オヤジのたわごと   第2部やで

    還暦を迎えて
    復活登山と手話勉強

      第1章復活登山
 

       1、復活の山

     オヤジは山登りが好きでそりゃ大学の時はそのほとんどの週末を山歩きに
   費やして。でも結婚して25、6才ぐらいからはほんと行かなくなって。
   そして山の道具も古くなりどんどん捨てられてね。もう全く山には縁の無い生活に
   なっていって。
    そして50を過ぎたころ周りが何か騒がしく。ブログやホームページを見ていると
   山からのたよりがちらほらと。えっ!!彼が、彼女が!!
    2007年2月一念発起して山行くぞって。
    でも続くかどうかわからないので先ず登山靴に見える1980円の靴買って
   980円のリュック買って。そしてコーナンで安もんのコッヘルとガスバーナー
   を4000円程で買って。服も適当に島村で買ってズボンと上着で2000円は
   しなかったかな。
    そして行く日を決めた。単独で行く計画なので奥方が心配しないように奥方が
    社員旅行にいってる日2月の建国記念日に決めて。場所は若かリし頃最後にいった
   山。金剛山に決めて。
    若いころ一人で比良山に行って、もう絶対一人は止めとこうと思ったのに。
   でもこの年になって一人で自分のペースで歩く山。これはいい。もう心は
   山の虜になってしまった。それから7年去年には還暦も迎えてもう無理はきかんかと。
   なんていいながら去年は23山も登る事が。今年はまだ4山だけど。今年は月2回
   行きたいなんてね。
    そして今年はアルプスが目標かな。いやいやとにかく歩けたら良いもんね。
   山良いよな。
 

              

          
     2、日帰り登山

    朝は朝仕事(黒猫の積み込みに配達補助)が月曜から金曜まで朝7時過ぎから昼の 
   1時頃まであり、そして月から土まで本業の塾が4時半頃から9時まであり、日曜は
   朝黒猫のメール配達。結局休みは少なく、祝祭日が本当の休み日。日曜に行く時は
   まあ仕事休んでって感じになり。そう泊まりでの登山は無理で。六甲や、篠山、京都の山に
   大阪の山は私市の星のブランコぐらいかな。月1、2回行けたら良いぐらいでいけない
   月もあったりで。なかなかここっていう山が見当たらず。いざと思えば難しいね。
    2年目の1月、大阪北摂の剣尾山に行き、思った事が一つ。『大阪にもええ山あるん
   や』って。そしてこのころから一人で登る事が増えて。とにかく歩くんが楽しくて。
    3年目に入ってそう早春に新聞の折り込みチラシに大阪環状の山完歩しようって旅行社の
   1枚。なんじゃこれ、そっか、大阪はいわれてみれば大阪湾沿い以外は京都、奈良、和歌山と
   その府県境が山やんて気付き(おそっ)こりゃ一人で登りきらなと。大阪の山って本を
   買ってきて、さあ行くぞって。一人歩きの大阪環状山の旅が始まった。
   そしてこのころから1月、1山という目標ができてきた。
    兵庫、京都、滋賀、奈良、和歌山の山も良いけど。
   大阪の山は近いし奇麗し。オヤジの日帰り低山徘徊登山が始まった。

    
     3、山の仲間

    初めは山登りは一人か、奥方と、また朝仕事の仲間ヨッシーそして塾の教え子シスターズ
   2人などと。また、ブロブのお友達、その仲間とオフ会で山に行こうという事にもなって。
    2007年は一人歩きは九山中1山、2008年は14山中五山、2009年は11山中
   3山、2010年は13山中7山だった。だいたい月1山が目標だったが歩きやすい冬春は
   集中する事が多く2009年は3〜五月に集中、2010年は1月4月が多かった。理由は
   やっぱ虫。秋は季節的に良いのだけど、スズメバチが怖いしね。夏はやっぱ低山は虫が多く
   休憩もしていられないし暑いしね。まあそう言いながら8月に一人で比良山のぼったり
   そうそう始めた年、関東で40度以上の暑さになった翌日、37度の神戸で300m有るかない
   かの須磨アルプスに行ってのびていたり。でも四季を通してやっぱ山やめれまへんなんかとわめ
   いて。
    この復活登山の前期は、まあ自分自身やっぱ体力もあってね。18kmぐらいの低山なら 
   5〜6時間もあれば歩けていたし。
    さてこの時期ではみんなよかったけど、最も良いなあなんて思った山は、丹波の白髪岳。
   北摂の剣尾山、奈良額井岳、比良武奈ゲ岳、雪の大台が原もよかったね。
    そう、大阪環状の山も良いんだよね。


 
 

     4、大阪の山が良い

    だんだん次は次はって考えるのが難しくなってきて。そして2010年頃からその山の名前に
   引かれて行ってみようかと。それは1月の山。枚方の最高峰サンドイッチ山。<なん中名前の
   山や、これは行って山頂でサンドイッチ食わなあかんで>なんて思い込みそう、サンドイッチ 
   買って、この山に向かった。人なッどほとんど入らぬ山道、獣道のようなのしかない道を登って
   いた。313mだからサンドイッチ山3の間に1が挟まれて。あまり人の入らぬ山一人で行く
   の楽しいね。
    大阪の南には梵天山やお菊山、この山は歴史をひも解いても楽しくてね。四つ石山は冬に 
   行ったけど山道に入ってからは全く人にあわずてっぺんで小1時間ほどいたけど全くひとり。
   一人でおにぎり、カップうどんを食って、コーヒー飲んで歌(ひとりの山)歌ってほんと山
   ひとりじめ。楽しいね、最高の気持ちになれて。

