涅槃の道場 (香川県)

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41日目
1999年11月11日(木)曇りのち小雨

 昨夜は7時過ぎには床に就いたのに、今朝6時過ぎに配膳を始めた音に気付くまで熟睡していた。足だけでなく体全体が疲れているのかもしれない。

 朝食をいただき、7時少し前にAさんと三人で宿を出た。女将とご主人が見送ってくれたが、200メートルほど先の四つ辻を真っ直ぐに行け、右にも左にも曲がったら駄目、と教えられた。余程心配だったのか、あの口の悪い女将が、四つ辻の手前までついてきてくれ、私たちが真っ直ぐな道に入るまで見てくれており、手を振りながらお別れした。やはり根は優しい人なのだろう。

 第66番雲辺寺への上りは標高が高い割にはそれほどきついとは思わなかった。
 途中、グミの実を取って歩きながら食べたがこれが以外に美味しく、もっと取っておけばよかったと悔やまれた。
 お寺には2時間半ほどで到着し参拝を済ませて、第67番大興寺へ向かったが、この下りの遍路道は急勾配のところがあり、歩きにくく、以外に時間が掛かったように思う。
 お寺には2時過ぎに到着し参拝を済ませて、お寺のすぐ近くにある今夜の宿「民宿 大平」に着いた。
 玄関に回り扉を開けようとしたが鍵が掛かっている。呼び鈴を押しても反応がない。買い物にでも行っているのだろうと小一時間も待っただろうか。しかし、誰も帰ってこない。困り果てた。
 Aさんとも相談し、状況を説明したメモを残して観音寺の方へ歩くことを決めた。ところが第68番神恵院への方向がはっきりしない。
 少し前から道路で測量を始めた人たちに道を確かめた。親切に教えていただいたが、その人に「この民宿に予約をしているのに誰もいない」と言うと「そんなことはない。よく知っている人だから、見てくる」と言って民宿の建物の隣の家へ行ってくれた。
 女将が出てきてほっとした。あとで聞くとその家が母屋で私たちの到着は4時頃だろう、と思い寝ていたらしい。安心したら文句を言う気もなくなっていた。私たちの到着が少し早すぎたのだろう。

 ここでも、夕食に美味しい「お袋の味」を食べさせていただいた。

 歩行距離 15.7キロ

42日目
1999年11月12日(金)曇り一時雨

 夜半に相当強い雨が降り、その雨音で目が覚めた。明日は大変だとは思ったが、そのまま寝てしまい、5時ごろ目が覚めたときには雨は上がっていた。
 6時前に朝食をいただき、6時半頃Aさんと三人で出発した。途中Aさんは今夜の宿を予約するからと道路端の公衆電話ボックスに入った。郵便局にも寄りたいから先に行って、と言うので、またどこかでお会いするだろうとお別れした。
 (この後、結局Aさんとはお会いすることはなかった。もう少しゆっくり行くか、どこかのお寺で待っているかすれば良かった、と後で美智子と話し合い悪いことをしたような気になった。)

 第68番神恵院に到着する前から雨が降り出したが、菅笠のおかげで傘が必要なほどではなかった。神恵院とすぐ隣の第69番観音寺を打ち終えたが、第70番本山寺へ向かう道中では本降りとなり傘をさしての歩きとなった。
 
 雨で地図を十分確認できなかったために道を間違えてしまった。あとで分かったことだが、観音寺から財田川の右岸をさかのぼっているつもりだったが、いつの間にか支流沿いを登っていた。「うどん福田」の看板を見て、同じ名前のうどん屋さんだと、美智子と話したのに、そこで支流の橋を渡ることを地図で見落としていた。
 美智子が川幅が急に狭くなったとか、四国の道の標識が右を向いているとか言ったのに、こちらは財田川の右岸を歩いていると信じているので、お寺は川の左側にあるものとばかり思っていた。
 JR本山駅の近くの点滅信号で、前方からきて左折する車に出合ったが、そのまま前進して雨宿りができるところがあり、地図を確認しようとしていると先程の車が引き返してきてご婦人が降りてこられた。「70番さんなら来過ぎている、先程の点滅信号を左折してJRの踏切を越えて、五重塔(写真)本山寺 五重塔を目標に進みなさい。雨の中、道を間違えているようなので戻ってきました」とのこと。
 知らずに進んでいたらどこまで行っていたか知れない。本当にありがたかった。美智子の言うことを聞かなかったばかりに間違えた。これは独りよがりを戒められたのだと自戒した。

