第3回四国遍路行程表

札所 寺名 県名 日程 年月日 単距離 総距離 宿泊所 歩行距離
1 霊山寺 徳島県 0.0 0.0
2 極楽寺 徳島県 1.4 1.4
3 金泉寺 徳島県 2.6 4.0
4 大日寺 徳島県 5.0 9.0
5 地蔵寺 徳島県 2.0 11.0
徳島県 1日目 3/13 3.3 14.3 民宿寿食堂 14.3
6 安楽寺 徳島県 2.0 16.3
7 十楽寺 徳島県 1.2 17.5
8 熊谷寺 徳島県 4.2 21.7
9 法輪寺 徳島県 2.4 24.1
10 切幡寺 徳島県 3.8 27.9
11 藤井寺 徳島県 2日目 3/14 9.3 37.2 ふじや旅館 22.9
12 焼山寺 徳島県 3日目 3/15 12.9 50.1 焼山寺宿坊 12.9
13 大日寺 徳島県 20.8 70.9
14 常楽寺 徳島県 2.3 73.2
15 国分寺 徳島県 4日目 3/16 0.8 74.0 かどや旅館 23.9
16 観音寺 徳島県 1.8 75.8
17 井戸寺 徳島県 1.8 77.6
18 恩山寺 徳島県 16.8 94.4
徳島県 5日目 3/17 0.5 94.9 民宿ちば 20.9
19 立江寺 徳島県 3.5 98.4
20 鶴林寺 徳島県 13.1 111.5
21 太龍寺 徳島県 6.7 118.2
徳島県 6日目 3/18 3.8 122.0 龍山荘 27.1
22 平等寺 徳島県 7.7 129.7
23 薬王寺 徳島県 7日目 3/19 22.4 152.1 薬王寺薬師会館 30.1
徳島県 8日目 3/20 27.2 179.3 生本旅館 27.2
高知県 9日目 3/21 33.0 212.3 ロッジおざき 33.0
24 最御崎寺 高知県 15.2 227.5
25 津照寺 高知県 6.5 234.0
高知県 10日目 3/22 2.6 236.6 民宿うらしま 24.3
26 金剛頂寺 高知県 1.2 237.8
高知県 11日目 3/23 24.5 262.3 浜吉屋 25.7
27 神峰寺 高知県 3.9 266.2
高知県 12日目 3/24 27.3 293.5 住吉荘 31.2
28 大日寺 高知県 10.6 304.1
29 国分寺 高知県 7.5 311.6
30 善楽寺 高知県 6.9 318.5
高知県 13日目 3/25 3.5 322.0 BH空港本館 28.5
31 竹林寺 高知県 4.0 326.0
32 禅師峰寺 高知県 5.7 331.7
33 雪蹊寺 高知県 7.5 339.2
34 種間寺 高知県 6.3 345.5
高知県 14日目 3/26 6.5 352.0 喜久屋旅館 30.0
35 清滝寺 高知県 3.3 355.3   
36 青龍寺 高知県 13.9 369.2
高知県 15日目 3/27 8.0 377.2 旭旅館 25.2
高知県 16日目 3/28 28.0 405.2 福屋旅館 28.0
37 岩本寺 高知県 22.5 427.7
高知県 17日目 3/29 10.3 438.0 佐賀温泉 32.8
高知県 18日目 3/30 25.8 463.8 わかば 25.8
高知県 19日目 3/31 31.2 495.0 民宿旅路 31.2
38 金剛福寺 高知県 15.8 510.8
高知県 20日目 4/1 22.6 533.4 久百々 38.4
高知県 21日目 4/2 30.8 564.2 鶴の家旅館 30.8
39 延光寺 高知県 2.4 566.6
40 観自在寺 愛媛県 25.8 592.4
愛媛県 22日目 4/3 0.2 592.6 山代屋旅館 28.4
愛媛県 23日目 4/4 24.7 617.3 大畑旅館 24.7
41 龍光寺 愛媛県 25.5 642.8
42 仏木寺 愛媛県 2.6 645.4
愛媛県 24日目 4/5 0.6 646.0 民宿とうべや 28.7
43 明石寺 愛媛県 10.0 656.0
愛媛県 25日目 4/6 20.2 676.2 ときわ旅館 30.2
愛媛県 26日目 4/7 25.9 702.1 高橋旅館 25.9
45 岩屋寺 愛媛県 24.7 726.8
愛媛県 27日目 4/8 2.8 729.6 古岩屋荘 27.5
44 大宝寺 愛媛県 5.6 735.2
46 浄瑠璃寺 愛媛県 15.8 751.0
愛媛県 28日目 4/9 0.1 751.1 長珍屋 21.5
47 八坂寺 愛媛県 1.0 752.1
48 西林寺 愛媛県 4.4 756.5
49 浄土寺 愛媛県 3.1 759.6
50 繁多寺 愛媛県 1.7 761.3
51 石手寺 愛媛県 2.8 764.1
52 太山寺 愛媛県 10.7 774.8
愛媛県 29日目 4/10 2.5 777.3 民宿上松 26.2
53 円明寺 愛媛県 0.1 777.4
愛媛県 30日目 4/11 20.5 797.9 月の家旅館 20.6
54 延命寺 愛媛県 13.9 811.8
55 南光坊 愛媛県 3.4 815.2
56 泰山寺 愛媛県 3.0 818.2
57 栄福寺 愛媛県 3.1 821.3
58 仙遊寺 愛媛県 31日目 4/12 2.4 823.7 仙遊寺宿坊 25.8
59 国分寺 愛媛県 6.1 829.8
61 香園寺 愛媛県 32日目 4/13 18.0 847.8 香園坊宿坊 24.1
62 宝寿寺 愛媛県 1.3 849.1
63 吉祥寺 愛媛県 1.4 850.5
60 横峰寺 愛媛県 11.6 862.1
愛媛県 33日目 4/14 7.1 869.2 温泉旅館京屋支店 21.4
64 前神寺 愛媛県 7.1 876.3
愛媛県 34日目 4/15 16.8 893.1 BH MISORA 23.9
愛媛県 35日目 4/16 22.4 915.5 B旅館 ろんどん荘 22.4
65 三角寺 愛媛県 6.2 921.7
徳島県 36日目 4/17 13.1 934.8 民宿岡田 19.3
66 雲辺寺 徳島県 5.0 939.8
67 大興寺 香川県 9.4 949.2
68 神恵院 香川県 8.7 957.9
69 観音寺 香川県 0.0 957.9
香川県 37日目 4/18 0.9 958.8 若松屋別館 24.0
70 本山寺 香川県 4.9 963.7
71 弥谷寺 香川県 11.3 975.0
73 出釈迦寺 香川県 3.7 978.7
72 曼荼羅寺 香川県 0.6 979.3
74 甲山寺 香川県 2.2 981.5
75 善通寺 香川県 1.6 983.1
香川県 38日目 4/19 0.1 983.2 魚勘旅館 24.4
76 金倉寺 香川県 3.7 986.9
77 道隆寺 香川県 3.9 990.8
78 郷照寺 香川県 7.2 998.0
79 高照院 香川県 5.9 1,003.9
80 国分寺 香川県 6.6 1,010.5
香川県 39日目 4/20 0.8 1,011.3 民宿あずさ 28.1
81 白峯寺 香川県 6.6 1,017.9
82 根香寺 香川県 5.0 1,022.9
83 一宮寺 香川県 11.9 1,034.8
香川県 40日目 4/21 0.5 1,035.3 天然温泉きらら 24.0
84 屋島寺 香川県 13.6 1,048.9
85 八栗寺 香川県 5.4 1,054.3
86 志度寺 香川県 6.5 1,060.8
香川県 41日目 4/22 0.5 1,061.3 栄荘 26.0
87 長尾寺 香川県 7.5 1,068.8
88 大窪寺 香川県 15.1 1,083.9
香川県 42日目 4/23 0.2 1,084.1 八十窪 22.8
1 霊山寺 徳島県 43日目 4/24


まえがき


 2回目の遍路から帰ってきてしばらくしてから、いつかまた四国へ出かけるだろうと言う予感はあった。それは前回、私が体調を崩して徳島を打ち終わった後、高知県を巡拝する間列車とかバスを利用し、完全な歩き遍路ではなかった、ということだけではなく、また、四国のあの何ともいえない雰囲気に包まれたい、という気持ちからだったような気がする。
 2人の意志が固まったのは一昨年。去年、2人で写経を始めて1年がかりで90枚の写経を終えた。これは88カ所と1番霊山寺と高野山の分。今回はできたら1番霊山寺に歩いて帰ってみたいという気で出かけた。しかし、高野山は紅葉のきれいな秋に行こうと決めていた。

 前回同様、何故行くのか、歩くのか、と聞かれたら的確に答えることはできない。とにかく四国の空気を吸いたい、四国を歩きたいという感じで出かけることにした。
 今回の遍路では車の御接待はありがたくお受けするということと88番大窪寺を打ち終わるまでは酒を飲まないことを家内に約束して出かけた。

遍路紀行


1日目
平成17年3月13日(日) 曇り時々雪

 5時59分の列車で赤穂を発った。今回の遍路には同行者がいる。この方を紹介しておかなければならない。もともと赤穂の住人で最近、知り合いになった。私が遍路の話やら今年、遍路に行こうと思っている、という話をしたら、この方も遍路に行ってみたいという気持ちを持っておられたようで、最初だから是非一緒に行って欲しいと言われた。最初は同行するが、体力、脚力が違うので別々に歩く、でないとお互いに気を使うことになるので、できるだけ早く別行動をするということを、一緒に行く条件としてもらった。
 坂出駅で途中下車し、玉石さんには待ってもらってタクシーで実家の墓参りをすませた。そして再度、9時26分発の列車に乗り高松へ出た。高松駅で駅弁とお茶を仕入れて10時3分発の高徳線に乗り1番札所の最寄りの板東駅に11時30分に到着した。

