2007年6月号

☆ イエス様のでっかい愛 ☆
    
  プールの用意をして登校する子供達の姿に、

 夏の到来を感じます。


  さて、私は『生かされて』という本を読みました。

 あまりに感動したので、幾人かの友人に紹介した程です。

 著者は、イマキュレー・イリバギザという女性です。

 1994年アフリカのルワンダで

 フツ族がツチ族を殲滅しようと戦争を起こしました。

 なんと、100日間で100万人が虐殺されたのです。

 彼女はその大虐殺の嵐の中をくぐり抜け、

 その体験をこの書物に綴りました。

 しかし、単なる体験記ではなく、

 歴史上最も残虐な大虐殺のただ中で、

 彼女がどのように神様を見出したかを語る物語です。

  彼女は、ルワンダ全土が阿鼻叫喚の巷と化した100日間の内91日間、

 プロテスタントの牧師宅に匿われました。

 牧師宅といってもクローゼット程の広さしかないトイレの中です。

 その中に彼女を含め8人がぎゅうぎゅう詰めで押し込められていたのです。

 壁一枚外では虐殺が行われ、

 虐殺者達の悪魔のような叫びと虐殺される人々の

 泣き叫ぶ声が聞こえてきます。

 牧師宅にツチ族が匿われているという情報が流れ、

 牧師宅に度々虐殺者達が捜索にやって来ました。

 牧師は家族にさえも、彼女達を匿っていることを秘密にしていたので、

 91日間殆どトイレから出られることはなかったのです。

  どのようにして彼女達はその極限状態を耐え抜いたのでしょうか?

 それは祈りです。  

 イマキュレーはカトリックのクリスチャンでした。

 彼女はひたすら神様に祈ったのです。

          

 ともすれば、凄まじい恐怖のゆえに精神的に参ってしまいそうになる…、

 絶望と否定的な考えで心が崩れそうになる…

 そんな時に彼女は必死に神様に祈ったのです。

 そして神様の存在を本当に近くに感じ、

 心に平安と希望を保持することができたのです。

  特筆すべきことは、このトイレの91日間に、

 彼女は自分の人生を永久に変えてしまうレッスンを学んだということです。

 それは、大虐殺の真っ最中に、

 彼女を憎み、彼女を捕らえて殺そうとしていた人々をどのように愛し、

 彼女の家族達を殺戮した人々を

 どのように赦すことができるかという学びだったのです。

  彼女は虐殺者達を憎んでいました。

 それは人間の感情としては当然でした。

 ところが彼女が心を神様に明け渡したとき、

 神様は無限の愛で彼女の心に触れてくださったのです。

 その時はじめて、

 彼らも神様にとって愛と赦しの対象であることを悟ったのです。

 彼女は彼らに哀れみを感じました。

 そして神様に彼らの罪を赦し、

 彼らの魂が神様の美しい光の方向に向けられるように祈ったのです。

  隠れ家から解放された後、

 初めて彼女は家族が殺されていた事実を知りました。

 虐殺された現場と埋葬された場所に赴きました。

 突然彼女の心に虐殺者への煮えたぎる憎しみが湧き起こってきました。

 その時彼女はどうしたでしょうか?

 彼女は心を憎しみに委ねる代わりに、

 無限の愛である神様に心を向けたのです。

 それから彼女はある目的をもって留置場に向かいました。

 そこには彼女の家族への虐殺を指揮した人物が入れられいたのです。

 彼女は彼に会い、彼の手に触れて、言いました。

 「あなたを赦します」。側にいた役人が叫びました。

 「赦すだと。どうしてそんなことができるんだ」。

 彼女は答えました。

 「赦ししか私には彼に与えるものはないのです」。

         

  今、彼女はニューヨークの国連事務所で働きならが、

 家族と共に平安な幸せな日々を過ごしています。

 凄惨を極める体験をした彼女が平安な幸せな生活ができる理由は、

 「赦し」を選び取ったからです。

 彼女は言います。

 「憎しみは、油断をすれば

 いつでも表面に浮かび上がってこようと待ち構えています。

 私は、私の心がいつも怒りを感じ、誰かを責め、

 憎むように誘惑されているのを知っています。

 でも、いつも直ちに真実の力の源に方向転換します。

 神に向かい、その愛と赦しが私を守り、救ってくれるように」と。

  私達も、イマキュレーほどではありませんが、

 様々な人間関係のこじれから人を怒り、

 憎んでしまうことがあります。でも知ってください。

 人を憎み、恨んで最も傷付き害を受けるのは、

 他でもない私達本人なのです。ですから、

 自分のために「憎しみ」「恨み」を放棄しなければなりません。

 放棄する方法は只一つ、「赦す」ことです。

 「赦す」ことを選び続けることです。

 「赦す」ことは人間の力ではできません。

 先ず私達が無限の愛の源である神様に繋がり、

 そこから愛と力をいただかなければ「赦す」ことができません。

 また、一度赦したから完璧というわけではありません。

 憎しみの感情が吹き上がってくることもあるでしょう。

 その時、その心を神様に明け渡し、

 もう一度神様の愛に力づけられて、赦しを選び取ることです。

 このような繰り返しの中で「憎しみ」の根が抜き去られ、

 「赦し」が定着していきます。

  皆さんの中に、赦すことができずに苦しんでいる方がおられますか?

 是非、教会の礼拝を通してあなたの心を神様の心に繋げてみてください。

 必ずあなたの心は変えられます。