2003年1月1日

明けましておめでとうございます。
いつもはこの時期、アメリカで自主トレをしていたため、今年はものすごく久しぶりに、日本で年越しをしました。年越しそば、おせち、お屠蘇、と、日本文化 づくめで幸せです。こんなにぼーっと過ごせるのはめったにないことなので、自主トレ開始のその日まで、じっくり心と身体を休めようと思います。今年の始動 は、神戸です。

2003年が皆さんにとってよき一年となりますようにお祈りしております。

最後に、年末のNHK特別番組のあと、たくさんのファンメールをいただきました。全部読ませていただきました。本当にありがとうございます。返事ができなくて申し訳ありませんが、皆さんにかけていただく言葉ひとつひとつが、僕のパワーになっています。

今年もよろしくお願いいたします!


2003年2月10日

大変長らくご無沙汰しています。関西空港を出てからロサンゼルス経由で、
さっきセントルイスに戻ってきました。僕の住んでいる兵庫県西宮市の山の
上は、下界とは3度の気温差があり、訪れる友人からは「携帯が通じない」と
非常に不評なのですが、それはともかく、そんな「山の寒さ」ともまた違い、
セントルイスは「痛いような」寒気です。明日からはブッシュスタジアムで身体を
動かして、14日にいよいよフロリダ入りです。今季のことを考えると、なんだか
わくわくします。去年のシーズンを一緒に分かち合ってくださった皆さんには、
また今日から改めてお付き合いいただきたいと思います。

それではまた、明日!

ミズーリ州セントルイスにて 田口壮 


2003年2月11日

誰もいないブッシュスタジアムで練習です。

クラブハウスは、キャンプに向けてほぼ引越し済み。いつもよりがらーんとして見え
ます。今日は、マシンでのバッティングと、ウエイトだけを行いました。

今年はオリックスに練習場を提供していただいたおかげで、日本でじっくり打ち込み
をすることができました。これから数日、セントルイスで「慣らし運転」をして、フロリダ
に乗り込みます。

ところで、今回引越しをしたのですが、新しいアパート初日に、ちょっと困ったことが
起きました。風呂に熱いお湯が出ないのです。ヨメと二人、片方が湯船に漬かって
いる時は、片方があらん限りの鍋や薬缶でお湯を沸かし、「はい、お湯入りまーす」
などと必死に乗り切りましたが、とても間抜けでした。寒いし。

今日メンテナンスの人に見てもらうと、意外な事実が判明しました。「あっ、お湯と水
の表示が逆になってる!」

どうやらもともとの配管からあべこべだったようです。僕たちは「水」を必死で溜めて、
その中に自分で沸かしたお湯を注いでいたのでした。その後「水」蛇口をひねると、
やけどしそうな熱い湯が、一気に出てきました。
「小さい子のいない家だから、このままでいいよね?」と修理のおじさんは去っていき
ましたが、いつかヨメが熱湯を被るのは、ほぼ間違いありません。

アメリカのこういう大らかさが、結構好きです。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮



2003年2月12日

セントルイス、午前中の気温は1、2度でした。それでも空はすかっと晴れて、
いい天気です。今日はスタジアムの観客席でランニングをしました。

普段、下ばかりをうろうろしている選手にとっては、スタンドの上のほうは、意外と
未知の世界です。観客席の一番上に立って全体を見渡しながら、気持ちよく走り
ました。

ブッシュスタジアムは現在、新球場建設への移行期です。1965年製の味のある
建物も、あと2年だそうです。最後の一年は、工事のために、観客席の一部は入れ
なくなってしまうとか・・・定かではありませんが、古いファンにとっては淋しい話でしょう。

ここで戦った試合数はまだ少ない僕ですが、球場を見渡すと、すっかり「自分の家」と
いった気分です。近代的な他のチームの球場にも驚かされますが、屋根がなくても、
火山が爆発しなくても、汽車が走らなくても、やっぱりブッシュスタジアムが一番好きです。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮



2003年2月13日

球場へ行く途中の交差点。ピンクのバレリーナの衣装を着て、
バトンを持って踊る黒人のおじさんを見かけました。
聞くところによると、近辺では有名らしく、
メディアにも時折登場するらしいのです。
彼がそこで毎日踊る理由は「気晴らし」とか。
いったい日常生活で、どんなつらい思いを溜め込んでいるのでしょうか。

僕は、デジカメを持ち歩いていなかったのをこんなに後悔したことは、
かつてありません。

さて、明日は朝5時半出発でフロリダ入りです。野球のことを何か書こうにも、
バレリーナの印象が強すぎて思い浮かばないので、今日はこれにて失礼します。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮


2003年2月14日

朝5時半に、冷たい雨の降るセントルイスを出発。アトランタを
経由して、「アメリカの沖縄」・フロリダに、昼過ぎに到着しました。
夜は少し冷えますが、日中の日差しの強さは、さすがです。

今日2月14日は、バレンタインデー。アサイチでCNNヘッドライン
を見ていたら、そんな甘い話題と、テロの話題を交互に伝えてい
て、ものすごい違和感でした。テロの警戒は、ほとんど最高レベル
にまで引き上げられたそうで、空港のセキュリティーチェックも、
いつも以上に厳しく、チェックインカウンターで預けたスーツケース
の錠も、強引に引きちぎられていました。「検査させてもらいました」
とのお知らせが入っていましたが、「壊してしまった鍵に関しては、
弁償できません」。

鍵をかけないと、盗難が怖い。でも、鍵をかけると、無理やり開けら
れてしまう。セキュリティーチェックは命に関わることなので、厳しい
検査は大歓迎、でも、当分、鍵がいくつあっても足りそうにありません。

ところで、セントルイスからのフライトには、軍人さんが2人乗って
いました。「たぶん、警戒が最高レベルに上がっているから、軍から
派遣されたんやろうなあ」と、非常に頼もしく思っていたのですが、
何の事はない、ただ偶然乗り合わせただけのようで、嬉しそうに機内
で配られたクッキーを食べ、備え付けの電話をいじって遊ぶなど、
警戒心のかけらも見当たりませんでした。ただでさえ飛行機が怖い
のに、テロの恐怖もあって、妙に緊張していた僕は、どっと肩の力が
抜けてしまいました。

教訓。必要以上の緊張は、するだけ損。なんだか去年のキャンプを
思い出すような・・・。


フロリダ州ジュピターにて 田口壮


2003年2月15日

1日うろうろしたら、すっかり日焼けしてしまいました。

この1ヶ月半、僕はここジュピターにアパートを借りて住みます。
今日はその「新居」のための買い物をしてきました。洗濯洗剤や
調味料、そういった家庭のこまごましたものを買い込みながら、
「1ヶ月以上住むからには、いろいろ必要なんやなあ」と思うと同時に、
「アメリカに来てからやけに引越しばっかりやなあ」とつくづく感じました。

日本は小さいから、本拠地が動くことはほとんどありません。
自分の家は家で、あとは「出先の仮住まい」です。

それに比べてアメリカは、「ちょっとしばらくキャンプ」とか、
「ちょっとしばらくマイナー」という「ちょっとそこまで感覚」ではなく、
いちいち本格的な引越しを余儀なくされます。アメリカ人は居場所が
ころころ変わることに慣れているようですが、日本人にはかなり違和感
というか、戸惑いがあります。

僕が去年、メジャーにずっといれば、セントルイスにじっくり
いられたのでしょうが、アリゾナ州での自主トレに始まり、
セントルイス(ミズーリ州)、フロリダ、メンフィス(テネシー州)、
セントルイス、メンフィス、ニューヘブン(コネチカット州)、
セントルイス、そしてアリゾナ・・・と、いちいち「家を構え」ました。
ホテル暮らしも、普通のホテルではなく「長期滞在型」のキッチン
つきですから、そこで料理も作るし、出張というよりもはや引越し
でした。まったく知らない町で、ユーティリティー(ガス・電気・水道
など)の用意や、電話の設置、ケーブルテレビの予約や、その他
こまごました引越しに必要な作業があり、アジアの食材が手に入る
場所を調べ、洗濯機のないところでは、遠くのコインランドリーまで
重い洗濯物を運んで洗う。今更ながら、家族は大変やったろうなと、
心の中で感謝したのでした。

新しい家は住み心地もよくて気に入っています。すでにピッチャーは
キャンプイン。僕は明日から球場での自主トレに入ります。


フロリダ州ジュピターにて 田口壮


2003年2月16日

フロリダ入りして初めて、自主トレで球場に顔を出しました。

すでにピッチャーのキャンプは始まっているとはいえ、その数の多いこと。

ともあれ、球場入りするまでは、まるで「転校生の初日」のような
ちょっと緊張気分だったのですが、監督をはじめ、
知り合い全部に挨拶を済ませ、一気に気が楽になりました。
3A、2Aの選手に知り合いが多いせいか、やけに「縦に」顔が広くて
自分でも苦笑してしまいました。

今日一番嬉しかったのは、わざわざ日本からミズノのバット作りの名人、
久保田五十一さんが、ジュピターまで足を運んでくださったことです。
40年以上の熟練の技を誇る保田さんのバットは、誰もが持てるわけではありません。
そんな名人にバットを作っていただける自分の立場に感謝しつつ、
今年もがんばろうと気持ちを新たにしました。

ジュピターは今日も強い日差し。僕は合同自主トレ初日で、すでに真っ黒です。


フロリダ州ジュピターにて 田口壮


2003年2月17日

自主トレ最後の日。いよいよ明日はリポーティングデー(集合日)です。
まだ野手の本格練習は始まっていないので、体力も十二分。ここまで順調で快調です。

今日はトニー(ラ・ルーサ監督のことです)としばらく立ち話をしました。
「おっ。その髪の色、いいじゃないか!いい感じになったぞ」
日本では非常に不評だった茶髪を眺めて、なんだか嬉しそうでした。

アリゾナフォールリーグ中、あまりに連日強い日差しにさらされたため、
ヘルメットをかぶっていることろと、そうでないところで後頭部にくっきりと
色の差ができてしまったのです。後ろから見ると、
黒と赤茶の2色に分かれてとても面白い頭に。ずっと気になっていたので、
いっそ染めちゃえ、という経緯があったのです。

いちいち説明するのも野暮なので、「アメリカ人になりたくて・・・」と言っておきました。


フロリダ州ジュピターにて 田口壮


2003年2月18日

「リポーティングデー」とは、全員が顔を合わせる集合日、と理解していたのですが、
「キャンプ地に着いていればいいよ」ということが、初めて分かりました。
ということで、本日リポーティングデーでしたが、何人かは球場に現れず、
誰も何も気にせず。なーんだ・・・。

今日はキャンプイン前最後の、自由な日。午前中の自主トレを早めに切り上げて、
ゴルフに行ってきました。フロリダのゴルフ場は、年配の(おそらくリタイアした)お年寄りが
やたらに多く、こちらも、ゆったり気分でプレーすることになります。
僕も年を取ったら、あんなふうにのんびりゴルフが楽しめたらいいなあ、と思いつつ。
でも、ショットするたび、おのれの不甲斐なさに苛つく、修行の足りない私です。

明日からキャンプ開始。朝から身体検査です。

フロリダ州ジュピターにて 田口壮


2003年2月19日

本日キャンプインです。

朝からフィジカル(身体検査)をして、いよいよ全員揃っての練習が始まりました。
最初に監督から、「カージナルスはポストシーズンに出場する確率が、大変高い
チーム。うちは強いんだ。絶対にワールドシリーズを獲ろう」という、力強い訓示
があり、選手は皆気持ちを引き締めました。

それにしても、リラックス度が去年とえらい違いです。今日はいきなりのライブ
バッティングだったのですが、ヒット性の当たりもぽんぽんと出て、実に気持ち
よく初日を終えました。

久しぶりに昼をまたいで練習したため、首から上、腕など、外に出ているところが
真っ赤。アリゾナフォールリーグで慣れているとはいえ、ひりひりと懐かしい痛み
です。アロエとウイッチヘーゼルのジェルを買ってきて、たっぷり塗って明日に備えます。

フロリダ州ジュピターにて 田口壮


2003年2月20日

ライブバッティングでホームランを打ち、意気揚々と帰ってきました。
とりあえず今のところ、快適に過ごしています。

練習終了後、もうちょっと打とうと思って残っていたら、ミッチェル・ペ
イジ打撃コーチがやってきて、手伝ってくれました。その様子を見守る
日本の報道カメラ数台。突然ミッチー(ペイジコーチ)が、「この中の日
本人で、一番英語が分かるのは誰だ?」と言い始めました。たぶん、
僕に何か指導したかったけれど、僕が理解できるかどうか、いまいち
自信がなかったようです。そこで、通訳を募ろうとしたのですが、しばらく
しーんとしたあと、「はい」と手を挙げたのは、結局僕でした。

結局ミッチーの英語も、特に問題なく聞き取れたので、今後は何でも直接
言ってくれそうです。「今のところ、バッティングに何の問題もないから
頑張れ」とのこと。

それにしても、なんだかんだ話した挙句、突然他人のヘルプを求めようと
するなんて。いったい僕と交わした会話の数々はなんやったんや・・・。


フロリダ州ジュピターにて 田口壮


2003年2月21日

野球に関しては平穏無事な一日でした。

今朝こちらではニューヨークの大きな石油施設が爆発し、その
あおりでガソリンが一気に値上がりするとか。まだ原因はわかっ
ていませんが、テロか?と一瞬ぞっとしました。戦争はもうすぐ、
といったニュースが連日流れているのに、アメリカ人は特に慌て
た風もなく、やっぱりどこかのんびりしています。攻めたことは
あっても、戦争で攻められたことのない民族ですから、もし攻撃
されたら、この大きな土地をどうやって守るんやろうと、老婆心な
がら心配です。

そういえば、去年より、テレビのコマーシャルの合間に流れる
「軍隊へ入ろう」の募集CMが増えた気が。「今ならボーナスつき!」
「いろいろな国に行ける!」「軍にいながら学位が取れる!」
「常に昇給のチャンスが!」と、うたい文句が派手なのが気になり
ますが・・・たぶん、それだけ兵士を必要としているのでしょう。

先日モール(大きなショッピングセンター)で、ちょっと驚いたことが
ありました。本屋の店先の、いつもならベストセラーなどが並んで
いる場所に、アラビア半島の地図や、中東関係の本、そういったき
な臭い本がいっぱい積んであったのです。時期が時期だけに、
みんなが興味を持って買うんやろうな、と最初は思いましたが、
なんで地図まで。

そこではっと思ったのは、家族の存在です。もう16万人と言われる
アメリカの兵士が、中東諸国に配置されているそうで、その人たち
には家族がいます。もしかしたら、夫や息子、彼氏の身を案じつつ、
この地図を買うのかなと思ったら、やりきれなくなりました。

一方では野球シーズンに向けて、キャンプをしている僕達がいて、
一方では戦争に備えて毎日砂埃にまみれている人と、その家族がいる。

同じアメリカで、この温度差。不思議でたまりません。


フロリダ州ジュピターにて 田口壮


2003年2月22日

練習終了後、キャンプのチケットホルダーのためのサイン会がありました。同じス
タジアムで練習しているマーリンズの選手達も一緒。そこで、メンフィスでチーム
メイトだった、ジェラルド・ウイリアムスにばったり会いました。

去年の日記を読んだ方は、多分覚えているでしょう。メンフィスのホテルで夜中に
非常ベルが鳴った時、突然にも関わらず、さっそうとした姿で避難して、「さすが
メジャー」と僕を感動させた(?)選手です。カージナルスの組織を離れたのは知
っていましたが、彼はマーリンズに来ていたのでした。一年しかいないのに、やけ
に知り合いが多い。これもチームを縦に渡り歩いたおかげでしょうか。

ところで、今日ついに、「これぞアメリカ人の食べ物」のひとつと言える、「ピーナ
ッツバターつきセロリ」を食べさせられてしまいました。日本でそんなものを食え
と言われたら、それはイジメでしょう。

去年うちのヨメが、ピーナッツバターとジェリー(ジャムのようなもの)を塗った
パンを嬉々として食べるのを、まるで異星人を眺めるように見ていた僕。ピーナッツ
バターアンドジェリーは、歌にもなるくらい、アメリカの子供達から支持されている
のです。が、何度勧められても「そんな気色の悪いものはいらん!」と断っていまし
た。なのに・・・。

アメリカ人はピーナッツバターが大好きです。でも、何もセロリにつけんでもいい
やろ。他につけるものはいくらでもあると思うのです。なぜ、セロリに。

味は、見た目より悪くないのです。でも、僕としては、セロリにピーナッツバター
をつけている、という事実がすでに許せないのです。それはまるで、プリンに醤油
をかけてウニ、というのとあまり変わりません。

球場のメシ、恐るべし。


フロリダ州ジュピターにて 田口壮


2003年2月23日

たまたまクリスピークリームを近所に見つけました。僕の一番好きなドーナツのチェーン店で、
どの土地に行っても必ず探します。

ここのドーナツの特徴は、とにかく柔らかいこと。感触で言うと、「ふわっ」。
一般的なドーナツのように「ぽそっ」とか「ぱさっ」としていなくて、
口の中で溶けてしまうような食感がいいのです。ひとつひとつも小ぶりなので、
たいていの人はダース入りの箱で買って行きます。24時間対応のドライブスルーもあって、
食べたいときにはいつでも食べられる。コーヒーとドーナツ、という至福の組み合わせ、
おかげで結構病み付きです。

もともと東部を中心に展開していたそうなので、西海岸に支店ができたときは、
ものすごい人気で、行列でした。ドーナツを買うのに、最盛期は1時間半も並んでいたそうです。
でも、それだけの価値はあるかもしれません。

店の中では、ドーナツを作る過程を、ガラス越しに見られます。タネがドーナツ型になり、
油で揚げられ、ひっくり返されて、最後にグレーズ(溶かした白い砂糖)をとろーっとかけて、
出来上がり。それがゆっくり目の前を流れて行くのを見るのも、楽しみのひとつ。
今日はたまたま店の人が、箱詰めする前の出来たてを、機械の上からひょいっとつまんで、
僕に渡してくれました。まだアツアツで、ふわふわで、それはもう、たまらんうまさです。

その後、1ダース買って家路に着きました。

野球の話は、特になし


フロリダ州ジュピターにて 田口壮


2003年2月24日

練習が終わった後、トレーニング用のバイクをこぎます。

トレーニングルームには、大きな音でラジオがかかっていますが、
僕はMP3プレーヤーで、好きな曲を聴いています。MP3だと、
日によって曲を組替えたり、入れ替えたりできるので、
日替わりで楽しむことができてとても便利。
持っているファイルの中からアトランダムに編集して楽しんでいます。

ところが、自分の顔が「その時流れている曲」に非常に影響を受けていることが
今日分かりました。楽しげなポップスの時は、明るい顔。でも、
「こーおべえー」などと、前川清の声が聞こえてきたとたん、僕は顔をゆがめて、
眉間にしわを寄せています。トレーニングそのものに、なんら影響はありませんが、
見ている人はブキミに思っていることでしょう。

前川清、いい曲いっぱいありますよね。

フロリダ州ジュピターにて 田口壮


2003年2月25日

実戦形式のゲームがありました。
投手は「コーチ」で、すごく近くから投げるので、とても打ちづらいです。

2打席立ってタコでしたが、当たりも良く、まったく気にする必要のない内容
でした。コーチも「今日の成績は関係ない。去年とは比べものにならないから」
と意に介さず。レフト守備のほうも伸び伸びファインプレーを3つほどして、
お客さんに喜んでもらいました。
「今日一番目立ったのは俺や!」と・・・自分では思います。
センターのエドモンズの5倍の距離は走ったし。
(こういう考え方をし始めたあたり、アメリカ的?)

今年の状況は、キャンプに入る前から去年とは違いました。
去年の9月の上での動きや打率、アリゾナでの成績などが評価
されているようで、現場は「田口は打てない」とは、もはや思っては
いないようです。まあ、あとは実戦で、結果ということになりますが、
追い詰められた気持ちではないので、非常に楽です。

数日後からはゲームが始まります。体力的には少し疲れも出始めて
いますが、しっかり身体の手入れをして、ゲームに合わせていきたい
と思います。


フロリダ州ジュピターにて 田口壮


2003年2月26日

明日からいよいよオープン戦です。

去年と比べて格段に気分が違うとはいえ、
「結果」を出さなきゃいけない立場であることは自覚しています。
気合もかなり入っていますので、空回りしないように気をつけねば。

実は、すごく楽しみです。


フロリダ州ジュピターにて 田口壮


2003年2月27日

いよいよ始まりました。

今日は途中から出場です。代走から入ってセンターへ。打席は2打席。

1打席目はセンターに、いい当たりのライナーをガツンと打ったものの、
運悪く捕られてしまいました。2打席目は詰まったセカンドゴロ。

去年の最初の頃とは比べ物にならないような状況ですので、
あまり心配はしていませんが、結果がすべてのこの世界。
どんな汚いヒットでもいいから、早く一本打ちたい。
そうすればかなり楽になれるのです。

明日こそ「楽」になるぞ!

フロリダ州ジュピターにて 田口壮


2003年2月28日

昨日から始まったオープン戦、僕の中では今日、開幕しました。
先発センターで出場して、最初の打席はフォアボール。2打席目
は内野安打、そして3打席目は左中間にタイムリー2ベース。
2の2、1打点、1四球でした。ほっとしています。

試合前に、いろいろな人に会いました。相手チームの新庄選手、
アリゾナで一緒にトレーニングをしていたトニー・クラーク選手、
そして、2A時代の監督、マーク・デジョンさん。どの顔も嬉しい
再会で、わくわくと、野球シーズンが始まった喜びを感じました。

明日からまた飛ばしていきます。

フロリダ州ジュピターにて 田口壮


2003年3月1日

球場に着くなり「ソウ、Bゲーム!」と言われました。なんと1時からの
試合前に、もうひとつマーリンズ相手の、予備のゲームがあったのです。
前の日に言ってくれよ〜、という感じ。結局2−0、2四球でした。
この結果がオープン戦の成績(計算)に関わるかどうかは知りません。

本番のゲームは途中から出て、セカンドフライと三振でした。
今日はタコ!明日また頑張ります。

そういえばBゲームの時、もと日ハムのオバンドーに会いました。
「タグチサーン」・・・と寄ってきてくれたのですが、いったいこの大きな人は誰?
一応「ハーイ」とにこやかに笑いながら、僕は早く背中の名前が見たくて仕方ない。
誰だかぜんぜん分からなかったのです。

オバンドーはまだ日本ハムにいると思っていました。


フロリダ州ジュピターにて 田口壮


2003年3月2日

最後に守備についただけで、ほとんど「お休み」の日でした。
このところけっこう疲れがたまっていたので、非常に助かりました。

今の毎日は、だいたい朝7時半ごろ起きて、風呂に入り、ストレッチ。
朝食、そして、8時半過ぎには球場に入ります。
試合が終わってトレーニングをすると、帰ってくるのは5時過ぎ。
ぐったりしてしまって、どこにも出かける気になりません。
家でテレビや映画を見たり、ヨメとしゃべっていると、
あっという間に就寝時間が来てしまいます。

今日はたまたま近所のペットショップに寄って、
子犬をたくさん見せてもらって和みました。
日本ではチワワが大人気だそうですが、そのチワワの子犬とも遊んできました。
我が家の愛犬・貫太(コーギー・ちょっと太め)に比べると、
折れそうな小ささで、小さな顔と大きな目が、
なんとなく他人とは思えない・・・気がして、思わず見詰め合う僕。

それぞれの犬の背中には、マイクロチップがすでに埋まっているとのこと。
たとえいなくなっても、機械でピッと、居場所を読み取ることができるのです。
スーパーのレジのような要領で子犬が「読み取られている」様子には、
本当に驚きました。

フロリダ州ジュピターにて 田口壮


2003年3月3日

代打で出てセンターフライ。でも感じは悪くないからそれでよし。とに
かく行くしかありません。

それにしても、木田さんの事故のニュースにはびっくりしました。去年
はテレビ局の方の、痛ましい死亡事故があったばかりのフロリダで
す。おまけにアメリカ人は、運転が・・・あまりうまくありません。免許を
取るシステムからして、ちょっと怪しげです。それはまた、いつか機会
があったら書きましょう。

オリックス時代から、いつもかわいがってくださる木田さんです。つい
2、3日前に、「やっと腰が治って野球ができる」と喜ぶ声を聞いたば
かりだというのに。容態の重い、助手席の通訳の方ともども、少しでも
早く回復されることを祈っています。あと、これ以上まわりで、悲しい
事故が起きませんように。

フロリダ州ジュピターにて 田口壮


2003年3月4日

午前中、練習試合に出場。6回までノーヒットノーランで誰も相手を打
てず。ようやくフォアボールが取れそうと思いきや、審判が、ひどすぎ
る。練習試合には、プロではなく、アマチュアの審判を雇っているよう
ですが、あまりに・・・です。僕はシックスボールの挙句、三振を宣告さ
れました。スタンドからは誰かが審判に文句を言っています。野次の
主は、なんと仰木監督でした。

ということで、今夜は監督と食事をさせていただきました。わざわざジ
ュピターまで足を運んでいただき、本当に嬉しかったです。

今日もヒットが出ませんでした。それはそれで、内容がいいので、僕
自身はさほど深刻に捕らえないようにしています。でも、とあるマスコ
ミから、「なんか、思い切りが足りないように思えますが」と言われ、久
しぶりにがっくりきました。

思い切り。なんでもバットをがむしゃらに振り回すだけが、「思い切り
のいいプレー」ではないということを、できればマスコミの人にも理解
してもらいたいものです。結果が出なければ、「がんばってない」。結
果が出れば「伸び伸びやっている」。野球はそんなに単純なスポーツ
ではないと思うのですが。


フロリダ州ジュピターにて 田口壮


2003年3月5日

今日の遠征はバスで約2時間。ビエラに行ってきました。

時速70マイルですから、約100キロちょっと(実際はもっと飛ばして
いましたが)で、まーっすぐの道を行きます。日本なら、神戸から岡山を
越えてしまう距離。遠いやん、と一瞬思いますが、アメリカでのそういった
移動は、なんとなく「ちょっとそこまで」という感覚です。

去年もこの日記で書きましたが、なぜアメリカ人の乗るバスは、異様に冷房が
きいているのでしょうか。上着を着てまで、寒い中にいたいのは、なぜ。脱いで、止めろよ。

ちなみに守りから入って1の1。ライト線のツーベースでした。

フロリダ州ジュピターにて 田口壮


田口選手のパソコンがダウンしたため、修理ができるまでの間、
ホームページ管理人が電話でお話を伺い、本人に代って代筆いたします。

2003年3月6日

今日はホームゲーム、モントリオール・エクスポズとの対戦、
僕は9回表守備のみの出場でした。

こちらの日中の気温は34度ぐらいでしょうか。
湿度も高く、すぐに汗をびっしょりかいてしまいます。
オリックスがキャンプをしていた宮古島の陽気
に似ているかもしれません。ただこちらはビーチに近く、
潮風が吹くためベタベタしています。

今日はチームメイトのペレス(元阪神)が”六甲おろし”
を鼻歌で歌いながら守備練習に駆け出していったのには
笑ってしまいました。


         フロリダ州ジュピターにて 田口壮


田口選手のパソコンがダウンしたため、修理ができるまでの間、
ホームページ管理人が電話でお話を伺い、本人に代って代筆
いたします。

2003年3月7日

今日はフロリダ・マーリンズとの試合です。エドモンズ外野手が
2回の守り中に怪我をしたので、それ以降、最後まで出場しました。
しばらく先発がなく、久しぶりに4打席たったのですが、結果は
3打数1安打1フォアボールで。決勝の2塁打をうつことができました。

ところでここは日中はスコールも降らず、カンカン照りの下で野球を
しています。今日はチームメイトの黒人のロビンソンとナナリーに
「お前、俺たちと色が一緒やないか」 といわれてしまいました。


フロリダ州ジュピターにて 田口壮


田口選手のパソコンがダウンしたため、修理ができるまでの間、ホーム
ページ管理人が電話でお話を伺い、本人に代って代筆いたします。

2003年3月8日

メッツとのオープン戦でした。大量リードされた8回に代打で出番が
来ましたが、三振でした。

それにしてもフロリダは暑いです。摂氏30度以上ある上に、湿度も高い。
日本の真夏のようです。しかも毎日ゲームがあります。
朝8時半には球場に行って、午前中はチームで練習。そして午後1時
から試合。試合後もトレーニング。そんな感じで1日があっという間に
終わってしまいます。

開幕まで3週間になりました。がんばります。

フロリダ州ジュピターにて 田口壮


田口選手のパソコンがダウンしたため、修理ができるまでの間、
ホームページ管理人が電話でお話を伺い、本人に代って代筆いたします。

2003年3月9日

7回裏の代走から途中出場。打席が1回まわってきて、見逃しの三振でした。

暑さ対策に必須なのが水分補給。これをおこたると熱射病や日射病になって
しまいます。ロッカーにはミネラルウォーターのボトルがあり、みなこれを飲む
のですが、ベンチではそうもいきません。あまりの暑さでみんなの水分補給の
ピッチが早いために、これではおいつかないのです。

かわりにベンチにあるのは大きいクーラーボックス2つ。一つにはスポーツドリ
ンクのスポーツドリンクのゲータレード。吸収率がいいですが、液体の色は赤
とか青といったもので日本では考えられないような着色です。もう一つのクー
ラーには水道水がはいっています。「ミネラル・ウォーターだといいなあ」と思
いながらも基本的にこの水を飲んでいます。甘いのがほしくなるとゲータレード
にも手を伸ばします。暑さ対策には塩分もかかせません。これはひまわりの種
で補給(笑)。僕は半袋しか食べませんが、みな毎回1〜2袋はたいらげています。


フロリダ州ジュピターにて 田口壮


田口選手のパソコンがダウンしたため、修理ができるまでの間、
ホームページ管理人が電話でお話を伺い、本人に代って代筆いたします。

2003年3月10日

3の1 1打席目2ベースヒット、2打席目フォアボール

アトランタ・ブレーブス戦に先発出場、ヒットを打った
1打席目で先制のホームを踏みました。

今日は3打席目がまわってくる前、守備が終わって戻ろうとして
いたらいきなりボールがふくらはぎにあたり、びっくりしました。
ブルペンで投球練習をしていたピッチャーの投げた球がはずれた
のです。暴投でしょうね。ちなみに同じチームのピッチャー。
すぐに冷やし、大事にも至りませんでしたが、それにしてもどこで
何があるかわからないので、常に気をつけていないと危ないなあと
思ったのでした。


