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  行程表  距離単位:Km
札所番号 寺名 県名 日程 年月日 単距離 総距離 宿泊所 移動距離
1 霊山寺 徳島県 0日目 H14/3/15 0.0 0.0 民宿阿波  
2 極楽寺 徳島県     1.2 1.2    
3 金泉寺 徳島県     2.7 3.9    
4 大日寺 徳島県     5.0 8.9    
5 地蔵寺 徳島県     2.0 10.9    
6 安楽寺 徳島県     5.3 16.2    
7 十楽寺 徳島県     1.0 17.2    
8 熊谷寺 徳島県     4.2 21.4    
9 法輪寺 徳島県     2.4 23.8    
    徳島県 1日目 3/16     民宿坂本屋 27.1
10 切幡寺 徳島県     3.8 27.6    
11 藤井寺 徳島県     9.8 37.4    
    徳島県 2日目 3/17     柳水庵 16.7
12 焼山寺 徳島県     12.3 49.7    
    徳島県 3日目 3/18     ペンションやすらぎ 22.0
13 大日寺 徳島県     26.0 75.7    
14 常楽寺 徳島県     2.3 78.0    
15 国分寺 徳島県     0.8 78.8    
16 観音寺 徳島県     1.6 80.4    
17 井戸寺 徳島県     2.9 83.3    
    徳島県 4日目 3/19     多田氏邸 36.0
18 恩山寺 徳島県     18.8 102.1    
19 立江寺 徳島県     3.8 105.9    
    徳島県 5日目 3/20     金子や 14.4
20 鶴林寺 徳島県     13.7 119.6    
21 太龍寺 徳島県     6.5 126.1    
    徳島県 6日目 3/21     民宿龍山荘 13.7
22 平等寺 徳島県     11.7 137.8    
23 薬王寺 徳島県 7日目 3/22 20.7 158.5 薬王寺薬師会館 28.6
    徳島県 8日目 3/23     (徳島県立海部病院) 25.2
24 最御崎寺 高知県     83.4 241.9    
    高知県 9日目 3/24     ホテルニューむろと 58.9
25 津照寺 高知県     6.8 248.7    
26 金剛頂寺 高知県     4.0 252.7    
    高知県 10日目 3/25     山郷屋 31.7
27 神峰寺 高知県     30.5 283.2    
    高知県 11日目 3/26     ビジネスホテル弁長 22.8
    高知県 12日目 3/27     丸米旅館 22.4
28 大日寺 高知県     38.3 321.5    
29 国分寺 高知県     9.0 330.5    
30 善楽寺 高知県     7.0 337.5    
    高知県 13日目 3/28     サンピァ高知 21.1
31 竹林寺 高知県     7.4 344.9    
32 禅師峰寺 高知県     6.0 350.9    
33 雪蹊寺 高知県     7.5 358.4    
34 種間寺 高知県     6.5 364.9    
    高知県 14日目 3/29     ホテルビジネスイン土佐 31.0
35 清滝寺 高知県     9.5 374.4     
36 青龍寺 高知県     14.8 389.2    
37 岩本寺 高知県 15日目 3/30 55.5 444.7 岩本寺宿坊 73.1
38 金剛福寺 高知県     90.0 534.7    
39 延光寺 高知県     55.8 590.5    
    高知県 16日目 3/31     民宿嶋屋 146.0
    愛媛県 17日目 4/ 1     ビジネスホテル南進館 27.3
40 観自在寺 愛媛県     29.8 620.3    
    愛媛県 18日目 4/ 2     よしのや旅館 26.3
    愛媛県 19日目 4/ 3     クアライフ宇和島 16.6
41 龍光寺 愛媛県     47.7 668.0    
42 仏木寺 愛媛県     2.8 670.8    
43 明石寺 愛媛県     10.8 681.6    
    愛媛県 20日目 4/ 4     宇和パーク 24.6
    愛媛県 21日目 4/ 5     松乃屋旅館 30.1
    愛媛県 22日目 4/ 6     リバーサイド富士 35.4
45 岩屋寺 愛媛県     79.6 761.2    
44 大宝寺 愛媛県     9.1 770.3    
    愛媛県 23日目 4/ 7     民宿笛ヶ滝 21.1
46 浄瑠璃寺 愛媛県     20.9 791.2    
47 八坂寺 愛媛県     0.9 792.1    
48 西林寺 愛媛県     4.5 796.6    
49 浄土寺 愛媛県     3.1 799.7    
50 繁多寺 愛媛県     1.6 801.3    
51 石手寺 愛媛県     2.5 803.8    
    愛媛県 24日目 4/ 8     メルパルク松山 32.5
52 太山寺 愛媛県     10.3 814.1    
53 円明寺 愛媛県     2.3 816.4    
    愛媛県 25日目 4/ 9     太田屋旅館 22.8
54 延命寺 愛媛県     34.5 850.9    
55 南光坊 愛媛県     3.5 854.4    
    愛媛県 26日目 4/10     笑福旅館 27.3
56 泰山寺 愛媛県     3.0 857.4    
57 栄福寺 愛媛県     3.0 860.4    
58 仙遊寺 愛媛県     2.5 862.9    
59 国分寺 愛媛県     6.7 869.6    
    愛媛県 27日目 4/11     ビジネスホテル東予 27.5
60 横峰寺 愛媛県     28.0 897.6    
61 香園寺 愛媛県 28日目 4/12 9.3 906.9 香園坊宿坊 24.7
62 宝寿寺 愛媛県     1.5 908.4    
63 吉祥寺 愛媛県     1.5 909.9    
64 前神寺 愛媛県     3.5 913.4    
    愛媛県 29日目 4/13     ビジネスホテル美空 23.5
    愛媛県 30日目 4/14     大成荘旅館 22.5
65 三角寺 愛媛県     45.0 958.4    
    徳島県 31日目 4/15     民宿岡田 19.9
66 雲辺寺 徳島県     20.3 978.7    
67 大興寺 香川県     9.8 988.5    
    香川県 32日目 4/16     若松屋別館 23.8
68 神恵院 香川県     8.7 997.2    
69 観音寺 香川県     0.1 997.3    
70 本山寺 香川県     4.7 1002.0    
71 弥谷寺 香川県     12.2 1014.2    
73 出釈迦寺 香川県     4.3 1018.5    
72 曼荼羅寺 香川県 33日目 4/17 0.4 1018.9 民宿門先屋 22.3
74 甲山寺 香川県     2.1 1021.0    
75 善通寺 香川県     1.6 1022.6    
76 金倉寺 香川県     3.9 1026.5    
77 道隆寺 香川県     3.9 1030.4    
78 郷照寺 香川県     7.1 1037.5    
    香川県 34日目 4/18     ビジネスホテルオマツ 23.0
79 高照院 香川県     6.3 1043.8    
80 国分寺 香川県     6.8 1050.6    
81 白峯寺 香川県     6.7 1057.3    
82 根香寺 香川県     4.6 1061.9    
    香川県 35日目 4/19     民宿百々屋 28.3
83 一宮寺 香川県     13.3 1075.2    
84 屋島寺 香川県     13.7 1088.9    
    香川県 36日目 4/20     ささや旅館 21.0
85 八栗寺 香川県     7.2 1096.1    
86 志度寺 香川県     6.5 1102.6    
87 長尾寺 香川県 37日目 4/21 7.0 1109.6 あづまや旅館 18.4
88 大窪寺 香川県 38日目 4/22 15.6 1125.2 (大窪寺まで徒歩後帰宅) 15.6