    若いころ、山登りしていて一つも登っている時なんてねバイトした金使って重い荷物担いで
   俺はなんでこんなしんどい思いしているんやと思いながら山に登っていた。でもてっぺんに
   ついて下山になるとさっきまでの思い忘れて次はあそこ行かないとなんて。
    でも今は少し違う。登りが楽しいんだよね。ばてたり道に迷ったりが良いんだよね。で、
   一歩一歩確かに歩けばきっと素晴らしいてっぺんが。今はそれが良いんだよね。とにかく
   歩ければ良いんだって。だから今は違う。一歩一歩なんだって。
    そしてその2011年に突入なんだ。そうもっともっとその時を楽しみたかったけど。
   どんな年なんだ、2011年は。
 

     5、2011に行く前にもう一度良い山振り返り

    2011年に入る前に2007〜2010年、良い山一杯登ってなかなか経験させてもらえ
   ないような経験までして。2007年は何といっても復活の金剛山。この時40年前のアイゼン
   使って(今も使ってますが)。山の道具にも自身が持てて、今は仮の物が多いけどこれから
   お小遣いためて良いの買うぞって。そう、これで山登りに完全に火がついた。
    そして何といってもこの年は11月に奥方と二人でいった篠山の白髪岳。なかなかの厳しい
   山で。初心者の奥方もよくついてきたと思う。山頂前の鎖場岩場、短いけどなかなか厳しくて
   そして素晴らしい頂上からの360度のパノラマの景色。歩きごたえのある良い山だった。
    2008年は初っぱなにいった北摂剣尾山。大阪の山は素晴らしいと認識をした山だ。
   奈良の額井岳や加古川の高御位山奈ども印象深い山だった。
    2009年は何といっても憧れの西南峰からせめた比良山武奈ヶ岳。そして紅葉を楽しみ
   に11月3日に行った大台ヶ原。11月23日から春まで閉山するその山で何と3日の猛風雪。
   真っ白の世界に登る事ができた。めったに雪の大台なんて登れないのに。すばらしい経験が。
    2009〜2010年にかけては大阪環状の山。九年は大阪南側を中心に10年は北摂を
   中心に。  
    そんな中体調が少し悪くなり、2ヶ月程山は止めたが8月頃から摩耶山や天ヶ岳に一人で
   登りうん、ヤッぱ山が良いねって。
    今思うと悪い山なんてない。みんな素晴らしい。悪くするのは人。自然守らないと。
   きっと自然に叱られる前に何とかしないと。何か自分の中に・・・・・   。
 

                                         雪の大台、日出ヶ岳
 

     6、2011年、何かが大きく変わろうと

    2011年の最初の山は1月4日。計画したのはその名前に引かれて。大阪府に住んでる
   オヤジ。大阪府南東部にある府庁山。これは登らん訳にはいかんだろと、そして出発。しかし、
   ガイドブックをきっちりと覚えたと言う自負が大間違いに。駅を降りてすぐに反対方向に。
   でもよく似た場所があって間違いないと。とにかく取り付いてしばらくいくと道らしいものは
   無くなり、崖をよじ登るはめに。でもグイグイ登りなんとかピークらしい所に。そこから
   あっちにこっちに、府庁山を探したけど見つからず。仕方無しに獣道のような道と言うか
   何と言うかわからぬところを下山して反対側の駅の方に降りてしまいもと来た駅にとにかく
   歩いて戻る。そこから反対側にいくと正しい道に出て。デモもうお昼も近付きてっぺんまで
   いってる時間はない。そこで府庁山手前の田山までいく事に。そこで飯を食って下山。しかし
   なんとも後味が悪いと言うかきもちがよくないと言うか。
    その後は、前年に四石山を登ったので今回は和歌山の三石山だと気合いを入れて登ったり。
   金剛山にもいき、熊野古道紀州路を大阪から五回にわけて御坊まで行こうと。その第1回を
   行ったり。でも気になって。そう登れなかった府庁山が。
    という事で2月26日再挑戦をする事になった。でも今回は田山には登っているので下山
   コースの旗振岳から登る事に。これがきつかった。さすが下山に使われているだけの事が
    ある。まあ逆に使って登ってて行くと、旗振から府庁山までのアップダウンの繰り返しで
   高度を稼いで行く道はほんときつかったよ。そして、府庁山からは十字峠に行って下山する
   予定だったけど、十字峠につくとまだお昼の時間にもなっておらず、帰るのはもったいないので
   地図を見て、200mほど高度を稼ぐとダイトレに出会い紀見峠に下る事ができる。しかもその
   出合いの近くにタンボ山がある。ここは登っておくべきだと、そうもう歩き出していた。
    この決断が、その後のオヤジになきかを変えようとする大きな力となっていった。

