第4回四国遍路行程表
距離単位:km
札所 寺名 県名 日程 年月日 単距離 総距離 宿泊所 歩行距離 歩数
1 霊山寺 徳島県 0.0 0.0
2 極楽寺 徳島県 1.4 1.4
3 金泉寺 徳島県 2.6 4.0
4 大日寺 徳島県 5.0 9.0
5 地蔵寺 徳島県 2.0 11.0
6 安楽寺 徳島県 1日目 4/11 5.3 16.3 安楽寺 16.3 26,170
7 十楽寺 徳島県 1.2 17.5
8 熊谷寺 徳島県 4.2 21.7
9 法輪寺 徳島県 2.4 24.1
10 切幡寺 徳島県 3.8 27.9
徳島県 2日目 4/12 8.2 36.1 三笠屋 19.8 31,159
11 藤井寺 徳島県 2.9 39.0
12 焼山寺 徳島県 12.9 51.9
徳島県 3日目 4/13 3.8 55.7 なべいわ荘 19.6 34,377
13 大日寺 徳島県 21.3 77.0
14 常楽寺 徳島県 2.3 79.3
15 国分寺 徳島県 0.8 80.1
16 観音寺 徳島県 1.8 81.9
17 井戸寺 徳島県 2.8 84.7
徳島県 4日目 4/14 4.3 89.0 大正楼 33.3 47,105
18 恩山寺 徳島県 14.5 103.5
19 立江寺 徳島県 4.0 107.5
徳島県 5日目 4/15 10.1 117.6 金子や 28.6 43,940
20 鶴林寺 徳島県 3.0 120.6
21 太龍寺 徳島県 6.7 127.3
徳島県 6日目 4/16 3.8 131.1 龍山荘 13.5 24,980
22 平等寺 徳島県 7.7 138.8
23 薬王寺 徳島県 7日目 4/17 19.7 158.5 薬王寺薬師会館 27.4 41,692
徳島県 8日目 4/18 32.8 191.3 はるる亭 32.8 41,238
高知県 9日目 4/19 28.0 219.3 民宿徳増 28.0 42,045
24 最御崎寺 高知県 16.2 235.5
25 津照寺 高知県 6.5 242.0
26 金剛頂寺 高知県 10日目 4/20 3.8 245.8 金剛頂寺宿坊 26.5 41,164
27 神峰寺 高知県 28.5 274.3
高知県 11日目 4/21 4.0 278.3 きんしょう 32.5 58,268
高知県 12日目 4/22 24.5 302.8 住吉荘 24.5 44,966
28 大日寺 高知県 10.2 313.0
29 国分寺 高知県 7.5 320.5
30 善楽寺 高知県 6.9 327.4
高知県 13日目 4/23 3.1 330.5 サンピア高知 27.7 51,167
31 竹林寺 高知県 4.4 334.9
32 禅師峰寺 高知県 5.7 340.6
33 雪蹊寺 高知県 14日目 4/24 7.5 348.1 高知屋 17.6 19,651
34 種間寺 高知県 6.3 354.4
35 清滝寺 高知県 9.8 364.2   
36 青龍寺 高知県 13.9 378.1
高知県 15日目 4/25 1.0 379.1 三陽荘 31.0 40,566
高知県 16日目 4/26 28.3 407.4 安和乃里 28.3 44,675
37 岩本寺 高知県 17日目 4/27 29.2 436.6 岩本寺宿坊 29.2 41,806
高知県 18日目 4/28 30.9 467.5 民宿日の出 30.9 49,103
高知県 19日目 4/29 30.2 497.7 久百々 30.2 45,688
38 金剛福寺 高知県 19.6 517.3
高知県 20日目 4/30 20.1 537.4 いさりび 39.7 67,664
高知県 21日目 5/1 30.3 567.7 鶴の家旅館 30.3 45,772
39 延光寺 高知県 2.4 570.1
40 観自在寺 愛媛県 25.8 595.9
愛媛県 22日目 5/2 1.9 597.8 民宿磯屋 30.1 51,782
愛媛県 23日目 5/3 23.6 621.4 BHアイリン 23.6 44,537
41 龍光寺 愛媛県 24.7 646.1
42 仏木寺 愛媛県 2.6 648.7
愛媛県 24日目 5/4 0.6 649.3 民宿とうべや 27.9 45,159
43 明石寺 愛媛県 10.0 659.3
愛媛県 25日目 5/5 20.5 679.8 ときわ旅館 30.5 53,522
愛媛県 26日目 5/6 26.4 706.2 さかえや旅館 26.4 33,403
44 大宝寺 愛媛県 20.3 726.5
愛媛県 27日目 5/7 5.6 732.1 古岩屋荘 25.9 41,275
45 岩屋寺 愛媛県 2.8 734.9
46 浄瑠璃寺 愛媛県 29.5 764.4
愛媛県 28日目 5/8 0.1 764.5 長珍屋 32.4 44,827
47 八坂寺 愛媛県 1.0 765.5
48 西林寺 愛媛県 4.4 769.9
49 浄土寺 愛媛県 3.1 773.0
50 繁多寺 愛媛県 1.7 774.7
51 石手寺 愛媛県 2.8 777.5
52 太山寺 愛媛県 10.7 788.2
53 円明寺 愛媛県 2.6 790.8
愛媛県 29日目 5/9 2.6 793.4 民宿四国 28.9 50,710
愛媛県 30日目 5/10 17.9 811.3 月の家旅館 17.9 27,161
54 延命寺 愛媛県 13.9 825.2
55 南光坊 愛媛県 3.4 828.6
56 泰山寺 愛媛県 3.0 831.6
57 栄福寺 愛媛県 3.1 834.7
58 仙遊寺 愛媛県 31日目 5/11 2.4 837.1 仙遊寺宿坊 25.8 37,303
59 国分寺 愛媛県 6.1 843.2
愛媛県 32日目 5/12 16.0 859.2 栄家旅館 22.1 33,051
60 横峰寺 愛媛県 11.7 870.9
61 香園寺 愛媛県 9.6 880.5
62 宝寿寺 愛媛県 1.3 881.8
63 吉祥寺 愛媛県 1.4 883.2
64 前神寺 愛媛県 3.2 886.4
愛媛県 33日目 5/13 0.7 887.1 湯之谷温泉 27.9 49,826
愛媛県 34日目 5/14 28.0 915.1 松屋旅館 28.0 43,529
65 三角寺 愛媛県 16.9 932.0
徳島県 35日目 5/15 13.1 945.1 民宿岡田 30.0 50,815
66 雲辺寺 徳島県 5.0 950.1
67 大興寺 香川県 9.4 959.5
68 神恵院 香川県 8.7 968.2
69 観音寺 香川県 0.0 968.2
香川県 36日目 5/16 0.9 969.1 若松屋別館 24.0 43,292
70 本山寺 香川県 4.5 973.6
71 弥谷寺 香川県 11.3 984.9
72 曼荼羅寺 香川県 3.1 988.0
73 出釈迦寺 香川県 0.6 988.6
香川県 37日目 5/17 0.6 989.2 民宿門先屋 20.1 33,468
74 甲山寺 香川県 2.2 991.4
75 善通寺 香川県 1.6 993.0
76 金倉寺 香川県 3.8 996.8
77 道隆寺 香川県 3.9 1,000.7
78 郷照寺 香川県 7.2 1,007.9
香川県 38日目 5/18 3.0 1,010.9 川久米旅館 21.7 39,026
79 高照院 香川県 2.9 1,013.8
80 国分寺 香川県 6.6 1,020.4
81 白峯寺 香川県 6.5 1,026.9
82 根香寺 香川県 5.0 1,031.9
香川県 39日目 5/19 5.6 1,037.5 百々屋 26.6 50,747
83 一宮寺 香川県 6.7 1,044.2
84 屋島寺 香川県 13.6 1,057.8
85 八栗寺 香川県 5.4 1,063.2
香川県 40日目 5/20 1.2 1,064.4 高柳旅館 26.9 42,260
86 志度寺 香川県 5.3 1,069.7
87 長尾寺 香川県 7.0 1,076.7
88 大窪寺 香川県 15.1 1,091.8
香川県 41日目 5/21 0.2 1,092.0 八十窪 27.6 46,207
合計 1,092.0 1,745,096

はじめに

 
3年前に四国を巡拝した後、いずれまた四国の遍路に出かけることになろう、と漠然とは考えていた。具体的には表現できないがそれほどまでに四国は魅力的な場所である。
 しかし、私自身は次は古希を迎えられたらそれを謝すために出かけることになるのではないかと思っていた。ところが、家内が1年ほど前から写経を始めた。
いままで歩くたびに足を痛めているのでそう簡単には出かけるとは言わないと思っていたのに、丸3年を経過する今年の春、出かけたいと言い出した。最初は本気にはしなかったが、行くと言ってきかなくなった。独りで行けばと最初は取り合わなかったが今年になり、独りで放り出す訳にはいかないと同行することを決断した。
 こちらはその気になっていなかったので写経はしていないし、かと言って今更始めても枚数が足りないと今回は納め札だけで巡拝することにした。
 時期については孫が去年から保育園に行っているのだが、春休みに遊びに来るので帰宅したあとに出かけようと決めた。

 ここで今回の遍路の途中で再会することができるかも知れない山口県の宮本さんのことに少し触れておきます。
 宮本さんは前回の遍路でお会いしその後赤穂に遊びに来られ、前回最初の一時一緒に歩いた赤穂の玉石さんと3人で一献傾けたことがあり、時々メールで近況を知らせ合うという状況が続いていた。その宮本さんがこの春遍路に出るとの知らせがあった。いつ頃かとははっきりしない状態だったが、4月1日に遍路に出て55番南光坊から順に打ち始めたことが分かった。
 宮本さんは前回35日で結願した健脚で今回は20の番外霊場も巡拝するとのことだったが、途中でお会いできるかも知れないと期待していた。