 いよいよ歩きが始まった。1番霊山寺の遍路用品販売所で玉石さんが遍路用品を購入するのを待っている間に遍路ノートに記帳し、前回はどこのお寺でも納経所には寄らなかったが今回は納経帳の朱印をもらった。納経帳には墨で書き込むことはなく、単に朱印を押すだけなのに300円請求された。200円と違うの、と聞いたら、値切られたのは初めてだ、と笑われた。全寺共通だから、致し方ないのだろうが、どうも納得いかない。
 本堂、太子堂とお参りを済ませて2番極楽寺へ向かったが出てすぐに「四国の道」の案内に従って歩いた。少し行って、どうも道を間違えたように思い地図を確認したらやはり間違っており、地図を頼りに正規の道に戻った。
 玉石さんはこの案内人はあてにならないと思ったことだろう。そんなトラブルもあったが2番極楽寺を打ち、3番金泉寺、4番大日寺と順調に歩くことができた。大日寺を参拝している時一時だったが吹雪のように雪が降ってきたのには驚いた。それから5番地蔵寺も参拝することができ、今日の宿「民宿寿食堂」に入った。
夕飯後この宿のご主人から遍路についていろいろと、話を聞くことができた。ご主人に玉石さんには「お互いのためだからなるべく早く別々に歩こう」と言っていると話したら、せめて焼山寺までは一緒に行ってあげたら、と言われて仕舞った。
もともと焼山寺までは3人一緒に宿を予約しており、歩くのは別々でも夜は一緒になると話をした。いろいろと話をお聞きしている間に前々回、納経所で不愉快な思いを度々したというようなことを話したら、四国へはお大師さんに会いに来たのだから、そんなことで腹を立ててはいけない、と諭された。
話の中で数珠の話になり、数珠を1つ注文し、結願後立ち寄ることを約束した。また、お寺では、ロウソクと線香を立てるほうがいいですよ、と教えてもらった。ここのご主人は団体遍路さんの案内もしているようだ。かくしてなんとか予定通り1日目は終わった。予約時に3人相部屋ということで玉石さんと3人同部屋で休ませてもらった。 
  『注』  写真の並べ方
1番から2番の間が1番札所に関する写真、2番から3番の間が2番札所に関する写真、以下同様に御覧下さい。
1番 霊山寺
  
  
2番 極楽寺
  
3番 金泉寺
  
4番 大日寺
  
5番 地蔵寺
  

2日目
平成17年3月14日(月) 晴時々曇り(時に雪)

 宿で朝食をすませ宿代を支払った時、マッチと5円の御接待を受けた。マッチは札所でローソクと線香をあげる時のためと理解した。
宿を出発したのは7時。朝起きたときちょうど朝日が昇ってくるところで無風快晴と思ったが、歩いている途中、小雪がちらつくこともあり、風も強くて寒かった。
道は平地でお寺とお寺の間も比較的に短距離なので6番安楽寺、7番十楽寺、8番熊谷寺、9番法輪寺と順調に打ち進むことができた。
法輪寺では最初の遍路の時境内で草餅の御接待を受けたことを覚えているが、2回目はその接待所はなくそこにいたご婦人は病気だ、と聞いた記憶がある。今はどうしているのだろうか。
10番切幡寺へ向かう途中、家内が足の痛みを訴えた。前回も前々回も足を痛めたが、今回も痛めてしまった。道端に座り込み足の手入れをしている家内を見ていると今後のことが心配になる。

再度歩き出してしばらくして前方で車が停まり、運転席から男の方が手を伸ばして甘栗の御接待をしてくれた。別々に歩いていた玉石さんも同じ人から御接待を受けたと感動していた。
切幡寺へは最初の難関が待っている。長い上り坂が続く。何とか、無事に打ち終えたが今度は四国三郎と言われる吉野川を渡る11幡藤井寺への長い道が待っている。この吉野川はとてつもなく川幅が広い、広大な畑が続き川を渡っているという実感がなかなか持てない。
確か女性の遍路紀行だったが、実際に水が流れている橋を渡ったときに四国三郎と言われている吉野川もこんなに小さな川か、と思ったらしいが、後で間違いに気付きびっくりしたとか書いていたのを記憶している。
それでも何とか11番藤井寺にたどり着きお参りを済ませて予約していた「ふじや旅館」に入った。
この旅館の風呂は部屋のある棟とは別棟にあり、少しの距離だが歩かなければならない。寒い日とか雨の日などは不自由だろうと思ったのは私だけだろうか。
 予約の時にはここも玉石さんと相部屋でということだったが客が少なかったのか別の部屋を提供してくれた。
6番 安楽寺
  
  
7番 十楽寺
  
8番 熊谷寺
  
  
  
9番 法輪寺
  
10番 切幡寺
  
  
11番 藤井寺
  


3日目
平成17年3月15日(火) 曇

 「ふじや旅館」を7時に出た。歳を取ったとしみじみ思う。以前もそうだったが登りでの息切れが更にひどくなったような気がする。藤井寺と焼山寺のちょうど中間辺りにある「柳水庵」まで来てやっと半分登った、と思った。背中には汗をかいているのに手は冷たい。
「柳水庵」には前回泊めて頂きお世話になったのに今はもうやっていないようで閉まっていた。懐かしい五右衛門風呂が取り出され風雨に晒されている。宿の主は今、どうしているのだろうか、と少し寂しくなった。
 遍路道にはほとんど雪はなかったが、山肌には雪の残っているところもあり、久しぶりに氷柱を見た。
途中、一本杉庵でおにぎりを食べながら30分ほど休憩した。
 足を痛めている家内だが登りにはめっぽう強くて、当たる所が違うのか足の調子もいいようで大体、私よりも先行していた。
12番焼山寺に着いたのが1時半頃。後で聞いたのだが玉石さんは途中休憩もせず、食事もとらないで12時前には着いていたようだ。
 今夜の宿はここ「焼山寺宿坊」、お参りを済ませて部屋で落ち着きやっと休憩することができた。



  
12番 焼山寺
  
  


4日目
平成17年3月16日(水) 晴

 6時ごろ目が覚めて障子を開けてみると、雲一つない快晴だった。
朝食をすませて7時頃に宿坊を出る時山の上に輝く太陽がきれいで今日の天気を保証してくれているような輝きだった。すぐに遍路道に入りほどなく杖杉庵に着いた。ここで写真を撮ったりして小休止した。
  
 満開の梅を眺めながら歩いたが民家が並んでいるところを歩いている時、ミカンと現金の御接待を受けた。鮎喰川沿いを歩いたがこれがずいぶんと長く感じたが、なんとか今夜の宿「かどや旅館」に着いた。女将から「明日は雨のようだから今日の内に15番まで行ってきたら」と、勧められた。玉石さんとも相談して、家内と3人で14番常楽寺と15番国分寺にお参りすることにした。14番、15番と打ち終えてタクシーを呼び宿まで帰ってきた。

13番 大日寺
  
   

14番 常楽寺
  
   

15番 国分寺
  

5日目
平成17年3月17日(木) 曇り時々小雨

 7時に宿まで来てくれるように予約していたタクシーに玉石さんと3人で乗り、国分寺の門前まで行き門前から歩き出した。
今夜は友達と徳島市内で会うと言う玉石さんには先に行ってもらった。友達のことがなくても足の速い玉石さんと一緒に歩くことはもうないような気がする。
16番観音寺でお参りして17番井戸寺へ向かう。このお寺はいつ見てもきれいで好きな札所の1つだ。お参りをすませて18番恩山寺に向かった。

 朝から雨を覚悟していたが、曇っているものの雨は降っていない。
前回、前々回は鮎喰川の中鮎喰橋を渡って徳島市街地に入ったが、今回は地蔵堂の前を通って遍路道に入った。獅子脅しの音を聞き、小さな水車が回っているのを見ながら歩いた。渓流のきれいな水に思わず手ですくって飲もうかと思ったが、飲まなくてよかった。
上流に多量の廃棄物が放置されている。このような不法投棄をする人はどんな気持ちで捨てているのだろうか。ここだけでなく谷間に捨てられたゴミを見ることは度々ある。道徳心などはゴミと一緒に捨ててしまったのだろうか。
 車の排気に閉口しながら136号線と55号線を歩いた。パラパラ程度の雨は降ったが合羽は必要なかった。お寺の手前の200メートルほどの所に古い山門があるが、そこから遍路道がある。車道を行くよりこの遍路道を歩いた方が大分早くお寺に到着できる。
 18番恩山寺には3時少し過ぎた頃に到着した。ゆっくりとお参りを済ませて恩山寺の麓の今夜の宿「民宿ちば」に入った。

16番 観音寺
  

17番 井戸寺
  
  
  

18番 恩山寺
  
  

6日目
平成17年3月18日(金) 曇り時々雨

 今日の行程は今までで一番長く、しかも遍路転がしと言われているところが2カ所あるので6時には宿を出ようと、昨夜、朝食のおむすびを用意してもらい、宿泊代の支払いも済ませておいた。予定通り6時に宿を出て19番立江寺には7時前に着いた。

 20番鶴林寺への途中雨が降り出した。昨日の予報は降水確率70%だったのに合羽を着ることはなかった。今日は晴で、降水確率が10%の予報だったにもかかわらず、この強い雨は何だ、と思ったりした。その雨も30分ほどで上がり、ありがたいことに山中の登り坂では雨は止んでいた。

 12時半頃鶴林寺を後にして21番太龍寺へ向かい、3時半頃には到着した。着いた時にはまた雨が降り出して合羽を着てのお参りになってしまった。お参りの後、少しの間雨も上がり写真を撮ることもできたが、今夜の宿「龍山荘」へ向かう山中で、また雨に降られてしまった。宿に着いたのが5時少し過ぎており、雨のせいもあり薄暗く、今朝の6時出発は正解だった。今日、女の方から手作りのティッシュケースのお接待を受けた。そこから少し行ったところで今度は年配の男の方から自家製のミカンのお接待を受けた。先行した玉石さんも今夜は同宿となった。


19番 立江寺
  
   
  