フロリダ州ジュピターにて 田口壮


田口選手のパソコンがダウンしたため、修理ができるまでの間、
ホームページ管理人が電話でお話を伺い、本人に代って代筆いたします。

2003年3月11日

途中からセンターの守備。1打席はピッチャーライナーでした。

バスで片道1時間半、往復3時間かけて遠征にいってきました。移動で使うバス
はトイレつきの日本でいう観光バスのようなものです。もちろんバスガイドはいま
せん。ただ日本の観光バスより座席の間隔はせまく、足のスペースが窮屈に感じます。

明日はBゲームとよばれる試合に出場します。午後1時すぎに始まる、いつもある試合
(Aゲーム)より開始時間は早くて午前11時15分。でもなぜか集合時間はいつも
より遅いのです。明日もがんばります。


フロリダ州ジュピターにて 田口壮


田口選手のパソコンがダウンしたため、修理ができるまでの間、ホームページ
管理人が電話でお話を伺い、本人に代って代筆いたします。

2003年3月12日

途中出場し、2打数1安打でした。

今日の試合はまずBゲームがありました。オープン戦で打席にたたせたいけれど
なかなか打たせる機会がない選手の打撃強化と、同様に投げる機会をあたえたい
ピッチャーの練習のためにあるゲームです。

ところが、球場にいくと「今日は守るだけだ」「試合の中での打撃ではなく、ピッチャーが
休んでいる間にコーチが投げるのでそのときに打撃の練習をしていいぞ」といわれました。
こういうことをきくと「それならば別に参加しなくてもいいのでは?」と思うかもしれませんが、
ピッチャーはいつもどおりの守備の選手が守ってくれないと実践感覚をつかめないので、
僕たちが守備をするにも意味があります。

ピッチャーの投球数は決められているので、その数に達せば2アウトでも交代、逆に3
アウトになっても、規定の球数にとどいていなければ試合は続きます。ところで、今日の
対戦相手はフロリダ・マーリンズかとおもっていましたが、なんとやってきたのはカージ
ナルスの2Aの選手でした。

Bゲームのあとは、休憩して、いわゆるオープン戦といわれるAゲームの試合開始です。
1打席目は12、3球ねばったのですが、結局ライトフライ、2打席目はライト前ヒットでした。
カージナルスも久々に勝ちました。

全部の試合終了後、なんとカージナルスの一部選手、コーチたちがクラブハウスのほう
からグラウンドに向けてゴルフの打ちっぱなしをはじめました。先日、近くであったPGA
ツアーの選手が、「練習だ」といってグラウンドにやってきて、打ちっぱなしをしていったの
ですがそれに刺激されたのでしょうか?それにしてもドライバーで300ヤードぐらい平気で
とばすとばす。全部で6面ある広いグラウンドなので誰にも迷惑をかけずにすんでいます。

フロリダ州ジュピターにて 田口壮


田口選手のパソコンがダウンしたため、修理ができるまでの間、
ホームページ管理人が電話でお話を伺い、本人に代って代筆いたします。

2003年3月13日

4の1 1フォアボール、1ホームラン。

フロリダ・マーリンズとの対戦の2打席目にホームランがでました。
今日の打順は8番、先頭打者となった三回表の初球のツーシーム(日本で言うシュート)です。

今日はスプリットでした。これはチームを半分にわけてそれぞれが別のところと
試合をするものです。僕が出たチームはホームでフロリダ・マーリンズと、
もう一つのチームはベロビーチでLAドジャースと試合をしていました。

試合を終えて家にかえってまもなくしてから、すごい嵐がやってきました。
1時間ぐらい続いたでしょうか? 雷は光りっぱなし、そして雨もずっと降っている。
風もけっこう強い。こんな経験はじめてです。どこかに雷がおちるたびに、
今住んでいるアパートの部屋の電気が一瞬切れ、停電状態になりました。
10数回続いたでしょうか。いったい何が理由なんでしょう?
嵐が過ぎ去ったあと外をみるとパーキングが海となっていました。


フロリダ州ジュピターにて 田口壮


田口選手のパソコンがダウンしたため、修理ができるまでの間、
ホームページ管理人が電話でお話を伺い、本人に代って代筆いたします。

2003年3月14日

2打数1安打。

オリオールズ戦の6回、代打で途中出場しました。8回裏、ストレートをたたいて
レフト前ヒットです。今日もカージナルスは勝利しました。少しずつ勝ちが増えて
きて、チームの雰囲気もよくなってきています。

今日は盗塁を成功させましたがそれは幻におわりました。ヒットを打って1塁にで
たとき、「走ってもいい」ということだったので、2塁へ盗塁、成功したのですが、
バッターが守備妨害をしたということで、バッターはアウト、僕も1塁に戻らざる
をえませんでした。これで2アウト1塁。その次、打席にたったのは2Aからあが
ってきたばかりの選手だったので、僕への命令は「走るな」。盗塁は今期はじめて
だったので、残念でした。

フロリダ州ジュピターにて 田口壮


田口選手のパソコンがダウンしたため、修理ができるまでの間、
ホームページ管理人が電話でお話を伺い、本人に代って代筆いたします。

2003年3月15日

5打数3安打 2塁打で1打点

エクスポズと対戦。今日は雨が降って試合が途中中断し、4時間半
ぐらい時間がかかりました。

オープン戦中は家族もベンチに入ることができます。ここ数日、
Fernando Vina選手(2塁手)のユニフォームを着てベンチで観戦
していたVinaのおじさん。その陽気さのあまり、ピーナツバターを
頭に塗られたり、ロッカールームでガムテープで椅子にぐるぐる
まきにされていたり・・・・と選手のいたずらの対象になっています。

さてその彼、今日の試合中断中、みんなに「やれやれ」とはやした
てられ、アンパイアに許可をとったあと、ショートの選手のユニフォ
ームをきて雨の中をヘッド・スライディング!!
またもやみんなを笑わせてくれました。

明日はオーランドへ遠征です。


フロリダ州ジュピターにて 田口壮


田口選手のパソコンがダウンしたため、修理ができるまでの間、
ホームページ管理人が電話でお話を伺い、本人に代って代筆いたします。

2003年3月16日

4の1

オーランドへ泊まりがけの遠征で、ブレーブスとのオープン戦でした。
相手ピッチャーはあのマダックス。もちろん初めての対戦でした。
結果は2打数1安打。1打席目は見逃しの三振。しかし2打席目は
ランナー1,2塁でセンター前にヒット。ライナー性だったので、2塁
ランナーのスタートが遅れ、打点はつきませんでしたが、とりあえず
マダックスからヒットを打ててよかったです。

マダックス選手との対戦は楽しみだったのですが、タマが速いとは
感じませんでした。しかし、全てのボールを全く同じフォーム、同じ
腕の振りで投げてくるのは非常にやっかいだなあと思いました。
ストレートだったり、カットボールだったり、スライダーだったり、
シンカーだったり・・・

ところで今日は試合のテンポが非常に早くて、なんと2時間でゲーム終了。
そこで気分転換を兼ねてチームメートと、すぐ近くにあるディズニー・
ワールドへ行ってみることにしました。

しかし中にいたのはたったの1時間半。ほんとにパラパラっと歩いただけで
史上最短の?ディズニー観光となりました。


フロリダ州オーランドにて 田口壮


田口選手のパソコンがダウンしたため、修理ができるまでの間、ホーム
ページ管理人が電話でお話を伺い、本人に代って代筆いたします。

2003年3月17日

4の1 1フォアボール

2打席目にレフト戦の2塁打。打ったのはカットボールです。試合
を終え、遠征先から戻ったのは夜の7時ごろでした。

今日も試合中雨が降ったのですが、中断にはなりませんでし
た。理由はグランドキーパー(だと思う)が「5分でやむ」といった
ため、審判が中断する必要なしと判断したためです。ずばり5分
と予測するので、「ほんまかいな」と思ったのですが、本当に雨
は5分でやみました。

先日の雨で中断して長引いた数日前の試合のとき、雨雲が近
づいてくるのをみて、グランドキーパーが審判に「あと10分はも
つ」と話をしているのが聞こえました。すると本当に10分後に大
雨が降りだしました。彼らのお天気の予報がどんぴしゃりであた
るのには本当に驚きです。

ちなみに試合が中断するような雨が降りだしたときは、内野には
すぐにシートが敷かれるので、雨があがって試合が再開された
ときは内野のグランドコンディションは問題ありません。外野は
雨でぐちょぐちょですけどね。

フロリダ州ジュピターにて 田口壮


田口選手のパソコンがダウンしたため、修理ができるまでの間、
ホームページ管理人が電話でお話を伺い、本人に代って代筆いたします。

2003年3月18日

久しぶりのお休みです。

午後、うたた寝をしていたら電話が鳴りました。寝ぼけたまま受話器
をとり、「もしもし」といったら、「So Taguchi?」と聞かれました。
「Yes」と答えた途端、相手はすごい速さで話しはじめました。

話す英語があまりにも速すぎるのと、知らない人ということで、話の内容
がまったく把握できず。「どうやら長距離電話の話をしているようだ」と
わかったものの、ちゃんと電話代も払っているし・・・ヘンです。

やっと話が切り出せるタイミングができたところで、「英語がわからない」
といったら、相手が「私の英語がわからないの?」という。
「ちがうちがう、僕自身が英語がよくわからないんだ」といったら、
「わかった」といって電話をきってくれました。

どうやらアメリカでよくあるLong Distnceの電話の勧誘だったようです。

フロリダ州ジュピターにて 田口壮


田口選手のパソコンがダウンしたため、修理ができるまでの間、
ホームページ管理人が電話でお話を伺い、本人に代って代筆いたします。

2003年3月19日

3の1

途中出場で、ライト前ヒット。

今日はポートセントルイスで遠征試合。朝、球場にいくと
「9:15に遠征先へのバスが出発」という張り紙がありました。
時間まで朝ごはんでも食べておこうと思っていると、突然
コーチが来て「壮、(貼ってある)紙をチェックしておけ」
といいます。出発時間の告知以外、何も貼っていなかった
はずのメッセージボードにはなんと10時半からのBゲームの
出場を知らせる紙が・・・・・・。
昨日、試合がなかったため、昨日の試合で投げる予定だった
ピッチャーに練習させるために急遽、Bゲームが決まった模様。
というわけで、僕を含めた先発メンバー以外の選手たちは
朝10時半からのBゲームに出場することになりました。

ホームでのBゲーム終了後すぐに選手が運転する車に分乗して、
遠征先の球場へと車を走らせました。試合開始時間は午後1時。
急がないと間に合いません。距離は神戸、岡山間ぐらいです。
ランチは途中、Wendy'sでドライブスルー。40分ほど思いっきり
飛ばして、無事に1時からの試合になんとか間に合いました。

今日は雨には見舞われませんでしたが、とても湿度が高く、
すごしにくい一日でした。


フロリダ州オーランドにて 田口壮


田口選手のパソコンがダウンしたため、修理ができるまでの間、
ホームページ管理人が電話でお話を伺い、本人に代って代筆いたします。

2003年3月20日

2タコ

6回の守りから途中出場。延長戦となりましたがピッチャーが
足りなくなり、12回で試合終了となりました。

今日は、自分が守備位置に戻ろうとして、まだ後ろを向いて
いる間にピッチャーがすでに投球していたというハプニングが
ありました。

ランナーが2、3塁にいる場面、僕はレフトからサードのベース
カバーに入りました。その後、レフトに戻ったのですが、定位置
についてバッテリーをみると、なんとキャッチャーがピッチャーに
ボールを返しているではありませんか。「あれ?」と思って、カウント
をみると1ボールついています。敬遠の場面だからよかったものの、
でも「そりゃ、ないよな」。守備で定位置に戻るまえに、すでにプレー
が再開されているということは野球人生はじめての経験です。

これからは「戻るときはダッシュ」もしくは、「前をみながら定位置に
戻る」ようにしなければ。

フロリダ州ジュピターにて 田口壮


田口選手のパソコンがダウンしたため、修理ができるまでの間、
ホームページ管理人が電話でお話を伺い、本人に代って代筆いたします。

2003年3月21日

1の0

7回裏の守備から出場です。ストレートを打ち、ライト線へのヒットとなりそうでしたが、
相手がちょうどライト線よりに守っていて、捕られてしまいました。

さて僕はどうやら遠征バスのドライバーに中国人だと思われているようです。
バスから降りるときに「謝々」と言われるのです。
最初なんといっているのかわかりませんでしたが、最近、判明しました。
「謝々」といわれるたびに笑みがこぼれるのでした。


フロリダ州ジュピターにて 田口壮


田口選手のパソコンがダウンしたため、修理ができるまでの間、
ホームページ管理人が電話でお話を伺い、本人に代って代筆いたします。

2003年3月22日

4の1

4打席目にライト前ヒットです。イラクへの攻撃が始まって以来、カージナルスの
選手たちもTVに釘付けです。今日は試合前に黙祷もささげました。

開幕まで休みなしで7連戦。がんばります。


フロリダ州オーランドにて 田口壮 


田口選手のパソコンがダウンしたため、修理ができるまでの間、
ホームページ管理人が電話でお話を伺い、本人に代って代筆いたします。

2003年3月23日


雨のため途中で試合中止。打席なし。

雨で1時間ちょと遅れて始まった試合。内野の芝ですが、
すでに雨のためぐちょぐちょになっており、内野手は非常
にプレイしずらそうでした。3回になってまた雨が降りだ
したため、結局試合は中止となりました。こちらは雨が
降っても試合を続行するのが普通なので、オープン戦が雨
のため中止とはとても珍しいです。思いがけない休養と
なった一日でした。

フロリダ州ジュピターにて 田口壮


田口選手のパソコンがダウンしたため、修理ができるまでの間、
ホームページ管理人が電話でお話を伺い、本人に代って代筆いたします。

2003年3月24日

1の1

3塁三塁内野安打。打ったのは左ピッチャーのシンカーです。
4対1でカージナルスのリードで迎えた8回、先頭打者で塁に出ました。
この回、カージナルスは2点を追加し、入れ、試合は6対1で勝利しました。

今日は久しぶりのハイスカイ。日本晴れならぬ、「アメリカ晴れ?」(そんなの
あるのかな?)暑くもなく、湿度もないとても気持ちのいい日でした。

オープン戦も残り5試合となりました。最後までがんばります。

フロリダ州ジュピターにて 田口壮


田口選手のパソコンがダウンしたため、修理ができるまでの間、
ホームページ管理人が電話でお話を伺い、本人に代って代筆いたします。

2003年3月25日

3の1 ライト線2塁打

9番レフトで先発出場でした。カージナルスも5対0で勝利し、
開幕を間近に控えていい感じです。

今日はおもしろいものを発見しました。麻酔薬のようなものです。

自分で打った球がファールボールとなり、そのボールがホームベースに
あってはねかえり、口に当たりました。痛さを我慢しながら、ベンチに戻ると
トレーナーが「これをつけてみろ」といいます。彼がもっていたのは先に
ゼリー状のようなものがついた綿棒。それがいったいなんなのかわからなかったので、
「必要ないです」といったのですが、「つけてみろ」。

押し問答をした挙句、最後はトレーナーに「俺を信用しろ」といわれて、
口や周りの患部に塗ってもらいました。するとまもなくして感覚が麻痺してきて
痛みを感じなくなったのです。歯医者で治療の際に麻酔をしますが、
効き目と感覚からいうとそれに似ています。

その塗り薬の効果は1時間ほどでとれますが、「痛みが嫌いなアメリカ人らしいな」
と思う代物でした。


フロリダ州オーランドにて 田口壮


2003年3月26日

1タコ。

またクラブハウスに、Vinaのおじさんが登場しました。
背番号「10 1/2」(十と二分の一)をつけて、アップ中は
ノックバットを持って「ストレッチちゃんとしろよ!」などと、
みんなに言って回ります。

練習後はクラブハウスで、洗濯カゴに腰掛けておしゃべり。
そこに現れたのは、ウッディー・ウイリアムス。
「おお、こんなところに洗濯物が!」と言いながら、おじさんの乗った
洗濯カゴを、そのままシャワールームに押していってしまいました。
結局、出っ放しのシャワーの下をぐるっと一周回されてしまったようで、
おじさんはずぶぬれになって帰ってきました。

Vinaのおじさんは、カージナルスの名物、いえ、おもちゃとして、
みんなに親しまれています。


フロリダ州ジュピターにて 田口壮


2003年3月27日

3タコ。今日は状況がいろいろあって、チームバッティングに徹した一日でした。
それでも打たなければいけないんですけどね。自分的には悪くないので、よしです。

トレーニングルームでは、キャッチャーのマッシーニが怒りをあらわにしていました。
誰かが大音量でかけていたロックの歌詞が「あまりに汚い」からです。
敬虔なクリスチャンの選手は、音楽にせよ、バスの中で見る映画にせよ、
崩れたイメージのものを嫌います。

日本では、日本人選手と外国人選手、という仕切りしかありませんでしたが、
ここでは、さまざまな人種、さらに宗教が絡んで、調和を取るのがとても難しそうです。
だからこそ、自己主張も強くなっていくのでしょう。

そんな中で僕は、特に強い主義主張があるわけでもなく「なんでもいいよー」という気分で
過ごしています。もしかしたら僕が一番マイペースなのかも・・・?


フロリダ州ジュピターにて 田口壮


2003年3月28日

球場に着くと、ウッディー・ウイリアムスが、僕を待ち構えていま
した。

自分の、サラの赤いハイソックスの足の部分を切って、腕には
めろと要求します。次に、肘当てをつけろ、と。なんだか分から
ないままに、言われたとおりにしていると、今度は手袋をはめろ
と言う。

いったい何かと思いきや、 「やーい!シンジョーだ、シンジョー
だ!」

・・・何やねん。すっかりおもちゃにされてしまいました。きっとVI
NAのおじさんがいなくなったので、からかう相手が欲しかった
のでしょう。

ところで、明日セントルイスに帰ることになりました。「お前は25
人枠に残った」と言われたわけでもなく、でも、「マイナー行き
だ」とも、伝えられていません。

何も言われないということは、落ちていない、ということです。で
も、そんなあいまいさ、不確かさに、たくさんの選手が不安を感
じています。

マイナーか、メジャーか、それによって、家族の生活の場所も変
わってきます。引越しや手続き、急を要するさまざまなことが、
シーズン目前に一気に起きるのです。「お前、なんか言われ
た?」「どうやらあいつは落ちたらしい」そんな会話が常に交わさ
れます。でも、どれ一つとして、はっきり確実な情報ではないの
です。

とりあえず、僕は何も言われていない。だから、なんとなくはっき
りしない気持ちを抱えつつ、セントルイスに帰ります。

去年のことがあったからか、僕は常に「当落線上の選手」と評さ
れ、メジャーに残ることが悲願、そんなイメージを持たれているよ
うです。でも、僕自身は、今年、落ちるか落ちないかなどと不安
に思いながらプレーしたことは一度もありません。誰に負けてい
る、劣っているとも、感じていません。自分のできることを精一杯
する、それだけです。

25人枠のせめぎあいには、新聞などで報道されている、単なる
成績以外の部分が、意外と大きく響いてきます。たとえば契約
の内容、今現在ではなく過去の実績・・・そこに監督の好みが
加わって、想像するよりはるかに複雑なのだそうです。

フロリダ州オーランドにて 田口壮


2003年3月29日

久しぶりに帰ってきたセントルイスは、寒いのなんの。 やけに日焼け
している僕は、この町で完璧に浮いています。

今日は3A、メンフィス・レッドバーズとの練習試合でした。 去年一緒にプレーした選手、
昇格してきた「2Aの、もとチームメイト」など、チー ム丸ごと知り合いでした。

エドモンズがスタメンに復帰したのですが、まだ走れないため、 DHで出塁すると、
僕が代走で出されました。 身内同士の練習試合ですから、ルールもいいかげんです。
2打席目も出塁、で、また僕が代走。 3打席目も出塁。しかしその時僕は、ゲームに途中から
出ていたため、キャッチャー のマッシー二が代走に出ることに。

それに納得できないエドモンズ。「壮じゃなきゃやだ!マイク(マッシーニ)が代走 なら、
俺の方がよっぽど早く走れる!」と駄々をこねます。ということで、なぜかラ インナップの中に
すでにいる僕が、 4打席目、またまた代走にでるハメになりました。場内アナウンスも
「ソウ・タグチ ・アゲイン!」と叫びます。

ところが困ったことに、ゲームの流れで3塁まで進塁してしまい、 「田口が3塁ランナーなのに
」「次の次のバッターは田口」という 面白い状況になってしまったのです。さすがにケリー・
ロビンソンがベンチから飛び 出してきて、「ソウ!打順が回ってきちゃうぞ!僕が交代するよ」
とランナーになっ てくれました。

ちなみに僕はセフティーバントで、今日は1の1。試合はレッドバーズ相手にボロ負 けしました。

ところで、開幕を2日後に控えた今日、チャーター機でセントルイスに帰ってきた
カージナルスの選手は全部で26人でした。マイナー行きのあと一人、が決まってい ない
のです。 世間では「田口かロビンソンのどちらかが落ちる」ということになっていますが、
外 から見るのと、内部の事情は少し違います。名前が挙がっていなくても、「落ちるの は
俺か」「もしかして僕か」と思っている選手が、案外いるのです。こればっかり は、誰にも
わからないことです。

僕もまた、「名前が出ているからには、カットされる可能性があるんだろう」と他人事のように
思いつつも、自分としては充実したキャンプを送ったので、覚悟を決めるでもなく、案外気楽に
構えています。「ロビンソンか田口か」という話題でもちきりのようですが、当の本人たちは
仲良く飛行機のシートに並んで座り、トランプをしながらセントルイスに帰ってきました。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮 


2003年3月30日

ブッシュスタジアムで練習でした。

グラウンドには、一瞬「アナハイム・エンジェルス?」といった選手たちが
いっぱいでした。いったい何者?と疑問に思っていたところ、他の選手が
「ああ、学生だよ」。

ローテーションピッチャーが、調整のために、学生相手に投げるらしいの
です。日本では考えられない「ローテーションピッチャー対学生」。学生に
とっては、メジャーとの初対決!で非常に喜ばしいことでしょうが、すごい
アイデアです。

そんな大張り切りの学生さんが、グラウンド内にわらわらたくさんいたため、
守備練習が危なくてできません。明日開幕だというのに、一番グラウンドを
占拠していたのは、カージナルスではなく、その学生さんたちでした。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮 


2003年3月31日

落ちました。少し驚いています。実は、ほとんど決まっていると思って
いました。

球団の人や、その他の情報で、「去年の暮れからこの春のキャンプまで、
マイナーに行く要素はどこにもない。タグチのロースター入りはもう決まっ
ている。ジム・エドモンズのDL入り次第で、他の誰かが落ちるか残るか、
ということなので、タグチには関係のない話」と前から聞かされていたので、
当落線上にいると報道されても、さほど気にしていませんでした。

それでも、何も言われないから、すっきりしない気持ちがありました。
そのまま開幕の朝を迎え、気持ちだけは高めて持っていこうと球場に着いた
矢先、監督に呼ばれ、降格を伝えられました。

理由は、「右バッターと左バッターのバランスの問題」だそうです。最後まで
悩んだけれど、使いたい気持ちはやまやまだけれど、右バッターを残せない
ので残念だ、と言われました。「右バッターだから」という理由で落とされるとは。
もっとはっきり厳しい、すっきりする理由を聞きたかった、というのが正直な
ところです。

対マスコミ、そして球団でも、突然の出来事だったようで、むしろ周りの人たち
の方が驚き、あわてていました。僕の名前の入った印刷物まで出来上がって
いたそうです。

何が起きるか最後までわからない。でも、どんな理由であれ、決まったことに
文句を言っても仕方ありません。すぐにでも気持ちを切り替えて、目の前の
やるべきことを、また一歩一歩大切に積み重ねていくだけです。

今年こそ、と応援してくださった皆さんには、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
すみませんが、しばらく見守ってください。このままでは終わらせませんから。
ともあれ、今年も野球ができる。その嬉しさを忘れないようにしようと思います。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮


2003年4月1日

3Aに合流する日を、球団が一日遅らせてくれました。
突然ぽっかりわいた休日で、心と身体をゆっくり休めました。
気持ちも完全に切り替わっています。

明日早朝に、車でメンフィスに出発、夕方から練習です。

昨夜から今日にかけて、たくさんのメールをいただきました。
本当にありがとうございました。僕の2003年のシーズンは、
あさって開幕します。今年もどうか、応援よろしくお願いします。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮


2003年4月2日

セントルイスから車を南に走らすこと約5時間、テネシー州
メンフィスの町並みがミシシッピの川沿いに現れます。
「帰ってきた」という懐かしさと「また来てしまった」というもど
かしい気持ちが半々にこみ上げました。

町のどこに行っても、地図を一度も見ることなく裏道までも
駆使できるのに、自分でも苦笑いです。

ともあれ、またここから新たなスタートです。今年も野球ができる、
そんなわくわくした気持ちは、居場所には関係なく嬉しいものです。


テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年4月3日

始まりました。やっぱり野球は楽しいです。とはいえ、よく考えたらとても久しぶり
のゲーム。

なんだか試合勘が戻らず、何をやっても全部へなちょこで終わってしまいました。

キャンプから、がーっと気持ちと身体を高めてきて、一度切れてしまったので、も
う一度作り直しです。

開幕ということで、試合前に、マグネットタイプのスケジュール表がファンに配られ
たそうです。一枚見せてもらいましたが、なんと使用されていた写真は僕でした。

・・・光栄です・・・。

テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年4月4日

代打で1の0

今日は、一時居住者用のアパートを借りて、とりあえず、
メンフィスでの居所を確保しました。。家具など生活用品
は全てレンタルにすることにしました。
アメリカでは、それこそタンス、ソファーからスプーン、フォークまで
何でもレンタルでそろえることができます。
しかしこれまたアメリカらしいことに、今日約束していた時間になっても
いっこうに配達されてきません。
結局、何時間も遅れて届けられたのですが、「すいません」の一言も
いっさいナシと、このへんもいかにもアメリカ的です。
アメリカでこのような約束をするときには、遅れるかもしれないという心構えが大事ですね。

そして届けられた家具ですが、見栄えをよくしようと思ったのか、
オイルがたっぷりと塗り込まれていました。
しかしあまりに塗りすぎていて、ベトベトです。
このオイルを拭き取るのが一苦労でした

テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年4月5日

3の1(タイムリー2ベース)、1四球。

開幕3戦目にして、やっとレッドバーズに白星がつきました。つ
いでに僕もようやく「開幕」しました。これからじっくり、自分のペ
ースに持っていこうと思います。

4月のメンフィスは、暑かったり、やけに寒かったりと、あまり気
温が安定していません。今夜は震えるほどの寒さの中で、花火
大会がありました。日本の花火と違って、アメリカの花火は「わ
びさび」よりも量と派手さで勝負。最後のほうはほとんどヤケクソ
のようにどんどこ打ち上げていました。

今日の夜中の2時から夏時間が始まります。前もって時計の針
を1時間進めると、なんだかちょっと損した気分になりました。明
日がデーゲームだから、なおさらです。

テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年4月6日

3の2、1犠飛、1打点。

フロリダキャンプの最後のあたりから、去年に引き続き、両親がやって
来ています。メジャーの開幕を見せるつもりが、今年もメンフィススタート。
でも、「楽しく元気に野球をやっていれば、場所はどこでもいいやないか」
という言葉に救われました。

僕の父は、社会人野球出身。
日本の野球にも精通しているだけに、目の当たりにする「アメリカ野球」、
とりわけ、「信じられないようなことが起きるマイナー野球」には、驚かさ
れっぱなしのようです。

今日は、1イニングで、打数3、安打3、得点1でチェンジ、という珍現象
が起こりました。日本の常識ではちょっと測れない出来事も、いい土産
にしてくれればいいのですが。


テネシー州メンフィスにて 田口壮 


2003年4月7日

今日は先発を外れ、代打で四球を選びました。いいタイミングで
休みをもらえるので、身体が楽でありがたいです。

相手はアイオワ・カブス。去年も対戦しているので知り合いが結構
います。しかも、キャッチャーは、去年までのチームメイト、キース・
マクドナルド。一緒にラスベガスでショーを観たりと、仲良くしていた
選手だったので、再会を喜びました。打席でも、お互い顔は見えま
せんが、ずーっとしゃべっていました。

塁に出ると、ファーストは、フィル・ハイアット(もと阪神)です。彼とは
去年、ラスベガスのチームで対戦しています。「元気?」と日本語で
話し掛けてくるあたりが、さすが「日本出身」です。

セカンドに進むと、またまた知り合いの選手に話し掛けられ・・・

去年は見るもの聞くもの、会う人、すべてが初めてづくしでしたが、
今年は何にせよ、気持ちがかなり楽です。この気持ちをアドバン
テージにして、自分のペースでやっていこうと思っています。

テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年4月8日

4の1(ツーベース)、1打点、1得点。

早朝の便で、両親が帰国しました。チームメイトたちから、すっかり「ソウのお父さんは、
日本のプロ野球のもと監督らしい」という誤解を受け、それを解かないままで。どこかで
仰木監督と混ざってしまったようなのです。

普通日本のプロ野球関係者、しかも元監督となれば、グラウンドに下りてきて、歩き回っ
ていてもおかしくないのですが、仰木監督はフロリダキャンプの際、ずっとスタンドから
審判を野次り続け、しかも上半身裸で日光浴をしていました。さらに、カージナルスの
応援にあわせて、上から下まで洋服は真っ赤です。どこから見ても、「あれはソウのお
父さん」。

いかにアメリカ人が、日本人の顔の区別がつかないか、ということはさておき、うちのオ
ヤジも、仰木監督に間違われて、さぞかし光栄だったことでしょう。

ちなみに上半身裸でスタンドに陣取る監督の写真(カージナルスのチームカメラマンが
望遠で撮った)は、僕の宝物になっています。

テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年4月9日

5の2、2打点。サヨナラヒット。

クラブハウスのテレビでは、バグダッド陥落のニュースが流れています。
でも、真剣に見ているのはほんの数人。ほとんどの選手にとって、
戦争は他人事のように見えます。町の中に緊張感もなく、
本当に戦争当事国かと疑ってしまうほど、テネシーは平和です。

先日メンフィスの空港で、戦地に赴く兵士を見かけました。
大きなミリタリーのリュックを抱える彼と、そのまわりを悲しそうに取り囲む家族。
他の人たちは談笑しながら空港内を闊歩していて、その家族だけが、
むしろ浮いていました。

アメリカは、本当に不思議な国です。

テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年4月10日

4タコ、1死球、1盗塁。

上のピッチャーに怪我人が出て、ケビン・オーミー投手(もと日本ハム)が昇格しまし
た。長い野球生活の中で、初めてのメジャーです。春のキャンプではテスト生扱いさ
れ、背番号すら与えられないところまでいった彼の昇格を、僕をはじめ、仲のいい選
手は皆喜びました。

僕は僕のチャンスをじっくり待ちます。

がんばれオーミー。って、オーミーは読めないか。

テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年4月11日

1の0

今シーズンの初遠征で、コロラド・スプリングスにやってきました。このあと、
いったんメンフィスに帰り、ナッシュビルに移動するなど、8日間のロードで
す。今日は休養日でスタメンを外れましたが、途中代打で出てライトフライ
でした。

しかし、この町は本当に空が近い。雲がすぐそこにあります。クアーズフィ
ールドよりも、ボールが飛ぶような気がします。


去年はここに来た途端に、2A降格を告げられて、コネチカットに移動しました。

今年は、明日も滞在します。

コロラド州コロラド・スプリングスにて 田口壮


2003年4月12日

ダブルヘッダーで7の2、1四球、1打点、1盗塁。

盗塁して、キャッチャーの送球が外野にそれ、一気に3塁へ。
そうしたら、もう一歩も動きたくありません。まさか老いたとか?
いえ、酸素が足りなくて、はあはあいってしまうのです。
こんなの初めてです。高地トレーニングをしている気分です。

球場の横にロッキー山脈を見渡していると、まるで富士山の
5合目で野球をやっているようです。富士山に行ったことは
ないけれど、たぶん、そんな感じです。

そして、恐ろしいほどボールが飛びます。レフト前の余裕の
ヒットも、「なんじゃそりゃ!」というくらい伸びて、レフトフライ
になりかけます。外野は両翼が110メートル、センターが
125メートルほどあるのですが、試合の終盤は、外野手は
ほとんどフェンスにへばりついていました。
「経験からくる感覚」を超越する「飛び」に対抗するには、下が
れるところまで下がって、前進したほうがマシ、なのかもしれません。

明日も酸欠。


コロラド州コロラド・スプリングスにて 田口壮


2003年4月13日

本日休養日。できるだけたくさん酸素を吸いつつ、ベンチでのんびり
していました。

ところで、いつもの相棒KJ(ケビン・ジョセフ投手)と試合後食事に
行った折、「アメリカンジョークを教えてあげるよ!」と言われました。
きたきたきた!アメリカン・ジョークといえば、よく聞くのは「やつのチキン
が言ったのさ」とかそういう類。日本人にはさっぱり理解できません。

案の定、KJの最初の話。
「象さんが3つタマを持っていました。さあ、このあとどうする?」
「・・・・?」
もう、話している途中から、彼は笑いそうです。
「どうする?」
「どうするって・・・質問の意図がわからへん」
「象さんがタマを3つ持っているんだよ」
・・・タマ・・・って、あのタマですか?通常2つの、あのタマ?・・・
でもだからなんだというのでしょうか。
「わっからへん!答えは?」
「歩かせましょう!」
「????」
「つまり、四球。ボールスリーのあとは、ウオーク(日本で言う
フォアボール)だってば」
「・・・・・・????????? 」
僕は呆然とするばかりです。KJはもうおかしくて仕方なさそうです。
なんで象やねん。なんで3つタマを持ってるの?急になんで野球が
出てくる?