 なんとか無事に本山寺を打ち終えたころには雨は上がって、その後天気は次第に回復し雨らしい雨は降らなかった。道を間違えたことで気が滅入ってしまったが、今度は地図の目印を確認しながら歩いたので、間違えることはなく、第71番弥谷寺の山門まで到着した。

 今夜の宿は「俳句茶屋」。到着を告げると、ご主人が一服して行きなさい、とトコロテンを振舞ってくれた。荷物を預けて階段を登り始めたが、段数が実に多い。ここに来るまでに長いダラダラ上る坂道をやっとの思いで登ってきたのに、この階段には参ってしまった。それでも無事参拝を済ませて下りてきたときは4時、山中のせいかもう薄暗い。
 ゆっくりと風呂に入らせてもらった。夕食は品数豊富で、特に果物(柿、梨、バナナ、キウイ)を出してくれたことはありがたかった。

 今日は34回目の結婚記念日。ホテルのレストランなら乾杯するのも良かったが、「俳句茶屋」では似つかわしくないと思い、止めた。

 ここには名前の通り俳句にご縁があるようで天井から、俳句を書いた短冊が沢山下がっていた。

 歩行距離 25.7キロ

43日目
1999年11月13日(土)晴れ

 昨日とはうって変わって朝から晴天。きさくな宿のご主人に見送られて宿を出た。
出釈迦寺山門
 第73番出釈迦寺(写真は山門)で納経所の人から「歩いているのですね」と、日本手拭いをお接待されてびっくりした。第72番曼荼羅寺、第74番甲山寺、第75番善通寺を打った。
 善通寺は弘法大師生誕の地、さずがに広大でどこが本堂でどこが大師堂なのかもなかなか分からなかった。美しい五重塔(写真)善通寺 五重塔とか、巨大な楠木が印象に残った。

 第76番金倉寺へ向かう途中で単車の人に道を聞いた。親切に教えてもらったのに、途中から車の少ない方へ道を変えたところ、先程の単車の人が追いかけてきて「そちらでも行けるが、恐らく途中で迷う、悪いことは言わないから、自分の言った通りの道を行くように」と再度、教えてもらった。このような親切をお受けして金倉寺に無事到着することができた。

 次の第77番道降寺の納経所でチョコレートクッキーとヤクルトのお接待を受けた。今日は二か寺からお接待を受けたことになる。

 今日はなんとしても第78番郷照寺まで打つ予定だったので頑張った。
 郷照寺を打ち終えて、もう少しで坂出市に入るところにある今夜の宿「ビジネスホテルうたづ」に到着できた。
 そこの女将に教えてもらった和食の店に行き、おまかせ定食を取り、ビールを注文して、一日遅れの結婚記念日を祝い乾杯した。ここも安くて美味しかった。

 今、9時前、明日は第80番国分寺から第81番白峰寺への遍路転がしがある。もう寝よう。

 歩行距離 24.2キロ

44日目
1999年11月14日(日)晴れ

 朝、6時に用意してもらっていた食事を済ませて宿を出た。

 第79番高照院を打ち遍路道を歩いていると。60歳過ぎかと思われるご婦人に呼び止められた。少し待っていると家の中から柿を4個持って出でこられお接待すると言う。ありがたくいただいた。

 第81番白峰寺へは山道になるので何か食料を、と国分寺の駅付近をさがしたが自動販売機しかない。仕方がないのでペットボトル入りのお茶を買った。
 駅から少し歩いて第80番国分寺に無事到着した。国分寺の入り口に商店があったが日曜日のためか閉店しており食料を買うことはあきらめた。

 国分寺を打ち白峰寺へ向かったが遍路転がしと言われているだけあってこれが相当きつい山道。
 途中休憩のときに朝方いただいた柿を食べたがこれが昼食代わりになった。おいしくてありがたかった。

