2002年3月3日 フロリダ州ジュピターにて
みなさんこんにちは。セントルイス・カージナルスの田口壮です。このたび親しい友人が、僕のホームページを立ち上げてくれました。ここがみなさんと僕とのよき掛け橋になることを願っています。本格オープンまでしばらくお待ちください。
2002年3月4日 フロリダ州ジュピターにて
ようやくヒットが出ました。ほっとひと安心です。ところがこういう時にスキができるので、それだけはないように気をつけます。
2002年3月6日 フロリダ州ジュピターにて
朝からのBゲーム、守りでは1捕殺をしましたが、打つほうは3タコでした。でも、今日は初球からどんどん積極的に打ってみました。それが良かったんで
しょうか、午後の試合では2打席立たせてもらいました。おかげで球が見え、芯に当たりました、が、両方とも正面を突きました・・・。
当たりには納得するんですが、やはり結果が欲しい今日この頃。積極性だけは失わずにいきたいと思います。監督からは「当たりが良くなってきたなあ!」と声をかけていただきました。
2002年3月7日 フロリダ州ジュピターにて
「一日ひとつ、何か印象を与えるプレーをしたい」、それが今の僕の目標です。今日はセンターで途中出場。チャレンジぎみの当たりがようやく来たので「よ
し、行ったれ!」とダイビングしました。・・・ぜんぜん届きませんでした・・・。でも、ベンチの評価は「ナイストライ!」こう言われると、なんだか嬉しく
て、やりがいもあるというものです。
2002年3月8日 フロリダ州ジュピターにて
ようやく出ました。すごく嬉しかったけれど、球場では嬉しさをかみ殺して、真剣な顔を作っていました。塁上でつい顔がほころびそうになったのですが、ピッチャーに失礼かな・・・と。ベンチに帰ったら、もと阪神のペ レスが思いっきり抱きついて祝福してくれました。
2002年3月9日 フロリダ州ジュピターにて
今日も二本出ました。「昨日やっとヒットが出て、今日ダメ」ではがっかりするところでしたが、おかげでちょっと気分がいいです。
ところで今日は、面白いものを見ました。「打順間違い」です。監督が提出したメンバー表と、ベンチに貼ってあるメンバー表の、7番と8番が逆だったんで
す。しか
も、アウトになっている間は、相手方は何も言わず、7番(本当は8番)の選手がホームランを打った途端にベンチから出てきました。さすが、こんなことにも
慣れた 対応です。日本だったら最初に間違えに気づいた時点で抗議でしょう。
結局、8番の選手(本当は7番)がアウトになってしまいました。打席にも立っていないというのに・・・。そして次の回は、「本当は8番なのに、7番打者
のところ
で出て行って、ホームランを打ったけれど取り消されてしまった選手」が、本当の8番として先頭打者になりました。本来の7番打者(8番に入れられていた)
選手は、何もしていないのにアウトになるわ、打順は飛ばされるわで、かわいそうでした。こんなこと、「スタメンが電光ボードに掲示される」日本では起こり
えないことです。 珍しい体験でした。
実は、何が起きたのか、最初僕にはさっぱりわかりませんでした。で、チームメートに聞いてみたら、言っていることはわかるけど、言っている内容が理解で
きない・
・・という状態になってしまったのです。「そんなこと、起きるわけがない!」と思うから、話はますます通じにくくなってしまいました。アメリカって、いろ
んなこと が起こります。
2002年3月10日 フロリダ州ジュピターにて
今日は9回の守りだけでした。久しぶりにちょっと身体を休められたかな、という感じです。メッツ戦で、僕との対戦はなかったのですが、小宮山さんが投げ
ました。とにかく、すばらしかったです。持ち味の、コーナーを突いたり、低目へ投げたりというものが随所に見られて、「うーん。僕も頑張ろう!」と刺激を
受けました。
2002年3月11日 フロリダ州ジュピターにて
ジュピターからバスで2時間。ディズニーワールドの中にある、ブレーブスの球場で試合をしてきました。春のキャンプで使うには綺麗過ぎる球場です。日差しは真夏 そのもの。暑い一日でした。
試合は、1打席立って、まあまあの当たりだったので、セカンドゴロですが、打ち方としては納得しています。それより何より、フリオ・フランコ(もと千葉
ロッテ) に声を掛けられました。「タグチ!ゲンキ!?ガンバッテ」と、日本語で。僕のこと を覚えていてくれたようです。
こちらに来てから、「もと日本」のアメリカ人選手にたくさん再会します。日本にいる時振るわなかった人でも、実にのびのびやっています。それを見るにつ
け、彼ら
が日本にいた時、どれだけのサポートを必要としていたことか、と痛感します。そういう点では、僕はこちらで孤独を感じることもなく、暖かくみんなに囲まれ
ていま す。なんと幸せなことでしょう。
2002年3月12日 フロリダ州ジュピターにて
2番センターでスタメンでした。1打席目は「ランナーを進めろ」というサインだったので、ゴロを打って進めました。2打席目は三振で、3打席目はセカン
ドゴロ でした。
1打席目は仕事をした。2,3打席目は「やっぱり結果が欲しい・・・」最近ロッカーの周りの選手が、ぱらぱらと消えていきます。ちょうど、映画「メ
ジャーリーグ」で、マイナー行きを通告するのに、ロッカーに赤い紙が貼ってある、あんな状態です。うちのチームは紙を貼りませんし、現在もその慣習がある
かどうかは知りませ んが、とにかく人がいなくなっていく・・・それを見ていると、どうしても結果が欲 しいと思ってしまうのです。
ところで、今日はノーマ・ガルシアパーラ(レッドソックス)に会いました。アリゾナで一度会っただけなのに、覚えていてくれたようです。塁上で、「元気
か?」 「元気だよ、そっちは?」「俺も。今シーズンの幸運を祈ってるよ」もちろん、祈っ ているのは彼で、祈ってもらったの僕です。念のため。
2002年3月13日 フロリダ州ジュピターにて
なんと今日は遠征に帯同しませんでした。 これが何を意味しているかはわかりませんが、このキャンプに 入っての初めての短い練習でした。休める時にしっかり休んでまた明日から張り切ります。
ところで、時間があったので散髪に行ってきました。イメージでは横を少し刈り上げて、上は少しだけ切ってムースかワックスをつけて仕上げたら、アメリカ
の映画俳優になるかと思ったのですが、説明したにも関わらず、出来上がったのは「大工の源さん」でした。僕の語学力はこんなものかと、改めて痛感しまし
た。
野球も英語も、まだまだ挑戦が続きます。
2002年3月14日 フロリダ州ジュピターにて
今日は1打席立ちました。結果はショートゴロ。感じは悪くありません。ただ、「来た球を全部打ってやろう」という気持ちを、まだ拭えないでいます。もう
少し余裕が出てくれば、狙い球を絞り込めるはずなのに、最近当たりがよくなってきただけに、「ヒットにしてやる」「結果が欲しい」という欲が出てしまいま
す・・・分かっているなら狙いを絞れよ、ということなんですが、つい 打席に立つと興奮して「このヤロー!!」となってしまう。
ただ、今の気分は悪くありません。数字も残さないのに「でも当たりはいいから」では、説得力も何もありませんが、今までとこれからの経緯を他人がどう見るかは、僕にはコントロールできません。僕にできるのは、自分自身をごまかさずに、前を向いて行くだけです。
2002年3月15日 フロリダ州ジュピターにて
途中出場で、守備から入りました。打席にも立っていないので、野球の話は、なしです。
ところで今日の球場ランチは和食でした。チームメイトが気を遣ってくれて、(いつもサンドイッチとかなので)「壮は和食がいいだろう!」と、いつもは「スープ」 が置いてあるところに、すき焼きと、味噌汁と、うどんと白ごはんが登場しました。 ありがたい心遣いです。
ちなみにすき焼きは大好評。でも、うどんはバケツにそのまま入っていたので、食べようとした時には伸びきっていました・・・。ともあれ、異国から来た新人を、みんながあの手この手で和ませてくれようとしているのは、なんとも嬉しいことです。
2002年3月16日 フロリダ州ジュピターにて
感じはいいのに結果が出ない・・・ということで、今日はミッチェル・ペイジコーチと話をしました。彼によれば、僕は最近「バットが平行になっている時間
が長い」つまり、若干下からバットが出ている状態、もっと分かりやすく言えば、ややアッパースイング気味になっているとか。非常に微妙な感覚なのですが、
大切なことです。
その修正をかけるには、しばらく時間がかかりますが、意識しながらやっていこうと思います。ともあれ、初めてペイジコーチとゆっくり話ができて、有意義な時間を 持つことができました。明日も頑張ります。
2002年3月17日 フロリダ州ジュピターにて
たまには成績のことを離れて、僕の生活ぶりでもお話しましょう。野球の詳しい話はまた、嬉しいネタがあった時に(笑)。
このキャンプも中盤。休みは、間もなくやってくる19日のたった一日だけです。朝は6時40分に起きて、まずは風呂。身体を充分温めて、体操します。朝食をとって、車で15分の球場着が8時過ぎ。それからトレーニングルームでしばらく動きます。
9時半から全体練習。そのままゲームになだれ込みます。終わるのは4時ごろ。そこからウエイトをしたり、バッティングをしたり・・・取材も受けて、家に
帰るのは6時近くです。 帰ったら、メシ。その後再び風呂に入り、1時間くらいかけて身体の手入れをします。寝るのは10時半から11時くらいでしょう
か?10時半に寝るなんて、ここ10年やったことありません。
やけに健康的な生活ぶりですが、どんどん身体が張っていきます・・・小学生の日 記みたいになってしまいましたが、こんな毎日を送っています。
2002年3月18日 フロリダ州ジュピターにて
今日試合が終わった後、マイク・マシーニが「壮・・・大丈夫?」と声をかけてくれました。僕の打撃不調を心配してくれたようです。思わず「NO!」と叫んでしまいました。笑われちゃいましたけどね。
とはいえ、新しい場所で、誰も知らない場所で、何かを新しく始めるってことは、結構大変なものなんですね。あのティノ・マルティネスでさえ苦しんでいるのだから ・・・僕にとっては「世界のティノ」だというのに。
明日は休日。「アイス・エイジ」を見に行ってきます。
2002年3月19日 フロリダ州ジュピターにて
今日は休日。「アイス・エイジ」を観てきました。ストーリーは・・・まあ、これから観る人に怒られるので言いません。最近子供向けの映画にはまっていま
す。大人向けのも観るんですが、子供のは、ストーリーも単純で暖かく、また、英語についていけるからいいんです。「モンスターズ・インク」なんかもお勧め
ですよ。結構泣けるかも?
2002年3月20日 フロリダ州ジュピターにて
今日は1打席。レフトライナーを、ダイビングキャッチされてしまいました。でも、今までで一番いい感じに振れています。残り少ないチャンスですが、なんとかものにしたい、と思っています。
2002年3月21日 フロリダ州ジュピターにて
バスで3時間かけての遠征でした。長い。辛かったです。半分寝て、半分CDを聞いていました。他の選手はトランプをしたり、トランプをしたり、トランプ
をしたりしていました。僕はもっぱらスターダスト・レビューに没頭です。新幹線の3時間とはちょっと違う。しかも、日本のバスより座席の間隔が狭いので、
身体の小さな僕でさえ窮屈です。疲れました!
2002年3月22日 フロリダ州ジュピターにて
きてます。そろそろです。・・・間に合うかな・・・?(短いコメントですが、行間を読んでください)
2002年3月23日 フロリダ州ジュピターにて
とりあえず一本出ました。首の皮一枚つながっているという感じでしょうか。粘ります。
2002年3月24日 フロリダ州ジュピターにて
新聞記事に、僕がマイナー通告を監督から受けたという記事が出たそうですね。知りませんでした。だって、僕、通告なんて受けてないんですけど・・・。まだどうなるかはわかりません。僕の気持ちの強さはまだ揺らいでいません。
2002年3月25日 フロリダ州ジュピターにて
田口壮公式ホームページにアクセスしてくださった皆さんありがとうございます。プレオープンの「今日の一言」改め、フロリダから初めてのメールを送ります。このHPを通じて、なるべく頻繁に、正確に、僕の現在の状況をお伝えしたいと思っています。
ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、先日一部報道が、「田口がマイナーに降格された」というニュースを報じたと知りました。しかし、どういうことで
しょう?僕は、まだいます。僕のロッカーはまだ掃除されていません。確かに、今置かれている立場はわかっていますし、ぎりぎりの線で戦っているんだろうと
思います。 でも、そういう状況で野球ができるのは、 精神的には厳しい一方で、とても充実しているとも思います。
毎日、僕は新しくなっていっている自分を感じています。 本当にちょっとずつですが・・・ 自分の中の野球観が、少しずつ変わっていっています。
僕の師である中西太さんがおっしゃっていました。 常に「何苦楚(なにくそ)」という気持ちで向かっていけと。 まさに今がその状態です。
という反面、アメリカ野球「なんじゃこりゃ!?」ということもいっぱいあって、それはそれで楽しいのです。
このHPには、僕の正直な気持ちを書いていきたいと思います。毎日いろんな出来事があると思います。ヘンなことも書くでしょう。「何を言ってるんだ」と
いう内容のものも あるでしょう。 でも、それらがすべて僕の気持ちです。短いときもあります。ごめんなさい。皆さんに楽しんでいただければ幸いです。
2002年3月26日 フロリダ州ジュピターにて
ホームページがグランドオープンしたと同時にマイナー行きを通告されてしまいました。意外にすっと受け入れることができたので、落ち込んだり、打ちのめされた気分にはならず、今このメールを書きながら、すでに前を向いている自分がいます。
監督の話はこうです。
「今の状況では、打席に立つチャンスが少なくなってしまう。ずっとベンチにいなければならない。守備、人間性、野球に対する姿勢はメジャーレベル以上の
ものなので、このままベンチに置いておくと、田口壮という選手をだめにしてしまうかもしれない。守備要員として使うには、あまりにもったいない選手だ。今
は打席で、完璧に緊張が取れているようには見えないので、3Aでのびのび、自分のスイングをしてきてほしい。降格という意味でメンフィス(3A)に行くの
ではなく、調整してきてほしい」
こういうことが起こるのも、またアメリカだという気持ちで日本を離れました。だからといって、このままでいいとも、もちろん思っていません。すべての経験を、自分のばねにして、今から「メジャーに上がる」という過程を楽しんでいきたいと思います。
おそらく日本では、僕のこの状況に対して、「がんばれ」と思ってくれる人もいるでしょうし、「ほら見たことか!」とこの時点で思う人もいるでしょう。け
れど、僕は「アメリカに来てダメだった」とか「失敗した・・・」という感覚はまったく持っていません。とにかく、アメリカでの僕の野球は、今始まったばか
りで、野球人生があと何年あるかわからないけれど、人生はもっと長いです。その長さを考えると、今のこの状況は、僕にとって更なる強さを与えてくれていま
す。
昔、10年前の自分だったら、この状況に追い込まれれば、胃が痛くなったり、顔が暗くなったり、震えて打てなかったりしていたことを考えると、僕はここに来て、さらに強くなっているなあと実感しています。
ホームページと同時に、これからがスタートです。僕はここに今から自分の気持ちを素直に書いていきますのでふと「田口壮はいったい何を考えているかな?」と思ったら、ここに見に来てください。
明日から短い文になるでしょう。今日は休みをもらったから長く書きました。もし新聞やテレビで、悲壮な感じで報道されていても、それは僕の気持ちとはまったく違うものですから、必ずここに来て「本音」をチェックしてください。
なお、僕に送ってくださったメール、全部読ませていただいています。楽しく読ませてもらっています。それを読むと、「期待を裏切ったかな・・・スンマセ
ン」という気持ちはあります が、でも、メジャーに上がった時の喜びをみんなでわかちあうために頑張ります。
ファンの方あっての田口壮です。皆さん本当にありがとう!
2002年3月27日 フロリダ州ジュピターにて
今球場から帰ってきました。
朝は6時に起きて、8時半から練習が始まったんですけど、行くなり「さあ試合だ!」と言われてしまいました。誰と?どこに?・・・・わけもわからず連れ去られたのは、一時間かけて到着するメッツのセントルーシーでした。
練習はすべて地元でやっていくんですが、ウオーミングアップに行ったら、148人!(新聞記者に確認しました)選手がいたそうです。その中で、武術を取
り入れた体操があって、「わからないだろう」と、群れの脇に連れて行かれました。そこでばったり出くわしたのが、この間まで隣のチーム(モントリオール)
にいたクルーズ(もと阪神)でした。2日前にトレードになったそうで、今はチームメイトです。 昼ご飯も地元で食べていくのですが、メジャーとは違う。つ
くづくメジャーとは違う・・・・・それでは、今日気づいた、メジャーとの「差」をお伝えしましょう。
(1) 一番最初に注意されたのが「盗難に気をつけろ」
(2) キーボックス(貴重品入れ)にカギがない。自分でつけろとのこと
(3)ユニフォームを着たときに、アンダーストッキングのラインを見せなければいけない。
(4)食事。与えられるのはサンドイッチ一個と、小さな袋のポテトチップ、あと、「ミルクシェイク」と書いた、粉だけ入った容器。水を入れて飲んでみたらプロテインだった・・・
(5) 飲み物はタンクに入った水だけ。「ほかはないんですか?」「買え」。 メジャーなら、飲み物豊富で自由、飯は豊富なメニューで、マフィンはあるし、スープはあるし、何でもあるし、好きなものが食べられた。
が、今は違う。
そして、バスにはユニフォームで乗り込みます。これは日本と一緒ですが、メジャーは私服で行って、私服で帰ります。荷物も自分で積み込みます。
さて、敵さんチームのところに着いたら、ハプニングが起きました。バスのトランクの中で、ジュースか何かがこぼれていて、僕のかばんがずぶぬれ。まあ、
「これもマイナーか」と思って、試合中ずっと干しておきました。そうそう、かばんで思い出しました。今日バットも入るような新しいかばんをもらったのです
が、試合に出る前に、かばんを肩にかけたら、とたんに紐が切れました。まっさらのくせに・・・やっぱりマイナー仕様か?
さて、今日は1番ライトで出て、4の3。1打点。3得点。1フォアボール。ヘルメットは両耳。リトルリーグのようです。ともかく、きもちよーく打ってきましたが、味方もきもちよーく打たれていたので、ライトを守りながら一人でつぶやいたこと。「放牧やなあ・・・」
今日あった、いいことふたつ。
ひとつは、トミーコーチという、打撃コーチがいるのですが、早速見てくれて、「手の使い方が早くて、バランスがいいから、もう若干バランスを良くすればもっとよくなる。すぐに上に上げてやる」と言われたこと。嬉しい!
もうひとつは、帰ってきてから、カージナルスの正捕手、マイク・マッシーニにばったり会って、「マイナー行ったんだね。でもみんなは、お前とプレーした
いって言って待ってるから。絶対帰ってこいよ!帰ってきたら一度、一対一で話をしよう!すごく気が合いそうな気がするんだ」と声をかけてくれました。嬉し
い! そんな一日でした。
ところで、昨日から、皆さんからの励ましのメールが、本当にたくさん届いています。楽しく読んでいますし、励みになります。読んでいると、なぜかにこにこ笑ってしまう自分に気づきます。和めます。さらにお待ちしています。いつもありがとうございます!
今日はいろんな変化を楽しんだ一日だったので、ついメールが長くなってしまいました。明日はきっと短い・・・です。 今度こそ!
2002年3月28日 テネシー州メンフィスにて
ジュピターで最後の練習をしたあと、バスと飛行機で7時間半かけて、テネシー州のメンフィスにやってきました。ぐったりです。僕がチェックインしたホテルの窓からは、球場が見えます。とても綺麗な球場で、明日の試合に向けて、気持ちがワクワクしてきました。
ところで、今日はマリナーズの長谷川さんからお電話をいただきました。「いろいろ大変だけど、頑張れよ」と、わざわざ励ましの声をかけてくださったんで
す。なんと優しい先輩でしょう。さすが長谷川さん。今回に限らず、
いつも節目節目に、何かを僕を気遣ってくださるので、僕もそれに応えるべく、長谷川さんの背中を追いかけたいと思います。
今日は疲れました!寝ます。おやすみなさい!
2002年3月29日 テネシー州メンフィスにて
本日の試合 対戦相手 セントルイス・カージナルス 結果 3打数2安打 2四球 1HR 1打点
球場が綺麗なのにびっくりしました。レンガ作りで、雰囲気のいい「アメリカ!」という感じなのです。ブッシュスタジアムのロッカーと比べると、どう見てもこっちのほうが、設備がよさそう・・・いえ、だからといってここにいたいわけではないですよ。頑張ります。
今日は初めて雨の中断を体験しました。土砂降りの中途中まで試合をして、中断。「どれくらい待つんですか?」と聞いてみたところ、「雨が上がるまで」という答えが返ってきました。
日本はご存知のように、中断後30分経っても止みそうになければ、中止、コールドやノーゲームとなるわけです。でも、アメリカ人はこういうところ、実に
気が長い。「雨が降れば、待つ」
「雨が上がれば、やる」これもアメリカのひとつの顔なんだなあ、と思いました。実際、僕らは中断中、屋根のある場所に逃れられますが、
お客さんはカッパを着て、ずっと待っていてくれている・・・。「最後までやらねば」と思いました。
ところで、本日対戦した皆さんが、次々と林通訳のところにやってきては、「ソウはどうしてる?」「ソウはどんな調子?」と気にしてくれていたそうです。
対戦相手の、カージナルスの皆さん、ありがとう。なんだかとても 嬉しい気持ちになった夜でした。では、おやすみなさい!
2002年3月30日 テネシー州メンフィスにて
朝10時45分から、外でバッティングをしただけ。3時半まで待機です。全部で約5時間、ジャクジーに入ったり、水風呂に入ったり、トレーニングをしたり、テレビを見たり、ハンバーガーを食べたり、 そんなことをして、空の顔色をうかがっていました。
雨は、止みません。
ロッカーの中では他の選手が、寝ていたり、新聞を読んだり、バレーボールをしたり、もちろん、ずっと練習をしている人もいて、それでも雨は止みませんでした。
「いつまで待つんだ?」「わからん」
カージナルスの選手たちは、試合後、セントルイスに戻らなければなりません。そのチャーター機の出発時間をにらみながら、本来の試合開始時刻から一時間半が経過。ぎりぎりまで待って、でも中止になってしまいました。
このメールを書いている今も、雨が降り続いています。外にも出ず、今日は部屋でゴロゴロすることにしました。
そうそう、今日はロッカーにハゲワシがいましたよ。何かのセレモニーで登場する予定の鷲で、誰かが連れてきていたんです。選手はそれを囲むように覗き込んでいたのですが、ばさっ、と羽を広げて威嚇されたとたん、大の男達がわーっと後ろに飛んで、逃げていきました。
誰が一番最初に逃げたかは、あえて書きません。では、ゴロゴロさせていただきます。
2002年3月31日 テネシー州メンフィスにて
今日はまるまる一日お休み。メンフィスのダウンタウンを車で巡ってみることにしました。さあ出発!と張り切ったものの、5分で全部回れてしまいました。郊外に行けばいろいろあるらしいのですが、今は、この小さなエリアが僕の行動範囲のすべてです。
メンフィスは、今まさに町の再開発の真っ最中。ショッピングモールも、綺麗だけれど、作りかけです。だから、「おおっ!」と目を見張るようなすばらしい
建物から数分も走ると、「ええっ!?」とびっくり、怖くなってしまうような、ものすごい荒れ果てた町並みがあったりします。
脱皮中、という感じですね。
しばらく住むであろう借家を探しに、あちこちうろうろしてみました。ところどころ、桜がとても美しくて、思わずほのぼの。「あまり長いこといちゃいいけない場所なんだから・・・」と思いつつも、やっぱり桜はいいですね。嬉しく眺めてきました。
ところで、メンフィス・レッドバーズの田口壮は、背番号6番になりました。僕がカージナルスと契約するときの「背番号決定までの紆余曲折」(いや、右往
左往というべきか?)を知って、球団が気を遣ってくれたようです。なんだかすでに懐かしい、背番号6。もう自分の中では過去のことです。おまけに、「一桁
だと物寂しい・・・」なんて、思ってしまいました。
明日も練習です。おやすみなさい
2002年4月1日 テネシー州メンフィスにて
プロに入って11年目。今日はこれまでで一番悔しい「開幕」を見ました。
今まではずっと、日本でですが、開幕戦は10年間出続けてきました。
それが、こちらに来て初めて、マイナーで開幕というものを迎えなければならない現実。カージナルスの開幕戦をテレビで見て、その悔しさを改めて感じました。
ただ、考えようによっては、去年までなら、どうやってもテレビの中のメジャーの舞台には行けなかった。けれども、今年はその中に入っていく
チャンスがあるわけです。
これまでのように、非現実的な憧れではなく、伸ばせば手が届く、メジャーの舞台 に立つのを夢見て、今は一生懸命やるしかないと感じた一日でした。
2002年4月2日 テネシー州メンフィスにて
夕飯で、「BBキング」という店にふらりと入ってみました。そこでライブをやっていたのが、メンフィスで「ベスト女性ボーカル」と名高い、ルビー・ウイルソンでした。
僕は(知識は詳しくないけれど)ジャズやブルースが好きなので、たまたま入った店で、あれだけすばらしい歌声を聞けたのは、感激でした。プレスリーの出世街道の第一歩としても知られるメンフィスは、クオリティーの高い音楽が、町に根付いているという印象があります。
ミシシッピ川に沈む夕日はとても綺麗ですよ。 スポーツの場面に限らず、アメリカの見せるいろいろな顔が、 とても興味深い今日この頃です。
おやすみなさい!
2002年4月3日 テネシー州メンフィスにて
明日、マイナーの開幕を迎えます。4日くらい練習だけだったので、すごくここまでが長く感じました。もうメンフィスの町には飽きました・・・・明日から必死にならないと、いつまでもここにいるということです。
目指せセントルイス!
何はともあれ、ようやくシーズンが始まります。レッドバーズが勝てるように、頑張ります。
2002年4月4日 テネシー州メンフィスにて
ようやく開幕しました。バットは開幕しませんでした。
1打席目はストレートのフォアボール。
2打席目は、センターにコチーンといったのですが、日本の感覚では「センタ−のフェンスに当たるかな?」と思いきや、簡単に、深めの、いい当たりのセンターライナーになってしまいました。やっぱり若干ボールが重いのか?と感じた私、田口壮でした。
そして3打席目。カウント3−2(アメリカ風。ちょっと通な言い方です。日本で言うとツースリー。実は僕、アメリカ野球をかじってるもんで・・・)から、
今度はカキーンと、またまたライナーをセンターへ。飛びすぎました。そのままずーっと伸びて、簡単に取られてしまいました。やっぱり・・・ボールは重くな
いのですね。とほほ。
4打席目。途中から投げているピッチャーだったのですが、「ほんとに球、遅いからな!」とまわりに言われて、半信半疑でバッターボックスに立ったところ、
最初は68マイル(約108キロ:管理人注)など、60マイル台の球だったので、「ああ、確かに遅いわ」と思っていたのですが、追い込まれた後にきた球
が、なんと57マイル(約91キロ:管理人注)(日本では阪神の星野さんのカーブくらい)。見事に空振りしました。三振です。
といったわけで、今日は3タコでございました。チームも大敗。気温も激寒。寒い、お寒い、一日でした。明日はもう少し暖かくなりそうなんで、がんばります!
ところで今日はスタンドに日本人の方がひとりいらっしゃいました。なんと珍しい。「がんばれー!」と声をかけてもらったのですが、返事をすることができませんでした。すいません。この場を借りてお詫びします。もうちょっと余裕ができたら、手を振りますね。
2002年4月5日 テネシー州メンフィスにて
ヒットが出ました。
ホームページの速報をごらんになった方はご存知でしょうが、初ヒットがサヨナラホームランになりました。開幕一本目がホームランというのは、11年で初めてです。3Aとはいえ、嬉しいです!
今日は最初からあまりいい内容ではありませんでした。
第一打席、初球をファーストゴロ。
第二打席、シュートに詰まってサードゴロ。
第三打席、三振。
第四打席で、今年初の送りバントを決めて、ちょっと気分がほっとしました。一日ひとつ、とりあえず働けたので、「まあ良しとするかあ」と思っていましたが、2−2のまま延長戦に入り、またまた打席が回ってきました。
第五打席。二アウトランナーなし。そのときのピッチャーはまっすぐがそこそこ速かった(92マイルくらい)ので、まっすぐだけ狙って、軽く振ろうと思いま
した。初球はインコース高めのボール。二球目、真中高めのストレート。タイミングが合ったので、手を出しました。高々と、打球が上がりました。打った瞬間
「入った」と思いました。
嬉しかった。ホームに帰ってきたら、日本と同じで、ベースを踏んだ瞬間に、ぼこぼこに殴られながら、「WELCOME TO AMERICA!」と言われました。
これで「ようやくスタートしたぞ」という気持ちになれました。これから始まるんだ、という気持ちが強くなりました。また明日から、ひとつでもいい報告ができるように頑張ります。
おやすみなさい!
2002年4月6日 テネシー州メンフィスにて
昨日のホームランで我を失ってしまった、私、田口壮です。まだまだ子供です。興奮しすぎました。 ということで、今日は4タコです。 試合後ビデオを見たら、「こら、打てんわ・・・」タイミングがあまりにも遅すぎました。 明日は大丈夫。かな?
おやすみなさい!
2002年4月7日 テネシー州メンフィスにて
あたりは悪くないのに、全部正面に行ってしまいます。まあ、そのうちヒットになると思います。野球の話は以上。
ところで、今日はエルビス・プレスリーの「本家」を偶然見てしまいました。ここメンフィスは、エルビスの故郷として有名ですが、たまたま郊外の「エルビ
ス・プレスリー・ブルバード」という道を通ったところ、「GRACELAND」の文字が・・・・どこかで聞いた言葉・・・・と思いきや、やはりエルビスゆ
かりの場所。熱いファンのためのレストランや土産物屋、ホテルなどが並んでいました。ちなみに僕は、ドーナツを買いに車を走らせていただけでした。
2002年4月8日 テネシー州メンフィスにて
今日は4の2。1犠打。
最近、球場のメシに飽きてきました。僕らはナイターのゲーム前に軽く食事をします。これは日本も同じ。ただ、アメリカの場合は、ナイターの後に、「球場メシ」が用意されているのです。たいていの選手は、それを食べて夕飯代わりに
しているようです。
そのメニュー、どうもローテーションが組まれているようで、ゲーム後の夕飯には、「パスタ」「メキシカン」「スペアリブ」「その他」がきっちり順番に出て
きます。昼は昼で、「ハンバーガー」「ホットドッグ」が、2本柱です。今日はもう飽き飽きして、ローテーションハンバーガーを食べるのをやめました。シリ
アルと、プロテインにバナナを入れてミキサーにかけて、それを飲んだだけです。朝食か、これは・・・。このままいくと、太ってしまいます。
家でメシを食べれば、完璧な栄養管理なので安心ですが、今はホテル暮らしで、どうしても球場で食べざるを得ません。
そういえば、今日、審判が日本語で話し掛けてくれました。ゲームが始まったとき「コンニチハ!」と挨拶されたので、「こんにちは!」と答えたのですが、
ゲームが終わるときには、「オヤスミナサイ!」と言われました。思わず「なんで日本語知ってるんですか?」と聞いてしまいました。あっちが日本語で話しか
けてきて、僕が英語で聞き返すというのも、不思議な体験です。でも、こういう交流は嬉しいものです。
では「オヤスミナサイ」
2002年4月9日 テネシー州メンフィスにて
今日「観客動員数当てクイズ」で負けました。
トニー・モタ、ルイス・サトゥーリア、田口壮という外野3人で、毎日「観客数当て」をやっているのですが、昨日も負けて今日も負けた。球場では、8回裏に必ず観客動員数を、電光掲示板で発表します。それをお客さんだけでなく、実は僕らも見ています。
本日の勝利者。モタ。
ゲーム後、負け組の二人は「しもべ」と化します。「ジュース!」と言われればジュースを持っていき、「サンドイッチ!」といわれれば、サンドイッチを作って持っていく。シャワーを浴びているときはタオルを差し出す・・・。
ちなみにまだ僕は勝ったことがありません。早くアメリカ野球に慣れなくては・・・とりあえずこういうところから始めようかな・・・。(無意味?)
ところで野球は3の1、1フォアボールでした。
2002年4月10日 テネシー州メンフィスにて
やりました。なんとなんと、2度目のサヨナラ打。嬉しいです。それはよかったんですけど、今日はインサイド攻めに遭いました。いわゆる、日本で言うところ
の「シュート攻め」」ですね。こっちの言い方だとボールが「テールする」と言うのですが、来る球来る球、全部シュートでした。ピッチャーが代わっても、ま
たシュート。で、今日は4の1でした。
さあ、明日からはいよいよマスターズだ!