まえがき

 前回、平成11年秋に結願して以来いずれまた四国に行くことになろう、と漫然と考えていた。そして家内共々その気になってきたのは一昨年。今年の春に「花遍路」に出ようと2人で決めて、昨年は1年間で般若心経を百巻写経しようと思い計画を達成した。そして、今年、今回の四国遍路となった。行く前にいろいろと心に決めたことがあった。

 まず、通しで打つこと。次はお接待で車に乗れと言われれば、それはお接待でありがたくお受けするが、それ以外は歩き通すことだった。が、通しで打つことは果たせたが、歩き通すことは徳島県を打ち終わった直後にあえなくついえ去った。理由は本文をご覧ください。

 明日から歩き出そうというのに、なぜ苦難の道に踏み出そうとしているのか分からないままいろいろと考えた。そして、できれば

  「四国の豊かな自然とその環境に育まれた温かい人情に接しながら、人と自然を愛し、溢れるような包容力を持って、人の幸せや喜びを自分の幸せや喜びと思い、人の悲しみや痛みを自分の悲しみや痛みとして共に涙することができるようになりたい。」  

 と私としては高邁なことを思ってしまった。が、これも、1番札所霊山寺で頭を垂れて般若心経を唱え終えた段階で半分忘れてしまっていた。わずかなおさい銭で4つもお願いをしてしまい、そのお願いはやはり家族のこと、知人に関することで、「家内安全」に似てあまり高邁とは言えなかった。

 とは言え、とにかく歩き始めました。

平成14年3月15日 曇り後晴れ

 播州赤穂駅7時57分発の電車で家内と2人で赤穂を離れた。岡山経由で四国に入り、実家の最寄り駅の坂出駅で下車した。
 瀬戸大橋を渡っているときになにげなく靴の底を見て驚いた。本格的なトレッキングシューズも持っているのに少し重いので、いつも散歩に使っている靴をはいてきたのが間違いだった。靴の底が左右とも横真一文字に完全に割れている。これでは歩きの長旅に耐えられるはずがない。
 実家で墓参りを済ませてから出かけるつもりだったので、仏花を買いに入った駅前のスーパーSATYで靴屋に立ち寄り、靴を見たが本格的なものはなく、店員さんの歩くのにはこれがいい、軽いし、という薦めで安物を買ってタクシーで実家に帰った。

 実家のミカン畑の一隅にツクシが一面に出ているのに気づいた。玄関に荷物を降ろしてすぐ近くの墓地に行き父親の墓参を済ませて帰り、仏壇にもお参りして、母親としばらく話し、迎えをお願いしていたタクシーが来たので再び坂出駅に帰り、高松へ出た。

