発心の道場 (徳島県)

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1999年 3月 4日(木)曇り

 明日からいよいよ四国八十八カ所参りに出かける。一週間ほどの予定で歩こうという計画だが、どの位歩けるか分からないので、宿の予約もしていないのが少し心配だ。

1日目
1999年 3月 5日(金)晴れ時々曇り

 家をゆっくり出て、淡路島経由で第1番札所まで行った。約200キロの行程で車で2時間ほどかかった。

 札所の売店で、白衣、輪袈裟、金剛杖、納経帳、お守り、菅笠(美智子だけ)、書籍[めぐりやすい八十八カ所]四国遍路(平幡良雄)等を購入した。霊山寺 山門いよいよ第1番霊山寺(写真は山門)を出発して歩き出した。
 第2番極楽寺、第3番金泉寺を打ち第4番大日寺に5時前に到着した。寺の奥さん(と思しき人)が早く宿を予約した方が良いと言ってくれたので、境内の電話で上記「四国遍路」に載っていた森本旅館に電話したが満員。
 困ったなあと思ったが、奥さんに教えていただいた寿食堂(民宿 寿)の予約が取れて一安心した。
 大日寺を出てぼちぼち歩いていたら、奥さんの車が来て、用事で出てきたが寿食堂は途中なので送ると言ってくれた。
 歩くと決めていたので少し抵抗を感じたがお願いした。寿食堂に着いたときお礼をと申し出たが、これはお接待だから気にすることはない、と言われた。

 お接待とはこういうことなのか、何か違う世界に来たような気がした。

 歩行距離 8.9キロ

  (歩行距離は「四国遍路ひとり歩き同行二人」― へんろみち保存協会編による―)

2日目
1999年 3月 6日(土)晴れ時々曇り

 昨日、大日寺の奥さんの車で第5番地蔵寺を通り過ぎたので、タクシーを呼び地蔵寺の手前の羅漢堂まで行った。
 しかし、まだ開いていなくて、地蔵寺からひたすら歩いて第6番安楽寺(写真は多宝塔)、安楽寺 多宝塔第7番十楽寺、第8番熊谷寺と打ち、第9番法輪寺で一休みした。売店で草餅を買おうと思ったら、お接待だと言って一つくれた。美味しかった。
 途中で食べたかったので買おうとしたら、接待するから持って行けと言われた。が、余りにも厚かましいと思い、お金を支払った。

 第10番切幡寺を出たところの金山商店で菅笠を購入した。

 第11番藤井寺への途中で吉野川を渡ったが、潜水橋を二つ(大野島橋、川島橋)渡り、畑が延々と続いてその川幅の広さに驚嘆した。
 川の中の道を歩いているとき、田んぼの畦道に二人で座り込み草餅を食べたが、これがまた美味しかった。

 ひたすら歩いて5時ちょうどくらいに第11番藤井寺に着いた。今夜の宿は藤井寺のすぐ下の「ふじや旅館」
 女将に迎えられて宿に入った。

 歩行距離 28.7キロ

3日目
1999年 3月 7日(日)雨

 今日は一番目の遍路ころがしといわれる第12番焼山寺への登山だ。相当強く雨が降っており、宿を出るときから合羽を着込んでの出発となった。

 遍路ころがしと言うだけあって休み休みでしか登れない実にきつい山道だった。
 以前に山登りの経験があるだけに美智子はある程度余裕を持っている。登りはきつかったが、不思議なことに雨はそれほど気にならなかった。余りにもしんどくて気にする余裕がなかったと言うことかもしれない。

 途中で見た霧でかすんだ山並みが実にきれいだった。昨日、買った菅笠が随分役に立った。

 雨と汗でびしょびしょになりながら今夜の宿「焼山寺宿坊」に転がり込んだ。

 歩行距離 12.9キロ

4日目
1999年 3月 8日(月)曇り

 途中山越えして第13番大日寺へ向かったが、行程も長かった。4時前に到着。今夜の宿は「民宿 かどや」。家を出てからここの宿で初めてテレビを見た。

 歩行距離 26.0キロ

5日目
1999年 3月 9日(火)曇りのち雨

 午後から雨になり難儀する。美智子は二日目から足にできたマメの痛みに苦しんでいたが、頑張って第14番常楽寺、第15番国分寺、第16番観音寺、第17番井戸寺と打ち、第18番恩山寺に到着した。