  
     7、この山でのことが

    道なき道、シダの葉をかき分け、半分崩落しているような道を登り、やっとダイトレにつく
   事ができた。で、タンボ山はどこだ?ダイトレを行ったり来たりするとその道の上の方から
   木を折る音、木々を何かが掻き分けるような音。人がこの上の方にいるのか。も一度その
   あたりの上の方を見るとかすかにテープがまいてある。それをたよりに登って行くと、木を
   コの字型に並べたようなベンチらしきものが。そしてその向こう側に人が。落ちている木など
   を整理されているような。こんな所で何をしておられるんだろう。オヤジは大きな声で     
   「あの、ここで何を?」「ここはタンボ山のてっぺんでしょうか?」でも全く気付かれないよ
   うだ。それとも無視されているんだろうか。
    でも木のところにタンボ山てっぺんの札がかかっていた。それを見ていたオヤジにその男性
   が気付かれたらしくこっちにこられて。
    その方は耳が聞こえない聾の方だったのだ。でもここの環境を良くしたい、だからもう五回程
   通って整理しているんだと。またコースの荒れている所なんかをチェックしているんだと。
   その方は身ぶり手ぶりでゆっくりと話して下さったのでオヤジはわかったのだが。オヤジは自分
   の気持ち、思いを伝える事ができない。ありがとうございます、御苦労さもの言葉を伝える事
   ができない。ただただ頭を下げている情けない自分がいた。とにかく悔しく情けない。こんな
   簡単な思いが伝えられない。テレビでオレンジディズ、やラブレター夢中になってみていたのに。
   なのにこんな一言二言の簡単な手話もできない。
    でもそんなの知ってる訳がなく、だからといって勉強するなんて思いはなく。でも、その山は
   その事で心にもやもやが残ってしまったのだ。

               
 
 
 

      8、なにげなく
    
    山を降りてあの事(お礼を伝える事ができなかった)がなんかもやもや。でももうすんだ
   こと、今さら仕方ない。
    2月の末、市の広報が各家に配付される。その広報を何気なく見ていると『手話奉仕人
   養成講座入門・基礎講座4月より1年開講』毎週火曜日午後2時より4時までで定員25名
   だったけかな。費用は無料でテキスト代だけかかるって。へえただで教えてくれるんや。でも
   なあ1年は長いし続くかなあって、手話奉仕人講座ってちょっと重いかなあ、ありがとうと
   御苦労様だけわかったらええんやけどなあ。
    悩んだよ、でもただやしその時間帯は空き時間で、オヤジの為に考えてくれたんかって
   ぐらいで、まあたまにはそれぐらい勉強するなんて言うのも良いかなって。まあ定員こえて
   断られたら仕方ないしまあとにかく電話だけでもしておこうかと。受付が済んで決定したら   
   連絡をするとのこと。まあ待っていよう。締め切りの日の時ぐらいに受講許可の連絡。そっか。
   4月の2周目ぐらいが開講日で、まあその時に教材ももらうだろうしまあそれまでは何にも
   せんでおこうっと。真っ白な方がええやろうしねって。なんて考えで。
    そやそや3月13日は熊野古道歩き第2回やし、下準備いるし、まあそして3月後半に
   山も歩きたいし。まあそっち優先でいこうって。楽しいものね。
 

      9、3月11日

    朝仕事を終えて午後1時前に家に帰る。そして昼飯食って昼寝するかどうか。でも2時から
   ドラマの再放送「ゴットハンド」をやっていて、よしこれ見てから寝ようかって。
    オヤジはドラマが大好きでね、よかったのをこんなふうに再放送してくれるのも楽しみで
   そしてこのチャンネル4(毎日放送)は3時から大好きなちちんぷいぷいがあるんで、まあ
   昼の休憩時間はこのチャンネルがメインでね。
    ところがこの日の何日か前から各地でよく自身が起こっていて、前日も少し大きいのがあって
   ニュースで放送していたような。
    2時45分頃だったかな、ドラマがクライマックス一番良い所、ゴッドハンドに集中して
   いたらテロップが流れて東北地方に大地震発生と流れた。最近本間に多いなあなんて、うーんと
   思っていると身体がふらふらする。二日酔い?でも朝仕事で汗流して抜けたはずやし、でも
   そうふらふらする。テレビは報道番組に変わってしまった。何でやねん最後まで見てへんど。
   そうこうして起こっているとふらふら蛾ますますひどくなってきた。あれ?どうしたんやろ、
   体調滅茶悪いんかなって。テレビから目を放して奥方が育てている天井から釣った観葉植物の
   はちが左右に大きく振っている。え!え!えっ!!今度は反対側の壁に釣った3000ピース
   のパズルのパネルが左右に大きく揺れている。
     何じゃコレ!!??
    15年前を思い出した。阪神淡路大震災の時オヤジは団地の五回に住んでいてあの震度五弱の
   ゆれで食器が全滅してね。慌ててその時も食器棚押さえにいったよ。
    長かった。終わった後もまだ揺れているようで。気持ち悪くなって。
   そして又テレビを見ると地獄だ、地獄絵図が映っている。
   何じゃこの大津波!!
   恐ろしい、後何十年かで、いや何年かで東南海大地震が来るだろう。こんなもんじゃ済まない。
   頭の中がぐるぐるまわった。

     どうすりゃ良いんだ!!
 