 それから高徳線で板東まで行き、徒歩で1番札所霊山寺に向かった。前回に通った道とは違っていたが、迷うこともなく霊山寺の門前の通りに出られた。その通りで今夜お世話になる「民宿阿波」が見つかり、挨拶を済ませ荷物を預けて霊山寺を参拝した。2回目ということもあってか、前回ほどの緊張感はない。それに、今回は納経帳を持たずに巡拝することにしているので、この点も時間にとらわれないので、ゆっくりした気分で四国を歩けるように思っている。

 「まえがき」にも書いたが、わずかなおさい銭でお願いした4つのこととは、長女のこと、長男のこと、私たち夫婦のこと、知人に関することでこのお願いは結願するまで本堂と、大師堂でお願いし続けた。

 参拝を済ませて宿に入った。いよいよ明日から歩きの長旅が始まるのだが、それほど気分的な高まりはない。

平成14年3月16日 晴れ

 「民宿阿波」を7時ごろに出た。霊山寺まで戻り、遍路用具売り場で納札と合羽を買って、いよいよ歩き始めた。
2番札所極楽寺、3番札所金泉寺、4番札所大日寺、5番札所地蔵寺を巡拝する。地蔵寺の手前の羅漢堂に入り、五百羅漢を拝観するが、見慣れた御仏のお顔とは異なり、皆、人間の顔をしている。
 説明書によると羅漢の中には必ず、亡き人に似た顔があるという。6番札所安楽寺、7番札所十楽寺、8番札所熊谷寺、9番札所法輪寺までは割合に順調に歩けたが、法輪寺を過ぎた当たりから家内が足の痛みを訴え始めた。前回も足にマメができ、痛みに耐えての歩きだったので心配していたことだが、足にマメができたのが分かるという。切幡寺を参拝した後で、今夜の宿「民宿坂本屋」に入るつもりだったが、大事を取り切幡寺の参拝は明日に延ばして宿に入った。
 初日だというのに早くもお接待を受けてしまった。今日はツーデーウオークの催しがあったようで、朝早く、その催しに参加する人か、世話人かはよく分からなかったが、どうもその催しに関係するらしい男性が自転車で通りかかり、自分が鳴門の海で採取し、それに鎖を付けたという、お守りのようなものを2個頂いた。長い巻き貝できれいなものだった。

 今度は熊谷寺を出てしばらく歩いたところで野良仕事をしていた60歳くらいの女性からネーブルと自家製の干し柿のお接待を受けた。歩き遍路にお接待しているのだという。この干し柿は店で買ったものとも、家で家内が作ってくれるものとも異なり、蜜がにじみ出たような湿ったような感じのするもので実に美味しかった。お接待も嬉しいが今日はツーデーウオークで歩いていた沢山の人たちの笑顔と挨拶、それに学校帰りの子どもたちの元気な挨拶が嬉しかった。

 少し寂しかったのは法輪寺の境内で前回お接待していただいたおばちゃんが出していた店がなくなっていたことだ。インターネットで体の調子が悪くて店をたたんだ、ということは承知していたが、現実を見るとやはり寂しい。早く良くなってと願いながらお寺を後にした。

 朝は曇っているものとばかり思っていたが、どうも曇っていたのではなくて黄砂のようだった。
 明後日の宿として「ペンションやすらぎ」に予約することができた。
 

平成14年3月17日 晴れ

 6時前に目が覚めた。ウグイスが鳴いている。7時過ぎに宿を出て10番札所切幡寺を参拝した。このお寺だらだらとした上り坂が続き、やっと着いたと思ったら今度は山門から333段の石段がある。この石段がまた結構こたえた。切幡寺を後にして、11番札所藤井寺に向かった。
 前回も思ったが、吉野川はずいぶん大きい。川の中に広大な農地があり、畑の中を歩いていると川の中州にいるとは思えない。沈下橋を2度渡って対岸に出たが、橋を渡っている時にはここは川なのだなあと思った。

 菜の花が一面に咲いているところがあり、やはり自然はいいなあ、と今の境遇を幸せだと思った。
 対岸に出て一路藤井寺を目指した。このお寺も少し手前から始まる上り坂がきつい。藤井寺を参拝していよいよ12番札所焼山寺へ向かう遍路道に入った。ウグイスの声が聞こえてきて何とものどかな気分になる。着ているものを一枚一枚脱ぎ肌着一枚になって山道を登ったがそれでも汗をかいてしまった。前回は登り切るまで雨の中だったことを思い出した。それに息切れがしてあえぎあえぎだったが、今回はそれほどしんどいとは思わなかった。

 今夜は3人から4人しか泊まれないという焼山寺に向かう途中の柳水庵に運良く予約が取れていた。柳水庵に向かう1キロ位手前だっただろうか、犬が出てきた。途中で追い抜かれたが、庵に着いたらその犬が待っていた。後で庵のご主人に聞いたら、ここの犬ではないが、遍路の人を先導したりして、この辺りを回っているらしい。利口そうな犬だったがいつの間にかいなくなっていた。
 庵のお風呂は昔懐かしい五右衛門風呂で子どものころを思い出させてくれた。時間がゆっくりと流れているような気がする。

