第5回四国遍路行程表
距離単位:km
札所 寺名 県名 日程 年月日 単距離 総距離 宿泊所 歩行距離 歩数
1 霊山寺 徳島県 0.0 0.0
2 極楽寺 徳島県 1.4 1.4
3 金泉寺 徳島県 2.6 4.0
4 大日寺 徳島県 5.0 9.0
5 地蔵寺 徳島県 2.0 11.0
6 安楽寺 徳島県 1日目 2/5 5.3 16.3 安楽寺 16.3 26,431
7 十楽寺 徳島県 1.2 17.5
8 熊谷寺 徳島県 4.2 21.7
9 法輪寺 徳島県 2.4 24.1
10 切幡寺 徳島県 3.8 27.9
徳島県 2日目 2/6 9.9 37.8 旅館 吉野 21.5 32,389
11 藤井寺 徳島県 0.8 38.6
12 焼山寺 徳島県 12.9 51.5
徳島県 3日目 2/7 3.0 54.5 すだち館 16.7 33,772
13 大日寺 徳島県 22.1 76.6
14 常楽寺 徳島県 2.3 78.9
15 国分寺 徳島県 0.8 79.7
16 観音寺 徳島県 1.8 81.5
徳島県 4日目 2/8 0.5 82.0 鱗楼 27.5 37,881
17 井戸寺 徳島県 2.4 84.4
18 恩山寺 徳島県 16.8 101.2
19 立江寺 徳島県 4.0 105.2
徳島県 5日目 2/9 10.1 115.3 ふれあいの里 33.3 53,194
20 鶴林寺 徳島県 3.0 118.3
21 太龍寺 徳島県 6.7 125.0
徳島県 6日目 2/10 3.8 128.8 龍山荘 13.5 23,240
22 平等寺 徳島県 7.7 136.5
23 薬王寺 徳島県 7日目 2/11 19.7 156.2 薬王寺薬師会館 27.4 41,521
徳島県 8日目 2/12 32.8 189.0 はるる亭 32.8 47,632
高知県 9日目 2/13 28.0 217.0 民宿徳増 28.0 35,606
24 最御崎寺 高知県 16.2 233.2
25 津照寺 高知県 6.5 239.7
26 金剛頂寺 高知県 10日目 2/14 3.8 243.5 金剛頂寺宿坊 26.5 35,322
27 神峰寺 高知県 27.5 271.0
高知県 11日目 2/15 4.0 275.0 きんしょう 31.5 49,879
高知県 12日目 2/16 25.0 300.0 夜須サイクリング 25.0 40,253
28 大日寺 高知県 10.1 310.1
29 国分寺 高知県 7.5 317.6
高知県 13日目 2/17 6.6 324.2 レインボー北里 24.2 47,744
30 善楽寺 高知県 0.3 324.5
31 竹林寺 高知県 6.6 331.1
32 禅師峰寺 高知県 5.7 336.8
33 雪蹊寺 高知県 14日目 2/18 7.5 344.3 高知屋 20.1 35,973
34 種間寺 高知県 6.3 350.6
35 清滝寺 高知県 9.8 360.4   
高知県 15日目 2/19 12.9 373.3 三陽荘 29.0 39,049
36 青龍寺 高知県 1.0 374.3
高知県 16日目 2/20 29.3 403.6 安和乃里 30.3 42,382
高知県 17日目 2/21 28.7 432.3 村の家 28.7 40,692
37 岩本寺 高知県 0.5 432.8
高知県 18日目 2/22 27.7 460.5 民宿たかはま 28.2 43,163
高知県 19日目 2/23 33.7 494.2 民宿いさりび 33.7 47,683
38 金剛福寺 高知県 20.1 514.3
高知県 20日目 2/24 6.9 521.2 南粋 27.0 47,687
高知県 21日目 2/25 20.8 542.0 民宿いさりび 20.8 28,158
高知県 22日目 2/26 22.8 564.8 鶴の家旅館 22.8 32,768
39 延光寺 高知県 2.4 567.2
高知県 23日目 2/27 24.3 591.5 旅館松乃家 26.7 44,494
40 観自在寺 愛媛県 1.5 593.0
愛媛県 24日目 2/28 24.9 617.9 大畑旅館 26.4 46,172
41 龍光寺 愛媛県 25.5 643.4
42 仏木寺 愛媛県 2.6 646.0
愛媛県 25日目 3/1 0.6 646.6 民宿とうべや 28.7 45,460
43 明石寺 愛媛県 10.0 656.6
愛媛県 26日目 3/2 20.5 677.1 ときわ旅館 30.5 51,303
愛媛県 27日目 3/3 36.0 713.1 たちばな旅館 36.0 48,694
44 大宝寺 愛媛県 11.2 724.3
愛媛県 28日目 3/4 6.9 731.2 古岩屋荘 18.1 29,190
45 岩屋寺 愛媛県 2.8 734.0
愛媛県 29日目 3/5 15.1 749.1 桃李庵 17.9 26,269
46 浄瑠璃寺 愛媛県 14.5 763.6
47 八坂寺 愛媛県 0.9 764.5
48 西林寺 愛媛県 4.4 768.9
49 浄土寺 愛媛県 3.1 772.0
50 繁多寺 愛媛県 1.7 773.7
51 石手寺 愛媛県 2.8 776.5
愛媛県 30日目 3/6 0.9 777.4 メルパルク松山 28.3 39,203
52 太山寺 愛媛県 9.8 787.2
53 円明寺 愛媛県 2.6 789.8
愛媛県 31日目 3/7 10.9 800.7 太田屋旅館 23.3 39,463
54 延命寺 愛媛県 23.5 824.2
55 南光坊 愛媛県 3.4 827.6
愛媛県 32日目 3/8 0.4 828.0 笑福旅館 27.3 43,684
56 泰山寺 愛媛県 2.6 830.6
57 栄福寺 愛媛県 3.1 833.7
58 仙遊寺 愛媛県 2.4 836.1
59 国分寺 愛媛県 6.1 842.2
愛媛県 33日目 3/9 10.8 853.0 ビジネス・イン国安 25.0 44,615
60 横峰寺 愛媛県 16.4 869.4
61 香園寺 愛媛県 9.6 879.0
62 宝寿寺 愛媛県 1.3 880.3
愛媛県 34日目 3/10 0.3 880.6 ビジネス旅館小松 27.6 52,402
63 吉祥寺 愛媛県 1.6 882.2
64 前神寺 愛媛県 3.2 885.4
愛媛県 35日目 3/11 28.1 913.5 蔦廼屋 32.9 49,791
65 三角寺 愛媛県 17.1 930.6
徳島県 36日目 3/12 13.1 943.7 民宿岡田 30.2 50,190
66 雲辺寺 徳島県 5.0 948.7
67 大興寺 香川県 9.4 958.1
香川県 37日目 3/13 8.0 966.1 若松屋別館 22.4 43,322
68 神恵院 香川県 0.9 967.0
69 観音寺 香川県 0.0 967.0
70 本山寺 香川県 4.5 971.5
71 弥谷寺 香川県 11.3 982.8
72 曼荼羅寺 香川県 3.5 986.3
73 出釈迦寺 香川県 0.6 986.9
香川県 38日目 3/14 0.7 987.6 民宿門先屋 21.5 38,322
74 甲山寺 香川県 2.2 989.8
75 善通寺 香川県 1.6 991.4
76 金倉寺 香川県 3.8 995.2
77 道隆寺 香川県 3.9 999.1
78 郷照寺 香川県 7.2 1,006.3
香川県 39日目 3/15 3.0 1,009.3 川久米旅館 21.7 38,232
79 高照院 香川県 2.9 1,012.2
80 国分寺 香川県 6.6 1,018.8
81 白峯寺 香川県 6.5 1,025.3
82 根香寺 香川県 5.0 1,030.3
香川県 40日目 3/16 0.7 1,031.0 坂出かんぽの宿 21.7 43,060
83 一宮寺 香川県 8.7 1,039.7
84 屋島寺 香川県 13.6 1,053.3
香川県 41日目 3/17 2.6 1,055.9 ささや旅館 24.9 43,894
85 八栗寺 香川県 4.4 1,060.3
86 志度寺 香川県 6.5 1,066.8
87 長尾寺 香川県 7.0 1,073.8
香川県 42日目 3/18 0.1 1,073.9 あづまや旅館 18.0 33,329
88 大窪寺 香川県 43日目 3/19 15.0 1,088.9 15.0 29,887
合計 1,088.9 1,743,395