みなさんに聞きたい。面白いですか?この話。

KJはその後、同じような話をいくつかしてくれましたが、正直言って
僕にはひとつも理解できませんでした。アメリカ人の考えることは
わからん。

彼らに、吉本とか見せたらどう思うのでしょうか?


コロラド州コロラド・スプリングスにて 田口壮


2003年4月14日

コロラドスプリングスから、ダラス経由でメンフィスに帰ってきました。
今日は移動のみです。

ダラスの乗り継ぎの間、コーヒーとマフィンを買いに立ち寄った店で、
店員さんに思い切り笑われてしまいました。最初は「なんと失礼な・・・」
とむかっとしていたのですが、あとでヨメと話していたら、だんだん
理由が見えてきました。

ようやく英語での暮らしに慣れて来たとはいえ、日本語にないR、TH、L、
そしてF・V(下唇を噛む)などは、ふっと気を抜くとしっかり発音できません。
時々、「そのくらい文脈で想像しろよ!」と呆れるくらい、アメリカ人の多くは、
よほどきっちり発音しないと、こちらの言わんとすることを分かってくれない
のです。

たとえば、アイスクリームを買いに行って「ストロベリーください」。
日本風に発音すると、ストロベリー。これがアメリカだと、ス(シュに近い)
チュラウベルイー・・・という雰囲気。なんか、似てるやん!思いっきり近いやん!
しかも、アイスクリーム買いに来てるんだから、一番「それっぽい」のを黙って
出してくれたらいいのに。でも、お店の人はしつこく聞きなおします。

いやがらせでしょうか。

ともあれ、話がそれましたが、今日コーヒーを買いに行った僕は、なんだか
ちょっと疲れていたようです。お店の人に向かって一言「デカヒください」。
カーフィーでもなければカフェでもない。下唇を噛んだFの発音などどこにも
ない。よもや「デカフェ(カフェイン抜きのコーヒー・僕が飲みたかったもの)」
が欲しいのか・・・。いったいこの目のでかいアジア人は何が言いたいのだろう、
きっとそう思ったに違いありません。日本ならさしずめ、「コーシーください」
とでも言ってしまったような気恥ずかしさでした。

たかがコーヒーを一杯飲むのに、気を遣い、笑われ、本当にがっくりきました。
野球より疲れました。

あとで数えたら、お釣りをごまかされていました。

テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年4月15日

メンフィスからバスで3時間半。ナッシュビルにやってきました。
日本で言えば、神戸から名古屋までバスで行った感じです。
同じテネシー州内の移動、二つの町をつなぐフリーウエイは緑に囲まれ、
非常に快適なドライブ「らしい」です。
僕はいつでも寝ていますので、聞いた話ですが。

ここナッシュビルは、カントリーソングの原点です。
われわれのメンフィスは、ブルースの発祥地。
音楽の町を旅する私たち。
野球選手じゃないみたいですね。

相変わらず球場は照明が暗く、去年も書きましたが、ナイターでフライが見えません。

今日は試合に出ていないので、いい「目慣らし」になりました。

テネシー州ナッシュビルにて 田口壮 


2003年4月16日

久しぶりにゲームに出て「あれ?」「おかしい?」と構えがふらついて
いるうちに5タコを食ってしまいました。

思えば今が、渡米以来一番精神的に「落ちて」いる時期です。
気持ちが澱んで、どんよりしがちです。

それなりの結果を残しても「右バッターだから」という理由で
マイナー通告された時から、「だったら、右バッターであること
は変えられないのだから、所詮頑張っても、今後よほどの
怪我人でも出ない限り、上がれない」という思いがないといえば
嘘になります。それ以来、モチベーションをどう上げていくか、
そればかり考えて2週間が過ぎました。

「勝つために」野球をするのではなく「メジャーに行くために」野球
をするのではなく、「どうやったら、開幕を目前に切れてしまった
モチベーションを上げるか」それが野球の目的なのは、悲しいし、
こんなメールを書くこと自体、相当情けないです。

でも、気持ちの切り替えができている、と思っていたのは単なる
思い込み、もしくは思い込もうとしていただけで、本当はまだ引き
ずっていたようです。それがわかっただけ、まあ、良かったかも
しれません。

なぜ自分がここにいるのか、なぜアメリカに来たのか、それを
初心に帰ってもう一度考え、明日から出直します。きっとこれ以上、
悪くはなるまい、と信じつつ。

暗いメールで失礼しました。


テネシー州ナッシュビルにて 田口壮


2003年4月17日

代打で三振。でも、すっきりした気分で、必死でねばってきました。

ところで、昨日の日記に関して、たくさんメールをいただきました。
これまでも書いたように、僕はすべて読ませていただいています。
昨日のメールも、思わずうなずくものから、喜んでしまうものや、
大変厳しい愛情を注いでくださるものまで、さまざまでした。すべて
の方に返事ができず、申し訳なく思っていますが、どのメールからも、
たくさんのことを学ばせてもらっています。

特にプロ野球選手は、自分の常識の中に漬かってしまいがちなので、
いろいろな分野で頑張っていらっしゃる方のお話は、参考になり、ため
になります。

今日はいただいたメールの中から、二つほどこの場をお借りして返信
させてください。

まず、「昔のプライドに縛られているのでは」というご意見に関して。

僕は、アメリカに来たときから「昔日本で野球選手だった」という
気持ちをすっぱり捨てています。日本での10年は、こちらでは
まったく意味がありません。そんなものに縛り付けられているなら、
たぶん「去年のキャンプでマイナー通告された時」か、「2Aに落と
されたとき」か「今回の開幕直前の出来事」で、とっくに怒りまくって
「やめたんねん!」となっているでしょう。

それより、ルーキーに戻らなければならないことに抵抗があって、
ハナからアメリカに来ていないでしょう。それくらい、何が起こるか
分からないことは覚悟の上でやってきました。

「スターになって当然」という気持ちなどありません。
「契約に守られている」などと思ったこともありません。
「俺様をマイナーに置いておくなんて」という奢りもありません。
ただ、「プロ」と呼ばれる者にとって、プライドとは非常に大切なもの
です。それは「俺が重宝されてない」ということに対してむかつくような
ものではなく、「もっと上に行ける筈、もっと上達できるはず」
「もっとすごい野球ができるはず」という、自分との戦いです。
「俺がこれくらいで終わるはずがない、負けるはずはない」というプライドです。
「意地はもっと大きなことに張ろうぜよ」と、漫画の中で坂本竜馬も
言っています。

分かっていただけたでしょうか?

もうひとつ。

「モチベーションを上げるためだけではなく、ファンを喜ばせる野球を」
というメールに対して。

僕はこのメールを読んで頭を抱えてしまいました。まったくもって
そのとおりで、プロである以上、ファンが何よりも一番大切なはず
なのに。今まで、それは「自分の信条」とも思ってやってきたのに。

この数日間、僕は自分のモチベーションをいかに上げるかばかり
考えていました。プロとして、これ以上恥ずかしいことはありません。
謹んで反省し、この数日間のうちに切符を買って見に来てくださった方に、
そんな精神状態の試合を見せてしまったことを、心からお詫びします。

2Aにいた頃、ある子供に「ソウは足が速いね、僕はあんなに早く球に
追いつく外野手を、生まれてこの方見たことがなかった」と誉められた
ことがありました。7歳くらいの子です。でも、単純に嬉しかった。
「ここにいる間、お客さんがワクワクしてくれる試合を見せよう」という
喜びがありました。おかげで、スーパープレー(誰もいなかったので
自分で言います)が何度も飛び出しました。びっくりしたヨメが、
「真剣にホームビデオを回そうと思った」そうです。映像が残っていな
くて残念?ですが、お客さんには喜んでいただけた自信があり、充実
していました。

これまでに、そういう野球もあったし、僕にとってその経験がどれだけ
大きかったかわかりません。

昨日のメールは、僕の弱音で本音です。でも、気持ちをリセットできた
気がします。僕は野球選手なので、本来は野球でしか自分を表現でき
ません。でも、このHPのおかげで、一方通行ではない交流が生まれ、
大変感謝しています。僕が情報を発信しているだけでなく、僕もいろいろ
な経験を、メールを通じてさせてもらっています。

ありがとうございます。感謝の気持ちを忘れず、リセットされた田口は
明日も頑張ります。


テネシー州ナッシュビルにて 田口壮


2003年4月18日

代打でバントをひとつ決めました。

スタメンではないことを「休養日」と言っていられた日々は終わりです。
今はスタメンに戻してもらう信用を得るために、与えられた打席をひと
つひとつ大切にするだけです。

さっき、ナッシュビルからバスでメンフィスに帰ってきました。午前2時
半。アメリカで一番過酷と噂される「パシフィックコーストリーグ」のス
ケジュールですから、こんなのは序の口。去年で慣れました。これか
ら昼夜を問わない移動と休みのない日々が待っています。結構体力
勝負です。しっかり食べて、しっかり眠る、それにつきます。

それでは今から夕飯です。日本なら「午前2時半」は夜中の範疇。こち
らでは「朝の2時半」と言います。

朝飯か?

テネシー州メンフィスにて 田口壮



2003年4月19日

本日出場なし。

控えの選手の気持ちをたっぷり味わう今日このごろです。悔しいけれど、
これはこれでいい勉強、経験。でも絶対返り咲いてみせる、という気持ち
はメラメラです。

日本では、ベンチの選手が「ちょっと打ちたい」と思っても、せいぜいベン
チ裏でネット相手に打つか、鏡の前での素振り程度しかできません。で
も、アメリカは、バッティングケージがすぐ近くにあるので、試合中でも打
ち込みができます。

マシンを相手に打ったり、お互いに投げあったり。

僕も今、試合中バットを振り続けています。アメリカは明日、イースター(
復活祭)の日曜日。

僕も「復活」といきたいところです。

テネシー州メンフィスにて 田口壮 


2003年4月20日

4の0、1四球。己に腹が立つのでコメントなし。

今日はイースター。チームメイトのトッド・ダンウッディー家に呼ばれて、復活祭の家庭料
理をご馳走になりました。アメリカ人の料理は、「みんなで集まって食べる」のにとても楽
しく工夫されています。料理とデザートをいくつか並べて、使い捨ての紙皿とフォークを置
いて、「あとはご自由に」。それこそ食べ終わったら、全部まとめてゴミ箱行きです。片付け
も早い。

日本人は、家に誰かを呼んで食事をする時、何かと気を遣いすぎてちょっと構えてしまい
がちですが、今まで呼ばれたアメリカのホームパーティーは、ホストもゲストも、とても気
楽でした。ただ各々が好きなところに座って、好きなように食べながら、楽しく話す。「ただ
話す」というのが、アメリカ人はとてもうまいのです。今日の集まりはたまたま全員がチー
ムの人間でしたが、呼ばれた人が、その友達を連れてくる、というパターンがよくあるアメリ
カでは、見知らぬ同志の集まりになってしまうことも少なくありません。日本人なら間が持
たず、場を盛り上げるため「ゲームをしよう」などということになってしまうかも。

その点、みんなで楽しい会話をしよう、という姿勢、黙っている人を会話に引き入れよう、と
いう気配りは、アメリカ人らしいサービス精神の一つだと思います。

ちなみにパーティーの間、僕はトッドの子供達(5歳と2歳)に異様になつかれてしまい、身
体を張ってベビーシッターをつとめました。大人の会話はヨメ任せ。僕は「ワンちゃんとネコ
ちゃんが」「クッキーがひとつありました」などと、それなりに有意義な時間を過ごしました。

テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年4月21日

1点差を追う9回裏、1アウト1、3塁でサードゴロ。守備から出たので、
本日、も、1タコです。打てません!さっぱりです!家に帰って「暴れたい・・・」とつぶやくと、
「どーぞー」とのんきに言われてしまったので、暴れる気力も失せました。

先日うちのピッチャーが、シャワーを浴びている最中電話が鳴り、
慌てて飛び出たところ、ソファの角で足の小指を打ち、そのまま骨折、
DL(故障者リスト)入り、ということがありました。

怪我はどこに転がっているか分からないので、とりあえずおとなしくしておきます。

打てないならせめて、身体だけでも丈夫でいなくては。

テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年4月22日

代打でバントを決めました。

打てない、だから試合にも出られない、という悶々とした日々が続いたため、
監督に時間をもらって、じっくり話をしてきました。今の自分の気持ち、状態、
そして監督がそれに対してどう思っているか。

日本だと、なかなかこういう話を監督とすることはできませんが、アメリカでは
ごく当たり前のことです。これまではなんとなく遠慮があって、監督室をたずねる
などなかなかできなかったのですが、結果としては、ほっとして、気持ちも
すっきりしました。

自分に何が足りなくて、何を求められているか。特に「何を求められるか」は
監督の野球観によって、同じ選手でも違ってきます。それをはっきりと当人同士が
話し合って確認できるのは、ありがたいことです。監督が「こうであって欲しい」
と思うことと、自分が「自分の持ち味はこれ」というものが、かみ合わない場合も、
必ずありますので。

僕に求められているのはただただ「復調」。手ごたえはだいぶ戻ってきました。

テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年4月23日

本日オフ。友人と一緒に、「CORKY’S」に行ってきました。中西部ナンバーワンといわれるBBQとリブの店で、ブタの顔のマークが目印です。

実は球場で食べるリブがいつも絶品で、「こんなうまいのは初めてだ!」と誰かに言ったところ、「メンフィスには同じくらいうまいリブがある」と紹介されたのです。

なるほど、ドライブスルーの持ち帰りも、店も、大混雑の人気店で、骨の周りはとろけるような味わいです。でも、どこかで食べたことがあるような・・・。

結論。球場のリブは、「CORKY’S」のリブ。(たぶん)

テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年4月24日

3の2、1四球。

気持ちを新たに、また1から出直しです。

ところで、今日、クラブハウスの中で「カンガルーコート」を初体験しました。
「コート」は法廷、ここでは、選手同士が「誰々のこれはおかしいんじゃないか?」
「こいつのここが間違っている」といった意見を、署名で箱の中にいれ、全員で
「guilty」か「not guilty」かを話し合うのです。簡単に言えば、選手同士の
「チクリ合い」です。

たとえば、こんなご意見。「A はクラブハウスのマウスウオッシュを、いつの間にか
自分のロッカーに置いている。いいのか?」「B !内野ノックの雰囲気を悪く
しているのはお前だ!」「C 選手は試合中にロッカーで電話していました。
いけないと思います・・・」

小学生か、俺らは?

なんだか道徳の時間を思い出しました。「誰々君が掃除をさぼって悪いと思う人、
手を挙げてください」とあまり変わりません。

でも、雰囲気はまったく違います。みんな大爆笑しながら、楽しんで裁判を
しているのです。告発したほうも、されたほうも、笑いっぱなしで恨みっこなし。
みんなが「guiltyだ!」と認めるか、もしくは本人が「俺が悪かった!」と
謝った場合は、罰金を払うのです。その金額高くて4、5ドルというところ。
「収益金」はクラブハウスに寄付されます。

この「カンガルーコート」、アメリカでは結構一般的とのこと。僕は誰も告発せず、
誰にも責められませんでしたが、普段他人のことを気にしていないような
アメリカ人でも結構まわりを見てるんやなあ、と、感心することしきりでした。


テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年4月25日

4の2

チームは負けてしまいました。ちょっと勢いがない今日このごろです。

さて、今年からレッドバーズの監督は新しい人になりました。
新しい監督になって変わったことといえば、規律が去年より厳しくなったこと。
カージナルスのマイナーはもともと規律が厳しいのですが、
今年から、「サングラスをキャップにおいてはいけない」
(ちょっとサングラスをはずしたいときに帽子にサングラスをおいてしまうものです)
「帽子がじゃまだからといってつばを後ろにして帽子をかぶってはいけない」
(ストレッチのとき、ツバが前にあると邪魔なので、ついついやってしまうのです)など。
でも厳しくても、「そういうものだ」と思い、また慣れてしまえばどうってことがないものです。
ちなみに新監督はいろんなことを考えすぎというぐらい考えるタイプの人で、実にいろんな発想をするおもしろい人でもあります。

テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年4月26日


4の1 1デッドボール

デッドボールは右腕をかすった程度で、大事にはいたりませんでした。

今日、メンフィス・レッドバーズは8対2で勝ちました。これだけの点をとっての勝利は久しぶりです。こういう勝ち方をするとチームの雰囲気も明るくなります。まだ4月ですが、この調子でがんばって、じょじょに勢いをつけていきたいところです。


テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年4月27日

5の2 2打点

チームは負けました。リードしていたのですが、追いつかれてしまい
ました。昨日の勝利で勢いにのるかと思ったのですが残念です。

さて今日は試合が終ったあと、チームメイトの友人の家でみんなで
ディナーを食べました。楽しいひとときをすごすことができました。い
きなり、「アメフトをやろう」ということになり、みんなでアメフトをする
ことに。やはりアメリカ人。アメフトは野球選手の間でも人気です。

テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年4月28日

4の2

メンフィス・レッドバーズは今日も負けてしまいました。

今日は7回ぐらいにちょっとしたハプニングがありました。守備に
ついていたら、頭の上に何かがパサッと落ちてきた気配を感じま
した。虫じゃないし、転機はいいし、「いったいなんだ?」と思った
ら、落ちてきたのは小さい鳥のフン。バッターがかわる間に、帽
子についたフンを芝生にこすりつけていました。次のバッターは
ピッチャーだったため、大幅に守備位置を変えなければならない
にもかかわらず、位置をあまり変えず、せっせと芝生にフンをこす
りつけていたら、隣で守っているナナリーが「なにやっとんね
ん?」「ごめん」といって、せっせと規定の守備位置にまで動いた
のでした。


テネシー州ナッシュビルにて 田口壮


2003年4月29日

4の2 1盗塁 1打点

メンフィス・レッドバーズは今日も負けてしまいました。途中まで
リードしていたのに逆転され、その後、追加点をあげたのですが
追いつくことができませんでした。4対3の敗退。なかなかまだ
調子があがってきません。

さて今日の球場でのメニューにニューオーリンズ名物のスパイシー・
ザリガニがありました。味のほうは辛いけれどもなかなかよいです。
ただ皮をむいて食べなければならないのですが、なんせもともとの
サイズが小さいのであまり身がない。そうはいっても選手たちは
みんな大好き。ダンボールいっぱいにだされるこの食べ物をつかみ
どりでどんどん食べていました。

ルイジアナ州ニューオーリンズにて 田口壮


2003年4月30日

4の1

1点先制したにもかかわらず、8回に4点入れられて、
きれいに逆転されてしまいました。チームは相変わらず調子悪いです。

今日は試合開始が午前11時。その理由は今日の試合は地元の小学校の児童を
招待する試合だったからです。スタンドはニューオーリンズの小学生で埋ま
りました。しかしそこは小学生。まだまだ試合を通して集中して観るという
わけにはいきません。試合そっちのけで遊んでいる子供も多数。今年から始ま
った企画らしいですが、みんなで「そのうちファールボールに当たらないとい
いけどなあ・・」と心配しています。


というわけで試合はいつもよりだいぶ早く終わったので、
試合後にニューオーリンズの街をチームメートと歩きました。
名物のナマズやザリガニなど食べたり、有名だというカフェ・ル・モンド
という店でドーナツを食べたり(個人的にはクリスピー・クリームの方が好きですね)しました。

それにしてもニューオーリンズはミシシッピー川の河口の街らしく、
なんと蚊がとても多いのです。ボクも試合中、試合後かなり刺されてしまいました。


ルイジアナ州ニューオーリンズにて 田口壮


2003年5月1日

4の1

メンフィス・レッドバーズはまた負けてしまいました。
そして試合後、ピッチャーが2人上にあがることが告げられました。

レッドバーズはメンフィスに戻り、明日からホームで4連戦です。

おまけ
HP管理人から突然電話がきたかと思ったら、
「今、一足早いバケーションでパリ(フランス)にいるんですー」
とのこと。ほんまびっくりしました。
遠い地でHPを更新するとのこと。それにしてもびっくりしたー。

ルイジアナ州ニューオーリンズにて 田口壮


2003年5月2日

3の0 犠牲バント1
レッドバーズはまた負けてしまいました。
結果は3対0。泥沼です。

今日からメンフィスで試合です。
メンフィスはもう華氏79度ともうだいぶ暖かくなりました。
もう夏はすぐそこまで来ている気がします。

テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年5月3日

今日はお休み。

練習後、チームメイトに髪の毛をきってもらいました。彼はいつも
ロッカーにバリカンを2個、散髪ハサミを1つ、クシを1つ常備して
います。チームメイトが彼に髪をきってほしいと頼むのですが、本
当にうまい。「お母さんに教わった」そうですが、器用だし、きれ
いな仕上がりだし、おまけにタダ(笑)。今日頼んだ散髪のできも
上々で、満足しています。


テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年5月4日

今日もお休み。

帰るときに球場をのぞくとグランドキーパーたちが運動会を
していました。
明日の夜から雨の予報がでているため、彼らはシートを用意
していたのですが、その準備をする手を休め、2人組になって
芝生の上をダッシュして競争していました。

雨は3日間降ると予報がでています。

テネシー州メンフィスにて 田口壮



2003年5月5日

今日も休み。

実は数日前、ハーフスイングをしたとき、ピッチャーが投げた球をよけきれず親指にあたってしまい腫れてしまいました。投げることができないため、試合に出ることができませんでした。腫れはひき、徐々に回復しています。明日からアイオワへ遠征です。

テネシー州メンフィスにて 田口壮 


2003年5月6日

今日の試合は雨で中止でした。2時間待って夜9時に試合がはじま
ったのですが、2回表にまた雨が降り出し、中止となりました。明日
は今日の試合の続きをしたあとに、明日の試合をするのでダブルヘ
ッダーです。

アイオワ州デモインにて 田口壮


2003年5月7日


ダブルヘッダー。1試合目は代打で出場で1の0、2試合目は先発出場して
4の1でした。メンフィス・レッドバーズは両試合とも負け。一体今、何連敗中
なのか?