 夕食後、ご主人がお接待を頼まれているのでと言って、ミニタオル、ハンカチ、味ごのみ(おつまみ)のセットを持ってこられた。6年ほど前に泊まられた横浜在住の藤田さんという女性から歩き遍路の方に接待して欲しいと毎年送ってこられるそうだ。なかなかできることではないとありがたく頂いた。

 家内の足のマメは昨日の手当が効いたのか、庵の手前の下り坂で少し痛んだようだが、大したことはないようで一安心した。
 19日の夜は昔の同僚の多田さんの家にお世話になることになった。20日は20番札所鶴林寺の宿坊に予約をするつもりで電話したら、その日は休みとかで仕方なく、少し手前の「民宿金子や」に予約を取った。

平成14年3月18日 晴れ夕方一時雨

 7時過ぎに柳水庵のご主人に見送られて庵を発った。昨夜はご主人の温かいもてなしを受けて忘れがたい思い出の宿となった。聞けば、奥さんが入院中とのこと。手術をなさったそうで退院も間近とお聞きしたが、早くお元気になって欲しいと願わずにはいられなかった。


 ウグイスの声が絶えず聞こえてくる。遍路ころがしといわれるだけあって結構きつい。一旦下がってまた上るというのはつらい。しかし、前回の時よりずいぶん体が楽なような気がする。11時過ぎだっただろうか、無事、焼山寺に到着した。参拝して今度は下りるのだが、これが結構足にこたえる。足にマメができている家内は急坂を下るときに特に痛むらしい。しかし、前回よりも痛みが少ないと、多少余裕のある顔をして歩いている。少し安心した。焼山寺から13番札所大日寺に向かう遍路道は山越えが何度もあり、焼山寺への道を上り下りした後だけにこたえる。大日寺までは到底いけないだろうと思い5キロ程手前の「ペンションやすらぎ」に予約していて正解だった。この宿に到着したのは5時を少し過ぎていた。
 4時過ぎだっただろうか、今日最後の山越えをしているときに、夕立のような雨にあった。傘がないと濡れてしまうような一時強い雨だった。

 宿のご主人は話し好きでこの宿を始めたころは景気が良くてゴルフ客の利用が多かったが、今は不況で客も減ってしまったと嘆いておられた。小綺麗なペンションでいい感じだったが経営も大変だろうと変に同情してしまった。

平成14年3月19日 晴れ

 7時ごろ宿を出たがご主人がすぐ近くに遍路道に出るところがありそこまで送ってくれた。
今日はお寺がたくさんあり、多田さんの家の近くの19番札所立江寺までは行けないだろうと思っていた。夕方電話してくれたらそこまで迎えに行くので無理をしないようにと言ってくれたのでそれに甘えることにした。13番札所大日寺、14番札所常楽寺、15番札所国分寺、16番札所観音寺、17番札所井戸寺と参拝できたが、18番恩山寺の登り口まで行くのがやっとだった。
 どの辺りだったか忘れたが車が止まり遍路姿の女性が下りてこられ、ようかんとポテトチップスを接待して頂いた。ご夫婦で遍路をしており、納札によれば愛知県岡崎市のTさんという方だった。
 5時少し前に多田さんに電話して登り口まで迎えに来てもらった。定年退職してから実家の近くに新築した家で建坪が50坪程と言っていたが、私達の小宅とは違って立派な邸宅だった。

 親戚の人が鮎の養殖を手がけており、去年立派な鮎を贈ってもらった。そのお礼を言ったときに、鮎が好きでとても美味しかった、と言ったのを覚えていてくれて冷凍していたという鮎を沢山用意してくれていた。それにエビとかバラ寿司とか好きなものがたくさん食卓に出されており、もともと酒が好きなものだからいろいろな思い出話をしながらずいぶんよばれてしまった。

平成14年3月20日 晴れ

 多田さんの奥さんから昼にどうぞと、バラ寿司の折りとおにぎりを頂いた。奥さんに見送られて多田さんの車で恩山寺の登り口まで送ってもらった。随分とお世話になってしまった。恩山寺、立江寺を参拝し、本当のところは20番札所鶴林寺まで登りたかったが、宿坊がお休みとのことで鶴林寺の手前の「金子や」に予約していたが、3時過ぎには到着してしまった。

 前夜、多田さんのところでお酒をよばれ過ぎたせいか、ビールを飲むどころか食欲も余りなく、出された夕食を大半残してしまった。
 今日、お年寄りの女性からぬくぬくのたこ焼きとミカンを接待して頂いた。夫婦で歩いて遍路できることがうらやましいと、涙ぐんでおられた。私たちも今の幸せに感謝しなければならないとしみじみと思った。