2002年4月11日 テネシー州メンフィスにて
4の1。ライトオーバーのツーベース1本でした。
明日は朝5時出発でポートランドに向かいます現在午前1時20分。眠れない私はどうしたらいいのでしょうか・・・
そういえば、日本とアメリカの野球の違いのひとつが、練習の仕方。そのうち、バッティング練習について書きたいと思います。
日本は、バッティング練習をする時、バッティングピッチャーさんが投げてくれます。ところが、アメリカには「バッティングピッチャー」というものが存在しません。じゃあ誰が選手にボールを投げるか?実は監督やコーチなんです。
今僕のいるレッドバーズでは、監督、そしてコーチがバッティング練習のピッチャーをやってくれています。うちの監督は、ボールを投げると、いつもなぜか手
が血まみれになってしまいます。おかしいなあ・・・と思って誰かに聞いてみたところ、投げた後に、L字ネット(打ち返される球から身を守るネット)に手を
いちいちぶつけてしまうらしいんですね。じゃあもっとネットから離れて投げればいいのに、と思うんですが、もう「手を当てて投げる」のが癖になっているよ
うで、毎日血まみれ。とても心配です。
そんな風に、日本とは様子がちょっと違います。
以上、気が付いたことを書いてみました。
2002年4月12日 オレゴン州ポートランドにて
のべ10時間の移動は疲れました・・・
朝5時にメンフィスを出発して、ダラス経由でポートランドへ。ダラスでのレイオーバー(乗り継ぎ時間)、2時間あったんですが何人かの選手は地べたに直接
寝転がって爆睡していました・・・・監督やコーチが、それを横目で見て、「いやそーな」でも「仕方なさそーな」表情をしていました。
移動の大変さが伺えるシーンですね。
私、田口壮は、メンフィスからダラスまでの1時間半、そしてダラスからポートランドまでの約4時間、気を失ったかのように爆睡しておりました。おかげで
ポートランドに着いたときは、「え、ダラス出てからまだ15分くらいしか経ってないのでは?」と真剣に思ってしまったのでした。
それにしても寝足りない。眠いです。球場では、さすがに練習なし(シートノックのみ)でゲームでした。で、結果が、4タコ。1デッドボール。いろんな厳しい状況に慣れていかねばなあ、と思い知らされた一日でした。
今日はやけに早いのですが、もう寝ます。
2002年4月13日 オレゴン州ポートランドにて
雨で試合が中止になりました。開幕から20連戦の予定が、9連戦でひとやすみです。ということで、明日はダブルヘッダー。
ポートランドは、毎日どんよりした曇り空です。
今夜はチームメイトと中華を食べに行ってきました。その中にオーミー(もと日本ハム)がいたこともあり、もっぱら話題は「日本の野球」と「日本にいるアメリカ人選手」。ちなみに中華は四川風だったのか?やけに辛かった・・・です。
では、休みます!
2002年4月14日 オレゴン州ポートランドにて
また今日もデッドボールが当たってしまいました。左ひじです。なぜかこっちに来てから、デッドボールが多くなっています。メゲずにいきます。
ちなみに2−0でした。
昨日の雨中止で、今日はダブルヘッダー。2時から第一試合が始まりましたが、ひと試合7イニングスまでというやりかたなので、6時には第二試合もきっちり終わっていたのでした。早い!
ひじは大丈夫です。ご心配なく。
2002年4月15日 オレゴン州ポートランドにて
さきほど試合から帰ってきました。今、夜の11時半過ぎです。これからバスで数時間、タコマに向けて移動します。
今日は「最後に守備のみ」の日でした。アメリカ野球は長丁場で休みもないので、選手がシーズンにフル出場するということはまずありませんが、僕は開幕以
来、どういうわけかなかなか「お休み」をもらえなかったのです。が。昨日のデッドボールのことも考慮してくれたのか、本日、初のお休みをいただきました。
ちなみにボールが当たったところは大丈夫ですからご心配なく。おかげで身体もちょっと楽です。
今日の寒い寒い寒い試合には、(内容ではなく気温)日本人が6人応援に来てくれました。スタンドには300人くらいしかお客さんがいなかったのです。いと
も簡単に「日本人合計6人」を発見してしまいました。その皆さんとお話もさせていただきましたが、本当に、こんな寒い日に、応援ありがとうございました。
どうか風邪をひかないように、お気をつけください。
ところで、今日、2週間の渡米を終えて、僕の両親が日本に帰りました。24時間対応のヨメツアコンがいたので、安心して任せていましたが、メンフィスでの
ゲームもすべて見て、よく散策し、僕が遠征に出たあとは、セントルイスも訪れて、アメリカの雰囲気を堪能して元気に帰ったそうです。父はハワイまでが一番
遠い場所、母に至っては初の海外だったのですが、乗り継ぎのシカゴでは、公衆電話でヨメに、「今から日本行きに乗るよ〜」としっかり連絡もしてきたらしい
のです。
実は、シカゴでの乗り継ぎを、「二人だけでほんまに大丈夫か?」と非常に心配していたのですが、杞憂でした。まさか父が、この2週間で公衆電話を使えるよ
うになっているとは・・・・。僕がまだ使えないというのに。なんということでしょう。もしかして、適応能力で負けているのでは?と少し焦りを感じる田口で
した。
では、これから移動します。
2002年4月16日 ワシントン州タコマにて
4の1 1盗塁
チームはサヨナラ負け。暗いです。おまけに寒いです。ずっと雨が降っていて、1時間半遅れでゲームが始まりました。たぶん、2度か3度、それくらいの気温。吐く息は真っ白です。
選手はみんな、ベンチで毛糸の帽子をかぶったり、目出し帽のようなものをかぶったり・・・・僕はベンチに戻ると、必ずコートを着て、手を冷やさぬようポケットに入れて、背中を丸めていました。
これがあと3日続くんでしょうか。天気予報はこの先、当分悪いです。
2002年4月17日 ワシントン州タコマにて
4の1(タイムリー・ツーベース)
二人のピッチャーがメジャーに上がっていきました。だから二人、下に落ちてくるということです。
3Aから2Aに降格になった人はまだ見たことがありませんが、昨日も一人、クビになりました。フロリダのキャンプ中にある日突然クビを宣告された選手を見て以来、二人目の「さよなら」です。
予告の類は何一つありませんでした。僕らは昨日、2台のバスに分乗して試合に出かけたのですが、2台目に乗った僕が球場に着いたら、1台目で先に出かけた選手が、荷物整理をしていました。「どうしたの?」「クビになっちゃった!」
彼は、クビになっちゃった!と、笑って言いました。たぶん、もう笑うしかなかったんだと思います。すごくいい奴で、いつでも一生懸命でした。まわりは何
事もなかったように、試合の準備をしています。チームメイトが一人クビになって、帰り支度をしているというのに、誰も、何も、気にする素振りもないので
す。
僕がまだ方向性を探っていた去年の暮れ、アリゾナで再会したもとヤクルトのテリー・ブロスと、トレーニングの合間にアメリカ野球について話し合ったのを
思い出しました。「僕がアメリカに挑戦するとしたら、きっと保障なんて何もないんだろうなあ」と言ったところ、「誰にとっても、アメリカの野球には確実な
ものなんてひとつもないよ」という答えが返ってきたのでした。
日本での10年間、僕はこんなにシビアな光景を見たことは一度もありません。これも、ブロスの言った「確実なものなんてひとつもない」アメリカ野球なのだと思います。あの選手はこれからどうするんやろうなあ、と、さっきからホテルの部屋で考えています。
2002年4月18日 ワシントン州タコマにて
4の3 1打点。 チームは12対5で負けました。
開幕してから初の猛打賞です。ちょっとずつ良くなっている気配がありますが、油断は大敵。身体が張って・・・・手入れをせねば・・・です。
ところで、今日はお世話になっている方が、日本食弁当を差し入れてくださいました。その美味かったことといったらもう!!!嬉しかったことといったら、もう!!!!
チームメイト達は、おにぎりや海苔を見て、「それは何だ?」と興味深々。でも、「ちょっと食べる?」「いや・・・いい・・・」アメリカ人にとって、日本食
はいわばダイエットフードの代名詞。低カロリーで太らない、というイメージが強いので、とっても興味があるのです。でも、トライする勇気もあまりない。
僕がおいしそーに食べるのを不思議そうに見ていました。しかし中には、「ライスクッカーを買ってくるから、ぜひ米を炊いて、日本の食事を作ってくれ」と頼
んでくる選手も。シェフ・田口壮としては、「俺は日本の米を、日本の炊飯器で炊くのしか認めない。みりんと料理酒も用意するなら作ってやる」と答えたとこ
ろ、「サケ?料理に?ミリン?それ何?」
レッドバーズが「日本食通」になる日は、まだまだ遠そうです。
2002年4月19日 ワシントン州タコマにて
5の2 1打点(レフトオーバー2ベースとファースト強襲タイムリー)
風邪をひきそうです。チームがみんな、ヘンな咳をしています。何人かはすでに風邪で倒れて、一人、また一人と試合中に寝込んでいきます。病人はロッカーで
寝ているのですが、「おい代打だぞ!」と言われたら、ユニフォームに着替えて出て行く。そして、帰ってきたらまた着替えて寝るのです。
この遠征、ポートランドそしてタコマと、強烈に寒かったから、将棋倒しに風邪が蔓延しています。今、野手は2人しか余っていません。あと二人倒れたら、もう誰も休めない状況になるのです。
僕は今大変危険な状態と言えるでしょう。今からとりあえず薬飲んで寝ます。明日は朝3時起きで移動。メンフィスに戻るのですが、今もう夜の11時近い・・・この寝不足が風邪につながらないことを祈るのみ。
精神力が試されるときが来た・・・かも・・・?
2002年4月20日 テネシー州メンフィスにて
2三振。朝の3時起き移動はやっぱり辛かった・・・。
11時にはベッドに入ったのですが、12時にはなぜか目が覚めてしまいました。そこから眠れず3時までぼーっとテレビを見て・・・。タコマからシアトルま
では、町らしいものが何もなく、真っ暗な中をバスは走りつづけました。シアトルから飛行機に乗って、結局ダラスまで3時間半のフライトで、寝たのは1時間
くらい。ダラスからメンフィスまでの1時間は爆睡です。さすがに寝不足。目では見えていても、身体が動いてくれませんでした。今日はゆっくり寝ます。(と
いっても明日はデーゲーム)
2002年4月17日 テネシー州メンフィスにて
今日は4の2。
今のところ風邪はひいていません。が、しかし、昨日の移動の疲れがすごく出ています。やっぱり席は通路側か窓側にすべきでした。
3Aでは、飛行機に乗るとき、自分でチェックインしなくてはなりません。普通、選手はチェックインする際、ちゃんと通路側か窓側を指定します。
ところが僕はシアトルの空港で、席のことよりむしろ、「荷物は自分で詰めましたか?」とか「誰かから何か預かりましたか?」とかいう、セキュリティー
チェックの質問に気を取られていました。もし何を聞かれているか分からなかったら、「僕は荷物を自分で詰めて、片時も離さず持っていました。誰からも何も
預かっていません」と言わなくては・・・・と、その答えを頭の中で反復していたのです。
案の定、セキュリティーチェックでは何を聞かれているか分からず、「今こそ用意した答えを言う時だ!」と張り切って、「僕は・・・」と切り出したとこ
ろ、「待て、お前は何語を話すんだ?」とさえぎられ、「日本語です」と答えたら、ちゃんと日本語で書かれた質問表を持ってきてくれたのです。それで僕の緊
張は一気にゆるみました。「ありがとうありがとう!」そう感謝しつつゲートへ。なんていい人なんだ。で、そのしばらく後に、席を指定し忘れたことを思い出
したのでした。
結局3人がけの真中。右は女性で左はガタイのいいおじさん。女性には気を遣うし、おじさんははみ出てるし、寝るに寝られず今日に至るわけです。
話が長くなりましたが、おかげで腰がぱんぱんです。
2002年4月22日 テネシー州メンフィスにて
今日は4の1。
さて、皆さんからのメール、いつも楽しく読ませていただいています。そこで、今日は野球を離れて(離れてませんが)、「メールの中でのよくある質問」にいくつか答えてみたいと思います。
(1)食事は大丈夫ですか?
大丈夫・・・かな?というのも、メンフィスではホテル暮らしなので、毎日球場の食事です。ちなみに今日の晩御飯は「スパゲティー・ミートソース、肉団子、
サラダ」以上。聞くと普通ですが、バランスを考えると、家の食事に勝るものはありません。キャンプ中はヨメが作ってくれていたので大丈夫だったのですが、
シーズンが始まって突然メンフィスに来ることになり、食生活が悪くなりました。がんばって早く上に上がれれば、家でご飯が食べられます・・・。
(2)グランドがぐちょぐちょでも試合はするのですか?
雨が降るときは、必ず内野には全面シートが敷かれて、雨が止むまでずっと待ちます。こっちの天気予報は優秀です。「今から2時間雨が止むから試合を再開し
よう!」とか、そのへんの読みもすばらしい。そうなるとシートを取って、内野はOK。外野は試合開始直後はぐちゃぐちゃですが、だんだんある程度ましにな
ります。完璧に乾くことはありませんが。こういう状況でやるたびに「内野はいいなあ、外野もシート敷いてくれえ」と、むちゃなお願いがしたくなる田口壮で
す。
(3)観客動員はどれくらいですか?
今日は「8600人」くらい。多いときは17000人を越えます。(ちなみにオートゾーンパークは収容人数18000人くらい・・・と思います)お客さんはレッドバーズの帽子をかぶり、どこかに赤いものを身につけて、チームを 声をあげて応援してくれています。
その他、励ましのメール、本当にありがとうございます。
2002年4月23日 テネシー州メンフィスにて
2の1(ホームラン)、1死球。打点1。
開幕からの20連戦がようやく終わりました。その割には、身体が楽かな、という感じです。「席指定し忘れ腰張り事件」をのぞけば、大丈夫です。明日はシーズン始まって以来のオフです! ゆっくり休みたいと思います。
そうそう、こっちの選手の感覚で、「中途半端にある休みなら、ないほうがいい」と言う人が、結構いるんです。休みをくれるなら2日以上欲しい、さもなくば休みがないほうが、身体がだれなくていいのだとか。休み一つとっても、考え方が違うものですね。
ところで、今日は「もとオリックス仲間」のオーランド・マルセドと電話で話しました。人を介して電話番号を伝えてきてくれたのです。「何かあったら助け
になりたい」と。彼も日本で相当苦しんだから、僕は本当に何もしてあげられなかったけれど、同じ思いを僕がアメリカでしているのでは、と、気を遣ってくれ
たようです。嬉しいですね。ちなみに彼は今、ヒューストン・アストロズで頑張っています。
日本でかつてプレーしていたアメリカ人選手達が、たとえ日本では他球団であっても、声をかけてくれて、僕に手を差し伸べようとしてくれているのは、思いがけない喜びです。それがどれだけ、異国でやっている選手の励みになることか。
日本の皆さんも、外国人選手に、暖かく声をかけてあげてください。たとえ英語ではなくても、「見てるよ、がんばれ」という気持ちは必ず伝わりますから。そうすることで、一見「スランプ」の、その選手の本来の力が取り戻せるかもしれません。
2002年4月24日 テネシー州メンフィスにて
開幕以来、初の休日。
一日お休みをいただきました。が、しかし、なぜか疲れています。「一日だけの休みなら、身体がだれるからむしろないほうがいい」という、アメリカ人の感
覚が、分かるような分からないような。休みがないほうが、よかったかも・・・。何をしたわけでもないのですが。ああ、疲れた。あくびばっかりしています。
頭も回りません。現在夜10時過ぎ。寝ます。
2002年4月25日 テネシー州ナッシュビルにて
4タコです。
休みがあるとダレる、私はアメリカ人になってしまいました。休まないほうが、よかったのか・・・・。おまけに、悪友ウイリー・フレーザー(もとオリック
ス)に会ってしまった。仕事でナッシュビルに来ていたのです。あいつの顔を見たおかげで、きっとタコ。そうだ、きっとそうです。
などと言い訳ができたらいいですけど。明日からまた出直しです。
それにしても、マイナーにはいろんな球場があって驚かされます。ナッシュビルのこの球場は、暗い。雰囲気ではなく、照明が「市民グラウンド」。いや、最近の市民グラウンドのほうが、きっと明るいです。ヘルメットに、地下工事の人のように、電灯をつけたいです。
おまけにマウンドが高い。しかも打ち下ろし。だから余計にマウンドが高く見えるのです。それでもカンカラカンカラ打つ、マイナーの選手達。こいつらはすごい。
こういうところでやっていれば、それは、多少のことではへこたれません。僕もこういう悪条件を克服して、タフにならなければ、と思います。
2002年4月26日 テネシー州ナッシュビルにて
2タコ、1犠打。
一日一善、ということで、よしとしましょうか。
球場の暗さにもだいぶ慣れました。連日、日本の方が応援に来てくださいます。ヒットを見せられずに申し訳ない。でも、とても励みになっています。ありがとうございます。
ところで今日の試合は2時間で終わりました。 大学野球みたいでした。
2002年4月27日 テネシー州ナッシュビルにて
4の1。
今日も例によってピッツ監督がバッティング投手をやってくれました。
しかし、いつにも増して、流血の量が多い(*)。ボールはまっかっかで、球拾いをすると、僕らの手にも、血がついてしまいそうな勢いです。
チームは「おい、監督大丈夫か?」と心配、同情していたのですが、その割にはクラブハウスに戻るなり、「みんな手を洗え!」と、妙に几帳面に手を洗い始めました。僕はその光景をぼーっと見ていたのですが、「壮!お前も洗わなきゃ!」と、せかされてしまいました。
さすが血液に敏感なアメリカ。別に監督を疑う?わけではないですけど、みんなが必死に手を洗っている様子は笑えました。しかし、手だけでなく、僕のグラブにも、「ピッツ監督の血」がしっかりついてしまいました・・・。
(*)解説
アメリカには「打撃投手」という制度はなく、コーチや監督が試合前の練習などで、選手にボールを投げてくれます。レッドバーズのピッツ監督は、L字ネット(自分の身体を打ち返された球から守るネット)に手をぶつけながら投げる癖があり、いつも手から血を出しています。
2002年4月28日 テネシー州メンフィスにて
突然の大雨で中止。メンフィスにバスで移動。
最近の天気予報に、よく「T’STORM」という文字が出ています。中西部はサンダーストームのシーズンなのです。日本で見る雷とは規模が違う。そりゃも
う、大スペクタクルです。真っ暗な空に、ちゃんとぎざぎざが走ります。そのたび空の色が、照明でもたいているかのように変わって、すごい迫力です。
今日はその雷こそ鳴らなかったものの、大雨と雹が降りました。おまけにロッカーからダグアウトに行く通路に水が溜まり、膝まで届きそうなほど・・・。もう「待って試合開始」などと言っていられる程度の雨ではありませんでした。
しかも帰りは、ベンチを通って、ダグアウトから球場の外に出なければならず、冠水したところを通らなければなりませんでした。そこで、長いすを橋代わりにして、一人ずつ渡りました。揺れて怖かったです。アメリカでこんな体験をするとは、夢にも思っていませんでした。
さて、ようやくメンフィスにバスで移動することに。ところが、バスの一番後ろに陣取った、陽気なラテン系選手達がうるさいのなんのって、寝られたものではありません。お前らは遠足の小学生か!
ぺちゃくちゃしゃべりながら、すごいボリュームで音楽をかけて、その合間に「Fxxx」「Fxxx」の連続です。うとうとすることさえ、できない。しかも、呪文のように「Fxxx」の嵐。悪夢のような4時間でした。
アメリカの野球選手だからといって、みんなが英語を話せるわけではありません。特にレッドバーズのラテン系の選手は、普段の会話はほとんどスペイン語で
す。外国語で一番覚えやすいのは「汚い言葉」なのは皆さんご存知と思いますが、ラテン系の彼らが英語で話すとき、まるで接続詞のように4レターワーズが飛
び交います。(スペイン語でも飛び交っています。僕もおかげでだいぶ覚えてしまいました)
「綺麗な英語を学ぶ」のが目標の僕ですが、この環境にいたら、先行きは暗そうです。
2002年4月29日 テネシー州メンフィスにて
4タコ。
バカヤロー!って感じの一日でした。アメリカ野球のわけのわからなさを、また体験してしまった。何があったかは、ヒミツです。こればっかりは書けません。今度僕にどこかで会ったら、そっと聞いてください。内緒話でお伝えしますから。
とはいえ、まあ、打率に関しては、下がる日もあれば上がる日もあるので、あまり気にしていません。それより、内容重視です。守備では、ランナーを進ませないプレーが今日もあり、こちらは順調です。
問題は、打ち損じが多いこと。仕留めるときは一発で仕留めないとダメですね。ワンスイングを、そのままきっちりヒットに持っていかなくては。
2002年4月30日 テネシー州メンフィスにて
3の1 1四球 (1タイムリー 1打点)
今日で4月も終わりです。
また、サンダーストームがやってきました。ロッカーからダグアウトへ向かう階段が腰まで漬かるくらいの浸水です。どこの球場も浸水するのですが、いったい
建物のつくりはどうなっているのでしょうか?おまけに雨漏り。雹も降りました。他の町では「野球ボール大」の雹が降って被害が出ていました。町も浸水。す
ごい光景が繰り広げられて、それでも試合は、ありました。
ところで、今日はマック鈴木投手と対戦しました。結果は初球を打ってライトフライ。複雑な心境でした。「頑張って欲しい。でも俺も打たなければ」・・・という感じ。年下ではありますが、僕にとっては先輩です。
たったひとりで、独立リーグからここまで上がってきて、頑張っている彼に対して、尊敬の気持ちがとてもあります。ベンチの中から気になっていつも見ていましたが、アメリカで培ったタフさをとても感じました。
打ちたかった〜。けど、僕は一日も早くメジャーへ。そして彼は一日も早く、メジャーに復帰を。そんなふうになればいいなあと思っています。もっとも、バッターボックスの中ではそんなこと考えていませんけどね。
守備は毎日絶好調。美技連発です。自分で書くな。
2002年5月1日 テネシー州メンフィスにて
5の1 1打点
通訳のマック(林誠さん)が帰国。今日から一人です。昨日、チームメイトから「今のうちに言いたいことを言っておけよ」とからかわれました。
彼のおかげで、2ヶ月間何も苦労することなく生活でき、本当に感謝しています。同時に、今日からどうすりゃいいんだ、という感じですが、がんばるしかありません。
英語は、野球に関しては特に何も不自由はないのですが、今後込み入った話になったときに、さあ、どうなるでしょう?もし問題が発生したら、それもまたネ
タ、ということでこのページでお伝えします。問題が起きたその瞬間は焦るでしょうが、きっと帰ってきて、メールを書く頃には笑い話にしてみせます。
2002年5月2日 テネシー州メンフィスにて
4の3 1打点 1盗塁
今日もマック鈴木投手と対戦して、結果はセンター前ヒットでした。
ところで、このオマハのチームには、ナナリー(もとオリックス)がいたのです!皆さん覚えていらっしゃいますか?日本にいた頃は、すごい顔でプレーしてい
た彼も、こちらでは穏やかな表情で、楽しそうに野球をやっています。日本ではかなりプレッシャーがあったんでしょうね。ぜんぜん違う印象を受けました。
試合前にちょっとしか話せませんでしたが、僕を励ましてくれて、そのあと、「もう一度日本でやってみたいなあ」と言っていました。
僕は明日からキャナダです。この前の「朝4時起き移動そのまま試合」よりマシです。明日は5時半起き!で、移動です。もちろん試合もありますよ。
2002年5月3日 カナダ・カルガリーにて
カルガリーに到着しましたが、雪が積もっていました。外に出てみると、ちらほらと雪が舞っています。「こんな中で野球をやるのか??」と聞いたら、「今日
は寒さと雪のためできない」とチームメイト。早々中止が決まって、ホテルで天気予報を見たら、午後3時の段階で、マイナス3度でした。
明日からも冷え込みそうで、月曜日には「最高気温1度」の予測が出ています。いったい何試合できるのだろうか?興味を持ちつつも、ちょっと恐れている私です。
この8日間の遠征(カルガリー、エドモントン)が終わると、メンフィスに戻るのですが、その頃には気温に対してさらにタフになっていることでしょう。
それか、風邪をひいているかどちらかです。
2002年5月4日 カナダ・カルガリーにて
雪が積もっていて、今日も中止。
グランドに行く途中、歩道橋から外野を見たら、真っ白でした。「シートかなあ」と思いきや、雪が積もっていたのです。15人くらいで、必死で雪かきをしていました。でも中止です。
そんなわけで、今日予定されていたダブルヘッダーは明日とあさってに振り替えられました。2日連続ダブルヘッダー、ということになるのですが、明日の予報、雨。あさっては、雪。こっちの天気予報はよく当たるだけに、うーん・・・困りましたね。
そんな中でささやかな幸せを見つけました。ガソリンスタンドのコンビニで、なんと大好きな辛(シン)ラーメン(*)を発見!インスタント食品はほとんど食べない僕ですが、これだけは別です。
今日はこれを食べつつ、部屋でテレビでも見て過ごします。外に出るには・・・寒すぎるぞ・・・カナダ。
ところで、わざわざ球場まで足を運んでくださったのに中止だった、という方からメールをいただきました。どの町に行っても、日本の方が親切に情報を提供し
てくださるのでありがたいです。みなさんありがとうございます。お互いこの寒さで風邪をひかないように気をつけましょう!
(*)
辛ラーメン 真っ赤なパッケージでおなじみの、とっても辛い韓国のインスタントラーメン。カップ入りとパック入りがあって、卵を入れて食べるとおいし
い。スナック感覚で、麺をゆでずに砕いて、赤いスープの素をまぶして食べるのが「通」だとか。日本でも売っています。
2002年5月5日 カナダ・カルガリーにて
なんとなんと、今日も雪で中止です。これで3日連続。5月に雪で試合が3日も中止になるなんて、なかなかできない経験です。
せっかく係員の人たちが雪かきをしたグラウンドも、今日行ってみると、昨日以上に雪が積もっていました。明日も予報が悪いのです。いったいここに何をしにきたんでしょう・・・?
レッドバーズの公式HPにも、このところ毎日「今日は雪で中止」と載っていたのですが、3日目ともなるとさすがに疑問に感じ始めたようで、「WINTER
WONDERLAND」と題し、「レッドバーズはカルガリーで試合をすることができるのだろうか?」と、思いっきり皮肉って書いてありました。
でも、もしこんな寒さの中で試合をするとなれば、「野球人生の中で、一番脚が震えた試合は?」と聞かれたら、「カルガリーです」と答えることになるんでしょうね。今、気温は0度です。
あまりの雪にはしゃいだチームメイト2人は、バケツのふたと洗濯物のカゴを持って、そりすべりをして遊んでいました。
僕は部屋でゴロゴロです。
2002年5月6日 カナダ・カルガリーにて
こんなことが起きるとは・・・びっくりです。
レッドバーズのHPをごらんになったことがありますか?見出しのつけ方がいつも面白くて、昨日は「カルガリーで試合ができるのだろうか・・・?」という感じだったのですが、今日はもう呆れて笑っちゃう感じです。「ただ見ているしかできない」だって。
ということで、今日はスタビー・クラップやクールボー(阪神にいたクールボーの弟)、ガーリックらと電車に乗ってモールまで出かけてきました。僕ら、観光客?
ところで、モールに着くと、スタビーが「日本語の辞書を買って、勉強するよ!」と言い始めました。そこで本屋に行ったのですが、「俺も日本語を勉強する
よ!」と、クールボーまで英和辞書を買い始めてびっくりです。でも、うれしかった。そうやって、コミニケーションをはかってくれようという気持ちは、とて
もありがたいものですね。でも、彼らの日本語のほうが先に上達したらどうしよう・・・。
さて、明日はエドモントンに移動です。果たして試合はできるのでしょうか?
2002年5月7日 カナダ・エドモントンにて
4の3
カルガリーからエドモントンに移動しました。フリーウエイをバスで走っていると、まわりの景色、広大な土地が一面真っ白です。山が冠雪しているとか、そん
な景色は見たことがありますが、あたり一面どこまでも真っ白・・・というのは初めて見ました。なんとも言えないカナダのでかさを感じます。
しかし、ただただ白い光景を見ていたら眠くなり、起きたらエドモントンでした。
川岸にはやや雪が残っていたものの、久しぶりに試合ができました。夜の9時ごろにようやく日が沈むので、ナイターといっても、最後の7、8、9回くらいまではさほど寒いということもなく、助かりました。
2002年5月8日 カナダ・エドモントンにて
4の1 左中間ツーベース
今日はゲームが長かったので、後半寒くて震えてしまいました。おまけにバット2本折られて、ちょっとショック(もったいない)。
ところで、今日は一人でモールに出かけてフードコート(*)で昼ごはんを食べました。「日本食」と呼ばれるものにチャレンジしたところ、・・・・・・な
んとも言えない・・・・・・味でした。僕は焼きそばと、突如食べたくなってスチームライス(ご飯)も頼んだのですが、レジで「ALL
TOGETHER?」と聞かれたため、お会計のことかなと思い、「YES」と答えたら焼きそばは、ご飯の上に乗ってやってきました。
今日の昼ご飯、そばめし。
(*)フードコート
アメリカのショッピングモールで見かける、軽食が取れる広場のようなところ。ハンバーガーやピザをはじめ、中華、メキシカン、和食など多種多彩。縁日の屋台のように店がずらりと並んでいて、好きなものを買って、その場にあるテーブルで食べる。
2002年5月9日 カナダ・エドモントンにて
4の1
寒いエドモントンです。ちょっとでも詰まった当たりだと、手が痛いのです。一生懸命手を温めて、それから打席に立っても痛い。おかげでベンチにいる間はずっと上着を着て、手を外に出さずにいます。
ところで、ちょっとうれしいことがありました。ルームサービスを頼んだとき、「あなた、英語うまいですね!」とほめられたのです。お世辞でも、やっぱりほ
められるのはうれしいし、やる気も出るというものです。「これができない」とマイナスで計るより、今は「これができた!」という気持ちを励みに、少しでも
前に進もうと思います。
2002年5月10日 カナダ・エドモントンにて
1打数ノーヒット(見逃し三振)
今日はお休みをいただきました。最後は「行け」と代打で出され、自信を持って見送ったら、ストライクといわれました。ベンチも、3塁コーチも、あとで聞いたら中継アナウンサーまでも全員「ボールだろ〜」と言ったのですが、審判には逆らえません。
ところで、スタート(先発)ではない場合、練習中にいろいろやらなければいけません。というのも、選手の人数が少ないので、お休みの人が、ファーストでボールを受けたり、ブルペンでキャッチャーの代わりをするのです。
今日僕と一緒にお休みをもらったキャッチャーが、「壮、キャッチャーをやってくれよ」と言うので、キャッチャー道具を全部つけてブルペンに行こうとしたら、真剣に止められました。
そのまま僕は監督のところに行って、「I’M READY!」と言ってみました。監督は「行けるのか!?」と笑ったものの、やっぱり止められました。僕がもし怪我をしたら、言いだしっぺのキャッチャーもトレーナーもクビになってしまうからだそうです。
ということで、今日僕は、キャッチャーではなく、一塁コーチャーズボックスに立ちました。主な役目は、アウトカウントの確認と、けん制されたらランナーに
「BACK!」と言うことです。あとはライナーで選手が飛び出さないように注意したり、ただぐるぐる手を回して「GO!GO!GO!GO!」と叫ぶ、など
でした。
カナダ遠征も今日で終わり。明日は、朝6時出発で、メンフィスへ戻ります。着くのは夕方の4時くらい。およそ9時間の移動後、6時からナイターです。しかもあさってはダブルヘッダー。こんなに長いことメールを書いている場合ではありません。寝ます。おやすみなさい!
2002年5月11日 テネシー州メンフィスにて
3タコ。
3打席目、一塁に駆け込んだ時、ちょうど空中に浮いている足にタッチをされ、着地で捻挫してしまいました。しばらく、たぶん1週間くらいは試合に出られないと思います。そんなに深刻ではないので、心配ご無用です。このさいじっくり身体を休めて、また出直します。
頑張って早く治します!
それにしても今日の移動はすごかった。カナダ・エドモントンを出たのが朝の6時。メンフィスの球場に着いたのが夕方4時半で、着替え終わったら5時過ぎ。ゲームは6時5分開始です。飛行機が遅れていたら、いったいどうなっていたのでしょう?
しかも、バスが球場の正面に着いたため、ゲートが開くのを待っているファンの人たちの真横を、遠征の荷物を持った選手がぞろぞろ・・・歩いて球場入りです。日本だったら考えられません。きっと選手とファンが入り混じってしまい、パニックになるでしょう。
でもこちらのファンは、ただ「ああ、来た来た」という感じで見ているだけ。マナーがいいと言えばそれまでですが、それはそれで寂しい?
