗もあるでしょう。

 しかし『失敗=人生の落伍者』ではないのです。

 失敗という事実は無味無臭です。

 その失敗という事実に、

 あなたが味をつけ、臭いをつけるのです。

 それを健全に前向きに受けとめるなら、

 失敗を成熟の糧、

 成功の元に変えることができるでしょう。

 しかし、失敗という事実を悲観的に後ろ向きに受けとめるならば、

 それを人生の汚点にしてしまいます。

 失敗という事実にどういう意味を与えていくかはあなたに任されているのです。

  聖書は、失敗、試練、病気など人生に起こり来る様々な問題に、

 前向き肯定的な意味を与える力をあなたに与える書物です。

 最後に、日本においても積極思考で有名なロバート・シュラー牧師の

 「失敗者のための祈り」を紹介して終わります。


       失敗は、あなたが失敗者である事を意味しない。

       それが意味しているのは、

      あなたはまだ成功していなかったということである。

       失敗は、あなたが何も成し遂げなかったことを意味しない。

       それが意味しているのは、

      あなたが何かを学んだということである。

       失敗は、あなたが愚か者であったことを意味しない。

       それが意味しているのは、

      あなたは大きな信念を持っていたということである。

       失敗は、あなたが恥をかいたことを意味しない。

       それが意味しているのは、

      あなたが進んで試みたことである。

                   
         教会学校教頭 新谷和茂