 (この「金子や」で偶然一緒になったご夫婦とは後々、よくお会いして話をするようになり、お互いの名前とか住所を交換するようになったが、今日が一期一会の始まりになった。)

平成14年3月21日 曇り一時小雨

 「民宿金子や」を7時ごろに出発した。今日の行程はゆっくりなので気分的に余裕がある。しかし、鶴林寺、21番札所太龍寺ともに遍路ころがしと言われているだけあってこたえた。

 前回、焼山寺はきつかったが、鶴林寺、太龍寺はそれほどとは思わなかったように記憶しているが、今回は本当にこたえた。年をとったせいだろうか、それとも体調が悪いためだろうか、青息吐息でたどり着いた。しかし、太龍寺では本堂、大師堂、多宝塔の美しさに見ほれてしまった。それに建物の配置も素晴らしいと思った。

 太龍寺を下りてしばらく行ったところの「民宿龍山荘」に3時前に入った。



平成14年3月22日 雨

 6時半頃「民宿龍山荘」を発った。歩き出してしばらくして雨が降り出した。止みそうにない雨だったので合羽を取り出して着込んだ。合羽を着ての歩きはあまり嬉しいものではない。
 今朝は体調が良くなくて、22番札所平等寺へ向かう山越えは体にこたえた。平等寺を出てからしばらく歩くと55号線に出るが、この道はアップダウンはなくて歩くには楽な道だが、雨の中車が飛ばす水滴には閉口した。止むことがない雨の中を歩き、4時ごろに徳島県最終のお寺23番札所薬王寺に到着した。参拝は済ませたがあいにくの雨の中、写真を撮ることができなかった。
 今夜の宿、「薬王寺薬師会館(宿坊)」に入った。雨で濡れた肌着を着替えて、ほっとした。体調もなんとか回復して一安心と言うところだ。

平成14年3月23日 晴れ

 昨日、薬王寺の参拝は済ませていたが、雨の中だったので写真を1枚も撮っていなかったので、撮影を兼ねて再度参拝した。撮影も済ませて55号線を歩き、ひたすら室戸岬を目指すのだが、歩き出して間もなく体がだるくなってきた。
 今日は予定の距離はそう大したことはなかったので、ゆっくりでよかったのだが、それにしても体の調子が悪くて先に進めない。休み、休みでしか歩けなくなってしまった。歩き始めて5キロ程のところの日和佐トンネルを抜けるころにはふらふらになって、家内に支えられないと倒れてしまいそうになってしまった。やっとの思いでトンネルを出て道路際で横にならなければどうしようもなくなった。

 休んでいると近所の人だと思うが2人のご婦人が赤飯とおはぎを接待してくれて、しんどいのならこの上にお寺があり、親切なお寺だから車で連れて行ってあげると勧めてくれた。どうしたものかと考えていると今度は若い女性が来て、横になって休んでいるのが見えたから心配でやってきたと言ってくれた。

 この女性は助産婦さんで相当に悪いようだから病院で診察してもらった方がいいのではないか、と言ってくれた。自分が勤めている病院は今日(土曜日)も先生がいるからと診察を勧めてくれた。自分でも何が起こっているのか分からなかったので、その方の車に乗せてもらい病院に連れて行ってもらうことにした。2人のご婦人のご親切も嬉しかったが十分なお礼もできず、今思うと申し訳なく思っている。ありがとうございました。

 病院(徳島県立海部病院)に着いて、すぐに診察してもらった。病状と飲んでいる薬の説明をすると、後で聞いたことだが、脳梗塞か低血糖障害だろうと思われたらしい。血液、尿の検査、それに頭部のCT、MRIで検査をした結果、低血糖障害と説明された。点滴が始まり、1回で血糖値が平常値に戻らなかったら入院して、再度点滴すると言われてしまった。こうなってしまってはお任せするより他に方法はない。1回目の点滴の途中で採血して検査してくれたが、上がっていないとのことで入院が決定した。
 家内が予約していた宿に事情を話してお断りしたが、当日の夕方だったので大変ご迷惑をお掛けしたと申し訳なく思っている。

 それに病院についた時に助産婦さんに家内がお名前を聞いたらしいが、当たり前のことをしたのだから、とどうしても教えてもらえなかったそうだ。私も受付の人に尋ねたが助産婦さんはたくさんいるので分からないとのことだった。診察していただいた原先生にもお聞きしたが、職業柄当然のことをしたと言っているのだから、その気持ちを汲んで上げればいいのでは、と言われた。本当に皆さんありがとうございました。この場を借りてお礼を申し上げます。

 入院は3人の人と同室になったが、夫を看護する妻、父親を看護する娘、お経を上げるお年寄り、といろいろな人生模様を見ることができた。特に父親を看護する50歳くらいの女性が、父親がその昔、娘に聞かせた歌なのか、童謡を静かな声で数曲歌って聞かせているのを聞いたとき、私は親にこれ程細やかな愛情を注いだことがあるだろうか、と思い涙が出そうになった。

