高野山そして帰宅

48日目
1999年11月18日(木)雨のち晴れ

 5時前に目を覚ました。和歌山駅5時54分発の列車に乗り、橋本駅には7時過ぎに到着した。それからは南海電車で極楽橋まで行き、ケーブルで山頂まで。
 山頂からはバスで奥の院駅まで行き、そこからは石畳の道を奥の院まで歩いた。歩いているときは、あいにくの雨。しかも相当冷たい。しかし、雨の奥の院(写真)もそれなりの風情があり思い出に残った。奥の院では最後ということもあり読経に力が入った。

 高野山をゆっくりと歩き、今夜は徳島でもう一泊しようかと思っていた。高野山奥の院を望む
 奥の院の参拝も済ませて、赤穂四十七士のお墓にもお参りできた。それから千手院橋までバスで帰り、金剛峯寺を参拝したがその荘厳さに圧倒された。写真を撮るが雨中での撮影うまく写っているかどうか。
 雨の中を大塔、御影堂、金堂を参拝して歩く。特に御影堂が印象に残った。紅葉も美しい。霊宝館にも行ってみた。しかし、ここを見学すると時間も相当掛かると思い断念した。 とにかく寒い。寒さのため早くふもとに下りたくなった。

 またバスに乗り高野山駅まで行き徳島までの切符を買った。この時刻なら14時18分発の南海徳島シャトルライン(高速船)に乗船できると思い切符を申し込んだが、高速船は欠航という。とにかくフェリーの切符を買った。和歌山港へ行き、高速船が出ていれば切符を変更するつもりだった。

 ケーブルカーが中央ですれ違うとき、上りのケーブルカーの後の窓から藤田さんが見えた。今日は高野山で宿泊すると言っていたので、ゆっくりと宿を出られたのだろう。こちらに気が付かれただろうか。

 和歌山に近づいたころには天気も回復し、風もない。これなら高速船も出るかもしれないと期待した。ところが和歌山市駅の構内放送で船舶検査で入渠のため欠航と知りがっかりした。
 風波のためではなく、いわゆるドック入りだとは知らなかった。
港で一時間あまり待たされ15時35分のフェリーに乗船した。徳島港着が17時35分。

 一時は今日中に赤穂に帰れると思っていたが、徳島で一泊することにした。駅前の旅行案内所で紹介してもらった「滝見旅館」に宿を取った。

49日目
1999年11月19日(金)晴れ

 宿代を支払ったときに、女将から4個入りのすだちを2パックお接待していただいた。

 7時過ぎに宿を出た。大窪寺から高野山へのお礼参りの途中に第1番霊山寺へ参拝する慣わしがあることは承知していので、霊山寺へタクシーを利用し再度参拝した。

 遍路の第1日目に遍路用品を整えた店に寄った。
 美智子が店にある新品の杖と自分の杖の長さを比べて見た。スケールで測ると10.5センチ短くなっていたらしい。私の杖は美智子のより5ミリほど更に減っていたので11センチくらい短くなった勘定になる。
 これは私の方が杖にすがって歩いた証拠だ、と笑い合った。

 この後、JR板野駅までタクシーで行き、10時33分発の岡山行きの特急に乗車した。列車は早い。あっという間に高松駅に到着した。
 途中、八栗山、屋島が見える。あの山を登り、歩いたことが思い出される。
 高松駅でうまい具合に各駅停車の観音寺行きがあったので乗り換えた。私の実家に一番近い駅は坂出の手前の鴨川駅。そこで降車しタクシーで実家へ。

 当初予定していたよりも帰宅が遅れたので、お袋がずいぶん心配したらしい。電話をしなかったのが悔やまれる。

 疲れているので早く赤穂に帰りたかった。遍路の話もそこそこに一休みして、赤穂まで帰ってきた。

 これで本当に今回の歩き遍路の旅は総て終わった。



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