2002年5月12日 テネシー州メンフィスにて
案の定今日は試合に出られませんでした。痛みはちょっとマシになっていますが、歩くのに足をひきずってしまいます。
それより何より、足が痒くて・・・・テーピングのノリに負けてしまい、
肌が痒いのです。皮膚だけはアメリカに来てもタフになりません。
2002年5月13日 テネシー州メンフィスにて
足の状態は、少し良くなってきました。一見普通に歩けるくらいです。
しかし、試合中は何もやることがありません。ただ見ているだけです。仕方がないので、バットを持って手首を鍛えています。「これくらい痛い」「ここが痛
い」「何したら痛い」ということを毎日トレーナーに英語で伝えていますが、本当にちゃんと伝わっているのでしょうか?トレーナーが僕に言っていること、指
示することはわかっているんですけどね。
ところで、試合後の夕飯はスペアリブでした。これがうちで一番うまいメニューです。さすがメンフィス。(地元の名物はバーベキュー)
2002年5月14日 テネシー州メンフィスにて
練習中は、オリの中の動物のように延々と歩き回っています。それが終わると、ウエイトトレーニング。あとはメシばかり食って、コーヒーばかり飲んでいます。今日はついにひまわりの種を、一袋完食してしまいました。
ひまわりの種といえば、ありがちな「アメリカ野球のシーン」ですが、50グラム入りの袋が、ベンチに常に置いてあります。好きな人は、必ず袋ごと持って行きます。味は、一般的には塩味。でも、バーベキュー味もあります。
基本的には、口の中にたくさんほおばって、奥歯で種を割って、中身を食べます。残った外の皮を、そのままベンチにぺぺぺぺと吐くわけです。アメリカ人は、
ガムも紙に包まずベンチに吐く。気をつけないと踏んじゃいます。踏んじゃいましたけど。唾も吐く。気をつけないと踏んじゃいます。ジュースはこぼれている
し・・・一試合終わると、ベンチはすごい汚い状況です。ひまわりの種は、日本にもあります。ところが、買ってきて食べても、ベンチに吐けないから野球選手
向けではありません。日本はベンチを綺麗に使いますからね。
ちなみに、ベンチの中に種を吐くのは平気になった僕ですが、さすがにグラウンドに向かっては、彼らのように吐くことはためらいがあってできません。
2002年5月15日 テネシー州メンフィスにて
今日は休日。午前中に治療に行って、軽くリハビリをしてきました。ちょっとしたジョギングもできるようになり、回復は今のところ順調です。
午後は「スパイダーマン」を見ました。なかなかビジュアル的に面白い映画でした。
ところで、今日は2ヶ月ぶりに髪を切りました。チームメイトからも「切れ切れ」とうるさく言われていたほど、伸びきっていた僕の髪。しかし、前回の「大工
の源さん」の反省を生かし、ヘアカタログまでも見せて、ヨメにも説明させ、ようやくマトモな私になりました。自分ひとりで行くには、ちょっと怖かったで
す。また源さんにされる可能性が大だったので・・・。
2002年5月16日 テネシー州メンフィスにて
バッティングをしました。復活も秒読みか?と調子に乗っていると、またやってしまいそうなので、まあ、ゆっくり行きます。うまくいけば土曜日の試合に出られるかなあ・・・または日曜日・・・うーん・・・というところです。
ところで、僕は毎日の習慣で、壁に貼り出されるその日のスタメンと、明日の集合時間を確認しているのですが、レッドバーズのスターティングラインナップの
中に、「うちのチームの選手ではない、しかし見覚えのある名前」を発見しました。「ナナリー」ななりー?字が汚くて、違う人かなとも思ったのですが、そん
なつづりの奴は、ほかにいない。うちは、トレーナーが、トレーナー以外のすべての仕事をしているので、きっと彼が知っていると思い、聞きに行きました。
「ナナリーって、誰?」すると、「オマハから来た、新しい選手だよ」「じゃあ、ジョン・ナナリーのこと?」「そうだよ」
またチームメートになってしまいました。ナナリー。過去にオリックスでセンターとレフトを一緒に守った、彼です。しかしこれで、日本でプレーしたことのあ
る選手が、レッドバーズに5人です。田口壮(オリックス)、ナナリー(オリックス)、オーミー(日本ハム)、ハッカミー(ヤクルト)、クルーズ(阪神)。
もしよかったら、ここにクールボー(阪神)の弟も入れときましょうか?それで、5.5人という感じ。
そんなわけで、うちのチームはみんな結構日本に興味を持っています。
2002年5月17日 テネシー州メンフィスにて
練習は全部やりました。70パーセントくらいですが、腫れも引いてきて、テーピングをしながら何とか動けるようになりました。いつからゲームに復帰するかはまだ決めていません。
昨日、今日、球場の周りは警察でいっぱいです。というのも、昨夜、殺人犯が脱獄しました。しかもまだつかまっていません。ヨメが警官と話をしたところ、外れた道の一人歩きは充分注意するように言われたようです。
メンフィスのダウンタウンは、そんなに治安のいい場所ではないと
言われています。そんな中でも、近郊で何年も生活されている日本人の方がいて、たくましいなあ、と思います。普通に生活するのに、気が抜けない、というのは大変なことなんですね。
2002年5月18日 テネシー州メンフィスにて
復活です。試合に出ました。球場に着いたら、なんとスターティングラインナップの中に名前があるではないですか!僕もそうですが、周りも驚いて、「壮大丈夫か!出られるのか!?」と笑いながら心配されてしまいました。
昨日トレーナーには「70パーセントくらいなら動ける」と伝えておいたのですが、こっちの世界は「動ける」「動けない」のどちらかしか判断材料がないのでしょうか・・・。
ともあれ、久しぶりに楽しい野球ができました。結果は3タコ。1芸術的な送りバント。
ともかく、とりあえずは試合に出られるようになったということで、一安心。
2002年5月19日 テネシー州メンフィスにて
3タコ。
復帰後ヒットが出ないので、気持ち悪いです。振れども振れども、全部ファウルになるし、力が入っているのかなあ?まあ、考えていても仕方ないので、にこっと笑って、明日はまた頑張ります。
ところで、今日からバッターボックスに入るときの音楽を変えました。今まで僕の打席では、球団が選んだ曲がかかっていたのですが、各選手、自分の国の音楽を選んでいる様子。そこで田口壮も、自分で選ぶことにしました。
メンフィスといえば、ロックンロール。日本を代表するロックンローラーと言えば、そうです、矢沢永吉。僕、好きなんです。で、「止まらないHA〜HA」をかけることにしました。
しかし、今日の一打席目はつい「いい歌やなあ」と聞き入ってしまい、おかげで調子がおかしくなってしまいました。いかんいかん。
2002年5月20日 テネシー州メンフィスにて
4の1。
復帰後初ヒットです。
それはさておき、今日また一人突然クビになりました。このところずっとバッティングの調子もよくて、レギュラーのように出場していた選手です。
すごく悲しかったです。キャンプ中からよくしてくれて、分からないことや困ったことがあったら、全部助けてくれていた選手でしたから、ショックを受けてしまいました。
そして、だんだん「図式」が見えてきました。若い選手が3Aにいるなら、未来はあるけれど、ある程度3Aで経験を積んできたベテランは、上に上がるか、首を切られるかのどちらかしかないんじゃないか、と。
そういう光景を目の当たりにして、「明日は来るかどうか分からない」そんな世界に自分がどっぷり漬かっているということに気づきました。ひょっとしたら、
今日の試合は、僕にとって最後になるかもしれない、そんな気にさせられてしまいました。一試合、一試合を大切に、という思いは前々からありますが、今日み
たいな出来事があると、好きな野球を今のうちに、思う存分楽しんでおかなければ、という気持ちが強くなります。「やらなきゃ、やられる」という気持ち、前
に向かうしかないという現実、「行ってダメならしゃあないやん」という気持ちが、本当に強くなるのです。ああでもない、こうでもないなんて、悩んでいる猶
予は、与えられない世界だと思いました。
ちょっと重いので、話をかえましょう。
今日僕は、スタバでステンレスのコーヒーカップ(持ち運び用)を買いました。理由は簡単。ゲーム中に、ベンチから、裏にコーヒーを飲みに行く時間がないの
です!日本なら、打順が回ってこないイニングの時に、裏に行って、コーヒーをすすっているヒマがあるのですが、こちらではずずずと飲んでいるうちにチェン
ジになってしまうのです。試合の流れ、テンポが日本よりずっと早いのです。
したがって、ベンチにコーヒーを持ち込むため、マイカップを買いました。
こういう話になったので、試合のテンポがどれくらい違うか、実例をもって説明しましょう。
まずアメリカのペース。チェンジになって、守備から田口壮、ベンチに戻ってきます。その回の攻撃の、2番目の打者だとしましょう。そこで僕は、どうしても
トイレ(小)に行きたい、とします。そこで、ベンチの裏にあるトイレに駆け込むのです。すっきりした田口壮は、手を洗って、ダグアウト(ベンチ)に戻りま
す。するとなんと、僕の前のバッターがもう打席に入っているじゃないですか!別に僕の膀胱が特別でかいわけでもないのですが・・・これで初球でも打たれた
日には、ネクストバッターズサークルに寄るひまもなく、打席に行く羽目になってしまいます。もちろん、何があっても素振りはしますが、結構慌てます。
これが日本だと?守備から帰ってきて、トイレに行って、ベンチに戻ってくると、そろそろその回が始まるかな?というくらい。ピッチング練習もようやく終わった頃です。
結論。トイレの近い選手、胃腸の弱い選手はアメリカ野球には向きません。その点、僕はとっても強くなりました。
2002年5月21日 テネシー州メンフィスにて
1の0。
今日はお休みの日。スタメンを外れ、昨日買った携帯用コーヒーカップが何時間暖かさをキープするかなあ、などと考えていたら、7回の途中に、いきなり「行け!」と言われました。
しかも1タコだったので、話もなにもなし。
でもコーヒーはとりあえず、約2時間半暖かいままでした。
2002年5月22日 テネシー州メンフィスにて
3タコ、1四球。
なかなかヒットが出ません。苦労しております。逃げずに行きます。
ところで、ここでとんでもない事実をお伝えしましょう。今日僕は次の遠征の移動予定を手に入れました。何度も何度も、目を疑って、見直してしまいました。
われわれは、24日からフレズノとサクラメント(西の果て)、そしてニューオリンズ(南の果て)へ旅立つのですが、朝5時出発。しかも飛行機2回乗りかえです。まあ、そんなことは別に何でもありません。予定表を見て目を疑ったのはここからです。
サクラメントからニューオリンズに移動するのに、試合終了後飛行機に乗るのですが、ニューオリンズに着くのが次の日の朝11時前です。いわゆるレッドアイ(夜間移動)と呼ばれる方式です。もちろん、そこから球場に行くのです。
そしてなんと、ニューオリンズからメンフィスに帰るのはバス。飛行機だと思っていたのに・・・。夜9時半に出て、さわやかな朝の4時に帰ってきます。
朝4時にメンフィスに戻ってくるのはいいけど、果たしてホテルはチェックインさせてくれるのでしょうか?とっても不安です。
2002年5月23日 テネシー州メンフィスにて
4の2 (ライト前2本) 打点2。
昼ご飯をチームメイトと一緒に食べに行き、とても恥ずかしい事実が判明しました。
先日、長い遠征を前にしたミーティングがあり、監督が10分ほど話したのですが、そのことについて、食事中に、「何を言っていたか分かったか?」と聞かれ
たのです。僕は、「これから長い遠征に出る。特に重要なのは、ストレッチだ・・・」などなど、そういう話をしていたのでは、と言いました。特に印象的だっ
たのは、監督が「PLAY HARD」と「IMPORTANT STRETCH」を繰り返したこと。うんうん。移動も長いし、必死こいてプレーして、身体
の手入れもしっかりとしろよ、と言いたいんだなあ、と理解したわけです。つまり、「STRETCHING IS IMPORTANT」かな、と。
以下、監督のミーティングの内容。
「これから長い遠征に出る。このストレッチ(遠征期間)は(相手が同じディビジョンにいるので)特に大事だ」
ストレッチにそんな意味があるなんて知らなかった!ピリオドとかスパンとかタームとか言ってくれよ、という感じです。「それなりにまとまった話」に聞こえてしまっただけに、間違いに気づくのに3日くらいかかってしまいました。
どうりで誰も丁寧にストレッチ体操しないはずです。
2002年5月24日 カリフォルニア州フレズノにて
3の1(ツーベース)、2犠牲バント、1捕殺
朝5時出発という長い移動の末、カリフォルニアにやってきました。しかもそんな日に限って延長戦。10時半にようやく試合が終わりました。
ところで、この移動になぜか「帽子」だけが着いてこられなかったのです。おかげで練習中は、誰も帽子をかぶらず、試合前に、市販の黒い無地の帽子が配られました。「どっかの審判?」という雰囲気です。僕らはそれを被って、お互いを笑い合いました。
こんなことが起きたのは初めてです。
試合が終わったら、本来の帽子が届いていました。
2002年5月25日 カリフォルニア州フレズノにて
5の1、1打点。
疲れは二日目にやってきます。
1打席目にヒットを打って、よーしハマった!と
思ったのですが、
2打席目あたりから、
身体が重たくなっていくではないですか。
7回には、もうベンチで座り込んでいました。
みんなに聞いても、二日目のほうがしんどいと
言います。
医学的見地から、どなたかこのメカニズムについて
説明していただけないでしょうか?
日本にいたときは、まったく感じるとこのなかった
疲労感です。
2002年5月26日 カリフォルニア州フレズノにて
4の1(2ベースタイムリー・打点1)
デーゲーム。暑いです。5月の終わりですが、日本の夏を思わせます。ベンチでは今日初めて、冷やしタオルが用意されました。でも、僕が使おうとした9回には、バケツの水が真っ黒・・・使う気になれませんでした。
ところで試合後、クラブハウスはレイカーズVSキングスの、「終了時の3ポイントシュート逆転劇」で盛り上がりました。哀れチーフ(監督の呼び名)だけが、この瞬間を見逃してしまい、あわてて監督室から飛び出してきました。
「何があったんだ!」
「俺は見ていなかったぞ!」
レイカーズファン、キングスファンにわかれて異様に盛り上がる選手たちを尻目に、チーフはとっても寂しそうでした。
2002年5月27日 カリフォルニア州フレズノにて
3タコ。
今日は(成績はともかく)とてもうれしいことがありました。今回の遠征の対戦相手、フレズノ・グリズリーズの監督、レン坂田さんとお話をさせていただいたのです。
レン坂田さんといえば、もとオリオールズの名手。日本でも、バレンタイン監督の時代のロッテで1軍コーチや2軍監督を務められたので、ご存知の方も多いでしょう。
僕は8歳くらいのときにテレビで坂田さんを見て、日系アメリカ人の坂田さんを日本人と勘違いして、「かっこいいなあ」「日本人ががんばってるぞ」と憧れ始
めました。僕にとっては、生まれて初めて見たメジャーリーガーです。93年には、ハワイのウインターリーグで相手チームの監督を務められていたのを覚えて
います。ともかく、僕がアメリカ野球に興味を持つきっかけを作ったのは、紛れもなく坂田さんの存在なのです。
フレズノは、たまたまレッドバーズの開幕戦の相手でした。僕は坂田さんがフレズノの監督とはまったく知らず、とても驚きました。同時に、アメリカ野球に憧
れるきっかけを作った方と、この地で会えた偶然にとても感謝しました。そして今回、初めてゆっくりお話させていただく機会に恵まれたのです。
おかげでまた力がわいてきました。詳しい会話の内容は、取材に来ていたNHKでご覧ください。放送日時は知りません。
もしそれが放送されなかったら、またこのメールで後日お伝えします。
2002年5月28日 カリフォルニア州サクラメントにて
4の2。
午前中にバスでサクラメントに北上しました。サクラメントといえば、NBA、キングスの本拠地です。ゲーム5で、佳境に入っている状態、しかも相手がレイカーズとなれば、お客さんは100人くらいしか来ないんじゃないか、というのがもっぱらの予想でした。
ところが、お客さんはたくさん来ました。ところが、心はキングスなのです。
通路にあるテレビも、今日は全部バスケットが流れていました。そして、キングスが得点すると、「うおおおおっつ!」と盛り上がるのです。野球がぜんぜん盛
り上がっていない場面で。「なぜ今?」というような時に。「もしかしてこの人たちは全員イヤホンをつけているのでは?」と疑いたくなるくらい、キングスの
プレーで同時に盛り上がるのです。
レッドバーズが得点したときも、ちょうどその「うおおおお!」が来ました。自分たちへ声援ではないと知りつつも、とりあえず「うおおー!!」と一緒に盛り上がっておきました。
2002年5月29日 カリフォルニア州サクラメントにて
3の1、1盗塁。
さすがカリフォルニア、日本人のファンが多いです。「がんばれ田口〜!」という声も聞こえるし、「脇があいてるぞ〜!」という声も、ファウルを打ったあと、やけにクリアに聞こえてしまいました。
インコースに曲がってきたから、わざとファウルを打ちに行った結果の「脇が開いてる」です。わかっていただけるでしょうか?
しかし、なぜあの一言だけが、妙にはっきり聞こえてきたのか。不思議です。
以上、さまざまなご声援ありがとうございました。明日もがんばります。
2002年5月30日 カリフォルニア州サクラメントにて
4の1。
皆さん、ロイ・ホワイトという名前を覚えていらっしゃいますか?僕がまだ若かった?頃、巨人でプレーしていたあの「ホワイト選手」が、今、サクラメントのヒッティングコーチをしているのです。
「アメリカ野球を楽しんでるか?」「みんな助けてくれるか?」などと心配してくださったのですが、会話の半分くらいは日本語。上手でびっくりです。
僕が「巨人でプレーしていらした姿を覚えています」と言ったら、とてもうれしそうな顔で、「そう、東京ジャイアンツだ!」と喜んでいました。「がんばれよ」「はい、ありがとうございます」2、3分だけど、すごくうれしかった。
ところで、わが親友?大悪友・ウイリー・フレーザーが仕事の関係でサクラメントにも登場しました。今日はバッティングピッチャーまでしてくれたのです
が、相変わらずの汚いボール(つまり癖球。ほめ言葉ですが、バッターにとってはやっかい)で、打ちづらいです。「現役復帰したら?」と言ったら、「もうい
い!」そうです。
アメリカに来てから、年配の方から現役選手まで、かつて日本でプレーした人にたくさん出会います。それぞれがいろいろな道へ進んでいるけれど、みんな元気でやっていて、ふっと現れた僕に、暖かく親切に接してくれます。
ありがたいことです。
2002年5月31日
移動のため本日は休止
2002年6月1日 ルイジアナ州ニューオーリンズにて
今日の移動は、今までの中で一番しんどかったような気がします。ところが今日はなんと、お休みをいただきました。
この移動がどう出るか、という点では「試合に出たい」という興味はあったものの、まだテーピングを巻いている状態なので、とりあえずは一休みできてよかったんでしょうね。
とにかく今から寝ます!早いけど。
2002年6月2日 ルイジアナ州ニューオーリンズにて
3の0。1打点。
2試合タコが続いてしまいましたが、特に調子が悪いわけでもなく、単にヒットにならないだけです。足の具合もだいぶ良く、戦っているのは疲労くらいです。
今日打席に入るとき、相手のキャッチャーが「ニューオリンズは初めてか?」と聞いてきました。「初めてだ」そう答えると、審判まで一緒になって、「にぎやかでとんでもないところだぞ。いい町だけどね」と盛り上がってしまいました。
ちなみにそのあと三振。罠でしょうかねえ?
2002年6月3日 ルイジアナ州ニューオーリンズにて
4の2。1打点。
面白いことがありました。
実は先日、監督にミーティングで褒められたのですが、僕の真剣な顔を見て、監督は「もしかして怒られていると勘違いしているのでは」と不安になってしまったようなのです。
先日の「ストレッチ事件」の余波もあったのでしょう。
僕は理解していたし、心の中ではとてもうれしかったのですが、ほかの選手の手前、顔には出しません。
そこで監督は、数人の選手に、「怒ったんじゃないよ。褒めたんだよ」と、僕に伝えるよう指令を出したのです。
そんなわけで、誰かしらが寄って来ては、「壮、この間のミーティングな、お前は褒められたんだからな」とか、「壮、怒られてないからね」などと、やけに丁寧に説明するのです。
監督いわく、「壮は俺が話している間、固まっていた・・・」これも文化の違いかなとつくづく思いました。
日本人にとって、監督の話は直立不動で聞くようなもの。選手との間にも、かなりの距離があります。でも、アメリカでは監督をファーストネームで呼び、
(レッドバーズはピッツ監督を「チーフ」というあだ名で呼びますが)、用事や言いたいことがあれば、自分から監督室にたずねて行って、あれこれ話します。
日本なら、自分から監督に話しかけるなど、挨拶以外はめったにないことです。
それにしても、説明するように指令を出してくださった心遣いはうれしいのですが、説明するのもやっぱりアメリカ人なんですけど・・・
ちなみに褒められた内容は、チームプレーに徹している態度についてでした。こういう目に見えない部分をちゃんと評価してもらえるのは、ありがたいことですね。
2002年6月4日 ルイジアナ州ニューオーリンズにて
2打数ノーヒット、1打点(犠牲フライ)、1四球。
2タコですが、内容は決して悪くありません。外角球を叩いた1塁線へのゴロもバットの芯で捕えていました。抜けたと思ったのですが相手の好守で惜しくもアウトになってしまいました。
もう一打席は見逃しの三振でしたが、体をよじってよけるほどの内角のボールをストライクと判定されてしまいました。「エエッ」と思って審判を見たら、審判
も「こりゃまずい」と思ったのか、こっちが詰め寄る前に背中を向けてスタコラとあっちへ行ってしまいました。僕も判定には泣かされてますよ。ニッポンの皆
さん。でもめげずに行きます!
それにしても暑いです。とにかく湿度がすごいです。ほんの1か月前に雪の中で野球をやろうとしていたの(カナダ・エドモントン)が信じられないほどの落差です。
でもニューオーリンズはなかなか刺激的な街です。ちょっとだけメインストリートに足を踏み入れてみましたが、ジャズやピアノの音が流れ、実に雰囲気がある街でした。
さてこれから6時間かけてバスでメンフィスに移動です。到着予定は明日の朝5時。ところが今週末にマイク・タイソンのタイトルマッチがメンフィスで行われ
るため、ホテルが取れません。仕方なくいつもよりずっと離れたところに泊ることになりました。でも明日は久々のオフです。
2002年6月5日 テネシー州メンフィスにて
朝5時にニューオリンズからバスで帰ってきました。しばらく眠りましたが、身体を動かさないと明日余計にだるくなるので、ちょっと芝を刈ってきました。(管理人注:ゴルフのこと。球場のグラウンド整備の手伝いをしたわけではありません。)
曇っていたので、暑くもなく、気持ちよく汗をかきました。しかしこちらの娯楽は安くて近くていいですね。
日本では、シーズン中ゴルフをする選手はさほど多くありません。しかしアメリカでは、休みの日の午前中などにやる選手が結構います。コンペが開催されることもあります。
日本だと、シーズン中にゴルフ!?なんて、眉をしかめる人がいっぱいいます。
野球選手がなんでこの時期にゴルフなんかやってるんだ、とか、「こんなところに来てる場合じゃないだろう。野球の練習しろよ」と、とがめられるのも事実です。だから、野球以外のことをするのは、なんだかとても罪のような気になってしまうこともあります。
やっぱり日本のゴルフは、高いし遠いし、とても日常生活に根付いたスポーツとはいえません。それも原因のひとつでしょうか?
でも、こちらでは、そのへんのジムに行くような感覚で、ふらっとやってきて汗をかくことができます。ちなみに今は日が長いので、午後3時過ぎにスタートしても余裕で18ホール回りきれますよ。
2002年6月6日 テネシー州メンフィスにて
2タコ。(2三振、1デッドボール)
なんと今日は久しぶりに、3人も新聞記者さんが訪れてくれました。というのも、この土曜日には、メンフィスでタイソンの試合があるからです。寄ってくださるというのは、ありがたいですね。
長いこと見たことのない複数の新聞記者さんのために、そしてまた、いい記事を書いてもらうために、張り切りすぎてしまいました。
結果が2三振です。いいところを見せようと思った僕がバカでした。
2002年6月7日 テネシー州メンフィスにて
4の1(2点タイムリーツーベース)
いよいよ明日はルイスータイソン戦です。メンフィスも、いつになくあわただしい雰囲気です。あちこちで交通渋滞が起き、ダウンタウンのホテルはどこもいっ
ぱいで取れませんでした。おかげでいつも泊まっているホテルを離れ、球場までだいぶ時間のかかる郊外まで追いやられるハメに。
帰りは帰りで、駐車場までの道をふさがれて、遠回りをしなければなりませんでした。
おまけに明日のデーゲームも、普段2時開始のところ、夜のタイソン戦の影響で、12時開始です。その2時間が貴重な睡眠時間。どっちが勝ってもいいから、早く終わってくれ・・・というのが一番の本音です。
2002年6月8日 テネシー州メンフィスにて
4の1
ヒットで出た後、次のバッターの2ベースで3塁ランナーになりました。6点差でリード。ピッツ監督が言うには、「ファースト、セカンド、ショートにゴロが飛んだら走れ」「サードまたはピッチャーの場合はストップだ」
わかったつもりでいましたが、いざサードゴロが飛んできたら、身体が反応して飛び出してしまいました。ええい、このまま行ってしまえ、と、監督(サードベースコーチ)が後ろで「バーック!」と叫んでいるのにもかかわらず、突っ込んでしまいました。
ホームでアウトです。監督も当然怒っています。「ナナリー、壮に説明しておけ!」
僕はナナリーに、たっぷりと状況走塁に関して説明を受けましたが、一応きちんと確認したくて、試合後監督室に行きました。自分から初めて、英語で、監督に
自分の気持ちを説明、状況の確認を求めたのです。「今日のが僕のミスだというのは分かっていますが、今後のために確認させてください・・・」おかげですべ
てクリアになりました。
問題は、ナナリーが僕に説明したことが、監督の言っていることと違う、ということ。彼は彼で、僕にアメリカ野球を教えてくれようと必死でしたので、あえて突っ込まないようにしようと思いますが、
違っていていいのでしょうかねえ?
2002年6月9日 ワシントン州シアトルにて
まずは、朝からたくさんのメールありがとうございました。
本日、メンフィスでの試合前に、監督室に呼ばれました。「シアトルに行け」と告げられました。
突然のことだったので、あまり実感が湧かず、すごく嬉しい反面、「シアトルまでどうやって行けばいいの?」とすごく不安になってしまいました。しかし、シ
アトルのホテルに着くと、GM、監督、そして顔見知りの選手達がロビーでこぞって出迎えてくれました。嬉しかった。でも、久しぶりに会ったので緊張しまし
た。だって、ずっとテレビで見てきた選手達ですから・・・。
今日は忘れられない一日になりそうです。田口壮の中では、歴史的な一日になりました。
2002年6月10日 ワシントン州シアトルにて
デビューしました。3タコです。でも今日はいいんです。
すべてが3Aと違いました。球場はでかいし、ロッカーはめちゃくちゃ広いし、人はいっぱいいるし、まわりは有名選手ばかりだし。最初はちょっと緊張しまし
たが、その緊張は、「どうしよう・・・」とかいうナーバスなものではなく、どちらかというとエキサイトしている感じでした。
試合が始まったら足が震えるやろうな、と思っていましたが、まったく震えず、けっこう落ち着いて臨めました。だから、自分で試合中に、「俺、強くなったなあ・・・」などと思ったりもしました。
それにしても、イチローが相手チームにいるというのは不思議な感覚です。長谷川さんの場合は、大学時代に対戦相手だったので、さほど感じないのですが・・・。
やっぱり彼はいいバッターですね。
昔は、はっきり言って、常にイチローと比較されたり、イチローについて聞かれるのがとてもイヤでした。でも、今回こうやって、昇格したその試合がマリナーズ戦、ということは、何かの縁です。「僕の野球人生には、一生イチローが着いて回るんやなあ」としみじみ思いました。
それもまた、よし。
彼の野球人生に僕が着いて回れるかどうかわからないのが、ちょっとナンですけど・・・。
2002年6月11日 ワシントン州シアトルにて
今日は9回の守りだけでした。
メジャーの試合を初めて生で見ました。しかも特等席。立ち見ですけど。ベンチから見ていると、球場の大きさと、選手たちの雰囲気が、やけにいい感じです。
アメリカは、どちらのファンも混ざって座りますから、ライトスタンド、レフトスタンドといった、敵味方ファンの区別がありません。特にセーフコフィールド
は、さすがマリナーズファンばかり。そのファンが球場全体で、いっせいにタオルのようなものを振り回すのですが、相手ながら、非常に爽快な光景でした。
9回の守りについて、チームは勝利。初めての勝利のハイタッチを経験して、ベンチに戻りました。それが今日何よりも嬉しかった出来事です。
2002年6月12日
移動につき休止
2002年6月13日 ミズーリ州セントルイスにて
今日はお休み。朝7時ごろ帰ってきたので、ゆっくり眠って、ゆっくり過ごしました。
ところで、昨日は初めてチャーター機に乗りました。まずはどこに座っていいかが分からない、というのが大問題。エドモンズやマット・モリス、プホルスなどが助けてくれて、やっと席を確保できました。
実は、選手以外にも、球団付きの新聞記者なども乗っていて、誰もがなるべくゆったり座ろうとするので、僕が最後のほうで乗った時には、完璧にあいている、という席がなかったのです。(荷物などが置かれていて)
それをほかの選手が、新聞記者のかばんをよけるなどして、席を作ってくれたというわけです。
チャーター機といっても、普通の飛行機です。ピザやお菓子、ファーストクラス用の食事、そしてあらゆる飲み物が用意され、まずは飲んだり食べたり。1時間くらい飛びませんでした。
離陸するといっても、シートベルトを要求されるでもなく、リクライニングを戻せと言われるでもなく、床に寝ている人までいました。空を飛んでいるという感じがしません。まるでバスです。
やっぱりマイナーとは違う・・・。
2002年6月14日 ミズーリ州セントルイスにて
今日は出番がなかったです。でも、初めてのセントルイスで、球場のきれいさに感動してしまいました。お客さんも4万人。しかも、赤い!です。
初めての球場なので、わからないことだらけです。すべて、英語で質問していくのは大変です。でも、なんとかなってます。
監督ともだいぶ話をするようになってきました。春のキャンプの時とはずいぶん違います。冗談を言ったり、朝会うと、僕のわき腹にジャブをかましてきたり・・・だいぶ、馴染んだかな?