まえがき


 今まで4回の歩き遍路に出かけたが巡拝の目的は特になかった。ただ、四国を歩いて巡りたいという一念みないなものに動かされていたのではないかと思う。しかし、今回は明確な目的がある。
 家内が去年古稀を迎え、私がもうすぐ古稀を迎えようとしている。このことに対して感謝したいという気持ちが強まり、感謝しながら四国を巡拝したいと思うようになった。それと歩きで通しの遍路は体力的にもこれが最後になるのではないかと思っている。6回目の巡拝に行くにしてももう列車とかバスに頼る旅になろうかと思う。そんなことで今回は少し気分的にもゆっくりと巡りたいと思っている。




遍路紀行

1日目 平成23年2月5日(土) 晴

 二人で5時過ぎに家を出て5回目の四国の歩き遍路が始まった。播州赤穂駅5時34分発の列車で相生へ。相生で山陽線に乗り換えて岡山まで行き、岡山発7時11分発のマリンライナーで高松まで行き、8時23分発の高徳線の特急に乗換えて板野で下車。ここで鈍行に乗り換えて9時45分に目的地の板東駅に到着した。

 いよいよ歩き始めてほどなく1番札所の霊仙寺へ。ここで緑色の納札と新しい地図を購入して本堂で参拝。続いて太子堂でお参りした。これからこの繰り返しが何回となく続く。

 順調に2番札所極楽寺、3番札所金泉寺、4番札所大日寺、5番札所地蔵寺を参拝して6番札所安楽寺に4時40分頃に到着した。今夜はこのお寺の宿坊に予約していた。

 随所に水仙の花が咲き、ところどころで梅の花がほころび始めている。お堂で法話を拝聴して夕食。

 夕食後取材に来ていた「百楽」という雑誌の取材を受けた。4月1日に発売の雑誌に載るとかで送ってくれるらしい。今夜の宿泊客は私たちと雑誌社の3人だけだった。いい部屋で食事していい部屋でゆっくりと寝ることができた。


2日目 平成23年2月6日(日) 晴

 7時からの朝食を済ませて7時半頃に玄関を出ると昨夜の「百楽」の3人の方達が私たちの出立の姿を写真に撮るために待っておられた。撮影後、門の外まで見送ってくれたが何か気恥ずかしい気がした。

 7番札所十楽寺にお参りして8番札所熊谷寺の大きな山門のところでまた「百楽」の方達にお会いした。山門の前後での撮影を依頼された。
 その後ゆっくりと熊谷寺を参拝して9番札所法輪寺に到着して参拝した。ここから田んぼの中の道をゆっくり10番札所切幡寺へ向かったがこのお寺はもうすぐというところからが大変でだらだらと山門まで登り、更に333段の石段がなんともきつい。本堂、大師堂と参拝して更に石段を登って塔の写真を撮って下りてくると下で休んでいた家内がいない。

 私がいないことに気付き慌てて下りたようだ。今回私は白衣を持ってきていなかったのでこのお寺の下の遍路用品店で白衣を買おうと言っていたのでその店に寄ったが、家内が私のことを店の人に聞いて立ち寄っていないことが分かり先を急いだようだ。途中、期せずしてまた、「百楽」の方達の車が前から現れて、奥さんは100メートルくらい前を歩いていると伝えてくれた。
 その内に目視でき安心し追いつくことができた。とんだハプニングがあったがその後二人で吉野川の中州を歩いた。中州と言ってもこれが広大で川の中を歩いているという感じではない。2つの沈下橋を渡って今夜の宿「旅館吉野」に3時半頃に着き、お風呂に入り美味しい夕食済ませて8時からNHKの「江」を観て床に入った。

 今日初めてお接待を受けた。犬を散歩させている夫人からで採ったばかりのキンカンを頂いた。子供のころからキンカンは皮を食べるものと思っていたが実も結構いけることが分かった。



3日目 平成23年2月7日(月) 晴

 6時半頃に宿を出発した。11番札所藤井寺を参拝して7時頃から12番札所焼山寺へ向かう。3年前にはなかったと思うが「へんろころがし」の標識があった。
 6カ所あるようで1番目は急坂、2番目も急坂、3番目は急な下り。4番目は急坂、5番目は急な下り、6番目は急坂。きつかったのは1と6番目の急坂。今回初めて認識したが急な下りも結構神経を使うというか怖い。浮き石に乗って滑らないかとか捻挫しないかなど前には思わなかったことを思った。それだけ下りるスピードも遅くなる。昼食のため途中30分ほど休憩したがお寺に着いたのは2時を少し過ぎていた。
 途中少しだが雪が残っておりお寺の境内にも雪が残り、本堂の前の泉水には氷が張っていたが、背中に汗をかいていたので、寒さは感じられずむしろ心地良かった。

 急坂を下りて今夜の宿「すだち館」に到着。ご主人の案内で神山温泉に連れて行って貰い温泉に入った。6時頃から「すだち館」のご夫婦と一緒に夕食を美味しくいただき、話もはずんだ。3末には家に帰れるので「文旦」と「すだち酢」を送ってもらうよう注文した。



4日目 平成23年2月8日(火) 晴

 6時半頃から宿のご夫妻と一緒に歓談しながら朝食をいただいた。食事を終えて外で写真を撮って貰っている時オーストラリアから見えた女の人と、外人の男性が到着した。

 「すだち館」を出てしばらくして山に入ったがこの山が結構きつく朝から難儀した。延々と続く鮎喰川沿いを歩き途中の田んぼのあぜ道で「すだち館」で頂いたおむすびとミカンを食べたが美味しかった。

 やっとの思いで13番札所大日寺に到着し参拝した。14番札所常楽寺、15番札所国分寺、16番札所観音寺と順調に参拝して今夜の宿「鱗楼」に到着したのは4時を少し過ぎていた。お接待で手作りの巾着袋をいただいた。
 鱗楼の泊まりの人は私たちの他には工事のために単身で泊まっている3人だけだった。



5日目 平成23年2月9日(水) 晴

 7時頃に宿を出たが、幸いなことに昨夜来の雨は上がっていた。17番札所井戸寺を参拝して18番札所恩山寺へ向かう。いつものことながらこの道中がずいぶんと長い。12時前に休憩もかねてラーメン店に入り昼食。30分ほどでずいぶんと体も楽になった。

 恩山寺で先日「すだち館」で夕方会ったお坊さんと「旅館吉野」で会った同志社大学の学生(アメリカ人)と再会した。この二人が私たちと同じ「ふれあいの里・さかもと」で同宿することになった。他にオーストラリアの女性、ドイツの男性と六人で19番札所立江寺へ向かう。六人で立江寺を参拝して、途中、善根宿で泊まるオーストラリアの女性、ドイツの男性と別れて四人でひたすら歩く。行けるところまで行こうと約束して歩いたが5時半頃に「金子や」を過ぎるところまで歩いた。迎えに来てくれた車で「ふれあいの里・さかもと」まで運んでもらった。大きなお風呂にゆっくり入り四人で夕食。今回初めてお酒を飲んだがビールと酒で乾杯した。