20番 鶴林寺
  
  
   

21番 太龍寺
  
  
   
  
7日目
平成17年3月19日(土) 晴

 宿を出たのが6時半過ぎ。今日は少し距離があり少し早く宿を出た。22番平等寺までは割合スムースにいったが、23番薬王寺までは難儀した。昨日あたりから足の痛みを訴えていた家内の足のマメが更に悪化したようだ。
55号線のルートを取った方が25号線のルートより約3キロほど少ないのに足を痛めている家内が以前に通ったことのある55号線は止め、25号線にしようと言い出した。
車が少なく海岸沿いで景色がよかったのはいいが、足を更に傷めたようで前回余り痛いとは口に出さなかったのに、今日は顔色も悪く痛がった。やっとの思いで薬王寺にたどり着き、お参りを済ませたのが4時45分。家内は足を引きずるようにしてお寺のすぐ横にある「薬王寺薬師会館」に入った。このお寺の参道や本堂の前にも桜の木があるがつぼみは堅く開花はまだ先になりそうだった。今日、ヤクルトのお接待を受けた。
 今日で、「発心の道場」徳島県をなんとか打ち終えることができた。
22番 平等寺

  
  

23番 薬王寺

  

8日目
平成17年3月20日(日) 曇り後一時小雨後晴

 今日一日歩いても、次のお寺(24番最御崎寺)には行き着かない。「薬王寺薬師会館」を7時頃に出発した。平坦な道路を苦手とする家内を気遣って歩いたが、今日は以外に元気に歩いている。前回、日和佐トンネルを出た所で低血糖のため歩行困難となり道路脇で寝転がっているところを親切な助産婦さんに助けられて一日入院した県立海部病院を見ながらその時のことを思い出していた。あれから3年、助産婦さんと診察をして下さった女医さんとはその後、年賀状で近況をお知らせしている。牟岐駅の前で昼食のパンなどを仕入れた。この駅から少し行ったところに牟岐署がありそこでテントを張って地元の方々がお接待をしていた。お茶、お菓子、ミカンなどのお接待を受けて、また、歩き出した。途中、合羽を着るほどでもないが雨が降り出した。濡れたら困るのでカメラと携帯電話をナイロンの袋に入れて防水したがほどなく上がった。歩いている時前方に軽自動車が停まり、出てきた人から文旦のお接待を受けた。その人も遍路の装束をしていた。
 20キロを過ぎたあたりから少し足が痛いとこぼしていた家内も何とか無事に今夜の宿「生本旅館」に3時半頃には到着することができた。部屋でホッとしている時「はるる亭」に予約していた玉石さんから今、着いたとの電話があった。
 夕食の時その品数に驚いた。13品もあったが、全部美味しくいただいてしまった。遍路が終わって太っていたらみっともないと思ったりした。


9日目
平成17年3月21日(月) 晴

 今日の行程は長いので、旅館の女将に無理を言って、おむすびを用意してもらった。5時半頃に出発の用意をして玄関口まで出たが、玄関のシャッターの開け方が分からない。仕方なくまた、部屋に引き返しておむすびを食べて6時過ぎに玄関口まで行ったら、女将が起きており、シャッターを開けてもらって出発した。
 今日はほとんどが左手に海を見ながらの行程で、行けども行けども単調な道が続き、時にうんざりした。途中、ミカンのお接待を受けた。
 佐喜浜川を渡ったところにあったスーパーフェニックスでアイスクリームを買い、そばのベンチで休憩しながら食べたが火照った体に冷たいアイスクリームはことのほか美味しかった。
佐喜浜港を後にして、1キロほどの間防波堤の上を歩き4時少し前に今夜の宿「ロッジおざき」に到着した。33キロの行程はやはりしんどかった。
 この長行程にもかかわらず、家内はあまり足の痛みを訴えなかったのは、言っても詮無いこと、と思ったからだろうか。


10日目
平成17年3月22日(火)

 朝食の時体調を崩して朝食は食べられそうもない、と言っている女性(この女性とは後に時々お会いすることになる。本人の了解を得ていないので仮にTさんとしておきます)がいた。
私たちは朝食を済ませて7時半頃に宿を出た。今日の行程はそれ程、長くはないが、天気予報通り出る時にはもう雨が降っており、合羽を着ての出発となった。宿を出て間もなく小降りになり、30分ほど合羽が不要になったが、その後、また降り出し、割合に強い風雨となり難儀した。
 24番最御崎寺には急坂の遍路道を歩きやっと着いたという感じだった。3日ぶりにお寺でのお参りとなった。このお寺で先行していると思っていた玉石さんに会った。

 その後、25番津照寺を打ったが、ここでは写真が撮れないほどの降りになっていた。津照寺を出て、しばらく行った時向こうから来る女性にあった。今朝、宿の朝食の時、体調を崩していた女性(Tさん)で、バスでここまで来て病院で点滴を打ってもらい、今から津照寺へ行く、と言っていた。
雨の中をひたすら歩き、今夜の宿「民宿うらしま」に到着した。雨の中、やっと着いたのに、とは言いたくないが、この宿の対応には驚いてしまった。玄関口で部屋番号と風呂の場所を教えてもらっただけで勝手に行けと言うことらしい。部屋に入ったらテーブルもなければ、お茶の用意もしていない。浴衣が一つしかなかったのでとうとう頭に来て、浴衣、テーブル、お茶を頼んだらやっと用意してくれた。しかし、食事はなかなか良いものを出してくれて、初めの怒りは少し収まっていた。我ながらいい加減なものだ、と思った。
24番 最御崎寺
  

25番 津照寺
 
  
11日目
平成17年3月23日(水) 雨

 昨晩、朝食を断り、早立ちの話をして支払いも済ませておいた。6時頃に宿を出て26番金剛頂寺に着いたのが6時半過ぎ。本堂、太子堂もまだ開いていなかったがお参りを済ませた頃には納経所も開いており、納経を済ませた。山を下りる遍路道を歩いている時、雨が降り出した。天気予報では午前中は曇り、午後雨とか言っていたように思うがこの雨宿に着くまで止むことはなかった。今夜の宿「民宿 浜吉屋」に電話した時、3時までに着けば27番神峰寺を打てるよ、と女将に言われていた。宿に着いたのがちょうど3時だったが、雨の中、だらだらと登り坂が続く神峰寺へ向かう気は宿に着くまでにとうになくなっていた。
 昨夜、金剛頂寺の宿坊に泊まった玉石さんの今夜の宿は同じこの浜吉屋だと聞いていたが女将から玉石さんは1時半頃に着き、神峰寺に向かったと聞いた。
 夕食の時、玉石さんに、雨の中歩く気になったなあ、と言ったら宿に着くなりビールを飲みその勢いで歩いた、と笑っていた。
 驚いたことに、体調を崩していた女性(Tさん)が夕食の時同席だった。すっかり元気そうになっており安心した。

26番 金剛頂寺
   


12日目
平成17年3月24日(木) 晴後一時雨 (雨が上がった後暴風)

 6時20分頃、朝食を済ませて荷物は置かせてもらって「浜吉屋」を出た。長い急坂を登り、7時半過ぎには27番神峰寺に着き、お参りを済ませて同じ道を下山。再び「浜吉屋」に戻り、荷物を背負い再出発した。
 ほとんど、海を見ながらひたすら西へ向かって歩き通す。1時頃今まで晴れていたのに急に雨が降り出した。3日連続で合羽を着るとは思っていなかったが、この雨は30分ほどで上がった。
しかし、雨が上がった後、風が強くなり、4時40分ごろ今夜の宿「住吉荘」に着く前の2時間ほどは前に進むのが困難なほど吹きつのった。NHKの7時のニュースで室戸岬では風速36.1メートルだった、と報じていた。それに雨の後は急激に寒くなり、歩いても歩いても汗をかくことはなかった。宿につく前に宿への道が分からなくなり、地図で確かめていると地元の人が「住吉荘」ならその道だよ、と教えてくれた。声を掛けてくれたことを嬉しく思い感謝した。

今夜の宿はお風呂もきれいで女将が今日は風が強くていい魚が手に入らなかったと、恐縮していたがそんなことはなく料理も抜群だった。道中は雨、風、寒さで閉口したが、それを忘れさせてくれるほどの素晴らしいもてなしをして頂いた。
それに、女将から明日の朝食を何時にするか、聞かれた。お客さんに合わせると言う。少し早いかと思いながら6時にお願いしたが早朝にも関わらず気持ちよく応じてくれた。

27番 神峰寺
  
  

13日目
平成17年3月25日(金) 晴

 朝食のデザートにスイカが付いていて驚いた。今年の初物でさすがに高知県だと思った。昨晩の献立といい、今朝の朝食といいこの上ない料理だった。そして宿代も他に比べて安かった。
この辺りでお泊まりの予定の方にはお薦めの宿だと思う。28番大日寺を打ち、29番国分寺へ向かったが、ある地図では大日寺と国分寺の間は7.5キロとなっているが、10キロ近くあるのではないかと思った。以前もそうだったと思うが30番善楽寺へは遍路道を行ったら裏参道に入ってしまい、山門から入ることができなかった。過去2回の遍路で泊めてもらった「サンピア高知」は満室で予約が取れず、やむなく少し離れた「BH空港本館」に宿泊した。宿の近くのコンビニで夕食の弁当などを買い込み入ったが、たまにはこんな簡素な食事もいいなあ、と思った。歩き始めてからずっとスイセンの花の種類は幾つあるのだろうかと思うほど多いのに驚いた。前回の遍路の時には確かきれいに咲いていた国分寺の紫色のモクレンはまだつぼみが固いようだった。今日も一日寒く、歩いている間手が温もることはなかった。