 そして、平成20年4月11日に出かけることになった。今回は先を急がず少しゆっくり歩こうと家内と話していたのだが、さて・・・・・。



遍路紀行


1日目
平成20年4月11日(金) 晴


 4時にかけていた目覚まし時計が鳴る前に目が覚めて起き出した。軽く朝食をすませて5時過ぎに家を出た。
 赤穂発5時34分発の列車に乗り、5時46分に相生着、相生発が5時49分の列車に乗り換えて岡山に6時51分に着いた。7時11分発のマリンライナーで高松着が8時8分。高松発8時22分発の特急うずしお3号に乗り、板野着9時16分、9時38分発の各停に乗り換え板東に9時45分に着いた。
 いよいよ歩き出したが、早速失敗してしまった。1番霊山寺まで700メートルくらいのはずが案内板に従って歩いたのになかなかお寺に着かない。道を間違えたことに気付いた時は500メートル程先の川の方まで行っていた。慌てて引き返して霊山寺の門前にたどり着いた。どう考えても道を間違えた理由が分からない。先が思いやられる。
 売店で金剛杖、頭陀袋、持鈴、地図を買い、お参りもすませた。今回も本堂、大師堂で般若心経を1回ずつ読経するが納経(納経所で朱印をいただく)はしないと決めていた。2番極楽寺、3番金泉寺、4番大日寺から五百羅漢の前を通り5番地蔵寺を順調に参拝し6番安楽寺に5時前に到着した。
 今夜はこのお寺の宿坊にお世話になる。このお寺は温泉につかることができ、入浴後夕食をすませて勤行。住職は弘法大師の悟りについて話して下さったがよくは理解できなかった。今日、早速、老婦人からとりたての夏みかんのお接待を受けた。



2日目
平成20年4月12日(土) 晴


 7時頃に安楽寺の宿坊を出た。歩き出してから間もなく夏みかんを収穫していた男の人から夏みかんのお接待を受けた。ほどなく、7番十楽寺に到着した。
 8番熊谷寺は今まで3回いずれも車道を歩いたため、山門とお寺の間に出てしまい、9番法輪寺に向かう時に大きな8番の山門をくぐっていた。今回は正式に山門から入れたら嬉しいが、と注意しながら歩いて初めて正式に山門(仁王門)をくぐりお寺にお参りすることができた。熊谷寺は山門から本堂までがずいぶんと遠い。しかし、その遠い参道を歩くのがまたいい。
 9番法輪寺へは、何の変哲もない田んぼの中の道で、地図を見なくても迷うことはない。このお寺、3年前に比べて施設がずいぶん立派になっていた。
 10番切幡寺は毎度のことながら長い上り坂が続く。その上、最後の上りは333段の石段がありこれが結構きつい。12番焼山寺への予行演習と思いたい。
 今夜の宿は11番藤井寺の手前の「三笠屋」に予約していたので、今回初めて吉野川を渡るのに沈下橋を渡らず、下流の阿波中央橋を渡った。長い橋を渡り終えあと1km程で宿に着くと思われる時に行き過ぎた車が前方に停まり、男性が降りて来られ接待すると言って下さった。有り難くお受けしたが、その方は余りにも宿までが近かったのでむしろ恐縮していた。しかし、お気持ちが嬉しい。この親切に合いたいばかりに四国に来るのかもしれない。
 今夜の宿、「三笠屋」に入ったのが3時ごろ。ゆっくりとお風呂に入りくつろいだ。「三笠屋」は部屋と食事をするところが別で、食堂を営んでおり、そこで品数の多い夕食を頂いた。
 前回は禁酒を誓い、結願後の「民宿八十窪」で飲むまでは一滴も飲まなかったが、今回は禁酒をする気は端からなく、早速日本酒を頂いた。
 毎回夕食後宿の予約が仕事になる。14日はもう宿はやっていないとか、満室とかでなかなか決まらず、やっと17番井戸寺から少し進んだ「大正楼」に予約することができた。15日はすんなりと19番立江寺の宿坊に予約を取ることができた。



3日目
平成20年4月13日(日) 雨後小雨


 6時に「三笠屋」の食堂で朝食。朝から食べ過ぎになると思われるほど品数の多い食事を頂いた。そしてご主人、女将さんのお見送りを受けて出かけた。
 11番藤井寺を打ち終えたのが7時半ごろ。お寺の横から焼山寺へ向かった。時々休みながらゆっくりと登っていった。
 途中、柳水庵で休憩していると団体の若い男女がテントを張り出した。付近に花が咲いていたので、日曜日で花見の団体かな、と思っていたら「解脱会」というお遍路をお接待している団体だと分かった。お茶とお団子のお接待を受けた。
 やっと12番焼山寺に着いたのが2時半ごろ。もうすぐお寺というところで雨が降り出した。お参りをすませるまで傘なしで何とかなったが、休憩した後は傘が必要な雨になった。
 ほどなく雨は上がり、今夜の宿「なべいわ荘」に着いたのが4時半ごろ。今日はずいぶんと疲れた。家では日本酒か焼酎でまずビールは飲まないのだが、夕食の時のビールが美味かった。
 この宿で夕食の時にHさんご夫妻と初めてお会いした。このご夫妻とはこのあといろいろなご縁ができた。

4日目
平成20年4月14日(月) 曇時々晴


 宿のご主人から宿のすぐ前の遍路道を教えて頂いた。以前歩いた遍路道に合流するまでの道だったが、上り坂の連続でしんどい思いをした。以前から登りは苦手だったが年相応に体力が落ちているのか登りがずいぶん応えるようになった。その点家内は涼しい顔をして登っている。
 遍路道から車の通れる道に出てからはだらだら下り坂が続く。こういう道なら一向に応えないしかまわない。その後鮎喰川沿いにひたすら歩き、12時半ごろ13番大日寺に着き参拝することができた。
 それから14番常楽寺、15番国分寺、16番観音寺、17番井戸寺と順調に参拝することができた。観音寺では家内が車で巡拝している人から錦のお札を頂いた。この人とは後日、再会することになる。
 本来なら、この辺りで宿を取るべきだと思ったが、井戸寺の近くの宿は予約の電話を入れたときは満員で取ることができず、やむおえずJRくらもと駅の近くの「大正楼」に宿泊することになり大分しんどい思いをした。しかも少し道を間違えて遠回りをしてしまったが、ここは旅館で美味しい料理でもてなしてくださった。ビールがやはり美味かった。本来、私は夏でも日本酒党なのだが、歩いたあとの風呂上がりのビールの美味さを再認識した。この夏は日本酒からビールに変わるだろう。


5日目
平成20年4月15日(火) 晴(快晴)

 快晴のもと快調に歩くことができた。18番恩山寺へは車道を通らず、遍路道を歩いた方が断然早い。ゆっくりとお参りした。
 19番立江寺を打ち終え、2時ごろ宿泊を予約していた宿坊の方に行ったら、係りの人がまだ早いし、こちらはいいから先に進んだらどうかと勧められた。家内と相談して先の宿が取れたら進もうということになり以前に泊まったことのある「金子や」の予約が取れまた歩き出した。
 10km程を3時間弱で歩くことができた。今日は少ししんどかったが、明日、天気が悪いとの予報だったのでむしろありがたかった。何故かビールは飲まなかった。Hさんご夫妻と同宿。


6日目
平成20年4月16日(水) 曇後雨


 宿を7時頃に出発。今にも雨が降り出すような雲行きである。20番鶴林寺に着いたころに雨が降り出した。天気予報より早い。お参りをしたあと合羽を着て21番太龍寺へ向かう。だらだらと長い下り坂が続く。上りがしんどいのは当たり前だが、下りも結構足にこたえる。長い下り坂を下りきると今度は長い上り坂。お寺から2km弱の間今度は急坂を登る。この山中の道が結構こたえるのに、もうすぐお寺というところでコンクリートの急坂があり、雨の中なんとか登り切ったが、このお寺の境内が広く本堂と大師堂とが大分離れている。写真を数枚撮ったが雨で煙り、レンズにも水滴が付いたりで散々だった。お参りをしたあと「金子や」の近くで買ったパンと牛乳で昼食。
 今度は下がる一方の山道を今夜の宿の「龍山荘」まで歩き、2時頃に到着した。降り出した雨は本降りで宿に入るまで止むことはなかったが夕方には上がっていた。しかし明日はまた本格的な雨のらしい。雨をいとわないほど修行はできていない。
美味しい料理でビールを飲んだ。Hさんご夫妻と同宿。


7日目
平成20年4月17日(木) 雨


 「龍山荘」の美味しい朝食をとり、雨が上がっていることを期待したがむなしく、雨の中の出発となった。
 22番平等寺へは大根峠という峠を越える遍路道があるが、これが雨の中意外にきつかった。遍路道がもう終わろうかという時に不注意で10cmほどの小枝に左足を乗せて不覚にも転倒して右ひざを打ち、右手の薬指に小さな傷を作ってしまったが足を捻挫することもなく助かった。家内が御大師様のお陰よ、と言ったのに素直にうなずいた。
 平等寺を打ち終え、55号線を薬王寺へ向かう。相変わらず雨は止むこともなく時折強い風も吹き難儀したが、なんとか3時前には「発心の道場」徳島県の最後のお寺23番薬王寺を打つことができた。
 雨のため写真を余り撮れなくて変わった形の塔の写真を十分に撮れなかったのが残念だった。今夜の宿は薬王寺薬師会館。宿坊は禁酒ではないが酒は慎んだ。Hさんご夫妻同宿。