     10、何かできること

    震災後テレビでは津波の様子や地獄絵図、人を探す悲し気な姿。何もできない自分。先ずできる
   こととして義援金を送った。でもまだまだ、そうまだまだ。
    でもテレビでは、毎日のように悲痛な叫びが。そんな時一人の女性がテレビのインタビューに
   応えられて訴えておられた。地震、津波で電気などのライフラインが切断されて、そんな時
   マイクの津波放送の知らせ、でも、パソコンやファックスが切断されて、たくさんの聾の方々が
   何が起こっているのかわからず、そう襲い来る津波に飲込まれたくさんの方がなくられたと。
   また避難所では食事等の放送が聞こえず食事にありつけない方も多くいられたと。このことを
   きいた時、自分は何をやっているんだと。のんびりとのほほんと生きて、確かに時分が飯を食え
   なくなったら人事ではない。だからといって仕事を休んで現地にボランティアにいくことは
   できない。だからこそいったい自分に何ができるのか。確かにこの大震災では義援金を送る
   事だけで精一杯で。でも、今後南海トラフなどの大地震が起こったら。

    自分は4月から何をするんだ?今のようにただ「ありがとう」「御苦労さん」ぐらいの手話が
   できたら良いのか?今まではそれで余かっても、今この大地震に直面して、それではいかん
   だろう。せっかく手話の勉強の機会が与えられたのに。
    人より自分、先ず自分が楽しまないとと思っていた自分が何か剥がれて何処かに飛んで行った。
    今時分ができること、人の為にできることをとにかく真剣に取り組まないとと、こんなのは
   始めてだけど今頑張らなければと!!
 

     11、言い訳、でもね
  
    3月13日は熊野古道第2回の予定ではあったけど、やっぱここはいってはいかんだろうと。
   世の中東日本のこと考えて自粛色一色なのに。そうここは中止に。
    被災地の人々が苦しんでいられる時に遊んでいて良いのか?やっぱ今は自粛しなければと。
    本当にそうだろうか。東日本の人々が大変な時に被害がなかった地方の人たちが遊んでいては
   いけないのだろうか。ガンガン経済活動していてはいけないのだろうか。みんなが自粛自粛で
   沈んでいたら日本の経済は冷え込んでしまい、日本全体が沈んでしまわないか。被害にあわな
   かった地方がおおいに頑張り盛り上げ被災地にエールや義援金をおくれた方が良いのでは。
   だから自分達がしっかり働き元気にばりばりやって行くことが前向きで日本も頑張れるのでは。

    3月29日、意を決して山へ一人歩きに出た。とにかく歩きたかった。テレビを見ていたら
   苦しいし。一人で帆北摂の山、能勢妙見山から歌垣山までのロングコースに取り付いた。
   のどかな里歩き、気持ちの良い山歩き。この自然、里を守らないとね。地震からどう対処
   すべきか。ずっとこんな里山の中歩いていたいし。この自然に逆らわない大切の守る生活を
   していけないと思った。
    それから、言い訳かも知れないけどみんながもっともっと元気がでるようにオヤジができること。
   ほんと小さすぎることだけど今楽しむこと、少しでも経済活動に協力できるようにと友を誘い
   山歩きや熊野古道歩きに誘い自粛なんかよりこっちが正しいのだと活動を開始したんだ。
 
 

     12、さあ、始まった

    4月に入り、さあいよいよ手話教室が始まった。25名ぐらいからのスタートだったかな。
   男性はオヤジともうひとり折られ後はみんな女性陣。まあ、平日の昼、そんなの古れる人って
   少ないよなって。
    さて入門・基礎コースなので全員が初めての方ばかり、そして初めは手話というより表情や
   身ぶりの大切さが大事という学習。この辺は仕事柄まあオヤジは得意なのでとにかく調子に
   乗っちゃってすぐにオモロイおっさんになってしまいましたよ。そして教室には聾の方や
   手話サークルの方がお手伝いにこられて。聾の方がおられると本当の手話がわかるしね。
    そして会が2回3回と進んで行くとだんだん手話の数も増えてきて。
    同時に山は4月、箕面から最勝ヶ峰、熊野古道2回目、5月高野山、6月六甲菊水山から
   鍋蓋山と登り続けていたよ。
    そして手話教室、回が進むにつれて先生の説明に手話が増えてきて、授業の初め手話だけの
   先生の話があり、オヤジはチンプンカンプンで全くわからない。他の人も同じかなと思うと
   先生の手話も見て笑って、後でちゃんと先生の質問にこたえたり、先生に質問したり、なぜ?
   
   なぜ、なぜ、なぜ?
   頭の中でぐるぐるとなぜの波が回りだした。
   みんないつ勉強やっているんだろう?みんな天才か?それともオヤジが阿呆すぎるのか!
   なぜ?

    同じようにおくれている方も中にはいたみたいで。回が進むにつれてポツポツと空席が出て
   きた。オヤジはただ用事で休んでおられるんだろうと。
    でも、何故の答えがでてこない?
    仕方ない、とにかく勉強しないとということでNHKのみんなの手話を見、DVDにも撮り
   本も買い又テレビも見、でもやっぱり。
    他の人のようにはついていけない。う〜〜〜〜〜〜〜ん!?
    