28番 大日寺
  
  
29番 国分寺
  
  
30番 善楽寺
  


14日目
平成17年3月26日(土) 晴

 「BH空港本館」を出たのが7時頃。31番竹林寺への遍路道の急坂を登ると、ほどなくお寺に到着した。塔が美しい。前回は確か雨で写真を撮る余裕もなかったような記憶があるが今回は美しい青空の下写真を撮ることができた。
 32番禅師峰寺への急坂をまた登る。この時上からTさんが降りてきた。33番雪蹊寺へ向かう途中にある渡し船の11時10分発に乗る、と言って少し急いでいた。私たちは禅師峰寺をお参りして12寺10分発の船に乗った。しばらく歩いて雪蹊寺に着いたが本堂が大層立派になっていたのに驚いた。境内の一本の桜の木がきれいな花を咲かせていた。納経所の人の話では、昭和40年代に種を植えたのが育ったとか。
34番種間寺も境内がきれいに整備されていた。
 仁淀川に沿って歩き出したころから、またしても強風。仁淀川の長い橋では手を添えていないと菅笠が飛ばされそうになった。橋を渡り今夜の宿「喜久屋旅館」へ行くのに道を間違えてはいけないと地図を片手に注意していたのに地図に載っていない新しくできた道に惑わされて間違ってしまった。旅館に電話してもよく分からなくて結局女将に迎えに来てもらった。電話をしている時、すぐ前の家の夫人がその旅館ならと、道を教えてくれたが女将と待ち合わせる場所を約束した後だったのでその方の親切を無駄にしてしまい申し訳なく思った。

31番 竹林寺
  
  
32番 禅師峰寺
  
  

33番 雪蹊寺 
 
34番 種間寺
  

15日目
平成17年3月27日(日) 晴後曇り後雨

 「喜久屋旅館」の女将手製の地図を持って7時半ごろ35番清滝寺へ向かった。山を登り遍路道に入るところでTさんに出会った。この女性とは以前にも記載したが今までに何度も会っており、家内も親しく口をきく間柄になっていた。写真を撮って欲しいと言うことでその場で写真を撮った。後ほど送ると言うことで納め札を交換し住所、氏名をお互いに知ることになった。インターネットやメールもやっていると聞き、写真はまず、メールで送り、後でプリントして送ることを約束した。岡山県の方で山登りが趣味だとか、近くだからこれをご縁にまた、お会いしたいと言うことでお別れした。

 清滝寺を打ち終えて下山している時、文旦を売っているところがあった。文旦のお接待を受けながら、美味しかったので娘の所に一箱送った。
 「喜久屋旅館」に着き、また、荷物を背負って36番青龍寺へ向かった。途中車が停まっており二人のご婦人が乗っていたが現金のお接待を受けた。
宇佐大橋の手前のコンビニで昼食用にパンなどを購入して橋を渡り浜辺に降りた。日曜日だからか家族連れがたくさんおり、釣りをしたり、貝を掘ったり、バーベキューを楽しんでいた。中にはウニを採っている人もいた。昼食を済ませて青龍寺に到着したが、ここでまたTさんに会ってしまった。彼女は親戚の人の車が来るのを待っているとか、これからはこの車を利用して3月一杯で高知県を打ち終える予定だと言っていた。私たちがお参りを済ませて納経所に下りてきた時には彼女はいなかった。この遍路の間に彼女に会うことはもうない。

今回は奥の院への道を行き、スカイラインに入った。納経所を出る頃に雨が本降りとなり合羽を着ての道中となった。アップ、ダウンを繰り返すスカイラインから見る海の景色は素晴らしかったが、残念ながら雨のため空の青それに海の青は望むべくもなく写真を撮ることもなかった。
今夜の宿「旭旅館」に予約した時、教えてもらっていた池の浦港の標識の所から港へ向かって下りていったが、宿に着くまでに20分ほどかかってしまった。しかし、伊勢エビが2匹も入った鍋をご馳走になり、最後の雑炊が旅の疲れをいやしてくれた。

35番 清滝寺
  
  

36番 青龍寺
  
  


16日目
平成17年3月28日(月) 雨後曇り

 昨日、スカイラインから下りるのに20分ほどかかったところを宿の女将が車で送ってくれた。予報通り雨の中を合羽を着て歩く。スカイラインは相変わらずアップ、ダウンがありまた曲がりくねっている。スカイライン(47号線)が23号線と交差したと思って左折したが、どうもおかしいと気付いたころに工事している人に聞いて間違いが分かった。そこから引き返したのにまだ道がはっきり分からず、厚かましくも通りかかった車を止めて教えてもらいやっと正しい道に入ることができた。それからは迷うこともなく予定より早く今夜の宿「福屋旅館」に到着した。
 途中、赤穂の知人に文旦を送り、同時に不要になったセーター、折りたたみの傘、タオル、本などを店の人に送ってもらった。



17日目
平成17年3月29日(火) 晴

 さわやかな晴天。7時半頃「福屋旅館」を出た。今日の行程は33キロ弱。朝遅かったせいか37番岩本寺までが遠く感じられた。お寺に着いたのが1時半頃。本堂の天井画の「モンロー」にまた会えた。お寺から今夜の宿「佐賀温泉」までが長く感じた。宿まであと1キロくらいの所で家内が足の異常を訴えた。また新たに足にマメができたらしい。宿に着いたのが4時半頃。ゆっくりと温泉に入り疲れをいやした。

 途中、軽自動車が停まっており、中から出てきた老人から現金のお接待を受けた。お歳が92歳とか。そんな高齢まで元気に過ごしてこられ、しかもまだ車を運転できていることに敬意を表した。

37番 岩本寺
  
  


18日目
平成17年3月30日(水) 晴

 「佐賀温泉」の朝食が8時からでそれより早い場合はお弁当と言うことだった。今日の行程はそれほどでもないので朝食を済ませてゆっくり出ることにした。宿を出たのが8時半頃。今まで時々同宿となった夫婦連れは私たちが出かける時まだ食事中だった。  
 小休止を取りながらゆっくりとよく晴れた海岸沿いを進む。「民宿日の出」を過ぎてしばらく行くと56号線から離れて公園のようなところに出た。橋を渡り、防風林(入野松原)の中を進み、とさくろしお鉄道中村線の「とさいりの」駅の付近から再び56号線に戻り今夜の宿「民宿わかば」に到着したのが4時少し前だった。昨夜同宿の夫婦連れも恐らく今夜も同じ宿だろうと思っていたが、私たちより少し前に到着したようで予想通りだった。



19日目
平成17年3月31日(木) 晴

 「春に三日の晴なし」と言うが幸いなことに今日も晴天。「民宿わかば」を出たのが7時。宿を出てから8キロほど先の四万十大橋を渡る。橋の上から四万十川の雄大な景色を写真に撮ろうと思っていたのに1、2枚撮った段階で電池切れになった。電池の予備は持っていたが風の強い大橋の上で入れ替えるのも面倒で止めた。
  
  
 今まで山椿の花を見ない日はなく、また、ウグイスの声を聞かない日はなかったように思う。今日もまた何回かウグイスの声を聞いた。それにヤマツツジの可憐なピンクの花が目立ち始めた。田植えを待つばかりのきれいな水田でカエルの合唱が聞こえるのに、しばらく探してみたがカエルを見つけることはできなかった。
 四万十川の右岸を下り、真念庵の前を通って下ノ加江川を渡って道なりに進み、途中、大岐海岸の松林を通って、今夜の宿「民宿旅路」に着いたのが4時少し前だった。
 赤穂から一緒に来た玉石さんに電話を掛けたら昨日と一昨日「民宿安宿」で泊まり宿を早朝に立ち一日で50キロ余りを歩き、38番金剛福寺を打ち終わり、今日は39番延光寺を打ち少し先のビジネスホテルに泊まる予定だ、と聞いてその健脚ぶりに驚いた。




20日目
平成17年4月1日(金) 晴

 昨夜半、家内が6回も吐いた。4回までは承知しているが、薄情にも後の2回は寝入っており気付かなかった。食中毒のように思ったが私はどうもなくどこで食べた何が悪かったのかは分からなかった。朝そのことを女将に話したが今までそのようなことはなく分からないとか。
 悪いことに今日の行程は長い。昨夜お願いしていたことだが、食事は6時に用意されており、昼食用のおにぎりまで持たせてもらった。宿を出たのが6時45分。ご主人が単車で海岸の遍路道に出るまで案内してくれた。家内の体調を気遣いながらの歩きとなったが、しんぼうして歩いているのが痛々しい。38番金剛福寺にやっと到着してお参りを済ませて、ジョン万次郎の所でおにぎりを食べながらしばらく休憩してまた歩き出したのが11時半頃。

38番 金剛福寺
  
  
  
  
足摺岬と遍路道でのスナップ
  

 「民宿旅路」のご主人が、リュックを今夜の宿「久百々」に運んでくれていたので、そのお礼に立ち寄り挨拶を済ませて宿へと向かった。「民宿旅路」と「久百々」とは親戚筋になるとか。
 宿に着いたのが5時半頃。万歩計による推定だが地図に載っている距離よりも恐らく4、5キロ長いのではないかと思った。
 家内はなまものは怖いと言って食べなかったが、その他の物は食べられるようになったので安心した。
 この宿の女将はどこかへ出かけており不在だったが、夕食の時の他の人たちの会話から想像するに、どうも女将は評判のいい人らしく、いないのが残念だと、盛んに話題に上っていた。ご主人もまんざらでもないという顔をしてニコニコしながら聞いていた。


21日目
平成17年4月2日(土) 曇り後一時雨

 6時半から朝食。家内の体調も大分回復しているようで安心した。7時に宿を出た。前に通った時せせらぎの音を聞きながら歩いたことを思いだし、地図によれば真念庵経由の方が2キロほど短そうだったが、また、あのせせらぎの音を聞きたくて21号線の方から入った。工事中で車は通れないとの看板があったが、歩行は可とのことだった。しばらく行くと土砂崩れの復旧工事現場があり、山に登る方に仮設の道がつけられていた。登り切ると今度はビルの工事現場に設置されているような足場を組んだ階段がありこれが結構急勾配で家内が怖そうに降りてきた。
 せせらぎの音は相変わらず心をいやしてくれた。しかし、これも今日の行程の半分くらいのようで後は21号線の車道を歩いたが、前回の記憶には、せせらぎの音が聞こえた細い道しか残っていなかった。
 途中30分ほど合羽が必要な雨に降られたが、4時頃今夜の宿「鶴の家旅館」に到着した。この旅館では、洗濯はこちらでするから、と言っても、旅館の方でするのが慣わしだからと言ってきれいに洗ってくれた。料理もよくしかも料金も安い。とにかくお勧めの宿だと思う。
 洗濯機があっても洗剤がなく、女将に洗剤のことを聞くと、自分で買って持ってくるのが当然の如く言われた宿があった、と聞いたことがあるが雲泥の差である。