そのわりには帰りのバスの車中は明るい。チームメイトたちはたくさんある
ラジオ局を次から次へとチューニングし、いい曲を選んでは踊りまくってい
ます。そして僕に「おまえも踊れ」という。断ると「つきあいが悪い」、ちょっと
踊ると喜んでくれます。


アイオワ州デモインにて 田口壮


2003年5月8日

3回表までいって雨で中止となりました。すごいサンダーストームに見舞われた
のです。 雨が激しくて、帰りのバスは雨漏り。僕のひざのところに雨がしたたっ
てきてジーンズがビショビショ。

今日の試合は7月にまたアイオワである試合のときに再開され、ダブルヘッダー
となります。


アイオワ州デモインにて 田口壮


2003年5月9日

代打出場で三振。

メンフィス・レッドバーズは今日も負けてしまいました。13連敗中で
しょうか? 最初は1点リードで勝っていたのに、同点にされ、逆転
されてしまいました。このパターンでの負けが多いです。

ところで僕の指の具合はまあまあです。徐々によくなってはいます
が、まだ本調子とまではいきません。明日は朝の5時にメンフィスに
向けてたちます。

アイオワ州デモインにて 田口壮


2003年5月10日


本日はお休み。

メンフィス・レッドバーズは今日やっと6対1で勝ちました。ところで今朝は朝5時に
アイオワ州デモインを発ったのですが、バスは5分遅れてきて、貨物列車通過の
ため踏み切りで5分待ち、空港のチェックインカウンターではパソコンがダウンして
20分待たされる羽目に。ダラス空港では乗り継ぎに2時間の余裕があったのです
が、ターミナルの移動で係員にあやまった情報を教えられ、メンフィス行きの飛行
機が出る30分前に出発ターミナルに到着。メンフィスについたのは正午。午後2時
から試合でした。


テネシー州メンフィスにて 田口壮



2003年5月11日

今日もお休み。メンフィス・レッドバーズは昨日に引き続き勝ちました。

日中は小春日和のようなとてもいいお天気でしたが、昨夜はまた嵐が
きていたようです。球場にくる関係者の一人はサンダーストームによる
強風で愛車に傷をつけられたようで悲しんでいました。

テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年5月12日


本日はお休み。一塁コーチでした。日本ではたとえ二軍でも、ベースコーチに選手
が立つことはないのですが、こちらでは気分を変えるために選手が立つことがあ
ります。残念ながら、コーチとしての見せ場は今日はなかったですが・・・

メンフィス・レッドバーズは逆転負け。9回表に逆転ツーランホームランを打たれて
4対3で敗れました。

僕の指の具合はまだちょっと内出血が残るものの、バットスイングはほぼ問題なく
できるようになりました。もうじき完全復活といきたいですね。

テネシー州メンフィスにて 田口壮



2003年5月13日

代打で出場しましたが、三振。

今日のメンフィス・レッドバーズは最近には珍しく、大量にリードする展開。
相手チームはピッチャーを使いたくないために8回裏には
控えのキャッチャーを投手に起用しました。ストレートは75マイル(120km)くらい。
変化球は投げられるけれど、まずストライクは入らないといった調子です。

レッドバーズの選手は今が稼ぎ時とばかりに喜び勇んでバッターボックスに向かいます。
計算通りに打てた選手は本当にうれしそうな顔をしてベンチに戻ってきます。
しかし、もちろんアウトになってしまった選手も。
そういう選手はマジで怖い顔をして、今にも暴れ出さんばかりです。
本当に近寄れなかったですよ。

テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年5月14日

久しぶりのオフです。

勉強もかねて自ら進んで郵便局や銀行にいって雑用をすませてきました。
あとは一日のんびりすごしました。ここのところ多いサンダーストーム。昨夜
もずっと雷がなっていて、近くにも落ちたのではないでしょうか?今夜もまた
やってきそうな空模様です。

テネシー州メンフィスにて 田口壮



2003年5月15日


5の2 1四球

久しぶりの出場でした。朝の6時半にメンフィスを出発し、オクラホマに移動してきました。
そして試合は延長戦になり11回までプレイ。結局負けてしまいましたが、長い一日でした。

さて先日ファンの方から「相手チームのピッチャーが交代する際に外野手がセンターに
あつまって話をしていることがありますが、話の内容はどういったものか?」という質問が
ありましたが、基本的には野球の話をしています。例えば前の打席で自分はどうだったか、
とか、ここでピッチャーが交代したら、次の試合展開はどうなるか、と予測したり・・・・・・。
ちなみに今日もまた、移動中にバスがこないというハプニングがあったのですが、そういう
日は「今日の移動は大変だったなあ」という話をすることもあります。

オクラホマ州オクラホマシティーにて 田口壮


2003年5月16日


5打数1安打 1打点

試合はメンフィス・レッドバーズが7対1で勝ちました。最近メンバ
ーが変動したせいかどうかはわかりませんが、やっとチームの
調子も上向きのようです。

今、試合を行っているオクラホマ・シティーは朝から竜巻警報が
出っぱなしでした。さすがに今日は中止かなと思っていたら、
そんなことはなく、試合は普通に行われました。僕自身はまだ遠目
にも竜巻を目にしたことはないのですが、もし近くで遭遇したら一体
どんな感じなんでしょうね。

オクラホマ州オクラホマ・シティーにて 田口壮


2003年5月17日

3の1 2ファーボール

1番で出場、レッドバーズは2対1で勝ちました。

さてここオクラホマの街は閑散としている印象を受け、ダウンタウンがどこなのかいまいち把握していません。
ただ球場周辺にダンスクラブやバーがあるので、「このあたりかなあ」と思っています。
今日は週末。街はいつもと違い、かなりにぎやかでした。明日はデーゲームです。


オクラホマ州オクラホマシティーにて 田口壮


2003年5月18日

4の1 ライト前ヒット

メンフィスは7対3で負けてしまいました。ヒットの数は13〜14本
ぐらいだったのですが。

今日はデーゲームということで、朝も夜も球場で食事が出ました。
ちなみに朝はスクランブルエッグ、ベーコン、ハム、パンケーキ、
ワッフル、ドーナツなどがでました。そして試合後、夜はラザニア
と野菜サラダにガーリックトースト。オクラホマでは夕飯の4回に
2回がイタリアンでした。パスタは好きなのですが、ラザニアは
ちょっと苦手だったりします。

明日からナッシュビルで試合です。朝の8:30にナッシュビルに
向けて出発します。

オクラホマ州オクラホマシティーにて 田口壮


2003年5月19日

今日はお休み。レッドバーズは3対0で負けました。

さて今日からナッシュビルです。
さてこの球場は「(前もって決められた)敵のチームの○番バッターが三振したら、
決められた間だけビールはタダ」とか、「地元チームのピッチャーが三振をとったら
某レストランのスライダー(ハンバーガーの小さいものらしい)がタダになる」
というようなおもしろいことをします。
ちなみに今日、わがチームでターゲットとなったのは7番バッター。
彼が三振したら、短いですがある一定期間ビールはタダになるですが、
いきなり最初の打席で三振していました。

テネシー州ナッシュビルにて 田口壮 


2003年5月20日

4の1

レッドバーズは9対1で負けました。
先に3点をとられ、1点返したのですが、相手がまた追加点をいれ、
追いつけませんでした。

さて今日は7回裏のあたりから雨が降り始めました。
霧雨だったので中止にはならなかったのですが、最終回までずっと降り続きました。
霧雨の場合、雨が照明にあたると、照明の周囲がぼやける感じで
守備がやりづらいのが難点です。

テネシー州ナッシュビルにて 田口壮


2003年5月21日

今日は4タコ。

さて今日もナッシュビルで試合です。
この球場は「(前もって決められた)敵のチームの○番バッターが三振したら、
決められた間だけビールはタダ」とか、「地元チームのピッチャーが三振をとったら
某レストランのスライダー(ハンバーガーの小さいものらしい)がタダになる」
というようなおもしろいことをします。
ちなみに今日、わがチームでターゲットとなったのは7番バッター(つまり僕)。
彼(つまり僕)が三振したら、短いですがある一定期間ビールはタダになるですが、
みごとに第二打席で三振していました。

テネシー州ナッシュビルにて 田口壮 


2003年5月22日

代打出場 フォアボール

9番のピッチャーの代打で出場しました。その後、そのまま守備に入ることになり、
センターまでいったのですが、選手交代コールの不手際で交代が認められず、
ベンチに戻る羽目に。なんだか変な感じでした。試合終了後、みなでバスにのって
そのままナッシュビルからメンフィスに戻りました。

テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年5月23日

サヨナラのホームを踏む

 9回に代打で出場しました。久しぶりに会心のあたりでした。
その後、相手投手の乱れもあり、最後はサヨナラのホームを踏みました。
しかし、監督も今日は用事で不在だったためベンチに戻っても誰も
迎え入れてくれませんでした。
ファンのおじさんに聞くと「それはジョークだったんだよ」といわれ安心。
まだ、アメリカンジョークにはついていけないと思いました。

テネシー州メンフィスにて 田口壮



2003年5月24日

3タコ

今日は蝿に悩まされました。メンフィスの球場では外野で子どもたちがキャンプというイ
ベントをすることがあります。今週末からアメリカはメモリアルデーの連休のため昨夜は
それをやったのでしょうか? それで食べ物の匂いがするののか、今日はとにかくハエが
いつも以上に飛んで大変でいた。このハエがなぜ厄介かというと噛むのです。多いときで
10匹飛んでいて、ストッキングの上からガブリ。腫れてかゆいのなんの。虫除けスプレー
をちょっとまいたぐらいでは全然聞かず、同じ外野手のナナリーにいったら、「虫除けスプ
レーを1缶使い切るぐらいでないとだめだ」といわれそのとおりにまいたら効果がありました。
内野手は「ハエがかむわけない」と信じてくれないのですが、外野手はわかっています。ど
いうみても姿かたちはハエ、です。明日はいないといいのですが・・・・。

テネシー州メンフィスにて 田口壮



2003年5月25日

今日はお休みでした。

さて先日日記に書いたダブルスイッチ。
これについて少し触れたいと思います。
これはピッチャーと野手を同時に変えること、つまりピッチャーの打順に
ピンチヒッター(野手)をいれて、ピッチャーに打順がまわらないように選手を変えることです。
投手を打席に立たせることなく、バッティングに力をいれ、攻撃力をアップする
というメリットがあります。
日本でもアメリカでも使われる戦略の一つなのですが、
日本のプロ野球であれば一軍登録選手定員数は先発投手の3人を除いて25人、
アメリカの場合、ベンチ登録選手は25人で野手が少ない。そのため、
代打だけのために選手の起用ができず、監督がどうダブルスイッチをどう使うか、
ということになるのです。

テネシー州メンフィスにて 田口壮 


2003年5月26日

移動日。

今朝、3Aの監督に上にあがることを告げられました。一旦、家に戻って支度をし、
メンフィスからセント・ルイスへ車で移動しました。長時間ドライブで疲れました。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮



2003年5月27日

1タコ 1敬遠

やはり今日は緊張しました。でも気持ちのいい緊張感です。スタ
ジアムに一歩踏み入れたときに改めて思ったことは、「ブッシュ
スタジアムは大きいな」ということでした。いきなり8番レフトで先
発。1打席目は9番バッターがピッチャーということで敬遠、2打
席目はショートゴロでゲッツーとなりました。うったのはチェンジ
アップです。ヒューストンがその後、右ピッチャーに変えたので、
代打が送られ、3打席目はありませんでした。明日からまたがん
ばります。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮


2003年5月28日

お休み。

試合終了後に知らされて驚いたのが、今日の試合時間が2時間18分だったということ。
かなり短いです。大学野球並みでしょうか?

それはさておき、おとといセントルイスの我が家に戻ってきた夜、
寝ようとしていたらアパートの屋根裏でごそごそ音がするのです。
「ねずみだ」と思いました。その後は、ひっかいたり、かじったり、走り回ったりの音。
結局、朝の7時まで寝られませんでした。

翌朝、ヨメがすぐにアパートのオフィスに連絡したので、朝の10時ごろから
今度は天井裏に人が入ってバタバタと物音を立てながらの捕獲作業が開始されました。
あとでオフィスの人に「ネズミだったでしょ?」ときいたら、
「リスだったわよ」という答えが返ってきました。


ミズーリ州セントルイス州にて 田口壮


2003年5月29日

今日は守備だけの出場でした。明日もがんばります。


ミズーリ州セントルイス州にて 田口壮


2003年5月30日

お休み。

近鉄がメンフィス・レッドバーズのネリオ・ロドリゲス投手を獲得すると聞きました。
レッドバーズで一緒にプレーしていた彼は右の先発として活躍。
調子がよく、「上にあがれる」といわれていましたが、タイミングが合わず実現しませんでした。
性格はよく、奥さんもとても感じがいい。
子どもが3人いるのですが彼らもとてもかわいい。
がんばって、日本で活躍してほしいなと思っています。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮


2003年5月31日

9回裏、代走で出場。

今日はデーゲーム。朝からずっと曇り空でとても寒い一日でした。
ゲーム中、ユニフォームは半そでですがベンチでは厚着のジャンパーをきていました。
明日もデーゲーム。暖かいとうれしいのですが・・・


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮


2003年6月1日

1の0

8回途中、守備から出場し、9回に打席が回ってきました。結果はフ
ァーストライナー。完全にバットの芯でとらえていましたが、残念な
がら真っ正面でした。今の調子ですが悪くはないです。徐々に自分
のペースはあがってきていると思ってます。

さて今日はプロモーションで先着3万人のファンに3塁手スコット・ロ
ーレンのバブル・ヘッドが配られました。選手たちにも配られたので
すが、僕は彼にサインをしてもらいました。直筆のサイン入りのバブ
ル・ヘッドは貴重です。家に飾ることにします

ミズーリ州セントルイスにて 田口壮 


2003年6月2日

今日はオフ。一日、のんびりと過ごしました。明日からはインターリーグが
スタートします。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮


2003年6月3日

代走で出場、9回の守りにつきました。

今日はすごく寒いでした。前も寒いと感じた日があったのですがそれ以上。
突然、出番を告げられるのでそのときに体をちゃんと動かせるように、
すごい厚着をしてベンチに座っていました。

ところでサミー・ソーサ選手のバット事件。
世間をにぎわせているようですがカージナルスもそのニュースでもちきりでした。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮


2003年6月4日

8回から守りにつきましたが、打順は回ってきませんでした。

今日は友人から巻き寿司といなり寿司の差し入れがあったの
で、球場にもっていって食べることに。一人で食べるのも悪いと
思ったので、チームメイトにちゃんとどんなものかを説明して、
「食べる?」と声をかけたのですが、なんと誰も手をつけません
でした。具はたまごとしいたけなどで、アメリカ人が嫌いという納
豆や梅干は入っていませんでした。でもおかげで、僕は一人で
全部お寿司を平らげることができました。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮


2003年6月5日

1の1 2塁打2打点

7回までピッチャーがノーヒットノーランだったので、守備固めのため8回
から出ました。結局そのノーヒットノーランは達成されなかったのですが、
9回に打席がまわってきました。1ストライク1ボールから打ったのはスト
レートでした。メジャーにあがってから4打席目にヒットがでました。
とりあえず1本出てほっとしました。


ミズーリ州セントルイスにて 田口


2003年6月6日

代走で出場し、同点のホームを踏んで、そのまま9回の守備につきました。
8回裏で逆転したため、打席はまわってきませんでした。

始球式でボールを受けました。メジャーにあがって初めての経験です。
アメリカは基本的に毎回、始球式があるのですが、今日投げたのは
一般の人が4、5人。ピッチャーのマウンドからボールを投げる人もいれば、
届かないと思う人は近づいて投げたり、個人によって様々です。
僕は2人のボールを受け、そして彼らと一緒に写真をとりました。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮


2003年6月7日

出場機会なしでした。

今日は1944年のユニフォームをきて試合をしました。
なんでも対戦相手、ボルチモア・オリオールズの前身のチームは1944年当時、
セントルイス・ブラウンズといい、セントルイスにチームがあったそうなのです。
その当時、カージナルスもすでにセントルイスでプレーしていました。
そういうわけでこの2チームの対戦を記念して、
今日は当時のユニフォームをきてプレイしたわけです。
今日の試合を見たお客さんはわかると思いますが、
カージナルスのユニフォームのデザインは今とは違うものです。

ところで1944年といえば太平洋戦争の真っ最中。
そういうわけでコーチやチームメイトに「おまえは今日は捕虜なんだから、
ここから動くな」といわれました。
今日は出場機会がなかったので、彼らの言うとおり、
動かない一日となったのでした。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮


2003年6月8日

8回から守備機会のみの出場で、打席のチャンスはありませんでした。

試合はカージナルスが11-10で乱戦を制しました。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮


2003年6月9日

オフ。

携帯電話会社に問い合わせの電話をしなければならなかったので、
カスタマーサービスに電話をかけました。
1度目は途中、操作を間違ってしまって失敗。
2度目も間違ったボタンをおしてしまったので慌てたのですが、
「カスタマーサービスにつなぎますのでお待ちください」という
ボイスメッセージが流れてきたので、「おおっ、成功したぞ。これでいいぞ」とあいなりました。
ところがいくら待ってもつながる気配はありません。
待機中、ずっと音楽が流れていてやっとそれがきれたと思いきや、
「あなたは現在5分待っています」というメッセージが流れるのみ。
結局また音楽が流れはじめ、また待ち受け状態となりました。
いい加減待ちきれなくなり、結局僕は10分ぐらいできってしまいました。
聞くところによると、カスタマーサービスに電話をして、20分待たされることはザラらしいです。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮


2003年6月10日

みなさんのご存知のとおり、再びメンフィスに戻ってきてしまいました。
今日、メンフィスに移動してきました。明日からまたがんばります。

テネシー州メンフィスにて 田口壮



2003年6月11日

サンダーストームで試合は中止。明日がダブルヘッダーになりました。ほんの少ししか離
れていなかったメンフィスも、この短期間で顔ぶれががらりと変わっていました。選手ば
かりか、なんと監督まで。特に珍しいことではないですが、やっぱり不思議な気分です。

新しい顔ぶれの中には、もと横浜のセルビーもいました。僕がベンチに戻ってくると、そ
こに座っていた選手が全員で「うーっす」。発信源は明らか。きっと横浜の誰かに「これ
が日本の挨拶や」とでも教育されたんやろうなあ、と思わず笑って挨拶を返しました。そ
れにしても、「日本帰り」の多いチームです。

ところで、またまたマイナーに戻ってしまいましたが、今回はあまりがっくりしていませ
ん。上にいる間、別になんらヘマをしたでなし、「俺は悪くない!」と多少の開き直りも
あります。運も巡り合せもあるだろうし、チーム事情もあるでしょう。また巡り来るチャ
ンスを待って、やるべきことをやろうと思います。

トニー(ラルーサ監督)は、今回、「ちょっと下に行ってくれる?」と気軽な感じで言い
ました。「ちょっとそのへんまで買い物に行ってくれる?」というような、軽い響き。
「ピッチャーを上げなきゃいけないもんだから」と、事情を話した後、「まあ、すぐにま
た会えると思うから」と付け加えました。

ほんまやろな!?

テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年6月12日

実に一週間ぶりの試合です。身体が気持ちに着いていけず、2タコ1四球でした。
目はすべて見えているだけに、もどかしさもひとしおです。

この7日間、ほとんど守備ばかりで、しかも短いイニングばかり。
おかげで3回も過ぎると、足はつりそうになるわ、腕は張ってくるわ、
「ほんまにシーズン中かい!」と思うほどの状態でした。
自分が野球選手とは思えなかった今日。


テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年6月13日

試合前、相手ベンチのほうで、踊りながらこっちを向いて手を振っている
やけに大きな男が。「CD(クリス・ドネルス もとオリックス)にそっくりやな」
と思いつつも、たしか彼はアリゾナ(または傘下のツーソン)にいるはず、と、
とりあえずメンバー表を見てみたら、やっぱりクリスでした。こちらもあわてて
「おーいおーい」とひと踊りです。

アメリカに帰ってから、ドジャースでプレーしていた彼。その頃はロサンゼルス
郊外の豪邸にお邪魔したりと連絡を取り合っていたのですが、まさかこんなと
ころで会えるとは。世界は狭いなあと感じるばかりです。

肝心の野球の話。ナナリーが、人のバットをいつの間にか掠め取っていました。
「おい!」と詰め寄ったところ、「ちゃんと俺は盗むよ、って宣言したやないか!」
「宣言して盗みを働くな〜!」・・・まあ、笑える話なのでいいんですが、彼はその
バットでホームランを打ちました。日米どちらでもいえることですが、なぜか他人
からもらった(借りた)バットを使うと、よくホームランやヒットが出ます。たぶん、
目先が変わって新鮮な気持ちになるからでしょう。効果が長く続かないのも、共通
しています。

僕は久々のゲームでバッティングも修正中、代打でいってショートゴロでした。
バッティングコーチにみっちりなおしてもらい、じっくり打ち込んできました。代打
などの途中出場に、以前は腹を立てたりしましたが、今は「上に上がったときの
いい練習」と思うようにしています。


テネシー州メンフィスにて 田口壮 


2003年6月14日

4の1、1四球、2得点。

最初の打席でどうしようもないセカンドフライ。それ以来徐々に雰囲気が出てきて、
最後のレフト前ヒットでほっとしました。よくなってきたので、まあ、よし。

ところで、もと横浜のセルビーが、相変わらず笑わせてくれます。彼の話す日本語の
雰囲気や勢いからして、きっと佐伯選手や波留選手あたりが「仕込んだ」んだと思って
いたのですが、教師は通訳さんでした。「うおーっす」「お疲れ〜」など、絶妙な挨拶は、
なかなかツボにはまっていて、「これが生きた日本語か」と、妙に感心する毎日です。

テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年6月15日

代打でセンターフライ。

日本でもご存知の方もいらっしゃると思いますが、メッツなどで活躍して、
最後はここメンフィスにいた、カート・アボット内野手が、とうとう引退してしまいました。
もとバリバリのメジャー。それが3Aに落ちて、控えに甘んじていました。
それでも前向きで明るい態度を決して崩さない、その姿勢をいつも尊敬していました。

僕にとって去年のシーズンは、すべて新しい環境の中で、ただなんでもかんでも驚くばかりの連続でした。
いろんな経験をしましたが、言葉の問題もあり、どちらかといえば目の前で起きる出来事を、
ただ受け止めて驚いていたという感じです。
でも、今年は、もっと深い経験をしていると思います。

中でも、カートの存在は、僕にとってとても大きかったのです。
毎日の試合の中で感じる疑問や不安、不満などと、どう戦っていくか、
そして、それに対して野球選手としてどう立ち向かっていくか。
さまざまなことを、彼と深く話し合うことで、どれだけ勉強になったかわかりません。

彼はもともとアキレス腱に故障を抱えていて、一塁に走りこんだとき、ついに腱を切り、手術も叶わず、そのまま引退してしまいました。
リリース(クビ)も引退も、アメリカではシーズン中の当たり前の出来事です。
特に年齢の高いマイナーの選手は、時間をかけて怪我を治すという猶予を与えられません。
彼が分かち合ってくれたさまざまなことに感謝しつつ、またいつかどこかで会えたらいいなと思っています。

テネシー州メンフィスにて 田口壮 


2003年6月16日

今日は休養日でした。

このところのメンフィスは、夜中から明け方にかけて
大雨、そして午後は、じめっと晴れる、という日が続
いています。球場のメンテナンスの人たちが、真夜
中に巨大なシートをかけたり外したりしているのを見
ると、頭が下がります。

3Aの中でも随一と言われるレッドバーズの球場。い
つも綺麗な芝生でプレーをさせてもらえ、ありがたい
です。

今夜は試合の後、球場の芝をファンにプレゼントし
ていました。ゴルフのカップを切るようなものを、ざく
っと芝に刺して、そのまま抜く。小さな丸い芝です
が、「球場の芝」ということで、野球好きの人にとって
は嬉しいお土産かもしれません。

今日はバックネットの前、ホームプレートの後ろにあ
る部分を切り取っていました。僕らが明日から遠征
なので、きっと帰ってくる頃には、また新しい芝が植
えられていることでしょう。

それにしても、日本なら「芝なんかもらってどないす
んねん」となるところですが、アメリカでは、一戸建て
でもアパートでも、家のまわりに芝生はつきもの。羨
ましい限りです。


テネシー州メンフィスにて 田口壮 


2003年6月17日

3A名物・早朝移動で、久しぶりの遠征、タコマにやってきました。試合はまたまた
休養でした。 それにしても、メンフィスからタコマまで、今回は直通!乗換えで眠
い目をこすることなく、思う存分眠れる! たったそれだけのことで、やけに幸せな
気分にひたってしまいました。 移動の風物詩?である、「チームメイトの、空港の
床直接寝」も従って見られませんでした。

ちなみに「床に寝る」は、以前と違い、球団から罰金を科せられるようになった
そうです。


ワシントン州タコマにて 田口壮



2003年6月18日

5タコです。なんとかせねば。でも、考えても仕方ないので
とりあえず、しっかり寝ます。おやすみなさい。

ワシントン州タコマにて 田口壮 


2003年6月19日

今日は休養日。(今日も?)

このところ試合の出場はまちまちですが、なぜか差し入れをコンスタントに
いただき続け、恐縮しています。たまたまシアトルに来ていた友人が、3日連続で
タコマまで車を飛ばし、大好物の「きのこの山」と「たけのこの里」その他
もろもろ、甘い物尽くしを差し入れてくれました。今夜に至っては「すし」です。
シアトルのほうに足を向けて寝られません。

ところで、「きのこ」「たけのこ」が、レッドバーズでブームです。日本から何か
送ってもらうときは必ず荷物の片隅に入れてもらうのですが、「マッシュルーム
マウンテン!」「バンブーランド!」と、まわりのアメリカ人は大喜びです。
形がかわいい、と言うのです。アメリカには舌が曲がるほど甘いお菓子がいくつも
ありますが、さほど凝った形ではありません。それだけに、日本の繊細な細工が
目新しいのでしょう。今回も、ロッカーに持って行くと、あっという間になくなって
しまいました。普段僕が勧める日本食系統には、おびえて手をつけないというのに。

よく見たら、監督まで嬉しそうに食べていました。

ワシントン州タコマにて 田口壮 


2003年6月20日

3の1

タコマ、ものすごく寒いです。
おまけに風もあって、外野の深いところに向かってボールががんがん飛んできます。
つまりうちのピッチャーが打たれていたわけです。
飛びついて捕ってやろうと何度もジャンプしましたが、ボールはさらに風に吹かれて
その上を行き、僕は何度もフェンスに身体を打ちつけてしまいました。

それにしても、試合に出る間隔がこのところ開いているため、
なかなかゲーム勘が取り戻せません。
なんだか毎回、春のキャンプのような気分。
冬のオフを経て、「おー、久々の試合形式やな」という感じです。

この「新鮮さ」ばっかりは、あまり嬉しくありません。

ワシントン州タコマにて 田口壮 


2003年6月21日

タコマから車で3時間弱。ポートランドに移動してきました。いつ来ても、なぜか曇っています。

今日は9回の守備のみ。スタンドにはちらほらと、日本人のお客さんの姿がありました。
中南部に暮らしていると、日常生活の中で日本人を見かけることは、まず、ありません。
アジア人もほとんどいません。
それだけに、西海岸のほうにやってくると、日本人を見かけるたびに、なんだかものすごく珍しいものを見たような気分になります。

「あなたの英語は南部なまりがある」と、からかわれるのもこれでは仕方ないですね・・・。

オレゴン州ポートランドにて 田口壮


2003年6月22日

4の1、1盗塁

朝日新聞の取材を受けた際、記者さんから岡本太
郎氏の本をいただきました。いろいろな「名言」をま
とめたもので、さすが天才は、ものの考え方がこうも
違うのかと感心させられることしきりでした。「芸術は
爆発だ!」と、言ってるだけじゃないんやな、と。

中には、僕が普段から「こうでありたい」と心の中で
思い続けてきたものが、ずばり、簡潔に表現されて
いる「名言」もあり、思わず唸りました。

やっぱり表現によって人を動かせる芸術家の頭の
中は、どこか違います。

オレゴン州ポートランドにて 田口壮 


2003年6月24日

4の1、1四球、2得点

ポートランドに来て初めて晴れました。ずっと曇りの土地が、爽やかに晴れるのを見るの
はいいものです。明日は「晴れっぱなし」のメンフィスに移動。朝5時に出発というのに、
到着は夕方4時過ぎです。せっかくの休みなのに、西から東への移動日で、時差が恨めし
い。

ところで今日、試合前のロッカーは「和食」の話で盛り上がっていました。どうやら何人
かで連れ立って、昼飯に「和食」をモールで食べたらしいのです。もと横浜のセルビーが、
うどんを得意げに「ずずっ」と音を立ててすすり、「これが本場のマナーだ!」とみんな
を驚かせたのが始まりだったとか。

和食といえば、この国では「スシ」か「パフォーマンスつきの鉄板焼き」「照り焼き(こ
ってり甘ったるいテリヤキソース)」などが一般的です。そこでセルビーと、もとオリッ
クスのナナリーの「大自慢大会」。

「ヨコハマの中華街のすごさといったら、そりゃあもう」「シンコウベの駅前にある牛丼
屋のおいしさといったら!」未知の食べ物が次々繰り出され、チームメイトは興味津々で
した。

最後にセルビーが一言。「初めて新幹線を見た驚きといったらなかった。新横浜の駅を通
過した時は、思わず柱の後ろに隠れた」

「日本に行ってみたい組」が増えつつあるのは、どうやら野球だけが理由ではないようで
す。


オレゴン州ポートランドにて 田口壮


2003年6月25日

休日、だけど移動日。

朝5時にポートランドを出て、メンフィスに帰り、我が家でやっと座った
のは午後7時を過ぎていました。休日はいったいどこに・・・?涼しく快
適なポートランドから一転、メンフィスは暑くてだるくて蒸しています。

昨夜は試合後、「なんとか今夜じゅうにメンフィスに帰ってやるん
だ!」といきまいた何人かが、空港に向かっていました。確かに「レッ
ドアイ」といわれる「夜間移動」で帰りつけば、今日は一日、ゆっくり寝
ていられるのです。経路は誰もがポートランド、ミネアポリス経由メン
フィス行き。今朝がた空港で、前夜出発組を見かけなかったので、
「ああ、きっと今ごろメンフィスで気持ちよく寝てるんやろうなあ」と羨ま
しい気持ちでいっぱいになりました。

ところがミネアポリスに着くと、なぜか彼らの姿が。結局ミネアポリス
までは来られたものの、乗り継ぐことができず、一晩中、空港にある
ゲーム機で遊んでいたようです。

あわれ、メンフィスに着いたとき、彼らは他の誰よりも疲れ果てていま
した。

テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年6月26日

選手をむちゃくちゃ分かりやすく交代で使う監督なので、予想通り今日はお休み。
でも、途中代打で出て、バントだけ決めました。
ところで、とてもショックです。この日記でもたびたび登場してきたケビン・ジョセフ投手が、
今日突然、エドモントン(エクスポスの3A)とトレードになってしまいました。
アメリカにやってきてからこれまで、彼の存在が僕にとってどれだけ大きかったことか。
秋季のアリゾナフォールリーグも含めて、みっちり付き合ってきました。球場だけでなく、
普段の生活の中でも。
こういう世界ですから、トレードなんて当たり前。いろんな選手が来ては去ってゆくのに、
いちいち感情を高ぶらせてはいられないのです。
でも、やっぱりさみしい!
奥さんとうちのヨメがものすごく仲良しなので、彼女も今日は落ち込み気味です。
アメリカの野球選手の移動は、誰とも比べようもないほど激しく、突然です。奥さん達も、
ファミリールームと呼ばれる家族の部屋で、すぐ仲良くなるし、すぐに「お別れ」をします。
うちのヨメは、以前「はじめまして!」と挨拶した奥さんが、その場でダンナさんから電話を
受けて、「あ・・・トレードになっちゃった。サヨナラ・・・」と去っていったのを見ています。
たった3分のお付き合いだったそうです。
すぐ仲良くなる、でも、引きずらない。こういう性格でないと、やっていられない世界です。
日本ではちょっとマイナスイメージのつきまとうトレードですが、アメリカでは珍しいことでは
ないし、新天地を開拓するチャンス。
少しはにかみ屋のケビン・ジョセフ投手が、新しいチームで大活躍するのを、夫婦で楽しみにしています。

テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年6月27日

途中からいって、2タコ。コメントなし。

ものすごく珍しいものを見てしまいました。延長13回の裏、相手チーム
の守備が「内野5人・外野2人」になったのです。1アウト2塁3塁と、サ
ヨナラのチャンスで、迎えるのは3、4番。左の3番バッターには、敬遠
覚悟で外勝負です。その際、内野の布陣は左から、三塁手、謎の内野
手、ショート、という感じ。外野はそれぞれ左中間と右中間に位置してい
ました。結果は四球で1アウト満塁。

続いて4番も左。でも、引っ張りのバッターなので、これは逆バージョンで、
結局三振。

ということで、2アウト満塁になり、5番打者を迎えたところで内、外野とも
に、通常シフトに戻した相手チーム。しかし、5番の打球は、皮肉にも左
中間へ・・・

うちのサヨナラ勝ち。それもまあ、珍しいといえば珍しいのですが、それより
も珍しい守備体系を見て、「アメリカは、ほんまに何でもやりよるな・・・」と
またまた感心してしまいました。

メジャーではある程度、セオリーというものが通用するのですが、マイナー
は、セオリーを考えても無駄なことがあまりに多く、苦笑することもたびたび。
昔「地球の裏側(日本)には別のベースボールがあった」と発言したアメリカ
人選手がいましたが、アメリカにはそれを上回る、何種類ものベースボール
が存在します。


テネシー州メンフィスにて 田口壮



2003年6月28日

4の1、2盗塁

久しぶりの先発。エキサイティングなゲームになりました。盗塁の際、後頭部にボールは
当たるわ、ホームに突っ込んでクロスプレーでアウトになるわ、肉体的にしんどい一日でした。

僕の身体の小ささと、相手キャッチャーのマンモス的なでかさを考慮したチームメイトは、
「ソウ、お前が突っ込むと危ない。怪我するぞ!」と本気で心配してくれました。でも、
「そういう時はカラテで対応するからいいんだ」と言うと、みんな納得していました。

なんでもいいけど、どうしてアメリカ人は、すべてのアジア人が皆カラテの達人だと
信じているのでしょう。

おまけに、なぜか今日ライトには、守備にはいわくつきの定評(ただし悪評)のある、
「内野手」が・・・。センターがライトフライをカバーしなければならないほど守備範囲が
狭く、ボールしか見ていないので、すぐフェンスに突っ込む。僕はずーっと「WATCH
OUT!」「LOOK OUT!」と叫びっぱなしです。幸い今日は彼の憤死を見なくて
すみましたが、外野陣はみんな、ハラハラしっぱなしの、心臓に悪い夜でした。

明日はデーゲームです。

テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年6月29日

代打でセンターフライ。感じは(やっと)よくなってきました。
バッティングコーチにいろいろ修正をしてもらっています。

クラブハウスでの出来事。

立ち上がったままの姿勢で、前かがみになり、
自分で、ハムストリング(太ももの裏)のマッサージをしていました。
両手に使い捨てのビニール手袋をはめ、マッサージオイルを塗りながら。

すると、僕の前方からやってきたチームメイトが、
ギョッとした表情で立ち止まったのです。
「ソウ・・・何やってるんだ?」
「んー?マッサージしてるんやでー」
「・・・気持ちいいのか?」
「いいよ〜」
彼は質問を終えた後も、しげしげと僕を見つめています。
その視線が、ちょっと怪訝な感じです。
「気持ち・・・いいんだよね?」
「おう、むちゃくちゃ気持ちいいよー」

彼は突然、「前から見たら、どんな風に見えると思う?」と、僕の真似をし始めました。
そこには、「オイルのついた手袋をはめ、肛門をいじりまわしている男」の姿がありました。


テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年6月30日

4の1、1打点。(ソロホームラン)

本日の日記は、アメリカ地図を参照の上、お読みください。

メンフィスからオクラホマへの遠征です。相変わらずの早朝出発で、くらくらしながら空
港へ。でも、直行便の1時間半は、乗り継ぎのない分、しっかり眠れるので嬉しいものです。

オクラホマに到着すると、寝ぼけた僕らの目を覚ましてくれるような出来事が待っていま
した。アメリカ名物・ロストバッゲージです。これから試合だというのに、半分以上の選手の荷物が、なくなっていました。

ないものは仕方ないので、移動のままの服で球場入り。そこで続々と情報が飛び込んできました。
「マイアミにいくつかあったらしい」
「デトロイトでも見つかった」

一応僕達は「団体」ですから、チェックインもみな同時に行いました。飛行機は小型機で、
オクラホマ・シティーまで直行です。それなのに、なぜ。しかも、いったいどうやったら
団体の荷物が、こうも綺麗に3方向に飛び散ったのでしょうか。あえて航空会社の名前は
出しませんが、呆れる、というよりここまですごいと、感動です。

試合から帰ると、数人の荷物は戻ってきていました。が、僕のバッグは、ミッシングのま
まです。ホテルのベルマンにもらった歯ブラシ一本持って、すごすごと部屋に引き上げて、
今夜食べるはずだったお菓子の行方に思いを馳せています。着る物をキープするために、
パンツも脱いで、バスローブ一枚で寝ることにします。ああ、やだやだ。

しかも。ホテルの浴室で水漏れがあり、トイレタンクの水が、床をべしょべしょにしていたため、部屋も替らなければなりませんでした。

どないやねん!!!!!