2002年6月15日 ミズーリ州セントルイスにて
初めて地元で出場しました。9回だけでしたけど、なかなか気持ちよく、ちょっと緊張気味で守りました。
センターから見ても、ブッシュスタジアムは、赤い。
なかなか打席に立つチャンスがありませんが、がまんがまんでございます。貯めて、チャンスが来たときには、きちっとヒットを打てるように、準備をしておきます。
そういえば、今日は試合前に、一日早い「父の日のイベント」がありました。父親(選手)対(選手の)子供というミニ試合がファンの前で行われ、「は〜い、
今度は○○家のXXちゃんで〜す。そお〜れ、打った〜!」というような場内アナウンスに乗って、選手はみんな、自分の子供の勇姿に目じりを下げていまし
た。
試合開始前30分というのに、グラウンドはまだほのぼのしていました。
この日、家族は選手とおそろいのユニフォームに身を包み、グラウンドに降りてイベントを楽しみます。僕も、ヨメに自分のユニフォームを着せて、芝の上で声
援を送りました。日本では試合前に、家族と一緒に練習もせずにリラックスしているなんて、考えられない光景です。でも、一度経験してみると、これもいいな
あ、なんて思ったりもします。
2002年6月16日 ミズーリ州セントルイスにて
降格しました。試合前に監督に呼ばれ、メンフィス行きを告げられました。また、上を目指してがんばるだけです。
チャンスをものにしてやろうと思ったけれど、今回はまともにもらえませんでした。今度上がってきたときは、どれだけ少ないチャンスでも必ずものにするように、心と身体をもう一度鍛えてきます。
ファンの皆さん、すいません!一週間ばかり、ぬか喜びさせてしまいましたね。僕は虎の穴に帰ります。また這い上がっていくまでの過程を見届けてください。
2002年6月17日 テネシー州メンフィスにて
セントルイスを出てから車で4時間半。ようやくメンフィスに着きました。途中の道では、アライグマ、アルマジロ・・・などが轢かれているではないです
か・・・。そんな田舎道、ただただ、だだっ広い景色を見ながらのドライブでした。着いたときには「帰ってきてしもうた・・・」と思ってしまいました。
また明日から、いつもどおりの自分の野球をやって、「穴埋め」ではなく、「あいつの力がいる」と言わせるように這い上がっていきます。
2002年6月18日 テネシー州メンフィスにて
久しぶりに試合に出ました。3タコ2得点でした。
しばらくバッターボックスにも立っていなかったので、なんかヘンな気分でした。しかも、チームメイトがこの一週間で激変していました。6人くらい入れ替えがあったのです。
今日センターを守ったら、ライトは違うしニ遊間も違うし、おまけにピッチャーもキャッチャーも知らない人。チームの雰囲気さえ変わっているんです。一言つぶやいてしまいました。「レッドバーズじゃない・・・」
一週間前まではすごく馴染めたチームが・・・また馴染むのに2、3日かかりそうな雰囲気です。3Aの入れ替わりって、ほんとすごいですね。
2002年6月19日 テネシー州メンフィスにて
本日は試合に出ておりません。例によって休養です。
一塁コーチャーズボックスに何回か立ちました。観客席からは、何人かのアメリカ人がビールを片手に何か叫んできました。最初は、「ソウ!ソウ!」と呼びます。振り向くまで・・・振り向くと、「カンパーイ!」と言うのです。完璧に出来上がっていました。
本日の気温91度。(約31度)湿度高し。ビール日和のデーゲームですからね。
しかし、試合にも出ていないのに、最後まで延々「ソウ!」コールを受けるのも、なんかヘンな感じでした。
2002年6月20日 テネシー州メンフィスにて
3タコ、1デッドボール(背中)です。しばらく試合に出ていなかったせいか、なかなか試合勘が戻りません。守備は、試合に出ていなくてもなんとかなるんですけどね。
今日は相手のホームランをセンターでジャンプしてもぎ取り、初めて、スタンディングオベーションを受けました。普通の拍手も嬉しいけれど、やっぱり観客がみんな立ち上がって拍手を送ってくれるというのは、格別に嬉しいものです。
ところで、試合が終わった後、チームメイトのオルテガが、監督に呼ばれました。僕はてっきり、右の代打でビッグリーグに上がるものと思いました。僕が先日
昇格したときは、抱きついて祝ってくれた彼。僕もお祝いを言わなければ!と思っていたら・・・説教されていただけでした。
実は、僕だけではなく、同じ投手からオルテガも死球を受けたのです。故意かどうか、うっかりしたことは言えませんが、投げ方が「わざと」に見えてしまうタ
イプ。それに激怒した彼は、試合中相手のベンチ裏に行って、その投手をボコボコにしてしまったのです。「おめでとう!」なんて、のんきに言ってしまうとこ
ろでした。
でも、僕の痛みの分まで、身体を張って抗議に行ってくれた?彼に感謝して、次回は僕が行かねば・・・・と思っています。もちろん、ボコボコ・・・じゃなくて、「当てないでくださいね」って、言いにです。
2002年6月21日 テネシー州メンフィスにて
3タコ。1打点(犠牲フライ)
打撃についてはコメントなし。明日からはもう何も考えないでやります。僕が考え始めると、ろくな結果にならないということに最近やっと気づきました。
ところで、今日から「田口ユニフォーム」がチームストアで売り出されたそうです。(まだ見ていません)複雑な思いです。このままここに定着しろということ
なのでしょうか?でも、やっぱりこれだけ入れ替わりの激しい3Aで、商品を「売れる」と思って作ってもらえるのはすごく嬉しいです。実はレッドバーズの選
手の個人商品は、今までスタビー・クラップという、長くここにいる選手一人だけで、あとは一人も個人で商品になっていませんでした。その点では光栄です。
その好意に恥じないように、明日からは「何も考えない」ようにします。
2002年6月22日 テネシー州メンフィスにて
2タコ。
いわゆる「ダブルスイッチ」で途中で交代しました。今日はゲームよりも、やっぱり試合前に飛び込んできたダリル・カイルの訃報につきます。
すごく寂しい思いをしました。
彼は春のキャンプの時から僕のことを気遣ってくれて、日本食のメニューを持ってきて、「好きなのを選べ!」と言って、それをキャンプ中のランチに加えてくれたり、知らない間に寿司を用意してくれたり・・・とても気にしてくれました。
先日上に行ったときも、ロッカーが隣でした。「壮、大丈夫か?」と気遣いながら、子供を紹介してくれました。
僕にとって彼は「このチームは居心地がいいなあ」と思わせてくれる人でした。
亡くなった原因ははっきりわかりませんが、今はただ、彼の冥福を祈るばかりです。
今日は寂しいメールになってしまいました。すみません。
2002年6月23日 テネシー州メンフィスにて
4タコ。
すべてに関してがまんが必要なようです。とだけお伝えしましょう。
それより、今日は野生の蛍を見ました!しかもその数のすごいこと。いたるところで、あのいわゆる「蛍光」と言われる緑色が、ついては消え、ついては消え、
するじゃないですか。たまたまミシシッピの支流に行ったのですが、ヨメの膝に虫が止まったのです。「ひゃーっ!」と言って、払いのけた瞬間に、ぽわんと光
りました。「蛍!?」と気づいてまわりを見たら・・・川べり一帯に、蛍が乱舞していました。
あれだけの蛍をいっせいに見たのは初めてです。感動しました。じーっと見ていると幻想的です。ここ最近のノーヒットも、全部幻想だったらなあ・・・。
2002年6月24日 テネシー州メンフィスにて
本日休養日。寝不足だったのでラッキーでした。というのも、今泊まっているホテルで、ゆうべ夜中の3時に、突然警報機が鳴り始めたのです。「避難してくだ
さい、避難してください。エレベーターを使わずに、階段を使って避難してください」というアナウンスつきで、結構な緊迫感です。しばらくしてもやまなかっ
たので、何かあったらいやだと思い、着替えて階段を降り始めました。
すると下から戻ってきた人が「間違いだったみたい」。そこで、部屋にいったん帰りました。
しばらくすると、また警報が始まりました。そこで、ヨメに、フロントに電話して調べさせました。すると、「今のも間違い。警報機、修理してるから」とのこ
と。廊下には、避難するかどうかで迷っている人たちがうろうろしています。僕達も、「いったい何が原因でこうなったか」が知りたくて結局フロントまで降り
ていきました。
そこで説明を聞くと、「殺虫剤。見れば分かるわよ!」指差したほうを振り向くと、隣接の、ガラス張りのレストランの中が煙で真っ白でした。煙探知機を切り忘れたまま、害虫駆除をしてしまったようなのです。
おかげさまでそれから1時間以上眠れませんでした。やっとうとうとしたら、今度は朝早くから内装工事が始まり、うるさいのなんの。実はこの工事、こちらに戻ってきてからの一週間、早朝からずっと続いているのです。おかげで寝不足。ちょっと参っています。
そうそう、同じ階に、ジェラルド・ウイリアムス(ヤンキースから来た外野手)も泊まっているのですが、さすがにメジャー経験が長いだけあって、避難する姿
も颯爽としていました。黒の襟付きシャツに、黒のスラックスで、ポーチを小脇に抱えて・・・。夜中の3時に、緊急事態でも、やっぱり違うなあ、とヘンに感
心してしまいました。
僕も見習います。
2002年6月25日 テネシー州メンフィスにて
4の1、1犠打、2得点。
久しぶりにヒットを打ちました。だからどうということはないのですが、最後に打ったヒットが、上に行く前だったので、周りが心配してくれていました。
やっと感じがよくなって来ました。
ところで、明日からまた遠征です。朝6時出発。また始まります・・・。
2002年6月26日 ネブラスカ州オマハにて
オマハに移動してゲーム。本日も休養日でした。休めるうちに休んでおこう、という気分です。
それにしても、自分がいったいどこにいるのか今ひとつ把握できていません。東西南北の移動感覚はなんとなく理解しているのですが、訪れた小さい町の、詳しい地図があるでなし。空港、ホテル、球場の位置関係もわかりません。
オマハには、ダウンタウンはあるのだろうか?
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2002年6月27日 ネブラスカ州オマハにて
3タコ。
12時からのデーゲームのあと、チームメイトと動物園に行ってきました。球場の隣が動物園で、タコマ・ロイヤルズが気を利かせてチケットをくれたのです。非常に和みました。なかなかすばらしい動物園で、園内にトラムなども走り、見ごたえもありました。
中でもゴリラがよかったですね。ガラス一枚隔てたところで対面。顔を寄せると、近くまで来てくれるのですが、じっと見つめると、照れて目をそらすのです。・・・心が和む・・・。
その後19人で食事に行き、(決起集会ではありません)そのままほとんどの選手は飲みに行ってしまいました。僕は「あとで電話するからお前も絶対来いよ!」という誘いから逃れるために、携帯の電源を切るべきかどうか迷っているところです。
2002年6月28日 ネブラスカ州オマハにて
2タコ。
なかなか打てません。どうしたもんでしょうか。ちょっと深刻です。せめて体調でも整えるため、早く寝ます。
2002年6月29日 ネブラスカ州オマハにて
本日休養日。トミー打撃コーチと試合前に話をして、だいぶ気持ちが楽になりました。とにかく今は周りの雰囲気に飲まれないよう、切羽詰ってあせらないよう、気長に自分のペースを作るつもりです。それがたとえ人からは、一見のほほんと見えたとしても。
ところで、わがチームは怪我人続出。特にキャッチャーが壊滅状態です。今日も試合中に、ブルペンで受ける人間が誰もいなくなり、ついに僕に声がかかりまし
た。休養日の人間は、一塁コーチなど、何らかの役に立たなければいけないのは以前も書きましたが、まさか自分がブルペンキャッチャーをやろうとは。金カッ
プ(大切な部分のガード)もマスクもなしに、急遽ブルペンへ走りました。しかししかし、もし僕がそれで怪我をしてしまったら・・・と不安になったのか、な
んとかまわりがやりくりしてくれたおかげで、出番は、なし。結局ブルペンでファウルボールを一球取っただけの、役立たずな一日でした。
2002年6月30日 アイオワ州デモインにて
1の1、1打点。
夕べのうちにアイオワにバスで移動して来ました。今日は途中から代打で行って、タイムリー。久しぶりでございます。それにしても、試合前に、グラウンドでソフトボールの試合をやっていたおかげで、練習ができませんでした。僕たちはプロだというのに・・・。
ところで、この球場のクラブハウスの2つのトイレ、扉がないんです。用を足そうと思って、最初の個室に行くと、すでに某選手が雑誌を持って、平然と座っているではありませんか。そこで、恐る恐る2つめへ。
願いはひとつ。「誰も来ませんように・・・」
幸い誰に見られることもなくコトを終えましたが、あんなに見通しのいいトイレは初めてでした。
2002年7月1日 テネシー州メンフィスにて
3タコ、1四球、1盗塁、1得点。
打てない、けれど、打てないの内容が、やっと、だいぶ変わってきました。ヒットにならない、という言い方をしても、そろそろいいかもしれません。気持ちを強く持って、明日から33歳、がんばります。若いものには負けんぞ。
2002年7月2日 アイオワ州デモインにて
4の4。2二塁打、1打点、1得点。
試合後、ヒーローインタビューを受けました。「BIRTHDAYだね!日本語ではなんて言うの?」「お誕生日。でも、みんなボンジョビって言うんですよ・・・」そんなやりとりがありました。
実は、チームメイトがカードをくれたりチョコレートをくれたりして、わいわい祝ってくれたのですが、何度「誕生日」と言っても、「ボンジョビ」に聞こえるらしいのです。
おかげで、試合が終わったあと、勝利のハイタッチをしながらベンチに戻る時も、手を合わせる選手がみんな「ボンジョビ」「ボンジョビ」・・・・笑いました。ともあれ、監督にも、コーチにも、なんと審判にも「おめでとう!」を言ってもらえて、とてもうれしい気持ちです。
今日で33歳。生まれて初めて異国で誕生日を迎えました。ここまで無事に野球をやってこられたのは、家族はもちろん、支えてくださった皆さん一人一人のお
かげと思っています。HPに届いたたくさんのお祝いメールを読むと、力がわいてきます。本当にどうもありがとうございます。
僕にとってのアメリカ野球は、まだ始まったばかりです。多少人よりペースが遅いので、やきもきしてしまうかもしれませんが、どうか長い目で見守っていただけたらと思います。
33歳の田口を、引き続きよろしくお願いします。
2002年7月3日 アイオワ州デモインにて
4の1。
明日は久しぶりの3時起きで、メンフィスに移動です。でも、そのぶん集合が遅いので、着いてから少しだけ眠れます。最初はこういうスケジュールに面くらいましたが、もう、ちっとも驚きません。何でも来い、という感じです。
それにしても、なぜ普通の時間に移動しないのだろうか・・・「早朝便は安いから」と、僕はひそかにそう思っています。
せこい。
2002年7月4日 テネシー州メンフィスにて
3の1、1打点。
独立記念日です。朝からニュースは大変だし(ロサンゼルス国際空港の銃撃で)、僕は移動でふらふらだし、どんな一日になるやらと思っていました。
ところが、球場に行くと、お客さんは超満員。そこで同点タイムリーも打って、チームも勝って、最後には、独立記念日を祝う花火がありました。もちろん誰も
帰りません。僕もヨメと一緒に花火を見て、終わってから、駐車場から出るまで1時間以上かかりました。でも、お客さんはこうやっていつも見に来てくれてい
るんだな、というのを、大渋滞の中で初めて知り、本当にありがたいと思いました。
とにかく、今日がいい一日だったのは間違いないですが、フラフラです・・・寝ます。
そうそう、花火はやっぱり日本です。あの繊細さは、やっぱりアメリカには真似できないかな?
2002年7月5日 テネシー州メンフィスにて
3の2、2打点。1ホームラン。
今日は3人の日本人の方が、日の丸を持って、メンフィスに乗り込んで
くれました。話を聞いたら、昨日はシアトルで野球観戦、そのまま夜中に移動して、わざわざメンフィスまで、僕の試合を見にきてくれたそうです。ありがとうございました。明日ヒューストン経由で帰国とのこと。どうぞお気をつけて。
それにしても、その中の一人は、サッカー日本代表のジャージを着ていました。きっとワールドカップが終わるなり、飛行機に乗って、着替えるヒマがなかったのでしょう。
ちなみに、アメリカ人は、日本がワールドカップで大健闘したのを、けっこう知っています。
2002年7月6日 テネシー州メンフィスにて
4の1、1ホームラン、1打点。
ホームランです。やけに飛びました。それはさておき。
レッドバーズに、シーズン途中からジェラルド・ウイリアムスという選手がきました。もとバリバリのメジャーリーガー(ヤンキース)で人間的にもとても尊敬
できる選手です。その彼が、日本語の学習に意欲を燃やしているのです。しかも、「なるべく丁寧な言い回しを覚えたい」とのこと。最近では「それは違いま
す」という言葉を覚えて多用しています。
先日も、僕が主審の妙な判定に首をかしげながらベンチに帰ってきたところ「壮!なんで言わないんだ!」と寄ってきました。「何?何を言うの?」と僕。そこでジェラルドが一言。
「それは、違います」
2002年7月7日 ミズーリ州セントルイスにて
4の1、1得点。
9回裏、浅い犠牲フライでホームにスライディング。サヨナラ勝ちしました。
明日から3日間はオールスター休みです。試合終了後、4時間半のドライブで、セントルイスの家に戻ってきました。
途中は何もない田舎道。七夕ということもあって、夜空はきれいな星がいっぱいでした。しかし、道にはアルマジロ。フリーウエイのど真ん中をとことこ横切っていくので、危うく轢くところでした。
そうだ。7月7日だ。藤井康雄さんに電話しなければ。
2002年7月8日 ミズーリ州セントルイスにて
久しぶりにゆったりとした休日でした。
こんな日の楽しみは、なんといっても台所でヨメと一緒にあれこれ作ること。今日は、渡米以来一度も口にしていないお好み焼きを作りました。材料にこだわり
たいのですが、「スジコン」「かつお粉」「いかフライ」など、普通に関西のスーパーに置いてあるものが、絶対見つかりません。(当たり前です)そういった
具材のひとつひとつを、アメリカのスーパーで手に入る材料で、いろいろアレンジして作るのが、また楽しいのです。
いい休みになりました。
2002年7月9日 ミズーリ州セントルイスにて
炎天下の中ゴルフをやりました。どうしても行きたいゴルフ場があって、午後4時ごろからの予約を取ろうとしたのですが、あいにく大会が入っているとのこと。結局午前中から回りました。
気温は華氏101度。摂氏に直すと、約35、6度といったところでしょうか。しかも日本より湿気が多い。そのため、一ホール終わったときには、すでにポロシャツも短パンも、汗でぼとぼとになってしまいました。
おかげでぐったり。午後からは寝てばかりです。晩飯を食べたあともさらに寝て、今ようやく起きてメールを書いています。まだまだ寝られます。寝ます。おやすみなさい。
2002年7月10日 テネシー州メンフィスにて
明日からの後半戦を前に、セントルイスからメンフィスに戻ってきました。
来る途中で、バケツをひっくり返したような大雨にみまわれ、虫だらけになっていた車が綺麗になりました。
今日はヨメに運転してもらい、僕は隣で彼女を励ますために、5時間に渡り、いろいろと物まねを繰り出したのですが、「どう?」「どう?」といちいち聞くたびの、あいまいな笑顔が「似てない・・・」
という気持ちを代弁していました。
似ていない物まねは、やってもいいけど、人に賛辞を強要してはいけない。今日の教訓です。
明日からは、前半戦の最後のほうの調子を、さらに上げていきたいと思います。人生色々あるけれど、とにかく前向きで。
2002年7月11日 テネシー州メンフィスにて
3タコ、1打点。
休み明けでノーヒット。とはいえ、3日間、シーズン中というのに練習も何もせずに打席に入るのは初めてながら、感じは良かったし、当たりも良かったです。調子は悪くなっていません。ほっとしました。
明日からも気分よくやれそうです。
2002年7月12日 テネシー州メンフィスにて
3タコ。ヒットにならない、それだけです。
それはともかく、試合が終わって球場から出ようとすると、寝袋のようなものを担いだ子供達が大量にやってくるではないですか。ざっと200人はいたでしょう。
実は地元のボーイスカウトが、今晩外野でキャンプを張るらしいのです。
テントを張って朝まで過ごす、一種のスリープオーバー(お泊り)なのです。ダウンタウンのど真ん中の、しかも危険な立地の球場で、キャンプをすな!その発想がすごいですよね。
ちなみに今雨が降っています。子供達が風邪をひかなければいいなと思うと同時に、どうかどうか、外野でキャンプファイヤだけはしないで欲しい・・・と願うばかりです。
2002年7月13日 テネシー州メンフィスにて
3の1、2打点、2四球(2点タイムリーツーベース)
グラブ作りの名人・坪田さんが、メンフィスまでわざわざ新しいグラブを持ってきてくださいました。ありがたいことです。早速練習で使わせていただきましたが、なんともいい感じです。
僕はグラブをあまり換えるタイプではありません。でも、アメリカに来ることが決まったとき、5年間使ったグラブを換えようと思い、坪田さんにお願いして、黒の皮でひとつ作っていただきました。
今日いただいたグラブは、それの予備用。これから毎日練習で使い、毎日よく磨き、一ヶ月くらいかけて、試合用に仕上げていきます。
ところで、アメリカでは、選手があまりグラブを磨く姿を見かけません。誰かに磨かせている、という人はいるかもしれません。日本人の選手ほど、グラブを
「大切に扱う」という雰囲気がないのです。平気で投げたり、中には蹴る人まで。もちろん、中にはとっても大切にしている人はいますが・・・・
僕にとってはグラブもバットも、技術を支えてくれる大切なもの。その手入れをするのも、大きな楽しみの一つです。
2002年7月14日 テネシー州メンフィスにて
サンダーストームのため、今日は中止です。
一回の表裏やりましたが、結局全部で2時間ほど待って、最後は意外とあっさり中止になりました。デーゲームとはいえ、5時ごろ再開されるのだろうと思っていただけに、びっくりしました。
明日からは4日間、オクラホマに遠征です。なんと10時半バスで空港に行くという、むちゃくちゃ「普通」の移動です。こんなの初めてです!
2002年7月15日 オクラホマ州オクラホマシティーにて
4タコ。1打点。
タイムリーヒットを一本損してしまいました。
ランナー1,3塁の場面でライト前ヒットを打ったのですが、ライナーがファーストのグラブの先をかすめたので、ファーストランナーは「取った」と思い込ん
で、打球を見ずに、一塁に帰ってきてしまいました。当然彼は2塁でアウト。打点こそつきましたが、ライト前タイムリーとなるところが、なぜか「ライトゴ
ロ」に・・・とほほ。
「壮はハードラックの日だなあ」と同情されることしきり。アウトになったランナーにも平謝りされましたが、がっくり度はかなり大きいです。
2002年7月16日 オクラホマ州オクラホマシティーにて
ダブルヘッダーでした。
一試合目。5の2、1打点。
二試合目。3の0、1四球。
合計8の2。
それぞれ7回で打ち切り。途中に30分の休憩。プロになってからまだ延長14回は経験がありません、が、たぶん連続してやったほうが楽な気がします。休憩が入ると余計に疲れます。・・・疲れました!
あと、今日エラーがひとつつきました。左バッターの左中間よりの当たりを、無理無理で逆シングルで取りにいったのですが、追いついたものの、グラブの土手に当てて落としてしまいました。
ところで、僕は今日がダブルヘッダーだということを、 昼過ぎまで知りませんでした。のんき?
2002年7月17日 オクラホマ州オクラホマシティーにて
4の1、1打点、1得点。(タイムリー2ベース)
なかなか勝てません。ついに試合後、「なぜうちは勝てないのか」というミーティングまで開かれました。圧倒的なエラー数を誇る?レッドバーズ。僕は単に「エラーの数を少しずつ減らせば勝てる」と思うのですが、選手から出てくるのは、「試合前の体操が悪いんじゃないかな?」
・・・ひとこと言ってやろうかと思いましたが、ぐっとこらえました。
僕が聞いた話、そして、体験から想像すると、アメリカのマイナーリーグの中でも、3Aというのは唯一「選手を育てない機関」のようです。2Aまでは将来を
見据えて教育するのですが、3Aはメジャーの「バックアップチーム」という位置。役に立つか立たないかだけで判断されて、いらなければ即リリース(解雇)
です。だから、同じ程度の内容なら、年齢の高い選手ほど、切られやすくなるようです。
それだけに、「チームが勝つ」ということより、「まず自分が目立つ」ことを先に考える選手が多いのも事実。野球というのは、チームプレーに徹していると、自分の数字が上がりにくいものです。だから、勝ち負けより自分の成績が大事、と、なりがちです。
もっとも、これはあくまでも一般論。アメリカ人の中でも、チームプレーを重んじる野球人だっています。レッドバーズのピッツ監督などもその一人です。
誰だって目立ちたい、上に行きたい。だからといってチームプレーを無視しては、野球が成り立たないのです。3Aという立場は、「自分が先か」「チームが先か」という気持ちが、もっとも揺れ動く場所ではないでしょうか。
大好きなエムアンドエム(クリスピー)をぽりぽりかじりつつ、今日のミーティングを思い出したら、ちょっと真面目なメールが書きたくなりました。
2002年7月18日 オクラホマ州オクラホマシティーにて
5タコ。何を打っても全部ファウル・・・まあそんな日もあるということで、
野球の話は終わり!
ところで、僕らがオクラホマにいるという「鬼のいぬ間」に、選手の奥さんたちはみんなで食事会をしていたのでした。僕らが遠征中は、家のことをしながらラ
ジオで戦況をチェックしている彼女達。今日は「異文化交流会」と銘打って、うちのヨメを幹事に、日本食を楽しんだのです。
メンフィスの郊外に、僕がよくお世話になっているMIKASAさんというレストランがあるのですが、そこの座敷を占拠して、飲むわ食べるわの大騒ぎだった
そうです。選手の奥さんたちの出身地はさまざま。異文化に強いカリフォルニア、魚もいけますカナダ、メキシカンならいいけどのテキサス・・・それぞれが
「イイダコのから揚げ」や「牛刺し」にチャレンジする様は、見ていてとても楽しかったそうです。
結論から言うと、アメリカ人は、味を知るその前に、歯触り、舌触り、匂い、これらがダメなら、すでに食べられません。特に、ワカメなどの「ぬるぬる系」、
貝類などの「ゴムのような歯ざわり」はアウト。でも、今夜は果敢にチャレンジして、「おいしい!」「おいしい!」を連発していたそうです。(実際、そこの
レストランは本当においしいのですが)
もとヤクルトの、ハッカミーの奥さんは、さすが日本食経験者。すべておいしくいただいたあと、長崎チャンポンを、お持ち帰りしたそうです。
同じアメリカ人でも、いろいろいます。
ちなみに彼女たちは食事中、ビール、日本酒、焼酎、梅酒を飲んだそうですが、ビールがたっぷり入ったグラスに、日本酒をお猪口のまま落として一気に飲む「サケBOMB」で盛り上がったらしいです。いったい僕らが仕事をしている間に、何をしているんだか。
でも、いつもは滅私奉公で選手を支えてくれる奥さん達。たまにはこういう「文化交流」で楽しんでくれるのもいいでしょう。ちなみに次回は選手も一緒に、「交流会」をするつもりです。MIKASAさん、すみません・・・。
2002年7月19日 テネシー州メンフィスにて
4の1、1得点。(ツーベース一本)
3打席目、1塁側にプッシュバントでヒットを狙ってみました。
僕の計算は、3塁側にバントすると見せかけて、ピッチャーをマウンドからそちら方向へ遠ざけ、すかさず1塁側にバントする、というものだったのですが、
ピッチャー、こちらの動きなんてぜんぜん見てません。見てないから、マウンドから動きません。結局ピッチャーゴロになってしまいました。つまんないです。
結論。こういう作戦は、守備のうまいピッチャーにしか通じません。それを見抜けなかった僕のミスです・・・。
2002年7月20日 テネシー州メンフィスにて
2の0、1犠打。
8回までチームはノーヒットに押さえられたものの、僕の前のバッターがヒットで出て、彼を2塁に送りました。それがきっちり帰って1点。その1点が決勝点です。
タコ、でも、一日一善。
ところで今日は、ケビン・ニコルソンの奥さんの誕生日。サプライズでパーティーをやるから、と、マイク・フランクのアパートに集まることになりました。少
人数と思いきや、くるわくるわ、チームがそのまま移動してきた感じ。わいわいがやがやと、あれこれ話し、楽しい時間を過ごしました。レッドバーズというの
は、性格のいい選手が多いのです。その中で孤独を感じることなく、いい経験をさせてもらっている僕は本当にラッキーだと思います。
一方で、誰かがDL(怪我人リスト)から戻れば、誰かがクビになる世界。一緒に語り合っている相手がいついなくなるとも分からない。
これも、アメリカ野球の一面です。
2002年7月21日 テネシー州メンフィスにて
本日休養日。
このところ出ずっぱりだったので、今日の休みで身体が少し楽になりました。
そのかわり?試合前に体操だけして、シートノックも受けず、サイン会をやりました。球場の表に出て、入ってくるファンの方に30分サインするというものです。
日本だったら、サイン会に出るにせよ、必ず練習をしてからでしょう。ところがここでは違います。バット一回も振らず。ボール一球も投げず。
それが僕の一日でした。
2002年7月22日 テネシー州メンフィスにて
4の3、2打点。
久しぶりの猛打賞です。
今日は試合前に引越しでした。今まで住んでいたキッチンつきのホテルが、あまりにも球場から遠かったのです・・・今まで、と言ってもオールスター明けからですが。おまけに途中は常に工事中。球場までの時間も読めません。そこで、引越しです。
同じくキッチンつきのエクステンデッドステイタイプ(長期滞在型)ですが、球場まで15分。しかも綺麗。ちょっと気分がいいです。
そのおかげか・・・?
2002年7月23日 テネシー州メンフィスにて
3の1、1得点
ヒットを打った打席以外は、全部ノーアウトランナー2塁でした。
1回目、2回目とも、右に打ってランナーを進めようと、ファウルを打ったりあれこれ試行錯誤して、とりあえずきっちり仕事しました。
3回目のノーアウトランナー2塁が来たとき、監督はきっと僕がまた右打ちをするだろう、と思ったのでしょう。「一日3回もつなぎ役をやらせたら、打率が著しく下がってしまう」と気を遣ってくれたようです。ようやく、送りバントのサインが出ました。
僕は心の中で「ありがとうございます・・・」と言いながらバントをさせてもらいました。
うちの監督は、本当にそのあたり、よく見ています。
2002年7月24日 テネシー州メンフィスにて
4の1。
カリフォルニアと日本から、友人がわざわざ訪ねてきてくれました。お土産に持ってきてくれたのは、なんとスーツケースいっぱいの日本食。感動の嵐です。僕はそういうわけで、今、ラムネを飲みつつ。駄菓子を食べつつ、ごぼ天をかじりつつ、これを書いています。
しかし・・・日本の駄菓子は味わい深くてうまい!もともと駄菓子好きな僕ですが、アメリカの菓子のべた甘さに辟易して、ますます日本の味を誇るようになりました。
2002年7月25日 テネシー州メンフィスにて
休養日でした。はずが、最後に代打で行きました。セカンドゴロで、1の0です。
ところで、最近いただきものが多くて、嬉しい悲鳴です。今日は京都からわざわざ、京菓子とお漬物を持ってきてくださった方がいて、むさぼり食べてしまいました。
昨日は駄菓子。今日は生八橋を食べながらメールを打っています。
幸せ。
2002年7月26日 テネシー州メンフィスにて
4の2。
今夜はゲームのあと、花火ナイトでしたが、急いで球場を出ました。ゆっくりしていると、駐車場が混んで出られなくなってしまうのです。
明日から2週間の長い遠征。アリゾナのツーソン、そしてラズベガス、コロラドスプリングスと回ります。
ところで、今日は先日受けたラジオのヒーローインタビューのテープをいただきました。通訳なしで、たどたどしくはありますが、なんとか会話になっているの
で安心しました・・・が、どうしても「通じているのだろうか・・・」と不安になってしまいます。その結果、インタビューの〆の言葉は、「アイムソー
リー」・・・ 「謝る必要なんてないじゃないか!わはははは」と、インタビュアーの笑い声で、テープは終わっていました。
2002年7月27日 アリゾナ州ツーソンにて
4の1(ツーベース)、1犠牲フライ、1打点。
センターの後ろはコンクリートの壁。いわゆる、バックスクリーン、です。
今日は、相手のヒットがそこに当たり、「ああ、ホームランかあ」と、ぼーっと見ていたら、ライトが必死になってボールを拾い、バッターもがんがん走ってい
るではありませんか!なんとただのインプレーでした。チームメイトは目を丸くして、「壮!何やってんだ!あの球が取れると思ったのか?」と不思議な顔。
誰か最初に教えてくれよ。あれがホームランじゃないって・・・と僕は苦笑いするしかありませんでした。
2002年7月28日 アリゾナ州ツーソンにて
5の1。
約9ヶ月ぶりに、スポーツトレーナーによるマッサージを受けました。もとオリックスのトレーナーで、現在はアリゾナに留学している森本さん、通称もっちゃんが、ツーソンまでわざわざ駆けつけてくれたのです。
アメリカの選手は、日本の選手のように、ひんぱんにマッサージを受けません。トレーナーも、軽くさする程度で、あとは塗り薬に任せます。選手たちは、ぱん
ぱんに筋肉を張らしたままで、むしろその状態が普通になっているようです。筋肉痛をほぐして治す、という習慣はあまりなく、痛み止めなどを服用してしのぐ
のです。(一般的なペインリリーフです。ドーピングではありませんので誤解のないように・・・)
僕は怪我が怖いので、毎日自分で手入れをしてきましたが、全身をきちんと調整するには、自分だけでは限度があります。
そこに、もっちゃん登場。やっぱりプロのマッサージは違います!おかげで身体が軽くなり、軽くなりすぎて違和感があるほどです。
望めばいつでもマッサージを受けられる、日本ではそれが普通だったのだなあと思うと、過去の恵まれた環境をしみじみ思い、トレーナーさんたちに改めて感謝!です。
2002年7月29日 アリゾナ州ツーソンにて
3の1、1四球。(ソロホームラン)
やりましたやりました。ビジターで初のホームランです。
ところで、バド・スミスがトレードになってしまいました。それと共に、ティムリンも、ポランコも、いなくなってしまいます。この3人は、僕に今まで本当によくしてくれた人たちです。常に声をかけてくれる選手たちだったのです。
特にバドは、これまで一緒に3Aで、いろいろな話をしながら励ましあってきただけに、本当に、いなくなることに関しては残念です。ただ、野球選手としては、望まれて、活躍できる場所にいるのが一番です。若いチームに行くのは、彼にとってきっといいことでしょう。
ポランコは、ユーティリティーという難しい立場でありながら、常に僕を気にかけてくれて、野球の話で盛り上がったものです。
ティムリンは、年配ということもあり、亡きカイルと共に、「壮・・・大丈夫か?」といつも僕の心配ばかりしていました。
出て行く人は、いい人ばかりです。いや、残っている人、変というわけではないのですが。
2002年7月30日 アリゾナ州ツーソンにて
4タコ。
ノーヒットの言い訳は絶対しないと決めていますが、今日ばかりは、原因が存在するのです。でも、書けません。書きたくてうずうずしています。ともあれ、アメリカに来て、初めて「野球が面白くない!」と思いました。
今日もたくさんのファンの方が見に来てくださったのに、と思うと、本当に悔しい。申し訳ない思いでいっぱいです。今はもう大丈夫ですが、本当にぶち切れた一日でした。
どこかで会ったら、「何があったの?」とそっと聞いてください。
ところで、この2日間、僕の用具担当である、ミズノの鶴岡さんと高野さんが、はるばるツーソンまで足を運んでくださいました。道具の話はもちろん、オリックスの近況などを聞かせてもらい、日本の最新情報をゲットしました。実に楽しい2日間でした。
それだけに、いい試合をして見送りたかったのですが・・・。
この気持ちを引きずることは絶対にありません。原因はすでに排除しました。
ああ・・・書きたい・・・。
2002年7月31日 ネバダ州ラスベガスにて
本日移動日。久しぶりの休み、しかもラスベガスです。
夜、チームメイトの夫妻と一緒に、CIRQUE DU SOLEILの「MYSTERE」を観てきました。3年くらい前に、「O(オー)」も観ましたが、それに勝るとも劣らない、素晴らしいショーでした。
「O」は、水をテーマにした、シンクロナイズドスイミングと、飛び込み、ダンス、それにサーカスを混ぜたようなショーでしたが、「MYSTERE」は、器械体操、新体操、サーカスの要素が存分に含まれています。そこにアートが加わります。音楽、証明、衣装・・・
前回もそうでしたが、観客の目の向かない位置の人たちまで、きっちり演技をしています。あと、ホール全体を使ったショーなので、どこを見ていいかわからなくなるくらい、立体的なつくりです。
場面転換のつなぎも素晴らしい。観客の目をひきつけている間に、別の舞台装置が自然に登場するのです。
ひとりひとりの技術も、足先、指先までまったく抜いたところがありません。思わず「隙」を探したくなるくらいの完璧さでした。
ところで、ラスベガス。暑いです。メンフィスとはまた違う、からっとしているけど、刺すような暑さ。夜中でも、暖房のがんがんにきいた部屋にいるような感じです。
明日からは、その暑さの中でゲームです。
2002年5月1日 ネバダ州ラスベガスにて (注:8/1の間違い)
4の2。1得点。
外野にストーブを置いて、目の前でファンを回しているような、そんな熱風の中でのナイターです。観客席は、遊園地のようにミストが吹き出ていて、いかにも涼しそう。それを横目で見ながら選手たちは「あ〜つ〜」・・・
しかし、他の選手は本当にタフです。せっかくラスベガスに来たんだから!と、試合後、有名なバーに飲みに行ったり、ショッピング、ギャンブル・・・と楽し
そう。僕もヨメも外出嫌いですし、まして野球で来ていると思うと、無駄な体力を使いたくありません。あまたの誘いを今日も断りまくって、今は部屋でゆっく
りテレビを見ています。
オフになったら遊びましょう。
2002年8月2日 ネバダ州ラスベガスにて
1の1。
今日は休養日だったはず、が、途中代打で呼ばれ、ライト前ヒット一本でした。ずっとベンチに座っていると、余計に暑いです。それにしても、代打で出て、守
りにつかないですんだのはラッキーでした。おかげでいい休みになりました。ひまわりの種、一袋、完食。塩分、水分、足りてます。
2002年8月3日 ネバダ州ラスベガスにて
4の1、1盗塁。
昨年、ぶっちぎりで最下位だったメンフィス・レッドバーズ。今年は現在、首位争いをしています。うちと、ニューオリンズ、そしてオクラホマが、1ゲーム差
の中で、順位を入れ替えています。選手達も毎日のように「オクラホマはどうだった」「ニューオリンズはこうだった」などと、どこからともなく情報を仕入れ
てきて、話し合っています。
9月3日に、3Aはすべての日程を終了します。ですから、この最後の8月は、休みが一日しかないですが、頑張りどころです。まわりがどう思っているかは知
りませんが、優勝を目指して戦うのは、張り合いがあります。別にここに落ち着いてしまっているわけではなく、上に上がりたい、という気持ちはもちろん持ち
続けています。でも、場所がどこであれ、「勝ち方」というものは、経験しておきたいし、勉強にもなります。聞くところによると、去年悔しい思いをしただけ
に、メンフィスのファンも盛り上がっているとか。その声援に後押しされて、優勝できたらいいなあ、と思っています。
2002年8月4日 ネバダ州ラスベガスにて
4の2、1四球。
暑い、暑い、砂漠の中のデーゲームです。1回に8点取られて、そのまま負けました。だいぶ追いついたけれど・・・
ところで、この球場、センターに大きな看板がひとつあるのです。前から気になっていたのですが、今日初めて読んでみました。「死体片付けます」。ラスベガ
スは、人生のすべてを賭けて勝負して、そのまま何もかもなくし、自殺する人が多いと聞いていますが、そういうことでしょうか?も、チームメートは僕に、お
前が誰か殺したら、ここに電話をしろよ!」と、親切にアドバイスしてれました。
日本にはない広告でした。
2002年8月5日 コロラド州コロラド・スプリングスにて
現在遠征先のコロラドスプリングスでこのメールを書いています。今日、試合前に、2Aニューへブン行きを告げられました。ニューへブンは、コネチカット州。ニューヨークのすぐ近くです。
僕が2A行きとなった理由は二つです。
1. ニューへブンのレギュラーセンターがトレードで抜け、毎日センターを守れる選手がいなくなってしまった。優勝争いをしているので、ぜひヘルプして欲しい。
2. 数字に見えない部分での貢献(守備、チームバッティングなど)は誰よりも抜きん出ているが、やはり見えるものも欲しい。つまり、打率を上げて欲しい。そのために、2Aでさらに伸び伸びやってほしい。
渡米してから半年経ちました。これまでの自分の結果に決して満足はしていませんが、自分のペースで、自分の形で、ファンの方に納得していただけるプレーを
してきたつもりです。メンフィスにおいても、どうしたらチームの勝利に貢献できるのか、それだけが僕の毎日の課題でした。今日も、2A行きを告げたピッツ
監督、トミー打撃コーチが、「なぜお前が2Aに行かされるのか、わからない。必要なのに」とクビをかしげていました。すべてはカージナルスからの指令です
から、はっきりとした事情は、監督にもわからないようでした。
ただ、守りに対しては、何ら言われたことはありませんが、打率が低い、ということに、カージナルスが難色を示しているのはずっと分かっていました。特に僕
の場合、春のキャンプでの印象があまりに強かったのか、田口は打てない選手、というイメージが定着してしまったのです。チームバッティングどうこうではな
く、「打率」。それが高くない限り、カージナルスは納得できないのだと思います。
ならば、打率のことだけ考えて、上げるだけです。
メジャーに上がれない、そのことで、田口の渡米は失敗だった、そんなふうに一部で言われているのも知っています。まして今回のことで、僕を応援してくださっているファンの方も、がっかりさせてしまうかもしれません。
ただ、僕は、誰からも「いらない」と言われてしまうまでは、前を向いてあきらめずに進みます。チャンスが少しでも残っているなら、腐ったり落ち込んだりせ
ず、それをとりにいきます。決して今、明るい気持ちでいるわけではありません。が、ここで自分が下を向いてしまったら、これまでのことすべてがムダになっ
てしまいます。そして、毎日このページを訪れ、応援してくださったファンの皆さんにも申し訳が立ちません。
3Aでの毎日は、僕が初めて体験したアメリカ野球の、充実した勉強の日々でした。2Aへは、また別の部分の勉強をさせてもらう、そんな気持ちで行ってきます。
僕が今書けるのは、それだけです。僕は元気です。
2002年8月6日 コネチカット州ニューヘブンにて
コロラドから約12時間かけて、ニューヘブンの球場までやってきました。コロラドスプリングスの空港では手荷物検査を受け、ヨメがラスベガスに忘れていっ
たワンピースを発見され、思わず「アイム ノット ゲイ」と言ってしまいました。係員の女性も笑って一言。「着ないでね」
ニューヘブン・レーベンスの本拠地はイエール球場。かの有名なイエール大学のすぐ近くです。コネチカット州にきたのは初めてですが、緑の濃い、静かな美し
い町です。そして、涼しい。いや、寒いです。もうすっかり秋の気配で、ミッドサウスから来た身としては、びっくりするばかりです。
球場は1927年にできた、古き佳きアメリカ、というたたずまいですが、一言で言えば、ただ古い。そして、暗いです。市民球場のような趣です。スタンドは
鉄パイプで組まれていて、観客が足を踏み鳴らすと揺れます。その下の通路の電球が、そのたび点いたり消えたりするそうです。ベーブルースも、テッド・ウイ
リアムスも、ブッシュ元大統領(父親のほう)もかつてプレーしたという球場で、なんというか・・・オールドアメリカンの情緒を・・・楽しめれば・・・いい
なあ・・・と・・・思っています。
今日球場に着いたのは、もう7時過ぎ。ゲームは始まっていました。ユニフォームなどを合わせ(ちなみに背番号は6です)、ベンチに入ったのは3回ごろ。長い移動をしてきたので、出番はないと聞いていました。
ところが、1点リードで迎えた8回の裏、突然代打で呼ばれてしまいました。アンダーシャツはXXL。スパイクは借り物です。カージナルスもレッドバーズも
赤のスパイクですから、僕は赤しか持っていないのです。ところがこのチームはもとマリナーズの配下。ユニフォームもそれっぽいので、スパイクも黒。仕方な
く、大き目のスパイクの先にティッシュを詰めてバッターボックスに立ちましたが、すべるの何の。結局ショートゴロに倒れました。
その後、9回の表に3アウト目の捕殺を決め、僕の一日が終わりました。さすがに、疲れました!