    そうこうしている内に一人又一人と全くこない人が出てきた。中には街であって聞いてみたら
   「もうついていけない。」「難しすぎる。」という意見がほとんどだった。
    オヤジだけではなかったんだ。
    でもオヤジはノー天気なので、わからんことは仕方ない、
   自分のペースでやっていこうと決めた。
 
 

     13、暑い夏、心痛む夏、頑張った夏

    平成19年の夏、オヤジが玄関先に出た時、家の前で見知らぬ爺さんが自転車に乗りながら
   オヤジん家の門扉に捕まり震えている。」「えっ!」っと思った時突然突然爺さんが自転車ごと
   倒れた。オヤジは慌てて飛び出しそばに行った。意識は有る、でも前進痙攣しているようなので
   ズボンのバンドを緩め胸のボタンを少しはずしゆっくり横にさせた。でも出来る事はそれぐらい
   で。奥方が2階のベランダに出てきたのですぐに救急車を呼ぶように言った。救急隊員が
   くるまでただただおろおろしているオヤジ。情けなかった。何にもできないオヤジが本当に
   情けなかった。
    そしてその月の市の広報に市民救命仕講習会の募集の案内。オヤジは何がこれから有るか
   わからないとすぐに申し込んだ。
    そして平成23年この夏の日そろそろもう少し詳しく救命の勉強がしたくなって市の広報を
   見ていると、あったあった、8月半ばに講習会のお知らせ。市民救命士1、2、上級、どれに
   しようか。1はもう受けているし、2か上級かな。でも両方とも半日か。おお、3日間も講習が 
   有るのが有る。これならよう勉強が出来そうでええやんなんてね。そして7月の初め申込
   第1日目の午後消防署に申し込みに。かなり申込が殺到しているので少しまって下さいと。
   待っている間に係りの人がお話を。「3日間かなり厳しいですよ。試験もたくさん有るし
   しんどいのは覚悟しておいて下さい。ただ受講が決まったら途中で止めるなんて事はないように
   頑張ってほしい。この講習はインストラクターになる為のもので認定されればあなたが会社や
   地域活動で指導者として主催する事ができるのでやる限りは頑張ってほしい。」とのこと。
   オヤジは心の中でそんなに厳しいの、えらいもん申し込んでしまった。定員アウトやったら
   良いなあ何て思っていると。「一人で申込ですね。」「はい。」「なら受講できます、頑張って
   ください。」「ありがとうございます。」    <<どうしよう、大変だよ>>
    とにかく申し込んでしまったのだから、3日間朝9時から夕方4時までしっかりやるしかない。
   とにかく朝仕事有給を3日か増やし1のテキストなんかも探し出して講習に備えた。

    夏休みには2回の山計画を立てた。一つは単独で京都の高尾から清滝、嵐山、松尾山、苔寺
   鈴虫寺、上桂駅のコース。もう一つは日帰り夏合宿と銘打って比良山系八つ淵の滝から釈迦岳  
   ヤケオ、楊梅滝、北小松駅への縦走。ヨッシーが参加で二人の登山になった。
    7月後半になり朝仕事は繁忙期、塾は夏期講習が始まり、忙しく暑い夏が続いた。

    月が変わり8月1日の夜突然鳴らずの携帯が鳴った。何と最も大切な友のお父さんからの
   電話だった。何と友が心筋梗塞で倒れたのだ。面会謝絶、でもかまわない。塾終了後病院に。
   やっぱりあう事はできなかった。もう一度父上に電話。とにかくまってほしいと言う事で父上
   からの電話待ちということになった。ただ待つだけ。心配で仕方ない。でも時は虚しく流れる
   だけで。そして夏休みになり単独山歩き、日帰り夏合宿に行き、そうその夏合宿中だった。
    比良山中で休憩している時にメールが飛んできた。
    「生きとるで。」という大切な友からのメール。嬉しくて涙が出た。明日会いに行こう!!

    救命インストラクター講習1日目が終わりその帰り急いで病院に行った。会えた!!
   状況はよくないという事だがそこで、目の前で友が笑っている。話している。こんな嬉しい
   事が他に有るだろうか。良かった、本当に良かった。明日からの講座にも力が入る。
    でも、講習3日間。生半可なものではない。勉強、ペーパーテスト模擬訓練、そして2日目の
   終わりには課題が。3日目は受講生を相手のインストラクターとしても模擬実施訓練と
   総合テスト。受講生の前での説明や実施の為の心構えを自分で考えて明日の試験乗り切る準備を
   してくるようにだって。もうかえってからずゥっと勉強三昧だった。良く頑張ったと思う。
    これも友のおかげだ、力くれたもの。とにかく頑張って手に入れたインストラクターの認定証。
   そう何かあったら一番に行かないとという思いをもって。

    その夏は本当に暑い夏だった。心痛い夏だった。良く頑張った夏だった。
 

              
   
   
 

