2007年2月号

☆ 最も古くて最も新しい価値観 ☆

  川波のきらめきも春の訪れを告げております。

 ホザナ通信をお読みの皆様、お変わりございませんか?

 1月号は休刊してしまい失礼致しました。2月号をお届けします。

 共に意味ある生き方について考えましょう。

           

  私は、「ひきこもりと家族トラウマ」(服部雄一著)を読みました。

 国内に100万人はいる言われる「ひきこもり」。

 日本の将来にとって深刻な社会問題です。

 服部雄一氏は日本でも数少ない「ひきこもり」の専門家です。

 彼は、娘さんのいじめによる不登校をキッカケにクリスチャンとなりました。

 増大する「ひきこもり」に日本の将来への強い危機感を感じ、

 日本の将来を救い得るのは“キリスト教”しかないとの確信のもと、

 「ひきこもり」の救出に携わっておられます。


  服部氏の「ひきこもり」理解は、

 日本に多くある「精神論」的理解

 (所謂、ひきこもり=甘ったれ、根性なし)で

 ないことに特徴があります。

 彼はこの著書で「ひきこもり」をアメリカ、

 ヨーロッパ諸国にも見られない病であることを紹介し、

 人間関係の基本である親子関係の絆の喪失、

 いじめ、友人の裏切りなどの「人間関係のトラウマ」による

 心の病であると訴えています。


  私は、この書物から「ひきこもり」について様々な事を教えられました。

 皆さんにも一読をお勧めします。

 ハーベストタイムというテレビ番組で彼の働きが紹介され、

 インターネットTV(http://www.harvestinternet.tv/index.php

  で視聴出来ます。

 是非こちら もご覧下さい。


  この書物の中で服部氏は、

 ひきこもり体験者の上山和樹氏の著書(『「ひきこもり」だった僕から』)

 から引用しつつ、こう記していました。


          「自分は、自分の過ごしてきた時間や環境について、

    ものすごい〈理不尽感〉に苦しんでいる。

    これまでに出会ってきた人間たち、特に家族に対して。

    …(中略)…自分の周囲に、

    自分の思いつけたジレンマや葛藤の構造を

    理解してくれる人は誰一人いない。

    しかし、そういう『理解してくれない人たち』が

    結託して〈社会〉というものを形づくり、

    働いて〈生活〉をつくり、

    自分だけがそこに入っていけない状況なので、

    どうしようもない。(『「ひきこもり」だった僕から』講談社)」


  つながりを求める若い世代は、   

 親と同じことをすると苦痛、絶望、あるいは恐怖さえも感じます。

 彼らは、親の世代のように馬車馬のごとく働くことができません。

 上山氏は、父親を通して見える日本社会への恐怖をこう述べています。


  「父が一ヶ月間、家に帰ってこなかったことがあった。

 理由を母に尋ねると、『何言ってんの、毎日帰ってきてるよ』。

 何と、父は僕が寝たあと、一時ごろ帰ってきて、

 僕が起きる前、五時に起きて会社に行っていたのだ…。

 心底ゾッとした。

 『オトナになる』には、ここまでやらないと許してもらえないのか。

 『社会に入る』とは、こういうことなのか…。(同上書)」


  日本の若者達は、会社だけに支配された親の世代に幻滅を感じ、

 奴隷のような生活に絶望しています。

 しかし、人間らしい生活を求めても手に入らない。

 物の豊かな時代になれば、マスローの法則によると、

 人間は精神的満足を求めます。ところが、

 「自己実現を求める自由」は日本社会には存在しないのです。


  私は、上山氏の言葉を読んだ時、

 かつて私もそんなことを思ったことがあることを思い出しました。

 私の中にもひきこもりの因子があるのかもしれません。


  日本が貧しかった時代にはひきこもりはいませんでした。

 食べていくため、豊になるために

 日本人は我慢に我慢を重ねて必死で働いてきました。

 しかし飽食の時代と言われる程の豊かさの中に日本が入ったとき、

 ひきこもりが起こりました。

 豊かさが悪いわけではありません。

 物質的豊かさだけを追求してきた古い価値観では、

 この時代に対応できないということです。

 日本人に新しい価値観が必要です。

 人として意味ある生き方ができる新しい価値観です。

 近頃のスピリチュアル・ヒーリングブームは、

 新しい価値観への渇望の表れはないでしょうか。


  聖書が何千年と訴えてきているテーマは正にこのことなのです。

 人として意味ある生き方をするための真の価値観を聖書は語ってきました。

 キリストは「人はパンだけで生きるものではなく、

 神の口からでる一つ一つの言葉によって生きるものである」(マタイ4章4節)

 と語りました。

 これはキリストのオリジナルの言葉ではなく、旧約聖書からの引用です。

 人は物質的豊かさを追求する価値観だけでは生きていけない。

 人は、人を造られた神の言葉を聞き、

 神と交流することによって

 意味ある人生を生きられると旧約聖書の時代から、

 聖書は語り続けているのです。

 最も古くて最も新しい聖書の価値観に戻ってみましょう。

                          教会学校教頭 新谷和茂