8日目
平成20年4月18日(金) 曇時々晴


 朝起きた時には雨は上がり曇だろうと思っていたのに予報に反し、本格的な雨が降っていた。今日も雨かとうんざりしながら、合羽を着て7時5分頃に薬師会館を後にした。しかし、間もなく小雨となり合羽は不要となって時折青空が見えるほどに回復した。
 牟岐署の一角にお遍路の接待所がありお茶やお菓子、ふかし芋などのお接待を受けた。
 それから野村カオリさんが始めたという第1号の無人の接待所があり、「お接待です」と書かれて文旦が置いてあったので遠慮なく頂戴した。
 時折、美しい海岸が現れ美しい海と青々とした空の写真を撮ることができた。
 今日はほとんど55号線を歩いたが、遍路道と違って舗装道路は疲れる。今夜の宿「はるる亭」に4時45分ごろに着いた。
 この宿は温泉で大きな浴槽にゆったりとつかることができ疲れをいやしてくれた。夕食も絢爛豪華で口に入ることがまずないカンパチの造りそれにカンパチのカマの部分の塩焼きが美味しかった。修行中の在家のお坊さんが魚を食することは禁じられているとのことで造りを丸ごと頂いた。ビールが美味かったのは言うまでもない。Hさんご夫妻同宿。


9日目
平成20年4月19日(土) 晴


 宿を出たのが7時。今日はひたすら歩くのみと覚悟はできている。最初のころは海が見え隠れしていたが、野根の町に入り、一時55号線から外れて海が見えなくなった。野根の町では第1回目の遍路の折りに宿を取ったことがあったが今はもうやっていないのか、看板を見いだすことはできなかった。
 「賜天皇陛下献上之栄」(だったと思うが)と、看板に書かれていた野根まんじゅう店があったが、通り過ぎてから家内が買えばよかったと言ったが後の祭りで引き返してまで買う勇気は持ち合わせていなかった。
 野根川を過ぎて再び55号線に出てからは左に海右に山を見ながらの歩きとなった。佐喜浜港を過ぎた辺りから防波堤の上の道を歩く。海の色が濃紺、空が青、余りの美しさに何枚か写真を撮った。
 今日の宿「民宿徳増」に着いたのが2時40分。また一番にゆっくりとお風呂に入り夕食まで部屋でくつろいだ。またまたビールが美味かった。夕食後23日までの宿の予約もできた。Hさんご夫妻同宿。


10日目
平成20年4月20日(日) 晴


 5時半ごろに水平線から昇ってくる日の出を何枚か写真に撮った。7時10分ごろに宿を出た。今日も快晴、しかし、風が多少強い。きれいな海と空、それに新緑の美しい山を見ながらひたすら歩く。場所はさだかに覚えていないが、野根まんじゅうを作っている工場とその店(福田屋)があった。昨日買えなくて残念だったのでこれ幸いと買った。
 24番最御崎寺の手前の青年大師像を写真に撮った。御蔵堂では家内がしばらく座禅をしていた。私にはあの暗い穴の中で座禅を組むなどと言う趣味はない。
 最御崎寺を打ち終わり25番津照寺へ。そこからまたしばらく歩き、26番の金剛頂寺へ。ここは山門に至る手前の遍路道がやはりきついがこのお寺も無事打つことができた。
 今夜の宿はこのお寺の宿坊。お風呂につかり5時ごろやっと落ち着いた。宿坊は禁酒ではないがお酒は飲まなかった。Hさんご夫妻同宿。


11日目
平成20年4月21日(月) 晴


 6時からの勤行が終わり、朝食。7時5分宿坊を出発。急な遍路道を下り55号線へ。あとはほとんど55号線を歩いた。途中でお茶とお水のお接待を受けた。
 1時45分ごろ今日の宿「民宿きんしょう(錦松)」に着きしばらく女将と話しながらお茶をよばれて2時10分に27番神峯寺へ向けた歩き始めた。荷物を宿に預けたために普段よりは楽だが、このお寺に至る道は普通ではない。相変わらずきつい。3時35分頃に山門に到着。山から落ちてくる土佐の名水「神峯の水」をいただく。美味しい。ゆっくりと参拝し宿に帰り着いたのが5時15分ごろ。夕食の時のビールがことのほか美味かった。Hさんご夫妻同宿。

12日目
平成20年4月22日(火) 晴


 7時10分頃、宿のご夫婦に見送られて出発した。今日は参拝できるお寺はなくひたすら歩くのみ。道の駅大山までは55号線を歩きそれからは防波堤の歩道を歩く。いおき駅の近くから55号線に帰り安芸川の橋を渡りきるまで55号線を歩く。そこから55号線をはずれ安芸の街中を歩く。安芸の港で停まっていたトラックから男性が降りてきて話をしていたが運転席から缶コーヒーを持ってきてお接待だと渡してくださった。奥さんまで降りてきてしばらく話がはずんだ。
 それからはひたすら自転車道を歩いた。途中、にしぶん駅の手前でカセットで歌謡浪曲のようなものを聞かせている休憩所があり、しばらく休ませてもらっていると近所を毎日10kmほど散歩しているという人と一緒になり、今日の宿「住吉荘」の近道を案内してくれた。その人は遍路のことをよく知っており、明石寺の近くに遍路資料博物館があり遍路の資料がたくさん展示されているので時間があれば行ってきたらなどといろいろと教えてもらって退屈することなく宿まで案内してもらった。
 今日の宿は2回目になるが寝るところと食事の場所が別棟になっており、食事をするところは港のすぐ上で見晴らしがよく感じのいい宿でいつもながら料理がいいし、それにおもてなしの心が感じられる。ビールが美味かった。Hさんご夫妻同宿。


13日目
平成20年4月23日(水) 晴後曇後雨


 7時10分前に宿を出た。歩き始めて間もなく道の駅やすで小休止。香南市内を通り抜けて28番大日寺へ。急だが短い階段を登り山門へ。お参りをすませて、今度は田んぼの中の道をぬいながら29番国分寺へ。国分寺に着く頃から雲行きが怪しくなってきた。国分寺は花の寺というイメージがありボタンの花が盛りを迎えていた。ボタンの花に傘をかけているのが印象に残った。
 国分寺を出てから30番善楽寺へ向かう途中心配していた雨が降り出した。しかも急に本降りとなり慌てて合羽を取り出した。しかし、30分ほどで激しい雨は小降りとなり善楽寺につくころにはほとんど止んでいた。善楽寺を打ち終わり、ほどなく今夜の宿「サンピア高知」に到着した。
 ゆっくりと風呂に入り、ビールを飲みながら美味しい料理を堪能した。この宿は以前にも泊まったことがあるが感じがよく、料理もすばらしくお勧めの宿の一つだと思われる。Hさんご夫妻同宿。


14日目
平成20年4月24日(木) 雨後晴


 5時頃に目が覚めたときには雨が降っていた。今日は歩く距離が少ないのでゆっくり出ようと決めていた。7時半ごろに朝食を取っているときには雨は上がっていた。8時半ごろに宿を出たときには雨は降っていなかったのに31番竹林寺へ向かう途中でまた小雨が降り出したが傘とか合羽を出すほどの降りではなくてほどなく止み、竹林寺の参拝を終わるころには雨後の真っ青な空になり青空に五重塔が鮮やかな姿を見せてくれた。参拝後に牧野植物園の温室に入りしばらくきれいな花を観賞した。
 32番禅師峰寺へ向かう途中でワゴン車が停まっており、男の人から呼び止められ冷たい水をお接待するから、と車中に招かれて冷たい水を頂いた。この人は釣具店を経営しているようで、時々この場所でお接待をしてお遍路と話をするのを楽しみにしているとのことだった。
 禅師峰寺を打ち終えて下の駐車場まで降りてくるとタクシーが停まっており運転手さんとしばらく話をした。今日予約している「高知屋」も建て替えてきれいになっているとのことだった。車道を下りているとその車が下りてきてよかったら雪蹊寺までお接待すると言われた。一瞬どうしようかと迷ったが、ありがたくお受けすることにした。
 初めて浦戸大橋を渡ったが、フェリーではなくこれを歩いて渡るとなると高いところを通っているだけに大変だろうと思った。そう言えば、禅師峰寺にいた女性が橋を渡るルートを取ったら駄目よ、と言ってくれたのを思い出した。
 1時半ごろに33番雪蹊寺の門前の今夜の宿「高知屋」の前に横着けにしてくれた。ありがたく感謝したい。このタクシーの運転手さんのお名前、会社名なども分かっているが万一運転手さんにご迷惑がかかるといけないので、親切にもお接待を受けたと言うことだけに止めておきたい。
 参拝をすませて早いお風呂に入らせてもらった。この宿は以前に泊まった時とは雰囲気が全然変わっていた。建物は新しくなり、娘さんが手伝っていてにこやかに案内してくれた。女将さんは変わっておらず、むしろ若くなったように感じた。
 Hさんご夫妻とは今日まで相談して決めたわけでもないのに11日同じ宿になった。これまでに親しくお話をするようになり、お名前はもちろん、携帯の番号、住所、パソコンのメールアドレスなどをお互いにメモしていた。
 昨日までの話の経過から、明日以降は宿が同じではなく私たちと一緒に食事をするのは今夜が最終と思ったようで夕食時、Hさんが珍しくビールを注文された。知る限りではアルコールの注文は初めてだと思った。そしてお互いに一杯ずつ酌み交わした。事実、この後同宿になることはなかったが、これでHさんご夫妻と顔を合わすことがなかったわけではない。
 いつの夜か失念したが、Hさんがパソコンでホームページを印刷したものを私のところに持って来て、これは福田さんではないですか、と差し出されたのはまさしく私たちの第1回目の春の遍路紀行の記録だった。Hさんが言うには自分たちは初めてで、夫婦で歩いた私たちの記録が目に止まったらしい。参考にしようと持参していたらしい。こんなこともありHさんご夫妻とは奇遇と言うことになるのだろうか。