6日目 平成23年2月10日(木) 曇

 宿のマイクロバスで7時頃に出発して昨日乗せてもらった所で降ろしてもらった。四人で歩き出したが、お坊さんとアメリカ人学生は若いだけに早い。山道をゆっくりと登り標高500メートルの20番札所鶴林寺に着いたのが9時頃だった。前回は雨でゆっくりと参拝できなかったが今回はゆっくりと参拝できたし写真もたくさん撮った。参拝を終え今度は長い下りで里まで下りる。また登るのに下るのは残念に思うがこればかりはしようがない。21番札所大龍寺へは段々と登っていくのだが最後の1・7キロほどが特にきつい。階段状に整備された遍路道を登りコンクリートの道になったので登りが終わったと思ったがこれが終わりではなく山門をくぐってもコンクリートの急坂が続いてやっと境内に入れた。
 太龍寺は本堂、大師堂、多宝塔と美しい建物が続き写真もたくさん撮った。参拝後また長い下りを降り2時半頃に今夜の宿「龍山荘」に着いた。今夜の宿泊客は他にアメリカ人学生とオーストラリアからの女性の四人だけ。



7日目 平成23年2月11日(金) 雪

 目が覚めた時雪が積もっており驚いた。道路には5センチほど雪が積もっていたが歩くのにそれほどの支障は感じなかったが雪が解けて水を含んでいるところもあり、足が冷たい。途中の大根峠を越えるのは雪中行だった。みぞれ混じりの雪の中10時半頃に22番札所平等寺に着きゆっくりを参拝した。みぞれが強くなり仕方なく合羽を着て平等寺を後にした。あとは23番札所薬王寺を目指して歩くだけだが途中にあった食堂に入り昼食兼休憩。次ぎに歩き出した頃には雪は止んでいた。3時半頃に薬王寺に到着してゆっくりと参拝した。4時過ぎに薬師会館に入り、新しくなった温泉にゆっくりを入った。今日で徳島県を打ち終えた。予定通りだが右足の小指が靴擦れで痛いのが少し心配。明日からはひたすら24番札所最御崎寺に向かって長い旅が続く。

 今日、途中で「ゴミの不法投棄」について毎日放送のインタビューを受けた。こちらの格好から遍路についてだろうと思っていたら「ゴミの不法投棄」のことだったので少し意外だった。ゴミの不法投棄は所々で見かけたが、アイスクリームのショーケースなども捨てられていて驚いた。日本人の品格を疑われても仕方がない。2月20日に放送があったようで後日、ちょうど休憩している時に知人からテレビに映っていたよ、との電話をもらった。



8日目 平成23年2月12日(土) 晴

 7時過ぎに薬師会館を出発した。今日はひたすら歩くだけ。オーストラリアの女性に追い越され、他の人にもどんどん追い越される。しかし、今回はゆっくり歩こうと最初から考えていたので特に気にすることもない。

 毎日のように靴下の左右共に親指の先が破れ、ストックがなくなりコンビニに寄った時に店員さんに出された物を買ったが小さくて女性用だった。次のコンビニでパンと牛乳などを昼食用に買った。その後、ドラッグストアとショッピングセンターがあったので足の傷の治療用にテープを購入した。今回今まで足のマメで難儀していた家内の足の調子は良く、今までは足を痛めたことがなかった私の右足の小指の外側の傷が痛む。それに目が充血しており気になるので目薬も購入した。今回は体の衰えを感じる。それとショッピングセンターで男性の靴下を購入した。

 今夜の宿前回もお世話になった「はるる亭」に4時半頃に到着した。やはり約33キロは少しきつかったが温泉にゆっくり入り、美味しそうな料理を前にして熱燗を注文しゆっくりお酒を楽しんだ。



9日目 平成23年2月13日(日) 晴

 7時過ぎに宿を出てまもなく高知県に入った。後は左手に海を見ながらひたすら歩くだけ。途中時々休憩しながら歩く。前回は今夜の宿「徳増」に3時前には到着したのに今回は1時間ほど余計にかかり4時前になった。今夜の同宿者は他に一人だけで新潟から来て区切り打ちをしている人で昨夜は「鯖大師」に泊まったとか。私たちよりも早く着いておりその健脚ぶりには驚いた。
 文旦売りをしていた女性からポンカンのお接待を受けた。



10日目 平成23年2月14日(月) 曇後雨

 7時過ぎに宿を出て高知県最初のお寺24番札所最御崎寺に到着し、12時頃には参拝をすませた。道中、路傍にスミレが咲いていた。
 宿を出た頃には雨は降っていなかったが最御崎寺で降り出した雨はその内回復するだろうと思いそのまま歩き、25番札所津照寺へ。参拝が終わった頃には本降りでやむなく合羽を取り出した。

 痛めている右足の小指の回復が遅くて早くは歩けない。しかし、26番札所金剛頂寺の登り口までは何とかたどり着き、600メートル程の山道を登り切り山門をくぐったのが3時45分。本堂、大師堂をゆっくりと参拝し今夜の宿、このお寺の宿坊に入ったのは4時を少し回っていた。ゆっくりとお風呂に入り足の手入れもしたが、腫れており明日の歩行が少し心配になった。傷口が化膿しないことをひたすら祈る。夕食の料理の品数とその量に驚いた。しかも美味だった。



11日目 平成23年2月15日(火) 晴

 朝食が6時30分からだとお聞きしていたのに6時40分に起こされるまで二人とも寝ていた。慌てて起き出して早くから心を込めて作ってくれた朝食を頂いた。支払いをする時にその安さに驚いた。夕食、朝食共に豪華でこの値段でよくできるものだと改めてもてなしに感謝した。
 宿坊を出たのが7時25分頃で山の中の遍路道を降りて車道へ、ただ歩くのみ。 足の調子が良くない。途中で山中峠越えをしたが、この道を通った記憶がなく車道を行った方が良かったような気がする。

 当初、今夜の宿「きんしょう」に荷物を降ろして27番札所神峰寺へ向かう予定だったが距離が遠くなるのが嫌で荷物を背負ったまま登った。歩くスピードが遅いのは足の痛みのせいだけではなく体力の衰えによるものだと認識せざるを得ない。休憩している時に「きんしょう」に到着が少し遅くなると電話を入れた。
 山門に着いたのが4時40分頃。参拝を済ませて下山しだしたのが5時15分。6時頃には下り切れるだろうと思っていたが甘かった。段々と暗くなり心配になったが宿のご主人があと5〜600メートルくらいのところまで車で迎えに来てくださった。それでも宿に着いたのが6時20分で歩いていれば6時半頃にはなっていた、と思うと迎えに来てくれてありがたかった。



12日目 平成23年2月16日(水) 晴

 7時頃に宿のご主人と奥さんに見送られて出発。足の調子が良くない。今日は安芸で病院に寄り診てもらうつもりで奥さんに病院を聞いたら市役所の近所に「EASTマリンクリニック」があると教えてくれた。安芸の市役所で聞いたら親切にも女子職員の方が市役所裏のクリニックが見えるところまで案内してくれた。

 10時45分に受付が終わってしばらくして診察をしてもらった。傷口が化膿しておりX線検査が必要とのことでこれに大分時間がかかった。検査の結果は化膿は骨には影響しておらずかろうじてドクターストップはかからなかった。先生は明日も来られたら来るように、と言われたがこちらの気持ちを察してか駄目ならどこかでもう一度診てもらうようにと念を押された。
 化膿止めの薬と痛み止めが効いたのか出てしばらく歩いている内に痛みもなくなりある程度調子よく歩けるようになった。