      14、日帰り夏合宿と新しい山仲間

     8月に行った日帰り夏合宿、比良山八淵の滝から釈迦岳、ヤケオ、楊梅の滝、北小松縦走。
    これはなかなかのきつく長いコースだけど素晴らしいコース。何と行っても八淵の滝は適当に
    スリルも有り心踊るコースです。オヤジが大昔に行ったコースよりは少し難しくなっていた。
    でも又それがいい。一歩一歩岩を滝をつめていく。
    そして滝をこえてからは長い長いアップダウンの縦走路良い合宿だった。

 

                  
             八淵の滝、鎖場と垂壁
 

        さて山歩きを復活した時は一人。ブログでその事を書いていたらブログのお友達が
       一緒に行こうって事でフルブロオフ会山登り隊鳴るものが出来上がりました。
       会は大阪隊京都隊が有り、大阪隊はオヤジ、ヨッシー、教え子シスターズアンド
       ブラザーで大阪隊は形を作り京都隊はトマトさんを中心にその仲間が形成、参加には
       4〜5名から多い時には15名ぐらいまで膨れ上がり楽しんでた登りました。
       でも2年を過ぎるころから京都隊の参加が無くなり大阪隊も教え子シスターズが結婚で
       離れていきオヤジ、ヨッシー、奥方、姪っ子で今の形が出来オヤジの一人歩きもこの辺が
       一番増えていく事に。
        またそのころこう工事代の友だちと飲んだりする機会が多く山の話も話題に登りついに
       2011年11月育さんと丸ちゃんとオヤジ3人で糊南アルプスに行く事になりました。
        そしてオヤジ、奥方、ヨッシー、姪っ子、育さん、丸チャンになり、そこに奥方の
       弟君夫妻もンバーになり今の形になりました。大阪山登り隊(仮称)の出来上がりです。
       良い、そして楽しく面白い仲間です。まだまだ続けていく仲間が出来上がりました。
 
 
 

         15、手話1年結果は

        2011年4月から手話入門基礎講座。あっという間に年が変わり3月で終了。
       最後に講座の締として、手話で3分間スピーチをやる課題が与えられました。
        オヤジは

                私の夢
          私が手話を習いたいと思ったのは去年の2月でした。山に登っていた時、頂
         上で聾に人が折れた枝を片付けたり、掃除をされていました。
          その方が私に身体、手を使って、ここを奇麗にして、みんなが楽しめる場所
         にしたいと。私はりかいできました、そして感激しました。私は感謝の気持ち
         を伝えたかったけどできま せんでした。なぜなら私は手話が出来ません。
         とても悔しかったです。
          そんな時、市の広報でこの手話教室の事を見ました。すぐに電話で申し込み
         ました。でもその時は軽い気持ちでした。
          その後3月11日東日本で大きな地震、そして津波が。聾の方々は津波警報
         が聞く事ができず、多くの方が亡くなりました。また、避難所では食事の放送     
         が聞けず食べることができない方が。それをテレビで見てとても悲しくなりま
         した。今から習う手話は軽い気持ちではダメだと思いました。
          そして4月手話教室が始まりました。手話を勉強する屠蘇の難しい事。なん
         どもなんども止めようと思いました。
          やっと1年が経とうとしています。でもまだまだ手話は下手くそです。とく
         に読みとりが苦手です。でも3月の事を思い出すと、時間はかかるけど頑張っ
         て続けようと思います。
          今私の夢は、いつの日か、聾の方々と普通に楽しく語り合える事ができるよ
         うになりたい事です。
          1年間ありがとうございました。
 

        あんまリうまくはできなかったけど、なんとか終了証をいただけました。5名以
       上消えてしまったけど、まあなんとか落ちこぼれながらも頑張れました。
        オヤジは手話を続けたいのでその後すぐに今やっている手話サークルに入会しま
       した。
 
 

          16、サークル活動と地獄の手話上級教室
        
        初めてボランティアサークルに入ったオヤジ。とにかく初めはわからないので、
       手話の勉強が出来たらいいやとやっていました。でもこのサークルはボランティア
       活動含まれている。先ず生まれて始めて経験したこと。駅前に立っての募金活動。
       大声を出してお願いをしとにかく始めての活動。いい勉強になって。そして
       ボランティアフェスティバル。多くの人の前で手話劇をやった。オヤジは脚本を作
       ったのとおじいさんと赤鬼の役をやった。とっても楽しく伊井火を過ごす事が出来
       た。そんな活動をする中、市の運営する上級手話教室(平成4年度分4月28日〜
       8月4日の3ヶ月毎週土曜日)の応募が始まった。オヤジに受給なんてまだまだ早
       いと思ったのだけど、サークルの人たち似誘われてまあ受けてみるかと。しかし、
       この3ヶ月間が地獄の苦しみになろうとは考えてもいなかった。簡単な気持ちで受
       けたのが甘かった。授業はほとんどが手話だけとか毎回みんなの前で手話をしなけ
       ればならないとか。とにかくオヤジの手話力では2時間は本当苦痛だった。辞めて
       いく人も多い事多い事。残っていくのは手話サークルのベテランとか、入門基礎講 
       座の時の先生の助手に来ていた人たち。そんな中でオヤジが混ざっている事事態
       無茶だった。
        結局最後まででることは出たが終了試験は受けなかった。といウより受ける事事
       態が無駄だった。最初24名が受講し最後まで残ったのは15名程でテストに合格
       したのは3人だけだった。
 