 第82番根香寺への分岐点からはアップダウンを繰り返して白峰寺に到着した。お参りを済白峰寺境内ませたのが2時半。(写真は白峰寺境内)
 お寺の入り口の公衆電話で今夜の宿「休暇村讃岐五色台」に電話した。「予約のとき白峰寺から根香寺への途中と聞いているが目印はありますか」と聞いたら「沿道にはなく途中から6キロほど外れている」と言う。予約するとき歩いているといったのに6キロも離れているのでは段取りが狂ってしまう。タクシーを呼ばなければいけないと思い電話番号を聞いて、根香寺へ向かった。タクシーは鬼無から上がってくるらしい。
 途中山中で夫婦連れの遍路に出会った。このご夫婦も今夜は同じ宿らしい。宿が大分離れているらしいことを話して別れた。

 根香寺へ向かう途中で車道に出たが休暇村への分岐のところの標識には「休暇村 6キロ」と出ていた。分岐点に「食堂 みち草」がありそこで小休止した。
 タクシーを呼んだときに待ち合わせの場所を決めるために、そこの女将に根香寺から休暇村へ行くのにタクシーを呼びたいのだが、鬼無から上がってくるらしいが、鬼無はどちらの方向になるのか聞いてみた。
 すると「休暇村は電話を掛けるとマイクロバスで迎えにきてくれるよ、根香寺に着いたらすぐに電話したら」と言われた。迎えに来てくれたらありがたいと思い、お寺に着いて山門の前にあった公衆電話から休暇村に電話して迎えを依頼したら誰かと話しているようで、しばらく待つように言われたが承知してもらった。

 根香寺の参拝を済ませて、先程の電話の指示通り車道を歩いていたが、山門を出てすぐのところで迎えのマイクロバスが来てくれた。運転手さんにこころよく迎えてもらいバスに乗った。運転手さんと話をしている間に着いたが、歩くとなるとやはり相当な距離だと思った。

 宿のフロントで明朝マイクロバスが根香寺の少し手前まで行き、鬼無駅へ向かうが乗車するか、と聞かれたので乗せてもらうことにした。根香寺の手前で降車し、徒歩で鬼無駅経由で第83番一宮寺へ向かうことにした。歩きにこだわっているので宿から根香寺までタクシーで帰らなければいけないと思っていたので助かった。

 ここ「休暇村讃岐五色台」は遍路道から外れていることを除いては、サービス、従業員の接客態度、食事の内容、展望等どれを取っても素晴らしい宿だった。

 アンケート用紙があったので、車ならなんでもない距離でも、歩き遍路にとっては6キロはずいぶん長い。これから案内するときはそのことをはっきり言って欲しいということと、タクシーの電話番号を聞いたとき、何故迎えのことを言ってくれなかったか、と書いて残してきた。この件については後日談がある。

 余談になるが私の実家は第79番高照院から北東(白峰寺の方向)に1.5キロくらい行ったところにある。一時は高照院、白峰寺、根香寺、国分寺、一宮寺のルートも考えたが止めにした。
 理由は、もし実家に立ち寄り気がゆるんでしまっては、後の行程に支障をきたす可能性がある、と思ったからである。近くを通りながら電話もしなかったためにあとでずいぶんお袋に叱られたが。

 実家の近くにありながら、「休暇村讃岐五色台」のことは全然知らなかった。また、訪れてみたい宿の一つである。

 歩行距離 23.5キロ

45日目
1999年11月15日(月)雨

 昨夜および今朝のテレビの天気予報では今日は午前曇り、午後雨とのことだった。
 しかし、7時から朝食ということで廊下に出てみるともう雨が降っている。しかも本降り。一日雨を覚悟したが、本当にその通りになってしまった。小降りあるいは止んだのは昼前後と夕方だけ。

 宿のマイクロバスがJR鬼無駅に行くのに便乗した。乗客は昨日山中でお会いし、昨夜食堂でご挨拶を受けたご夫婦と私たちだけ。
 根香寺の手前でご夫婦共々降車。ご夫婦は根香寺へ、私たちは雨の中、バスの後を追って鬼無方面へ向かった。
 鬼無駅には難なく到着したが、その後遍路マーク等の道しるべを見失ったりして第83番一宮寺への道はずいぶん遠く感じた。途中何度も道を聞きながら歩いたが何とか無事に到着してお参りを済ませた。