 家内は私のベットの横が空いており、病院の計らいでそこに寝させてもらうことができた。こんな状況で突然、病院で一夜を明かすことになった。

平成14年3月24日 晴れ時々曇り

 朝まで点滴してその結果が良好ならば、退院してもいいと言われていた。朝採血しその結果が10時ごろに出るというので待つしかなかった。幸いなことに平常値になっていると言う。退院は許されたが、原先生から気をつけて行って欲しい、スポーツドリンクなどを飲んだらいい、と教えられた。また、どこかで病院に立ち寄り検査を受けるように言われ、そのための病状を記入した紹介状を書いてくれており、気をつけながら行くように再度、注意を受けた。
 今日は、歩くのを止めることにした。この段階で今回も歩いて回ろうと思っていたが、早々に挫折してしまった。

 牟岐駅から列車に乗り、甲浦まで行き、そこからバスで青年大師像前で下車し、御蔵堂をお参りし、その足で24番札所最御崎寺まで登り参拝した。国道55号線からお寺に登る遍路道は急坂だったが体調が悪くなることはなかった。

 お寺から下りてすぐの「ホテルニューむろと」に入った。太平洋が一望できる見晴らしのいい部屋に通された。愛想のいい女将から、とにかく太平洋の水平線から昇ってくる朝日がすばらしくきれいだから明朝は是非見るよう勧められた。少し、天気が気にかかる。

平成14年3月25日 曇り

 前夜、女将からあんなに勧められていたのに曇っており、残念ながらきれいな朝日を見ることはできなかった。
 宿のご主人に見送られて宿を出て海岸線沿いを歩いていると、「あこう」の木というのがあり、国の天然記念物に指定されているとの看板があって国道を下りて見に行った。見ると岩礁地帯のために木の根が下に入れずに岩肌に張り付いており今まで見たこともない状況だった。何だか痛々しく奇異な感じがした。何もこんなところに根をおろさなくても良かったのにと思ったり、これでよく養分が吸い上げられると感心したりした。

 子どもが親を選べないのと同様に、この木も自分の意志でこの場所に根をおろしたわけではないと変に納得して歩き出した。「あこう」はどんな字を書くのかは分からなかった。

 歩き始めてほどなく、25番札所津照寺に到着し参拝を済ませた。次の26番札所金剛頂寺も距離はそれほど遠くない。1時間ほどで到着して参拝をすますことができた。ここで体も回復してきたようなので、少し遠いかとは思ったが前回お世話になった「山郷屋」に電話すると、泊まれるというのでお願いして覚悟を決めて歩き始めた。
 金剛頂寺から下りる遍路道は滑りそうで歩きにくくて大分難儀した。国道に出てからは前回も感じたことだが、海沿いに続く道がまことに遠い。疲れてきて遠く感じるのか、地図に記載されている距離数に誤りがあるのかは定かでないが、実に遠かった。
「山郷屋」に着いたのは5時を少し過ぎていた。前回と同様ボリュームたっぷりの料理のもてなしで疲れも取れたような気がした。ビールが美味しかった。体調回復を喜ぶ。

平成14年3月26日 曇り

 今日はそれほどの距離を歩くつもりはなかった。ただ、雨が少し気にかかる。「山郷屋」の女将に見送られて宿を出たのが7時過ぎていた。「また、来てね」と言われたがその機会があるだろうか。

 27番札所神峰寺の登り口には割合に早く着いた。ここからが問題である。登りが苦手な私は前回も閉口してしまった。なにしろ、3キロあまりがだらだらした上り坂と急坂の連続である。私が休み休みに登るものだから、登りがあまり気にならない家内は足のマメも大したこともないようでルンルン気分で登っている。青息吐息で登りきるのに2時間近くかかってしまった。

 前回も至福の気分にしてもらった山から落ちてくる水を飲ませてもらったが実に美味しい。それに今回は歩き遍路にはお茶を接待しているとかで、お茶とお菓子を頂いたが、このお茶がまた美味しかった。
 参拝を済ませて山の水をペットボトルに入れさせてもらったが、帰り道で飲んでみると、なんだか甘いような味がした。3時過ぎには今日の宿「ビジネスホテル弁長」に到着した。気分的にゆっくりした時を過ごした。

平成14年3月27日 曇り

 未明まで降り続いていた雨も宿で朝食をとっているころには上がってくれて、7時過ぎに出発するときにはすっかり上がっていた。雨中の歩きを覚悟していただけにありがたかった。
 今日は行程の半分以上と思われる距離が自転車道、左側に太平洋を見ながらの実に快適な歩きだった。ただ、雨はすっかり上がり青空が見えてくることもあったが、低気圧通過後の風がまことに強く、菅笠が風にあおられて頭の上が不安定なことこの上ない。手で持って歩かねばならないこともあり閉口した。
 太平洋の波も相当高く、陸の近くは濁っており、あのきれいな紺碧の色とは大分違う。
 今日の宿、28番札所大日寺手前の「丸米旅館」に2時半頃に着いてしまった。女将に電話をもらったときに4時からだと言ったはずだ、と嫌みを言われてしまった。電話の時に言われた記憶はなく、早く着きすぎたとは思ったが、このような挨拶をされたのは初めてで面食らってしまった。少し気分を悪くしたが設備も良く、その後の対応も特に悪いわけでもなかった。