でも今日一番疲れたのは、もしかしたらヨメのワンピースを疑わしげに出されたとき、身の潔白を証明しようとしたことだったかもしれません。
2002年8月7日 コネチカット州ニューヘブンにて
4の1、1四球、1打点(タイムリーツーベース)2得点。
まずは、たくさんのメールをいただきました。本当にありがとうございます。僕のメールで勇気をもらった、と言っていただいたように、僕もまた、皆さんのメールで励まされています。お互い頑張りましょう。
今日は初めて先発で出て、試合時間は3時間半。3Aにいた時は、3時間を越えるゲームなどほとんどなかったのですが、理由は簡単。ピッチャーのコントロー
ルです。四球四球で、ランナーをためて、カーンとやられて、ピッチャー交代。それが延々続くので、とても試合時間が長いです。涼しいから耐えられます
が・・・。
ところで、今日は、2Aについてこんな話を小耳にはさみました。正直なところ、2A、降格、なんでやねん、がっくり、という気持ちが僕にはありました。と
ころが、「3Aはメジャーのバックアップ。それだけに、3Aずれしてしまう選手も多く、成長や活気という点では2Aの比ではない。2Aは若く、向こう見ず
で、だからこそ伸び盛りの選手が大勢集まっている。思わぬ力を発揮して、2Aから直接メジャーに上がる選手もたくさんいる。アメリカで一番活気があるマイ
ナーは、実は2Aなんだよ」という話を聞いたのです。
なめたらやられるな、という雰囲気は充分感じています。全力でいきます。(いつも全力ですが)
2002年8月8日 コネチカット州ニューヘブンにて
4の3、1四球、1得点。
野球のことはさておき、今日は町を探検するつもりで、寿司屋に行ってきました。
ヨメがどこからともなく見つけてきた寿司屋で、試合後電話をして「何時まで開いているか?」と確認したところ、「うちはギネスに載っている寿司屋で、5分
以内に注文して食べ終わって出てもらわなければいけない。それでもいいか?」と言われたそうです。「じゃあ結構です」と切ったら、番号表示を見て、あわて
て電話をかけ直してきました。
ということで、出かけていったその寿司屋。入るなりびっくりしたのは、カウンターに黒い方が二人。別に人種差別ではなく、寿司屋のカウンターにアフリカ系アメリカ人が二人というのは、非常に貴重な経験です。味はご想像にお任せしますが、スシのシャリのでかいことよ。
手がでかいんやなあ・・・
2002年8月9日 コネチカット州ニューヘブンにて
4の1(2点タイムリーツーベース、1四球、2得点
今日から球場内で田口寿司が売り出されることになりました。実は味を知りません。チームメイトも興味津々です。今度お願いしてクラブハウスにおいてもらうつもりですが、味わったことがないだけに、こわい。日本の文化が間違って伝えられませんように。
2002年8月10日 コネチカット州ニューヘブンにて
5の1。
一回の表から大忙しでした。9回までなんと22安打打たれて、右へ左へバックアップのため走り回りました。外野はぼこぼこで、どんな跳ね方をするか予測が
つきません。今日は心底、疲れました。試合時間も長かったので、6回にはすでにおなかがすいてしまい、クラブハウスに戻ってみましたが、何もありませんで
した。コーヒー一杯だけ飲んで、再出動。もちろんチームは大負けでした。晩夏の大運動会でした。
2002年8月11日 コネチカット州ニューヘブンにて
4の1。1犠牲フライ。1打点。1得点。
ずっと一番を打っているので、すべてのピッチャーが初対面です。ノー・インフォメーションでいきなりの対戦はきついです。2Aの投手は若いぶん、「俺は何
でもできる」という思い込みにも似た自信に満ち溢れています。こちらの冷静な判断も、勢いの前では役に立たないときがあります。「その球じゃ、ストライク
をとれんやろ」という球を何の脈絡もなく、バッター有利のカウントで突然投げてきます。たいていは外れるのですが、たまにストライクが入るから困ります。
メジャーのピッチャーにはセオリーがあります。3Aのピッチャーもメジャーとさしてかわらない組み立てがあります。それに対して2Aは一言で言うと、「怖
いもの知らず」。それが案外厄介です。
2002年8月12日 コネチカット州ニューヘブンにて
5の1。
初めての遠征です。といっても、バスで一時間の距離。いわゆる通いの遠征でした。ところが出発前、なぜかバスの左のミラーがとれてしまい、バスを乗り継ぐ
羽目になりました。高速に乗ったと思ったら、いきなり高速を降りたので、車内はざわめき、「おいおい、どこにいくねん」。行き先はバス会社でした。帰りは
無事でした。
2002年8月13日 コネチカット州ニューヘブンにて
5の3、1四球、1死球、5打点。(ライト前、3ランホームラン、ライト前タイムリー)
疲れました。ぐったりです。延長13回。相手はプレーオフを争うチームで、しかも昨日落としています。負けられません。長い長いゲームでした。
昨日からカージナルスのGMがゲームを見にきており、改めて今回の「降格」について話を聞くことができました。正直言って、心が軽くなりました。
優勝争いのために、1番センターとして送り込まれた・・・それが僕が聞いていた理由のひとつでした。もうひとつの、「打てない」ということに関しては、メ
ンフィスの最後の月は3割を打ち、最後の10試合は365ほど打っていたのをちゃんと理解してもらえていて、その上で「さらに気楽に」という配慮だったと
聞きました。
それはともかく、「チームを勝たすため」という理由が今ひとつ不透明に感じていました。心のどこかで、やはり2Aに落とされた、という悔しさや、本当にそ
んな理由なのか、という疑問があったのです。今目の前にあることを、腐らず頑張るしかないと思っていても、どこかで納得がいかない自分がいました。余計な
ことを考えずに集中しようと思っても、今回の2A行きは、アメリカに来て初めて、納得のできない出来事だったからです。
メジャーのチームにとって、傘下のチームが優勝するということには、大きな意味があるそうです。優勝争いをしていたレーベンズから、一番センターを打っていた選手がトレードで抜け、かわりのできる選手は僕しかいなかった、というのが本当の理由だそうです。
ですから、カージナルスからすれば、僕を「2Aに落とした」という意識はまったくなかったそうで、たまたま送った場所が2Aだったそうです。「落とされた」とがっくりきていた自分に拍子抜けしてしまいました。
普通、3Aから2A、と聞けば、「落とされた」ですが、そうではないのだ、という説明で、気分が楽になりました。
プロですから、言い訳なしに、結果でしか力は表現できません。心の中が悔しい思いでいっぱいでも、顔に出さずやるしかありません。そんな中でひとつでも気持ちが軽くなることがあると、やっぱりほっとするものです。
カージナルスの組織の一員として、今は望まれることをひとつひとつ、確実にこなしていこうと思います。
2002年8月14日 コネチカット州ニューヘブンにて
4の1。
試合後、突然メンフィスの「選手代表」から電話がかかってきました。「お前がいなくなってから8戦で7敗したぞ!」あいつ元気にやっているか、大丈夫か、いないのは痛いぞ、と、みんなで僕の話になって、誰か電話してみろよ、ということになったらしいのです。
移り変わり、入れ替わりの激しい世界で、去った人はすぐに過去の人になってしまうものですが、こうやっていまだに気遣ってもらえるのは、本当にありがたいことです。
頑張れレッドバーズ。俺も頑張る。
そんな気持ちです。
2002年8月15日 コネチカット州ニューヘブンにて
4の1(2ベースヒット)
秋の気配だったコネチカットに、少し暑さが戻ってきました。でも、メンフィスで鍛えられた身には、なんということもありません。
昨日は球場に「フェイマス チキン」がやってきました。今ではどこの球団でも、マスコットの着ぐるみ人形が活躍していますが、フェイマスチキンは、その元
祖です。もともとの名前は「サンディエゴ チキン」パドレスのキャラクターとしてデビューし、大成功。それがもとで、マスコットブームが起きたそうです。
今、彼(?たぶん)は、全米の球場を渡り歩く人気者です。
アメリカの球場には、自分のチームのマスコット以外に、お客さんを楽しませるための「大道芸人」的なマスコットたちがよくやってきます。ほのぼのした雰囲気というより、ちょっと毒がある笑いを振りまきます。
たとえばチキンは(ちなみに僕はこれで3回目の遭遇です)、今回相手チームサイドの立場なので、徹底的に僕らのチームにいたずらを仕掛けてきます。おしっ
こをかけるしぐさで挑発したり、一塁コーチャーズボックスに立ち、セクシー写真をピッチャーに見せたりして・・・しかもインプレー中です。
ちょっと度が過ぎてるかな、とは思いましたが、お客さんは大笑いです。一方、選手はプレーに必死です。
今回チキンはイニングの合間に、うちのベンチ前までやってきたところ、選手達から水風船をいっせいに投げつけられてずぶ濡れになりました。お客さんにも大受けでしたが、選手達が唯一、楽しそうにしていた瞬間でした。
チキンに限らず、「ズーパースターズ」など、キャラクター物の催しは必ず告知されています。アメリカで野球を見るとき、それに照準を合わせるのもまた楽しいかもしれません。
2002年8月16日 コネチカット州ニューヘブンにて
ダブルヘッダーでした。疲れました。
1試合目 4の1(ツーベース)、1得点。
2試合目 2の2、2四球、1打点(タイムリーツーベース)、3得点。
車の窓が水滴でびっしょりになるほど湿気の多い日でしたが、かえってそのおかげで汗が出て、身体が動きました。試合開始は6時予定だったのですが、雷雨のため1時間遅れでプレイボール。2試合目が終了したのは11時半過ぎでした。
終わったときはユニフォームがどろどろ、ぼとぼとでした。
3Aまでは、ユニフォーム、ストッキングなども2着、2足づつもらえて、試合の途中で着替えることができました。でも2Aでは、予備がありません。ダブル
ヘッダーとはいえ、1試合目のままのユニフォームで行くのです。替えられるのはアンダーシャツとスライディングパンツだけです。このあたりの扱いも、上
(メジャーや3A)とはかなり違います。
ちなみにダブルヘッダーの場合、規定は7回まで。どちらもリードしたまま勝ったので、7回裏のない分だけ助かりました。
2002年8月17日 コネチカット州ニューヘブンにて
5の3(シングル、ツーベース、シングル)、2得点。
今日はとんでもなく足の速い選手を見ました。その選手に引っ掻き回されて、試合も負けです。
盗塁のスタートは、必ずしもいいとは言えません。ところがセカンドまで来ると、なぜか楽勝でセーフのタイミングです。2盗塁あっさりされてしまいました。
決勝点も彼です。
シングルヒットで塁に出て、盗塁。キャッチャーからの送球がセンターにそれた間に、3塁まで。その次のバッターが振り逃げ。キャッチャーはちゃんと3塁ラ
ンナーの彼を目で牽制して、それから1塁へボールを投げたのですが、彼は、にもかかわらず、ホームに突っ込んでいました。結果はまたまた楽勝セーフです。
暴走か?好走塁か?は紙一重ですが、アメリカ野球の思い切りのよさを、ボーゼンと味わいました。
2002年8月18日 コネチカット州ニューヘブンにて
5の1、1四球。
延長戦です。すっごく疲れました。
でも、そこからが若さと33歳の差です。
ゲーム後、選手達は「さあ、バーベキューに行くぞ!」と生き生き。僕はじじいなので、そんな気力はまるでありません。家でゆっくりビールを飲むのが一番くつろげます。
せっかくですが、誘いを断り、帰宅途中にソフトクリームを買い食いして、今はだらだら身体を休めています。
21連戦中の14試合目が、ようやく終わりました・・・。
2002年8月19日 コネチカット州ニューヘブンにて
4タコです。ここに来て、初めてのノーヒット(初日の代打は除く)です。
実は試合後に知ったのですが、昨日まで14試合連続ヒットだったそうです。今季の球団新記録(11)を更新し続けていたらしく、「そうだったの?」という感じです。
まあ、何にせよ「途切れた」というのは残念なことですが、また明日から来た球だけを打っていきます。
2002年8月20日 コネチカット州ニューヘブンにて
4の1、1四球、1盗塁、1得点。
レーベンズの、シーズンチケットホルダー用兼職員用兼選手用の駐車場は、レフトフェンスの後ろにあります。試合でも練習でも、誰かがホームランを打つと、
かなりの確率で車に当たります。今日も練習中、「ゴーン」という音を聞きました。目撃者の話によれば、車の屋根に当たって、綺麗にへこみができていたそう
です。
僕もそこに車をとめていますが、まったく心配していません。ここコネチカットで借りている愛車、通称「スーパーカー」は、
(1)ドアを閉めると鍵穴が飛び出る。
(2)エマージェンシーランプが点きっぱなしだが、都合が悪いので、黒いテープで隠してある。
(3)夜になると、点くべきところにライトが点かないので、ギアがどこに入っているかわからない。したがって、いちいち室内灯を点けて、確認してからじゃないと危ない。といった、素敵な車だからです。
でも、利点もあるのです。
絶対盗まれない。撃たれない。ぶつけてもわからない。(もともとへこんでいる)
アメリカのあちこちで車を借りますが、今回の愛車はかなりきています。でも、燃費がいい、かわいい奴です。
2002年8月21日 コネチカット州ニューヘブンにて
4の2、1打点(タイムリーツーベース)、1死球、3得点。
現在の対戦相手は、ノーウイッチ・ナビゲーターズというヤンキースの2Aです。うちのチームと、激しい1、2位争いをしているので、直接対決は結構緊迫しています。
ところで、今日僕がセカンドにいた時、相手のショートが話し掛けてきました。何かと思いきや、「俺の兄貴は日本のトウキョウ・ジャイアンツでプレーしてるんだよ!」
彼の名前はアルモンテ。巨人のアルモンテ投手の弟でした。
「うちの兄貴知ってる?」「うん、名前は知ってる。いいピッチャーだよね」 ・・・とは言ったものの、自分の中にあったイメージだけで答えてしまったので実際のところ、今どうなっているかよく知りません。
情報求ム。
2002年8月22日 コネチカット州ニューヘブンにて
5の2、打点1。
明日からニューヨークに遠征です。治安が悪い場所に球場があると聞いて、ちょっと不安です。
2Aの試合も、レギュラーシーズンは残り10試合となってしまいました。8月の終わりに、もうシーズンが終わろうとしている(しかも140数試合全部消化して)・・・なんて、考えられない日程でやっているなあと、つくづく思います。
現在2位。2位までプレーオフに出られるとはいえ、後ろの足音がだいぶ大きくなってきました。がんばって逃げます。
2002年8月23日 ニュージャージー州トレントンにて
4の1、1打点(タイムリー)。
刑務所の角を曲がると、そこは球場だった。
ニューヨークです。でも、僕の頭の中のニューヨークはマンハッタンです。バスでエンパイヤステートビルなどのすぐ横を通ったので、「着いた着いた」と思い
きや、素通り。結局、ニュージャージーと、フィラデルフィアの境目、トレントンまではるばるやってきました。いったいどこからどこまでを、人は「ニュー
ヨーク」と呼ぶのでしょうか。
ところで、ここはかなり治安の悪い町です。アメリカの球場は、たいてい、その土地の危ない場所にあることが多いのですが、ここも例外ではありません。ある
選手の奥さん(もちろんアメリカ人)が道に迷ってしまい、おまわりさんを見つけて車から降りようとしたら、「危ない!先導するから車の中にいなさい」とい
われたくらい危ないそうです。球場のすぐ手前に、ものものしく刑務所が現れたときは、ちょっと息を呑んでしまいました。
でも、球場の中はけっこう和んでいました。理由は「バットボーイ」ならぬ、「バットドッグ」。ゴールデンレトリバーがベンチ前に控えていて、打ったあとのバットを取りに行くのです。
「なんて利口な!」と感心していたのもつかの間、イニングの合間に突然ライトでしゃがみこんでほかほかのうんちをしてしまいました。ライトを守っていた選手はとても不安そう。「ここだけには飛び込まないぞ」と、場所を確認し始めました。
なんて和む光景でしょう。
それにしても、あれらのバット、歯形がついてしまうんじゃないだろうか・・・。
2002年8月24日 ニュージャージー州トレントンにて
4タコ。今日は打てませんでした。
試合の途中でサンダーストームが来て、いくつかある照明灯のひとつが
消えてしまいました。そのまま完全には復活せず、フィールドは暗いままで試合続行です。雨脚が強まったところで今度は1時間半の中断。ダグアウトの裏が激
しく雨漏りし始め、通るたびにびしょぬれです。試合も負けました。やっとホテルに帰り着いたのは夜中の1時過ぎです。翌日はデーゲームだというの
に・・・。
明日はいい日になりますように!
明日がいい日になりますように。
2002年8月25日 ニュージャージー州トレントンにて
5の1、1打点、1得点。
長かった連戦もようやく終わりました。明日はやっと休みです。
そういえば、監督室に呼ばれ、何かと思ったら雑談の相手をおおせつかりました。最初は野球の話をしていたのですが、僕が疲れているのをわかっているので、
わざと商談を持ちかけてきました。「日本でお前が乗ってる車を俺に売らないか?半額にしてくれたら、今日のメンバー表をこの場で破いてやるぞ(休ませてや
るぞ、の意味です)」もちろんお断りしましたが、面白い監督なのです。今日もデーゲームに行くバスの中で、寝ぼけている選手を起こそうと、「ウーベイ
ビー、起きてるかい?」と、不気味な甘い声でささやいていました。さらに、「こんにちは、みなさん。私はセキュリティーです。困ったことがあったらここま
で電話ください」と、自分の電話番号を発表していました。よくわからない・・・。
レッドバーズのピッツ監督は、温厚なおじいちゃんでしたが、ここニューヘブンのデジョン監督はとにかく熱い、熱い人です。どれくらい熱いかというと、選手のエラーに煮え繰り返って、そのまま心臓発作を起こしてしまったほど熱いです。
公式戦、残り試合もあと7つ。熱い監督を筆頭に、まずはプレーオフの出場確保に頑張ります。
2002年8月26日 コネチカット州ニューヘブンにて
ニューヘブンにやってきて、突然代打を告げられたあの日から20日。初めての休日でした。とにかくゆーっくり眠って、じっくり身体を休めました。
夜近所を車で走っていると、「1マイル先、鹿注意」のサインが。よくある標識なのですが、「なんでわざわざ距離を書くんだろうか。鹿に注意だけでも充分なのに・・・」と、今日に限って考えていました。
答えは1マイル先にありました。
きっちり1マイル走ったところに、突然鹿の姿が!誰かが仕込んだのではないかと思うくらいの偶然でした。
アメリカの道路標識、恐るべし。きっとそこに、けもの道でもあるんでしょうね。
2002年8月27日 コネチカット州ニューヘブンにて
4の1、1得点。
今日は「がまん」ができませんでした。
コントロールの悪いピッチャーに対し、じっと我慢して、いい球だけを振る、それが理想なのですが、カウントがバッター有利になると、たとえストライクでも、「振らなくていい球」に手を出してしまいます。これが「がまんができていない」状態です。
そんな自分に腹が立って、今日は外野でずっと「あほお、ぼけえ、なんでがまんできんのや!」と叫んでいました。センターには、お客さんも背後にいませんし、選手も近くにいません。大声で怒鳴るには都合のいい場所です。
2002年8月28日 コネチカット州ニューヘブンにて
4の1、1死球、1盗塁、2得点。
すっかり寒くなり、秋の気配のコネチカットです。試合を見ているお客さんはしっかり着込み、僕らも汗をかきません。まだ8月の終わりだというのに・・・。
ただ、納得できないのは、どれだけ寒くても、アメリカ人は「AC!AC!」と叫ぶのです。「クーラーをかけろ」と。今日も試合の帰りのバスの中は、不自然に寒くなってしまい、僕は持参のバスタオルにくるまって、何とかしのぎました。
2002年8月29日 コネチカット州ニューヘブンにて
雨中止。
昨夜からずっと大雨です。今日は通いの遠征だったのですが、バスに乗るまでもなく、中止が決定しました。
おかげで身体が休められてよかったです。
ところで、寒いです。最高気温が20度ありません。夜など、眠るのに半袖ではちょっと・・・という冷え込みです。
僕が借りているアパートには、毛布が一枚しかありません。掛け布団はあるのですが、床に敷いて寝ています。ベッドが柔らかすぎて、腰のあたりが沈んでしま
うので、身体のためには、床に寝ざるを得ないのです。だから掛けるものは一枚だけ。このままでは風邪をひいてしまいます。
そこで、今日ついに大安売りしていた電気毛布を買いました。8月の終わりに電気毛布が必要になったのも、買ったのも、生まれて初めてです。今日は暖かく眠れそうです。
2002年8月30日 コネチカット州ニューヘブンにて
4の0。
吐く息が白い8月です。僕は4タコで、あまりいい気分ではありませんが、ともかくチームはサヨナラ勝ちしました。
同点で迎えた9回裏、先頭バッターが初球をサヨナラホームラン。ホームベース上で皆で出迎えましたが、ちょっと遅れて出て行った僕は、輪の中に入ることが
できませんでした。なぜなら、みんな身体がでかすぎます。日本でこんなことはありませんでしたが、ここでは、遅れをとると、入る隙間を見つけることができ
ません。結局、熱狂が去り、ちょっと落ち着いてからバッターとハイタッチを交わしました。
すべてにおいてタイミングがずれている一日でした。
2002年8月31日 コネチカット州ニューヘブンにて
5の2、1盗塁、1打点。
勝ち越しタイムリーを打って、チームは勝ち。ほっとしました。ついでに、プロ入り初(たぶん)の三盗もして、プレーオフまであと1勝です。
今日はトレーナーの話をしましょう。日本だと、チームトレーナーは少なくとも2人。選手は全員その人たちにお世話になるのです。が、アメリカのしかもマイナーは、ちょっと違います。
各チーム、トレーナーは一人。しかも、トレーナー以外の雑務もこなす、兼任マネージャーのような存在です。試合中でも何かと忙しく、時にはベンチを離れな
ければなりません。今日もうちのチームの選手がデッドボールを当てられたのですが、飛んで出て行ったのは、相手チームのトレーナーでした。うちのトレー
ナーはその時他の仕事中で、相手チームに「よろしく頼む!」と伝言して出て行ったのです。こんな風に、お互いをカバーしあって、試合が進みます。これもマ
イナーリーグの特徴でしょう。
話は変わりますが、レーベンズのホームページに、「日本語で野球を語ろう」というコーナーができました。時間のある方、担当(アメリカ人です!)の力作ですので、ぜひのぞいてみてください。
http://www.ravens.com/
2002年9月1日 コネチカット州ニューヘブンにて
4の2、1四球。
勝ってプレーオフ進出が決まり、ロッカーでは、シャンパンファイトが行われました。日本だとさしずめ「ビールかけ」ですが、こちらはシャンパンをかけあい
つつ、ビールをかけあいつつ、ひたすら飲んでいる、という状態です。30分ほどやったでしょうか。まさか2Aでこんな体験をするとは。「おお、久しぶりの
この感覚」と、わくわく楽しみました。でも、ビールが冷えすぎていて、振っても泡が出ず残念でした。しかし、ロッカーの中でやる、というのがすごい。全面
にビニールをかけて防御し、じゅうたんはあとから丸洗いするようでした。
デーゲームだったので、夜はチームメイト達と食事に出かけ、その後バーに繰り出しました。僕は日本でも、酒の付き合いは悪いほうですが、たまにはバカな話をしながら、こうやって一緒にビールを飲むのもいいものです。
明日は公式戦の最終試合。雨が降れば、順位も決まっているので、試合はなくなります。
天気予報はサンダーストームです。
2002年9月2日 コネチカット州ニューヘブンにて
午前中に、雨中止が決定。2A公式戦の全日程を終了しました。
あさってからのプレーオフに向けて、明日は練習です。ところが、集合時間がなぜか朝の8時45分。昨日の試合終了後、「もし明日が雨で中止なら、あさって
は練習。練習を9時にするか、9時半にするか」というチョイスがありました。当然「9時半」とみんな言うだろう、と思いきや、ほぼ全員が「9時!」と言う
のです。僕は心の中で、「おまえら・・・ほんまか?」と思いました。
アメリカ人にしてみれば、とっとと練習を終わらせて、ゆっくり午後遊ぼうと思っているようです。
いろいろ慣れて来たつもりでいても、アメリカ人の早寝早起きには、なかなか順応できないでいます。
2002年9月3日 コネチカット州ニューヘブンにて
朝の9時から練習をしてきました。昼前には終了。するとロッカーでは案の定、ゴルフのティータイムについて、選手達が話しているではないですか。「レーベンズ、2時ティーオフ!」と、嬉しそう。たぶん10人以上は行くようでした。おかげでこっちは眠たいです・・・。
僕は今日一日、ゆっくり身体を休めてぼーっとしていました。
ここでひとつ、面白い話。先日、うちのトレーナーが僕に、日本語で話し掛けてきました。「あなたを・・・ください・・・」
はあ?
何度も繰り返すので、てっきり彼はゲイなのかと思ってしまいましたが、一応「どういう・・・意味?」と聞いてみました。すると、
「Can I help you?」
何かできることがあるか?と、親切に聞いてくれたつもりだったのです。「いったいそんな言葉、どこで習ったの?」と聞くと、「大学の授業で習った。5年間ずっと、そういう意味だと信じてた」と大爆笑していました。
幸いなことに、僕に言ったのが初めてで、まだ使ったことがなかったとのこと。女性にでも言っていたら、ただの変態アメリカ人になっているところでした。
よかったよかった。しかしどんな大学やねん。
2002年9月4日 コネチカット州ニューヘブンにて
明け方、ものすごい嵐で目が覚めてしまいました。今まで見た中で、一番すごい雷でした。音も激しく、光るたびにあたりの景色が真昼のように明るくなりま
す。おまけに、雷の落ちるときにレーザービームのように、「キュイン」といういかにも電気的な音?まで聞こえてきて、そのあと、ドッカーン。圧倒されまし
た。近くにいくつか落ちたようで、轟音ののちしばらくして、救急車や消防車の音が、町じゅうを駆け回っていました。電気毛布に包まって寝ていたのですが、
もしかして、ここに落ちて感電するんちゃうか、と思ったくらい怖かったです。日本では、雷なんてなんということもない存在だったんですがやっぱり自然は侮
れませんね。
夜が明けて、昼頃球場に向かうと、途中の道で何本かの木が、ばっさり裂けていました。
ところで、いよいよプレーオフが始まりました。今日は4の1、1四球。チームは残念ながら初戦を落としました。5試合のうち、3試合を取ったほうが次の段階へ進めます。
明日は勝つぞ!