22日目
平成17年4月3日(日) 晴後曇り後一時雨後晴

 気持ちのいいもてなしをしてくれた「鶴の家旅館」を出たのが7時少し前。8時前には高知県最後のお寺39番延光寺を打ち終えた。霧が掛かっており、お寺に入る手前の道で撮ったのが右の写真で朝日が出ているのに薄暗く霧が掛かっている様子が分かってもらえるでしょうか。
 宿毛市のサニーマートの駐車場で停まっていた車の人から今回の遍路で初めて車のお接待を受けた。タクシーの運転手さんらしくて今日は休みで、畑に行く途中で松尾峠の登り口まで送ってくれると言う。途中大事故のあった「土佐くろしお鉄道」の宿毛駅とか、衝突した列車の様子など走りながら話してくれた。3キロほどの距離だったと思うが、まだ、足の具合が完全によくなっていない家内にとってはこの上ないお接待だったと思う。
 距離が少し長い299号線を避け、56号線に入った。今日の天気予報は雷が鳴ったり,雹が降ったりするかも知れないと言っていたが、蓮乗寺トンネルに入る30分前くらいから激しい雨に降られた。しかし、城辺トンネルを出たら晴れていた。
 お接待のお陰で愛媛県最初のお寺、40番観自在寺に到着しゆっくりお参りして4時前には今夜の宿「山代屋旅館」に到着した。

39番 延光寺
  
  
  

40番 観自在寺
  
  
お寺に咲いていた右上の花は初めて見たが名前は分からない。


23日目
平成17年4月4日(月) 晴(強風)

 「山代屋旅館」を出たのが、7時少し前。天気は快晴だが風がやたらに強い。10キロほど先にある柏郵便局に着くまでに、突風のような向かい風があり、体が前に進まないようなことが、何度かあった。意地になって先を急いだので、後で家内に何故あんなに急いだのか、と文句を言われた。前回は56号線を歩いたが、この強風が山に入れば少しは和らぐことを期待して遍路道に入った。上りは大分きついが下りは割合楽に進むことができた。56号線に出て56号線と平行している測道を歩いたが、まだ、風は収まっておらず閉口した。
遍路道を歩いている時、ワラビ採りをしていた女の人からポンカンのお接待を受けた。
 津島大橋を渡り、再度、鉄道の鉄橋のような橋を渡っている時、今夜お世話になる「大畑旅館」から今、どの辺りを歩いているのかを確認する電話があった。橋を渡っている旨話したら渡ったらすぐですとのこと。本当にすぐに着いた。到着時刻3時10分。今日は一日風に悩まされた。
 桜が大分咲き出して目立つようになった。この宿の対岸には桜並木があり、4、5日後ならば、見事な桜を眺められただろう、と少し残念だった。
 「大畑旅館」のもてなしは最高で料理は抜群で品数も多かった。しかも、部屋食。これが旅館のこだわりだろうか。遍路仲間と談笑しながらの食堂で食べるのもいいが、部屋食はいい。旅行に来ているような気になってしまう。


24日目
平成17年4月5日(火) 晴

 昨日とはうって変わって無風快晴。すばらしいもてなしをしてくれた「大畑旅館」を後にしたのが7時5分前。歩き出してしばらくすると56号線から旧国道への分岐点ある。全長1710メートルの松尾トンネルを避けて旧国道に入った。この道は以前にも歩いたことがある。所々に採石場があり興ざめするが車が少なくて歩きやすい道だった。
 前回も立ち寄ったが今日も宇和島城に登ってみた。ここで休憩しながら簡単な昼食をとった。このお城の前の桜が8分咲と言ったところで、この遍路で初めてきれいな桜に出会うことができた。
 41番龍光寺を打ち終えたところでミカンのお接待を受けた。
42番仏木寺を打ち終えて今夜の宿「民宿 とうべや」に到着したのが5時少し前だった。遍路の地図に載っていなかったので全然知らなかったがこの民宿は10年前からあったそうだ。
 この宿では面白い経験をさせてもらった。夕食の時ご主人が食べられなかったら残してもらっても結構です。余った物はタヌキにやりますからとのこと。半信半疑だったが夕暮れ時にご主人が「こーい、こーい」と言ったら本当に数メートル先に4匹のタヌキが現れた。多い時には7匹出てくるとか。腹鼓は打ってくれないが、とご主人はニコニコと笑っていた。
最初は少し、気難しい人かと思ったが話してみると面白みのある人だった。

41番 龍光寺
  
  
  

42番 仏木寺
  
  
  


25日目
平成17年4月6日(水) 曇り

 7時10分頃に宿を出た。宿のご主人が43番明石寺までは3時間と言っていたが、到着したのが10時。山門に至る急坂が前回もしんどかったことを思い出した。体とか足がしんどいと何でこんなことをしているのか、と自問してしまう。
愛媛県に入って気付いたことは小中学生、あるいは高校生も含めて対面する時あるいは、自転車で追い越していく時ほとんどが挨拶をしていくことだ。前回も同様だったがこんな些細なことでも嬉しくなってしまう。
 今日は、明石寺を打った後が宿まで20キロ余りあり到着が遅くなると思っていた。途中何の変化もない56号線を歩いたが遍路道もたまにありそこを歩いていた時軽自動車に乗っていた女の人からヨモギ餅と現金のお接待を受けた。
本当に疲れたなあ、と言う感じで5時少し前に今夜の宿「ときわ旅館」に到着した。
 道中でヒノキの花粉がすごかったのを写真に収めた。TVでは見たことがあるが、実際に見るのは初めて。下の左の写真が花粉の飛散状態で白く写っているのが花粉。これでは花粉症の人はどうしようもないだろうと思った。

43番 明石寺

  
  
  
*** 下の写真 左は花粉の飛散状況  右の2枚は肱川橋から見た大洲城 ***
  


26日目
平成17年4月7日(木) 雨後晴

 「ときわ旅館」を出たのが7時40分、天気予報通り雨。合羽を着ての出発となった。
 割合早く「十夜ケ橋」に到着した。お参りを済ませて出発。10時頃には雨は上がった。前回、前々回ともにお世話になった内子町の「松乃屋旅館」の前を通る。この旅館のもてなしは今も忘れないほど行き届いていた。しかし、今回は到着時刻の関係でお世話になることはなかった。以前は暗い内から出発したりで内子の街並みがこんなにも美しかったことを知らなかった。内子座の場所も分かった。内子町を過ぎてからは清流小田川を見ながらの歩きとなり、単調すぎて困ったが、時には素晴らしい紅白の花桃を見つけたり、満開の桜を写真に撮ったりしながら進んだ。
 今日歩いた距離は「へんろみち保存協会編」の新版によると26キロ弱だが、旧版だと31キロ強となるようで、どうもこの地図の距離はときにおかしいところがあるように思う。万歩計による推定距離でも大分長いようだが、これは歩き遍路のひがみか。
 今夜の宿「高橋旅館」には、早く着けると予想していたのに実際に到着したのは5時を少し過ぎていた。

27日目
平成17年4月8日(金) 曇り時々晴

 「高橋旅館」を出たのが7時少し前。霧が出ている。三島神社の付近から短いが遍路道に入った。遍路道が終わりまた380号線に出た付近で道路工事のため全面通行止めになっていた。ガードマンに聞くと最長で50分車を止めるとのこと。そのお陰で710メートルの真弓トンネル内で1台の車に会うこともなかった。
380号線から地図に従って42号線に入った。今日は44番大宝寺からではなく45番岩屋寺を先に打つつもりで農祖峠に入る計画だったが農祖峠の先がぬかるんでいると書いた看板があり、どうしようかと迷っていると単車に乗った人から1キロ余りバックして33号線を行けと言われたがバックが嫌で鴇田峠を通り大宝寺を先に打とうかと思案していた時、農祖峠の方から出てきた軽トラックの女の人から道はきれいに整備されていると聞いて、当初の計画通りこの道を行くことにした。
ところが、道が整備されていたのは峠まででその先は看板通りぐちゃぐちゃ。遍路道の目印も少なく不安だったがやっとの思いでぐちゃぐちゃの道を通り抜けた。しばらく行ったところで山の水がホースから出ていたので靴の汚れを洗い落とした。
 しばらく歩き道端でミカンを食べていると近所の人が暖かいお茶を接待してくれた。お茶をよばれていると今度は焼いたサツマイモを持ってきてくれた。これがまた美味しかった。
一服してしばらく歩いた後にまた、遍路道に入った。この道がまことにきつい上りで閉口した。疲れていたせいか岩屋寺に着くころにはへとへとになっていた。この道は前回も歩いたが今度は歳のせいかきついと思った。お参りを済ませて納経が終わったのが5時少し前。納経所の前で今夜の宿「古岩屋荘」に少し遅くなる、と電話していると、先程朱印を押してくれた女の方からミカンとお菓子のお接待を受けた。このお接待は歩きの人に限られているようだった。
 岩屋寺を下りたところにある以前にも立ち寄った茶店で、大福餅を買った。更に歩いて宿に着いたのが5時45分。ゆっくりと温泉に浸かりやっとほっとした。
そして美味しい夕食に満足した。
 今後は一日で歩く距離を原則25キロ以下にして遍路をもう少し楽しもうと家内と話し合った。

45番 岩屋寺
  
  
  