15日目
平成20年4月25日(金) 晴


 6時40分頃に女将さん達に見送られて宿を出た。34番種間寺までは遍路の道しるべに従って歩いて迷うこともなく到着することができた。ゆっくりとお参りしてお寺をあとにしようとした時にHさんご夫妻が到着しお互いの写真を撮り合った。
 35番清滝寺を打ち終えて下っている途中でまたHさんご夫妻にお会いした。もう今夜の宿に立ち寄って来たようで背中に荷物はなかった。
 古い街中で地図を確認していると郵便局の単車に乗った方が的確に道を教えてくださった。このような親切がまた、四国に足を向かわせるのかもしれない。
 ひたすら歩いて塚地坂トンネルを出て、右折したところにあるコンビニローソンで隅っこの方でパンを食べながら休憩していると、買い物に来られた男性がお疲れのようだから青龍寺までお接待するという。昨日に続いて甘えさせてもらった。その方は昔の遍路が使い、今も通学に使っているという船着き場まで連れて行ってくださった。これに乗っても御大師様は怒らないですよ、と話してくださった。そこから引き返して長い橋を渡り今夜の宿「三陽荘」の玄関前に横着けしてくださった。ありがたい。
 荷物を下ろして36番青龍寺へ向かった。車に乗せて頂いて足が休まっていたせいか、長い階段もそれほどしんどいとは思わなかった。夕食の時ビールを注文したが別館が竣工したとかでお接待だと言って無料だった。


16日目
平成20年4月26日(土) 晴


 7時5分に宿を出たが、カーブで見えなくなるまで三陽荘の数人の方からお見送りを受けた。昨日のお接待の方から教えて頂いた船は出船時刻も遅かったので少し興味はあったが乗らなかった。
 宇佐大橋を渡り海岸線沿いにくねくねと曲がった23号線をひたすら歩く。波の静かな景色のいい内海も何時間も見るとあきてくる。浦の内中を過ぎた辺りのYショップでアイスクリームを買い314号線と23号線が合流する付近でベンチに座ったアイスを食べながら休憩していると、わざわざ車を停めてご婦人がニコニコしながら近づいてきて200円の現金をお接待と言って渡してくださった。申し訳ない気がした。
 しばらく歩いて須崎の遍路休憩所で休んでいる時、ハッサクのお接待を受けた。酸っぱいよ、と言っておられたが全然酸っぱくはなく美味しく頂いた。
 もうすぐ宿というところでミカン類の県外発送の看板を見つけて、娘に宅急便で文旦を送った。
 今夜の宿「安和乃里」に4時ごろに到着した。この宿の料理は美味しくて、ビールが一段と美味かった。


17日目
平成20年4月27日(日) 晴


 朝食後支払いをしたときに女将さんからおさい銭にと現金の入った祝儀袋を2個頂いた。遍路の気持ちを思いやるやさしさを感じた。
 宿を出てほどなく焼坂トンネルを抜けた。このトンネルは約1000メートルありしかも歩道がない。歩道の幅はある程度取っているが一段高くはなっていなくて、所々に漏水があり足元が濡れている。それほどの危険は感じなかったが何とかして欲しいと思った。排気設備が整っているのか、排ガス規制が効いているのか、以前と違って空気がそれほど汚れているとは思わなかった。
 ほどなく56号線からはずれて大阪遍路道に入った。この遍路道には七子峠という峠があり80メートルから287メートルまで一気に登る山道が結構きつかったが、登り切った時には何か爽快感があった。
 この大坂遍路道とは別に地図にそえみみず遍路道があるが、確かではないが現在四国横断自動車道の工事中とかで通行できないとか、「住吉荘」でお会いした逆打ちのお遍路から聞いたような気がする。この遍路道は以前に歩いたことがあるが、今まで見たこともないような大きなミミズに何回も出くわして、これがこの遍路道の名前の由来かなあ、と妙に納得した覚えがある。
 峠から下りの遍路道をしばらく歩きまた56号線、遍路道、56号線という感じで歩き36番岩本寺の少し手前で街中に入りほどなくお寺に到着したのが2時35分だった。何か地図に出ている距離よりも少し短く感じたが、どうなのだろう。
 このお寺の本堂の天井にたくさんの絵がはめ込まれておりマリリンモンローの絵があり他とは趣が異なる絵で今回も気になって仕方がなかった。いまだに俗気が抜けていないのだろう。
 4時から入浴できるお風呂に入ったが一番乗りで今日も気分的にゆっくりすることができた。部屋も15畳で大きいがテレビがなく「篤姫」が見られないのが残念だと思っていたが食後、玄関横のテレビで見せてもらうことができた。宿坊につき禁酒ではないけれどビールは飲まなかった。


18日目
平成20年4月28日(月) 晴


 6時から勤行。6時半から朝食で7時10分頃に宿坊をあとにした。56号線をしばらく歩いて四国電力資材置場から距離を短縮するために遍路道に入った。ずっと下りの道だったが枯れ葉がたくさん落ちていて滑りやすく難儀した。主に56号線を歩いたが、時折は遍路道も歩いた。
 鹿島が浦の美しい海の写真を何枚か撮った。左手に海を見ながらひたすら歩く。今夜の宿「民宿日の出」に着いたのは4時。
 途中の荷稲(かいな)局で不要になった衣類等を送ったりして時間を費やしたが、今日は思ったよりも遠く感じた。

19日目
平成20年4月29日(火) 晴


 6時40分に宿を出た。大体地図通りに歩いて四万十川の橋のたもとに着いた。コンビニスリーエフで牛乳などを買い、軽食ができるように買い物をしたりして小休止したが思っていたよりも早く四万十大橋を渡ることができた。この橋の欄干には赤目(四万十川に生息している巨大魚)の彫刻や鮎、トンボなどの模様が入っておりなんとも風情がある。
 しばらく歩いて1620メートルという長い伊豆田トンネルに入った。早足で歩いたつもりだが歩く速度などたかが知れている。行けども行けどもトンネルが続き出られないような錯覚に捕らわれた。トンネルを出て休憩所があったのでしばらく休んだ。宿まで残り8km。
 海が見えだして久しぶりに青々とした海の写真を数枚撮った。今夜の宿「久百々」には2時45分に着きゆっくりと早めの風呂を使わせてもらった。夕食の時に女将さん(八代亜紀にちょっと似ている)から料理の話を聞いたり、写真を撮ってもらったりしてしばらく和やかな時を過ごした。もちろんビールが美味かった。


20日目
平成20年4月30日(水) 晴


 5時5分前に宿を出た。今日は38番金剛福寺を打ち「久百々」の近所の「民宿いさりび」まで帰ってくる約40kmの長距離を歩くつもりで出発した。
 以前の遍路の時に家内が1日40kmを1回でいいから歩いてみたいと言っていたのだが、今まで実現しなかった。ありがたいことに今回は家内の足の調子がかなりいい。初めのころは足のマメの治療などを宿に着いたらしていたが何時のころからかしなくなり、やっと御大師様が四国を歩くことをお許し下さったのか、と神妙なことを言ったりしていた。それで今回の挑戦となった。「久百々」に荷物を預けての歩きである。連泊を希望したが今日は満室で「民宿いさりび」で泊まることにした。昨夜夕飯の時にお弁当のおにぎりをお接待するとは聞いていたが、ソファーの上にそのおにぎりと他にお菓子、バナナ、ヨーグルトなどが置かれていた。
 残月を仰ぎながらの出発となった。一部は地図にある遍路道を歩いたがほとんど27号線を歩く。10時45分ごろに金剛福寺に到着した。お参りをしてジョン万次郎の銅像のあるところで小休止。その後展望台から足摺岬の灯台やその周辺の写真を撮ったりした。
 11時15分ごろからまた来た道を引き返す。5時少し前に「久百々」に到着した。12時間を要した。今日ここに宿泊することを電話で聞いていたHさんご夫妻はもう到着していて少し話をした。二人共お元気そうだった。
 荷物を受け取り今夜の宿「民宿いさりび」に入る。海が見渡せるすばらしい総檜の浴槽で一人ゆっくりと足の伸ばして今日の疲れをいやした。夕食には珍しくサバの刺身やマンボーの天ぷら、こぶ鯛の唐揚げなどでビールを堪能した。サバの刺身は本当に久しぶりで若いころに船で釣りに出ていたころと赤穂に引っ越してから一度生きたサバが手に入りその時に刺身で食したが何年ぶりだったろうか。それに出されたコップは冷蔵庫で冷やされており、高級料亭でビールを飲んでいるような気がした。しかもご主人も女将さんも素朴で実に感じがいい。また遍路に来ることがあれば絶対に泊めてもらおうと思った。


21日目
平成20年5月1日(木) 曇後雨


 宿を出て1時間ほど後に突然雨が降り出した。慌てて合羽を取り出して着込んだ。テレビの予報では雨が降り出すのは午後からだと思っていたのに、降り出した雨は時に小降りになったり止んだりしたものの今夜の宿「鶴の屋旅館」に着くまで降り続いた。
 民宿「久百々」でもらった地図を見ながら21号線を歩いたが、せせらぎの音を聞いたり、橋からの渓谷の美しい流れを見ながら歩けた。晴れていれば写真をもっと撮れたものをと思い残念だった。せせらぎの音で思い出したが、毎日のようにウグイスの声を聞いている。ちょとしたことにも何か幸せを感じる。
 4時半ごろからゆっくりと風呂に入り、また、ビールを楽しんだ。