2002年9月5日 コネチカット州ニューヘブンにて
4の1。
今日も負けました。いつもエラーで点を取られるレーベンズ。常に先に点を取られてしまうので、攻撃が後手後手です。
後がなくなってしまいました。明日は本拠地ニューヘブンで第3戦です。
そんな中、心温まる出来事がありました。チームメイトの彼女が、フライトアテンダント(スチュワーデス)をしているのですが、先日仕事で成田に行って帰っ
てきたとのこと。そこで僕のことを思い出してくれたようで、「きっと壮は日本の字が恋しいに違いないわ!」と、雑誌を買ってきてくれたのです。「野球の雑
誌がいいだろうと思って、一生懸命選んだからね!」と彼女。
渡された袋の中には「月刊ジャイアンツ」が入っていました。
2002年9月6日 コネチカット州ニューヘブンにて
5の2、1得点。
2Aでのプレーオフを終了しました。レーベンズは3連敗。試合後、選手達は荷物をまとめ、それぞれのふるさとに帰っていきました。最後のミーティングで、デジョン監督が涙で、「みんなありがとう。いいチームだった」と言ってくれました。
このメンバーで再びチームを組むことは、100パーセントと言っていいくらいないでしょう。それくらい、入れ替わりや、選手の異動の激しい世界です。寂しい気持ちでいっぱいになりました。
たった一ヶ月でしたが、学んだものは大きかったです。特に、デジョン監督は、僕に「積極的に攻める野球」を教えてくれました。日本では、結果が成功かどう
かで計られる、たとえば盗塁や走塁も、ここでは、「やらないで失敗しないより、やって失敗したほうがいい」そんな過程を評価してくれます。
2Aの野球は、とても興味深いものでした。アメリカ野球の考え方の原点みたいなものを、ここで初めて感じました。野球選手として、置かれる状況は、喜ぶべき場所ではないけれど、ここに来て、本当によかったです。
ところで、明日からカージナルスに合流します。特にどきどきわくわくするでもなく、以前のような緊張感はありません。ただ、静かに、「やったるでー」という気持ちになっています。
2002年9月7日 ミズーリ州セントルイスにて
代打で1の1。ライト前です。
長い一日でした。でも、ようやくメジャーの初ヒットが出ました。今日のヒットは、今までの毎日が報われたような気持ちになったと同時に、今までの経験が生きた一打でもありました。
たぶん今後は守りを中心に仕事をしていくと思いますが、何をやる時でも、全力で行きます。少しでもいい結果をこのHPで届けられるようにがんばります。
明日はデーゲームです。今朝は6時半起き(寝たのは3時過ぎ)で、コネチカットから移動してきました。延長13回で、帰宅したのは午前1時です。
おやすみなさい・・・。
2002年9月8日 ウィスコンシン州ミルウォーキーにて
出場機会がありませんでした。
試合展開が、1点差、2点差だったので、8回、9回に守備固めがあるかと思っていましたが、残念ながら・・・。
その後、チャーター機でミルウオーキーに移動してきました。
そこでハプニング。機長が「貨物スペースに荷物が入りきらないほどたくさんある。これじゃ重いから飛べない!」と一言。それに対し、スチュワーデスさんた
ちは平気な顔で、「このくらい大丈夫よ。座席に荷物を移動させて、ちゃんと固定しておけば飛べるわよ。チキン(気弱)ねえ」と、やり返していました。結局
貨物室からあふれた荷物は、キャビンに運び込まれ、全体バランスを考えつつ配置されました。そんなこんなで、かれこれ1時間は停止したままだったんです
が、無事着いてよかった。
寝不足が続いていたので、明日は昼までゆーっくり寝ます。
2002年9月9日 ウィスコンシン州ミルウォーキーにて
今日も出場機会はありませんでした。プレーオフに出場する選手を中心にメンバーを組むので、なかなか出番はありませんが、いつ呼ばれてもいいように、準備だけはしっかり整えておきます。
球場でファンの人たちにサインをしていたら、「ここに一緒に書いてもらえますか?」と、誰かのサインボールを指差されました。なんだかごちゃっとした文
字。いったい誰のサインだろうと、苦労して解読した結果、ようやくそれが漢字であることに気づきました。「野村貴仁」そうです、ここはミルウオーキー。野
村さんのサインだったのでした。
ところで、このシーズン終了後、アリゾナの秋季リーグに参加することが決まりました。本来は若い選手、とりわけ若いピッチャーを育成するための教育リーグ
なので、33歳の僕はちょっと場違いです。でも、ここまで学んできたことを完璧に体得し、少しでも多くの実践経験を積むために、1年目の締めくくりとし
て、参加を希望しました。すでにメンバーが決定したあとにもかかわらず、快く僕の希望を受け入れてくれたカージナルスに感謝しています。
2002年9月10日 ウィスコンシン州ミルウォーキーにて
3の2、1犠打、1捕殺、1得点。
スタメンでした。きっとジム・エドモンズを休ませたかったのでしょう。でも、気持ちよくプレーさせてもらいました。
それにしても、やっぱりメジャーは違います。野球・・・の話ではなくて、食事。食い意地が張っているかな?
前菜からメイン、デザートまでがずらりと並び、ビールはざっと10種類くらい。お菓子も飲み物も、取り放題、持って帰り放題です。長いマイナー生活にすっかり慣れてしまった胃が、きっとびっくりしているに違いありません。
試合終了後は、初めての勝利のハイタッチでした。監督が、僕のお腹をぽんぽん、と叩きながら「GREAT JOB!」とニコッと笑ってくれました。
2002年9月11日 ウィスコンシン州ミルウォーキーにて
今日は出番なしです。
去年の9月11日は、GS神戸でゲームでした。試合終了後、ロッカーでテレビをつけたら、悲惨な光景が目に飛び込んできました。家に帰ってからもテレビから目を離せず、結局朝までずっと見ていたことを思い出します。
あれから一年経って、僕はそのアメリカで、9.11を迎えました。試合前、そして試合途中の9時11分、球場のすべての人が、テロの犠牲になった方へ祈り
を捧げました。大きなアメリカ国旗を、他の選手や地元の消防士さんたちと一緒に持っていたら、痛み、むごさ、そういったものを、改めて強く感じました。
テロや戦争など、不条理な形で人の命が奪われてしまうことのない、平和な世の中であってほしいと願わずにはいられません。
あらためて、犠牲となられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
2002年9月12日 テキサス州ヒューストンにて
出場機会なし。
今日からヒューストン・アストロズとの4連戦。プレーオフ進出の鍵を握る、大切な直接対決です。残念ながら初戦を落としてしまいましたが、僕はいつ呼ばれてもいいように、とにかく相手チームのプレーを観察していました。
観察ついでに気になったのは、センターの形です。一見ただの深い、奥にふくらんだセンターに見えるのですが、実は途中から上り坂になっているのです。過去
何人もが、その坂でこけたという、いわくつきの外野です。テレビで見るとただ丸く膨らんでいるだけなのですが、外野の芝生→ワーニングトラック→斜めの芝
生(坂の始まり)という感じ。普通の球場なら、ワーニングトラックの後ろはフェンスですが、その代わりに坂がある、と思ってください。
僕も、一回くらいは経験のため、その坂で転んでみたいものです。(ただし練習で)
さらにそのふくらんだ坂の頂上には、国旗掲揚ポールが立っています。もちろんクッションが貼ってありますが、ここにポールを立てる理由が知りたくてたまりません。
レフトのうしろでは、本物の機関車が走っています。ホームランが出ると、「ポッポー」と前進。またホームランが出ると「ポッポー」と後退。じゃあ偶数打たないと、機関車が行ったきりになるのか?というとそうでもなくて、見ていない時に、こそっと下がっていたりします。
やられた。
2002年9月13日 テキサス州ヒューストンにて
延長に入って、チームは逆転勝ち。僕は出場機会がありませんでした。ほとんど総力戦の一歩手前で、ベンチに残った野手は、9月に昇格した僕とデルガド(内野手)、クルーズ(内野手・もと阪神)の、もとメンフィス・レッドバーズ3人組でした。
新聞などでも説明されていると思いますが、8月31日までに上に上がっていない選手は、プレーオフへの出場資格がありません。チームは少しでも「資格のあ
る」選手を試合に出して勝とうとしますし、それは当然と思います。僕たち3人は、誰かを休ませたかったり、怪我をした選手の代理など、もっぱら穴埋め的な
役回りのためにベンチにいます。
それでも、たとえ少しでも試合に出られれば、どんな役目だってうれしいものです。今は毎日虎視眈々と、グラウンドに飛び出していけるチャンスを狙っています。
2002年9月14日 テキサス州ヒューストンにて
1−0、カージナルスのリードで迎えた8回表、バントをしに代打で出ました。心臓をバクバク言わせながら・・・。まわりは100パーセント決めるだろうと
思って見ていますが、バントはそう簡単なものではありません。結局、そのバントが生きて、1点を取り、最後は2−1で勝ちました。
試合の流れを読む限り、「きっと来るなあ」と思っていましたが、3試合欠場していて突然バント、というのはかなり緊張するものです。スタメンで出るより心臓に悪いです。
夜は、9月11日に誕生日だったペレスのバースデーパーティーを兼ねて、チームメートと食事に出かけました。ティノ・マルチネスをはじめ、エドモンズ、
J・D・ドゥリュー、マット・モリス、スコット・ローレンなど、総勢20人ぐらいでわいわいがやがやと楽しんできました。
しかし、僕がたまたま座った席が、スペイン語圏。キューバにプエルト・リコ、ドミニカ・・・とスペイン語の嵐でした。「いやーこの席はインターナショナル
だよねえ」とみんな笑っていましたが、所詮はスペイン語でOKの世界やないか、と心の中で突っ込んでいました。食事中僕の頭の中は、英語とスペイン語が入
り乱れ、さらにペレスの奥さんのカタコト日本語があいまって、わけのわからない状態になってしまいました。
楽しかったですよ。
2002年9月15日 テキサス州ヒューストンにて
8−0でリードされるという展開で、9回表、代打で使ってもらいました。相手は10連勝がかかったピッチャー。そこまでチームは3安打に抑えられていたのです。
と、書くと、いかにも僕は打ったようですが、結果はセンターフライ。打った瞬間「ヒットや!」と思ったのですが、取られてしまいました。ただ、当たりはそ
こそこで、振り自体がよかったので、ベンチに帰ってから、監督やチームメイトに「グッドスイング!」と声をかけてもらいました。
試合後はコロラドに移動。何もわからずここに来て、明日がオフということを初めて知ったところです。
さあ、どうしましょう?
2002年9月16日 コロラド州デンバーにて
休日。だらだらと過ごしました。ホテルの近所にモールでもあるだろう、と歩くこと結局3時間。特に何も見つけられず、昼を食べ、コーヒーをゲットして戻りました。
そのまま一歩も出る気にならず、夕飯もルームサービスです。ところが「クアーズ・ライト」が通じません。何度も何度も繰り返したら、オーダーを取ってくれた人が不安そうに一言。「クアーズ・・・・・・ライト?」思わず「それだーっ!!!!!」と叫んでしまいました。
やっぱり、セントルイス市民として、バドワイザーを頼まなかったバチが当たったのだろうか。
2002年9月17日 コロラド州デンバーにて
2の2、1打点で、「プレーヤー・オブ・ザ・デー」に選ばれました。
4−4、同点で迎えた8回に、代打で使ってもらいました。1アウトランナー2塁で、センター前タイムリーを打ちました。嬉しかったです!
普通の場面なら、単なるセンター前ヒットでしたが、そこは1点を争う場面。一塁コーチの指示は2塁へ向かって「GO!」です。これは野球のセオリーです
が、僕がおとりになることで、少しでも相手の注意をそらし、2塁ランナーを確実にホームに返すのが目的です。たとえホームがアウトになっても、僕が2塁で
生きることができる・・・というわけです。ということで、しっかり(一見飛び出してオーバーランしたような形で)アウトになりました。
その後もう一度打席が回ってきて、今度はライト前ヒット。試合後監督からは「GREAT GOING!」と声をかけてもらいました。初打点もついて、今日は本当によかったです。
帰り際、アメリカ人記者数人に囲まれて取材を受けていると、そこにペレスが登場。「俺が通訳をしてやるよ!」(注・ペレスは日本語で挨拶をすることができ
ます)じゃあ、頼むな、と記者の質問を聞いたあと、「何だって?日本語で言ってくれよ」とペレスのほうを向くと、彼は「お前、わかってるく・せ・に!」
と、英語で言って、その場を静かに去っていきました。
2002年9月18日 コロラド州デンバーにて
ダブルスイッチで、途中出場しました。このダブルスイッチ、説明が難しいのでまた次回にさせてください。ともあれ、僕が出たのは、相手の左ピッチャーを交代させる、という目的のためでした。
昨日左ピッチャーから2安打しているので、僕を置いておけば、相手はそこで右ピッチャーを出してくるだろう、というのが目算です。案の定、一回だけ守備に
つき、打順の回るところで右ピッチャーが登場。お役御免です。左バッターのロビンソンが僕の代打で出て行きました。ちなみに相手がピッチャーを代えなけれ
ば、僕が打席に立つことになっていました。
勝っている試合の終盤に出て行きましたが、今日の出場は、守備固めじゃないですよ。
2002年9月19日 ミズーリ州セントルイスにて
セントルイスに帰ってきました。
試合は、9回に守備で出ました。初エラーがつきました。左中間の深いところから、ショートへ投げたボールをショートバウンドでショートが弾き、ランナーを進めてしまったのです。僕からすれば、「取れるやろ!」相手は「はね方がイレギュラーだった」
イレギュラーまで責任取れません。
日本でも、アメリカでもそうですが、どんなに真正面にボールを投げても、相手が取れなくてランナーが進塁した場合、外野手のエラーになります。進んでいくランナーを見つめながら、「あああ・・・・・あああ・・・やってもた・・・」という気持ちになります。
守備率100パーセントというのはなかなか難しく、遅かれ早かれエラーはつくに決まっていましたから、せめてもの慰めは、勝敗に絡む、致命的なエラーではなかったことでしょうか。
明日からもっと精進努力します。
2002年9月20日 ミズーリ州セントルイスにて
出場機会なしでした。
チームが勝ってナショナルリーグのセントラル・ディビジョンの優勝が決まりました。試合終了直後にロッカールームに引き上げて、誰の挨拶もなく、今シーズ
ン中に亡くなった名アナウンサー、ジャック・バック氏とカイル投手へ祈りを捧げたあと、いきなりシャンパン・ファイトが始まりました。
ニューへブン・レーベンズのプレーオフ出場に続いて、なんとアメリカに来てすでに2回目の「ビールかけ」です。前回よりも規模は10倍くらいでかく、シャ
ンパンの数も半端ではありません。しかもシャンパンは冷やさないと泡があまり出ないとのことでギンギンに冷えていました。そのシャンパンを1本頭からかぶ
ると、カキ氷を急いで食べたときのような痛みが頭を襲ってきました。
日本での「ビールかけ」では、冷えていないほうが泡が出やすいので、冷たさはありませんが、そのかわりチクチクと肌が痛いです。日本でもアメリカでも優勝には多少の痛みを伴うものなんですね。
あと日本のビールかけと違うのは、家族もロッカールームへ入り、一緒にシャンパン・ファイトに参加できるということでしょうか。僕がきれいにシャワーを浴びた帰宅の車中で、隣のヨメがやけにくさかったです。
2002年9月21日 ミズーリ州セントルイスにて
1の0でした。9回代打で出場して、ピッチャーゴロでした。
優勝の翌日ということで、球場への集合時間はゲームに間に合いさえすればOKでした。というわけで、バッティング練習も野手16人中、実際に練習したのは
7
人だけ。しかもその中にはギリギリにやってきていきなり「おれも打たせてくれ」というやつ、赤い顔をしてソファーで寝ているやつ、ベルトがシャンパンくさ
いやつ・・・
記念のシャンパンが一人1本ずつ配られました。ラベルには"2002 National League Central Division Champion"。優勝した記念にみんなで、そのボトルにサインを書き合いました。大切に家に飾っておくことにします。
2002年9月22日 ミズーリ州セントルイスにて
7回の裏、代走で出て、そのままセンターの守りにつきました。が。何事もなく終わってしまいました。
試合前には、1982年のワールドシリーズチャンピオンのメンバーが集まるというイベントがあり、スタンドが盛り上がっていました。最初そのメンバーたち
が全員ロッカーに入ってきたのですが、「なんだこのおっさんたちは・・・?」と思ってしまったことをお詫び申し上げます。聞き耳を立てていると、どうやら
OBらしい。そのあとベンチに行きセレモニーが始まって、やっとどなたなのか理解しました。メンバーの中で、僕が知っていたのは、オジー・スミスさんとマ
ギーさんのみ。しかも彼ら二人はロッカーに入ってこなかったので、しばらく謎の状態が続いていました。
しかし、某カージナルスの現役選手も、「WHO ARE THEY??」と僕に尋ねてきました。
2002年9月23日 ミズーリ州セントルイスにて
1の1、1四球、1打点、2得点。
試合途中、エドモンズの代打から出場しました。粘った結果のフォアボールや、ライト前のタイムリーもうれしかったですが、それより何より、打点王のかかる
プホルスに、打点をプレゼントできたことがうれしかったです。1塁から長駆ホームインする間、頭の中は、「打点王、打点王・・・」でいっぱいでした。
ところで、帰宅してからとんでもないことを発見しました。なんと僕の留守中、球場宛てに、陪審員の召集令状が来ていたのです。手紙類を家に持ち帰り、なん
となく目を通すと、理解不可能な手紙が一通。ヨメに「これ何?」と聞くと、「陪審員に選ばれたのねえ」とびっくりしていました。本当は市民権を持っている
人しか選ばれないはずなんですけどね。
アメリカの裁判のシステムで、日本と一番違うのは、有罪か無罪かを、裁判長ではなく、陪審員が決議して、判断するところだと思います。裁判長は、結果を伝
えるだけの役目です。僕が選ばれたのは、セントルイス市の陪審員。これは市内住民の義務で、任意に選ばれ、さまざまな犯罪から、近所のもめごとなど、あり
とあらゆるケースの判定に、参加が求められます。
しかし、呼び出されていたのはすでに18日のこと。とっくの昔に終わっていました。いったい僕はどうすればいいのでしょうか?とりあえず明日、電話で問い
合わせをしてもらうつもりですが、気分的には、「野球の英語で手一杯やのに、裁判なんかわからんでー」。でも、きっとあっちに言わせれば、「英語も話せな
いのに、住んでんじゃない!」ってところでしょうか・・・?
だいだい、その日は遠征中でした。
2002年9月24日 ミズーリ州セントルイスにて
1盗塁、1得点。
サヨナラのホームを踏みました。9回裏、2−2の同点から、四球のプホルスの代走で出場しました。盗塁して2塁へ進み、その後レンテリアのヒットで生還
し、サヨナラ勝ちです。これでDバックスと1ゲーム差。勝率のいいチームの本拠地からプレーオフが始まるらしいので、明日勝てば、セントルイスで開幕、と
いう可能性が高くなってきます。もっとも、対戦相手が変わる、ということも同時に考えられるのですが。
僕には残念ながら(皆さんご存知のとおり)出場はできませんが、それでも、チームが勝つのはうれしいものです。
今日実は、試合前、僕はクラブハウス中の笑いものでした。というのも、昨夜家で散髪をして、バリカンで刈り上げたところ、トラ刈りになってしまったので
す。ごまかせるだろう、と思って整髪料をつけて出かけたら、みんな変だと思ったのでしょう。ティノ・マルチネスとマイク・マッシーニが、ついにこらえきれ
ず、「誰か!壮の頭をなんとかしろ!」と指令を下しました。
アメリカ野球で、日本では見られない光景のひとつに、選手が誰かの散髪をしてあげている、というものがあります。一人二人、必ずチームに器用な選手がいて、なぜかマイ・バリカンを持っています。その選手に頼むと、散髪屋さんそこのけに、綺麗に仕上げてくれるのです。
僕も、メンフィス仲間のピッチャー、ゲーブ・モリーナにお願いして直して貰いました。座ること約15分。朝家を出たときとは比べ物にならないほど、見事に出来上がりました。全員口をそろえて「much better!!!」と、納得顔でした。
2002年9月25日 ミズーリ州セントルイスにて
1の0。
5回守備から入り、一打席回ってきました。相手ピッチャーはカート・シリング。今シーズン23勝6敗です。対戦するのがすごく楽しみでした。
結果は3球目のスライダーを打って、ファーストゴロ。いい経験をさせてもらいました。
やはり勝てるピッチャーというのは、違います。彼のストレートの平均は、約152キロ。それをアウトコースにばんばんばん、と3球続けて投げてきてもおか
しくありません。しかし、彼は、僕ごときに、初球こそストレートだったものの、2球目はスプリット、3球目はスライダー、と、球種を全部変えてきました。
3球目のスライダーの前には、おそらくキャッチャーはまっすぐを要求したと思うのですが、それに首を振ってスライダーを投げてきたのです。アウトになった
あとに、「勝てるピッチャーというのは、どんな相手でもびしゃっと慎重にくるんやなあ」と感銘を受けました。
次チャンスが来たら、絶対打ちます。チャレンジャーです。
2002年9月26日 ミズーリ州セントルイスにて
7回の守備から出場して、打席は回ってきませんでした。
日本に電話をかけようとして、大変なことをしてしまいました。こちらからかける時、まずは011をダイヤルしなければいけません。僕は何気なく電話番号を押して、しばらく応答を待ちました。すると英語で女性が出て、「はい、911です。何かありましたか?」
911は、日本でいうところの、110番と、119番を混ぜたような、緊急のための番号です。僕はどうやら無意識に、0と9を間違えて押してしまったよう
でした。「何もありません!電話番号を間違えただけです!」とびっくりあわてて、しどろもどろの英語で答えたがために、相手は「・・・何かおかし
い・・・?」と思ったようでした。駄目押しのように、「警察は必要ですか?」と聞いてきました。それに対して今度は「警察なんか必要ありません!」と、も
のすごく怪しげな否定の仕方をして、さらに、「ごめんなさい!ごめんなさい!」と言い続けてしまいました。
数分後。911から電話がかかってきました。ヨメが出ると、「911です。先ほどそちらから、間違い電話、ということで電話があったのですが、本当に大丈夫ですか?警察は必要ないんですね?」・・・安全確認でした。
たぶん僕がとらわれの身になって、やっと911に電話をしたところ、犯人に見つかり、あわてて否定している、そんなシナリオを描かせてしまったようです。僕はただ日本に電話がしたかっただけなのに、えらい騒ぎになってしまいました。
2002年9月27日 ミズーリ州セントルイスにて
出場機会なし。
優勝が決まって、ほっとする間もなく、今度はプレーオフの本拠地開幕権を巡って、Dバックスと勝率を争っています。そのため戦いは、レギュラー中心。なかなか出場の機会が回ってきませんが、勝負時の大切な場面で、代走などで声をかけてもらっています。
問題は、「このバッターが出たら行くぞ」の「バッター」がアウトになってしまい、代走がなくなるなど、タイミングが合わないことですが、今は、そういった大切な場面で使おうとしてもらっている、それがいい勉強にもなり、うれしいです。
公式戦もあと2試合です。
2002年9月28日 ミズーリ州セントルイスにて
9回に守備につきました。なんだか久しぶりの「守備固め」です。最近は代打・代走のほうが多かったので。
今日の勝ちで、先発したチャック・フィンリーが200勝を達成しました。ゲームが終わってロッカーへ帰ると、全員食堂に集まり、紙コップに入った、ひとく
ち分のシャンパン(車に乗って家に帰る直前なので)で乾杯しました。39歳。でも、まだまだ92マイル(約147キロ)出ています。
日本なら、「もう引退」と言われる年齢です。しかし、アメリカでは、身体さえきちんと整えられていれば、年齢はさほど問題になりません。僕も、日本で
10年やって33歳になり、すっかりベテラン扱いをされていましたが、ここではまだ中堅。これから、という気持ちを持たせてもらえます。
うれしそうに乾杯するチャック・フィンリーを見ていたら、先日引退を発表した藤井さんを思い出し、複雑な気持ちになりました。
2002年9月29日 ミズーリ州セントルイスにて
1の0、1四球。
2002年のシーズン最後の打席は、いい当たりのレフトライナーでした。再昇格してからずっと右方向の当たりが続いていたので、バッティングコーチが大喜びで飛んできました。ヒットにはなりませんでしたが、気持ちよく締めくくれたと思います。
チームはこれからプレーオフ。僕はみんなに「また来年!」としばしの別れを告げて、明日からアリゾナ・フォールリーグに参加します。チームにけが人が出た場合、プレーオフに途中から合流することも考えられるので、それを念頭においてしばらく過ごすことになります。
アリゾナ・フォールリーグは、30球団を6つのチームに分けてリーグ戦を組むもので、各チームの若いプロスペクト(将来を期待される若手選手)が送り込ま
れます。僕は、来年につながる勉強をするため、参加を希望しました。もちろん、最年長です。まわりの若さを吸い取ってやろうとたくらんでいます。
ところで今日は試合前、びっくりするような「プレゼント」を見ました。長年にわたってカージナルスのクラブハウスで働いていた方が、定年で退職されるので
すが、その「御礼・お餞別」が、渡されたのです。僕も先日、チームメイトからその話を聞き、ほんのわずかではありますが、出させてもらいました。でも、そ
の時点では、何を買おうとしているか知りませんでした。
そのプレゼントとは・・・モーターボートでした。数百万はするであろう、すばらしいボートを目の前にして、退職される方も、開いた口がふさがらない・・・・という驚きようでした。メジャーリーガーのやることは規模が違います。
ともあれ、今日で2002年のレギュラーシーズンが終了しました。いろいろありました。いい経験もしたし、さまざまなものを見て、想像もしていなかったこ
とに遭遇し・・・しかし、最後はカージナルスで、試合終了のグラウンドにいられたのですから、それで「終わりよければ・・・」なのだと思います。明日から
は、、また来年に向けての第一歩です。この半年、皆さんの応援に本当に励まされました。メールも、楽しませていただきました。おかげで?メール依存症はい
まだに治っていません。
それでは、また明日。
2002年9月30日 ミズーリ州セントルイスにて
アリゾナに移動してきました。去年の自主トレから、偶然にも、アリゾナで始まり、アリゾナで終わる1年になりました。空港には、すでにチームに合流してい
るメンフィス仲間のピッチャー、ケビン・ジョセフ(僕がニューヘブンに行った時カージナルスに昇格し、離れ離れになっていた友人)が迎えにきてくれて、
「若いチームだよー!僕らが一番年長!」と、笑っていました。ちなみに彼は20代中盤です。・・・明日の顔合わせが楽しみです。
レギュラーシーズンが終わってちょっと気が抜けたのと、休みなしに移動してきたのが効いて、疲れがどっと出ています。今日はゆっくり寝て、明日からまた気合を入れなおしていきます。
おやすみなさい!
2002年10月1日 アリゾナ州フィーニックスにて
フォールリーグの初日でした。メジャー30球団が5球団ずつに分かれて、6つのチームを結成し、試合します。ユニフォームは、その選手が所属するメジャーのユニフォーム。ちなみに背番号は、たとえメジャー経験者でも、別のものをつけます。
僕は8です。
それにしても異様な雰囲気でした。広いスタジアムで、見ているのは家族とスカウトだけ。しーんと静まり返っていて、何が起きても一向に盛り上がりません。
ファインプレーにも、ホームランにも、拍手すら起きず、淡々と試合が進みます。こんなムードの野球は生まれて初めてです。
人によっては、「いろんなユニフォームが集まってて、オールスターみたいだね」僕に言わせると「一種の入団テストみたい・・・」
ということで、初日、いきなり1番センターで出場し、若さを吸い取るどころか、休養たっぷりで乗り込んできた若い選手達に押されて、4タコしてしまいました。
明日から行きます。
2002年10月2日 アリゾナ州フィーニックスにて
今日も先発で3の2でした。
試合後、チームメイトが「誰かがロッカーの外で待ってるよ」と呼びにきてくれました。「俺は田口にとって重要だ、と言ってる」・・・聞けば、ちょっと年を
とった黒人の男性とのこと。僕は「重要」という部分を聞き漏らし、「いったい誰やねん?」と不思議な気持ちで出ていきました。そこには、小太りの、めがね
をかけた黒人の男性が。「俺が誰だかわかるまで、話さないぞ」と言って、僕のリアクションをうかがっていました。
いったいこの人は誰・・・・僕はしばらく悩み・・・そして分かりました。ネイト・オリバーです!日本でのプロ入り2年目に参加したウインターリーグで、コーチをしていた人でした。
ウインターリーグ、ハワイのヒロスターズで、僕は初めてアメリカ野球に触れました。当時の僕は送球難で、プロの壁にぶち当たっていました。その僕に「お前
はいい選手だ」と声をかけてくれて、15メートルのキャッチボールから付き合ってくれ、最後に「お前ならやれる。下を向くな。前を向いて行け」と声をかけ
てくれたコーチ、それがネイト・オリバーでした。彼がいたから、今まだ野球をやっている僕がいる、と言っても過言ではありません。
ウインターリーグ以来、感謝の気持ちを持ちつつも、連絡するすべもなく時間が過ぎてしまいました。ひょんなことから彼の連絡先を知り、ブリュワーズのスカ
ウトをしている、と聞き、ヨメに電話をしてもらったのが去年の春。日本での最後のシーズンの直前でした。「これからプロとして10年目のシーズンを迎えま
す。ここまでこられたのも、あなたがいてくださったおかげです」それをどうしても言いたくて、かわりに伝えてもらったのです。
少し太っていたのと、以前はしていなかっためがねで、僕はネイトをすぐに思い出せませんでした。でも、「もしかして・・・?」と思い出した後は、大喜びでお互いをハグしました。
アリゾナは、去年FAを決めて自主トレのために訪れて、さまざまなことを考え、悩んだ土地です。そこで恩人とも言えるネイト・オリバーさんと再会したことは、本当に嬉しい出来事でした。
僕がアメリカ野球に憧れるきっかけとなった、もとオリオールズのレン・サカタさんも、別のチームの監督として、アリゾナ・フォールリーグに参加しています。
アメリカでの1年目を終え、気持ちをあらたにするには、あまりにも条件が揃いすぎています。・・・がんばります!
2002年10月3日 アリゾナ州フィーニックスにて
休日でした。一日だらだら過ごして身体を休めました。こんな日は、家にこもってテレビ三昧です。
よく「日本語の番組が恋しいでしょう?」と聞かれますが実はそうでもありません。アメリカのテレビはチャンネル数も多く、その分、それぞれのチャンネルで
番組内容の傾向がはっきりしています。つまり、好きなチャンネルにしておけば、たいてい好みの番組が見られる、というわけです。
うちはいつもCNNヘッドラインをつけっぱなしにしています。いち早く世界のニュースを知るには便利です。
あとは「アニマルプラネット」という、動物もののチャンネル、「ヒストリーチャンネル」(歴史物。実写のフィルムを交えて、歴史を振り返る)、「ディスカ
バリーチャンネル」(これも事件や科学的なものなど、内容はさまざまですが、ノンフィクションもの)などが気に入っています。その合間合間に、いい映画で
もやっていれば、数時間はあっという間にテレビの前で過ぎてしまいます。日本にいた時より、むしろ長くテレビを見るようになった気がします。
以前「アメリカの専業主婦の一日平均のテレビ視聴時間は約6時間」などという統計を見て、「んなアホな!」と思いましたが、今ではものすごく理解できるような気がします。
2002年10月4日 アリゾナ州フィーニックスにて
2の1、2四球。
今日で、しばらく「本日の成績」について触れるのはやめます。今年一年、あまりに数字に追いかけられすぎて、疲れてしまったのが理由です。もちろん、必要
と思ったときは、良かろうが悪かろうが書くつもりです。秋季リーグに入ったとはいえ、モチベーションが下がったわけではありませんが、一日を終えて、まず
このメールを書くときに、もっとリラックスしたいと思いました。
ところで練習前、ユニフォームに着替えようとしたところ、誰かの名前が
パンツに刺繍してあるのに気がつきました。アメリカでは、メジャーで使われたユニフォームを取っておいて、こういったリーグや、マイナー、緊急用など、い
ろいろな形で再利用されます。こうやって集められたユニフォームのおかげで、個々の脚の長さや、太ももの太さなどにこまやかに対応できるというわけです。
僕のも、やはり以前どこかのメジャーリーガーが使っていたユニフォームです。いったい誰のかいな?と思ってじっくり見てみると、そこには「LA RUSSA」の文字が・・・なんと、わが監督、トニー・ラルーサのものでした。
偶然とはいえ、本当にびっくりしましたよ。
2002年10月5日 アリゾナ州フィーニックスにて
毎日晴天の続くアリゾナです。おかげで10月にもかかわらず、真っ黒に日焼けしています。同時に、太陽のまぶしさに悩まされています。
ここアリゾナは、「ハイスカイ」といって、空が高く雲がないため、フライが上がると非常に取りづらい、と言われています。僕は去年ここで自主トレをしていましたが、なるほど、と思ったものの、空の高さに関しては、さほど困ったこととは思いませんでした。
ところが、アリゾナフォールリーグに来てからというもの、連日のように日差しの強さのため、フライを取るのに苦労しています現在6つの球場のうち、すでに
3つの球場でプレーしましたが、どこも、太陽が試合中に、ホームの後ろを通っていくような作りになっているのです。日本だと、ほとんどの球場は、センター
の後ろを太陽が通るため、真正面に強い日差しを受けることはまずありませんでした。
それによって、観客席が光ったり、明るすぎてボールが見にくくなったり、フライが上がると、太陽の中に入ってしまい、見えなくなってしまう・・・といった
ことが続々起きています。サングラスをかけたり、いろいろな方法で「見る」努力をしていますが、どうしようもない時も中にはあります。
日本でまったく経験のなかった正面の太陽との戦いに戸惑いはありますが、よく考えれば、レギュラーシーズン以外の場所で、毎日太陽の中に入ったフライを取る練習ができるのですから、いい勉強をさせてもらっている、とも思います。
2002年10月6日 アリゾナ州フィーニックスにて
初めてお休みをもらって、ベンチにいました。しかも明日は休日。身体がだいぶ休まりそうでありがたいです。
ということで、試合中は何をすることもなく、ただぼーっとベンチに座っていました。ファウルボールにだけ、気をつけながら。
いつもアパートからフィールドへの行き帰りは、ケビン・ジョセフ投手と一緒なのですが、車中の会話が簡易英会話レッスンのようでありがたいです。グランド
では、なぜかラテン系の選手達からスペイン語を熱心に教えられているので、行き帰りの車中は、じっくり英語を話す、貴重な時間でもあります。
果たして英語とスペイン語、どちらが先に上達するでしょうか・・・?
