2006年4月号

☆ イエス様のでっかい愛 ☆
    
  4月になり、子供達もそれぞれ進級しましたね。

 新しい学校に飛び込んで行った子、

 新しいクラスの中でドキドキしている子、

 友達作りに苦労している子…。

 考えてみると、

 子供達は毎年毎年与えられた新しい環境に送り出されて、

 いつもいつも新しい人間関係を築いていっているんですよね。

 すごいなぁと思います。

 大人達はそこまで激しい人間関係の変化を、

 そう毎年経験するものではありません。

 毎年引越しする人も殆どいないでしょうし、

 毎年職を変えていてはそれこそ困ったことです。

 だから、

 一から人間関係を築いていくこの年度初めの子供達のしんどさ、

 緊張、ストレスなどを、

 案外見過ごしてしまったりしているのかもしれないなと思ったりもします。

 でも、この大切な時期、

 子供達の心に寄り添っていけたらな、と思います。

            

  教会学校では聖書のお話を聞きながら、

 子供達にイエス様のでっかい愛を受け取っていってほしいと願っています。

 でっかい愛をこころに受け取った子は、

 たくましく育っていくからです。

 もちろん身体のことではなく、心のことです。

 たくさんの緊張やストレスがあったとしても、「大丈夫」って思える、

 そんなどっしりとした何かが、

 子供達の内側に確かに築かれていっていることを感じます。


  非日常、非常事態、そういう所に置かれる時、

 その人の本質が表われてきます。

 アルマゲドンという映画が流行った頃、

 よく「明日地球が滅びるとしたら、あなたは今日何をする?」とか、

 「明日死んでしまうとしたら、今日をどんな風に生きたい?」

 といったような質問を耳にしました。

 「おいしいものをいっぱい食べたい!」、

 「愛する人に想いを伝えたい」、

 「何をしたらいいか分からない」等々、

 みなさんいろんな答えをされることと思います。


  そんな時イエス様ならどうでしょう?

 聖書には、イエス様が明日十字架にかけられて死ぬという日、

 ご自身でそのことを悟られた時

 (他の人たちはそのことを知らなかったけれども)、

 何を心に決められたのか、

 また実際に何をなされたのかということが書かれています。

 「世にいる自分の者達を愛して、

 彼らを最後まで愛し通された(新共同訳:この上なく愛し抜かれた)」

 (ヨハネ13:1b)


  明日自分は殺されるという日、

 イエス・キリストがされたことは、

 自分を十字架にかけるそんな世の人々を愛し抜くということでした。

 そして心でそう思っただけではなく、

 実際にひざまずいて弟子達の足を一人ずつ洗ったと書かれています。

 十把一絡げにではなく、

 一人一人、その前に行ってひざまづき、

 マタイにはマタイ一人に対して、アンデレにはアンデレ一人に対して、

 水をかけて足を洗い、

 腰に巻いた手ぬぐいでその足を拭き、

 心からの愛をもって仕えられました。


  明日自分が死ぬという、

 そんな非常事態に置かれた時、やりたいと思うこと、

 やり残したと思うことがたくさんあって当然です。

 でも、その中でイエス様がたった一つ、

 真っ先に選ばれたのが、

 弟子達の足を洗うといううことだったのです。


  子供達が教会学校で学び、

 出会っているのはこのイエス・キリストです。

 目で見たことはないけれども、

 でも子供達はこのイエス様の愛を確かに受け取って育っています。

 そして弟子達の足を洗い終えたイエス様はこんなことを語られました。

 「あなたがたもまた、互いに足を洗い合いなさい」。


  この新しい年度、このイエス様の愛を受けて子供達が成長し、

 一人一人が互いに愛しあい、

 仕え合う者として歩んでいけるようにと願っています。


                      教育主事 小森仁美