 前回泊めてもらった「住吉荘」に泊まりたかったが満室でやむなく「夜須町サイクリングターミナル」に宿を決めた。大事を取り入浴を止めたのが残念だった。



13日目 平成23年2月17日(木) 雨

 よく分からなかったが昨夜の宿泊客は私たち二人だけだったようだ。宿を出た時から雨。合羽を着て歩くのは気が滅入る。途中のコンビニで昼食用のパンとか牛乳などを仕入れて28番札所大日寺へ。参拝を済ませて大師堂の縁側を拝借して昼食。昼食を済ませてお寺を出たのが11時45分くらいだったと思う。

 29番札所国分寺までは順調に進んだが参拝を終えて2時30分頃に出たがここで大きなミスをやってしまった。「歩きへんろの方はこちらへ」との看板を信じ雨も降っていたので地図を確認しなかったのがいけなかった。遍路の目印が見あたらないし、どうも変だと思って地元の人にお聞きしたら車の道を歩いていたようでとんでもないところに来ていた。親切な人で自分の帰る所よりももっと進んで分かりやすい所まで一緒に歩いて連れて行ってくれた。ありがたい。
 後は迷うこともなく今夜の宿「レインボー北星」に着いたのがちょうど5時頃だった。2キロほど余計に歩いたようだが、これも修行の内と納得した。一日中雨で合羽を脱ぐことはなかった。
 この宿で時々会ったお坊さんに再会した。



14日目 平成23年2月18日(金) 晴

 宿を出てしばらく歩いて30番札所善楽時へ。7時頃に参拝を済ませて歩き出した。前回宿泊した「サンピア高知」に昨夜予約しなくて良かったと近所を通りながら思った。とにかく歩くスピードが遅くなっておりここに予約していたら到着するのが遅くなり大変だったと思った。

 31番札所竹林寺への道は相変わらずきつかったが美しい境内と塔がいつものように気持ちを和らげてくれた。32番札所禅師峰寺へのお寺直前の登りもきつい。参拝をすませて後は車道を降りた。お寺からしばらく歩いたところで昼食用のパンとかコーヒー牛乳を買ったら土佐のトマトだと言って小さなトマトを5個お接待してくださった。これが今まで経験したことのないほど甘くて美味しかった。

 2時30分に高知県営フェリー種崎渡船場に着いたが、40分ほどの待ち時間があり船が出たのが3時10分だった。立派な浦戸大橋もあるがいつもフェリーを利用しこの橋を渡ったことはない。しばらく歩いて33番札所雪蹊寺に着き参拝を済ませた。境内で果物などを売っていたがお接待して頂いたのと同じトマトが500円で売っておりパン代よりも高かったので恐縮してしまった。

 今夜の宿「高知屋」に入ったのが4時頃だった。カツオのタタキでビールと土佐鶴を飲んでしまった。



15日目 平成23年2月19日(土) 晴

 宿の女将に見送られて7時過ぎに出かけた。右足の痛みがとれない。歩き出してしばらくすると痛みが薄れるのだが今朝は少し違う。34番札所種間寺まではなんとか歩いた。

 今日は土曜日でどこの病院も午前中だろうが午前中には医院のある所までは行けそうにない。飲み薬も切れるので何とか診察を受けたいと思い種間寺の門の所に広告が出ていたタクシーを呼んだ。ほどなく迎えに来てくれて運転手さんが知っていた「川田整形外科」に連れて行ってもらった。傷を見るなり先生は靴が合っていない、換えた方がいいと言いながら処置をして下さった。隣の薬局で処方してもらった薬を購入した時にチオビタドリンクをお接待してもらった。

 医院の看護師さんに教えてもらった近くの靴屋さんで幅の広い柔らかい靴(介護用の靴)を購入した。店の人は最初しっかりした登山用の靴を出してくれたが傷が当たるようで痛いと言うと傷が治るまでのつなぎにとこの靴を出してくれた。
 この靴はほとんど痛みを感じることなく歩くことができ35番札所清滝寺を参拝することができた。少し無理かなと思っていたが青龍寺の手前の今夜の宿「三陽荘」にたどり着けた。昨年できたという温泉に入り豪華な料理を前にしてビールを飲みたかったが傷に悪いと家内に止められて残念ながら止めにした。
 タクシーに乗った距離は6キロくらいだったと思うがまた種間寺まで戻ってそこから歩き直す気にはならなかった。



16日目 平成23年2月20日(日) 曇

 朝食の前に36番札所青龍寺にお参りしようと思って6時半頃に宿を出た。このお寺の石段も結構きつい。参拝を終えて7時半頃から朝食をとり8時過ぎには宿の人たちに見送られて出発した。宇佐大橋を渡り海を左に見ながら曲がりくねった道をひたすら歩く。船ならすぐに行けるだろうと思われる対岸まで海岸沿いに歩くだけ。

 前回より宿を出るのが遅かった分、5時を過ぎるかなと思っていたが4時半過ぎに今夜の宿「安和乃里」に到着し、ゆっくりとお風呂に入ることができた。今夜は私たちだけのようで何か悪いような気がした。



17日目 平成23年2月21日(月) 晴

 宿を7時頃に出発した。前回もそうだったが朝食後支払いを済ませた時に「小銭ですがおさい銭に」と袋を二つ渡された。お接待としてありがたくいただいた。
 七子峠までは運送トラックの運転手さんのすすめで遍路道を行かず車道を行った。峠にはどちらを選んでも同じところに出るのだが前回遍路道を行った時の最後の急坂の恐れもあった。

 昨夜、今夜の宿として岩本寺の宿坊に電話を入れた時に食事の用意ができるかどうか分からないので明日再度電話するように言われていた。七子峠で休憩した時に電話すると食事の用意ができないと言うことでお断りし、岩本寺の少し手前の「村の家」に予約した。

 峠からは遍路道とか国道56号線を歩いたが遍路道はなかなか趣があった。途中立ち寄ったコンビニ「スリーエフ」でペットボトルのお茶2本お接待していただいた。割合に早く3時40分頃には宿に着いた。前回泊まった「民宿いさりび」が良かったので2月23日は「民宿いさりび」22日は「民宿いさりび」紹介の「民宿たかはま」に予約した。



18日目 平成23年2月22日(火) 晴

 7時5分頃に宿を出てほどなく37番札所岩本寺に着き参拝を終えて56号線に出て四国電力の資材置き場から遍路道に入ったがこの道は急坂で何かでバランスを崩した時にとっさに体を動かせて対応できないようになったら通れるような道ではないと思った。
 半分ほど進んだ付近から道にイノシシが掘ったと思われる跡があり、掘り起こされている分柔らかで足が安定するようにも思われた。しかし、いろいろな面から考えて独りで歩くには危険だと思った。

 途中でコンビニ「スリーエフ」に立ち寄ったが昨日同様ペットボトルのお茶2本お接待していただいた。道路標識で後何キロと思いながら歩いたがどこで計算を間違えたのか1・5キロほど今夜の宿「民宿たかはま」は遠かった。今日は何だか疲れた。
 夕食は食べきれないほど出て特にエビのフライとカツオのタタキが抜群だった。



19日目 平成23年2月23日(水) 曇

 今日の行程が長かったので朝食は6時からでもできるということだったので6時にお願いしておいた。朝食を済ませて宿を出たのが6時半頃。しばらく歩いて海岸沿いを歩く遍路道を選んだが松の枯葉がたくさん落ちており傷んだ足には具合が良かった。四万十大橋の手前のコンビニで買い物をして堤防に上がり早めの昼食にした。