 

          17、そのころの山行

        手話がうまくいかない。何かが違う。別に通訳仕を目指しているのではない。
       でも上級講座で手話が重荷になっていたのか。山は行きまくっていた。又熊野古道
       も面白くなりやっぱ歩くのがいいと思うように。この年は熊野古道を入れて、16
       山に行った。
        ヤッぱ手話で悩んでいるより、山歩いている方がええわがそのころの思いだった。
       特に5、6、7月は手話上級教室でおかしくなりかけていたし、山行も月1のペース
       に落ちていたし。こんな時こそ山だななんかと思いながら。
        1月の大比叡、3月の北摂高岳、4月の能勢高代寺山と三郎岳、5月ツツジの絨毯
       に包まれた葛城山、10月の曽爾高原や三田大船山、11月スズキたなびく岩湧山。
       12月の大文字山そのどれもが心討たれる山だった。そして、そんな中、少しずつ
       手話に対しての思いが変わっていった。
 
 

                     18、手話ステップアップ教室

        24年上級教室で苦労した年の秋、10月2日から12月4日までの全10回の
       市が主催する手話ステップアップ教室が開かれる事になった。オヤジは前の上級教室
       の事が有るので受ける気はなかった。でもサークルの人が上級違うしテストもないし   
       気軽に受けようよっていわれて。まあそんなに考える事のないオヤジなので、誘われる
       ままに電話して申込そして受理。次のサークルに行って申し込んだよっていうと、
       誘ってくれた人たちが、電話した時受付で、先制は聾の人で言葉はないですよっていわ
       れて申し込まなかったって。何それ!!今さら止める訳にもいかないし又地獄かって。
       また10回苦しむのかってもうはきそうだッだ。
        ステップ教室が始まるとやっぱメンバーは上級にいた人たちが多くいて。なんやねん
       これはって思いながら仕方無し。手話の読みとりが苦手なオヤジには手話と口の動きだ
       けではやっぱ難しい。でもテストはなくその日に課題も前もってプリントが配られてい
       るので予習が出来て上級程のしんどさはない。だからまあ勉強も出来て良かったが、
       でも途中先生の手話だけの話が有りわからないが本音であぁとり残されていく。まあ
       考えれば全く手話を知らずに習って、週1回だけあるかないかで1年半勉強してきただ
       けでそんなに簡単にできる訳がない。また一番下手だと判子押されているので気は
       楽だった。
 

         19、素晴らしき出合いの前

        オヤジは年末も近付くと山登り隊の新年度の山計画もしなければならない。なんせ
       一応主催者なもんで。だから今までに行った山や行ってみたい山と考え、みんなが喜ん
       でくれる山を探さなければならない。そして参考にしているのが



        などの本を参考にしたり、人から聞いた山をネットで探したりして決めていく。
       これもまた楽しい一時なんだけどね。また、山のこと考えていると嫌な事
      忘れて夢見るガキに戻れるもんね。 
     
       さて、手話ステップアップ教室も後半になり先生と話をしていて何かもっと手話
      ができるようになる方法がないですかねなんて相談していて。そんな時山登りの話
      をしていると、先生が、聾の人たちが主催している山の会や、聾の人たちも一緒に
      いる山の会が有るはずなのでそんな会に入ってみたら山も登れるし手話も覚えられ
      るんと違うかなって。なるほど。でも有るのかなあそんな会自分で探してみたらって
      事だね。
       そして関西ハイキングっていう本の2013年号だったかな。友だちと行く山って
      とこみていて最後の方に山友のみつけ方というコーナー。ここに聾の人達と行く山の     
      会のことが、読んでいるとすごく楽しそうで、でも知らない人ばかり。そんな中に
      入っていけるのか。すごく悩んで、でもせっかく先生にアドバイスをいただいたのに
      そしてネットで調べて新年1月の交野市の交野山の例会に行かせてもらおうと。
      そして12月思いきって参加したいというメールを送りました。
 
 

        20、年末年始

       この年の12月1日は一人歩きで京都大文字山に。大の字のてっぺんのところで
      弁当食ったけど寒くてね。しかもすごい急斜面。食べた後はおそるそそる下山。銀閣寺
      横にでてそこからは哲学の道を。とにかく素晴らしい紅葉。京都、紅葉これでけで
      素晴らしく。そして1週間後の12月9日は山登り隊で滋賀県の金勝アルプスに。
      素晴らしき景色紅葉、総てが最高で。そして帰りには大阪京橋で忘年会。楽しい年の
      終わりになりました。
       さて新年を迎え新年1月4日は山初め。ひとり山行と2010年から決めていて。
      この年はダイトレ中葛城山から高谷山タンボ山を経て紀見峠に、なかなかの良いコース。
      雪も舞い最高の一人歩きでの登り初め。何か良い感じの年の初めだった。