 井戸寺から恩山寺へ向かう途中だったと思うが、まだ雨が降っていない時におばあさんからおさい銭だといって百円のお接待を受けた。
 恩山寺でこの百円をおさい銭として出すのを忘れていた。お寺から今夜の宿「ちとせや」へはタクシーを利用した。

 歩行距離 26.4キロ

6日目
1999年 3月10日(水)曇り

 宿から恩山寺までタクシーで帰りそこからまた歩き出した。
 道中で新婚さんの挨拶回りの人達からお菓子のお接待を受けた。

 第19番立江寺から第20番鶴林寺へ。この山道はきつかったが3時過ぎに到着。今夜の宿は「鶴林寺宿坊」。

 美智子の足のマメはもう限界に来ているらしい。下りが特に痛いようだ。痛みを紛らわすために、般若心経を唱えて泣きながら歩いていたようだが、不覚にも気付かなかった。

 記憶があいまいだが、たしかこの立江寺で例のおばあさんからいただいた百円をおさい銭として納めさせていただいた。

 歩行距離 17.8キロ

7日目
1999年 3月11日(木)曇り一時雨のち晴れ

 鶴林寺で朝の勤行。
 今日は第21番太龍寺、第22番平等寺を打つことができた。山越えがきつかった。

 美智子の足のマメがひどくなり、その痛さが限界と思ったので、今日で終わりにしようと言ったが、今回23番まで行って徳島県を終わらせる、というのでもう一日頑張ることにした。

 寺の近くで宿が取れずタクシーで20分ぐらいの橘湾を一望できる「津峰荘」で宿泊。

 歩行距離 18.2キロ   

8日目
1999年 3月12日(金)曇り時々晴れ

 昨日乗せてもらったタクシーの運転手さんに8時に迎えに来てくれるよう予約していた。
 8時前に食事を終えたが、もう来てくれていた。平等寺の前の橋が落ちていると言うことで、その橋をかわして下ろしてくれた。

 少し行くと先ほど降りたタクシーが止まっており、幼稚園児を迎えに来るよう無線が入ったし、奥さんの足も痛そうなので、その途中までお接待で乗せて行くと言ってくれた。有り難くお受けした。
 少し遍路道を歩いたがあとはひたすら55号線を歩き続けた。朝2キロほどタクシーに乗せてもらったおかげで、徳島県の結願寺である第23番薬王寺(写真は薬王寺山門前で)に2時前には着くことができた。薬王寺山門前で記念写真

 ここ日和佐はあかうみがめが産卵に上がってくると言う大浜海岸があり、今日の宿は「うみがめ荘」。ここは大浜海岸(写真)のすぐ横にあり、産卵時期には亀が上がってくると館内放送するとか。宿に入る前に横の「うみがめ博物館」を見学した。
大浜海岸
 今回は何の目的も持たず、ただひたすら歩くことだけを考えたが、それでも良かったように思う。

 いろいろな人との一期一会があった。71歳の北海道から来た人、埼玉と岩手から来た大学の同級生で定年退職した二人。この三人とは最初のころ良く言葉を交わしたが先に行ってしまった。
 今頃は高知県を歩いているだろう。東京から来た女子大生、今度は夏休みに高知県を歩くと言っていた。

 途中追い越されて、ここ薬王寺でお参りを済ませて山門を出たとき偶然にも再会した若い人には一瞬、弘法大師空海が私たちの前に現れたのではないか、という錯覚にとらわれた。下り坂で足を痛め泣きそうになったと笑っていたが、その瞳は涼やかに輝いていた。
          
 歩行距離 20.7キロ

 阿波一国で159.6キロ


1999年 3月13日(土)曇り時々晴れ

 JR日和佐駅発8時57分で徳島まで行き、高徳本線で板東まで。
 そこから歩いて霊山寺へ戻った。売店で途中よく会った人が使っていた「四国遍路ひとり歩き同行二人」(へんろみち保存協会編)(以下地図という)を買い、駐車のお礼を言ったら、「足にマメができただろう、それも修行だから土産に持って帰れ」と、言ってくれた。
 淡路島経由で無事帰宅。

 あれだけ痛い思いをし足を引きずっていた美智子が楽しかった、すぐにまた出かけたくなるような気がすると言っていたが、何か感じるところがあったのだろうか。


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