2007年5月号

☆ 「傷ついたいやし人」キリストと共に生きる ☆

  木々の緑が目にも鮮やかな季節となりました。

 みなさん、お元気ですね。

 今月もホザナ通信をお読み下さりありがとうございます。

       
  さて、私は『生きるのがつらい

 「一億総うつ時代」の心理学』(諸富祥彦著)を読みました。

 諸富氏は、現代を「生きるのがつらい」時代だと評しています。

 仕事がつらい、勉強がつらいというのではなく、

 「生きること」そのものがつらい時代だというのです。

 その理由として3つの事を挙げています。

 @経済不況に伴う精神的なエネルギーの低下。

 経済が沈滞することによって、企業の業績が下降し、

 人的コストの削減、学生の就職難、中高年のリストラへとつながっていく。

 働き口がなく、収入の手段がなくなれば、経済的な損失だけではなく、

 精神的余裕もなくなり、心を荒廃させてしまう結果となる。

 A困難を乗り越えた先に何も見いだせない虚しさ。

 今は経済的不況といえども、

 頑張らなくても欲しいものがすぐ手に入ってしまう豊かな時代。

 この豊かさが心のエネルギーを低下させている。

 今は「貧困をバネにして!」という時代ではなくなっている。

 また、頑張っていれば昇給や出世などの

 「幸せの切符」が手に入る保証がない時代ゆえに、

 最初から無駄なエネルギーは使いたくないという

 心のエネルギー低下を引き起こしている。

 B価値観が変わる端境期(はざかいき)である。

 今を生きる私達は、

 旧世代の価値観と新しい世代の価値観との挾間で揺れ動いる。

 世の中の中心的な働き手である45歳前後の世代は、

 古い価値観と新しい価値観が

 ない交ぜになっている状況の中で身動きが取れなくなっている。

                   
 
  このような「生きるのがつらい」時代をどう生きていけばいいのか…。

 諸富氏は、弱さを否定し排除する積極思考一辺倒ではなく、

 弱さを認め、弱さを言葉で表現し、

 弱さと共に生きていくことを提唱しています。

 例えば、「助け合い、弱音・愚痴を吐き合える関係作り」です。

 1日5分でも夫婦や友人との間で、

 弱音・愚痴を親身に聴き合う工夫が大切だというのです。

        

 確かに、人は誰でも安心して“弱音を吐ける場所”を求めています。

 弱音を吐いて誰かに分かってもらえると、

 救われた気持ちになり、生きる勇気が湧いてきます。

 前向きなエネルギーが少しだけ出てきて、

 「明日もなんとか生きていこう」と思えてくるのです。

           
  「傷付いたいやし人」という言葉があります。

 諸富氏の書物にも出てきました。

 自らも傷を抱えながら、

 他の人の傷をいやしていこうとする人達のことです。

 近ごろ、インターネットのブログがものすごく流行っています。

 それは、一般の誰もが、匿名で、

 自分の傷付いた経験や日々の喜怒哀楽をエッセイ風に表現し、

 吐き出すことが出来るからではないでしょうか。

 また、それを公開して、同じ経験を持っている人達と共有、共感し、

 いやし合えるからではないでしょうか。

 インターネットを介した井戸端互助カウンセリングと言えるかも知れません。


  実は聖書には、史上最大の「傷付いたいやし人」が紹介されています。

 『イエス・キリスト』です。聖書はキリストのことをこう紹介しています。


   彼は我々のとがのために傷つけられ、我々の不義のために砕かれたのだ。

 彼はみずから懲らしめをうけて、我々に平安を与え、その打たれた傷によって、

 我々はいやされたのだ。(イザヤ53章5節)


  キリストの両手両足には釘付けにされた痕、

 脇腹には槍で刺された痕があります。それらは、

 私達がいやされ、赦されるためでした。

 キリストこそ、2000年間、人々を励まし、

 生きる勇気を与え続けてきた「傷付いたいやし人」に他なりません。


  教会は、このキリストとの人格的出会いを提供し、

 キリストを人間関係の要として、

 弱さを認め合い、祈り合い、支え合っていく共同体です。

 あなたも教会で真の「傷付いたいやし人」キリストに出会い、

 教会の交わりを体験してください。

                          教会学校教頭 新谷和茂