28日目
平成17年4月9日(土) 晴

 朝、目が覚めた時は窓の外の景色が霞んで見えにくいほど霧が掛かっていた。「古岩屋荘」を出たのが7時半過ぎ。12号線を44番大宝寺に向かってだらだらと登っていく。峠御堂トンネルの手前から遍路道があったが、そこを登るのを止め、トンネルを歩いた。今日は歩く距離も短くて気分的に楽で、少し気を抜いていたせいか地図の距離から予定していた時間を30分ほどオーバーして大宝寺に着いた。
 ゆっくりとお参りをして46番浄瑠璃寺に向かって歩いたが三坂峠までだらだらと上り坂が続く33号線には閉口した。しかし、峠から遍路道に入ってからは時折満開の桜を楽しみながら歩くことができた。
 浄瑠璃寺に到着したのが4時頃。ゆっくりとお参りして今夜の宿「長珍屋」に入った。

44番 大宝寺
  
  

46番 浄瑠璃寺
  


29日目
平成17年4月10日(日) 晴後曇り後雨

 今日は参拝するお寺が多いので6時過ぎには朝食をとり始め宿を出たのが7時10分前くらいだった。47番八坂寺はすぐで、48番西林寺、49番浄土寺、50番繁多寺を順調に打ち進んだ。西林寺に行く途中で昨夕、隣同士で食事をした人に追い越され、繁多寺までこの人がお参りを終える頃にこちらがお寺に着くという感じになった。昨夕の食事の時に、この人との会話を思い出した。遍路は何回目かと聞かれ、3回目を歩いていると話したら、前の2回で何か御利益がありましたか、と聞かれたので何もなかったと答えた。その人は区切り打ちをしているようで、過去に70歳くらいの歩き遍路の人に同じ質問をしたところ、「御利益は今、こうして歩いて遍路ができていることだ」と答えたという。私の場合も何もなかったからこそ今回遍路ができるので、何かあったら、遍路はできていなかった、と思った。それどころか、娘が結婚し、いい孫に恵まれたことなど何もなかったどころか御利益ばかりを頂いたのかも知れないと、思い返した。
 この人、繁多寺だったか、石手寺だったかで今回は遍路を中断して帰るとのことだったので、どちらからと聞いたら、こともなげに仙台だと答えた。
 石手寺までは順調に打つことができたが52番太山寺に向かう途中で2回道に迷った。最初は道後温泉、次はJR予讃線を越える手前だったが、何とか太山寺の山門に到着した。この太山寺は山門に入ってからお寺まで急坂が続くことを思い出した。お参りを済ませて納経したのが4時5分。
 53番円明寺へあと10分くらいと思われるところで雨が降り出した。時間的に円明寺を打つことはできたと思うが、雨の中少し嫌だったので今夜の宿「民宿上松」に4時40分ころに入った。家内は距離があった上にお寺が多かったので少し疲れているようだった。

47番 八坂寺
   

48番 西林寺
  
  

49番 浄土寺
  
  

50番 繁多寺
  
  

51番 石手寺
  
  

52番 太山寺
  
  


30日目
平成17年4月11日(月) 曇り

 宿を出たのが7時頃。昨日は雨の中気付かなかったが53番円明寺はすぐの所だった。お参りを済ませて歩き出した。昨日と同じくランニングシャツの上に白衣を着ていたが曇っており寒い。3キロ余り辛抱したが海岸で強風にさらされて辛抱できなくなり、白衣の上にウインドウブレーカーを着たが、宿に着くまで汗をかくことはなかった。立岩川に掛かる立岩橋の手前で老婦人に呼び止められて現金のお接待を受けた。歳を取った方からの現金のお接待は心が痛む。
 足の状態が余りよくない家内に合わせて今日の歩行距離を決めたので、今夜の宿「月の家旅館」には2時半頃には着いてしまった。

53番 円明寺
  


31日目
平成17年4月12日(火) 雨

 昨夜、食事の時に女将から58番仙遊寺まで行くのなら明朝は早立ちがいいのでは、と勧められた。朝食は5時半頃で用意ができ次第連絡をするとのことだった。少し疲れが出ていたのか目が覚めたのはいつもより遅く5寺10分頃だった。5時20分頃に朝食の用意ができたと電話があったがこちらの用意ができておらず、食べ始めたのは5時半頃で宿を出たのは6時を少し回っていた。
宿を出た時はポツリポツリていどの雨だったのに出るのを待っていたかのように降り出して、近所の軒先を借り、合羽を取り出した。この合羽は今夜の宿仙遊寺に着くまで脱ぐことはなかった。まだ、足の痛みを訴える家内のスピードは遅かったが思ったよりも早く54番延命寺に着いた。

55番南光坊は以前、少し迷ったことがあったが今回は迷うこともなかった。南光坊から56番泰山寺へ向かう途中でちょうど昼時になり、うどん屋に入って鴨なんばを注文したが、雨で冷えた体を温めてくれた。支払の時アメのお接待を受けた。56番泰山寺、57番栄福寺、58番仙遊寺まで遍路マークを頼りに歩き地図を見ることはなかった。そう言えば、3年前に比べて遍路マークがずいぶん増えたように思った。
 仙遊寺への山門に至る山道もきつかったが山門からの石段は更にきつかった。しかし、きれいなシャクナゲを写真に撮ったりしながら登り、3時40分頃にやっとの思いで到着した。「月の家旅館」の女将の勧めで早立ちしたのがよかった。1時間遅ければ気持ちの余裕などなかったと思う。女将に感謝したい。

 南光坊を出たあたりからほとんど雨は上がったのに、寒さしのぎで合羽を着ていたが仙遊寺への石段を登っている時、霧の中を歩くような状態になり合羽は相変わらず必要だった。
 納経所で、今日は降水確率20%だったのに当たらなくて大変でしたね、と慰められた。
 この宿坊で心のこもった精進料理を頂いた。

54番 延命寺
  
  
55番 南光坊

  
  
56番 泰山寺

  
57番 栄福寺

  
58番 仙遊寺

  
  
  
                                  上の2枚は4月13日朝の写真                 


32日目
平成17年4月13日(水) 晴

 仙遊寺の宿坊での勤行が6時から行われると言うことで5時過ぎには起き出した。昨日とはうって変わって天気は快晴。太陽の光が眩しい。勤行での住職の話は「拝金主義を戒める」ことと「心に病を持っている人がこの寺を利用することで立ち直って欲しい」と言うことだったように思う。宿坊を開いているのも利用して欲しいからだと言っていた。 
勤行が終わったのが7時過ぎでそれから朝食を頂いた。朝食が玄米のお粥で美味しくておかわりをしてしまった。この宿坊は初めて利用させて頂いたが万事気持ちがよかった。
 山を下り59番国分寺に着いたのが9時半過ぎ。家内の足の調子は昨日よりはいいようだ。

 196号線を歩いている時宅配をやってくれる果物屋さんがあった。高知から文旦を娘に送ったが娘も孫も気に入ったようなのでまた文旦を一箱送った。私達も文旦が気に入っており、時々食べていた。文旦の時期はいつくらいまで、と聞いたら、まだ一か月くらいは大丈夫とのことで、結願の予定を考え4月28日に家に届くよう一箱お願いした。その時、「食べてよ」と言って文旦1ケと伊予柑2ケをむいてくれたうえに伊予柑3ケを持たせてくれた。
 本来ならば次は60番横峰寺を打つべきところだが、いろいろな情報や先行した玉石さんの電話などで59番から60番へは去年の台風の被害でまだ道が修復されていないらしいことが分かった。玉石さんも59番、61番、62番、63番、60番、64番と打ったらしい。私達もこの順番で行くことにして196号線をただひたすら歩き、61番香園寺へ向かい4時少し前に到着した。ゆっくりとお参りをして部屋に落ち着いたのが4時半頃だった。
 このお寺、建物はまったくお寺らしくなく余りいい印象を持っていなかったのに歩く距離と位置の関係からか3回ともこの宿坊にお世話になることになってしまった。仙遊寺の幽玄なたたずまいがまだ強烈に印象に残っているだけにその違いを少し残念に思った。

59番 国分寺
  
  
61番 香園寺

  


33日目
平成17年4月14日(木) 晴

 5時過ぎに起き出した。6時には朝食の用意ができているという話だったので6時過ぎに食堂に入り、6時半頃に香園寺を後にした。62番宝寿寺は香園寺から近くて着いた時にはまだ納経所は開いていなかった。軽自動車で来た女性がお参りをして納経所には寄らずに行ってしまったので、お参りを済ませて納経所に寄ったのは私達が一番だった。63番吉祥寺もすぐに着いてお参りを済ませた。

 過去2回とも通ったことのない60番横峰寺への道を進み始めた。途中のスーパーでパンでも買っていこうと思っていたが、まだ開いていなくて自販機でお茶だけ買った。今夜の宿「温泉旅館京屋支店」に着き食べ物を置いているか聞いたら、おにぎりならできるとのことで、作ってもらい荷物を預けて宿を出たのが9時25分。途中一旦下がったが後はだらだらと上り坂が続く。11時45分頃到着した。このお寺もきれいなお寺で印象深い。
 お参りした後、ゆっくりとおにぎりを食べて休憩して12時50分、お寺を後にした。下り坂を歩いていてよくこんな上り坂を歩いて来たなあと我ながら感心した。有料道路料金所で山の水を飲ませてもらい、しばらく道端で休憩させてもらった。その時、去年の台風では料金所も水に浸かり木もなぎ倒されて大変だったと聞いた。
ゆっくりと下りてきて3時10分頃に宿に着いた。上りと下りが同じ時間かかたのは上りは早く登りたいと思い、下りはゆっくりという気分の違いからか。宿の温泉にゆっくり入らせてもらった。窓から見える景色が最高だった。

 夕食の時、宿のご主人が濁酒を持ち接待だと言って回ってきた。一瞬飲みたいと思ったが辛抱した。後で聞いた話だが、家内はこの濁酒の誘惑には負けるだろうなあ、と思っていたようだ。