オクラホマ州オクラホマ・シティーにて 田口壮


2003年7月1日

4タコ。試合に関してはコメントなし。反省のみ。

以下は、喜びの報告です。

戻ってきました!どこかで彷徨っていた僕のスーツケースが、昨夜真夜中に、
ホテルの部屋に届けられたのです。ほとんど不貞腐れて寝入ったところだった
ので、まさに「夢のよう」な喜び。早速お菓子を取り出して、妙な時間にコーヒー
までいれてしまいました。

本当は、「手ぶらで乗りたいな」と、チェックインの際、手持ちのディパックまで
ケースに詰めようとしていたのです。・・・入れなくてよかった。

テロ以来アメリカでは、スーツケースは「強制的に」調べられます。チェックイン
の時、別の場所に連れて行かれなくても、預けた荷物は裏でちゃんとチェック
されているのです。スーツケースにかけておいた鍵は、力任せに引きちぎられて、
いや、ペンチか何かで切断されて、とにかく何が何でも開けられます。スーツケース
の中には、「法の名のもとに調査しました。あしからず」的にメッセージが残されます。
あわれ、スーツケースの鍵は壊されて弁償もなし。だからこのところ鍵をかけるのを
やめていたのです。そのおかげで、ディパックを入れるのを思いとどまったのですが・・・

いろんな意味で、「安心して飛行機に乗る」のは、アメリカではなかなか難しいようです。


オクラホマ州オクラホマ・シティーにて 田口壮 


2003年7月2日

34歳の誕生日。なかなかいい走塁と守備を見せられて、ほっとしましたが、
3タコでした。1四球、1盗塁です。

あちこちからお祝いのメール、カード、言葉などをいただきました。この場を
お借りしてお礼申し上げます。ありがとうございました!

34になったから、という特別な感慨はありませんが、これでチームで一番
年上になったことだけは確かです。一番下に見えるんですけど・・・。
「ソウは年上なんだ!みんな!尊敬しろ!」と、チームメイトは笑いをかみ殺し
ながら、頭を下げてくれました。監督は「えっ・・・34・・・」と絶句してしまいました。

アメリカでは、ほとんどの選手がお互いの年齢を知りません。
知る必要がないからです。自分が自分のメンテナンスをちゃんと行っている限り、
年齢で判断されないのは、非常にありがたいことです。


オクラホマ州オクラホマ・シティーにて 田口壮 


2003年7月3日

本日休養日。

相手チームのクラビー(クラブハウスの管理をする係)が、どこから聞いてきたのか、
一日遅れのバースデーケーキを用意していてくれました。その心遣いがとてもうれしく、
大きなケーキをチームみんなで分けて食べました。

というと、とても和やかそうなレッドバーズ。実はピリピリしています。とにかく負け続けで、
監督のご機嫌が最悪なのです。機嫌が悪いと、普段は見過ごしているようなことも、
文句を言いたくなるのが人間というもの。「なんだ!いったいいつまで中にいるんだ!
いいかげんに早く外に出て準備をしろ!」・・・と怒鳴られたのは、とある選手でした。
試合開始の15分前に、まだスラパンのままクラブハウスをうろうろしていたのです。
でも、これは至って普通の光景。僕も、開始20分くらい前までは、
クラブハウスの中で、あれこれ考えたりしています。

でも、怒鳴られっぱなしではないのが、アメリカの選手です。
「俺には俺のペースがあるんだ!ここにいたっていいじゃないか!」
まだ若い、2Aから上がってきたばかりの選手が、監督に怒鳴り返しました。
ちょっと日本人には真似できません。

そんなわけで、クラブハウスの中は、シーンとしています。
監督が「テレビをつけたら100ドル罰金だ!」と言ったこともあって、ニュースを見ることもできません。
子供じゃあるまいし、テレビ禁止とは情けない。
「みんなで4ドルづつ罰金払って、テレビ見ようよ!」と提案したのですが、
「すぐ消されるに違いない」と、皆、諦めの表情でした。

明日は独立記念日。メンフィスに戻ってのゲームの後は、恒例の花火が行われます。
レッドバーズは、明るい気分で花火を見ることができるでしょうか。

オクラホマ州オクラホマ・シティーにて 田口壮 


2003年7月4日

代打で1の1。センター前ヒット。

オクラホマから帰ってきてのホームゲーム。朝からあちこちで星条旗の模様を見かけました。普段から国旗が大好きなお国柄ですが、今日はもっとすごい。
帽子にTシャツ、バッグや靴、道ゆく人は、どこかしら、赤・青・白を身に付けていました。

独立記念日は、アメリカ人にとって特別な日。真夜中すぎまで、町じゅうで花火の音が鳴り響きました。
僕とヨメも、ゲームのあと、ケビン・オーミー投手(もと日本ハム)の一家と一緒に、4TH OF JULYの夕飯を食べ、ミシシッピの川原で花火を楽しみました。

問題はそのあと。普段は5分で帰れる道が大渋滞で、かれこれ30分以上かかってしまいました。
しかも、一方通行の逆走、飛び出し、進路の妨害、なんでもあり。町じゅうが浮かれて酔っ払っている感じです。
ビルの屋上からは、電球まで降ってきました。うちの車に直撃です。アジア人の顔はまったくありません。ほとんどがアフリカ系アメリカ人。
その中でもギャング系の多さが目立ちます。明らかにクスリをやっていると思えるグループもいて、車の中にいてもいい気持ちはしません。

メンフィスも2年目になりますが、相変わらずダウンタウンのアブナさに馴染めないでいます。郊外に行けば落ち着いた町並みも広がっているのですが、
球場に近いこともあり、選手のほとんどはダウンタウンで暮らしています。小銭をねだる浮浪者、絶え間なく聞こえるパトカーのサイレン、
立ち並ぶ保釈(お金を払って監獄から犯罪者を出す)代理人のオフィス、もろもろ、どう考えても、いい環境とは言いがたいのです。
また、日本ではあまり見かけない光景です。

野球そのものだけでなく、ある意味平和ボケした日本人にとって、アメリカでの自己防衛を知る、いい機会・・・とでも思うことにしています。

テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年7月5日

4の1

9回2アウトから、左中間のライナーを捕ってゲームセット。
「派手にせず、飛び込まず、難しい打球をいかに普通に捕るか」がモットーの僕ですが、
今日のこの打球ばかりは、経験と野性の勘に頼って突っ込みました。

おかげで「ものすごいファインプレー」に見えたらしく、試合終了の瞬間はチームメイトも球場も大興奮の渦
。「鳥肌が立った!」とお褒めの言葉をいただいただけに、自分で見られないのが、ちょっと残念でした。

このところこういう場面がやけに多いのです。それだからか、左中間に飛び込んだホームランまで、
レフトスタンドのお客さんが「ソウ!捕ってくれ!!!」とは・・・いくらなんでも無理です。

ところで、もとチームメイト、現近鉄バファローズの、ネリオ・ロドリゲス投手のビデオが届きました。
ネリオがどうしているのか、日本の野球はどんなものなのか、みんな興味津々です。
相手チームは日本ハム。ミラバル、ロドリゲスの投げ合いです。
もと日本ハムのオーミーが「(田中)ユキオさーん」などと声援を送りながら、懐かしそうにしていました。

ビデオを見た監督の感想。
「日本には、日本人のピッチャーはいないのか?


テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年7月6日

本日休養日。デーゲーム終了後はオーミーの家族と一緒に、メンフィスの郊外に、
焼肉を食べに行ってきました。

日本でプレーしたことのあるアメリカの野球選手が、後年口をそろえて懐かしがる
のは、ラーメンそして焼肉です。西海岸や東海岸と違って、なかなか「日本風」
のそれを見つけることはできませんが、メンフィスにもちゃんと、韓国風の焼肉屋が
あります。これはこれで、なかなかいけます。もっとも、僕は日本人の多い地域に
いても、韓国風の焼肉屋に好んで行くタイプですが・・・。

まず、焼肉の焼き方が違う。薄く切った肉を一枚一枚ではなく、どさっと骨の固まりごと
出てきて、はさみで切りながら、一気に焼きます。普通はお店の人が全部やってくれるのですが、
なぜかその店に行くと、店員さんは僕にはさみなどのグッズをすべて渡して、
「あとはよろしく。あなたは上手」と去っていきます。ちょっと、納得できません。

添え物の小皿料理、そして白いご飯には、料金が発生しません。キムチを始め、
ナムルの類や、生野菜、小魚、豆の料理などはもれなくついてきて、お代わりも
できる。なんだか得した気分です。

全員ニンニク臭くなったあとは、そのままミシシッピ川へ散歩に。夜8時半過ぎまで
明るいので、ゲームのあとでも、夕日が沈むのを楽しめます。暗くなれば、蛍が川沿いの
芝生一面に飛び交い、見事な光景。

これでものすごく攻撃的な蚊さえいなければ、言うことないんですけどね。

テネシー州メンフィスにて 田口壮 


2003年7月7日

3の1、2打点

試合前、懐かしい顔を相手チームの中に見つけました。去年のアリゾナ・フォールリーグで一緒だった、
ヤンキースのプロスペクト、トーマス・マルコス選手です。その後レンジャースにトレードになり、
現在はオクラホマでプレーしていたのでした。「フェルナンデスがよろしくって言ってたよ!」と、彼。
フェルナンデスは、僕にスペイン語を教えてくれた、アルマノ(兄弟分)です。広いようで狭いアメリカ。
みんなどこかでがんばっているんやなあ、と嬉しくなりました。

ところで、今日はプレーヤー・オブ・ザ・ゲームに選ばれ、試合後ラジオのインタビューを受けました。

試合終了直後というのは、選手はみんなある種の興奮状態で、まともな集中力がありません。
ただでさえ集中しないとしんどい英語の世界で、うるさい球場で、興奮状態で、
いったいどんなインタビューになったのかと心配していましたが、ラジオを聞いていたヨメは「良かったよ〜」と一言。

まあ、去年よりマシであることは、間違いないと思いたいです。

テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年7月8日

4の1

サヨナラで、珍しく連勝です。最後は2塁ランナーが、シングルヒットでホームまで帰ってきたのですが、
「スライディングを指示する」選手は、興奮しているのか、必死なのか、自分が地べたに腹ばいになって、
「滑れー!!」と叫んでいました。

「スライディングを指示する」のは、日本でも同じ。ランナーが、ホームに帰ってくる可能性のある場合、
ホームに送られてくるボールの方向や、それに対応するキャッチャーの動きを見ながら、
ランナーが滑り込むべきか、それとも滑らなくてもいいか、また、右からか、左からか、まっすぐ突っ込むか、
などを指示するという意味です。通常、オンデッキ(ネクストバッターズサークル)にいる選手が担当します。

僕は今日、それをサボってしまいました。オンデッキだった時、前のバッターが打ったヒットが、
らくらくホームに帰れるタイムリーになると、勝手に判断してしまったのです。
ところが、なぜかクロスプレーに。僕が指示してくれるものと信じて、ホームに突っ込んできたランナーは、
なんとかホームインしたあと、
「俺を殺す気か!!」とぼやいていました。

僕は心の中で、「ケンケンでも帰ってこられるやろう・・・」と密かにつぶやきました。
でも、口から出たのは一応、「アイムソーリー」でした。


テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年7月9日

3タコ。ハードラック。でも内容が良かったので、良しとします。

カージナルスには名物がいくつかあったり、いたりしますが、そのうちの一人がジョージ・キッセルコーチです。
推定年齢80以上。過去にガダルカナル島で戦った経験を持ち、長島さんや王さんとも対戦したそうです。
過去の話を聞けば聞くほど、彼がいくつなのかわからなくなります。スプリング・トレーニングには、もう60回以上参加しているそうです。

キッセルコーチは、おそらく現在、内野守備コーチとして、巡回しています。おそらく、というのは、
僕には本当のところがよくわからないのです。まあ、名誉コーチ、みたいな雰囲気とでも言うのでしょうか。
実際に現場を仕切るというより、誰彼つかまえては、昔話を語って聞かせる、それがキッセルコーチです。
ガダルカナルで日本人をたくさん撃った話は、ずいぶん聞きました。僕、日本人なんですけど、まあ、それはともあれ。

今日も今日とて、突然、僕と、マーティー・マロイ、そしてたまたまその場を通りがかったセルビーが呼ばれ、
訓示めいたものが始まりました。どうやら昨日の試合で起きた、失策がらみの得点に関して話しているようでしたが、実はよくわかりませんでした。
というのも、聞かされている3人は、誰一人として当事者ではなく、何のエラーも、ミスも、していなかったからです。

僕はだんだん混乱し始めて、「もしかして、俺に何か落ち度があったのだろうか」と不安になってきました。でも、一向に、僕が考えうる限りの落ち度に関しては、語られません。
ふと隣を見ると、他の2人は笑っています。後ろのほうで監督も笑って話を聞いています。

ようやく納得できないまま開放され、僕はそっとあとの2人にたずねました。
「いったい何が言いたかったんやろう・・・?」
「いや、ただ、話し相手が欲しかっただけ」
「俺は、そういう場合、どうすればよかったの?」
「何にもしなくていいよ」

最近せっかく聞き取りのよくなってきた英語力。でも、今日に限っては、話についていけても、
話の意図がさっぱり見えませんでした。いつも優しいおじいちゃん、ジョージ・キッセルコーチ。憎めません。

テネシー州メンフィスにて 田口壮


7/10-16は日記なし


2003年7月17日

昨日の夜に日本から舞い戻り、今朝は3時半起きで、アイオワに遠征でした。エンジントラブルで飛行機が遅れ、結局路線を変更し、
空港で4時間待った末、やっとの思いで現地に到着しました。

日本時間の10日深夜に「義父危篤」の報を受け、急遽日本に帰りました。11日夕方に成田に着き、そのまま入院先の病院へ。
それから10時間後に、義父は、義母、ヨメ、そして僕の手を握り締めたまま、静かに息を引き取りました。
最期は苦しまなかったことが、家族にとっては救いでしたが、だんだん少なくなっていく呼吸と脈拍、
波が平板化していく心電図を見ているのは、胸が張り裂けるような思いでした。

義父の肺がんが発覚したのは今年の3月、キャンプ中のことでした。すでに末期で、余命は半年あるかないかと宣告されました。
ヨメは一人娘で、離れた土地での毎日は、気が気ではなかったと思います。
「覚悟をしなければ」「でも奇跡が起きるかもしれない」という気持ちで、それからの日々を過ごしました。
日本にも2度帰国し、義父の傍らに付き添っていました。彼女自身が体調の悪い中で、精神的にも追い詰められ、
僕らにとって今年は本当に苦しいシーズンになってしまいました。

義父は何度か死線をさまよい、そのたび復活しました。今度の「危篤」も、きっと乗り切ってくれると思っていました。
一月にゴルフをしたときは、あんなに元気だったのに、そのわずか半年後に去っていこうとしているのが、信じられませんでした。
距離的に離れ、すぐに飛んでいけない自分たちが歯がゆかったです。

今回の帰国を、義母とヨメは反対しました。日本人的な考え方からすれば、たとえ身内の一大事であっても、
職場を放棄するべきではない、というわけです。「アメリカでがんばるあなたを誇りに思っていたから、
帰らないでもきっと分かってくれる」と言われました。でも、僕の気持ちが納得できず、シーズン中でしたが、帰国を決めました。

「ヨメの父親が危篤だから」とチームに帰国交渉に行った際、監督から言われた言葉が忘れられません。
「俺達は、家族がいるから野球ができる。すぐに帰れよ」チームメイトからも、
「今、野球を4試合休むのと、家族に永遠の別れをするのと、比べられるような問題じゃないだろう」と、背中を押されました。

アメリカに来て2年目。野球の面では、上がったり下がったりの繰り返しですが、状況以上に学んでいることは多いと思っています。
とりわけ、家族の大切さは、アメリカで初めて痛感しました。もしずっと日本にいたら、僕は「仕事より優先されるものはない」と単純に思っていたかもしれません。

義父は僕達の帰りを待っていてくれたと思います。臨終に何とか間に合い、あわただしい中で葬儀を済ませ、16日、
再びアメリカに戻ってきました。たぶん本当に悲しい気持ちがやってくるのは、これからだと思います。
それでも生きている限り、やっぱり前を向いて歩いていかなきゃいけないのだと、しみじみ思っています。

結婚して、縁があって、義理の父親になったというだけでなく、同じ男として慕っていた存在でした。
もっとたくさんのことを話し、もっとたくさん一緒に遊び、いろいろなことを教わりたかった。
せめて12月までがんばって、待ちに待った初孫を抱いて欲しかった。

後悔することはたくさんありますが、今の僕にできるのは、ヨメを守っていくことと、義父が喜んでくれるように、
ひとつでもアメリカでいい経験を積むことだと思っています。


アイオワ州デモインにて 田口壮


2003年7月18日

3の1

以前豪雨で中止になった試合の途中からと、もうひと試合は7イニングまでのダブルヘッダーでした。
中止の続き試合は、そのままのメンバーで行わなければならず、僕はその時出ていなかったのでお休み。
「次のスタメンに備えて、身体を休めておけ」と言われましたが、休めすぎて、ベンチで何度も寝そうになりました。
うとっとしたら、立ち上がってうろうろ。ヒマワリのタネをやたらに食べて、また座る。
それを何度も繰り返して、なんとかしのぎました。

昨夜は12時間も寝たというのに、今回の時差ぼけはひどいです。
だからといって「寝ないで調整する」という気力もない僕は、寝倒して、なんとか解消するつもりです。
今メールを書きながら、半分寝ています。おやすみなさい。

アイオワ州デモインにて 田口壮 


2003年7月19日

4の3、3打点(タイムリー2本)

時差ボケのほうがいいんでしょうか。余計な力が抜けるとか・・・。アメリカに帰ってきてからというもの、
ものすごい眠気に襲われっぱなしです。

それでも今日は、身体を起こすため、ひたすらモールを歩きました。

ちなみに「モール」とは、いくつかのデパートを主体に、アーケード状にさまざまな店が連なっている
室内の大きなショッピングセンターです。フードコートと呼ばれる、ちょっとした食事の場所もあって、
天気に関係なく、大人から子供まで楽しめます。とにかく広いので、端から端まで歩くと、結構な距離
なのですが、適度にクーラーも効いていて、綺麗で、何も買わなくてもいるだけでちょっと嬉しい気分
です。

早朝、まだデパートも連なる店も、どこも開いていなくても、とりあえず屋内に入ることができます。そ
こでよく目にするのがお年寄りの散歩です。車や天気を気にせず、快適な散歩が楽しめるのも、モー
ルのいいところ。日本にもいくつかできたと聞きましたが、やっぱり、「大きくてタダの駐車場」が確保で
きるアメリカならでは、の空間です。

時差ボケ解消に効果があるのは、初めて知りました。

アイオワ州デモインにて 田口壮 


2003年7月20日

4の1

時差ぼけは、やや取れてきました。しかし明日は朝4時起きでメンフィスへ移動。
再び体内時計が狂うのは間違いありません。

デーゲームが終わって、ホテルの部屋でうとうとしていたら、テレビの大音響に
起こされました。映画の途中でしたが、「トルネード警報」が出ていたのです。
「詳しい情報は、ウエザーチャンネルで!」と、促しているのですが、耳障りな
警報音のようなものが、いつまでたっても消えません。仕方なく、ウエザー
チャンネルに替えてみると・・・止まりました。何が何でも、詳しい情報を見ろ!
見るまでは鳴ってるぞ!ということだったのです。

確かに、トルネードは人の命を奪う、恐ろしい自然現象。他人事のように
「うるさいなあ」と思っていた自分が、少し恥ずかしかったのでした。

アイオワ州デモインにて 田口壮 


2003年7月21日

3タコ、1四球、1盗塁

連日「眠い」ばかりで恐縮ですが、今日もやっぱり眠いです。メンフィスの天候にも関係あるのでしょう
か、やたらに暑くて、蒸している。休みは月に1度か2度。それも移動日。しかも早朝では、身体を休め
るヒマもありません。体内時計はぐちゃぐちゃです。

日本で野球をやっていた頃は、なんやこのきついスケジュールは、とか、移動がどうだとか思っていま
したが、すみませんでした。今にして思えば、恵まれていたんですね。メジャーの移動は、チーム丸ご
とチャーター機なので、自分の好きなように移動時間を過ごせます。でも、マイナーの場合、一般のお
客さんと一緒ですし、選手どうしが固まって座るとも限りません。一番辛いのは、話し好きの誰かが隣
に座ることです。

多くのアメリカ人は、初対面でも構わず話し掛けてきます。かなりプライベートな話も平気でします。う
ちのヨメは以前、「今日、刑務所からやっと出てきたんだ。今から遺族に謝罪に行く」としみじみ話す男
性と隣合わせました。

ともあれ、愛想よく話し掛けられたら、無視するわけにもいかず、かといって僕が求めるのは、ひたすら
睡眠。最近では、「話し掛けないでください」オーラを全身に漂わせつつ、シートベルトを締めるなり、目
を閉じて石になります。

おかげで孤独を楽しんでいますが、離陸の瞬間に意識のあることは、稀になってしまいました。


テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年7月22日

5の2、3打点(2ランホームランと、シングルタイムリー)

今朝6時ごろ、「雨がすごいなあ・・・」と思いながらぼーっとしているとだんだん
雷の音がひどくなり、窓は、まるでカーウオッシュに入っているような状態になって
きました。直後、目の前で網戸が飛んで行きました。あわててアパートの中庭をのぞくと、
プールのまわりのデッキチェアが飛んで、プールの中に。結構な雨と風です。

救急車と消防車が走り回るのを遠くに聞きながら、再び寝入ったのが7時くらい。
その時点で、何が起こっているかは知る由もありませんでした。

レッドバーズの選手の住居は、だいたい二手に分かれます。ダウンタウンのど真ん中に
ある、球場のすぐ近くにあるアパート、もしくは、ミシシッピ川沿いのアパートです。
2箇所の距離はさほど離れていませんが、やはり川沿いということが影響したのでしょうか、
我が家のようなダウンタウン組の「網戸が飛んだ」どころの被害ではなく、木は
なぎ倒され、電気はストップし、軒並み近所の店はクローズ。信号も機能せず、交通事故が
相次いだようです。電気の復旧までなんと数日。ミシシッピ組の選手は途方に暮れています。

独身の選手はともかく、家族連れ、とりわけ小さな子供のいる家庭は大変です。
今日は試合前まで他の選手の家族が我が家に避難していたようで、あちこちに
「小さな子供が遊んでいたな」という痕跡が残っていました。子供達はそれなりに
楽しんでいたとはいえ、家を守る奥さん達は、一様に疲れ果てていたようです。

電気が早く復旧するといいのですが。

テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年7月23日

4タコ、1盗塁。

午前中用事があって、近所を車で走っていました。先日の嵐の影響で、信号は軒並みダウン。ガソリンを入れようにも、電気がきていないので、スタンド自体がクローズです。なーんにも機能していない町で、なぜか球場だけ煌々と灯りがついている不思議。

試合後、友人たちとモールを歩いていると、巡回中のおまわりさん
に出会いました。アイスクリームをなめ、コーヒーを片手に、とても
楽しそうにギャングの取締りをしていました。

アメリカのおまわりさんは、迫力がある反面、すごくカジュアルです。
非番のおまわりさんが、自分の子供達をパトカーに乗せて走ってい
る姿もたまに見かけます。サービス精神があり、今夜も友人の子供
を車の中から呼び止め、「ほら見てごらん!」と天井の青と白のパト
ライトを派手に光らせてくれました。アメリカはどこでもそうですが、
特にメンフィスは犯罪が多発する地域であり、おまわりさんも命がけ
です。ふざけてジョークを飛ばしつつも、いつもしっかり町の治安を
守ってくれる勇気に感謝です。

以前、「うちの部署みんな、きみのファンなんだよ!この間は全員
で試合を観に行ったんだ」と、おまわりさんに声をかけられました。
嬉しいな、と思いつつ、じゃあその間誰が仕事をしてたんやろう、と
ふと不安にもなったのでした。


テネシー州メンフィスにて 田口壮



2003年7月24日

このところ出ずっぱりだったので、そろそろ、と思っていたら、やっぱ
り休養日でした。ところがゲームの流れで、代打に。結果は相手エ
ラーで出塁となりましたが、その後盗塁して、キャッチャ?の送球ミ
スで三塁まで一気に走りました。ほどよく走って、試合も勝って、明
日からまた遠征です。

数日前の嵐の被害はまだ続いています。目下の問題は電気。主だ
った店がいまだ停電で、薬屋などが閉店中です。さらに困ったの
は、ガソリンです。車がないとどこにも行けないこの国で、ガソリン
がないのは、幽閉されているようなものです。

日本と違い、普通はセルフサービスで給油を行いますので、クレジ
ットカードを機械に差し込めない(つまり、電気が通っていない)と、
給油機が作動しないのです。ガソリンスタンドの中にある店に入って
「何番の機械に20ドル」とか、そういう前払いもできますが、店自
体、嵐でガラス窓が割れ、現在閉店中なのです。


今日はヨメが、危険な賭けに出ました。ガソリンスタンドの開いてい
る場所を求めて、どんどん遠くへ走っていったのです。近所は全
滅。ガスはもうあとわずか。万が一治安の悪いところでガス欠にな
ったら、すべての窓を閉め、鍵を閉め、泣きながらAAA(日本のJA
Fのようなもの)に電話するしかありません。「きっと空港に行けばあ
るだろう」と信じて、どんどん走っていくと、なんと空港まわりもアウ
ト。しかも空港の周りというのは、どこでもたいてい治安が悪いので
す。

意を決して、うろうろしていたギャング風の一団に相談し、幸いにも、
営業可能なガソリンスタンドを教えてもらい、窮地を脱したようでし
た。

怖かったのと安心したので、脱力して家に帰ってきたヨメ。アパート
の前をてくてく歩いていたら、2階の住人が捨てた水が、一気に頭
から落ちてきたそうです。哀れ。

その頃僕は、試合前、クラブハウスでゆったりコーヒーを飲んでい
ました。

テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年7月25日

2タコ、1四球。

またしても飛行機でトラブルです。

メンフィスからミネアポリスを経由しての、早朝のオマハ移動だったのですが、
「オマハへの直行便が空いています。どなたか希望者はいらっしゃいますか?」
という甘い誘惑が・・・。めったに直行便に乗れない僕らにとって、ずっと眠って
いられるのはなんとも魅力的な話です。あっという間に何人かの選手が
「行きます!」と手を挙げて、ミネアポリス行きの便から降りていきました。
すると、「あと3席ほどありますが」と、再びのお誘いです。

僕はこういう時、まず手を挙げません。誰がどんな反応をするか、じっと観察
しているタイプです。

結局、キャッチャー2人と野手1人が更なる「追加募集」に誘われて、飛行機を
去りました。機内に残ったほかのメンバーは、ちょっと羨ましいような、でも、
まあ、何でもいいや、という雰囲気です。

ところが、僕らがミネアポリスを経由してオマハに到着すると、いるべきはずの
人々が見当たりません。なんと、ミネアポリス行きの便がダブル、もしくはトリプ
ルブッキングされていて、航空会社は何が何でも座席を空けたくて、「オマハ行
き直行」でレッドバーズを誘惑したようでした。しかも、その「オマハ行き直行」
につられて降りていったメンバーのうち、乗れたのはほんのわずか。
「直行だ、ラッキー!」と嬉しくゲートで待っていた彼らは、あっさり置き去りに
されたそうです。飛行機は何の説明もないまま、こそっと飛んでいってしまった
のでした。