 この四万十大橋は1キロ程あるらしい。次の難所は長さ1,620メートルの伊豆田トンネル。このトンネルは入った時から出口が見えているのに出るのにずいぶんと長く感じた。トンネルを出てから約8キロの所にある今夜の宿「民宿いさりび」に到着したのが4時15分だった。ゆっくりとお風呂に入り、夕食は期待していた清水サバの刺身。久しぶりにビールを注文した。遍路に出て今日初めてウグイスの鳴くのを聞いた。



20日目 平成23年2月24日(木) 曇後雨後曇

 7時15分頃に宿を出た。曇っていた空から突然雨が降り出して慌てて合羽を着て歩いたがやはり歩きにくい。本降りだった雨も11時頃には上がり後は段々と晴れてきた。明日は打戻りで「民宿いさりび」に宿泊するので荷物を預けておりリュックはなしだったが、最初は楽だと思ったが荷物が軽くても歩くのはやはりしんどい。

 途中で今夜宿泊を予約していた「民宿夕日」から急用ができたので別の所に替えて欲しいとの電話があった。親戚がやっている「南粋」というところで「民宿夕日」に着いて電話してくれたら10分ほどで迎えに行くからということだったので承知した。
 今日はずいぶんと時間がかかり足摺岬の駐車場に着いたのが1時半頃で「民宿いさりび」でもらったおにぎりを食べ、ゆっくりと38番札所金剛福寺を参拝した。

 2時過ぎにお寺を出たが4時には着くだろうと思っていたのに意外と時間がかかり4時45分頃にやっと「民宿夕日」の看板の所に到着した。到着の少し前に宿毛まで送ろうかとの車のお接待があったが、宿を予約していると言ってお断りしたが、まだ少し距離があるから「民宿夕日」まで乗るように言ってくださったが、もうすぐと思っていたのでこれも丁重にお断りした。
 結構時間がかかり迎えの車で「南粋」に着いたのが5時頃だった。明日朝「民宿夕日」まで送るとの約束だったが「民宿夕日」までは戻ることになるのでここまでは車のお接待ということにして欲しいとお願いした。



21日目 平成23年2月25日(金) 晴

 昨日とはうって変わって今日は上天気。朝食を済ませてさらにおにぎりを頂いて宿を出たのが7時40分。今日は昨日「民宿夕日」から「南粋」まで車で運んでもらったこともあり距離も少なく気分的には楽なのだが、傷めた右足の小指の影響か昨日から右足のくるぶしの上が少し痛む。

 液体の塗り薬を塗りながら歩いた。今夜泊まる「民宿いさりび」のご主人が午前中には家の前まで帰れるので「真念庵」の近くの休憩所まで行くように言われていた。そこまで行ったら電話してくれたら迎えに行き、明日そこまで送るというとの提案だった。

 「民宿いさりび」の前を通り抜けたのが10時40分。迎えに来てくれる「真念庵」までは2時間ほどで余りにも早く着いてしまう。気分的にゆっくりしており途中の田んぼのあぜ道で頂いたおにぎりを食べた。頬を撫でる風が心地いい。

 やっくり休んでまた歩き出した。休憩所に着いたのが1時40分頃。しばらく休んで迎えを依頼する電話をかけた。昨日知人からもらったメールの返事を出して休憩所を出ようとしたところで以前吉野川の付近でお会いした歩き遍路の人に再会した。
 この人は私と同じような年齢だと思われるが今回はずっと野宿だと言っていたがまだ続けているようで恐れ入った。この人と話をしていると「民宿いさりび」のご主人が迎えに来てくれた。宿に着いたのが2時40分頃。宿の前のきれいな海の写真を数枚撮った。

 今日で3日、連続でウグイスの鳴き声を聞いた。また、橋の上から可憐なカワセミが飛ぶのを見ることができた。こんなささやかなことが遍路をしていると大きな喜びとなる。



22日目 平成23年2月26日(土) 晴

 朝食をすませて「民宿いさりび」のご主人が7時15分頃に車を出して昨日の所まで送ってくれた。昨夜は休憩所にテントを張ると言っていた歩き遍路の人が出てきてしばらく話をしてから歩き始めた。

 このルートは5回目にして初めてだが結論から言えば今まで歩いた下ノ加江の五味橋から登る方が静かな道で歩くには良かったように思う。しかし、初めての道でもウグイスの鳴き声を聞くことができた。
 今日は距離が少ないので休憩時間を長く取ったり、「民宿いさりび」で持たせてもらったおにぎりをゆっくり食べたりで、のんびり時を過ごした。3時過ぎには今夜の宿「鶴の家旅館」に到着し、夕食前にゆっくりとお風呂に入らせてもらった。



23日目 平成23年2月27日(日) 曇後雨

 6時20分頃に宿を出た。ほどなく39番札所延光寺に到着しゆっくりと参拝した。これで高知県のお寺の参拝は終了した。56号線から遍路道に入ったが、松尾峠の登山口まで結構アップダウンが続く。登山口からは急坂で峠に達したのは12時ちょうどだった。この峠が県境のようでこれでやっと愛媛県に入った。「修行の道場」高知県はとにかく長かった。

 峠からはある程度歩きやすい下り。途中から遍路道を通って56号線に出るつもりだったが、もう一本の遍路道の方に入ってしまったのを途中の案内板で気付いた。今夜の宿「旅館松乃家」の近くまで来て道が分からなくなり宿に電話したら分かりやすい所を教えてもらい迎えに行くと言ってくれた。迎えはいらないと言っていたが、心配していた雨が3時50分頃から降り出していたのにしばらく行ったら傘を2本持って堤防の上で待っていてくれて申し訳なく思った。
 お風呂にゆっくりと入り2階の部屋まで運んでくれた夕食を美味しくいただいた。



24日目 平成23年2月28日(月) 曇後雨後曇

 6時40分に朝食を済ませて出発した。まず40番札所観寺在寺を参拝し、56号線をひたすら歩いて内海の柏局前に到着した。いよいよ10キロ余りの柏坂越えを開始したのだがあいにく雨が降り出して合羽を着ての登山となった。
 登るのがしんどいのは当然だが、今回は下りるのに非常に神経を使い恐怖を感じることがあり下りると言えども早く歩くことができない。足を捻挫してもまして骨折でもしたらそれでお仕舞いと思うと早く歩けず、冷や汗をかくことがある。
 これは何かあると瞬間的に対応できないことが体力的に分かったためと思われる。そんなことで柏坂越えに5時間ほどかかってしまい今夜の宿「大畑旅館」に5時前には着くと思っていたのに5時25分になってしまった。

 今日は私の古稀の誕生日。二人で美味しい料理で祝杯を挙げた。二人共に古稀を迎えられたことに心から感謝したい。今夜も他に宿泊客なし。



25日目 平成23年3月1日(火) 曇後雨後曇

 6時40分頃に宿を出た。10時半頃に宇和島城が見える辺りから雨が降り出して1時間ほど合羽を着て歩いたが、ほどなく雨は上がってくれた。3時過ぎに41番札所龍光寺に到着した。ゆっくりと参拝しお寺を出て遍路道に入ったが、最初は急坂の上り次は下り。この下りが今回は滑りそうで怖い。
 ほどなく下りきって57号線に入ったがここまではそれほど距離はないと思っていたのに疲れているのか結構長い。

 4時半頃に42番札所仏木寺に到着したが山門が改修中で拝見できなかったのが残念だった。お寺を出て間もなく今夜の宿「とうべや」に着いた。
 早めのお風呂と食事を頂いたが、ご主人とは以前にお世話になったこともあり話がはずんだ。笑顔が良い。ビールとお酒がことの他美味しかった。