22日目
平成20年5月2日(金) 曇後小雨後曇


 朝起きたときには雨は上がっていた。宿を出てから間もなく高知県の最後の札所39番延光寺に着いたが途中で小雨が降り出した。延光寺でお参りをした後雨が本降りになりそうだったので合羽を着込んで40番観自在寺に向かったが、ほどなく雨は上がり以後降ることはなかった。松尾峠を越えるのに時間がかかり観自在寺に着いたのが4時45分ごろだった。お参りして今夜の宿「民宿磯屋」に着いたのは5時半ごろで今日は少し疲れた。
 どの辺りだったか忘れたが、山の中を歩いているときに文旦がたくさん畑の土の上に放置されておりもったいないなあ、などと話ながら歩いていたらすぐ近所で文旦を収穫している女の人がいて、よかったら持っていって、と文旦を5個もくれた。話し声が聞こえたのかも知れない。
 今日は少し疲れたが宿の女将さんの話を聞きながら同宿の人との食事もまたいいもので今日もビールが美味しかった。
 今日で文字通り長い長い「修行の道場」高知県が終り、「菩提の道場」愛媛県に入った。


23日目
平成20年5月3日(土) 晴


 女将さんに見送られて7時に宿を出て8km強歩いて柏局の前まで到着した。ここから56号線を避けて、柏峠の道を選んだが2時間ほど上りが続ききつい。
 途中できらいなヘビに3回も遭ってしまった。3回目はまさしくマムシ。先に歩いていた家内が見つけたが、狭い道の真ん中で動かない。最初は死んでいるのかと思ったが動き出した。石をぶつけても当たらないし逃げてもくれない。向こうもこちらをにらんでいる。まさかまたいでいく勇気もない。仕方なく杖の先に引っかけて道の端に飛ばして道をあけてもらった。上から逆打ちの女の人が下りてきたので、今マムシがいて道の端に飛ばしたが気を付けてと言ったら、「あ、そう」と言いながら下りていった。これぐらい肝が据わっていないと女性一人で歩いて遍路はできないだろうと感心した。峠までやっとたどり着いたが今度は延々と続く下り坂には閉口した。
 4、5日前から地図に載っている津島の4軒の旅館に電話したが、連休中は満員だと断られた。以前に泊めてもらいよくして頂いた大畑旅館などにはキャンセル待ちの電話もしたがだめだった。そんな経過があり少し先に行った「ビジネスホテルアイリン」に泊まることにした。ここは食事がなく少し先にコンビニがあり夕食と明日の朝食の準備をして宿に入ったのが4時。この宿も設備が整い感じはよかった。ここでも自販機の缶ビールを飲んでしまった。


24日目
平成20年5月4日(日) 晴後曇


 宿を5時25分に出た。1710mの長い松尾トンネルを避けて遍路道に入った。この道はトンネルのすぐ近くに入り口がありいわゆる遍路道で20分ほどの上りはきつかったが下りは自然豊かでトンネルの排気ガスを思うと雲泥の差だった。
 56号線に入ってからも順調に進めた。宇和島の街中に入ったとき単車に乗った男の人が近道を教えてあげると、次はどこで待て、次は橋のところで待てと要所要所を押さえてくれて、迷うこともなく街中を抜けることができた。12時ごろ41番龍光寺に着いてお参りをすませた。
 お寺で休憩している時に時々電話連絡していた宮本さんに電話すると今40番観自在寺だと言う。もうすぐ後まで来ている。1日どれくらい歩いているのかと聞くと番外へはタクシーも使うがその他は35から40kmくらいかなあ、とさりげなくおっしゃる。驚いてしまった。私たちの宿泊の予定をお知らせしたが間もなくお会いできるかも知れない。
 龍光寺を出てほどなく42番佛木寺に到着した。道路にはたくさんの車が駐車してあり納経所には列ができていた。お参りをして門を出たところでアイスクリームを売っていた人から今夜はどこに泊まるのかと聞かれたので「民宿とうべや」、と言ったらこんなに早く宿に行って何をするのか、と笑いながら聞かれてしまった。することはいろいろあると冗談を言ったりして分かれた。
 すぐ近くの宿に着いたのは2時前。一番に風呂に入らせてもらった。今日はかんかん照りでめちゃくちゃ暑くてビールがことのほか美味かった。この宿もご主人も素朴でいい。また、お手伝いの女性も気さくでいい。
 この民宿の名物だと思うが前回も見かけたタヌキにまた会えた。夕方このタヌキたちは呼べば来ると言うから何ともかわいい。


25日目
平成20年5月5日(月) 雨後曇一時雨


 お手伝いの女性から今度来る時はあの向かいの家が私の家だから寄ってね、と言いながら見送ってもらい6時25分に宿を出た。朝から雨、雨だから車道を行こうと思っていたのに何を勘違いしたのか遍路道に入ってしまった。足元の悪い中、悪戦苦闘の歯長峠越えとなったが、約4時間を要してしまった。峠を越えて歯長地蔵辺りで雨は上がってくれたが、43番明石寺を打つ前も打った後も道を間違えてしまった。遍路道に入ったり56号線を歩いたりしながら1117mの鳥坂隧道を通過する。
 肱川を渡る手前でも道に迷ったが、偶然にも今日の宿「ときわ旅館」の人が車で通りかかり、荷物を先に運んでくれた。宿のおもてなしは前回同様最高で道に迷ったことを忘れさせてくれた。お風呂にはしょうぶが入っていた。そう言えば今日は5月5日の子どもの日で菖蒲湯の日。
 それにお接待だと言って渡してくれたものがある。中身はマスク、ばんそうこう、小さな反射板(トンネルの中などで使うのだろう)、それに足のマメ治療のための糸の付いた縫い針、飴などが入っていた。これもこの宿のおもてなしだと思うと嬉しい。ビールがまたまた美味かった。


26日目
平成20年5月6日(火) 晴


 6時35分頃宿を出た。昨日から道をよく間違えているのに朝一番にまた間違えた。見たことのない景色に出くわした。いよおおず駅で56号線から外れている。駅前に停まっていたタクシーの運転手さんに56号線を聞いて軌道修正した。今日は歩く距離が少ないので気分的にゆっくりしている。
 10時頃には内子の街に入り有名な内子座の前まで行って看板などの写真を撮らせてもらった。今回は時刻の関係で厄介になることはなかったが遍路道に面しており1回目、2回目の時に泊めて頂いた非常に品のある「松乃屋旅館」の前を通った。
 時々休憩しながら行ったのに3時過ぎには今日の宿「さかえや旅館」に着いた。今回この旅館を選んだのには理由がある。前回まではお寺を打つとき時々順番が順にならないことがあり今までは45番44番と打っていたが今回はとにかく順番通り打ってみようと家内と話しており地図を見てこの宿を選んだ。
 宿に着いてから1時間ほど玄関先の食堂の机で女将さんから鴇田峠を越えて44番45番と打つのが本来の遍路でそのためにはこの旅館が必要で今も続けており125年(?)の歴史があるとも言っていた。この女将さんの話は迫力(?)があった。ひとしきり話が終わってから部屋に通された。ここのお風呂は今でも薪で沸かしているらしい。ここでもまたビールを飲んでしまったがいつもに比べて少し苦く感じた。


27日目
平成20年5月7日(水) 晴


 6時20分頃に宿を出た。下坂場峠(H570m)を登り一旦H520mまで下がり再び鴇田峠(H790m)まで登りH560mの44番大宝寺に向かったのだが峠を下り33号線を横切ったところで遍路マークを見失いまた道を間違えてしまった。どうも33号線を下り過ぎたようで時々道を聞きながら駐車場までたどり着いたが、そこからまだまだ上りでいささか閉口した。お参りをすませた後、地図に出ている遍路道を見つけることができず、峠御堂トンネルを目指して後はずっと12号線を歩いた。
 当初、今夜の宿「古岩屋荘」に到着後、荷物を預けて45番岩屋寺を打つ予定だったが、家内が今日はもう歩けないという感じになっていたので岩屋寺の参拝は明日に延期しようと決めた。
 「古岩屋荘」に着いたのは3時5分ごろでチエックインは4時で荷物は預かるから行ってきたら、とフロントの女性に勧められたが、家内のことを考えて止めにして部屋の用意ができるまでロビーで待つことにした。3時半ごろにはチエックインが許され、明朝早くにお参りに出ることを了解をしてもらって部屋に入った。4時頃には風呂に入りゆったりした気分になった。夕食の時のビールを一気に飲みほした。


28日目
平成20年5月8日(木) 晴


 昨日、今朝早く出かけることを承知してもらっていたので5時5分に出かけた。30分ほどで駐車場のところに着いたが、そこからの登りに20分ほどかかった。お参りをして宿に引き返したのが7時10分前。こういう時納経していないのは都合がいい。
 7時から朝食、7時40分ごろ荷物を背負って再度宿を出た。昨日歩いた道を33号線に出合うまで引き返す。33号線を三坂峠までだらだらとした上り坂を登り続ける。三坂峠からは一転して遍路道に入り下り続ける。しばらくは人しか通れない道を歩き、その後舗装道路に出て歩き続けてやっと46番浄瑠璃寺に到着した。ゆっくりとお参りしたがすぐそばの今夜の宿「長珍屋」に入ったのが3時過ぎ。今日は早く着いたら明日参拝するお寺が多いので1つか2つ先まで行こうかと話していたがそんな元気は残っていなかった。
 4時から大きな風呂に入りゆっくりとくつろいだ。ビールが疲れを取ってくれたような気がしたが飲み助の言い訳か。