       が・・・・・

       こない。年末に申し込んだ関西ハイキングサークルから何の連絡もこない。もうすぐ
      その山歩きの当日なのに。突然メールしたからダメだったのか。手話が下手だと書いた
      からダメだったのだろうか。それともちゃんとメールが届かなかったのだろうか。
      もう日にちがない半分諦めの気持ち。デモやっぱ参加したい。
      ウ〜〜〜〜〜んどうしようもない。仕方ない。そうだ!!FAXを送ってみよう。
       すぐに会長から連絡が来た。オヤジはメール送った時に件名も名前も書かずに
      送った。会長さんの話だと最近迷惑メールが多く剣名のないメールは見ないとのこと。
      これはオヤジが悪かったのだ。
       そしてその日が来た。
 

        21、素晴らしき出会い

       そりゃもう行きしなの一人の電車の中で
       やっぱやめておこうか。無理ちゃうか。手話がこんな状態やのに、次回にしようか。
      さあはよ次の駅で降りてかえろなんて、とにかくマイナスの考えしか浮かんでこない。
      でも身体はきっちりと集合場所に向いて動いている。

       初参加関西ハイキングサークル   ←クリック

       とにかく今までにない経験。そして味わった事のない楽しみ。山登りは大好き
      だけどまた違った山歩きができた。そして大きく変わった事。ずっとそのころ手話が
      難しくて挫折しかけていた。そして教室は面白くなくしんどいだけで、でもこの
      山にきてそうじゃない、聾の人たちとすごく元気がもらえる。もっともっと手話が
      できるようになりたい。この人たちともっと心から話せるようになりたいと思い
      始めた。
       この日の山に参加して、そしてその日解散後、何かその衝撃に感動していた。
      いつまでもその余韻が残って。素晴らしい出合いが出来て、そしてここで続けて
      と決心した。
 

        22、それから1  山ー1

       山登りを再び登りはじめて立てた目標が一つ。1ヶ月に1山以上登るという事。
      初めの2、3年はいけないのが多かったけど2010年頃からなんとか12山以上
      いけるようになった。
       そして2013年サークルに参加するようになって23山に登れる事が出来て
      後1山で1ヶ月に2山の記録だったんだけど、9月10月に雨が多くいけなかった
      のが残念だった。そして2014年は22山。う〜〜〜ん、これぐらいが限界かなあ。
      でもこれだけいけるようになったのは、自分の山登り隊、+関西ハイキングスクール
      に参加したことが大きかった。そこでは自分では思いもつかない山にいけるのが
      素晴らしい。しかも2年目からは山行の年間計画をたてる時まで呼んでもらいなんか
      ワクワクが増えた。でもその分時分にも責任が出てくるしよけいに頑張らないとね。
      サークルは2013年1月に初参加して、その年の4月の例会を欠席してしまった。
      その1回休んだのが悔やまれる。
       とにかく子のからだが歩ける、動ける間は休まず頑張りたいと思う。
 
 

        23、それから2  山ー2

       山登りをしていると天候の悪化、道迷い、間違い等で目的の山にいけない時がある。
      今のところ自分の山では5山行があり、1つは六甲トゥエンティクロスから長峰山、
      二つ目は三上山(さんじょうざん)、大阪府庁山、リトル比良、乗鞍岳がある。
       一つ目の六甲は3名で2008年3月に挑戦。小雨がふるとても寒い時だった。
      増水で裸足での徒渉の繰り替えし、わけのわからん笹のブッシュ漕ぎ、疲れ果てて
      六甲牧場まで行き敗退。でもこのコースは2013年8月単独行でリベンジを
      果たした。大阪府庁山は新年1月に挑戦、登り口を間違え敗退。デモその年の
      二月末にリベンジ。三上山はコース案内を読み間違えて全く違う所に下山して敗退。
      リトル比良はメンバーがばてて途中敗退。この二山はまだリベンジを果たしていない。
      そして去年の北アルプス乗鞍岳。2700mまでバスで行き後はアタックを残す
      だけだったが大雨で断念宿題を残してしまった。トいう事では今年はしっかりと
      計画を立ててこの8月にリベンジをしたいと思う。
       他にも雨等で行けなかった山はいっぱい。まだまだこれからやね。
 

        24、それから3  山ー3

       関西ハイキングサークルに参加して大きく広がった事。山登り隊は目的の山を決め
      日帰りで登って帰ってくるというパターンばっかりだったけどサークルに参加すると
      終わってからの反省会(飲み会)、目的地での温泉を楽しんだり、山での忘年会
      山を離れての会長宅でのビアパーティーや忘年会と楽しい行事がいっぱい。
       そしてそれまでは、山を歩く事だけが一番の目的だったけどサークルでは山の
      掃除登山や、ヒカゲツツジを求めて山に行ったリ、出会うj端や自然を楽しみ、
      写真の鳥かたまで教えてもらったりして。山をいろんな方向から楽しむという事が
      広がってきた。
       それと平行して山に取り組むバリエーションが多彩になってくる。先ずワカンや
      スノーシュ−を必要とする雪山登山。そしてお花見ウォークなどの軽ハイキングや
      里山歩き。そして今年2015年2月この年になって生まれて初めて経験した
      ボルダリングとロープクライミング(これは例会ではなくサークルの人に別に
      つれていってもらった)まで経験が出来た。
       こうしていろんな事が経験ができるが、自分の歳が歳、年々体力が衰えていくの
      がわかる。みんなに迷惑をかけないように身体を鍛えていかなあかんわね。

      
          
       
       
        
        
     

  
     

     戻る