2002年10月7日 アリゾナ州フィーニックスにて
休日。
ゆっくり寝て、昼から久しぶりにゴルフに行ってきました。最初は短パンをはこうかと思ったのですが、日焼けが怖くてやめました。日焼け止めを塗ればいいの
でしょうが、もし、強い日差しに慣れていない両脚が、明日ひりひりしたら、ユニフォームを着て動くのが辛くなるからです。結局暑いのを我慢して長いパンツ
でラウンドしました。
日本では、半袖の形がくっきり見えるなど、中途半端な日焼けの仕方をいろいろな言葉で表現しますが、アメリカにも、それと似たものがあります。「FARMER’S TAN」。僕ら野球選手は、年中そんな感じの日焼けをしています。
焼けているところ。
首から上。
ひじの上から手の先まで。
脚は、白い。
面白いのは、ユニフォームのズボンの両サイドに太いラインなどの入っているチームの選手は、そのラインの部分が焼け残って白く見えること。そういえば、オ
リックスのある先輩は、ユニフォームの下にアンダーシャツを着ないでプレーしていたので、裸になると、背中に背番号と名前がくっきり残っていました。
紫外線には気をつけましょう。
2002年10月8日 アリゾナ州フィーニックスにて
今日はまた特別に暑い、暑いアリゾナでした。ベンチからセンターへ。そしてセンターからベンチへ。その往復だけでも充分疲れ果ててしまいました。相変わら
ずスタンドに座っているのは、スカウトと家族だけ。そして、未来のスター達(という触れ込み)をいち早くチェックしようと集まってくる、数少ない熱心な
ファンが、数十名。いずれも、ものすごい数のベースボールカードを持っています。
レギュラーシーズンは、なるべく多くのお客さんにサインをさせてもらいたいと思っているので、時として試合後、1時間近くサインをし続けることがありま
す。それに比べると、アリゾナ・フォールリーグでは、人数だけなら数十人。しかし、サインをしている数は、100枚近くに及びます。こんなにたくさんカー
ドを持っているんやなあ、と、びっくりするばかりです。
アメリカで野球を始めてからというもの、サインをするのは、このベースボールカードが中心です。多くのファンの人が、僕のカードを持って来てくれるのは、
照れくさいような、嬉しい気持ちです。アメリカで発売されている、さまざまな種類のカードばかりでなく、オリックス時代のカードを誇らしげに持ってきて、
「インターネットで買ったんだよ!」と見せてくれる人もいます。
アメリカには、サイン帳のようなものはありますが、日本でいうところの「色紙」がありません。日本では、サインといえば色紙、という感覚でしたが、今は、 (1)ベースボールカード、(2)ボール、(3)帽子、(4)バット、(5)ヘルメット、などなど。という順番です。
ちなみに今までサインをさせてもらった、記憶に残る「場所」は、車のダッシュボードとナンバープレートです。「こんなところに書いていいのかなあ・・・」と不安になったのを覚えています。
2002年10月9日 アリゾナ州フィーニックスにて
ビジターで、久しぶりのナイターでした。夜になると少し涼しくなるので、連日の猛暑のデーゲームから開放されて、ほっとします。しかし明日からまたデーゲームの連発です。
フェニックスを中心に、全部で6チーム(MLB30球団が5チームづつ)に分かれてそれぞれのフランチャイズを持っています。ですから、ビジターといっても、せいぜい1時間程度のコミューター(通いの遠征)です。しかし、フランチャイズの立地によって、大きな差が。
僕の所属するメリーベールのチームは、なぜか他のチームより、圧倒的にナイターが少ないのです。理由を聞いて、愕然としました。球場のまわりの治安が悪い
ので、ナイターをあまり開催したくない・・・とのこと。その理由が本当かどうかはともかく、ナイターが少ないと、疲れが溜まる一方です。
ところで、今日、このリーグで初めてホームランを打ちました。けっこう大きな2ランだったのですが、相変わらずスカウトと家族だけで閑散としている球場内は、しーんと静まり返っていました。
今までの野球人生の中で、一番拍手の少ないホームランでした。
2002年10月10日 アリゾナ州フィーニックスにて
今日は完全休養日。昨日試合中にふくらはぎを少し痛め、休みをいただきました。日本だとなかなか「ここが痛いです」とは言いづらいのですが、アメリカで
は、自分で主張しないと、自分を守れません。そんなに深刻な状態ではないので、疲れが取れればすぐにラインナップに復帰できると思います。
そんな時、警察に止められました。たまたま、「やけに今日は警察をよく見るね」と、助手席のケビン・ジョセフ投手と話していたのですが、まさか自分が止められるとは。
僕は緊張して、サイドブレーキも引かず、ギアも触らず、ブレーキを踏んだまま固まっていました。それだけ、アメリカの警察は威圧的なのと、「警察に止めら
れたら動くな」と教えられていたからです。というのも、下手に免許証を取り出そうと、ポケットに手を入れようものなら、銃を出すと勘違いされる、と聞いて
いたのです。
要は、借りていたのがたまたま新車だったので、仮のナンバープレートが車についていて、警察がそれを見ていなかったようでした。怪しい車に思われたのです。
問題は、警察が僕に対して、ずっとスペイン語で話し掛けていたこと。「僕は日本人です!」と主張するまで、メキシコ人だと信じていたようで、わかってもらえませんでした。
確かにすごく日焼けしていますけどね。無精ひげも剃らねば。
2002年10月11日 アリゾナ州フィーニックスにて
本日も大事を取って、試合は出ず。そのかわり一塁ベースコーチに立ちました。何をするわけでもなく、ぼーっと立っていただけですが、点数がたまたまたくさん入ったので、「いい一塁コーチだ!」と誉められました。
ところで、モールへ行き、Gパンを一本買いました。いかにもアメリカ人好みの仕立てで、股上が短く、はくときにいちいちお尻がひっかかります。シルエットなどは気に入っているのですが・・・
股上が短い、といえば、アメリカの若手の選手を見ていると、腰でユニフォームのズボンをはく選手が目立ちます。流行、といえばそれまでですが、ちょっとひ
弱そうに、軟弱そうに見えて仕方ありません。メジャーでは、ほとんど見かけないはき方で、下に行くほど、若くなるほど、ポピュラーです。若い人がよく、G
パンをほとんど半ケツではいて、パンツが半分見えている、そういう感じです。
僕はやっぱり、ユニフォームは、きちっと着るのが好きです。
2002年10月12日 アリゾナ州フィーニックスにて
ふくらはぎの状態はほとんどOKなのですが、最年長ということで(?)、監督やトレーナーが気を遣ってくれています。じっくり治して、来週の火曜日から試合に復帰することになりました。
ということで、僕は今日も一塁コーチ。試合に出ないと他の選手をじっくり観察できて面白いです。
ここに来ている選手はすべて、「MLBの将来のスター」と言われています。各球場では、それぞれのチームのグッズのようなものを売っているのですが、その
中にも、「未来のスター」と書いたステッカーなどがあるそうです。なるほど、打つほうは、さすが期待の星だけあって、荒削りですが、きらりと光るものがあ
ります。しかし、守備は・・・となると、荒削りすぎます。
ピッチャーはそこそこコントロールのいい人が集まっているだけに、エラー、エラーの連続に、相当フラストレーションが溜まっているようです。何しろ、「打たせて捕る」という状態が、なかなか成立せず、たとえば、例を作ってみると、
(1)ノーアウトでぼてぼてのサードゴロを、サードがエラーして、ランナー1塁。
(2)次のピッチャーゴロを、ゲッツーにしようとセカンドに投げたら、ベースカバーのショートがこぼして、ボールはセンターへ。ランナーはその間に3塁1塁。
(3) ここから精神的に崩れ、ぼこぼこに打たれる・・・
このようなことが、ひんぱんに起きています。まるで冗談のようです。ピッチャーからすれば、とっくにチェンジになっているはず、なのに、そういうことが起
きるので、なかなかリズムに乗れず、結果打たれてしまう。そして、自分の防御率だけがうなぎのぼり、ですから、洒落になりません。「このリーグは、ピッ
チャーの忍耐力を鍛えるためのものだ」と、半ば本気でささやかれています。
今は10代後半から、20代中盤の彼ら。そんなエラーも気にするでもなくどちらかというと自信たっぷりで、堂々としています。このうち何人が、メジャーの舞台に立つのか、そして、メジャーの洗礼をどんなふうに受けて、育っていくのか。
けっこう楽しみですけどね。
2002年10月13日 アリゾナ州フィーニックスにて
今日まで「お休み」をいただき、コーチ業に専念しました。明日は、試合のない日で、あさってから復帰予定です。
日本から、友人が、藤井さんの引退試合の模様をメールで知らせてくれました。読んでいるだけで、光景が目に浮かぶようで、寂しい思いでいっぱいになりました。対戦相手の近鉄の応援団からも大きな声援があったそうで、藤井さんもきっとうれしかったのではないでしょうか。
アリゾナフォールリーグに参加していなければ、実は帰国して、チケットを買って、絶対に見に行くつもりでした。今年一年、野球の心残りは、藤井さんの引退試合をこの目で見られなかったことかもしれません。
10年たっぷりお世話になった先輩です。どんな辛い時でもじっと耐えて、自分の力はグラウンドで見せる、そんな信念のある、素晴らしい人です。今後はコーチになられるということ。藤井さんに教えてもらえる選手は幸せだと思います。
ちなみに、「お疲れ様でした」を伝えたくて、先日からずっと電話をかけているのですが、つながりません。このHPを見てくださっていることを信じて・・・
藤井さん、お疲れさまでした。公私共に、本当にお世話になり、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
すみません。今日は、私信。
2002年10月14日 アリゾナ州フィーニックスにて
ナショナルリーグチャンピオンをかけて戦っていたカージナルスが、今日、2002年のシーズンを終えました。ベンチには入れませんでしたが、「いつでも準
備をしておいてくれ」というチームからの言葉もあり、僕も今日まで、一緒に戦い、気持ちが切れないようにしてきたつもりでした。ふくらはぎも、いつもなら
多少無理をして続行するところを、ちょっとでも違和感があれば、休みをもらったりしました。
それも終わりです。緊張感から開放されたような、少し寂しいような、そんな気分です。
明日からは、予定通り、試合に復帰するつもりですが、これが本当の、自分にとってのアリゾナ・フォールリーグの始まりのような気がしています。
2002年10月15日 アリゾナ州フィーニックスにて
試合に復帰しました。いきなり一番センターです。ほぼ完璧に動けたので、明日からまたがんばります。ちなみに今日は4の1、1四球で、タイムリー3ベース1本でした。
今日を含めて、これが最初で最後のナイトゲーム3連戦です。昼間はまだまだ暑いアリゾナですが、夜になるとなんともいえない気持ちのよい気候で、最高のコ
ンディションです。暑くもなく、寒くもなく、風もなく、乾燥していて、さわやか。おまけにデーゲームの時より、睡眠時間が長くなります。
できることなら、全部ナイトゲームで開催してもらいたいものです。
2002年10月16日 アリゾナ州フィーニックスにて
昨日は、知り合いのアメリカ人FA選手の、去就決定のデッドラインでした。
僕がアメリカに来てからというもの、「日本で野球をやりたいんだ」という選手に何人会ったか分かりません。彼らが日本に行きたい理由は簡単。「お金にな
る」と信じているからです。「そんなに簡単なもんじゃないで」と忠告はするんですが、アメリカの選手の中では、「日本野球イコールお金を稼げる」というの
が、常識のようになっている気がしました。
最初は冗談で言っていると思っていた何人かは、その後も真剣に、あれこれと相談してきました。でも、「どうやったら日本に行けるか」の一点張りで、野球に
どんな違いがあるか、生活環境はどうか、といった、見逃しがちだけれど、とても大切なものには、あまり興味がないように思えました。行けばなんとかなる、
という感覚は、とてもアメリカ人らしいのですが・・・。
僕はスカウトでもエージェントでもないので、できることは何もありません。ただただ、仮に彼らが日本に行けたとしたら、成功することを祈るばかりです。
そんなわけで、まわりで何人かが、日本行きを目指して動いてきました。彼らが、もといたチームと契約を続行するかどうか、その締め切りが昨日というわけです。
今日、連絡が何もないということは、ダメだったんでしょうかねえ?
2002年10月17日 アリゾナ州フィーニックスにて
今日の試合は、雷で中止です。
実は、初めてです。雨が、ぱらっとしか降っていないのに、雷が鳴っているだけで中止、というのは。「サンダーボーイ」を思い出しました。
僕の大好きな野球映画で、「ナチュラル」という、ロバート・レッドフォード主演のものがあります。主人公の選手が使っているバットは、雷の落ちた木が裂けて、それをバットに加工したものです。たしかそのバットに「サンダーボーイ」と書いてあったような気が・・・。
もっとも、バッターボックスで構えたバットに落ちられたら、洒落になりません。
ともあれ、おかげで身体が休められるし、明日が普段のようにダブルヘッダーになることもなし。しかも明日からデーゲームの日々が始まるので、今日の雷中止は、誰にとってもラッキーだったことでしょう。
ところで帰り際、球場で、ハンセン・コーチに会いました。昨年までオリックスでコーチをしていた、あのハンセン氏です。今はもといたマリナーズに戻って、仕事をしています。日本で一緒にやっていた人と、こちらで顔を合わせると、なんとなく嬉しくなるものです。
2002年10月18日 アリゾナ州フィーニックスにて
今日はヨメの誕生日でした。デーゲーム後、ケビン・ジョセフ家と一緒に食事をして、家に帰ってからは、風船がいっぱいの中でバースデーケーキを食べ、お祝
いしました。本当は、自分ひとりでなんでもやってやりたい気持ちだったのですが、店の予約からケーキの用意、部屋の飾り付けまで一人でやるのは不可能。
「任せとけ!」と引き受けてくれたジョセフ家には、感謝感謝です。
日本だと、自分のまわりにいる人の年齢は、たいてい把握しているものです。上下関係があるからでしょうか。あの人はいくつ、だから敬語で、でも、あの人は
年下だから普通に、などと、使い分けをします。でも、アメリカでは、人は他の誰かの年齢を、日本人ほど気にしません。たとえばうちのヨメは今日で37にな
りましたが、25歳のケビン・ジョセフの奥さんといつもつるんで、「教わることがたくさんある」と喜んでいます。年齢を気にせずいられるのは、アメリカの
いいところのひとつです。
今年一年、ヨメはよくがんばってよく我慢したので、お祝いができて、本当によかったです。「37!!」と本人は大笑いしていますが、「でも、まあ、気持ち
は25ということで」などと恐ろしいことを言っています。今度会ったら殴ってやってください。ともあれ、ますます元気でばりばりと、僕のために?働いて欲
しいと思います。
特に通訳の部分で。
すみません。今日は超内輪の話です。
2002年10月19日 アリゾナ州フィーニックスにて
ようやく涼しい風が吹くようになって、アリゾナはこれから一年で一番いい季節に向かいます。でも、日中の日差しの強さは相変わらず外野手泣かせです。
真正面にある太陽と戦うため、いろいろと試行錯誤してきました。
手をかざしてみる。
太陽の正面から自分が逃げる。
太陽が正面に来る前に、試合が終わるのを祈る。
でも、必ず8回、9回に、太陽は正面にやってきます。
高いフライが上がり、もう絶対に見えない、と判断した場合は、「I CAN’T SEE!」と叫ぶことになっています。すると、両側からヘルプがやってくるのですが、結局間に合いません。自分で捕るしかないのです。
そんなわけで、今試しているのは、帽子です。
フライが上がった瞬間、左に飛ぶ打球なら、右手に帽子を持って、走りながらかざす。右に飛ぶ打球なら、グローブをかざしながら走る。でも、一瞬のうちにぱっと帽子を取るのは、けっこう忘れがちです。この案も、たぶん数日のうちに消え去るでしょう。
昨日も、一球、まったく見えなくなり、「経験からすると、たぶんここらへんに落ちる」と、グラブを目の前に伸ばしてじっとしてみました。するとボールは、僕の手首に当たりました。チームは心配して「大丈夫か!?」僕からすると「惜しい!」
ちょっと腫れてしまった腕をさすりつつ、試行錯誤の日々は当分続きそうです。
ところで、おとといのメールで、大好きな映画「ナチュラル」について触れたのですが、そこで「主人公の使っていたバットはサンダーボーイ」と、偽情報を流
してしまいました。ごめんなさい。正しくは「ワンダーボーイ」だそうです。ご指摘くださった方、ありがとうございました。
2002年10月20日 アリゾナ州フィーニックスにて
牽制でアウトになりました。
確かに牽制のうまいピッチャーではあったのですが、僕の感覚では絶対にボーク。左投手で、一塁に踏み出すとき、かなりホーム方向に足が動いていました。
チームメイトに聞いてみると、「あれは確かにボーク。でも、相手が取らないなら仕方ない。まあ、英語の勉強と思って、審判に聞きに行ったら?」という返事でした。
そんなわけで、早速一塁塁審にたずねてみると、「身振り手振りを使って説明するのはやめてくれ!」自分が下した判定に対して、クレームをつけられているのを他に知られるのがイヤだったようです。
とりあえず何とかジェスチャー抜きで説明すると、「私の判断では、彼(投手)の動きは問題ない」とのこと。仕方なく、わかりました、と、引き下がりました。
そこで、ベンチに帰って一言。「どうやら彼は、僕が英語の勉強をしにきたのを分かってたみたい。身振り手振りは使うな、って言われたよ」
ダグアウトは大笑いでした。
2002年10月21日 アリゾナ州フィーニックスにて
昨夜は遅くまで映画を見て、午前中はゆっくり寝坊しました。今日は休日でした。この一週間はナイトゲームとデーゲームが混ざっていたので、体力的にはしん
どかったです。本当は、全部デーゲーム、というのが一番寝不足が重なり苦しいパターンですが、ナイトゲームの翌日がデーゲーム、というのも、なかなか辛い
ものです。
人間、明日がデーゲームだから、じゃあ夜9時に眠れますか、と言われてもなかなかそうはいきません。もともとナイトゲームに慣れている身体ですから、ふと
気がつくと夜中の2時・・・ということもしょっちゅうです。もともと夜型の僕は、早起きが苦手。デーゲームに向かう車の中では、頭も身体も起き切れず、運
転しながら無口になってしまいます。
明日はデーゲーム。今週のナイトゲームはたったの一試合。中途半端で、ちょっとイヤかも・・・。
2002年10月22日 アリゾナ州フィーニックスにて
お食事中の方はご遠慮ください。
試合から家に帰ってくると、ヨメが倒れていました。あたり一面には、そこはかとなく、どこか懐かしい、自然の肥料の匂いが。
なんでも、朝方から昼前にかけて、アパートの芝全面に肥料をまいていたそうです。その匂いがもともと強烈。さらに、アリゾナの太陽に温められて、アパート
の敷地内全体に、むわーっと、まんべんなく肥料の、有体に言えば、んこ臭さが広がり、車を僕が乗って行ってしまったため、外に出て行くこともできず、逃れ
る場所がどこにもなくなってしまったそうです。
部屋の中でドアを締め切っても、目がつーんとするような状態で、その中で夕飯の支度をするのは、ある意味戦いだった、と彼女は夕飯を食べながら語りました。
今日のメインは、僕の大好きなカレーでした。
2002年10月23日 アリゾナ州フィーニックスにて
アリゾナに来ると、必ずやってくる人がいます。アリゾナ在住の、カージナルスのスカウトさん。僕にとっては父親のような存在です。僕をスカウトしてくれ
た、という恩ばかりではなく、いついかなる時も、どこからともなく現れては、僕に親切にバッティング指導をしてくれます。「俺が壮のベストコーチだ!」と
自負する彼。まわりに誰がいても、誰が見ていても、気にせず時間をかけて教えてくれます。バッティングコーチすらびっくりするほどの熱心さです。「スカウ
トが試合前にグランドに下りてきて、バッティング指導している姿を初めて見た」と、他の選手も呆然とするほどの、熱血ぶりです。
そんなスカウトさんを、僕は大好きなのですが、ひとつだけ心の中でお願いしていることがあります。「頼む。試合直前だけはやめて・・・」
試合前というのは、精神的にかなり張り詰めています。そんな時に「ここをこうして、そこをそうして」と、バッティングをいじられるとどうなるか?頭の中は
こんがらがり、フォームはばらばら。心はぐちゃぐちゃ。いい結果どころか最悪の一日になってしまうのです。「あーそ−ですか」と聞き流すことのできない
僕。以前試合前にこれをやられて、それまで上昇中だったバッティングが、がくっと落ち込んだことがありました。
人に何かを教える、というのはとても難しいものです。内容もさることながら、タイミングと状況、というのはとても大事だと思います。同じことを言っても、場合によっては、親切にも迷惑にもなりかねません。
スカウトさんの言っている事は、もっともなこと。だから僕はお願いしました。「試合以外の時に、一回につき、ひとつだけ、教えてください」
彼の愛情に時折圧倒されつつも、非常に感謝しているのは間違いありません。
2002年10月24日 アリゾナ州フィーニックスにて
大量失点に慣れている我がチーム。今日も3回までに10点取られ、外野では大運動会が繰り広げられました。
昨日は16点取られて、負け。僕は休養日だったので、試合に出ていませんでしたが、ベンチに座っているだけでも疲れました。なにしろ16対13で負けたのです。
ここアリゾナ・フォールリーグの基本姿勢は、「エラーしても、打てばいいんだろう」。アメリカ野球、攻撃野球の根底を見ている気分です。
ご存知のように、ここに集っているのは、30チームが将来を嘱望する、若い選手達です。かんからかんから、とにかく打つことに情熱を燃やしています。守りが素晴らしくて送り込まれた、という選手は、まだ一人も見たことがありません。
野球殿堂入りしたOZの魔法使い、オジー・スミスさんと以前お話させていただいた時、「アメリカ野球で、僕が殿堂に入ったというのは、非常に意味のあること」とおっしゃっていたのを思い出しました。なるほど、という感じです。
エラーなんて気にしない!打つぞ!という感覚は、いったいどこから来るのでしょう?そういえば、アメリカ人の友人が、面白い分析をしていました。アメリカ
のスポーツ選手は、小さい頃から、夏は野球、冬はフットボールやバスケットなど、ひとつに絞らず、さまざまな競技をこなすします。日本のように、サッカー
ならサッカー、野球なら野球、などと、早々道を決めてしまわないそうです。
それによって起きる、練習量の少なさが、守備の拙さにつながるのではないか、という分析でした。おそらく、ドラフトされている選手は誰もが、「打てるか、
打てないか」という判断でピックアップされているのではないか、という考え方に、僕は思わずうなずいてしまいました。僕の周りにも、「アメフトと野球を
やっていて、どちらもプロになれたけど、野球を選んだ」というマルチ組がけっこういます。
打撃が期待されている彼らですから、ますますバッティング練習をがんばります。結果、守備はどんどん忘れ去られていくことに・・・。
それでも、上に上がっていくにつれ、いつしか素晴らしい守備の名手に育っていくのですから、不思議だし、面白いものです。僕のまわりでエラーを連発している若手の中からも、いつかオジー・スミスさんのように、守備で殿堂入りする選手が出てくるかもしれません。
そうなったら、むちゃくちゃ驚くやろうなあ。
2002年10月25日 アリゾナ州フィーニックスにて
3タコ、1犠打。
久しぶりに今日の成績を書いてみました。ヒットが出ませんでした。 「でもきっと明日は出るからいいや」という気持ちがあるから、 「タコ」と書いても、あまりストレスには感じません。
3Aにいた7月あたりから、特に2Aの8月あたりからさらに、連日のタコ、という状態が、本当に少なくなりました。逆に続くと、「珍しいなあ」と思ってしまうよう になっただけ、ちょっと進歩したかもしれません。
僕は日本いた頃、自分ではさほど気が付いていなかったのですが、ヒットが出る時と、タコが続く時が、ものすごく極端だったそうです。
つまり、打率が異様な勢いで上がり、激しく落ちてゆく、その繰り返しでした。どうしてそんなに安定しなかったのか、最近になって、自分なりに
振り返る余裕が出てきました。
ポイントは、「悔しさ」だと思います。僕はもともとあまり感情が極端に上がり下がりするタイプではないので、
激怒!とか、むかついて許せない!というような思いをあまりしたことがありません。どちらかといえばいつも淡々としていて、タコが続いても、
悲しい気持ち、焦る気持ちだけがたっぷりあって、「悔しい!」という気持ちにあまりなったことがありませんでした。
それがアメリカに来て、思うようにならないバッティングや、環境や、さまざまなものにぶち当たって、「なんでやねん!」と悔しい気持ちを非常に多く持つよ
うになりました。その気持ちが、「絶対にどうにかしたんねん」という、へこたれない 力を生んでくれたと思います。特に2Aで、それを強く感じました。
33才になって、衰えないように、などと思うだけでなく、「なんか俺、ちょっと野球上達した?」なんて 思えるのは、本当に嬉しいことです。メジャーでプレーするとか、何割打つとか、そ れより以前に、アメリカに来てよかったなあ、と充分思えます。
明日は打つぞ!
2002年10月26日 アリゾナ州フィーニックスにて
雨で試合が中止になりました。雨が降るたび、気温がぐっと下がります。もともと砂漠の真っ只中ですから、昼夜の温度差が激しいアリゾナ。この時期になると、それがさらにはっきりしてきます。日中30度近く上がり、今夜は12度くらいですから、けっこうな差です。
夏時間ももう終わり(アリゾナは関係ないですが)、いよいよ冬を迎えます。あれほど熱望していたナイトゲームも、寒くて汗が出なくなります。そうすると、「やっぱりデーゲームのほうが動きやすくていいなあ」・・・わがままですね。
2002年10月27日 アリゾナ州フィーニックスにて
今日は休養日。だったはずなのに、延長になったら代走で呼ばれ、結局守備にも入りました。ぽかぽかしたデーゲームのベンチで、スペイン語の勉強などしながら談笑していたら、突然のご指名。靴紐もまともに結ばず、慌ててグラウンドに・・・。
風が冷たくなり、日差しも少しはやわらかくなったアリゾナですが、それでも外野手泣かせな太陽には変わりありません。でも、強い味方が日本から届いたのです!
僕は山本光学という会社(メーカー名はスワンズ)と契約を結び、試合用のサングラスを使わせていただいていますが、あれこれと試行錯誤した結果、偏光レン
ズのサングラスに行き着きました。主にゴルフや釣りに使われる、というこのレンズは、光の乱反射を抑える働きがあります。その結果どうなるかというと、釣
りなら、水面が光らずに見えたり、ゴルフなら、光の差し具合に惑わされず芝目が読めるなど、いろいろ利点があるそうです。(僕は釣り、ゴルフに関して素人
なので、もし間違っていたらごめんなさい)
さて、野球では、そのサングラスを掛けて、ちょっと斜めに見ることによって、太陽のまぶしさが、普通のサングラスより抑えられます。乱反射がない分、多少暗く思えますが、逆にボールは見やすくなります。
これは発見です。
明日は休日。とりあえず芝目をちゃんと読めるかどうか、試してきます。
2002年10月28日 アリゾナ州フィーニックスにて
昨日のメールで「芝目が読めるかどうか試してきます」と宣言した偏光レンズについて、結果報告です。
すみません。ゴルフに行ったのですが、サングラスを持っていくのを忘れました。あほです。僕のスコアが悪かったのは、そのせい、だと思いたいです。
ゆったりした休日。夜は久しぶりに映画「モンスターズ・インク」をビデオで見ました。これは、僕がアメリカで初めて見に行った映画です。あれから半年
ちょっと、3月には、なんとなく想像で補っていた会話が、今日はちゃんと聞き取れて、なんだか嬉しくなってしまいました。毎日いろいろフラストレーション
を感じながらも、ちょっとずつ英語を学んできたことは、ムダになっていませんでした。よかったよかった。
というわけで、ゴルフのスコアさえ考えなければ、とても充実した一日でした。
2002年10月29日 アリゾナ州フィーニックスにて
毎日球場まで、30分以上かけて通っています。
このアリゾナ・フォールリーグで、カージナルスが所属するメリーベールのチームは、本拠地が、スコッツデールなどのいわゆる「安全な町」からかなり離れた
危ない場所にあり、「お前どこに所属してるんだ?」「メリーベール」と言うと、誰にも「オー・・・」と、非常に気の毒がられます。そのリアクションがとて
もイヤです。
治安の問題で球場の近所に住めないため、僕はスコッツデールから通わねばならず、時間はかかるし、朝は眠いし、夜が危ないから、と、デーゲームは多いしで、とてもイヤです。
たとえばスコッツデールに本拠地のあるチームは、連日のナイトゲーム、通勤が楽、と、いいこと尽くめです。ずるい。ずる過ぎる。そんな不公平な状態で戦うのは、とてもイヤです。
まあ、そんな愚痴ばかりみんなで言っていても仕方ないのですが、そんなわけで僕らメリーベールの選手の多くは、ライドをシェアして(一台に同乗して)、球
場に向かいます。なぜみんな車があるのに、でかい男がわざわざ一緒の車に肩寄せあって乗るのか?それは、「カープール」を使うためです。
アメリカのあちこちには、フリーウエイに、この便利な「カープール」という制度があります。車社会のアメリカは、一人一台が当たり前のような状態。みんな
がいっせいに動く通勤時間などは、広いフリーウエイもぎっしり渋滞します。そんなとき、「一台に2人以上乗っている」車は、一番左側にある、特別レーンを
走ることができます。州によって、さまざまな形態がありますが、二人以上、というアイデアは同じです。道が混んでいるとき、カープールだけがすいていて、
そこをすーっ通って行けるのは非常に得した気分です。
ですが、やはり「ずる」をする人はどこにでもいるもので、一人で乗っているくせに、カープールを堂々と走る人が結構います。そういう人は、おまわりさんの
いる場所を心得ているのか、案外つかまりません。おかげで、せっかくのカープールが渋滞したりして、納得がいかなくなります。
もうひとつ。アリゾナのカープールは、実線で一般レーンと区切られています。時折、二重線もありますが、見たところ、皆さん気にせずどこからでも入り、ど
こからでも出て行きます。僕にはこのルールがわかりません。例えば、カリフォルニアの一部では、「カープール入り口」「カープール出口」などと、はっきり
書いてある場所があります。そうすると、それ以外の場所で、一般レーンとの出入りはしちゃいけないんだろうなあ、と想像がつきます。
カープールはたいていとても空いているので、一般レーンよりスピードが出ていますから、入ってくるほうも、入られるほうも、危険が伴います。それだけに、「ここからしか入れない」「ここからしか出られない」という」決まりは分かりやすいのです。
でも、アリゾナ。はっきりした決まりが目で見て分からないため、僕はとても困っています。一緒に乗っているケビン・ジョセフ投手も、「わかんない・・・」
まわりにきいても、誰もはっきりした決まりを知らないのです。以前おまわりさんに聞いた人がいたのですが、そのおまわりさんでさえ、「ちょっとよくわかん
ない」と言ったそうです。
それでもなんとかなっているんですから、アメリカはいいかげん、いえ、おおらかな国ということでしょうか。
2002年10月30日 アリゾナ州フィーニックスにて
久しぶりに、疲れを取るため、アイスバスに入りりました。いわゆる、「全身アイシング」です。メジャーと違って、常にあるわけではないので、アイスバスは自分で用意します。まずはホースで水をい入れ、その瞬間は20度ちょっとあります。それに氷を入れて冷やしていきます。
そこで思ったこと。確か、「タイタニック」では、水に入った全員がわずが20分で亡くなったとのこと。おそらく海温は、1度か2度だったことでしょう。何
しろ氷山が浮いていたくらいだし。いったいその辛さはいかほどのものかと思い立ち、氷をアイスバスにどかどかどかどか入れはじめた僕。12度まで下がった
ときに、手を漬けて我に返りました。
1度2度の水の中になんて入れるかい!12度だって苦しいです。そのアイスバスに15分。時間の経つのが長いことといったら・・・。脱出したときには、震えが止まりませんでした。
僕は今、タイタニック関連の本を英語で読んでいます。遅まきながら、先日は、映画「タイタニック」を見ました。そのせいか、どうでもいいのですが、アイスバスに入るたび、この話を書きたくて仕方ありませんでした。
2002年10月31日 アリゾナ州フィーニックスにて
突然のダブルヘッダーでへとへとになりました。そういえば今日はハロウイン。仮装してどこかに繰り出す元気などもちろんなくて、帰宅後は部屋で静かに音楽を聞いて過ごしました。
特に80年代のR&Bやロックの特集CDは、どの曲も懐かしく、なんでこんな曲まで知ってるんや?と思うくらい、どれもこれも口ずさむことができました。いったいどこで、どんな風にその曲を聞いたんでしょう?