26日目 平成23年3月2日(水) 曇一時雨後曇

 ご主人のお見送りを受けて宿を6時40分頃に出発した。ほどなく山の中に入る遍路道を進んだが歯長隧道を出て遍路道に入るべきだったのに入り口を見落としてしまい車道を下りてしまった。
 後で地図を見ると遍路道を行くよりも大分長いのが分かったが後の祭り。ほどなく、43番札所明石寺に到着したが最後の急坂にはいつも閉口する。参拝を済ませて遍路道を下りるのだがいつも上宇和の方に下りたいのに行けた試しがない。遍路道の案内に沿って行くと西予市役所の方に下りてしまう。
 距離にするとどれほどの違いがあるのだろうか。途中、へんろ小屋で休憩していると近くの「東洋軒」から女性が出てきてお茶、果物、箸、手ふきをお盆に乗せてお接待ですと言って持って来てくれた。ありがたく頂戴した。少し離れているのにどうして私たちがへんろ小屋にいるのが分かったのか未だに不思議に思う。

 後はひたすら歩くのみだが、思っていたよりも2キロ余り遠くて今夜の宿「ときわ旅館」に入ったのは5時15分だった。ゆっくりとお風呂に入り食事の時にビールをいただく。今日は一日風が強くて寒かった。しかも向かい風だった。



27日目 平成23年3月3日(木) 曇後晴

 宿を出て56号線を歩く。ほどなく十夜ヶ橋に到着したが今日は先を急ぐこともあり写真を撮っただけで通り過ぎた。
 56号線、遍路道などを歩き、内子町に入る。昔懐かしい街並みが残っている街を通り抜け、後は歩き続けた。大瀬局で旅費をおろして歩き続けて3時頃に、今夜の宿「たちばな旅館」に少し遅くなると電話を入れた。
 迎えに行こうかと言ってくれたが歩く、とお断りした。1時間ほど歩いたところで宿の奥さんが迎えに来てくれた。お接待に甘えて乗せてもらった。4時半頃には宿に着き、お風呂にゆっくりとつかり品数の多い美味しい料理に酒がすすみビールと熱燗を1合飲んでしまった。

【注】「たちばな旅館」
 (この旅館は「へんろみち保存協会編 地図編」の第6版には載ったらしいが最新の第9版には載っていない)
 遍路道からは少し離れているが旅館の手前の落合トンネルに入る前に電話をかけるとトンネルの出口まで迎えに来てくれるとのこと。そして翌朝には迎えに行った所まで送ってくれる由。気持ちのいい宿でしたので距離的、時間的に合えばご利用をお勧めします。(089-969-2322)



28日目 平成23年3月4日(金) 曇時々粉雪

 昨夜、宿には私たちの他に二人の女性客がいた。宿の車で四人を送ってくれた。三島神社までお接待だと送ってくださった。本来なら昨日乗せてもらった所までバックのはずだが甘えてしまった。
 私たちは三島神社で降りたが、二人の女性は昨日、先まで行っていたらしくそこまで車で進んだ。

 昨夜の雪が積もっており鴇田峠の石碑の案内に従い登り始めたが先行した昨夜同宿の女性達が倒木があり進めないと下りてきた。倒木は越えられると思って四人で再度挑戦したが遍路道の目印が全然なくしかも2本あった道が途中で行き止まりとなりどこにも出られないことが分かり車道まで下りようと決めた。
 途中まで下りたところで遍路道の札を見つけた。この札は小さくて雪をかぶっており見落としたらしい。しばらく進んで今度は42号線から鴇田峠に入るところで工事のため完全に遮断されていることが分かった。車道を行くより方法がないと先行の女性がトラックの運転手に教えてもらった方向に歩き出したので一緒に歩いていたがしばらく行った時に反対方向から来た車が止まり方向が全然違うから遍路道の入り口まで送ると言う、入り口が閉鎖されていると言ったらその部分だけだから、とにかく送ると言ってくださり四人で乗せてもらいちゃんと登れるところまで送ってくださった。後で地図を見ると、もしあの時乗せてもらっていなかったらとんでもないところに行っていただろうと思った。感謝したい。

 そこから雪道の峠越えをしたが案外歩きやすかった。こんなことで2時間ほどロスをしたように思ったがなんとか44番札所大宝寺に到着し参拝し終えたのが1時半頃だった。3時頃までに今夜の宿「古岩屋荘」に着いたら岩屋寺を参拝するつもりだったが着いたのが4時15分頃であきらめた。遅くなったのは途中で時間的にロスしたとはいえ足の傷のせいばかりでなく体力的にかなり落ちているためだと実感した。

 今日は山に入って10分ほど歩いても遍路道の目印を発見できなかったら道を間違えていると認識して目印を見つけられるまで引き返すこと。それと遍路道に入れないような時どちらに行くかは人に聞くばかりではなく、自分で納得できるまで地図で確認することが必要だと反省した。



29日目 平成23年3月5日(土) 快晴

 宿に荷物をおかせてもらって朝食後7時半頃に出かけた。順調に45番札所岩屋寺に到着したもののいつものことながらこのお寺の登りはきつい。ゆっくりと参拝することができたが下りていた時にバスの遍路の人達に会ったが段々と遍路の姿を見かけるようになった。
 「古岩屋荘」で荷物を受取り歩き出したのが10時頃。今日は前回、前々回のように長珍屋までは行く自信がなく新しくできたという「桃李庵」に宿泊することにして昨日予約を入れていた。長いだらだらとした33号線の登り坂に閉口しながら歩いていると軽自動車が止まった。「桃李庵」のご主人と奥さんで荷物を運んでくれた。

 ここのご主人と奥さんの笑顔がいい。作った笑顔ではなく自然に客をもてなす笑顔で何とも心が和んだ。先日、雪山の中で一緒に迷った二人の女性も同宿だった。夕食時珍しい料理で熱燗を正2合も飲んでしまった。

 【注】「桃李庵」は3年ほど前にオープンしたそうで私達も初めて泊めて頂いた。お二人の笑顔がとにかくいい。この宿は全体の暖房は薪で夜半にもご主人が火を絶やさないようにしているようだ。遍路道で時々ピンクの「桃李庵」の看板は見かけた。「へんろみち保存協会編の地図編」の第9版には載っているが古い本には載っていない。(0892-21-1075)



30日目 平成23年3月6日(日) 曇後雨

 朝食の時「桃李庵」のご主人から浄瑠璃寺に用事があるので荷物を運んでもいい、とのお話があり、四人共にお願いすることにした。6時半頃に出発し三坂峠を越え下り道になったが雪が残っており歩きづらかった。
 46番札所浄瑠璃寺にお参りして荷物を受取り47番札所八坂寺に向かい参拝を終えた頃に気にしていた雨が降り出したがこの雨今夜の宿「メルパルク MATUYAMA」に入るまで止むことはなかった。

 48番札所西林寺、49番札所浄土寺、50番札所繁多寺、51番札所石手寺とたくさんのお寺に参拝したが思ったよりも早く4時15分頃には宿に入りゆっくりと温泉を楽しみ、美味しい夕食をいただいた。



31日目 平成23年3月7日(月) 晴時々曇

 宿を出たのが7時45分頃。また道を間違えてしまい道後温泉本館前に出てしまった。本館前からだと道が分かるからいいようなものだが何故だかよく分からないがいつも迷う。
 52番札所太山寺へはいろいろなルートがあるようだが道を教えてくれた人が多く、187号、437号、19号、183号線を主に歩いた。このお寺山門に着いてからが長い。何とか参拝し下りる時に100円で伊予ミカンを4個買った。このミカン53番札所円明寺に着く前の小休止の時に食べたが抜群に美味しかった。