幸いにして、監督と先発ピッチャーは「直行便」に乗り込むことに成功したよう
ですが、他の野手があとの便でオマハに到着したのは試合開始30分前。
試合は先発がむちゃくちゃに打ち込まれ、チームも打てず、大敗しました。

ネブラスカ州オマハにて 田口壮


2003年7月26日

代走から出て1タコ。

オマハは暑い!日本の夏に近い、蒸し暑さです。おまけにホテルのまわりには、なーんにも
なし。町に出ればいろいろあるのでしょうが、大概遠征というのは、空港からホテルへ直行し、
球場へ行き、ホテルへ戻り、空港に行って移動、という感じで、その土地土地の味わい深い
部分を楽しむことは、スケジュール的にも時間的にも体力的にも、まずありません。

アメリカ野球で、これまで3つのレベルを渡り歩いている僕は、めったに旅行では行かない
ような土地を結構たずねているのですが、残念ながら「ただ移動している」感が強く、
印象に残るのは町並みより、むしろ球場の作りと、宿泊先のホテル、ということになります。

ところでこのオマハのホテル。日本ではちょっと考えられない色彩感覚です。カーテンを
開けっ放しにして部屋を出て、暗くなってから帰ってきたわけですが、ドアを開けるなり
絶句してしまいました。

部屋中がムラサキ色。

夜間、ホテルを紫色にライトアップしているのです。その灯りがすべて部屋に入り、
なんともいえない怪しい色合いになっていたのでした。

不健康そうな部屋では、お菓子を食べる気にもなかなかなれません。


ネブラスカ州オマハにて 田口壮


2003年7月27日

4タコ。

いい当たりでも、相手の好守備でも、結果がヒットにならなければ数字は下がります。
今年はこんなのばっかり。思わず愚痴も出そうになりますが、きっとこれも試練でしょう。
耐えればいつか光が見えると信じてやっていくことにします。

たまたまテレビでやっていた野球映画を眺めていたら、ファーストにどこかで見たような顔が。
なんとカージナルスのコーチ、ミッチェル・ページではありませんか。確信は持てなかったのですが、
とにかく気になって仕方ない。ファーストの選手の登場ばかりを追って、つい最後まで見てしまいました。

映画のタイトルは「ANGELS IN THE OUTFIELD」天使がスーパープレーを連発して、
エンゼルスを優勝に導く、といった内容で、最後のクレジットにはしっかりミッチーの名前が。
おかげでやっと納得です。しかし、その時初めて、ずっと見ていたにもかかわらず、その映画が
面白いんだか面白くないんだか、まったく把握していないことが分かりました。

・・・無駄な集中力を使ってしまった・・・


ネブラスカ州オマハにて 田口壮


2003年7月28日

休養日。1塁ベースコーチを担当。

今朝は強制的に7時に目が覚めました。隣の部屋のアラームが鳴り続けて止まらなかったのです・・・。

デーゲームのあと、メンフィスに帰ってきました。明日の当日移動より、たとえわずかな時間でも家に
帰れたほうが、ずっと心が和みます。ところで、空港でチェックインする時、ちょっとした出来事が
ありました。

相変わらずセキュリティーが厳しいのはありがたいことです。預ける荷物はすべて、
スクリーニングにかけられます。荷物チェックの流れはだいたい
1.チェックインカウンターに行く
2.セキュリティーのチェック所に行けといわれる
3.そこに荷物を運んで、怪しくないことを確認してもらう
4.セキュリティーの人が、荷物をチェックインカウンターまで運んでくれる
5.チェックイン完了
という感じです。ところが、僕は4の過程で、荷物を自分で運んでしまったのです。

再びチェックインカウンターでの会話。
僕「チェック終わりました」
受付「ここまで誰が荷物を運んできましたか?」
僕「?・・・ここまでって・・・僕ですけど」
受付「あなたが自分で運んだの?」
僕「はい」

受付の人は困っています。セキュリティーの場所から、チェックインカウンターまで、
わずか5メートルほど。でも、僕が自分で運んでしまったのが不満なようです。
早くゲートに行きたい僕は仕方なく、「ああ、彼らに運んでもらいました」と、
苦し紛れに言うと、受付の人はわざわざセキュリティーの係員全員に、「この荷物を
運んだのは誰?」と聞き始めました。いいかげんなことを言うもんではありません。
案の定、「俺じゃないよ」「私運んでない」と、否定されてしまい、「はい、もう一回
チェック」と、やり直しを命じられたのでした。最後の5メートルで、チェック済みの
荷物に誰かが悪さをする可能性もあるわけです。

セキュリティーのチェックを受けた荷物は、絶対に触らないようにいたしましょう。
さもないと、余計に時間がかかります。


テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年7月29日

3タコ1四球
自分が情けない。打率は.222です。
大学2年の絶不調の秋以来です。でも、あの時は骨折してたので、今の僕は元気でも、骨折以下。なんなんだ本当に。

救いは当たりがいい、それだけ。でも、どんなに汚いへなちょこな当たりでも、ヒットのほうがいいに決まっています。

我慢我慢。

テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年7月30日

9回守備のみ。

もともと洋服をたくさん持っていないタイプですが、
あまりにも決まりきったローテーションでわずかな服を着回しているので、
ついに重い腰を上げて、午前中、服を買いに行きました。

僕の普段着の好みは「着ていて楽で」「丈夫で」「ゆったりしているもの」です。
ブランドには疎く、まったく気にしません。
ちゃんとしなければいけない時に、ちゃんとしたものを着ていれば、まあいいや、と思っています。
ですから普段着を買う時は、おのずと「まずまずのクオリティーで安いところ」に足が向きます。

今日は襟付きのシャツを2枚買いました。税込み14ドル。うち1枚はなんと4ドルでした。
同じ製品が、どれも9ドルとなっているのに、なぜか僕が選んだ1枚だけは、タグが4ドルの表示に。
もしかして「難あり」かと店の人に聞いてみると、「・・・たぶん、何かの間違いでそうなっちゃったみたい。
ほんとは9ドルだけど、4ドルで構わないよ。こっちも売れたほうがありがたいからね」

アメリカ人のいいかげんさにむかっとすることもありますが、
こういう時は、なんだか彼らがとても「大らか」に思える、都合のいい私です。


テネシー州メンフィスにて 田口壮 


2003年7月31日

途中守備から出て、1の1。

午前中、ミシシッピ川沿いに散歩に行ってきました。普段は朝からあまりの暑さに、
外に出る気も起こりませんが、今日は曇りで小雨交じり。おかげで川沿いの広い
芝生は、人っ子1人いないという贅沢な状況でした。

ハート・オブ・アメリカとも言われるミシシッピ川は、あのトム・ソーヤーであまりにも
有名です。水は茶色く濁っていますが、趣があります。川を下るとニューオリンズ、上れば、
セントルイスです。

ところで試合前、キャッチャーのルイス・ロドリゲスに散髪してもらいました。チームメイトの
何人かが「マイバリカン」を持っていて、玄人はだしで散髪をしてくれるのが、アメリカ野球の
風物詩、というのは以前から書いていますが、ルイスもなかなかの腕前でした。問題は、前髪を
真横にまっすぐ切られて、ジェルで立ち上げでもしない限り「まことちゃん」*に見えてしまう
ということです。

後頭部の小さいハゲは、自分では見えないので、特に気にせず。

*管理人注:「まことちゃん」は梅図かずおさんのマンガ


テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年8月1日

4の2

今日のクラブハウスは、なぜか日本の野球の話題でいっぱいでした。阪神タイガースの
ここまでの快進撃、そしてオリックスの、ちょっと寂しい状況。日本でプレーしたことの
ある選手たちが、「俺がいた頃はこうだった」「ああだった」と、昔話に花を咲かせていました。

その他、日本の球団に所属したことはなくても、2000年の「メッツ対カブス」で
来日した選手などもいて、「日本の選手にスシを食べに連れて行ってもらった」などと、
話を盛り上げました。

僕にリスペクトを払っているわけではなく、選手たちは口をそろえて、「日本の野球は
すごい。ピッチャーは、コントロールが素晴らしい。構えたところにびしっと来る」と
賞賛します。野手に関しては、多くの選手が足を上げて打つことが、不思議で仕方ない様子。
「器用だ!」と驚いていました。

あれこれ日本野球を語る彼らにとって、一番の「不思議」は5回のグラウンド整備の
10分間。「スモーキングタイム」を皮肉を込めて呼んでいます。日本の選手は、
タバコを吸う人が多く、その時間にベンチ裏は煙でいっぱいになるからです。ちなみに
アメリカの選手は、試合中、タバコを吸う人はまずめったにいません。だいたいにおいて
球場は禁煙ですし、噛みタバコがメインだからです。

日本とアメリカの違いをいろいろ語りながら、いつもセルビー(もと横浜)とナナリー
(もとオリックス)が出す結論は、必ず「日本に帰りたい・・・」です。

テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年8月2日

4の1

アルバカーキに移動してきました。飛行機は予定より1時間遅れ。原因はどうやら、
うちのチームのとある選手の荷物にあったようです。なかなか離陸しないので
おかしいなと思っていたら、「タグのついていない、身元不明のバッグがひとつ
あります。心当たりの方は名乗り出てください」と、機内放送が。しかし、誰も
名乗り出ません。仕方なくバッグを開けて、中からうちの選手の名前が発見された
そうです。その選手は呼び出され、「あなたのですね!」と確認されていました。
安全管理がしっかりしていてありがたい一方、結局これでディレイです。名前の
ついていない荷物は、何かとトラブルのもとです。

ここニューメキシコ州は、メキシコ国境に位置します。乾いた大地は、アリゾナや
ネバダを思わせます。国境の州ですから、当然、メキシコ人も多い。僕はアメリカに
来てからというもの、何度もメキシカンに間違えられていますが、どこが似ているのか
自分ではよく分かりません。

ということで、ホテルにチェックインしようとしていたら、メキシコ人の団体さんと
一緒になり、もみくちゃになりました。ものすごい数の人が、一気にフロントに押し寄せて、
ちょっとしたパニック状態です。驚いた売店のおばちゃんが、僕に向かって一言。
「ねえ、あなた達、何の団体?」


ニューメキシコ州アルバカーキにて 田口壮


2003年8月3日

守備のみ。

完全休養日、だったはずが、いつの間にやら延長戦に。ピッチャーを替えるたび、残りの野手がどんどんベンチから減ってゆき、気がついたら最後の1人になっていました。結局11回裏に守備につき、試合は押し出しの四球で負けました。

アルバカーキに来るのは初めてで、球場はまだ新しく綺麗です。何より、クラブハウスのメシがうまいのが魅力的。ビールもタップで飲み放題・・・球場によって、本当に食事の格差が激しいです。

そしてこのチームには、もとオリックスのクリス・ドネルスがいます。アメリカは選手の移籍が激しすぎて、誰が今どこにいるか、ということをきっちり調べで もしない限り、正確につかむことができません。球場で会って初めて「こんなところにおったんや!」となるのが常。それはそれで、結構楽しいのですが。

移籍できるならともかく、クビになり、球界を去る選手も多くみられます。僕の日記ではすっかりおなじみのKJこと、ケビン・ジョセフ投手(もとレッドバー ズ。アリゾナフォールリーグでも一緒で、先日エドモントンにトレードされたばかり)もまた、リリースされ、そのまま引退を決めました。まだ20代半ばで、 もったいない限りです。

KJはもともと「今年で引退するつもり」と話していました。優しすぎるほどの性格の彼は、どうしても最後まで野球界の独特の雰囲気に馴染めず、野球選手で いることを苦痛に感じていました。普通に歩いていると、銀行員に見えるKJ。癖のある人間が多い、特に自己主張の強いアメリカ野球界では、KJのような 「言い返さない」「おとなしい」選手は、からかいの標的にもされてしまいます。自分から言い出したのではなく、リリース(クビ)という形だったことはとも かく、なんとなく精神的にほっとしている彼の再出発を、少し寂しいですが、応援していこうと思います。

熱心なクリスチャンで、もう数日中にはフィリピンに旅立つそうです。ミッショントリップといって、自費、もしくは寄付金で、キリスト教を広めに世界を回る のです。キリスト教以外にも、野球や英語を子供達に教えるのが使命だそうです。日本にも行く予定があるそうですから、やけに背が高くて野球のうまい宣教師 がいたら、もしかしたらそれはKJかもしれません。


ニューメキシコ州アルバカーキにて 田口壮



2003年8月4日

5の1(タイムリー2ベース)、1打点、1盗塁

序盤で7−0とリードしていたものの、一気にひっくり返されて負けました。野球は、
怖いくらい流れのスポーツです。今日は相手のファインプレーが、レッドバーズに
傾いていたツキをあっという間に持っていってしまいました。流れが相手に行って
しまう時には、必ず何らかのきっかけがあります。それに気付いて、措置を取れるか
どうかが、重要な鍵だと思うのですが・・・。

試合後、監督の怒りが爆発。「シャワーなんて浴びるな!メシも食うな!お前らになんて
何も必要ないだろう!」とすごい剣幕で怒鳴りつけられ、僕らはしばしロッカーの前の
椅子に座り込んでいました。「俺らは幼稚園児か!」と誰かが吐き捨てて、みなシャワーに
行ったり食事をとったりし始めましたが、とても後味の悪い夜でした。

ニューメキシコ州アルバカーキにて 田口壮 


2003年8月5日

本日代走のみ。

アルバカーキ・アイソトープスのクラブハウスは非常に快適でした。
先日書いたように、メシがうまい、というだけでなく、あちこちで細やかに気を遣ってくれるのです。
遠征最後の日、僕らは「CLUBHOUSE DUE」というものを支払います。
クラブハウスの食事などにかかる経費のようなもので、マイナーでは1日11ドルから12ドルくらいが相場。
でも、サービスに応じて、「DUE」(支払わなければいけない額)に、「TIP」(心づけ)として、色をつけます。
今回は気持ちよく、多めに払ってきました。

遠征先だけでなく、ホームゲームでも、このクラブハウス・デューは発生します。
自分のチームのクラブハウスで料金がかかるのは日本人からすると不思議な感じです。

アメリカはサービスをお金で買う国。基本給より、もらったチップが多い、という人はたくさんいます。
また、チップで生活している人も多いのです。どんなサービスをしてももらう金額は同じ、という国と違って、
チップをもらえるかどうかは、彼らの生活に直接影響してくるようです。

さて、クラブハウス・デュー。これがメジャーだと、たとえばカージナルスの場合は、
シーズンの終わりにまとめて支払う形になります。DUEもマイナーよりずっと高めです。

ちなみに僕は、メジャーでクラブハウスデューを支払ったことがまだ一度もありません。
いつもちょっとしかいないので。もちろん、心づけとしてのチップは、必ず置いてきます。

それにしても、「クラブハウスデュー?いいよいいよ」と遠慮されてしまうのは・・・寂しいものです。


ニューメキシコ州アルバカーキにて 田口壮


2003年8月6日

3週間に一回オフがあるかどうか、という毎日で、今日は久々の休日です。
残念ながら移動日だったので、早朝起きでアルバカーキから、ダラス経由でオマハにやってきました。
ついこの間来た気がするオマハ。再び「ムラサキの照明ホテル」に滞在です。

たとえ移動日でも、オフの日は、みんなどことなく嬉しそうで、これは日米どちらも同じ。
移動ゲームの時とは、顔の明るさがまるで違います。
選手の何人かはこの遠征にゴルフクラブを持参していて、
オマハに着くなりレンタカーを借りると、ゴルフ場にすっ飛んで行きました。

僕は、以前オマハでプレーしていたナナリーの案内で、有名な「オマハステーキ」ではなく、
なぜか「日本風焼肉屋」へ。メンフィスから合流したヨメと3人で、久しぶりにゆったりした時間を過ごしました。

蒸し暑い連戦の日々の中で、体力の回復はもっとも大切なことでしょうが、
家族と一緒に精神的にホッとできることは、僕にとって何よりものリフレッシュです。

ネブラスカ州オマハにて 田口壮


2003年8月7日

6の3(タイムリー2本)、2打点

これまではオマハに来ても、ホテルと球場の往復でしたが、今回はレンタカーを借りて、
午前中や試合後にうろうろしています。メンフィスを基準に考えてはいけないのでしょうが、
夜中でも、ちょっとそこまで水を買いに行ける治安の良さは魅力。
レストランも各国料理があちこちに充実していて、羨ましい限りです。

それにしても、アルバカーキで甘やかされた僕達は、
オマハの球場メシの内容に耐えられませんでした。
贅沢を言ってはいけないと分かっていても、タコスがたった1種類、
無造作にだーっと置かれているだけ。野菜もなし。これではなんだか悲しくなってしまいます。
そのせいか、今夜はたくさんの選手が真夜中の町に「真の夕飯」を求めて飛び出して行きました。

脂肪過多の食事に飽き飽きしている僕は、ヨメと2人で近所のチャイニーズ・バフェへ。
夜も11時過ぎ、すでに店じまいしていたというのに、
親切にもTO GO(持ち帰り)をさせてくれました。

醤油味系のものを口にすると、なんだか身体がほっとします。


ネブラスカ州オマハにて 田口壮 


2003年8月8日

4の2、1四球、1盗塁

オマハ・ロイヤルズのフランチャイズ・ローゼンブラットスタジアムは、日本でいう
ところの「高校野球児にとっての甲子園」。カレッジ・ワールドシリーズが行われる、
全米の大学野球選手の憧れの場所なのです。そのためか、外野にもシートがきっちり
あります。他の球場は、「外野が芝生」というところがほとんどですが・・・。

今夜はネクストバッターズサークルのそばで、学生風のロイヤルズ・ファンの一団が、
レッドバーズを野次り続けていました。僕はもっぱら無視をしていましたが、
キャッチャーのトレアルバは、よほど腹に据えかねたのか、「お前らいいかげんに
しろ!セキュリティーを呼ぶぞ!」と凄み、挙句の果てに、バットの先端の窪みで砂を
すくうと、ざばっとその一団にかけてしまいました。

その後、ものすごくおとなしくなった野次集団。「セキュリティー」が効いたのか、
「砂かけ」が効いたのかは定かではありません。


ネブラスカ州オマハにて 田口壮


2003年8月9日

4の2

塁に出たら、牽制の時、相手チームの1塁手に足を踏まれてしまいました。
大きな男でかなり痛い。
彼は謝りついでに「俺、去年ダイエーでやってたんだよ」と自己紹介してきました。
バークハート選手です。
僕はすでにこちらにいたので、名前をちらっと聞いたことがある程度でしたが、
彼はよほど日本が好きだったようで、「松中選手には、とても世話になったんだ!」と、
連れて行ってもらった焼肉の素晴らしかったことなどを、延々と語り続けたのでした。

それにしても、あの巨漢です。松っちゃん、大変やったやろうなあ・・・。

ネブラスカ州オマハにて 田口壮


2003年8月10日

4の1、1四球、1盗塁

デーゲーム終了後、ヨメと1時間だけ動物園を散歩しました。
スタジアムのすぐ隣にあって、去年は試合後、タダ券をもらってチームメートと出かけた思い出があります。
全米でも1、2位の人気を誇る、という評判に違わず、
作りの細かさや、見せ場の工夫が楽しく面白く、ヨメはすっかり子供に帰ってしまいました。

たとえば「砂漠」をテーマにしたドーム型の建物は、
砂漠に生息する動物以外にも、ジャングル状の入り組んだ散歩道を作ってあり、
上から下から生えているツタなどをよけつつ、探検気分で進んでいくことができます。
色鮮やかな鳥が頭上を飛び回り、手の届きどうなところにさまざまな動物が、ごく自然な形で「住んで」います。
「囲ってある」のではなく、あるがままの感じでうろうろしているので、見ていて本当に楽しいのです。

明日は朝4時出発でメンフィスに帰り、そのままナイトゲーム。
いいリフレッシュになった今回の遠征の状態を持続できるようにしたいものです。


ネブラスカ州オマハにて 田口壮


2003年8月11日

3の3、2四球、2打点

試合前、見上げるようなアフリカ系アメリカ人の大男に「おい!」と呼び止められました。いったいこの人は誰・・・?じっくり観察して、やっとちょっと太っ たブーマーだということに気がつきました。「久しぶりだなあ!たまたまメンフィスに来てたんで、誰か知ってる人いないかなあと思って来たんだけど、会えて よかったよ!」相変わらずでかいし太い。頭頂部も相変わらずでした。

ブーマーは、僕のオリックス入団時にダイエーに移籍したため、同じチームになったことはありませんが、対戦もして、引退後もよく球場で声をかけてくれたも のです。「あの選手は日本で三冠王を取ってるんやでー」と、ナナリーやセルビーに説明したので、彼らは尊敬の表情でブーマーを見つめていました。

でも、知らないそうです。


テネシー州メンフィスにて 田口壮



2003年8月12日

4の2

木田さんが所属する「LAS VEGAS 51s」がメンフィスにやってきました。久しぶりに一緒に食事をして、いかに中西部のチームと、西のほうのチー ムが違うか、本当に驚かされました。ラスベガスでの木田さんの生活ぶりは、まさに日本にいるようなもの。メジャーにも何人か、3Aにも、日本語を話せる人 がいて、食事ひとつとっても、中西部とは違いすぎます。

日本人には厳しい環境の中西部。特にメンフィスはセントルイスとも違い、異国度はかなり高いです。その中でやるからこその意味がある、だからこそアメリカ を知ることができる、と僕は信じていますが、一方で木田さんの行く「居酒屋」などの話は、よだれが出そうなほど羨ましいのでした。


ところで、2Aの時から一緒にやっているディー・ヘインズが、今日簡単な手術を受けました。トレーナー室で、外科のお医者さんから、自打球で腫れた足の血 抜きをしてもらったのです。火山の噴火のように血が出た・・・らしいです。自打球を当てて腫れあがった場所に、さらに自打球を当ててしまい、このところの 彼の足は、まるでボールをひとつくっつけたかのようになっていたのです。日本ならすぐに血抜きをするか、さもなくば押さえつけてうっ血した部分を少しでも 散らそうとするのですが、こちらはそんな事はしません。結果として手術を受けるほどのことになってしまいました。怪我の治療法1つとっても、アメリカと日 本ではかなりの違いがあります。


さて、ここまで書いたところで、木田さんから電話がかかってきました。さっき話したばっかりなのに、なんかいな、と思ったら、なんとこの時間(現在午前1時)に、ドジャースへの昇格が決まったそうです。明日、木田さんはマイアミに旅立ちます。

私を置き去りにして・・・・・・・・・。

テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年8月13日

4の1

普段なら朝から蒸し暑いメンフィスも、このところ涼しく爽やかです。
夜には秋の虫も鳴いて、早くも夏の終わりを感じさせます。ナイターをやるには、一番いい季節です。

今夜の試合で僕は、野球人生で初めて、監督に物申してしまいました。
1塁ランナーだった回に、後続のヒットは、そのまま走れば余裕のホームイン。
ところが3塁ベースコーチをしていた監督の指示が遅く、おかげで途中で止まらざるを得ず、結局ホームでタッチアウトです。
僕は何も考えずその場で「指示が遅いじゃないですか!おかげで躊躇しちゃいましたよ!と監督に「物申した」のでした。
「すまん・・・俺が悪かった・・・」と監督。よりによって僕に言われたことで、ちょっとショックを受けていたようです。

上の人の言うことには、ハイと素直に従うのが日本流。
監督の指示は、たとえそれが間違っていても、異議を唱えるのは非常に難しいものです。
でも、日本流の素直さは、この国では時として通用しません。
「ただの意見のない奴」で片付けられてしまうことがあまりにも多いからです。

僕自身、自分のしたことに驚きました。でも、言わなくてはいけないことは、言う。
それは、今まで僕が「したくてもできなかった」ことでした。

「ソウはいつもニコニコしてるな!絶対怒らないよな!」と、今まで監督からさんざんからかわれてきました。
今夜はその考え方をちょっとだけ、変えてくれたかもしれません。

テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年8月14日

4タコ。なんだかすごく久しぶりだと思ったら、ここまで11試合連続安打だったそうです。
知らなかった・・・。まあ、いつかは必ず途切れるもの。また始まるようにするだけです。

昨夜から謎の歯痛に悩まされ、ろくに眠れませんでした。
奥歯がとにかく痛い。虫歯なのか、いわゆる「けんびき」といわれる、肩こりからくる痛みなのか、
さっぱり見当がつきません。冷やしてもダメ。
それなら、と試合前、ヤケクソでコーヒーを飲んだら、
そのままトホホホ・・・・しばらく立ち直れないほど痛くなってしまいました。
明日は朝4時出発でコロラドスプリングスに遠征というのに、
今夜、果たして眠ることができるのか?非常に不安です。

ところで、今日の午前中、薬局に痛み止めを買いに行きました。
その時前を走っていた車が、危なくて仕方ない。
運転席の男性が、助手席の人と話をするのに、いちいち顔を見ているのです。
つまり、わき見の連続。彼に限ったことではなく、なぜアメリカ人は運転していても、
誰かと話すときはいちいち相手の顔を見つめるのでしょうか?
以前ケビン・オーミーは、運転しながら後ろに座っている僕を振り返りつつ話していました。
「人の目を見て話しなさい」という親の言いつけを忠実に守るのは偉いと思いますが、運転中はやめてくれ。
すべてのアメリカ人にお願いです。


テネシー州メンフィスにて 田口壮


2003年8月15日

4の1

午前3時起床。睡眠時間は1時間半。ベッドの上で「なんでこんなにキツい移動
なんやああ!」とつぶやいて、しばらくボーゼンとしてしまいました。またまた
得意のダラス経由で、今日からコロラドスプリングスです。相変わらず歯は痛いし
(依然、原因は不明)眠いし、爽やかさのかけらもない状態でコロラド入り。
そんな時でも、空港からホテルに向かうまでの、ロッキー山脈を背にしたなんとも
いえない雄大な光景は、やっぱり感動的です。

時間を逆行してきたので、眠さ爆発。とりあえず今日は痛い歯をおさえつつ、
無理やり寝ます。おやすみなさい!


2003年8月16日

フィラデルフィアからこんばんは。

昨夜夜中に、レッドバーズのシェファー監督から電話で昇格を告げられました。
それから準備に取り掛かり、結局寝不足を解消するどころか、朝5時に起きると、
デンバー経由で東海岸まで一気に移動しました。着いたらもう夕方です。本日の
出場はありません。

実はオマハについで、ヨメをコロラドスプリングスの遠征に呼び寄せたばかり。
シーズンもあとわずかだし、できるだけいろいろな経験を分かち合いたい、と
思ってのことでしたが、まさかこんな展開になるとは。彼女は夜コロラドに到着して、
数時間後にはメンフィスに帰るチケットの手配に追われるハメに。「嬉しいこと
なんだから、いいじゃない!」と言ってはくれたものの、大きなおなかと荷物を
抱えてやっと来てくれたのに、すぐに逆戻り、ちょっとかわいそうでした。しかし、
だからといって「せめてあと一日、2人ともメンフィスにいるときにお呼びが
かかったら、体力的に楽だったのに」などという話は、我が家では絶対に出ません。
むしろ、この間の悪さが、いかにも「らしく」て、笑ってしまいました。

久しぶりに会ったチームメートたちは、喜んで復帰を祝ってくれました。「また
すぐに会えると思うから」と前回言った割に、ものすごく長いこと会わなかった
ラルーサ監督は、「お帰り!よく帰って来たね!」と迎えてくれました。
カージナルスは明日のナイトゲーム終了後、チャーター機で真夜中、セントルイスに
戻ります。メンフィスの住処を引き払い、明日車でセントルイスに帰るヨメが、
迎えに来てくれます。

僕達はミシシッピ川沿いを散歩しながら、上流にあるセントルイスに思いを馳せて、
「早くこの川を上がって行きたいね」と、産卵期のサケのような話をよくしていた
のですが、実際は「さらばメンフィス」という余韻も感傷もなく、事態は突然起こり
ます。誰も予測することのできないこの突然性は、アメリカ野球の怖さであり、
だからこそ、二度と帰らない「今日この日」を大切にしなくては、という気持ちにも
なるのかもしれません。

ところで、数日悩まされつづけてきた歯痛は、今日ぴたっと止まりました。

ペンシルバニア州フィラデルフィアにて 田口壮


2003年8月17日

代打で三振。

フィラデルフィアからチャーター便でセントルイスに帰ってきました。現在午前3時です。

それにしてもこの3日間で、よく移動しました。メンフィスからダラス経由でコロラドスプリングス。コロラドスプリングスからデンバー経由でフィラデルフィア。フィラデルフィアからセントルイス、これは直通。アメリカ大陸を右往左往している気分です。

さて、これから少し寝て、明日のオフは歯医者です。痛みは治まったものの、まだちょっと不快な感じ。しっかり診てもらって、火曜日からのホームゲームに備えようと思います。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮


2003年8月18日

灼熱地獄のような一夜を過ごし、今日は楽しいオフでした。

フィラデルフィアから戻ってきて、一歩久しぶりのセントルイスの我が家に足を踏み入れたとたん、「なんじゃこりゃー!」

室温が40度近くあるのです。昨夜のセントルイスは熱帯夜。しかもうちはアパートの上のほうなので、熱気が集まりやすい。そして・・・エアコンが故障して いました。普段から夫婦揃ってエアコン嫌い。でも、クーラーをつけないととても普通に過ごせる気温ではありません。夜、窓を開けっ放しにするのも怖い し・・・。ジレンマの末、目で見える範囲の窓だけ開けて、サウナの中で寝転んでいるような気分で眠りにつきました。

翌朝、すぐにメンテに入ってもらったのですが、なんと故障の原因は、以前から天井を走り回っていたリスの一族。子供を生んで、その数が20数匹に膨れ上がり、ついでにエアコンのケーブルを噛み千切っていたそうです。

午後はヨメの定期健診にいつも通り一緒に行って、続いてついに歯医者に行きました。この場をお借りして、僕の歯痛に関してメールでご指示くださった、何人 かの歯医者さんに御礼申し上げます。結果は虫歯などではなく、「歯を強く食いしばりすぎで奥歯に負担がかかっている」だったようで、現在様子を見ていま す。打つときにどうしても「ふーんっ」と食いしばってしまうので、職業病?のようなものですが・・・これまでの負担がなぜか一気に出てきたようです。他の 皆さんにも、ご心配おかけして申しわけありませんでした。

ところで、ヨメの病院について行った時、そこの黒人の看護婦さんが「一緒に写真を撮って!」と言ってきました。「いいですよ〜」と隣に並んだら、同僚に向かって、「見て見て!私たち色が一緒!」・・・。

俺は黄色人だ!