 今度は方向を転じて第84番屋島寺へ向かわなくてはいけない。屋島へは車で何度か行ったことがあるが、雨の中あの山を登らなければいけないと思うと気が滅入る。

 何度か観光に来たことのある栗林公園の近所で讃岐うどんを食べ、また、雨の中を歩き出した。
 屋島への登り口である屋島総合病院の前に到着したとき、すでに4時を過ぎていた。第84番屋島寺の参拝は明日に延ばさざるを得なくなった。今夜の宿「ホテル甚五郎」に電話して、今いる場所を説明し、到着は5時を過ぎる旨お伝えした。
 そのとき、そこまで迎えに行こうと言って下さったが、歩くことにこだわっているのでと丁重にお断りした。
 それから歩き出したが相当急な上り坂。雨はほとんど止んでいたが、だんだん暗くなる。誰も通らない道で気味が悪くて上りに強い美智子は先を急ぐが、こちらは急坂のため早く歩けない。外灯などもちろんなかったが、いざとなれば懐中電灯があると開き直っていた。やっとのことで屋島寺に到着したが、裏から境内に入る格好になった。

 時に5時25分。真っ暗である。以前に来たことがあるので大体の位置関係は分かった。宿のご主人が「血の池」(源平合戦のとき刀を洗ったら血で池の水が赤く染まったとか)を左に見て5分ほどと教えてくれていたので、とにかくお寺の境内から山門の外に出て池の横まで行った。
 こんな不気味なところは早く退散したいのに宿と思しき方向に明かりが全然見えない。少し離れたところに明かりが見えたので道を聞こうと行ってみたら公衆便所で誰もいない。電話も見当たらず困っていたら、丁度車で通りかかった若い男性が自動販売機の前で車を止め降りてきた。迷惑も顧みず「ホテル甚五郎」の道をお聞きしたら親切にも少し一緒に歩いてくれて丁寧に教えてくれた。
 宿のご主人が教えてくれたのと同じ道だったが、明かりが全く見えなかったので教えてもらうまでは自信が持てず進むことができなかった。やっとの思いで宿に到着したが、にこやかに迎えてくれてほっとした。

 何回か来たことのある場所なので池の位置などが大体分かっていた。これが初めてならどうしようもなかったと思う。
 また、たまたま通りかかった人が道を知っており教えてもらうことができた。これは単なる偶然ではなかったように思えた。同行二人とはこのようなことを言うのだろうか、とあとになって思った。

 歩行距離 28.0キロ

46日目
1999年11月16日(火)曇り時々雨

 夜半に相当強い風が吹いていた。天気予報では曇りのち晴れ。志度寺五重塔
 朝食の時には雲の間から朝日が射してきたりして、今日は寒そうだが雨には降られないだろうと思った。
 ところが朝食を済ませて宿を出て右手に海を見ながら屋島寺に着いたときに突然の雨。しかも相当雨足が強い。参拝を済ませて昨日登ってきた遍路道を降りるときは、空一面が雲に覆われ相当強い雨が降っている。しかし、木々の葉が傘代わりとなり、それほどは落ちてこない。

 第85番八栗寺へ向かう途中、はしごに登って柿を取っていたおばあさんから柿のお接待を受けた。
 八栗寺へのケーブルの駅から少し登った遍路道でヨモギ餅を買った。そこの女店主が「男はつらいよ寅次郎」の最終版の一つ前の映画にこの店が映ったとうれしそうに話してくれた。

 八栗寺は美しいお寺だった。
 お寺への登りはそれ程きついとは思わなかったが、第86番志度寺へ向かう下りが強烈な勾配で部分的には21%と標識に書いている。下りにくいことこの上なく苦労した。その下り坂を下りきったあたりで、自転車で通りかかったご婦人から現金のお接待を受けた。
 志度寺(写真は志度寺の五重塔)を打ち終え、第87番長尾寺に到着したのは4時前だった。境内の茶店でおはぎを買って、予約していたお寺のすぐ近くの「やなぎや旅館」に入り夕食の前にお接待でいただいた柿と一緒に食べた。
 夕食のとき東京から来られたと言う歩き遍路の藤田さんにお会いした。一時間くらい雑談をした。