 久しぶりに海を見た。太平洋と違い、静かな海もまたいい。太平洋では感じなかった潮の香りが懐かしい。ひたすらに歩いて4時35分頃に今夜の宿「太田屋ビジネス旅館」に到着した。夕食の鯛飯、それに大型のメバルの煮付けが特に美味しかった。



32日目 平成23年3月8日(火) 晴

 宿を出たのが6時50分頃。今日は距離があるのでそのつもりで歩き出した。主に196号線を歩く。海を見ながら歩くのは心が和む。
 54番札所延命寺をゆっくりと参拝し、55番札所南光坊に向かう。このお寺の正門の右隣の別宮大山祗神社で初めてソメイヨシノではないが桜を見た。南光坊をゆっくりとお参りして予定よりも早く3時40分頃に今夜の宿「笑福旅館」に到着した。



33日目 平成23年3月9日(水) 晴

 宿を7時頃に出発したが暖かい缶コーヒーをお接待で持たせてくれた。缶が冷めないように手ふきで巻いてくれておりその心遣いが嬉しい。
 56番札所泰山寺と57番札所栄福寺を順調に参拝したが58番札所仙遊寺までの登りは距離は短いが急坂で少しきつかったが登り切るといつもさわやかな気持ちになる。仙遊寺に宿泊して住職の法話を聞きたかったが時間的に上手く合わず今回は断念した。
 仙遊寺を出て59番札所国分寺へは最初急坂を下りるのだがまた緊張した。国分寺を参拝した後はひたすら歩き今夜の宿「ビジネス・イン国安」に4時過ぎに到着した。
 夕食時に明朝早立ちのためおにぎりをお願いした。



34日目 平成23年3月10日(木) 晴

 今日は60番札所横峰寺に参拝して61番札所香園寺に参拝する予定で宿を予約している関係で昨夜から早立ちをお願いしており、お願いしていたおにぎりを持ち5時少し前には出発した。

 外は真っ暗で満天の星。家内が持って来ていた懐中電灯が役に立った。6時頃まで目印に注意しながら歩き何とか道に迷うことなく夜明けを迎えることができた。だらだらと登りが続く車道がうんざりするほど続く。やっと遍路道に入ったもののこれがまた急坂が続く。それでも10時半頃にやっとの思いで山門にたどり着き宿で用意してもらったおにぎりを食べたがこれが大きくて2個入っていたが1個しか食べることができなかった。境内にはまだたくさん雪が残っていた。

 今度は香園寺に向けて出発したが下りが続くと思ったが何度か短い登りもあった。2時45分頃に香園寺に着きゆっくりと参拝した。62番札所宝寿寺を参拝した後今夜の宿「ビジネス旅館小松」に着いたのが3時45分頃ですぐにお風呂に入り5時頃には夕食ができたとの連絡があった。豪華な肉鍋で久しぶりに牛刺を食べ、鍋を堪能し、お酒もいただいた。



35日目 平成23年3月11日(金) 晴

 朝食を終えて支払いをする時、昨夜の豪華な料理なのに余りの安さにびっくりしてしまった。肉がお好きな方にはお勧めの宿です。
 6時20分に宿を出た。63番札所吉祥寺と64番札所前神寺と順調に参拝したが前神寺は左右対称の建物はいつ見ても美しいと思う。後は11号線を歩き4時頃には今夜の宿「蔦廼家」に到着した。ゆっくりとお風呂に入り6時からの夕食は美味しい料理で日本酒が合った。

 今日はコンビニ「スリーエフ」からチョコレートを買っただけなのにペットボトルのお茶2本お接待していただいた。また、中萩小学校の門の前で小休止をしていたら幼児を乗せた軽自動車が止まり「あめ」をお接待していただいた。いつもお接待用に用意しているのかビニール袋に入った「あめ」だった。嬉しかった。

 3時前だったかに誰からか電話があったが、ずだ袋から電話を取り出した時には切れてしまった。歩いていたのでそのままにしていたらまた電話があり娘からだった。いきなり「今、どこを歩いているのか」、と聞かれて驚いたが愛媛県だと言ったら安心したようだった。2回目の電話はつながらなかったようで宮城県で大地震があり、広範囲に津波警報が出ているという。心配で電話をくれたらしい。これが今回の大地震の私が得た最初の情報だった。



36日目 平成23年3月12日(土) 晴

 昨夜早立ちをお願いしていた。用意してくれていたおにぎりを持ち6時に宿を出た。宿を出てから戸川公園までが長かった。戸川公園からは地図の表示によれば2・6キロほどで急坂もあったが比較的に歩きやすい道だと思った。
 11時頃に65番札所三角寺に到着しゆっくりと参拝して朝もらったおにぎりで昼食。三角寺からは「へんろみち保存協会」の表示はなかったと思うが家内の記憶と納経所での確認でお寺を出て右の山中の道に入った。

 この道は遍路道の表示はほとんどなく最初は不安だったが「椿堂」への案内板が出てきた後は安心して歩けた。「椿堂」から境目トンネルまでの4キロのだらだらの上り坂にはいつも泣かされる。855メートルのトンネルと抜けるとほどなく今夜の宿「民宿岡田」に到着した。4時だった。お風呂の後のお酒がまたまた美味しかった。「親父さん」と言った方が似合うご主人との懐かしい話も尽きなかった。



37日目 平成23年3月13日(日) 晴

 7時頃に宿の「親父さん」のお見送りを受けて出かけた。昨夜食事の時に体力的にもう遍路は無理で今回が最後だと言ったのだが、その時にも「また、おいで」と言ってくれたのだが、お見送りの時にも「また、おいでや」と言ってくれた。遍路にはもう来られないと思うが「親父さん」とはまたお会いしたい。
 宿から約1キロくらいの所から登り始めた。毎度のことながら最初の急坂には驚かされる。山道を抜けてやっと車道に出てからもだらだらの登りが続く。2時間半くらいかかり標高910メートルの66番札所雲辺寺に着きゆっくりと参拝して山を下り始めたが、これがまた難儀な下りで傷めている足に負担がかかる。

 下りている途中の山中で登ってくる3人の女性のお遍路さん(車道に車を置いておりお寺まで登り、同じ道を下りて来るらしい)にお会いした。その時に一人の方から自分のおやつにと持っていたらしいバナナとキンカンをお接待していただいた。このキンカンは見たことがないほど大きくてまた美味しかった。ありがとうございました。

 車道に出てからも67番札所大興寺までが遠かった。前回までは舗装した車道はいい気分で歩けたが今回は足が痛くて少し違った。大興寺で宿でお接待していただいたおにぎりを食べた。今夜の宿「若松屋別館」に着いたのが4時15分頃。夕食時のお酒が美味しかった。



38日目 平成23年3月14日(月) 晴

 6時半頃にご夫婦に見送られて宿を出た。近くの68番札所神恵院と69番札所観音寺に参拝した。ここは同じところに二つのお寺がある。
 財田川の堤防沿いに上流に向かい70番札所本山寺へ向かうがお寺の塔が遠くから確認できる。
 以前に雨の中道を間違えて地元の人に教えてもらったことをはっきりと思い出した。本山寺の塔はいつ見てもきれいだと思う。

 参拝をすませて71番札所弥谷寺へ向かうがだらだらと続く登り坂にはいつも閉口する。「ふれあいパーク みの」で昼食をすませてお寺へ。このお寺はこれでもか、というほどの階段が続く。やはりしんどい。
 参拝をすませて後は遍路道に入り3時前には73番札所出釈迦寺にお参りした。次ぎに72番札所曼荼羅寺をゆっくりと参拝して今夜の宿「門先屋旅館」でゆっくりと大きなお風呂に入り6時から夕食、美味しい料理を肴にビールが美味しかった。大きな宿なのに他に宿泊客なし。何だか申し訳ない。
 結願までの行動予定が決まり宿も確保した。