29日目

平成20年5月9日(金) 曇後小雨


 今日は打つお寺が7カ寺。宿の都合で距離も相当ある。覚悟して6時半ごろに宿を出た。打ったお寺は47番八坂寺、48番西林寺、49番浄土寺、50番繁多寺。繁多寺の静かな境内でお接待で頂いたハッサクを食べながら小休止。51番石手寺を打ち、約10km先の52番太山寺へ向かう。このお寺へはいろいろなルートがあるようだが、遍路道が分かれるところでマークではどちらへ行ってもお寺への距離は同じ数字だったの左へ曲がった。
 途中で地図を見て気付いたのだがこのルートは「丙」で一番長いルートだった。約1km長いようだったが歩き遍路にとって1km歩くには15分くらいかかる。損をしたような気がすると言ったら、家内からそんなことを言ったら品が下がるとたしなめられた。3時過ぎにはお寺の山門までたどり着いたが、山門から本堂までが急坂で閉口した。
 52番から53番円明寺へは比較的順調に到着した。円明寺を打ち終えたころ心配していた雨が降り出した。
 3km弱先の宿へは小雨の中歩いたが、幸いなことに合羽を着るほどの雨にはならなかった。宿に着く前に堀江港の道路標識が見えまだ少し先だろうと思っていたら、後から家内があそこに「しこく」の看板が見えると言ったので見たが今夜の宿は「民宿四国」で違うだろうと思った。すぐ近くに車庫にタクシーが数台並んでいるところがあり、運転手さんに地図を見てもらったらあそこで間違いないとのこと。何とか無事に5時過ぎに宿に入ることができた。お風呂の後美味しい料理でビールがまたまた美味しかった。この宿もつつましいがお客のおもてなしを考えている宿だと思った。テレビの予報では明日は雨。明日は歩く距離は短くて雨が今日でなくてよかったと思った。


30日目
平成20年5月10日(土) 雨


 今日は歩く距離が短いので昨夜、朝食の時刻を聞かれた時、そんなに遅くてもいいの、と言われるほど遅い7時に頼んでいた。朝食をすませて女将さんに見送られて7時40分に宿を出た。
 本降りの雨の中途中、鎌大師にもにも立ち寄ったがとにかく寒い。じっとしていると寒くて仕方がないので早々に歩き出した。それに悪いことに風をせえぎるものが何もない海岸沿いを歩いているので震えるような寒さだった。体を暖めるために以前寄ったことのある「海賊うどん」で熱いうどんでも食べようと思っていたが、もう営業をしていないような雰囲気で店は閉まっていた。
 予約していた「月の家旅館」に着いたのが12時20分ごろ。早すぎて若女将に本来ならまだ駄目なのだが、と言われたが部屋に通してくれすぐにお風呂を沸かしてもらえ冷えた体を暖めることができた。以前に泊まった時と同じ部屋だった。疲れていたのか洋室のベッドで夕食までの間少し眠っていた。歩いている時は震えるほどだったのに熱燗の日本酒ではなくビールを飲んで家内にあきれられた。
 宮本さんから電話があった。51番石手寺まで来て宿を取ったらしい。私たちは明日、宮本さんが打ち始めた55番南光坊を打ち終わるので今回は残念ながらお会いすることはできなかった。もう少し私たちが遅かったらとも思ったがまたお会いすることもあろうとあきらめた。


31日目
平成20年5月11日(日) 曇


 5時半頃に朝食を取り、6時には宿を出た。雨は降っていなかったが曇っており寒い。約14km歩いて54番延命寺を打つ。お寺を出てすぐに左に行くべきところをマークを見つけることができず下り過ぎすぐに気付いて引き返した。後で前に歩いたことを思い出して苦笑いした。その後は道に迷うこともなく55番南光坊に到着し、今回は正式に山門から入ってゆっくりとお参りした。
 56番泰山寺、57番栄福寺と打ち終えた。栄福寺から58番仙遊寺へは距離はないが上りがきつい。急坂の車道を登り、途中景色のいいところで写真を数枚撮った。山門からも人しか入れない急坂だが、10分ほどで登れたように思った。ゆっくりとお参りして写真も撮り3時過ぎには予約していた宿坊に入った。この時点で予約客は我々だけとのことだった。
 4時過ぎにはゆっくりと温泉につかった。後で予約が入ったのか夕食の時、男性が一人増えていた。宿坊は禁酒ではないが休肝日にした。
 部屋にテレビがなかったので食堂で「篤姫」を見せてもらった。その時に住職と奥さんにちょっとだけお会いしたが笑顔が実にいい。「和願施」という言葉を思い出した。


32日目
平成20年5月12日(月) 曇後晴


 5時前には目が覚めた。寒い。朝の勤行に参加した。6時少し前に本堂に入る。6時5分前には鐘がなり、6時にはお勤めが始まり6時半ごろに終わった。
 参加者はお寺の人以外は私たちの他二人で素泊まりの人が増えたようだ。住職の法話が始まりそれぞれの住所をたずねてそのあたりから話を起こしておられた。
 四国の遍路道を世界遺産にする運動、仏教界の現状、世情の荒廃に対するなげきと対応、それに現役時代の身分を忘れろ、時計は持つななどいろいろな話をされた。他に色紙を書くように求められた時に書くのは「遊べ」の由、印象に残った。
 法話の後朝食、玄米のおかゆが美味しくておかわりをしてしまった。朝食後8時15分ごろに奥さんと修行中の尼さんのお見送りを受けてお寺をあとにした。本堂の横で作業着に着替えた作業中の住職からもにこやかなお見送りを受けた。やはり笑顔がいい。
 お寺から急坂を下り、山門を出てからしばらくして国分寺への遍路道に入り急坂を下る。その後地図を見ることもなく道標に従って歩き59番国分寺に到着した。
 お寺の前に店を出しているタオル屋さんからいつもながらのタオルのお接待を受けた。お寺を出てしばらくして、越智千鶴子さんが個展を開いている前を通り過ぎた時に呼び止められてお茶のお接待を受けて作品の話を聞いたりした。辞する時にバナナまで頂いた。
 道の駅で昼食を取り、しばらく歩いて今回初めて61番香園寺を経由することなく60番横峰寺を打つために今まで通ったことのない道を地図を確認しながら歩き3時15分ごろ今日の宿「栄家旅館」に到着した。この宿には私たち以外に歩きの人がいて、夕食時いろいろと話をしながら、おかずのサンマをつつきビールを飲んだ。


33日目
平成20年5月13日(火) 曇後時々雨


 6時25分に宿を出た。横峰寺まであと900mの標識があった辺りと思うが、心配していた雨が降り出した。しばらくは合羽を着ずに歩いたが本降りとなり合羽を着て60番横峰寺に到着したのは11時前だった。シャクナゲが満開で雨に煙る情景がよかったがゆっくりと写真を撮る精神的なゆとりがなかった。
 お参りをすませて61番香園寺へ向けて下りだした。この道は通い慣れた道のはずなのに非常に歩きにくかった。しかし、以前歩いた時に歩きにくかったという記憶が残っていない。楽しかった思い出は残るがしんどい思いも時間がたつと忘れてしまってまた四国を歩こうかという気持ちになるのかも知れない。休憩したいのにベンチがあっても濡れており腰を下ろすことができない。やっと屋根のある休憩所があり、コンビニで買ってきたものを食べることができた。
 香園寺までがやたらに遠く感じたが途中で雨は上がってくれた。香園寺のあと62番宝寿寺、63番吉祥寺を打った。4時頃になったので今夜の宿「湯之谷温泉旅館部」に少し遅くなると電話を入れた。64番前神寺に着きお参りをしている時に5時を知らせる音がした。もう誰もいない境内をゆっくりと歩くことができた。このお寺はいつ見ても端正で気品があると思っていたが、誰もいない静かなの雰囲気がまた一段とよかった。
 やっと宿に着き、夕食は7時にしてもらい温泉に入った。この旅館は施設は古いができた当初は立派だったと思った。温泉には泊まり客以外にも開放しているようで銭湯のような雰囲気だった。今日はとにかく疲れたが夕食の時のビールで生き返ったような気がした。
 食後、雷交じりの夕立があったがこの夕立に遭わなかったのは幸いだった。
 どこでだったか失念したが、軒先に甘夏がたくさん出されていてお接待します、と書いていたので遠慮なく頂いたが美味しい甘夏だった。
 夕方、宮本さんから55番南光坊を打ち結願したとの電話を頂いた。おめでとうございます。今回お会いできなかったのは残念だったがまたお会いする機会もあろうかと思う。


34日目

平成20年5月14日(水) 晴時々曇


 7時15分頃に宿を出た。地図の遍路道を頼りにできるだけ11号線を避けて歩いた。今日は歩く距離が短いので気分的にゆったりしている。
 今日は風が割合に強く、背中に汗はかくもののそれほど暑いとは思わず歩きやすかった。旧街道沿いにゆったりした休憩所がありバラ寿し、巻き寿し、野菜などを売っており、ベンチで早めの昼食を取っている時、買い物に来ていた人から飲み物のお接待を受けた。
 途中、番外の延命寺に立ち寄り小休止。ちょうどバスが2台到着したくさんの遍路の人たちが降りてきた。
 3時半ごろに今夜の宿「松屋旅館」に着いた。今日の客は私たちだけとのことだったがもうお風呂の準備もできており、すぐに入ることができ、美味しい夕食を5時過ぎには頂いた。ビールを飲んだのは言うまでもない。