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮


2003年8月19日

代打で1の1、2打点。

当たりはあまりよくありませんでしたが、すかっとしました。

久しぶりに帰ってきたブッシュスタジアム。今回はいつもより他の選手と会話する量が多いです。
日本語の会話でも、普段はどちらかといえば聞き役なので、英語なら、もっと静かになってしまうのですが、
積極的に話しかけることを、今は楽しんでいます。もっとも、今回のロッカーは、レンテリアとビーニャの間。
スペイン語の嵐にもまれまくり、スペイン語を話せと強要されています。つらい。

今日は試合前に、地元のテレビ局の取材を受けました。日本のプロ野球について語り、
最後に「トニー・ラルーサにひとことお願いします」ディレクターたちはもう、面白がっているのです。
「ソウ、もっと俺を試合に出せ!ってカメラに向かって言ってくれよ!」と内容までリクエスト。
「日本語で言ってもいいからさ」 ・・・それなら、と、「俺を出せ!」と思いっきり叫んでしまいました。

オンエアされたかどうかは定かではありません。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮


2003年8月20日

途中守備から出て、1−0。

ライトの守備は苦になりませんが、打ち損なってむちゃくちゃ悔しい。

練習のストレッチは、通常コーチの掛け声にあわせて行います。
でも、選手たちはどちらかというと、最初から自分のペースで、自分の好きなストレッチをしたい、というのが本音。
キャッチャーのマッシー二が、「ソウ、STRETCH ON YOUR OWNって、日本語で何て言うの?」と突然聞いてきました。
こういう時、頭ではわかっていても、なぜか日本語が最近出てこないのです。「え・・・」と言葉に詰まる僕。
「ストレッチは・・・自分で・・・かな・・・」(いや違う、なんか他の言い方があったはずやのに、日本語の単語が出てこない!)

このところ、「普段の会話がすべて英語だと、かえって日本語がわけわからなくなる」という、貴重な体験をしています。
それは、英語の壁を一段階越えた証だと、慰めてくれる人もいるのですが、不思議で不気味な気分です。

結局マシーニは、「ストレッチは自分で!」と僕が教えたとおり、日本語でコーチに叫んだのですが、当然のように無視されて、
ストレッチは全体でいつもどおり行われました。僕は「通じるわけないやろー」と思いつつ、やっと「各自」という言葉を思い出したのでした。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮


2003年8月21日

途中守備(ライト)から出て、1−1。サヨナラのホームを踏みました。

3−3の同点でむかえた9回表、相手の1、3塁のチャンスをなんとか逃れ、
ほっとしたばかり。
「おっしゃー、これでうちに流れが傾くやろー!」と思いつつ、
9回裏の先頭バッターで打席にむかいました。
いいところでいいヒットが打てて、よかったです。

今日はキャッチャーのマイク・マッシーニの家で、ランチをご馳走になりました。
「遊びにおいで」と言われたものの、球場とは逆方向で、しかもやけに遠い。
書いてもらったディレクションに沿って車を走らせましたが、
どんどん山の中に入っていくような感覚です。
・・・と思ったら、その「山」に思えた部分も、すでに彼の家の一部だったのでした。
約1万3000坪の敷地に、大きな人工の池がどーんとあって、でかいプールがあって、
まるで球場にあるようなバッティングケージまで室内に完備され、いったいどんな家やねん、
と呆れてしまうほど、大変すばらしいお宅でした。

帰り際、出口がわからず家の中で迷子になってしまいました。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮


2003年8月22日

途中守備(レフト)から行って、1−0。

今日は初乱闘になりかけました。うちのピッチャーが2球続けて胸元に投げてしまったのです。1球目で警告を受け、しかし2球目、またもインハイにいってしまいました。もちろんわざとではないのですが、その瞬間、全員が一気にマウンド目指して走り始めました。

乱闘は、チームにもよるでしょうが、一応日米ともに、全員参加が義務になっています。身体のでかい選手たちの中で、際立って小さい僕。圧しかかられたら、 ひとたまりもありません。しかし、多くの選手が、僕が日本人だから、空手の達人に違いない、という思い込みがあるようです。

メンフィスにいた時も、早朝暗いうちの集合で、危険な、誰もいない街角でバスを待っている時、僕よりずっと強そうな選手たちが、「壮、いざとなったら頼むぞ・・・」と擦り寄ってきたのを覚えています。

もちろん僕は武道など一切できません。でも、アメリカ人は「アジア人がちょっと目を細めたりすると、ものすごく怖い」と言います。わざわざ僕の弱さをバラす必要もないので、にこにこと話を聞いて、そう思っておいてもらうことにしています。



ミズーリ州セントルイスにて 田口壮



2003年8月23日

代打で1の1。(レフト線2ベース)

「カージナルスケア」という、チームで行うチャリティー活動があります。今日はその一環で、「試合で着ていたユニフォームプレゼント」が行われました。試 合後、ベンチに入っている選手全員が、おもむろにユニフォームを脱いで、アンダーシャツ一枚となり、あらかじめ決まっている「当選者」(おそらくなんらか の寄付を行った人と思われる)にユニフォームをプレゼントするのです。自分のユニフォームをいきなり脱いで人に渡すのは初めてなので、我ながら不思議な感 覚でした。

僕のユニフォームをもらってくれたのは、初老のご婦人。とても喜んでくれて、ユニフォームにサインをして、そのあと一緒に写真を撮りました。

アメリカと日本の野球場の大きな違いは、「来ている人」の年齢の幅広さでしょうか。日本で「おばあちゃん」を見かけることはマレですが、アメリカでは老若 男女、年齢性別関係なく、みなひいきのチームのTシャツやキャップをつけてやってきます。それぞれのチームにはテーマカラーがありますので、たとえばカー ジナルスなら、赤。その赤を身体のどこかにまとって「レッドバーズファン」(注・メンフィスレッドバーズと混乱しそうですが、セントルイスも、カージナル スの選手のことを、レッドバーズ、赤い鳥の軍団と呼んでいます)だと表現しています。そんな人が何万人と集まるわけで、球場はおのずと真っ赤っか。それ も、日本のように、ホームのファンがライトスタンドに密集せず、まんべんなく座っているので、全体が赤いのです。

この間他の選手と話していた時に、「日本人もみんな、町を歩くときは、ひいきのチームのグッズを着たりしてるんだろ?」と聞かれました。「いや、よっぽど熱心な男性か、小学生の野球小僧くらいやで」と言うと、ものすごくびっくりされました。

アメリカでは、地元チームのロゴ入りシャツやキャップが、ごく当たり前の私服として、まかり通っています。球場に行く時の応援用ではなく、普通に生活の一部になってるんやなあ、と感心してしまうことが多いです。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮



2003年8月24日

途中守備(ライト)から入り、2打席回って1−1、1スクイズ、1打点。

まずは何より、チームの勝利に貢献できてよかったです。打つほうはともかく、最近は守りで緊張する場面が多いです。何しろ、僅差の満塁とか、そういう緊迫 した場面で必ずダブルスイッチで守備に入っていく。「信用されているからここで俺が行くんや」と思っても、そのぶん「絶対失敗は許されない」という気持ち になります。

12年間、野手をプロでやっていますが、終盤の僅差のゲームは何年経っても緊張するものです。これまでの知識と経験のおかげで、あらゆる想定をして備える ことができるのはありがたいのですが・・・。頭の中で「こうなったらこう」「ああなったらこう」と、何通りものパターンを描き、それを支えに自分を落ち着 かせています。

このところライトを守ることが多いですが、特に困ったことはありません。レフトと逆なだけで、投げる角度がちょっと違う。あと、景色が違う。でも、それさ え頭に入れておけば、大丈夫。とにかく、投手をはじめ、見ている人全員に、安心感を与える外野手でありたいと常々思っています。

明日は久々の休養日、いえ、先週も休みましたね。すっかりマイナーのスケジュールが染み付いていました。心と身体をしっかり休めて、また火曜日からの緊張感の中に入って行きます。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮



2003年8月25日

休日。家の用事を済ませたり、ヨメと近所をぶらぶら散歩したり、あと、一応歯医者も行ってきました。虫歯なし。やっぱり「奥歯を強く噛み締めすぎ」ていたから、負担がきていたようです。今は痛みからも開放されて、心も身体も充実しています。

黒人だらけのメンフィスに比べると、セントルイスはやや白人率が高くなります。町を歩いていても、アジア系の人に遭遇することが、南部とは比べ物にならないほどひんぱんです。

だからといって、相手は日本人とは限りません。ヨメはすれ違っただけで、「中国か」「台湾か」「韓国か」「日本か」だいたいの区別はつくそうです。彼女は いつも「お国のことは、その国の人に聞くのが一番!」と言い、「どこの中国系スーパーが一番いいか」「こういう韓国の食材はどこで手に入るか」などを、な るべくネイティブの人に聞きたい、と思っているので、普段ぼーっとしている割に、そういうアンテナはしっかり張り巡らしているようです。一方、僕が判別で きるのは「たぶん・・・日本人・・・」というくらい。でも、最後は二人で「まあ、俺たちみんなアジア人やもんな〜」で済ませています。所詮アメリカ人のほ とんどは、日本がどこにあるかなんてわかっていないし、やっぱりアジア人同士、なんとなく仲間意識みたいなものは、特に中西部や中南部にいると、西や東に いるより感じやすいかもしれません。

でも、納得できないことも、たまにあります。昨日の試合前、ベンチでサインをしていたのですが、ある白人女性は去り際に「謝々」と言い残しました。やっぱり区別はついてないんやなあ、と、つくづく感じた出来事でした。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮



2003年8月26日

本日出場なし。9回裏、代打ということでネクストバッターズサークルにいたのですが、前の打者のところで試合が終わりました。

今日からカブス戦。カージナルス対カブスは、伝統の一戦。ライバル心むき出しの、熱い戦いになります。ファン同士のせめぎ合いもヒートアップ。シカゴはこ こから飛行機で1時間、車なら5時間という近さなので、普段はカージナルスのファンでいっぱいになる球場に、相当数のカブスファンを見ることができます。

球場内のアトラクションやファンサービスも、そのあたりを意識したものばかり。おおよそにしてアメリカのアトラクションは、ホームチーム側が、相手チームを馬鹿にする、いじわるするという傾向があります。

電光掲示板では、毎試合、「3つ並んだ野球帽の中で、ボールがシャッフルされます。ボールは最後、どの帽子の中にあるでしょう?」というアトラクションが あるのですが、カブス戦に限っては、「カブスバージョン」というものがあります。3つ並んだ帽子の、正解のところに、ピコン、ピコン、と矢印が出るので す。「カブスファンはきっとわかってないだろうから、教えてあげるよ」という感じです。

敵地に行くと、当然僕らもいたずらをされます。先日のフィリーズ戦では、相手チームのマスコットが、わざわざ用意したカージナルスのヘルメットを、目の前 で割ってしまいました。ちょっとやりすぎ、と思ったのか、うちのサードベースコーチが仕返しに、そのマスコットの乗っていたバギーの鍵を、抜いてしまいま した。その他、みんなで氷の塊をマスコットにぶつけて応戦するなど、選手も試合以外の部分でも戦っています。

今週のカブス戦はとりあえずセントルイス。来週シカゴに遠征に行ったとき、何が起こるか楽しみです・・・。



ミズーリ州セントルイスにて 田口壮



2003年8月27日

代打で1−0。ファウルで粘った末のライト線の当たりをソーサにスライディングキャッチで捕られてしまいました。

一打席ノーヒット。この結果に対してものすごく腹が立つし、悔しい。同時に、一打席ごとに、これまで以上に集中している自分を感じます。スタメンで当たり 前のように4打席与えられていた頃、こんな思いをしたことはありません。代打でいることは、悔しい。でも、ある意味この感情を味わっている経験は、大きい と思います。これをどう生かすかが、今の僕には大切です。

試合後、監督の談話を人づてに聞きました。「今日の先発投手に対して、一番良かったのは田口」と言ってくれたそうです。

褒められるのは嬉しいこと。でも、やっぱり「あー・・・ヒットやったらなあ・・・」と何度も思い返してしまいました。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮



2003年8月28日

途中ダブルスイッチで守備から出て、サードゴロ。
気持ちが先に行き過ぎて、身体が着いて行きませんでした。
いわゆる「空回り」。トホホ、です。

試合終了後にチャーター機で、レッズとの3連戦のためシンシナティーにやってきました。
マイナーの「早朝移動・経由だらけ・当日ナイトゲーム」に比べたら、
体力的には格段の楽さです。楽なはずです。
でも、なぜか上にいるほうが、数倍疲れます。
集中しすぎるくらいしているからでしょうか?この緊張感が、たまらなくいいのですが・・・。

明日から気持ちが勝手に幽体離脱しないよう、気をつけます。


オハイオ州シンシナティーにて 田口壮


2003年8月29日

3の1

ものすごく久しぶりのスタメンです。このところすっかり「必殺代打人」と化していたので、
一発勝負の集中力を毎度毎度繰り返し、へとへとになりました。でもまあ、「いいヒット
だったな!」と監督に声を掛けてもらって、ほっとしました。

マイナーからメジャーへ。上がってきても、いいところの代打は全部他の選手。使われる側は、
監督の使う順番で、信用度がおのずとわかってしまうものです。その順番が、少しずつ
変わってきていました。いいところで声を掛けてもらえることが、増えてきました。
そしてやっと、「スタメン」です。一度は2Aまで落ちた。3Aでも何日も出番のもらえない日が
ありました。それを考えれば、こうやってちょっとでも、上がっていけることは、本当に
嬉しいことなのです。

今日から数日、シンシナティーはサンダーストームの予報です。今日も試合前、ずっと
雷が鳴り響き、大雨が降っていました。天気が悪くてしっかり町を観察することが
できませんが、メジャーの遠征で訪れる都市は、どこも都会で綺麗な感じがします。
これまで「めったに日本人が行かないところ」ばっかり、好むと好まざるとにかかわらず、
旅していたからでしょうか?


オハイオ州シンシナティーにて 田口壮 


2003年8月30日

代打から守備につきました。2−1(ライト線2ベース)

試合後、日本の新聞社の取材を受けていた時のこと。

質問されるたび、「ハイ」「ハイ」と答えていた僕を、横からチームメイトが二人、
ものすごく不思議そうな顔で見つめていました。あまりに見ているので、どうしたの?
という感じで目線をそちらにやると、彼らは、「お前はさっきから何回挨拶するんだ?」
と聞いてきました。「ハイ」と答えていたのを、「Hi」(気軽な感じの挨拶)だとずっと
思っていたらしいのです。「日本語のハイ、は、Yesとか、That's rightとか、
Uh-huh(うん)とか、肯定的なあいづちの意味なんや」と説明すると、「そ〜なのかあ〜!」
と妙に感心し、納得してくれました。

ほとんどの選手にとっては、生まれて初めて見聞きする日本語。もっとも、日本語慣れ
しているペレス(もと阪神)などは、僕と話す時はちゃんと「ハイ」と返事してくれます。


オハイオ州シンシナティーにて 田口壮


2003年8月31日

スタメンで2タコ。

右投手のところできっちり代えられました。打てなくてくやしい。

試合後シカゴに移動しました。街がでかい、でかすぎる。どこに行っていいかわからず、
上京してきた田舎者状態になりました。おまけに明日は祭日ということで、どこも混みあい、
あやうく夕食難民になりかけました。結局ステーキを食べたのですが、やっぱり僕は
ステーキハウス○○○が好きです。


イリノイ州シカゴにて 田口壮


2003年9月1日

代打で出て、空振り三振。そのままセンターの守備につきました。

一言。「あのピッチャーに一打席ではキビシイ」

これまでプロで12年やってきたなかでも、一番いきのいいピッチャーでした。ちなみに8回まで投げた先発の彼は、その8回、僕の打席に98マイル (157km)を投げ込んできました。ファウルでねばったことを監督は「Good Swing!」と誉めてくれましたが、僕は納得できません。デーゲームのはずだった試合も、シカゴ名物の強い風とあいにくの雨でなんと4時間遅れ。帰って きたときはナイターの気分でした。チームも完敗。7対0。がっくりというより、ぐったりの今夜です。明日はダブルヘッダー。メシ食って寝ます。


イリノイ州シカゴにて 田口壮


2003年9月2日

2試合で3の1。3塁打1本。

昼12時から始まった1試合目は延長15回でサヨナラ負け。
バントは失敗するわ、チャンスで打てないわで2タコ。結局、5時間ぐらい
試合をしたあと、2時間休んで2試合目を2対0で勝った時には夜10時前でした。
僕はとりあえず3塁打を1本打ったので気は少し晴れましたが、フル出場した
スコット・ローレン、エドガー・レンテリアは延べ8時間野球をやって、しかもヒットなし。
かなり疲れたと思います。どんな状況でもヒットが1本出るのと出ないとでは疲れ具合が
全然違うものです。帰りのバスの中で労をねぎらいあっていました。
「7タコ、8タコ、でも9月2日は終わった。よかった・・・。」と。


イリノイ州シカゴにて 田口壮


2003年9月4日

3の1

試合後、セントルイスに戻ってきました。明日からレッズをむかえてのホーム3連戦です。

ところで今日もカブスファンの話題。外野にいると、ものすごい勢いでやじってくるのですが、僕からすると、それが面白くてたまりません。

ずっと中指を立てて、見せつける人・・・
意味は知っていても、日本人なので、気にならん。
「昨夜マツイに電話したら、お前のこと嫌いだって言ってたぞ」
・・・どうやって電話番号調べたんや。
「コンニチハー!アリガトー!」
・・・それは野次ちゃうぞ。
「ワッサビー!」
・・・ありったけの知っている日本語を浴びせかけとんな。

結構、楽しかったです。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮


2003年9月5日

途中から出て2−0、1捕殺

先日インターネットで新聞記事を読んでいたところ、「松井、1盗塁も2タコ」
という見出しを見かけました。1盗塁。書くと簡単ですが、するのは大変です。
毎日必ず打つのを期待されている松井選手とはいえ、かなり気の毒な感じがしま
した。「しょせん盗塁したところで、2タコじゃなあ・・・」という感じです。
ええやないか!盗塁したんやから、褒めたれや!ついパソコンに向かってつぶや
いてしまいました。

これが、「松井、2タコも1盗塁」だと、ぜんぜん違う。「打つほうは残念やっ
たけど、盗塁したんや!」と、わくわく嬉しくなります。

僕らはプロですから、結果を求められて当たり前です。でも、1ゲームで何かひ
とつでも、たとえ記録に残らなくても、試合に貢献できるプレーをしようと必死
になっています。数字の結果ももちろんですが、ぜひそのあたりにも注目してほ
しい、と願わずにはいられません。

明日、僕の結果は「田口、1捕殺も2タコ」でしょうか。「田口、2タコも1捕
殺」でしょうか。それとも、捕殺のホの字も出てこないで、単なる「2タコ」で
しょうか。

・・・と書いたところで、すでにインターネットには速報が。
「田口2打数無安打」(しかも捕殺のことには触れず)

とーほーほー。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮


2003年9月6日

5の1、1打点(レフト前タイムリー)

4打席目のサードへの当たりが、今、明日の「結果」を待っています。どう考えてもサード強襲のヒット。でも、記録は相手のエラーでした。今日一番の当たりですから、僕はもちろん納得できないし、ベンチに帰ってからも、チームメイトが口々に、
「あれはヒットだ!記録員に抗議するべきだ!」とかばってくれました。打撃コーチのミッチェル・ペイジなどは、打った瞬間「ヒット」と思ったので、結果は見ていなかったというくらいの当たり。エラーがついてびっくりしていました。

結局カージナルスから記録員に、試合後正式な抗議と変更の要求が提出されました。これから24時間のうちに、やはり「あれは相手のエラー」で終わるのか、それとも「ヒットでした」と訂正されるかが決まります。

試合後「マッド・ハンガリアン」と異名をとる、地元放送局の人気解説者(もとカージナルスなどのリリーフエース)と
食事をしたのですが、「チームメイトがあれだけ必死に記録を変えようとしてくれているのは、お前のことが好きな証拠だ」と言ってくれました。

判定がひっくり返るかどうかはわかりません。「5の1」と「5の2」では、確かに大きな違いです。でも、周りが僕以上に記録員に働きかけてくれた姿は、ありがたく、ヒット一本以上に嬉しい出来事だったかもしれません。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮


2003年9月7日

代走から出てセンターの守備へ。1打席回ってきましたが、セカンドゴロでした。結果についてはバットが振れているので気にしません。ちなみに、昨日の記録訂正は、結局ひっくり返りませんでした。残念ですが、その分、どこかでいいこともきっとあるでしょう。

ところで危うく「扇風機破壊」の犯人にされかけました。

僕のバットはなぜか他の選手に好評で、よく「くれと頼まれたり」「いつの間にか持ち去られていたり」するのですが、皆、それでいい結果を出しています。ミゲル・カイロ選手もその一人。これまで僕のバットでホームランを打つなど、お気に入りだったようです。

ところが、昨日の試合、彼はヒットが出ず、挙句の果てに、そのバットでバントを失敗。憤然とベンチ裏に引っ込むと、そこにあった扇風機を「僕の」バットで 散々殴りつけたのです。そして、「もうこんなモノはいらん!」という意思表示のように、バットをそこに置き去ったのでした。

翌日、他の選手たちが壊れた扇風機を発見し、「ついにソウが切れた・・・」とびびったようです。普段穏やかそうな人が切れると、必要以上に怖い、というア レです。「ソウ・・・やっちゃったんだな・・・」とこわごわ話しかけてきました。「違う!俺じゃない!ミギーが、俺のバットで腹いせをしたんや」

誤解は解けました。しかし、ミゲルにもちゃんと言わねばなりません。さっそく今日の試合前、「ミゲル、お願いやから、俺のバットで物を壊して、そのまま置いていくのはやめてくれ」と話したところ、ミゲルは神妙な顔をして一言。
「・・・ソウ、あのバット、硬いよなあ。あれだけ殴っても、傷にならなかったよ」


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮



2003年9月8日

オフ。ゆっくり過ごして、夜は選手主催のパーティーに参加しました。選手の
奥さんたちがチャリティーの収益金のためにファッションショーを催した、その
2次会のようなもので、選手、球団関係者中心の、気楽なパーティーでした。

日本では球団行事その他、出かけるときはほぼ間違いなく一人(僕だけ)ですが、
アメリカはどんな時でも妻同伴が当たり前。むしろ連れて行かないとヘンな顔を
されます。独身の選手は婚約者や彼女を連れてやってきます。とにかく、男女ペア、
それが基本です。

うちは二人とも人ごみやパーティーのような場所が苦手。うちにいてジャージでごろ
ごろしているのが一番好きです。でも、こういった集まりに積極的に参加するのも、
コミュニケーションを図るためにはとても大切です。アメリカに来てからというもの、
それを痛感しています。

思えば去年、2Aにいた頃、僕たち夫婦を除くほぼ全員の選手は、試合後町の小さな
バーで騒いだり、休日ごとにバーベキューをして、何かと集まっていました。最初は
遠慮と疲れもあり、また、外出嫌いも手伝って、「今日はやめとく」「今日もごめん」
で誘いを断ってばかりいました。

でも、ある日「これじゃいけない」と一念発起。たった5分でもいいから顔を出して、ビール
を飲んで帰ろう、ということになりました。別に疎外感を感じていたわけではないのですが、
チームというのは、野球以外のつながりも、時として必要だと思ったのです。

結果、普段グランドではできない話をし、笑い、強い結束感のようなものを得ることができ
ました。球場での雰囲気もおのずと変わってきました。人付き合いの強制はしないし、来る
ものは喜んで受け入れ、去るものは追わない、それがアメリカ人のスタイルです。特に
日本人である僕は、最初から少し「離れている」存在。だからこそ、自分からどんどん中に
入っていかなければ、いつまでたっても輪の外にしかいられないのだと、つくづく思います。

日本にいるとき「付き合いの悪い男」だった僕を知っている人は、この変わりようにびっくり
するかもしれません。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮


2003年9月9日

代打から出て、そのまま守備に入りました。2タコ。むちゃくちゃ悔しい。

9月に入って40人枠の拡大に伴い、下から上がってきたピッチャーがいっぱいです。対戦するたび、初対面のような状態。データ整理が追いつきません。今日も試合前の1時間半、ビデオに釘付けでした。

今日はやられてしまいましたが、次に顔を合わせる時は、絶対やり返す。復讐を誓う私です。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮



2003年9月10日

代打から出て四球。そのまま9回表の守りにつきました。

今日の勝ちはカージナルスにとって、優勝戦線に残るための大切な一勝。そして、トニー・ラルーサ監督にとっては、メジャー監督史上8人目という「2000 勝」の、記念すべき夜となりました。9回表、センターの守りについたとき、なんとなく「ああ、最後は俺のところに飛んでくるな」という予感がありました。 僕のこういう勘は、結構当たるのです。1996年の、オリックス日本一の直前も、レフトで同じことを感じていました。

案の定、センターライナーでゲームセット。こういった歴史的な瞬間にフィールドにいられたのは、しかも(偶然とはいえ)最後の飛球を捕ったのは、非常に光栄で嬉しいことです。

クラブハウスに戻ってきた監督を待ち受けていたのは、缶ビールの「ビールかけ」でした。みんなで缶をシェイクして派手に2000勝を祝いました。

その後、たまたま練習ボールに、トニーのサインをもらいました。「どこに書こうか?どこに書こうか?」といつもクールで感情をあまり表に出さない監督にし ては珍しく嬉しそう。日付とサインのほかに、「2000!」と書かれた文字の「!」が、今日の喜びをすべて表しているようでした。

以前、監督は、「お前は俺のキャリアの中で、唯一無二の日本人選手だ」と言って、僕のサインをもらってくれたことがあります。1979年に初めてシカゴホ ワイトソックスの監督となってから、オークランドに移り、その後カージナルスへ。監督暦24年目、2000勝の歴史の中で、どれだけ多くの選手がトニーの もとでやってきたかは数えられません。でも、僕が間違いなく唯一の日本人である、それだけは確かです。

なんだかちょっと、得した気分です。



ミズーリ州セントルイスにて 田口壮



2003年9月11日

先発で3タコ。

試合後ヒューストンに移動してきました。明日からアストロズとの3連戦。優勝戦線に残れるかどうかが決まります。

チームも、自分も、ここからが踏ん張りどころです。


テキサス州ヒューストンにて 田口壮


2003年9月12日

途中守備から入って2の1、2打点(ホームラン)

チームはボロ負けで、めでたさも、中くらいなり・・・でもやっぱり嬉しいメジャー初ホームランです。目下のライバル、アストロズの本拠地・ミニッツメイド パークですから、「敵の打ったホームランボールなんかいらん!」というファンがほとんど。キャッチャーのマッシーニが打ったホームランボールは、すぐさま グラウンドに投げ返されたのでした。

ところが、僕のホームランボールは、返ってきません。もしかして、カージナルスファンがゲットしたのか?いずれにしても、できたら手許に置いておきたい ホームランボールです。そんな僕の気持ちを見透かしたように、なんとジム・エドモンズが、警備員に申し出て、ボールをもらってきてくれたのです。たぶん、 自分のサインボールと引き換えに・・・。

彼はいつも、こんな風に優しいのです。感謝の気持ちでいっぱいになりながら、そのボールをもらいました。

さらに、今日は「初物」づくし。なんとセカンドの守備に入りました。メジャー史上、「日本人が初めて内野を守った出来事」だそうです。定かではありません が、本当なら光栄です。練習もしていないというのに、当然のように「ソウ!セカンド」と言われました。ほんまかい!?実に久しぶりの、内野です。

ところが困ったことに、僕は現在、試合用の内野グラブを持っていないのです。仕方なく、ミゲル・カイロに某社のグラブを借りて、守備に就きました。緊急事 態とはいえ、契約をしているミズノさんを裏切ったようで、申し訳ない。この場をお借りして、お詫び申し上げます。今後このようなことがあるかどうかわかり ませんが、やっぱりひとつは持っておくべきなのでしょうか?