39日目 平成23年3月15日(火) 晴

 7時頃に宿を出た。朝はやはり元気がいい。ほどなく74番札所甲山寺に到着した。このお寺は改修も終わったようできれいになっていた。次の75番札所善通寺には本堂と大師堂の間の遍路道に「かたパン」を売っている店があり、家内が是非お土産にしたいとのことだったが、ちょうど開店の8時頃に店の前に着いたのにあいにくの定休日(火曜日)で買えなかった。

 このお寺は非常に敷地が広いが正式に山門から入ろうと思って回り道をし山門から入った。本堂、大師堂と参拝して写真もたくさん撮った。
 弘法大師のご生誕のお寺でさすがに境内が広い上に素晴らしい塔と大きな樫の木にはいつも圧倒される。

 76番札所金倉寺、77番札所道隆寺、78番札所郷照寺まで参拝して今夜の宿「川久米旅館」に到着したのが3時半頃。ゆっくりとお風呂に入り美味しい料理で日本酒がすすんでしまった。間もなく今回の遍路も終わろうとしている。ゆっくりと大事に時を過ごしたい。



40日目 平成23年3月16日(水) 晴後曇時々雪

 7時に宿を出た。どこの宿でも大体お見送りしていただくがここでも丁寧に見送ってくださった。79番札所高照院に参拝して80番札所国分寺へ向かう。風が強くて寒く、いつもは少し歩くと背中に汗が出てくるが、今朝はなかなか体がぬくもらない。

 国分寺も境内が大きくて趣のあるお寺だが遍路用品売り場から大師堂にお参りをするようになっており何か違和感がある。参拝をすませてお寺を出たのが10時を少し回っていた。

 今回は今夜の宿の関係で82番札所根来寺を先に参拝した。根来寺はいつ見てもきれいな境内だと思う。紅葉の頃にまたお参りしたいお寺の一つだ。お参りをすませて81番札所白峰寺へ向ったが遍路道の19丁辺りで粉雪が降り出して白峰寺に到着した頃には雪は本降りになったが雨よりはよほどましだとそのまま歩いた。
 参拝をすませて今夜の宿「かんぽの宿 坂出」に着いたのが4時頃だった。ゆっくりと温泉に入り美味しい料理で冷酒を飲んだが温泉で暖まった体には冷酒が合ったようで堪能した。

 距離関係が「へんろみち保存協会」の地図ではよく把握できなかったので行程表は80番、81番、82番で作成した。
 明日は宿から鬼無ではなく今朝歩いてきた国分寺までタクシーで下りることを決めていたのでフロントで明朝7時半にタクシーを予約した。



41日目 平成23年3月17日(木) 晴後曇後雪

 宿から予約していたタクシーで国分寺まで下りた。国分寺の前に着き83番札所一宮寺へ向かって歩き出したが地図には一宮寺への道は明示されているが12号線を歩き香東川を越えるまで道しるべは全く見ることができなかった。

 参拝してお寺を出て172号線を歩き出したが以前にも歩いたはずなのに道しるべが見あたらず少し不安になり薬局の方に道をお聞きしたら193号線の方が歩道が完備されており安全だからと勧められそちらの道を歩いた。整備された歩道を安全に歩いていたが栗林公園辺りで道が分からなくなり地元の人に教えてもらいながら屋島の登り口付近に2時頃に到着した。

 84番札所屋島寺への急坂を登り途中一服してから一気に登り3時前には山門に到着したが途中で昨日と同様吹雪のような雪に見舞われた。しかし、山門を入りお参りする頃には止んでいた。同じ道を下りて今夜の宿「ささや旅館」には4時10分頃に着きゆっくりとお風呂に入り美味しい料理で熱燗を楽しんだ。



42日目 平成23年3月18日(金)晴

 今日歩く距離は少なくて余り早く宿に着いてもどうかと思って朝食を遅くしてもらい宿を出たのが7時半を過ぎていた。旅館の女将が途中の分かれ道まで送ってくれて85番札所八栗寺の登り口に着き登り始めたのが9時35分頃で、急坂を登ったが25分ほどで山門に着いた。
 このお寺もきれいなお寺でゆっくりと参拝した。86番札所志度寺へ向かい参拝した後ゆっくり休憩した。87番札所長尾寺へは非常に単純な道で道しるべ通りでお寺には2時前に到着した。参拝をすませて今夜の宿「あずまや旅館」に入ったのが2時20分ごろで今回はゆっくりできた。同宿者が他に2名おり夕食時明日は結願で皆ホッとしているようで話がはずんだ。

 長尾寺の境内で前回お参りした時は美味しいおはぎを売っておりそれを楽しみにしていたがあいにく店は開いていなかった。時期的にまだ早いので閉めているのか、もう店を止めてしまったのかは分からない。



43日目 平成23年3月19日(土) 晴

 女将に見送られて宿を出たのが7時を少し過ぎていた。今日は結願の日。気持ちが少し高ぶっているように思う。女体山の道を止めて多和小学校経由の道を選んだ。「へんろ交流サロン」に立ち寄りそこを出たのが8時半頃。
 女体山ほど急坂はないが楽には結願させてはくれない。途中でトラックが止まり運転手さんがわざわざ降りてきて「ミネパラG2000」を2本お接待していただいた。申し訳なく思ったがありがたく頂戴した。11時25分頃に88番札所大窪寺に着き本堂、大師堂とゆっくりと参拝した。

 遍路に来るのは今回が最後と決めていたので結願の時、感動というか感激するかも、と思っていたがさしたる気持ちは起こらなかった。家内も今回は涙が出るかも、と言っていたがそんな様子は見られなかった。
 結願時刻は11時48分。納経所で家内が希望した結願証明書を作ってもらった。お土産を買い、讃岐うどんを食べてコミュニティバスで琴電長尾駅の近くの大川バス停まで乗り高松駅に出た。坂出で途中下車し「醤油豆」と「かまど」をお土産に買い、赤穂に着いたのが7時20分頃だった。これで今回の遍路の旅は終わった。




あとがき

 いつものことだが行き交う小中学生、高校生や地元の方達が穏やかな笑顔で言葉を掛けてくれるのが何より嬉しく元気が出る。「和願施」ということだと思うがこれからはできるだけ笑顔で過ごしたいと思った。

 いつもよりも早く出たのには理由がある。まず、孫娘の春休みが始まるまでには帰って来たかったこと。遅くなり4月末からの連休にかかると宿を確保するのがむずかしくなることだった。
 早く出て良かったことはお寺には参拝の人がまばらでゆっくりとお参りできたこと。それに宿がすいていたこと。私たち以外に同宿者がいた宿は数えるほどしかなく大きなお風呂を沸かしてくれていると申し訳なく思ったりした。
 残念だったのは寒くて家内が苦労したこと。雪道を歩くのはあまりやりたくなかった。それに花には早く、美しい新緑を見られなかったこと。

 今回失敗したことはいままで足を傷めたことがなく体力の消耗を考えて軽い靴を安易に選んでしまい、余り履き慣らさない内に出かけたため右足の小指の外側に擦り傷を作ってしまい、雨の中を歩いて靴に水が入り傷が化膿してしまったこと。途中で柔らかい靴を買ってそれで最後まで歩くことになってしまった。今まで足のマメで泣いていた家内が今回はマメが少しで早くに治り、楽に歩けたことがなにより良かった。今までの家内の苦労の一端を理解できた。くれぐれも遍路に出るなら幅広の靴で履き慣らしてからにして欲しいと思います。

 歩き遍路にはもう体力的にも出られないと思いますが季候のいい時に旅に出て思い出のお寺や宿を訪ねることはあるかも知れません。