平成14年3月28日 晴れ

 7時半頃に「丸米旅館」を出発した。さわやかな朝。気温がそれほど上がっていないようで、歩いていてもそうそう汗をかくこともなく、時折吹く風が気持ちいい。
 大日寺を参拝し、29番札所国分寺に到着したとき、以前から抜きつ抜かれつしていた札幌からお見えになったというご夫婦(最初にお会いしたのは「金子や」の食堂)が休んでおられた。ご主人は71歳と言っておられたがすこぶる元気で、長身で贅肉がない。
 国分寺を出てから「とまと」という食堂で昼食をとっていると、このご夫婦が入ってこられた。今夜の宿をお尋ねしたら、私たちと同じ「サンピァ高知」だった。
 この後、30番善楽寺を参拝したが、この善楽寺の隣に名前は「土佐神社」だったと思うが、立派な神社があった。
 宿の向かって遍路道を歩いていたとき、小さな川の横をしばらく歩いたが、水が大してない川なのに、そこ、ここで鯉の背ずりが見られ春を実感した。
 3時過ぎ無事に「サンピァ高知」に到着した。前回もお世話になったがこの宿は実に気持ちがいい。

平成14年3月29日 雨

 天気予報を見ていたので雨は覚悟していたものの、こんなに降られるとは思わなかった。6時ごろに目が覚めたときは雲は低くたれ込めていたが、雨は降っていなかった。朝食を済ませて7時半頃「サンピァ高知」の玄関に出てみて驚いた。雨が降り出しておりしかも本降りだ。合羽を着込んで出発した。歩き出してしばらくして前回通っていない遍路道に入った。人が一人通れるくらいの道で、本来の遍路道はこんな道だったのだろうかと思いながら歩いた。しばらく細い道を登り31番札所竹林寺に到着した。参拝を終えてきれいなお寺だから写真を撮ろうと思ったが、なにしろ雨。軒下で雨を避けながらの撮影でいいアングルで撮れなかったところがあり残念だった。

 車道を下り始めて間もなく、路線バスが停まり山を下りきるところまでお接待すると言ってくれたので乗せて頂いた。よく考えてみると前回あれほど車でお接待をすると言って下さり、お断りするのに心が痛んだが、今回はこのバスの運転手さんのご好意が初めてだった。後で家内と話したことだが、前回は家内が痛みに耐えかねて足を引きずるように歩いていたから、見るに見かねてお声を掛けて下さったのだろう、ということになった。毎日、家内は宿に着くとまず一番に相変わらず、足の治療をしているが今回は前回に比べてずいぶん楽なようで喜んでいる。

 道に迷うこともなく32番札所禅師峰寺、33番札所雪蹊寺を参拝した。前回はこのお寺のすぐ前の「高知屋」さんにお世話になったが、今回はもう少し行って見ようと思い歩いたが雨中の歩きはつらかった。34番札所種間寺を参拝し、更に進んで今夜の宿「ビジネスイン土佐」に着いたのは5時を少し過ぎていた。
 家内曰く、「今日は本当に遍路したという気になった」と、然り。
 「雨の中を歩くのもいいものですよ」と言う人がいたら、それは嘘だと思うが、これは私だけだろうか。後で懐かしい、いい思い出にはなろうが、歩いているときは合羽の中は汗で蒸れてくるし、気持ちのいいものではなかった。

平成14年3月30日 晴れ

 昨日とはうって変わって今日は快晴の朝を迎えた。35番清滝寺を目指したが、平坦な道から遍路道に入ると急勾配の道が続く。やっとの思いでたどり着いたが、実にきれいなお寺で青空によく映えている。次は36番青龍寺だが、この道中が結構長い。宇佐大橋が見えてからもなかなか橋に近づけない。そしてこの橋がまた長くて高い。橋の下では春の風物詩の潮干狩りをしている人が大勢いた。橋を渡りきったところで海岸に出て砂浜で軽い食事をした。さわやかな風がほおを撫でていく。このようなところでのんびりと食事すると何を食べても美味しい。

 前回お世話になった「三陽荘」の前を通り、青龍寺を目指した。ほどなく到着したが山門から本堂までの階段がこれまたこたえる。
 参拝を済ませて山門のところでお寺の方だと思われる女性にバスのことを聞いたら、宇佐大橋を渡り左手に行くとバスの宇佐営業所があり、そこから須崎行きのバスが出ていると教えてもらった。バスのことを聞いたのは入院したとき完全な歩きは断念したので、そのとき家内と話し合って青龍寺を参拝した後は39番札所延光寺までのあの長い道のりはバスとか列車を利用しようと決めていたからである。