ともあれ、あの頃の音楽はどれもいい曲ばかり。ANOTHER ONE BITES THE DUST(QUEEN)や、I STILL HAVEN’T
FOUND WHAT I’M LOOKING FOR(U2)など、ものすごく久しぶりに聞いて、しかもなぜか歌詞まで覚えているから驚きです。 思
わず部屋で、歌いながら踊ってしまいました。疲れているというのに・・・。
最近の音楽は、なぜだかどれも全部同じに聞こえてしまいます。そういえば昔うちの母が、「今の音楽はどれもこれも同じねえ」と言っていたような。・・・やばい。
2002年11月1日 アリゾナ州フィーニックスにて
今日から11月ですね。予定表を見てびっくり。アリゾナフォールリーグも、残すところあと3週間となりました。相変わらず、わが「メリーベールなんとか
ず」(今だに自分のチームの名前の読み方が分かりません。耳には「スワローズ」と聞こえます。スペルはSAGUAROSで、スペイン語。ある種のサボテン
の意味)は、負けに負けています。現在7勝19敗。すごく弱いです。
今年戦ってきたチームは、常に上位にいました。3Aメンフィス・レッドバーズは、僕がいた間ずっと首位争いをしていました。2Aニューヘブン・レーベンズはプレーオフに進出しました。セントルイス・カージナルスは地区優勝しました。
で、「なんとかず」。弱いです。
このリーグの目的は、選手の養成なので、勝敗はさほど気にしなくてもいいらしいです。でも、あまりに負けるので、僕はやっぱり気になります。負けているお
かげで、「なんとか点をやらないように」と、守備に気合が入るのは確かですが。そこそこ打っているチームですし、野球は「点を取られなければ負けない」ス
ポーツのはずですから・・・。
下手すると、あと4試合で早々自力優勝がなくなります。最終日の23日には優勝決定戦が予定されているフォールリーグ。たぶん、おそらく、関係ない僕ら
は、最終日を待たずに解散、ということもあるでしょう。早くオフが来て嬉しいような、そんな終わりかたは悲しいような、複雑な気分で予定表を眺めていま
す。
2002年11月2日 アリゾナ州フィーニックスにて
試合直前、「今日は7回までで、打ち切り!」と聞きました。なんでも、各チームの「期待の星」が集まるリーグだけに、投手は何日の間に何イニング、何球ま
でしか投げさせない、など、細かい決まりがあるのだそうです。このところダブルヘッダーなどがあり、「期待の星」の肩や肘に負担がかかると困るからでしょ
う。
一番かわいそうだったのは、7回表に、嬉しそうにビールとつまみを持ってスタンド前列に現れたおじさんでした。ビジターの試合で、リードされたまま迎えた
7回表です。あっという間に3アウトで試合終了。ビールのカップを片手に、おじさんは呆然と、あたりを見回していました・・・。
2002年11月3日 アリゾナ州フィーニックスにて
休養日。一塁ベースコーチにも出ず、ゆっくりベンチにいました。
休養日の楽しみは、なんといっても「エイドリアン君のスペイン語教室」です。ヤンキースのプロスペクト、エイドリアン・ヘルナンデス投手と並んでフィールドを眺めながら、彼が僕にスペイン語を、僕が彼に日本語を教えるのです。
真っ青な空に飛んでいく飛行機を指差しては「WHAT’S THAT?(なぜかここは英語で聞いてくる)」「ウノ アビオン(飛行機です。僕、スペイン語
で)「WHAT ABOUT・・・THAT?(また英語。もう一機の飛行機を指差して)」「オートロ アビオン(別の、もう一方の飛行機です)」など、非
常に場当たり的な会話教室ですが、心地よいアリゾナの日差しの中で、試合にも出ず、のんびりそんなことをしているのは実に楽しいものです。
野球選手同士の「異文化交流」は、たいていの場合、汚い言葉、エッチな言葉のやりとりで始まります。お互いの国の、「あまり口に出さないほうがいい言葉」
を、まず教えあうパターンが多いです。しかも、そういう言葉は、どういうわけだか非常に覚えやすいものです。どうしてでしょうね?
しかし、エイドリアン君の場合、彼のまじめな性格を反映してか、会話教室は日常生活に基づいた、まともなものです。アメリカに来てからずっと、ラテン系の
選手達と交流していたのと、彼のおかげで、簡単な単語を拾えるようになってきました。スペイン語放送のテレビを見ていると、5W1Hくらいならなんとか理
解できるので、勝手にストーリーを想像して楽しんでいます。
一方、エイドリアン君も、メモを取るなどして非常に熱心。しかし先日、「YOU’RE SO BEAUTIFUL!」は何と言うのか、と聞いてきました。一応「あなたはとても美しい」と教えたのですが、一体どこで、何に使うのだろう・・・?
2002年11月4日 アリゾナ州フィーニックスにて
今日は休日。朝寝坊をして、のほほんと一日を過ごしました。午後からゴルフの練習に行って、帰りに小腹がすき、ハンバーガーを
ひとつ、ドライブスルーでゲットしました。日本にいた時は、ほとんどファーストフードを口にしなかったのですが、アメリカに
来てからというもの、ちょこちょこ食べています。これが、案外おいしい。しばらく食べていないと、「ああ・・ハンバーガー
食べたいなあ・・・」などと思ったりして、自分の変わりようにびっくりです。
とはいえ、それも3食きちんと食事を摂っているからできる話。ハンバーガーは僕の中であくまでも「おやつ」です。だから、ハンバーガーや「ピザ一切れ」が主食 扱いになっているアメリカ人を見ると、呆れるやら、驚くやら。
僕のまわりのアメリカ人選手やその家族は、「栄養はサプリメントで摂る」という意識がとても強いのです。だから、食事の内容は「炭水化物オンリー野菜な
し」とか、「揚げ物のみ炭酸飲料とアイスクリームつき」とか、そんな感じです。「栄養はどないすんねん!?」と聞くと、「だってちゃんとサプリメントでビ
タミン摂ってるから」と平気な顔。僕には、この感覚はわかりません。もちろん、ちゃんと料理をしているご家庭もあるのですが、メニューを聞くと、「スパ
ゲッティーだけ!」とか、そんな感じです。僕はすぐ、「野菜は!?」と突っ込みを入れたくなるのです。スポー
ツ選手なのに、それでええんかいな、と、他人事ながら心配です。
僕は食事にはすごくこだわりがあるので、なるべく品数を多く、バランスよく、を、心がけています。主食は麦飯。肉は牛より豚、または鳥。魚のほうが肉類より多いかもしれません。それに、ビタミンや繊維質のものを加え、ゆっくり食べる。好き嫌い は一切ありません。
マルチビタミンのようなサプリメントも摂っていますが、それはあくまでも補助。やっぱり箸で口に運んで、食事が自分の栄養になってゆく過程を味わうのも、大切な気がしています。そして、外食はなるべくしない。家の食事が、一番口に合うし、 バランスも取れています。
人より身体が小さく、また、年齢も若くない僕にとって、食事は野球を支える何より も大切なものです。一日でも長くいいプレーをしたいから、僕は食事にこだわりま す。
そんな話をしていたら、他の選手の奥さんが、「だから日本人の平均寿命はすごく長いのよね!やっぱり日本人の食事はヘルシーだもん」と感心されました。確
かに、アメリカ人より、日本人の平均寿命のほうがずっと長いです。でも、これを野球選手の現役の長さに置き換えると、圧倒的にアメリカのほうが、現役が長
いような気がして ならないのですが・・・この矛盾はいったいなんなんでしょうね?
2002年11月5日 アリゾナ州フィーニックスにて
寒い!久しぶりのナイトゲーム。時間的には楽なのですが、もう快適とは言いがたい気候です。こうなると、やっぱりデーゲームのほうが・・・。
今日、アリゾナに来て初めて長袖を着ました。砂漠なので、昼間は暖かくても、朝晩は冷え込みます。球場に行く車の中は冷房をかけ、家に帰るときは暖房を入れるという具合です。
それが今日の4タコの言い訳です。なさけなー。
2002年11月6日 アリゾナ州フィーニックスにて
クラブハウスに入っていくと、ヤンキースの捕手、パリッシュ選手がギターを弾いていました。すっかり自分の世界に入り込んでいる彼。なかなかの腕前です。
試合前にクラブハウスで演奏している選手を初めて見ました。ちなみにこのパリッシュ選手、
お父さんか、叔父さんが、あの「ヤクルトのパリッシュ」です。未確認。
映画「メジャーリーグ」では、個性派の選手が、クラブハウスでさまざまな騒動を起こします。あれはあくまでも映画ですが、球場は「仕事の場」という意識の
強い日本に比べると、アメリカ人はもっと球場を楽しんでいます。彼らにとってクラブハウスは、リラックスするところ、ですから、試合の日もかなり早くやっ
てきて、新聞を読んだり、プロレスしたり、トランプで一人占いをして、ニヤニヤしていたり、かなり くつろいでいます。
中でも一番多く見られるのは、「クロスワードパズルをする選手」です。これは、クラブハウスに限らず、移動の時なども同様。ヒマさえあれば、鉛筆を片手に
考え込んでいます。単語をよく知っている選手はあちこちからひっぱりだこ。「ここは何が入るかなあ?」「Dから始まる5文字で・・・」など、自分のクロス
ワードパズルを解 く間もない忙しさです。
僕は、クラブハウスにずっと座っている、ということがあまりなく、リラックスしたい時は、トレーニングルームに行って、体操しています。日本にいた時から
そんな感じでした。いろいろなことを考えながら、もしくは何も考えずに、ストレッチなどし ているととても落ち着くのです。
日本では、将棋をしている選手をよく見かけました。今思えば、それが日本のクラブハウスの、数少ない「和やか」風景。部屋のど真ん中に卓球台を置いてあるようなチームもざらのアメリカには、レクリエーションという点では、かないそうにありま せん。
2002年11月7日 アリゾナ州フィーニックスにて
なんと勝ってしまいました。1−0の完封勝ち。こんなこと、まず普通起きません。ゲームを見に来ていたある選手の彼女は、「めったに見られないものを見た。なんてラッキーな人だ!」と周りから言われて喜んでいました。それくらい・・・うちの チームは弱いです。
残りあと12試合。そのうち9試合負けると、アリゾナ・フォールリーグ史上最多タイの負け数となり、歴史に名を刻むことになります。そんなことで名を刻み
たくありません。ぱっと考えて、「12試合で9敗もするわけないやろ」と、きっと思われることでしょう。いえ、可能性大です。とても現実的なので、選手は
皆、連日のように、「どうなるかなあ・・・」と、まるで他人事のように話し合っています。
ここまで9勝22敗。「エラーして負け」が、我がチームの名物となりつつあります。どれくらい名物かというと、たとえばよそのチームがちょっとしたファイ
ンプレーをしても、拍手もめったに沸かないのです、が、うちのチームはアウトをひとつ取っただけで、あたたかい(すごくほっとした感じの)拍手がおくられ
ます。みじめ です。
同情なんて、いらない!
2002年11月8日 アリゾナ州フィーニックスにて
また負けました。一歩記録に近づきました。だからどうという驚きもなく、「ああ、 今日も一日終わったなあ」という気分です。
僕は今日、想像していた通り、お休みの日でした。ガムをくっちゃくっちゃ噛みながら、のんびりグラウンドを眺めていました。チャンピオンシップを争うでも
なく、勝利へのモチベーションが異様に低いメリーベール・なんたらず(たぶん、スホローズ)。休日組(登板予定のないピッチャーや、スタメンではない選
手)のベンチでの 姿は、まるで小学校の休み時間さながらです。
ほとんどの選手が自分用のひまわりの種、もしくはチューインガムをポケットに詰め込み、常に口をもぐもぐ動かしています。ひまわりよりやや大きな「かぼ
ちゃの種」を食べている選手は、種を指で弾いて飛ばしっこしています。ターゲットは、監督です。そのため、ベンチの一番右端に立っている監督は、自分の帽
子を左の顔半分にか ぶせるなどして、防御しなければなりません。
その他、紙コップを投げて回したり、コップに向かってひまわりの種を投げ入れたりと、じっとしていられない選手達。これは、若さゆえでしょうか?メジャー
ではまずほとんど見られなかった光景です。(注・やる選手もいますが、ここまで多くありません)。3Aではやや、そして、2Aではよく見た「落ち着きのな
さ」は、レベルが 上がり、年齢も上がるにつれて、どんどん薄れていくように思いました。
とはいえ、いざ試合!となったら、それまでのふざけた顔はどこへやら。アメリカ人はオンとオフを切り替えるのが本当に早くて、上手です。ずっと張り詰めていない、適度にリラックス、でも、集中する時は、すごい。この流れ、結構好きです。
休日気分で弛緩し切っていた僕は、最後にいきなり代打で呼ばれて慌てました。「もしかして」と思っていたバッターが、バッターボックスに入ったので、
「ああ、今日はないな」と思って、身体中の緊張をどたーっと緩めたその瞬間。なんとバッターボックスでほとんど構えていたその選手を呼び戻し、僕に代打の
ご指名です。身体をほぐすヒマもなかったため、わざとゆーっくり歩いてバットを取りに行き、ゆーっくり打席に入りました。たまたまタイムリーを打ててほっ
としましたが、もしかしてこれは、監督の、「かぼちゃの種」の仕返しかもしれません。僕は当 てていませんけどね。
2002年11月9日 アリゾナ州フィーニックスにて
ニュース番組が好きでよく見ていますが、 最近は怖い情報で持ちきりです。連続スナイパー。つかまったけれど、続々「余罪」への関与が伝えられています。 アリゾナでも、ゴルフ中に男性が撃たれて亡くなっています。アリゾナで、ゴルフ中、というのがすごく身近で怖いです。
イラクとの戦争? ニューヨークでペスト菌見つかる? ほのぼのするようなニュースはほとんど見当たりません。
ともあれ、平和ボケしていた日本での毎日に比べると、テロ標的国家の真っ只中にいる、という意識が、頭のどこかに常にあります。 一方で、あまり気にしてしまうと、何もできない、どこにも行けない。そのへんのバランスが、アメリカにいるととても難しいです。
細菌テロに備えて、日本に帰ったら各種予防接種を受けるべきか・・・ それが最近我が家の、最大の関心事です。
それでも、明日は休日ゴルフに行きます。
2002年11月10日 アリゾナ州フィーニックスにて
休日。ゴルフに行ってきました。 「好きこそ物の上手なれ」と言いますが、僕は疑問です。 ゴルフは大好きですが、スコアは・・・・。
もともと性格的に、「目標に向かってボールを入れる」競技が苦手です。たとえばテニス。何でコートの広さが決まってんねん!はみでる!
たとえばバスケ。何であんな小さな網の中に入れなあかんねん!そういう、小さな目標に向かって行うスポーツは苦手です。
ゴルフもそう。あんな小さな穴に向かって・・・あんなに広い場所から・・・
それでもゴルフが好きです。でも、僕が好きなのはたぶん、ティーグラウンドから、カーンとドライバーを かっ飛ばす感覚です。 ドライバーさえちゃんと飛べば。それさえよければ、あとはもうどうでもいいのです。
それでも、普段はゴルフ雑誌を読み、部屋で素振りなど一応して、理論も頭に叩き込んだりします。 どうにかしてうまくなりたい、といつでも思っています。コースに出る前は、すっごく自分に期待して、胸を躍らせています。
そしてゴルフから帰ってくると、必ず、 「俺はゴルフは向いてないねん」と言ってしまいます。
そんな自分がとってもイヤです・・・。
2002年11月11日 アリゾナ州フィーニックスにて
アリゾナのトゥーソンでMLB30球団のGM会議があり、 そこで御前試合が行われることに。 ・・・ということで、今日は、2時間南に下る、プチ遠征でした。
トゥーソンといえば、Dバックスの3A・サイドワインダーズとの試合で行ったことがありますが、今回の球場はアリゾナ大学トゥーソン校のフィールド。
これがもう、秋田の八橋球場にそっくりなのです。「ここは秋田か?」と思ってしまうほどでした。
アリゾナの空は、抜けるような青。それに、秋田の綺麗な空がだぶって、ますますそんな錯覚に陥りました。 スタンドの作りまで似ている。
おかげさまで、とても懐かしい気分で野球をやることができました。
さて、同じアリゾナでも、フェニックスよりさらにメキシコっぽい雰囲気を漂わせるトゥーソンは、多くのアメリカ人が「一番大好きな町」に挙げる場所です。
しかし、僕達はいつでも目的地までバスで行き、市内観光をすることもなく、またバスでさっさと帰ってくるわけで、
「OOに行ってきた」「XXに行ってきた」と言っても、
知っているのは野球関連の施設だけです。「トゥーソンに行くの、いいねえ!」と誰かに羨ましがられても、 あまりピンと来ないのが、ちょっと残念です。
2002年11月12日 アリゾナ州フィーニックスにて
選手が一人、突然チームを離れ、帰ってしまいました。 名目上は「足が痛い」・・・でも、本当は、コーチとのトラブルが 原因ではないか、とひそかに思っています。
彼は一週間ほど前に、コーチと大喧嘩をしました。(注・この場合の「コーチ」は、ヘッドコーチ兼バッティングコーチ兼守備走塁コーチのことを指します。
チームにはあと一人、ピッチングコーチがいます)
走塁の判断ミスで注意を受けたことが原因だったのですが、彼はゴミ箱をひっくり返して激怒し、思いっきりコーチにたてついたのです。
連敗中ということで、コーチもいらいらしていただけに、言い方も きつかったのでしょうが、彼も、まったく聞く耳を持たず、コーチの存在を受け入れ なかったのがあからさまでした。
日本でもアメリカでも、こういうことはよく起こります。特に、若い頃は、自分はすごく野球を知っているような気持ちになりがちで、
「なんで俺がそんなこと言われなあかんねん!」という錯覚に陥りがちです。言われたことにけんか腰になる前に、聞く耳を持つことで、自分の成長につながる
何 かが見えてくるかもしれません。
などと、説教臭いことを言っている自分も、若い頃は「俺はもう充分分かってるのに。余計なことを言われたくない」などと、
生意気なことを考えたことが多々あります。今から思えば、なーんにも分かってないで、ただ、いきがっていただけでした。
あの頃もっと素直な気持ちで、コーチの存在に感謝していれば、もっと違った何かがあったたかもしれないなあ、と思います。
どのコーチだって、「この選手をなんとかして伸ばしてやりたい」という思いは一緒 のはず。言葉の行き違いや感情が先立って、そんな一番大切な「思い」が伝わらない のは、見ていてとても悲しいものです。
2002年11月13日 アリゾナ州フィーニックスにて
アリゾナフォールリーグでは、同じチームメイトでも、それぞれ所属別(どのメジャーチームか)でユニフォームが違います。帽子だけは、「メリーベール・スホローズ」の、サボテンマーク。 これが唯一、全選手共通です。
カージナルスの練習用ユニフォームは、赤。 ホーム用は白で、ビジターはグレーです。今日はビジターですから、まず本拠地で赤い練習用の ユニフォームを着てバスに乗り、現地でグレーに着替える、というわけです。
試合前、若手の選手がおずおずと僕のところにやってきました。「ソウ・・・今日、一緒に練習用のユニフォームで試合に出てくれないかなあ?」
なんと、彼はビジター試合用のユニフォームを忘れてきたと言うのです。チームにいるカージナルスの人間の中で、僕が一番年上なので、
最初に了解を求めに来たようでした。
その話を聞いていたほかのカージナルスの選手が、 「あ、俺も忘れた」「俺も、ない・・・」
とほほ。僕らカージナルスから参加の6人中、3人がユニフォームを忘れるという情けない事態。仕方なく、練習用の真っ赤なユニフォームで試合に出ることに
なりま した。こればっかりは、全員メリーベールから着て来たので、忘れようがありません。
僕ら6人は今日一日、「お前らどこの選手だ」 「なんだそのカッコは?」と 他の選手からいじめられ続けたのでした。
2002年11月14日 アリゾナ州フィーニックスにて
「今日の試合に勝たないと、日曜日のデーゲームがダブルヘッダーになる」それだけは避けたい、という気持ちが、開幕以来初めてチームの心を一つにしました。
一回の裏、エラーを足がかりに一点を取り、常にリードを保った状態で終盤まで。8回表に逆転され、4対3。これまでのメリーベールなら、確実にジ・エンドという試合です。
ところが、9回裏。先頭バッター(2番打者)の僕が内野安打で出塁すると、3番は、これまで見たこともないようなセフティーバントをしました。なんとか追いつこう、という気概を感じたと共に、「本当はそんなことができたんや・・・」と、塁上でびっくりしたのも事実です。
4番バッターがレフト前にヒット。僕が同点のホームを踏み、ふと見てみると、いつもなら1塁で止まっている彼が、2塁まで一気に駆け抜けていました。
迎えた5番バッター。なぜかベンチは総立ちで、ホームインして「よっこいしょ」と座ったばかりの僕は、慌てて立ち上がることに。結局彼がファーストに強襲ヒット。2塁ランナーが帰って、サヨナラでした。
やればできる。それを証明したスホローズの動機は、とても不純なのでした。
2002年11月15日 アリゾナ州フィーニックスにて
今日も勝利へのモチベーションが高かったスホローズ。「勝てば、初めての2連勝!」
・・・このようなモチベーションでは、勝てるわけもなく、やっぱり負けてしまいました。
どうしてこんなに弱いのでしょう?フォアボールが多い。エラーが多い。それによって、打つほうにリズムが出てきません。そこそこ打てるメンバーは揃っていると思うのですが・・・。
守る時間が長くなると、やけに疲れるものです。逆に、守りのリズムがいいと、自分の中にいいリズムが生まれてきます。野球は流れのスポーツ。それをどうやって引き寄せるかが、勝利へのカギです。打てばいい、というものではありません。
流れの変わる大きな理由は、大概「フォアボール」もしくは「エラー」です。
2002年11月16日 アリゾナ州フィーニックスにて
久々にやってしまいました。2試合連続のタコ(ノーヒット)です。疲れがピークにきています。そうなると、「難しい球にわざわざ手を出し、アウトになり、
簡単な球は見逃す」という現象が起きます。自分でもわかっているのですが、こればっかりはどうしようもありません。休むひまがないから、あとは気力です。
うちのチームにモントリオール・エクスポスから来たブランドン・ワトソンという外野手がいます。まだ若くて、ひょろっとした彼は、非常に人懐っこく、なぜ
か僕をとても慕ってくれています。「俺もいつかソウみたいにすごい守備ができるようになるんだ!」とかわいいことを言うのです。
このところ疲れが溜まり、ベンチに戻るとヘロヘロの僕に対し、「ノーヒットなんで気にするなよ!それでもまだソウは俺のヒーローだから!」と泣けてくるような台詞で力づけてくれます。それを聞いて「よっしゃー!」と力をふり絞り、また外野に戻るのです。
あと4試合で、今年のシーズンが終わります。疲れてる、なんて言ってないで、とにかくやれるだけやります。
2002年11月17日 アリゾナ州フィーニックスにて
病床からこんにちは。
夜からずっと腹痛と嘔吐感に悩まされ、トイレに閉じこもること数時間。結局朝方までトイレの住人となり、ついに初めて試合を「病欠」することになりまし
た。日曜日の朝だったので、救急病院で見てもらったら、なんと食中毒でした。注射をしてもらい、薬を出してもらって、それ以来家でずーっと寝ています。
実は昨日の夕方過ぎ、夕飯前のおやつ代わりに、と、ハンバーガーを二つほど買い食いしたのです。そのうち一つが、中身が赤かった。ちょっと気になったのですが、まあ平気やろ、と食べてしまいました。それがすべての始まりだったのです・・・。
このところずっと疲れていたので、抵抗力も弱くなっていたのでしょう。いつも栄養に関してああだこうだ言う割に、買い食いなどしたから、バチが当たったのでしょう。おなかは壊すし、気持ちは悪いし、節々は痛いし、熱は出るし・・・で、散々です!
このアリゾナフォールリーグが始まって、すでに僕で「食中毒」はチームから4人目です。いったいなぜ?呪われたメリーベール・・・。
ともあれ、明日はもともとの休日です。本来「オールスター戦」だったのですが、 それがなくなり、休みになったと大喜びしていた矢先の出来事でした。しっかり休んで、あさってに備えます。おやすみなさい!
2002年11月18日 アリゾナ州フィーニックスにて
食中毒2日目。夜じゅう熱が出て、何度も着替えました。最初は(この暑いアリゾナで)寒くて寒くて仕方なく、やはりその後、がーっと熱が上がりました。
僕の「必殺熱下げ法」は、とにかく「汗をかく」です。何枚も着込んで毛布にくるまり、じーっとするだけ。どんなに暑くても我慢して、だらだら汗をかきま
す。そこで、着替え。水分補給。また同じことを繰り返す・・・すると、数回後には、熱が下がります。原始的なのか、正当法なのかわかりませんが、効きま
す。
ということで、今日の昼過ぎにはだいぶ気分もよくなり、食欲も出て、「やわらかく」「消化良く」「栄養のあるもの」+水分からはじめました。
同時に、食中毒の「犯人探し」も活発に行われ、買い食いしたハンバーガー以外にも・・・球場のメシ、も、候補にあがりました。
(1)アリゾナフォールリーグが始まって以来、チーム内食中毒は僕で4人目。(しかも全員カージナルスの選手。これは偶然でしょうけど)
(2)いつも同じものを食べているヨメはすごく元気。
(3)ヨメが唯一食べていないもの・・・球場のメシ。
衛生管理はちゃんとしていると思うので、いつもよくしてくれる球場の人のせいにはしたくありません。たぶん、僕がやけに弱っていたので、そこでたまたま・・・ここは暑いですし・・・だったのでしょう。まあ、運が悪かった。こればっかりは、今や誰にも分からないことです。
でも、これが起きたのがシーズン中じゃなかった、ということは、もしかしたら「運が良かった」のかもしれませんね。
2002年11月19日 アリゾナ州フィーニックスにて
一塁コーチとして、試合に復帰しました。
土日を完全に寝て暮らし、3日ぶりに太陽の下に出て行ったら融けそうでした。明日から試合に出るかどうかは、体調次第です。
まだおなかがぐるぐる音を立てています。この音が、「活発な消化活動」を意味するのか、「再びのトイレ生活」を意味するのか、非常に興味のあるところです。
こんなに病弱なのに、色だけはやけに黒い私。
2002年11月20日 アリゾナ州フィーニックスにて
復活。試合に出ただけです。打てないし暑いし負けました。しかし、久しぶりにプレーしたら、なんとタイミングのバラバラなことか。「ここだ!」と思って
バットを振っても、自分のイメージ通りに身体が動きません。まるでスローモーションのような感覚で、「なんじゃそらー!」・・・という感じ。恐るべし食中
毒。でも、だるいのを押して試合に出たら、逆にリズムが戻ってきて、体調はよくなった気がします。明日は最終戦。少しでも気分良く終わりたいものです。
そして今日、スホローズは「最多負けタイ記録」を確定しました。明日負けると新記録達成です。どうなるメリーベール!?
食中毒余話
その1 他のチームに、よく話をする選手がいたのですが、このところどうも姿を見ない。どうしたのだろうと思っていたら、彼は「風邪によく似た症状で離脱した」そうです。それはきっと・・・。
その2 今日、クラブハウスで誰もが「ハム」をよけてハムサンドを作っていました。口には出しませんが、僕の一件で、「やばいのでは」というムードに満ち
ていたのです。そんな中一人もりもりとハムサンドを食べ、試合後もまたハムサンドを食べていたのは、某選手。一番最初にフード・ポイズニング(食中毒)で
倒れた彼でした。彼の大らかさは素晴らしい。
2002年11月21日 アリゾナ州フィーニックスにて
長い長いシーズンがようやく終わりました。やっと身体を休められるという安堵感と、「当分、野球はしないぞ」という決意に満ちています。
最後の最後で食中毒になってしまいましたが、文化も生活リズムも違う中で、もともと胃腸の弱かった僕が、いつの間にか何でも平気になってしまったのですから、慣れとはすごいものです。(慣れるまでの時間はやたらにかかりましたけどね)
実はその食中毒で、オチがついてしまいました。「もしかして球場の食事が・・・」とひそかに疑っていたのは、昨日書いた通り。今日、他のチームで選手が
15人、食中毒で倒れました。試合はキャンセル。これにてすべてが解明した、といわけです。めでたしめでたし・・・でもないか。
ともあれ、このシーズン中、びっくりするくらいたくさんの方々から、あたたかい励ましをいただきました。日本全国津々浦々、そして、アメリカ各地、カナ
ダ・・・僕がメンフィスにいた頃は、ヨメがセントルイスとメンフィス片道5時間をしょっちゅう走っていたのですが、その道中の町々の皆さんからも、本当に
嬉しい言葉をかけていただきました。何もないまっすぐの道を走りながら、時折町の看板が出てくると、「ああ、ここにも田口壮を応援してくださっている人が
いる」「この町にも」と、感慨深い気持ちになったそうです。
僕も何度かその道を走りました。「この町があのメールの」「ここはあのメールの」とヨメに説明を受けると、一度も来たことのない、テネシーやアーカンソーの風景が、とたんに身近なものになったのを覚えています。
今年の1月18日に日本を出てから、どれだけいろいろなことがあったか分かりません。いつでも背中を押しをしてくださって、本当にありがとうございました。来年もまた、がんばれと思っていただける選手であれるように、頑張ります。
さて、明日からはつかの間のオフ。長らくお付き合いいただいたこのメールも、しばらくオフをいただくことになりました。ただ、定期的に(おそらく1週間か
ら10日に一度は)近況を報告していきたいと思います。時折思い出したら、「メール」のページをぜひのぞいてみてください。その他の情報(テレビ番組関係
など)は、これまで通り、アップデートしていくつもりです。
ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
2002年12月1日 ミズーリ州セントルイスにて
皆さん大変御無沙汰しております。アリゾナを離れて一週間、おかげで体調も戻り、セントルイスでオフを楽しんでいます。
こちらに帰るなりゴルフに行きましたが、気温は零下2度。18ホールの最後まで、身体は暖まりませんでした。日本もずいぶん寒いでしょうが、ここ中西部の
冷え込みは、日本とはまた違った厳しさです。頭にすっぽり毛の帽子をかぶり、怪しい風体で右へ左へホームラン。「こうまでしてゴルフがやりたいんか?」と
自問自答した結果、それ以来ゴルフはやっていません。
この一週間で、二つの大きなイベントがありました。まずはサンクスギビング(感謝祭)。僕ら夫婦は友人のお宅にお邪魔して、アメリカの家庭の感謝祭ディナーを御馳走になりました。
僕にとって、ターキーを食べるのは生まれて初めてのこと。しかも、クランベリージャムつきです。肉の上にジャムをのせる、という感覚で考えていたので、多
少不思議なイメージがあったのですが、食べてみたら、おいしい。ジャムの甘酸っぱさと、さっぱりした肉の感じが合うのです。
アメリカ人の大好きな「ピーナッツバター&ジェリーサンドイッチ」(パンに、ピーナッツバターと、ジェリー(グレープなど、ジャムのようなもの)を一緒に
塗る、ものすごく一般的な食べ方)は、ちょっと遠慮してしまう僕ですが、何にせよ、新しい味の組み合わせというのは、とても興味深く、面白いものです。た
ぶん僕らが日本で、当たり前のように食べている組み合わせも、彼らから見れば「不気味」だったり「不思議」だったりするんでしょうね。
ともあれ、ファミリーイベントに僕らを暖かく迎えて下さった友人のご家族に、感謝の気持ちでいっぱいです。
そして今日、12月1日。セントルイスの地元の日本人の皆さんが集まって、僕の歓迎会を開いて下さいました。見事な和太鼓の演奏や、子供達の歌、そして、
忙しいスケジュールの合間を縫って、わざわざ集まって下さった皆さんの顔。とてもアットホームで、嬉しい会となりました。こんなふうに時間を過ごすことの
できるセントルイスは、どんどん僕の中で「帰ってくる場所」となりつつあります。だからこそ余計、来年はずっとここにいなければ、と思います。
さて、今日の更新をきっかけに、これから一週間に一度くらいの割合で、 近況を報告していきたいと思います。またチャンスがあったらぜひ、このページをのぞいてみてください。
2002年12月17日
大変長らくご無沙汰しています。帰国から約一週間経った現在、僕は風邪に悩まされています。
関西国際空港に降り立った時は「なんや、セントルイスのほうがずっと寒いやん」と思っていたのですが、たぶん一年間張り詰めていた気が、一気に抜けてし
まったのでしょう。突然体調を崩し、病院でヨメと並んで点滴を受け、それから3日間、二人とも一歩も外に出られず寝込んでしまいました。
今年の風邪は熱ががーっと出て、そのあと喉と鼻にきます。声も出なくなり、やけに寡黙です。ようやく昨日今日あたりから社会復帰したのですが、まだ咳が取れません。皆さんも風邪には十分気をつけてください!
一年ぶりの日本。いいです。久しぶりに家族や友人に会えたことや、愛犬貫太と遊べたことももちろん、何がいいって、スーパーマーケット。見るもの見るも
のみんなおいしそうです。野菜も、魚も、肉も違います。形も違えば、味も違う。感動です。僕は好き嫌いもないし、それなりにアメリカの食生活に馴染んでい
たと思いますが、やっぱり日本の食材はヘルシーで、味もいい。それが当たり前のようにスーパーに並んでいるのですから、ありがたいものです。特に日本人の
少ない地域を転々とした僕にとっては、ありがたみもひとしおです。ということで、連日のように、純和食を楽しんでいます。
帰国後の一週間、ほぼ寝込んでいましたが、もとオリックス・阪神の、星野伸之投手の「新しい門出を祝う会」に出席させていただきました。僕にとっては大
先輩であり、ピッチャーとはなんぞや、ということを、教えてくださった方です。また一人、球界からいいピッチャーがいなくなってしまった・・・という思い
です。パーティーの間中「引退試合が見たかった・・・」という気持ちでいっぱいでした。星野さんと藤井さん。このお二人の最後の試合を見られなかったの
が、心残りでなりません。本当はチケットを買って入場し、ベンチの上か、バックネット裏から叫ぼうと思っていたのです(本気)。今後は解説になられる星野
さん。ぜひぜひフロリダキャンプに取材に来ていただきたいものです。
さて、このオフシーズン、メールの更新は、やや不定期になりそうです。皆様にはご迷惑をおかけしますが、時々思い出して、ここを訪れていただけたら嬉しいです。
それではまた!