62番 宝寿寺

 

63番 吉祥寺

 

60番 横峰寺

  
 

34日目
平成17年4月15日(金) 晴

 6時半頃から朝食をとった。宿泊代を支払う時に驚いた。二人で10,000円と言うので耳を疑い昨日、おにぎりも頂いたことを言ったが、それも含めてこの価格とのこと。夕食も朝食もご馳走だったし、ゆっくりと温泉に入ってこの価格はどうも歩き遍路に対しては特別扱いをしてくれているような気がした。料金のことはさておき、気持ちのいい宿でお薦めの宿だと思う。
 7時頃に宿を出て64番前神寺へ向かい、9時過ぎには到着した。このお寺はきれいなお寺で印象深く、今回もやはり美しいお寺だと思った。お寺を出て遍路道を歩く。今日はそれほど長距離を歩く予定ではなかったので気分的にゆっくりしている。

 




 美しい加茂川の伊曽の橋を渡って武丈公園に入った。ソメイヨシノはほとんど散ってしまっていたが八重のサクラが満開だった。少し11号線を歩いたが、ほとんど遍路道を歩いた。途中ミカンのお接待を受け、しばらく歩いて道端に座りもらったミカンを食べていると畑に出かける途中のご婦人からミカンなら家の畑にもあるから、取ってくると言って引き返して、しばらくして帰ってきた。無農薬だからと言ってミカンを5ケも頂いてしまった。3時半頃、過去2回ともお世話になった今夜の宿「BH MISORA」に到着した。この宿は夕食がなくていつも近くのコンビニで好きな物を買って入るがたまにはコンビニ弁当もいいものだ。

64番 前神寺

  


35日目
平成17年4月16日(土) 晴

 7時に食堂で朝食をとり7時半頃宿を出た。この宿は3度目だがいつも気持ちのいい宿だ。しばらく車の多い11号線を歩いて排気ガスに閉口したが四国中央市に入って遍路道に入ることができた。途中、準別格本山延命寺で休憩し、ゆっくりしたペースで歩いたが3時過ぎには今夜の宿「ビジネス旅館ろんどん荘」に到着し、4時過ぎには風呂に入り、6時に夕食。実にゆっくりした一日だった。

  
                     上の2枚は準別格本山延命寺

36日目
平成17年4月17日(日) 晴

 「ビジネス旅館ろんどん荘」は日曜日の朝食はないと聞いていた。お接待で頂いたミカン、買っていた桜餅等の食べ物があったので飲み水を確保して6時15分頃に宿を出た。
 65番三角寺への遍路道は歩きにくいところも所々あったが、おおむね気持ちよく歩くことができた。今日の行程は短いのでお参りした後ゆっくりと休憩させてもらった。






65番 三角寺
  
  

 途中別格本山椿堂にも立ち寄り、休憩させて頂いた。その後192号線を歩いたが境目トンネルまではだらだらとした上り坂が続き、更に900メートル弱のトンネルには閉口した。トンネルを出たところにあったうどん屋に入り遅めの昼食を取った。昼食後しばらく歩いて今夜の宿「民宿岡田」に3時前に到着した。
 この宿には過去2回の遍路でお世話になったが、今は亡き気っぷのいい女将さんが懐かしく思い出される。
 一緒に赤穂を出発した玉石さんから電話があったがその時には気づかなくて着信履歴で分かった。2時過ぎにこちらから電話したら結願してもう赤穂の家に帰ったという話だった。1番には寄らず、88番から高松へ出たと言うことだった。私達よりも一週間ほど早い。

 遍路の途中、前回の遍路で度々同宿になった札幌の菱田さん夫妻のことが時々思い出されたが、宿のご主人にお会いして菱田さんの話になりまたも思い出してしまった。(菱田さんに関しては後に記したい。)

* 別格本山椿堂

  

37日目
平成17年4月18日(月) 晴

 毎回のことながら朝食が終わった時昼食用のおにぎりを頂いた。6時半頃に宿を出たがご主人と神戸から手伝いに来ているという娘さんとで近くの交差点に着くまで見送ってくれた。以前はご主人と女将さんとで手を振って見送ってくれたのに、女将さんが亡くなったことが残念でならない。

 66番雲辺寺は88カ所の内海抜が最も高いお寺だが、上りはそれほどきついとは思わなかった。2時間余りで到着し、ゆっくりとお参りして下り始めたがこれが予想以上に足にこたえた。

 67番大興寺に向かっている時車のナンバーが香川ナンバーになり、いよいよ「涅槃の道場」香川県に入ったことに何か安堵した気分になった。これは私自身の故郷が讃岐であるということともうすぐ結願するということが重なった思いからだろう。当初は明日お参りする予定だった68番神恵院と69番観音寺まで打ち終え今夜の宿「若松屋別館」に着いたのが4時40分くらいだった。美味しい夕食を頂きながら観ていたテレビが明日までは晴と報じていた。

66番 雲辺寺

  
 

67番 大興寺

 

68番 神恵院

  
 

69番 観音寺

  

38日目
平成17年4月19日(火) 晴

 若松屋別館のもてなしは実に気持ちの良いものだった。昨夜夕食時に朝食は6時から用意できるというので6時にお願いしておいた。朝食後女将の見送りを受けて出発した。財田川の左岸を歩く。ほどなく70番本山寺の塔が見えだした。前にこのお寺に行くのに雨の中、道に迷いずいぶん遠回りした苦い思い出があるが、今回は迷うこともなく到着した。ゆっくりとお参りして71番弥谷寺へ向かう。
 
 地図によれば車の多い11号線を7キロ余り歩かなければならないようになっていたが、幸いにも遍路道の印に従って測道に入ったらそのまま11号線に入ることなくお寺に着くことができた。弥谷寺は階段が多くしんどい思いをした。ゆっくりとお参りし、前々回宿泊した「俳句茶屋」でお茶のお接待を受け、草餅を買いまた歩き出した。
 まもなく73番出釈迦寺に到着しお参りをして続いて72番曼陀羅寺をお参りした。このお寺の門前にある「門先屋旅館」には前回泊まった。


*****

 ここで、菱田さんご夫妻の今は亡きご主人の思い出を記したい。前回の遍路で菱田さんご夫妻とは別に約束したわけでもないのに家内の記憶では11回も同宿になったらしく、その最後の宿が「門先屋旅館」だった。この宿で夜、菱田さんとお会いしたのが最後になってしまった。こんなことならもっと話をしておけばよかった、と悔やまれた。札幌から来られたご夫妻とはいろいろな話をしたが、ご主人がその時すでに自費出版で258ページに及ぶ「四国遍路紀行」という本を出しているとのことだった。今は趣味の写仏をしておりできれば仏画を入れた本を出したいと言っておられた。
 前回、結願後、菱田さんとは年賀状のやりとりをし、元来、筆まめな菱田さんから度々お手紙を頂戴して病気で入退院を繰り返しているとか、近況を報告し合っていた。ところが去年、菱田さんの奥様から小包が送られてきた。開けてみると「人生ふた山」(275ページ)という立派な本が入っていた。何故、奥様からと、不安になりページを繰ると平成16年3月21日夜の「あとがき」の更に後に奥様の筆による平成16年7月6日付けの「上梓に安堵して」という一文が載っており、その中に5月21日にご逝去されたことが書かれていた。
 思えば札幌に遊びに来なさいとも言って下さった。それに「人生ふた山」の中に5ページを割いて私達夫妻のことを書いて下さった。何故、「門先屋旅館」でもっと長く話をしていなかったのか、と今更ながら悔やまれてならない。ご冥福をお祈りしたい。

*****

 休むことなく74番甲山寺へ向かった。このお寺まではそれほどの時間を要しなかった。
 今日の最後のお寺75番善通寺へ向かった。このお寺いつも思うが広い。ゆっくりとお参りして写真もたくさん撮った。五重塔の上に半月がかかっているが写真が小さくて確認できないのが残念。
 今夜の宿「魚勘旅館」に着いたのが4時40分頃。明日の歩行距離、お寺の数を考えて早立ちしたいと思い、朝食はお断りした。
 「春に3日の晴なし」というが、幸いにも晴れの日が続いた。雨を恨むよりも今まで続いた晴に感謝しなければならないのかも知れない。

70番 本山寺

  
  

71番 弥谷寺

  
 

73番 出釈迦寺

  

72番 曼陀羅寺

  

74番 甲山寺

  

75番 善通寺

  
  
  


39日目
平成17年4月20日(水) 曇り後雨後曇り

 5時45分に宿を出た。昨夜の天気予報では雨後晴のようなことを言っていたが、宿を出た時幸いにも雨は降っていなかった。道を間違えることもなく76番金倉寺に到着した。ゆっくりとお参りしたが、まだ納経所が開かない。7時過ぎになってやっと開いたので中に入ったが納経所の人は朱印用のインキ、それに墨汁を硯に入れてやっと印を押してもらったが、「お待たせした」とも何とも言わなかった。この人は少なくとも修行した僧ではないと思った。納経所は5時になると閉められ、以後は納経はできないことになっているようだ。ならば、7時にはすべての用意を整えて遍路を待つべきと思うが如何なものだろうか。こんな些細なことをブツブツ言っているようではまだまだ修行が足りないか。
 77番道隆寺へ向かう途中でパラパラと雨が降り出した。雨のため地図の確認を怠り、お寺の手前を右折すべきところ目印を見落として21号線まで出てしまった。通りがかりの高校生に道を聞いてお寺の場所が分かったがお寺の横を山門までバックすることになってしまった。
お寺までは合羽を着ることもなくなんとか歩けたが、お参りを済ませた頃には本降りとなり、合羽を着ざるを得なかった。お寺から1キロ強歩いたところに金倉川があるが、その橋を渡った所で停まっていた乗用車から男性が「78番郷照寺まで、よければ乗っていくか」と声を掛けられた。足の調子が今一つはっきりしない家内のことと今日の行程が長いことを考えてお願いすることにした。その方も時々、奥様と一緒に花とか料理を楽しみながらお寺を回っていると言うことだった。
 そんな話をしている内に丸亀の街を通り抜けて郷照寺の駐車場まで送って下さった。本当に助かった。家内も足が痛かったようで助かったと喜んでいた。ゆっくりとお参りをして79番高照院へ向かったが朝、簡単なものしか食べておらず空腹だったのでJR坂出駅の前のSATYの近くのうどん屋に入り美味しい讃岐うどんを食べた。支払の時にミカン2ケのお接待を受けた。高照院は実家からもそう遠くなく子どもの頃にここの名物「八十場のところてん」の記憶があるが、食べたのかどうかは定かに覚えていない。