35日目
平成20年5月15日(木) 晴


 昨日、朝食の時刻を聞いてくれた時なるべく早くとお願いしていた。客は私たちだけだったのに早くから用意をしてくれていて、6時前には食べ始めることができた。
 女将さんのお見送りを受けて宿を出たのが6時15分頃。女将さんが途中のコンビニで昼食の準備をしておかないと何もないよ、と教えてもらっていたので11号線沿いのコンビニでパンと牛乳とお茶を買い込んだ。その後遍路道を通り65番三角寺には思ったよりも早く着いた。お参りをして早めの昼食を取った。
 車道を下りだしてしばらくして四国のみちの道標の椿堂に従って下りていったが、どうもこれが間違いだったようで、2kmほど時間にして30分余り遠回りをしたようだが確信はない。
 椿堂で小休止して192号線に出た。境目トンネルまでの約4kmほどがだらだら続く上りでいささか閉口した。トンネルの長さは855m、排気ガスの匂いは大分緩和されているが長いトンネルは余り通りたくはない。トンネルを出てからは今度はだらだらと下り、明日、雲辺寺で上るのだから下りないで欲しいといらぬことを考えたりした。
 今夜の宿「民宿岡田」には3時40分に着いた。思ったよりも早かった。この宿は毎回泊めてもらっておりご主人とは顔なじみで、3年前よりも顔の色艶もよく若返ったような感じがした。息子さんと奥さんが宿を手伝っており、華やかさが加わったせいかもしれない。今夜の客は私たちの他に6人でいろいろな話が出てビールが一際美味しかった。
 夜、Hさんに電話したら明日この宿に予約しているとか。途中で2日開いていたのだが1日違いになった。あるいはまたお会いすることができるかも知れないと期待した。
 今日で「菩薩の道場」愛媛県が終わった。明日から「涅槃の道場」香川県に入る。


36日目
平成20年5月16日(金) 晴


 6時30分ごろ、ご主人(親父さん)と義理の娘さんとのお見送りを受けて宿を出た。いつものように見えなくなるまで見送ってくれた。それにお接待のおにぎり弁当も嬉しい。
 雲辺寺への登り口を間違えた。畑で仕事をしていた人が声をかけてくれたのと同時に気付いて引き返したが4度目でも間違うかと少し情けなかった。声をかけてくれた人はそこを上がっても雲辺寺へは着かないよ、と笑っていた。
 休み休み登り、67番雲辺寺に着いたのが8時半ごろ。やはりきつい。ゆっくりとお参りして67番大興寺へ向かったがこの下りがまた長くて歩きにくかった。今まで膝を痛めないか心配したことはなかったがここではちょっと心配になった。一度小さな石に乗り、それが滑って転倒しかかったが幸いにもどこも痛めなかった。
 大興寺へは意外と時間がかかり11時40分ごろに着きお参りの後、朝、「民宿岡田」でお接待のしてもらったおにぎりを頂いた。
 お寺からは順調に歩けて今夜の宿「若松屋別館」の近所に2時半ごろに着いたが宿に入るには早かったので荷物を背負ったまま今日打つ予定には入れていなかった68番神恵院と隣に並んでいる69番観音寺を打ち終えて3時半ごろに宿に入った。
 通された部屋は前回と同じ部屋だった。この部屋は二間続きで風呂もあり最高の部屋だった。お風呂に入り、美味しい料理で美味しいビールを飲んだ。


37日目
平成20年5月17日(土) 晴


 6時40分頃に女将さんのお見送りを受けて宿を出た。この宿は女将さんがにこやかにもてなしてくれる上に施設もいいししかも安い、お勧めの旅館だと思う。
 財田川の左岸を上流に向かって歩きほどなく70番本山寺に到着した。ゆっくりとお参りをした。このお寺の塔がきれいで絵になる。写真をたくさん撮った。「民宿岡田」で一緒になり、昨夜は私たちの泊まった「若松屋別館」の前の「藤川旅館」に泊まった人が後から到着した。この人は名前をお聞きしていないが丸ボーズにしており、またお会いすることになる。
 その後、11号線や遍路道を歩いて71番弥谷寺のふもとにある天然いやだに温泉に着いた。ここに到着する直前の遍路道の急坂が結構疲れる。このお店に入り、早めだったが讃岐うどんを注文した。薄味で美味しかった。食後は階段を登り本堂でお参りして大師堂にお参りしたがこの大師堂は土足では上がれない。お参りの後、お守りを2個購入した。
 お寺を出てから本来の遍路道を歩き、72番曼荼羅寺へ。「不老松」は枯れてなくなっていた。73番出釈迦寺を打ち、今日のお参りはこれで終わり。捨身ケ嶽禅定に登りたいと家内は思っていたようだがお寺から見える本堂の高さに恐れをなして遙拝するだけで登るのはご遠慮申し上げた。
 今日の宿「門先屋旅館」に入ったのは2時半。しばらくして大きなお風呂に一人でゆっくりと入りくつろいだ。ビールが美味しかった。
 結願の予定を21日として「八十八窪」に予約した。


38日目
平成20年5月18日(日) 曇時々晴


 宿を7時5分ごろに出た。74番甲山寺へはほどなく着いたが、山門が立派にできており以前とは雰囲気が全然変わっていた。
 次は75番善通寺。お寺に入る前の8時過ぎにせんべい屋の前を通ったらお客が列をなしていた。先に大師堂の方に行ってしまい引き返した。その時にせんべい屋のお客はもういなかったので寄ってみた。以前お参りした時は名物のせんべいは売り切れており何も買うことができなかったが今回は買うことができた。後で食べたが列ができるだけのことはある、美味しかった。
 話が横にそれたが、正式に山門から入り直して本堂でお参りして、五重塔や大きな楠などを写真に撮り、改めて大師堂に行きお参りした。
 次に76番金倉寺を打ち終えた。4月14日に16番観音寺を打った時に錦のお札を頂いた人が金倉寺の北でうどん屋をやっていると言っておられたので場所が分かれば寄ってみようと思っていた。10時ごろに打ち終えてそのうどん屋さんを見つけたがまだ時間的に早いのでやっていないだろうと思ったが店の前にはたくさんの車が停まっており営業していることが分かり立ち寄った。釜揚げうどんを注文し、店の女性にお札を頂いたことを話したらしばらくしてその人が出てこられた。しばらく話をしていたがおにぎりといなり寿司が入ったお弁当をお接待だと言って渡して下さった。この店の名は「香の香」。日曜とは言え早い時刻から店が満席に近い状態だったのは評判がいいのだろう。
 次に77番道隆寺を打ち歩いていると丸亀城の少し手前で歩いていた男性から現金500円のお接待を受けた。その人も遍路をしたことがあるそうでその時のことを思い出されたのかも知れない。それから家の前で花の手入れをしている女性が家に入りすぐに出てきて後から歩いていた家内に缶入りの清涼飲料を渡して下さった。
 ほどなく78番郷照寺を打ち終え、今夜の宿「川久米旅館」に着いたのが3時25分。
この宿も客をもてなす、という気持ちがあり美味しい料理とビールを堪能した。


39日目
平成20年5月19日(月) 曇一時雨


 6時半ごろに宿を出た。この宿は実に良かった。出かける時はご主人と女将さんのお見送りを受けた上、お接待で飴を頂いた。細かいところまで気配りができた宿だった。
 7時少し過ぎに79番高照院を打つことができた。綾川の右岸を歩き、11号線沿いに歩いて80番国分寺に到着した。大きなお寺でお参りをすませて遍路転がしと言われている81番白峯寺へ向かう。
 山に入る前に自転車で通りかかった老婦人から飴のお接待を受けた。30分ほどだらだらと登り、本格的な上りの遍路道に入った。しばらく登り休憩している時地元の人が上から下りてきてしばらく立ち話をしてまた登り始め一本松の分岐点まで一気に登る。
 分岐点から車道に入り1km余り行き遍路道に入り12時半ごろ白峯寺に到着しゆっくりとお参りして82番根来寺へ向かう。根来寺へは遍路道を歩いたが、思いもしない出会いがあった。
 今回歩き始めたころ11日同宿となったHさんご夫妻に出合った。この出会いはほとんど偶然で、Hさんが奥さんの願いを入れて分岐点から私たちが歩いた車道を通らずにまっすぐに遍路道を歩き合流点から白峯寺へ向かったためである。更にご夫妻がこのコースを取ったとは言え、私たちがもう何分か前に合流点を通過していればお会いすることはなかった。
 しばらく立ち話をして雨を気にして先を急いだがもう少しゆっくりと話をしたらよかったと後で思った。やはりご縁があったのだと家内と話しながら歩いた。この時に21日に「ながお路」に宿泊する予定だとお聞きした。私たちも一時21日に「ながお路」に宿泊することも考えたが次の日が余りにも距離が少ないと思い21日に結願を決断した経過があり、もし、そのまま「ながお路」に泊まっておればいろいろとお話もできたのにと少し残念に思った。
 そんなことを思いながら歩き82番根来寺には3時頃に着きゆっくりとお参りして今夜の宿「百百家旅館」に着いたのは5時。今日は思ったよりも時間がかかった。この宿でもビールを飲んだ。