あとでミズノに電話しなくては。

テキサス州ヒューストンにて 田口壮


2003年9月13日

出場機会なし。チームは2−0で完封負け。
キャッチャーのマッシーニ、そしてダンカン・ピッチングコーチが相次いで退場させられるなど、
後味の悪い試合になってしまいました。

こういう大事な試合では、審判のジャッジひとつひとつが明暗を分けます。
今日は何度も主審に泣かされました。明らかにおかしなストライクゾーン。ボークも取らない。
ピッチャーに「球を取り替えるから」と自分で振っておいて、投げ返された球を無視。
送りバントのシーンでは、バッターの後ろで延々話し続けるなど、なんだかちょっと解せないことが次々と起こりました。異様なことです。

「あんな試合は(審判は)初めてだ!」と、チームは怒ると同時に、狼狽してしまいました。
どうしていいか、もうああなるとまったくわかりません。審判だって人間ですから、抗議されればされるほど、
こちらに対してイヤな気分にもなるのでしょうが・・・あまりにもカージナルスに対して敵意を感じさせる態度に、僕たちは試合後の今も、激怒しています。

基本的に、審判は「絶対」です。僕らは選手として、ストライク・ボール、アウト・セーフへ文句を言うことはできません。
でも、審判としての行動、振る舞い、それはやはり両チームに対して平等であるべきと思っています。
それができない審判に対しては、判定にまでも不信感を持ってしまいがちです。

今日の試合とは関係ありませんが、審判といえば、アメリカで感じるのは、残念ながら「人種の壁」です。
特にマイナーにいた頃、あからさまに嫌悪感をむき出しにされたり、
「どうやったらそんな判定ができるのか」と呆れるほどに、不利なジャッジをされたことが何度もありました。
抗議をしても、損をするのはこちらです。かといって、相手の機嫌を取るのも腹が立つ。
ぐっとこらえて、「イジメの洗礼期間」が終わるのをじっと待つだけです。

優勝に向けて、絶対に落とせない2戦をすでに相手に渡してしまいました。明日取らないと、本当に苦しいのです。

明日はデーゲーム。審判団は同じで、主審は代わります。

テキサス州ヒューストンにて 田口壮


2003年9月14日

出番なし。「出番のある展開」になりません。これでアストロズに3連敗。本当に苦しいです。
試合後すぐに、セントルイスに帰ってきました。明日からまた出直しです。

今回の遠征には、選手やコーチの家族がたくさん帯同していました。そのため、帰りのチャーター機は満員状態。
普段は3人がけの席に2人でゆっくり座れるのですが、そうもいきません。

不文律とはいえ、メジャー経験の長い人が優先して席についていきます。
3人がけの席は、まず彼らで埋まっていきます。僕はいつも遠慮があってあとから乗るのですが、
今日はぎっしりの席を見て、いったいどこに座ったものかと途方にくれてしまいました。
こういう時、気配りの人、マット・モリスが必ず登場します。
「ソウ、ジェフ(ファセーロ)の隣に座ったらいいのに・・・」
3人がけの席の、窓側に一人で座っていたジェフ。「通路側においでよ」と本人も声をかけてくれました。

しかし、ジェフは40歳。メジャーの大ベテランの隣に、
いくら34歳とはいえ、2年目の僕が座るわけにもいきません。
結局2人がけの席で、若手選手の隣に腰を落ち着けました。

飛行機やバスの席に限らず、駐車場の位置など、すべてにおいて実力主義の世界です。
日本にいた時は、年上というだけで当たり前のように尊重されましたが、ここではその観念は通用しません。

もっとも、僕の年齢を知っている人は、本当に少ないようです。
先日もテレビの中継で、「日本からやってきた若き外野手、ソウ・タグチ」と紹介されました。
しかも何度も。・・・ありがたいことです。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮


2003年9月15日

代打から出て、1タコ、1四球。

2打席目、自信を持って見逃したボール球を「ストライク」とコールされ、しばらく固まってしまいました。スコアラーに聞いても、間違いなくボール。悔し い。この間のメールで「僕たち選手は、審判のストライク、ボールには文句をつけられません」などと殊勝なことを書いたにもかかわらず、腹が立っている、人 間のできていない私です。

今日は試合中、突然グラブと帽子がなくなりました。代打で出たそのあと、守りに行こうとしたら、ない。「俺のグラブと帽子が見つからない〜!!」と大声で 叫んだのですが、出てきません。仕方なく、マッケイコーチの帽子を借りて、JD(ドゥリュー)のグラブを借りて、不安な気持ちで守備につきました。いった いグラブと帽子はどこへ・・・。

ベンチに戻ると、神妙な顔をしたアルバート(プホルス)が、コーチに付き添われて僕を待ち受けていました。
「ごめんね・・・間違えてロッカーに持っていっちゃった・・・」
ベンチで、グラブを置く位置は、皆ほとんど一緒。その上に帽子を載せておくので、見た目の雰囲気で取っていきます。いちいち名前を確認しません。僕のグラブは、コーチが必死に探してくれた末、彼のロッカーで発見されたようでした。

それにしても、僕のグラブは黒。アルバートのグラブは赤と黒。そして、やけにでかい。・・・いったいどうやって間違えたんでしょうか。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮


2003年9月16日

出番なし。なんにもなし。

本日は、右左問わず「ホームランバッター・ラインナップ」でした。やっぱり一本しか打ってないと、入れません。(当たり前)おまけに相手は、今日使える左 のリリーフが、たった一人だけ。結局出るタイミングはまったくないまま終わりました。でも、チームが勝ったから、まずは何よりです。

次回の爆発のために、休養しておきます。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮


2003年9月17日

途中守備のみ。

せっかく打席が回ってきたのですが、相手ピッチャーが右、ということで、
左の代打を出されてしまいました。今シーズンの打点はほとんど右からだと
いうのに・・・残念です。

せっかくリードしていたチームも、9回表、代打同点ホームランを打たれて、
結局その後逆転負けとなりました。しかも代打同点ホームランを打ったのは、
バッティングに定評のあるピッチャー。投手を代打で出すというアイデアが
すごいけど、今季すでに6本のホームランを打っていたというつわものです。

ともあれ、ここで切れてしまうわけにはいきません。シーズンが決定的に終
わるまでは、特に僕のような立場の人間は、いつどんな形で使われても、何
らかの貢献ができるように備えていなくては。腐ったり愚痴を言ったりしつ
つ、でも、やっぱり緊張感のある野球ができるのは、何よりもありがたいこ
とだと、日々感じています。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮


2003年9月18日

代走から守りのみ。

首の皮一枚で優勝につながっている感じです。とにかく今は勝
ち続けるしかありません。

明日から、首位のヒューストンを迎えての3連戦。3連勝したら、
それでも可能性は薄いけれども、ひょっとしたらひょっとします。

まずは明日のひとつからです。楽しみです。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮


2003年9月19日

代打で出て空振り三振。

打率がまた落ちて、「あ〜・・・くそー」という思いは正直なところです。でも、右ピッチャーにもかかわらず、チャンスがもらえたこと、そして、そのピッ チャー相手に、ちゃんとファウルで粘れたこと、そのあたりは自己満足とはいえ、スコアラーも褒めてくれた、「いい打席だった」と思えるのです。

確かに、試合に出ていないとそれだけ、ゲーム勘が遠のきます。そんな時、スライダーで90マイル出るピッチャーを打つのは、目が慣れていないぶん、難しい ものです。実際の球の感覚は、ベンチで見ているのと、打席で見るのとではまったく違います。でも、だから「無理や」とあきらめたくはありません。今日はや られた!以上。あとはチャンスをもらえる限り、後ろを向かずにがんがん行くしかありません。

ところで、なんだか僕の来シーズンのことが、知らぬ間に騒ぎになっているようなので、今日はそのことを書きたいと思います。何でも、いくつかの新聞に「巨 人が田口を取りにいく」「今、代理人のアラン・ニーロがそのために日本に来ている」「田口は来年のメジャー契約は難しそう」という記事が載ったらしいので す。球場に来ていた記者さんたちにも、そのことを聞かれました。

まず、最初に僕が思ったのは、「僕を戦力として欲しい、と思ってくれているところがあるのは、なんとありがたいことだろう」でした。本当に巨人が僕を欲し いと思ってくれているかは知りません。また、そのような話は耳にしたこともありません。だから、「もし本当なら」という前提です。それでも、誰かが自分を 必要としてくれている・・・そんな気持ちになれるのは、選手として幸せなことです。

しかし、困ったことに、今回の記事には「???」な部分が二つあります。ひとつは、「来季の契約が難しい」と書かれたこと。僕はカージナルスと3年契約 で、来年がその最後の年に当たります。来年の契約は、すでにもうされているわけで、どうしてそういう話になっているのかわかりません。

もうひとつは、アランの来日。実際今、日本にいますが、ぜんぜん違う話で行っています。というか、アランは本当にしょっちゅう日本に行っているのです。彼はほとんどの球団に、外国人選手を抱えていますから・・・。

この話の発端がどうなっているかはわかりません。いずれにせよ、「本当なら光栄だけれど、知りません」というのが現状です。

僕は今目の前のことに精一杯で、今後のことを考える余裕がありません。でも、来年も契約してもらえていることを励みに、なんとか信頼度を深め、できればア メリカで、更なる契約を結んでいけたら、と考えています。まだまだ学ぶべきことはたくさんあり、やっとアメリカ野球の入り口に立ったばかり。ここで骨を埋 める気持ちでやっていくつもりです。

幸い、肉体年齢は「20代」と保障されています。身体のメンテナンスに対する気配りだけは誰にも負けません。もちろん、いつかどこからも「いらない」と思 われる日が来るかもしれません。そして、日米問わず、「俺を使ってください!」とお願いして回ることだって、今は頭になくとも、もしかしたら起こりうるか もしれません。でも、どれもこれも、今の僕の中ではすべて将来の話です。

いくつになっても「あいつが必要」そう思ってもらえる選手でありたい、それが僕の目標です。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮



2003年9月20日

1−0、1四球。

2打席とも、サヨナラの場面で回ってくるという、非常にやりがいのある試合でした。ヒットは出なかったけれど、両打席とも、内容には満足しています。いい ところで使ってくれて、アウトになってベンチに帰った僕を、「いい打席だった!」と迎えてくれた監督。結果が欲しいという気持ちがないといえば、嘘になり ますが、不思議と焦ってはいません。

あと6試合。ひとつでも充実した打席を残して、来年につなげたいと思います。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮



2003年9月21日

4の1(2ランホームラン)、2打点、1補殺

本拠地・ブッシュスタジアムの今季最終戦。スタメンで出してもら
えたこと、そして、チームの勝利に貢献できたことに感謝します。
いろいろな思いを抱えてやってきた今年のシーズンが、報われ
たような、そんな一日でした。

3−0とリードされた4回の追撃ホームランのあと、初めてカーテ
ンコールを受けました。4万人以上の大観衆が、スタンディング
オベーション。ベンチから出て行って、そっと帽子を取って応えた
ときの、照れくささと誇らしさは忘れられません。その後の打席
では、轟音のような応援と拍手を毎回いただきました。気持ちの
いい応援を受け・・・気持ちよく・・・三振・・・。

そして、補殺。ホームランバッターではない僕としては、もちろん
ホームランは嬉しいけれど、この「補殺」を監督が「今日のプレー
オブザデーだ」と言ってくれたことが、一番嬉しかったです。こう
いう守備を、僕の持ち味として評価してもらえることが大切です。

まだシーズンは終わっていません。明日からはミルウオーキー、
そしてアリゾナ、と、最後の遠征に出ます。打率も気になる、で
も、それ以上に、あといくつ、印象に残るプレーができるかどう
か、それが今一番の課題かもしれません。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮


2003年9月22日

明日から、ミルウオーキー、アリゾナ、と、レギュラーシーズン最後の遠征5試合です。
まずは今日ミルウオーキーに移動しました。

フットボールの季節ということで、移動中も、ロッカーでも、話題はフットボール一色。
本当にアメリカ人はフットボールが好きです。うちの選手たちは、実在のチームを
それぞれが取り合って、その中で架空のトレードなどを行い、「自分のドリームチーム」を
作っています。それを実際に行われている試合結果と照らし合わせて、成績をつけて争う、
という、ちょっとややこしい遊びを楽しんでいます。

この季節になると、一家の主人はテレビの前に釘付けになり、何にもしてくれなくなる、
と女の人たちが文句を言います。「もう、いないも同然」そんな状況を、
「フットボール・ウイドウ(未亡人)」と言うらしいです。

テレビのコマーシャルも、そんな状況を意識したものがたくさん見られます。確か去年の秋の、
車のCMだったと思いますが、象徴的なものがありました。乗り心地のよさがウリの新車。
ダンナさんが助手席で気持ちよさそうに寝てしまう。すると運転していた奥さんがすばやく、
流していたCDを他のものにチェンジする。そのCDは「あなたはフットボールがきら〜い」
「フットボールなんか見たくな〜い」と、暗示をかけるようにささやき続ける・・・。

とある全国チェーンのハンバーガーショップでは、「アンテナ・ボール」が売りになっています。
車のアンテナの先につける、丸いアクセサリーのようなもので、普段はそのショップの
キャラクターをモチーフにしているのですが、この時期は、ちゃんと「セントルイス・ラムズ」の
ヘルメットを被ったものを置いています。ちなみに別の都市に行くと、その土地のフットボール
チームのヘルメットを被っている、という凝りようです。

僕はフットボールがさっぱりわからないため、まったくチームメイトの会話に着いていけません。
ものすごく盛り上がっているのを横目に、この疎外感・・・淋しい。


ウィスコンシン州ミルウオーキーにて 田口壮


2003年9月23日

途中守備から出て、1−0。

抜けた〜!と思った左中間の当たり。しかし、なぜかいつもはいないはずの場所に外野手が。
なんでお前はそこにおるんや!悔しい。だんだん研究されているのを感じます。

ともあれ、チームが勝って、まずはめでたし。今日、シカゴは勝ったけれど、ヒューストンは
負け。僕らは試合後のクラブハウスで、じっとその試合結果を見ていました。誰一人、
諦めていません。最後の最後まで、プレーオフの可能性を追いかけます。

ところで、最近僕をおもちゃにして?他の選手が楽しんでいます。いわゆる「アメリカン
ジョーク・野球編」とでもいうのでしょうか、そういう言葉を僕に教え、言わせて
面白がっています。

たとえば
「 I have to eat Ding dong to hit Ding dong」
「ホームランを打つために、僕、ディンドンを食べなきゃ」
Ding dong は、チョコレートでコーティングされた丸い感じのお菓子のことで、野球選手に
とってはスラングで、「ホームラン」を意味します。ホームランの豪快な様子が、ちょうど
「鐘を鳴らしたような」そんな感じだから、だそうです。これを言っただけで、クラブハウスは
大喜び。

極めつけは、ヒューストン戦直前のクラブハウスにて。金曜日の試合を落とし、土日はもう
絶対に負けられない、という状況でミーティング中、突然ティノ(マルティネス)が、
「ソウ!この土日はどうするつもりだ!」と、聞いてきたのです。答えはひとつ。
「I have to eat sinker to hit sinker!」
選手、大爆笑。いつも神妙な顔つきの監督までもが、「何?ソウ、今なんて言った!?」と
大笑いし、一気に盛り上がってしまいました。土日のゲームでは、クラブハウスに必ず
ドーナツが置いてあり、シンカーは、スラングでドーナツのことを指すのです。

まるで言葉を覚えたての赤ちゃんに、大人がいろいろ言わせて喜んでいるような、そんな状況。
でも、とりあえず「あの」トニー・ラルーサを笑わせたのは、非常に貴重な体験だし、皆さんに
笑っていただけるのが快感なのは、関西人の悲しい性なのでございます。


ウィスコンシン州ミルウオーキーにて 田口壮


2003年9月24日

今日は9回の守りのみです。

試合後、アリゾナにやってきました。現地時間午前2時です。

面白いような面白くないような出来事が起こりました。ゲーム前、メンバー票に僕の
名前がなかったのです。ピノとペレスの名前もなかったのではじめは「スタメンを
決めかねているのかな」と思ったのですが、どうもそうではないらしい。彼らが
メンバー表におさまった後も僕の名前はスタメンにも控えにもありませんでした。
単なる書き忘れです。僕はロッカールームの壁に貼ってあったメンバー表を引き剥がすと
「トニーはどこだぁ〜!」と叫びました。驚いたのはほかの選手たち。「どうした
どうした。なんやて〜、書き忘れ?」「なんやと〜?」「行け、汚い言葉を浴びせ
かけてくるんや」と大騒ぎです。

ようやく監督をつかまえ、ぐいっとメンバー表を差し出すとトニーはびっくり。
「すまん・・・俺は悪いマネジャーだな・・・」 あまりにもすまなさそうなので、
汚い言葉どころか「そんなことないよ!」・・・つい慰めてしまいました。

アリゾナ州フィーニックスにて 田口壮


2003年9月25日

今日はオフ。

フィーニックスの一等地に大邸宅を構えるピッチャーのサセーロの招待でチーム
パーティーが開かれました。といっても「明日からの三連戦がんばろう!」と気合いを
いれるようなものではなく、みんな三々五々集まって、飲み、食べ、かつ楽しく語ると
いう気楽な集まりです。今日シカゴが勝つとカージナルスは終戦記念日になって
しまうがために、最初は皆、TVで勝負の行方を真剣に見守りましたが、シカゴが負けると
さすがにほっとした雰囲気が流れました。チームのほとんどが来たでしょうか。
賑やかかつ和やかな楽しい夜でした。知れば知るほど、中に入れば入るほど僕は本当に
いいチームメイトに恵まれているとつくづく感じます。

アリゾナ州フィーニックスにて 田口壮


2003年9月26日

本日出場なし。

今日の負けで優勝のチャンスが消えました。ワイルドカードはすでに他に決まっているので、あと2試合でボクの今シーズンが終わることになります。

先日のヒューストンでの審判とのもめ事が原因で今日の試合は監督と正捕手のマイク・マシーニが出場停止を命じられていました。最後の望みをかけた本当の正 念場で監督はもちろん、チームのキャプテン的な存在であるマイクを欠いて負けたのは返す返すも残念でなりません。どうせならベストの状態で負けたかった、 それが選手たちの本音です。

残り2試合、少しでも良いゲームをファンに見てもらう、それが最後に僕たちがやるべきことです。

アリゾナ州フィーニックスにて 田口壮



2003年9月27日

先発で3の1.

シーズンもあと一試合。これまで目の釣りあがるような気迫で戦ってきた選手たちの顔もすっかりやわらいで、それが寂しいといえば寂しいです。「Hi! ママ!」と言いながら嫁のお腹をなでてくれた監督もうってかわって穏やかな表情になってしまいました。明日のデーゲーム終了後、僕らはセントルイスに帰り ます。

試合後、ロッカーから出てきた僕の顔を見て嫁があわてました。「どうしたの?」。両目が真っ赤だったからです。何かあったのか、と試合後だけにものすごく心配したようですが、真相を聞いて大笑い。’「ばかねぇ〜」。

実はシャワールームに目にしみないボディシャンプーがあり、もしかしたら、生まれてくるうちの子にいいのではないか、試してみたくなったのです。わざわざ 両目をパッチリあけて顔を洗ってみました。その結果大変しみることがわかりました。僕はただのバカではないです。「親バカ」。

アリゾナ州フィーニックスにて 田口壮


2003年9月28日

ついさっき、セントルイスに戻ってきました。やっと家に着いて、パソコンの前に座り、今日一日の出来事を思い返しています。

2003年のシーズンが、終了しました。途中守備から出て、2の1(3ランホームラン)という結果。最終戦ということもあり、きっと他の選手が先に出るだ ろう、僕は最後の守備だけかな、と思っていただけに、いい場面で真っ先に使ってくれた監督に感謝です。そして、ホームラン。よく飛びました。嬉しかった。 でもやっぱり、代わった直後にいい守備を見せられたことにほっとしました。本当は2本ヒットを打ちたかったけれど、最後の打席がとにかく進塁させねば、と セカンドゴロになったのが、もしかしたら一番自分らしかった・・・かもしれません。

いろいろな意味で苦しいシーズンでした。それでも、大きな怪我もなく、無事終えることができました。それはすべて、家族、チームスタッフ、関係者、そして、ドツボの時も変わらず応援し続けてくださったファンの皆さんのおかげです。今年も本当にありがとうございました。

それにしても、シーズンの終わりはいつも、淋しいものです。試合が終わってベンチに引き上げる時、普段は並んでいる選手や監督コーチとハイタッチしながら 戻るのですが、今日は一人一人と抱き合いました。来年、まったく同じメンバーで野球をすることはまずないでしょう。再び昇格してからたった一ヶ月ちょっと とはいえ、本当に「カージナルスの一員でよかった、このチームが好きや」と、心から何度も思いました。

最終戦の相手・ダイヤモンドバックスからは、かつてミスター・カブスと呼ばれた名選手、マーク・グレースが引退。敵味方関係なく、球場が総立ちになっての 拍手が送られました。うちの攻撃の際、一塁を守っていた彼は、ちょうどアルバートがヒットを打った時に、交代告げられベンチに戻って行きました。それはま るで、かつての大スターから、新しいスターへの世代交代を見るようで、ダイヤモンドバックスも、粋な演出をするなあと感動しました。

最終戦には、人それぞれ、いろいろなドラマがあります。

僕にとっても、この最終の遠征は、非常に中身の濃いものになりました。たとえば昨日、試合前にバッティングコーチから、わざわざこんなことを言われまし た。「上に帰ってきてからのお前は、本当によくがんばった。そして、素晴らしい内容だった。いろいろあって苦しかっただろうに。俺はお前を誇りに思う。来 年は一緒に3割打とうな」そして、監督。これは人づてに聞いたのですが、「ソウは本当に変わった。守備の面では言うことは何もない。バッティングも打てる のはわかっている。じゃあ、何が変わったか。自信だ。今のソウは自信を持ってプレーしているし、われわれはそれが嬉しい」

この2年間、中途半端だった僕の立場。なんとなく不完全燃焼のままだった、それが正直なところです。でも、今、やっと2年かけて、カージナルスの一員にな れた、そんな気がするのです。時間はかかってしまったけれど、一度手にしたこの感覚は、二度と手放さない、それには、不器用なりに、自信があります。

そして今シーズン、野球に対しての向き合い方が、自分自身驚くほど変わりました。これまではほんの些細なことで気持ちを乱されたり、集中力を欠いたりし て、自分に腹を立てつつも、なかなかうまくコントロールできなかったのですが、12年かかってやっと、「今の田口壮が、プロ入りして初めて、ファンの方に お勧めできる選手です」と、言えるような気がします。手前味噌ですが、自分をそんなふうに評価できる日がくるとは、思ってもいませんでした。そして、「俺 はもっと伸びることができる」と思えたことが、嬉しくてたまりません。そんな気持ちにさせてくれた、すべての皆さんに、心から感謝します。

さて、12年、12年と書いても、アメリカではまだルーキーの私。しかし、よくある「新人の洗礼」(妙な衣装を着せられるなど)も、特にやられる気配もな く過ごして参りましたが・・・最後の最後にやってきました。ある意味、衣装を着せられるタイプの洗礼のほうが、僕にとっては楽でした。

フェニックスからセントルイスへ戻るチャーター機の機内。若いピッチャーのジミー・ジャーナルと僕に「歌え」命令が・・・。しかもマイクは緊急用のメガホ ンです。条件は「何か日本語で」「ロマンチックなものを」。ここで笑いを取れなければ関西人の魂が泣きます。僕は身体をいやらしくくねらせ、うっとりと目 を閉じたまま、松山千春の「長い夜」を熱唱しました。「もういい」と言われてもなお、手を振りかざしながら熱唱しました。受けました。大笑いでした。大汗 でした。これが、僕の2003年のフィナーレとなりました。大舞台でした。次は北島三郎の「まつり」を歌おうと思って、ネクタイを頭に巻きかけていただけ に、アンコールがなかったのがちょっと不満です。

明日からオフ。今日は本当に久しぶりに、何も考えずゆっくり眠れそうです。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮



2003年10月6日

 シーズンが終了して丸一週間。特別なスケジュールはなるべく組まず、ひたすらセントルイスで休養しています。去年は「さあオフだ!」とやたらバタバタ予 定を入れてしまったため、ヨメと二人で大風邪をひき、3日間ベッドから起きられませんでした。それで学習した、「徐々に」という言葉をかみ締めています。

 今頃のセントルイスは、もう秋の終わりの気配です。日中は日差しも強く、雲ひとつない青空、でも、風はちょっと冷たい。緑の多い町ですから、散歩するの も、車で走り回るのも、なんとなく楽しい気持ちにさせてくれます。のべ2年この町と関わっているとはいえ、シーズン中は生活圏内以外の場所へ足を伸ばせま せん。それだけにこのオフは「わが町」を堪能するいい機会になっています。

 そして、来年から登場する新しい家族のための準備も進んでいます。やけにベビーコーナーをうろうろする機会が増え、先日は初めて「離乳食の瓶詰め」を購 入しました。何のために?・・・単に僕が食べたかったのです。結果は「惨敗」。でも、好奇心はそれなりに満足。しかし、赤ちゃんの味覚と、われわれ成人の 味覚は、こんなにも違うものなんですね。

 休み続けて一週間。一週間休むと、身体はほぼ腐ってしまいます。そろそろ何かしなければ・・・と気になってきます。オフは休むもの、とはいえ、あくまで も最低限のことは続けていないと、自主トレが始まったとき、泣くのは自分です。たまには汗をかかねば・・・そう思いつつ、なかなか動かない自分が、堕落し た人間のような気持ちになってきます。

 ところで、シーズン終了後すぐ、監督のプライベートパーティーに招かれました。少人数のごく内輪の集まりで、シーズン中には絶対できない話を、絶対見ら れない穏やかな顔の監督としてきました。その中で、どうしてもシーズン中、監督に伝えたかったことを、今回やっと伝えました。ラルーサ監督は慎重派で、サ インの確認などを何度も行います。彼は英語とスペイン語で選手とやりとりしていますが、相手が誰であっても(僕の場合特に?)確認が念入りです。

僕 「僕は監督の言ってること、全部わかってますから大丈夫ですよ」

監督 「わかってる。でも、つい確認してしまうんだ。特にお前はいつも口数が少ないから。ねえ?(と、ヨメに振る)」

ヨメ 「主人は日本語でも口数が少ないんです。何しろ照れ屋なものですから」

監督 「あんな歌を歌いながら、あんな踊りをするやつが、照れ屋だと?」

最後の遠征の飛行機の中の「オンステージ」を思い出したのか、監督はそう言って、笑いながら去って行きました。


ミズーリ州セントルイスにて 田口壮


2003年10月17日

14日夜、日本に帰ってきました。久しぶりの関西は雨でした。思っていたよりずっと
涼しく感じます。これから来年の1月末まで、トレーニングをしながらオフを満喫します。
再渡米は、2月頭の予定。一度セントルイスの自宅に戻り、準備を整えた後、
フロリダへ向います。その時は、3人家族です。

今は家にいることがとても楽しく、ヨメと二人、家事をしたり、DVDを観たりして過ごしています。
確か去年も書きましたが、日本のスーパーマーケットの、何を見ても美味しそうなこと!
空腹時の夕飯の買出しは、危険です。多少食べてから行かないと、やたら何でもかごに入れてしまう僕。
今年は特に魚類にはまってしまい、とろほっけだサバだ明太子だタコだなんだと、
食卓は連日魚のオンパレードです。アメリカから帰るたびに、日本はなんと「食」に恵まれた国
だろうと感動せずにはいられません。

僕は料理が好きなので、アメリカでもグローサリー(食品中心のスーパーマーケット)に行くのは
苦にならないのですが、日本だとそれこそ、心も弾むような思いです。外食も悪くないけれど、
うまい米と魚があって、うちメシが楽しめるのは、日本ならでは、です。問題は、「アメリカ食」に
慣れ切っていた胃が、突然の美味しいもの攻勢にびっくりしているのか、なかなか消化してくれないこと。
それとも、欲張って何でも食べ過ぎているのでしょうか?

ところで、ボールを使っての自主トレは11月からを予定しています。自宅でのトレーニングはすでに
開始しました。動いていないと気持ちが悪いのです。汗をかいて、ひと風呂浴びて、メシを食いながら
飲む日本のビールは本当にうまい。日本に生まれてよかった。アメリカに暮らすと、時としてアメリカの
便利さや合理的な部分をうらやましく感じたりもしますが、こと「味」に関しては、日本の完封勝ちです。
ということで、僕はしばらくこんな感じで過ごしています。日本は突然寒くなったとかで、まわりでは風邪を
ひいている人がたくさんいます。

皆さんも身体に気をつけてお過ごしください。それではまた近々。


神戸にて 田口壮


2003年11月9日

大変ご無沙汰しています。皆さんお元気でお過ごしでしょうか?僕は自宅のトレーニング
ルームで徐々に動き始めるなど、オフになってのんびりしていた身体を、少しずつ本格的
な自主トレに向けて慣らし始めています。

先日久しぶりに、長年お世話になっている整体の先生に診ていただいたのですが、「今年
は身体が大きくなって、しかもいい筋肉が着いた」とのこと。「34歳になって衰えるどころか、
発展したのはたいしたもんだ」と褒めていただき、とても嬉しくなりました。

それにしても、不思議なものです。いったい何がこれまでと違っているのか、自分ではいま
ひとつよくわからないのです。アメリカに行ってから、トレーニング方法は、量はともかく原始
的になったし、食べ物に関しても、日本にいた時の方が、よっぽど気を遣っていました。それ
でも、体重は、生涯初の80キロ。普段シーズン中は75キロ前後で動いていることを考える
と、ものすごい増え方です。でも、特に身体が重いとも感じません。

体重があると、ボールが飛ぶのは事実です。しかし、膝などに負担がかかるし、スピードが
落ちたりするのが困りもの。僕はアメリカでは「小さく見える」選手ですが、身長と体重の兼
ね合い、自分のプレースタイルを考えて、あまりマッチョな身体になってはまずいのです。
が・・・。大きくなって、プレーに影響がないのなら、それは一番いいこと。入らなくなってしま
った何着もの服を尻目に、嬉しいような、困ったような、複雑な気分です。


ところで、先日オーバーホールを兼ねて、野沢温泉に行ってきました。今年もいい湯に漬かり、
暖かい友人たちと顔を合わせ、うまい土地の味を堪能してきました。特にそば打ち名人の打った
そばの味は忘れられません。笹寿司もうまかった!野沢は最高です。

しかし、困ったことに、現在激しく体重制限を強いられているヨメが、出てくる料理のあまりの
おいしさに、一気に太ってしまったのです。アメリカにいた頃はお医者さんから「もっと食べろ」
とあおられ、まわりのアメリカ人からも「おなかが小さすぎる」などと不安をかき立てられ、
日本人としては決して小柄ではない彼女が、身を縮めるように、すっかり落ち込んでいたのです。
ただの一度たりとも、「体重」に関して言われたことはありませんでしたし、アメリカ人の妊婦さん
は、どの人もみな双子か三つ子がいるのでは、と思うくらい巨大なので、ヨメが小さく見えた
ものです。

ところが日本の産婦人科は、体重管理が徹底しています。帰国したとたんに、ヨメは「体重
オーバー」の烙印を押され、来月の出産に向けて、少しでも体重を増やさないようにと、
そればかり考えて過ごしています。

アメリカと日本では、まったく両極端なほどに、妊娠出産に関する「考え方」が違いました。
その差に戸惑いを感じたのは、本人ばかりではありません。一緒に通院していた僕にとっても
カルチャーショックでした。最初は、たまたま行ったお医者さんの方針がそうなのか、
と思いましたが、日本の妊娠出産本を読んで得た情報と、アメリカの他の選手の奥さんなど
からの情報が、あまりにも違うのです。それゆえに、この一ヶ月は、戸惑うことの連続でした。

ということで、僕は自主トレに向けて、ヨメは出産に向けて、坂道だらけの家の周りをてくてく
と歩く毎日です。

それでは、また!


神戸にて 田口壮