 80番国分寺へ向かう時、綾川の堤防を歩いている頃には雨は小降りとなり、お寺に着いた時にはすっかり上がっていた。ゆっくりとお参りして明日の山での非常食を少し買って今夜の宿「あずさ」に着いたのが2時40分だった。予約の時に遅くなるかも知れないと言っておいたのに早く着いたので宿のご主人がびっくりしていた。この宿に着いて驚いた。この宿の前に「ジャンボうどん」といううどん屋さんがあるが、以前に実家に帰った折りに家内と息子と3人でここのうどんを食べたことがある。帰省の前に讃岐うどんに凝っている息子のためにインターネットで調べていた店だったが、息子もうどんがいいと、合格点を出していたのが思い出された。更に驚いたのはこの宿のご主人とうどん屋の店主が兄弟だとのこと。食事に美味しいうどんが出るかも、と期待した。出るには出たが何故かうどんではなくてソバだった。
今日は強行軍だと思っていたのにゆっくりした気分で歩くことができたのは車のお接待のお陰で感謝したい。

76番 金倉寺
    

77番 道隆寺
  

78番 郷照寺
  
 

79番 高照院
  

80番 国分寺
  
  


40日目
平成17年4月21日(木) 晴

 早めに用意してくれた朝食を済ませて宿を出たのが6時35分。国分寺から81番白峰寺に至る遍路道は一本松から車道を取るコースと、十九丁まで行き遍路道を行く2コースがあるようだが、私達は一本松から車道を歩いた。白峰寺には2時間10分ほどで着きゆっくりとお参りした。このお寺は遍路以外にも何度か参拝したことがあり、いつ来てもいい雰囲気が好きなのだが、今回、納経所で朱印をもらった時にその態度というか礼儀をわきまえない振る舞いに今までのいい気分が吹っ飛んでしまった。

 82番根香寺へは十九丁を経由して行った。このお寺もいい。秋の紅葉もきれいだが、春の若葉もすがすがしい。それにこのお寺の納経所の方は丁寧ないい感じの人だった。恐らくこの人はお坊さんで、白峰寺の人は単に朱印を押すためだけに雇われている人のように思えた。
 根香寺を12時頃に出られれば83番一宮寺の納経に間に合うだろうと思っていたが、根香寺を出たのが12時少し前。五色台みかん園から鬼無へ向かった。途中、軽い昼食を取ったりしながら下り、香東川の左岸を上流へ向かい一宮寺に着いたのが3時35分。以前、このお寺へは道に迷って難儀したことがあったが、今回は川沿いに行き迷う心配はなかった。ゆっくりとお参りして明日の朝食用のパンなどを購入して今夜の宿「天然温泉きらら」に入り宿泊手続きをして部屋に落ち着いたのが4時半頃だった。
 手続きを終えて部屋のある別棟に移動する前に入浴に来ていたご婦人から明日のお線香に使ってください、と現金のお接待を受けた。

 この宿、天然温泉で、料理もレストランで好みで選べお薦めだが、一つだけ難を言えば、風呂と部屋が50メートルほど離れており、下駄で往復しなければならなかったことぐらいか。冬でなくてよかった。


81番 白峰寺
  
  
  

82番 根香寺
  
  
  

83番 一宮寺
  


41日目
平成17年4月22日(金) 晴

 昨日準備していたパン等を食べて6時には宿を出た。172号線を歩き、御坊川の橋を渡り、目印に従って川の左岸沿いを歩いた。川沿いに歩けば道に迷うこともなかろうと思っていたのに、川から外れる目印が出ておりそれに従ったが、その後目印を見つけることができずに道に迷ってしまった。方向は合っていたので、地図で現在地を確認して再度、御坊川の左岸に出ることができた。その後は道に迷うことはなかった。
 84番屋島寺へ向かう坂道で屋島小学校3年生が遠足とかで登っており、その子どもたちと一緒に登ったので、しんどいのを忘れていた。以前に泊まったことのある「ホテル甚五郎」はもう廃業しているようだったが、その前を通り今回初めて85番八栗寺へ向かう遍路道を歩こうと思っていたが、途中で出会った地元の人が遍路道を下りるのなら来過ぎていると教えてくれた。木切れに墨で書いた遍路道の道標を見ていながら、いつも赤い矢印とか遍路の絵に慣れていてそれが下り口を示すものとは思わなかった。地元の人が一緒に下りてくれたが、狭い道で急坂。しかも今回初めてヘビを見てしまった。地元の人と別れてすぐに今度は地元のご婦人から現金のお接待を受けた。地元の人に教えてもらった「山田家」で讃岐うどんを食べ八栗寺へ向かった。坂道がきつかったが程なく到着した。このお寺はきれいなお寺だと以前から思っていたが、いい天気で写真をたくさん撮った。それから86番志度寺へ向かったが今度は下りで足にこたえた。今夜の宿「栄荘」に着いたのが3時半。宿の女将にすぐだから志度寺を打ってくるように促され、荷物を置いて参拝してきた。これで残すところ87番長尾寺と88番大窪寺を残すのみとなった。明日はいよいよ結願。


84番 屋島寺
  
 

85番 八栗寺
  
  
  

86番 志度寺
  
  


42日目
平成17年4月23日(土) うす曇り

 朝、6時半からの食事を頂いた。驚いたことに昼食用のおにぎりが用意されている。袋の中にはおにぎり、お茶の缶、それにミカンが入っている。思えば今日の昼頃は山の中、これといった店もなかった。女将がそれを思い 用意してくれたに違いない、なんだか感謝の気持ちで一杯になった。
 87番長尾寺へ向かう途中で地元の人がお接待をしてくれている所があり、お茶、おはぎ、それに押し寿司のお接待をして下さった。その後なんなくお寺に到着しお参りを済ませた後いよいよ最後のお寺88番大窪寺へ向かう。ひたすら歩き旧遍路道に入ったが途中山が崩れている所が数カ所あり、中に一カ所道全体が10メートルほど土砂に覆われていて面食らった。旧遍路道もなんとか通り抜け、多和小学校の近くの休憩所で、今日、宿で頂いたおにぎりなどを食べ、少し長い休憩を取った。それから一気に歩き、2時35分頃に結願のお寺大窪寺に到着した。ゆっくりと本堂でお参りしたが、昨夜、同宿の3人の姿はどこにもなく、もう打ち終えたのだなあ、と思いながら太子堂の方に向かった時、3人が現れた。女体山超えをしたらしい。埼玉から来た人は良い経験をさせてもらったと感動している風だった。
 皆、納経も終え、昨夜同宿だった私達を含めて5人が集まり、写真を撮ったり、納め札を交換したりして、しばらく結願の感動を分かち合った。今回もお参りの時に涙は出なかったが、5人集まってやっと結願した喜びを話し合っている時に涙が出そうになった。3人の方も通しで内一人は番外の20の札所も歩いてお参りをしているようで、明日、108カ寺の結願だと話しておられた。この人は今夜「竹屋敷」で宿泊らしいが、他の2人は偶然、私達の今夜の宿「八十窪」で同宿になった。宿での夕食時禁酒を解いた。ずっと我慢していたのでビール、日本酒と飲み、同宿の人たちとも結願を祝いながら和気あいあいの至福の一時を過ごすことができた。

87番 長尾寺
  

88番 大窪寺
  
  
  
  
  


43日目
平成17年4月24日(日) 快晴

 結願の喜びの余韻に浸りながら朝を迎えた。7時半迎えに来るようにとタクシーを宿の女将が予約してくれていた。朝食をとり少し時間があったのでまた、大窪寺の中に入り昨日見ていなかった庭園を散策した。何か平和な気持ちになる。ほどなくタクシーが来て女将のお見送りの中発車。途中、民宿寿食堂に立ち寄り注文していた数珠を受け取りそのまま1番霊山寺まで行き本堂と太子堂にお参りし、出発の時に記帳したノートに結願の日付を記入した。お寺を出る時に地元の人からミカンのお接待を受けた。待ってもらっていた同じタクシーで板野駅に出た。しばらく待って高松へ出て、マリンライナーに乗り継ぎ坂出駅で途中下車して「しょう油豆」と「かまど」をお土産に買い、セルフの店で讃岐うどんを食べた。遍路をしているときにうどんはたまに食べたが入りたかったセルフの店は最後の最後になった。岡山駅で待たされたが無事に赤穂に着き今回の遍路の旅は完結した。

1番 霊山寺
  
  



あとがき 


 結願して1カ月半ほど掛かってしまったが、やっと書き上げることができた。読み返してみると写真がたくさん入っていると言うだけで文章は実に下らないことばかりを書いている。ここまで読み進んでくれた方にお詫びしたいと思います。
 遍路の途中、家内にお祈りをしている時何か祈念しているのか、と聞いたことがある。答は私が念じていることと同じだった。
 結願後、「願い」がかなえられたらまた、お礼参りをしなくてはいけないなあ、と家内が言い出した。あんなに足の痛みに耐えていたのに、また、四国遍路はこれで終わりと言っていたのに、と思ったが、それ程までに心引かれるのは四国には何かがあるのだろうと思い、反対はしなかった。
 今回の遍路で高野山にはまだ、お参りしていないが秋の紅葉の頃行ってみたいと考えている今日この頃です。
 皆様のご健勝とご多幸をお祈りしながら筆をおきます。

(平成17年6月6日記)