40日目
平成20年5月20日(火) 晴


 宿の話では朝は5時からセルフサービスで朝食ができるとのことだった。4時半頃に起き出して夕食を食べたところへ行ってみた。インスタントの味噌汁は初めてで6時でもいいから普通の朝食を食べて歩きたかった。
 宿を出たのが5時25分。標識に従って迷うことなく香東川の河川敷内の歩道を歩くことができ、7時頃には83番一宮寺に到着することができた。以前このお寺を打つ時に迷いに迷ったことを思い出しながら歩いた。絶対に川沿いに行くことをお勧めしたい。
 お寺を出てからは172号線をしばらく歩き御坊川沿いの遍路道に入り御坊川を見失わないように注意しながら歩いて全然迷うこともなく屋島のふもとまでたどり着いた。以前は栗林公園付近から繁華街の中で迷ったことを思い出した。御坊川にはたくさんの大きな真鯉が泳いでいた。それも半端な数ではなかった。誰も捕らないとこんなにも数が増え大きくなるものだと感心した。
 84番屋島寺には意外に早く11時半ごろには到着しゆっくりとお参りができた。讃岐うどんが食べたくなり少し歩いてみたが適当な店がなくて何も食べられなかった。それにケーブルが廃業したそうだ。車で簡単に頂上まで来られるので仕方がないのかも知れないが観光地としての屋島は段々とさびれていくのだろうかと少し寂しくなった。どちら側から下りようかと思ったが今夜の宿の関係もあり東側の遍路道を下りていった。この道は大変な急坂で滑って転ばないかと冷や冷やしながらそろそろと下りざるをえなかった。
 2時過ぎには今夜の宿「高柳旅館」に着いた。余りにも早かったし宿のご主人からも勧められて荷物を預け85番八栗寺を目指した。登り始める直前のケーブル乗り場の横にうどん屋さんがあり、屋島で食べられなかった讃岐うどんを注文した。登り始めてまもなくお茶をお接待すると声をかけて下さったが、帰りに寄らせてもらうと返事して登って行き25分くらいでお寺に到着しゆっくりとお参りすることができた。同じ道を下りてきたらまた、同じ人から声をかけられてお茶とお菓子のお接待を受けた。この人は別に家がありこの家は新築でお接待をするために建てたのだそうだ。柔和なお顔が思い出される。
 宿に入ったのが4時。風呂に入り美味しい料理とビールでくつろげた。明日は少し行程がきついかと思っていたが八栗寺を打ち終えたので少し気が楽になった。


41日目
平成20年5月21日(水) 晴


 6時50分頃女将さんのお見送りを受け、更にご主人が宿の前に出て地図に出ていない道を教えてくれた。宿でもらった地図を片手に歩き迷うこともなく9時ごろには86番志度寺に着きお参りした。休まずに87番長尾寺へ向かう。11時前にお寺に着いたが門前で地元の人からもうすぐ結願ですね、シャッターを押しましょうか、と言って下さったので二人並んで写真を撮ってもらった。
 ゆっくりとお参りした後、お店でできたてのおはぎを食べ、せんべいを買って11時過ぎに最終の88番大窪寺へ向かう。途中おへんろ交流サロンに立ち寄ったのが12時半ごろ。チョコレートとお茶のお接待を受け、歩き遍路の証明書とバッジをもらうことができた。
 1時頃に今回初めて女体山を越えてみようと出発した。交流サロンの女の人に3時間半くらいかかると言われた通りお寺の本堂の前に到着したのは4時35分だった。もうすぐ下りきるという所で斜面で右足を滑らせてものの見事に尻餅を着いたが今回も怪我も捻挫もしなかった。御大師様が守ってくれたのだと思わなければいけないと真面目に思った。
 一旦山門を出てから入り直した。遅かったせいかお参りする人は少なく本堂、大師堂でゆっくりと最後の読経をすませた。今回もまた一滴の涙も出なかった。今回は念願の女体山を越えられたので涙が出るかもしれないと言っていた家内も涙は出なかったらしい。
 残念ながら境内に誰もいなくて二人の結願の写真を撮ってもらうことはできなかった。
 今夜の宿「八十窪」に入ったのは5時過ぎだった。食堂に行ったのが少し遅かったのでもう食事をすませて一人出てこられた。この人を見て驚いた。時々一緒になった丸ボーズの人だった。食堂では外国の女性が二人、それに女体山の山頂でお会いしたご夫婦。このご夫婦は9年かけて区切り打ちをして今回やっと結願したと喜んでおられた。60代で始めてもう70を越えたのよと奥さんが笑っておられた。
 宿では結願を赤飯で祝ってくれた。ビールが1本ですまず、2本目を注文し更にワンカップの日本酒まで飲んでしまった。いつも食後その日のメモを取っているが今日のメモの字は相当に乱れていた。
 明日コミュニティバスが出るのは10時で時間を持て余すだろうと思っていたのだが、助光まで送ってくれるというので乗せてもらうことにした。これで3時間早く帰れる。
 送ってくれるのはここの女将さんの娘さん。この人が手伝っているとのことでにこやかでてきぱきしていて気持ちがいい。宿の雰囲気も生き生きしていた。この人の名は乾久登美さんで娘さん(女将さんのお孫さん)が絵美さん。この絵美さんは北京五輪のソフトボールに出場するらしく食堂に写真が出ていた。家内は応援すると張り切っていた。


42日目
平成20年5月22日(木) 晴れ


 若女将(オリンピック選手のお母さん)にコミュニティバスの停留所まで送ってもらった。例の丸ボーズの人と私たちでご夫婦は残って私たちを見送ってくれた。丸ボーズの人は高速バスで大坂まで帰るとかで志度の高速バス停で降りた。
 10時のバスに乗る予定だったので時間的に随分助かった。JRの志度駅に着いたのが8時前。そんなに待つこともなく8時14分発の高松行きに乗ることができた。高松着が8時50分。8時55分発のマリンライナーに乗り、坂出駅で下車。駅前のSATYに寄り、しょうゆ豆、かまどなどを土産に買った。お気に入りのしょうゆ豆は宅急便で送るほど買い込んだ。
 駅の中のうどん店で10時の開店を待って讃岐うどんを食べたがこれがまた美味しくそれに感じのいい店だった。坂出発10時54分のマリンライナーで岡山まで行き岡山発11時55分発の播州赤穂行きに乗り13時8分に赤穂に着き、久しぶりの我が家に帰ってきた。これで今回の四国遍路の旅の総てが終わった。
 早速心配してくれていた知人や身内にメールや電話で帰宅を報告した。夕食にジャスコで寿司を買い込み二人でささやかな結願のお祝いをした。



あとがき(思いつくままに)

 
宮本さんに結願のメールを送ったらお祝いの返事を頂いた。宮本さんは結願後、一部は車に乗せてもらったらしいが「しまなみ海道」を歩いて尾道まで行き帰宅したらしい。四国だけでは歩き足らなかったのだろうか。

 Hさんご夫妻は22日の11時に結願しその後高速バスで難波に出て、難波で一泊し23日朝から南海電車で九度山駅に行き、そこから町石道を通り高野山金剛寺まで山歩きをして24日の午前10時にご自宅に無事に到着したとのメールを頂いた。このご夫妻きっとまた四国へ出かけるだろうと思う。
 30日にHさんの奥さんから達筆のお手紙を頂いた。また、6月3日にはHさんから再度、メールを頂いた。このご夫妻とは今後、お付き合いが始まるかも知れない。

 今回の遍路で宿は全体的にいい宿が多かったが、もう絶対に利用したくないと思った宿が一軒、できたら泊まりたくないと思った宿が一軒だけあった。

 今度歩いてへんろみち保存協会の遍路マークが増えたと感じた。それに協会以外のマークも増えてあまり地図を見なくても迷わなくなったと思った。しかし、まだ町中は不十分ではないかとも思った。それにトイレ、コンビニ、休憩所が増えて女性にとってもありがたい設備が整ったと家内も喜んでいた。

 5月31日付けの朝日新聞のはりま版に「金メダル獲得の決意 加古川市長に述べる 北京五輪出場の乾選手」との記事が写真入りで載った。その記事の抜粋

 「乾選手は小学4年で加古川市内の少年団ソフトボールに入部し、中学、高校、大学と続け、03年にルネサス高崎に入った。04年のアテネ五輪に控え選手として参加したが、試合に出る機会はなかった。今回は正捕手で、守りのかなめとして期待されている。乾選手は父親の剛さん、母親の久富美さんとともに市役所を訪れ、玄関で職員から「がんばれ」という声援を受けた。乾選手は「この4年間で自分のやるべきことが見えてきた。五輪でマスクをかぶるのが楽しみです」と抱負を述べた。」

 歩いている時に小中高校生とよく出会った。高校生になるとさずがにあまりなかったが中学生で半分くらい、小学生ではほとんどが挨拶をしてくれた。それがまた妙に嬉しかった。子供のころから遍路に対していろいろと教えられているのかもしれない。四国以外で登下校時に知らない人に挨拶をする所があるだろうか。
 それにお接待の心がわざとらしくなくごく自然に残っている。このことにも頭が下がる。私は知らない人にお接待をすることができるのだろうか自問したら、できない、と答えるしかない。

 香川県に入ったころから何故もっとゆっくりと歩かなかったのか、急いで帰らなければならない事情もないのに、と後悔した。残りが少なくなると何だか寂しくなる。
 家内が足の痛みをほとんど訴えることがなかったこともあり、今回の旅が今までで一番楽しく、心にゆとりのある遍路ではなかったと思う。
 今後、また四国を訪れることがあれば50日くらいかけて歩けばもっと楽しい発見や素晴らしい出会いがあるような気がする。そして、次は古希の年くらいにお四国病が再発するのではないかと懸念しているのだがどうなるでしょうか。

 最後になりましたが、遍路の期間中にいろいろご親切を頂きました方々に改めてお礼を申し上げます。

 今までこの拙文をお読み頂きまして誠にありがとうございました。今後、四国のお遍路にお出かけの方に何らかの参考になれば望外の喜びと思っております。ありがとうございました。