 明日はいよいよ結願の日。その時何を思い、何を感じるだろうか。

 歩行距離 21.8キロ

47日目
1999年11月17日(水)晴れ

 昨日、美智子と話をして第88番大窪寺を打った後は、第1番霊山寺には帰らずに直接高野山に参拝に行くことにしようと決めた。
 そのために今日のうちにできるだけ高野山に近づきたかった。「やなぎや旅館」の女将に無理を言いおにぎりを作ってもらい、昨夜の内にもらっていた。
 6時丁度に宿を出たのに女将はすでに起きており、お見送りを受けて宿を出た。

 天気は快晴で実に気持ちがいい。昨夜から女体山越えにするか、額峠越えにするか迷っていた。女体山越えの方は距離は短いが登りがきついらしい。前山ダムの分岐点で例の小さな遍路の案内板に女体山越えの方が1時間ほど余計にかかると書いているのを見て、すぐに額峠越えにしたが、どっこい、そう簡単には歩かせてくれない。あえぎあえぎというほどではなかったが、やっとの思いで10時半ごろに結願のお寺大窪寺の山門前に到着した。

 見ると昨夜同宿だった藤田さんが前を歩いている。丁度7時に宿を出たそうだが、若い分早い。それに私たちは見落としたが、お寺の2キロほど手前に旧道があり、割合に平坦な道だったらしい。
 あとで乗車したタクシーの運転手さんも旧道の方が楽ですよ、と言われたがあとの祭。それはさておき、さすがに結願のお寺だけのことはある。境内の広さ、建物の多さ、人の多さに驚いた。丁度紅葉の見ごろと重なり、うっとりとするような美しさにしばし見惚れていた。本堂、大師堂といつもより時間を掛けてお参りした。大窪寺 本堂
 (写真は大窪寺 本堂)
 この遍路の旅の途中で、二人のお年寄りからお接待された現金は、今日まで私たちと一緒に各お寺を巡拝した。ここで「いつまでもご壮健に」と祈念して、おさい銭として使わせていただいた。

 遍路に出る前に出版されている遍路関係の書籍を数冊読んだが、この大窪寺では、ほとんどの人が感激のあまり、読経のとき涙が出て仕方がなかったと書いている。
大窪寺の紅葉
 お接待されたときに涙が出そうになるときがあったので、私も込み上げてくるものを、はたして抑えられるかと、昨夜から多少心配していた。
 しかし、込み上げてくるものは何もなく、従って涙は出てこない。これはむしろ意外だった。日ごろ非常に涙もろい美智子が、その場で泣き崩れないか、と心配だったっが、けろっとしている。
 後で美智子にそのことを聞いたら、当然涙がほとばしり出ると思っていたのに、何も感じなかった由。二人とも信仰心が足りないからだと、笑い合った。結願の記念写真
 (写真は境内の紅葉)

 思えば長い旅だった。通算すると47日目の結願だった。しばらく日がたってから充足感を味わうことができるのだろうか。あるいは単なる思い出の一ページで終わってしまうのだろうか、いまは分からない。
 (写真は結願の記念に)

 お寺の前の公衆電話からタクシーを呼ぶと2、30分で迎えに行けると言う。お願いしてから、食堂で讃岐うどんを食べた。しばらくしてタクシーが到着した。
 途中まで1時間ほど歩きバスに乗ると言っていた藤田さんをお誘いし、三人でJR志度駅まで行き、そこから列車で徳島駅まで行った。
 久しぶりに自分の足で歩かなくても前に進めるという喜びを味わった。徳島駅からタクシーでフェリー乗り場へ行き、和歌山に渡った。そこから和歌山市駅へ行き、さらにJRに乗り換えて和歌山駅まで行った。
 駅の案内所で藤田さんと一緒に橋本の旅館のことを聞いたがよく分からず、いろいろ丁寧に教えてもらったが結局、駅の近くの「和歌山ターミナルホテル」に宿泊することにした。
 藤田さんも同宿。ただ藤田さんは明日は高野山で宿泊の予定なので明朝はゆっくり出ると言っておられた。

 明日、高野山奥の院を参拝すると総てが終わる。

 歩行距離 15.6キロ


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