 2時33分発のバスで須崎に向かった。車窓から見ていると前回歩いたところを時々思い出した。バスは小1時間でJR須崎駅に到着した。連絡が悪くてまた1時間ほど待たされた。今朝、「岩本寺宿坊」に予約を取ったとき、6時から夕食ですからそれまでには入って欲しいと言われていて時間を気にしていたが、何とか間に合った。
 今日、青龍寺に向かうとき、初めて一番会いたくないものに会ってしまった。ヘビである。これからこれに悩まされそうだが、もう少し、暖かい土中にいて欲しかった。

平成14年3月31日 晴れ

 3月も今日で終わり。5時過ぎに起きて6時からの勤行に参加した。住職の話ではこの付近は霧の多いところらしくて、今朝も濃い霧がかかっていた。本堂の天井には575枚の絵が使われており400余の人の作らしい。中にはマリリンモンローの絵もあり写真に撮った。まだ俗気が抜けていないらしい。

 朝食後参拝を済ませてお寺を後にした。「とさくろしお鉄道」で中村まで行き、バスで足摺岬に出た。38番札所金剛福寺を参拝した後、展望台に登り、灯台とか太平洋の写真を撮った。黄砂の影響で足摺岬の展望台から見た太平洋の水平線はぼんやりとかすんでいた。

 今度は宿毛行きのバスに乗る。中村駅まではまったく同じ逆ルート。時々歩き遍路の人と行き交う。この方々は何を求めて歩いているのだろうか。バスに乗って楽な旅をしている自分を恥じるような気持ちになり歩いている方々に対しては頭が下がる思いがした。
 時々車窓から前回宿泊した宿とか、路傍で食事した場所などを思い出したりした。中村駅からはそのまま宿毛行きになり、40分くらい走ったところが寺山口のバス停。ここで下車して田んぼの中の道を39番札所延光寺を目指す。今夜の宿「民宿嶋屋」の前を通り、荷物を持ったままお寺に行き参拝した。静寂なたたずまいのお寺で心が和む。

 風呂から上がりゆっくりした気分になった。窓からすぐ目の前の山肌を見ると山ツツジだと思われるが実に清楚で、気品があり、華麗な花が咲いているのが目に入った。淡いピンクの色も何ともいえないほどよくて写真を撮ったが夕方だったのでうまく撮れていないかも知れない。

 前回この宿に泊めて頂いたときはご主人にお酒を勧められてずいぶん飲み、カラオケまで歌ってしまったが今回は皆真面目な大人しい人たちでお酒は飲まなかった。

 前回は「サンピァ高知」を出てからこの「民宿嶋屋」に入ったのは10日目。今回は3日目だから1週間の短縮になった。歩かなかったことを後々後悔するかも知れない。

平成14年4月1日 晴れ

今日も快晴。しかし、早朝は冷え込んだ。宿を出る前に昨日見た山ツツジがあまりにも美しいのでまた写真に撮った。
 女将に見送られて宿を出た。しばらく国道56号線を歩き松尾峠に向けて遍路道に入った。この峠までは結構きつかったが、下りになってからは、草花を写真に撮る余裕が出てきた。名前は分からないが色々な木々が芽吹き始めている。草花や山の緑を本当に美しいと思う。
 昨日ほどではないが黄砂が出ているようで、山の端がかすんで見える。
 今日はお寺の参拝はなし。3時過ぎに「ビジネスホテル南進館」に入った。明日と明後日の宿を予約することができた。もう愛媛県に入った。愛媛県と香川県はバスなどを利用することなく歩こうと、家内と決めた。

平成14年4月2日 晴れ

 今日歩いた道はほとんどが、56号線だった。前回柏郵便局から遍路道に入り峠越えに難儀したことと、途中、嫌なヘビに出くわしことを思い出したので、今回は56号線を歩くことにした。距離は長かったと思うが、それほどの急坂もなく、海を見ながらの歩きでこの選択は良かったと思った。途中900メートルほどの「内海ふれあいトンネル」というのがあった。このトンネルは自転車と歩行者専用のトンネルでもちろん排気ガスはなく、さわやかな風が通り抜けて実に気持ちが良かった。3時半頃に今日の宿「よしのや旅館」に到着した。


 柏郵便局で両替をお願いしたりした後一服していると歩き遍路の外人さんが流暢な日本語で話しかけてきた。これから遍路道に入るという。家内が今夜の宿を聞いたら偶然にも同じ「よしのや旅館」とのことだった。夕食の時この外人さん以外に「民宿嶋屋」さんで同宿だったSさんもおられた。この人は明日一旦帰宅するらしい。

 外人さんは55歳のアメリカ人で30年前に日本女性と結婚されて現在はアメリカに住んでいるらしい。Sさんが何故四国を歩いているのかと聞いたら、日本と日本人のことをもっと知りたいからと言っていた。奥さんを深く愛しておられるのだろうと思った。

 この人達とは一期一会。出会いの数だけ別れがあるというが、まさに真実で、これから色々は別れが予想されるのが寂しい。

平成14年4月3日 曇り一時雨後晴れ

 今日の行程は楽で、気分的にもゆっくりしていた。「よしのや旅館」の女将に見送られて宿を出た。しばらく56号線を歩き旧道に入った。景色とウグイスの声を楽しみながらゆっくりと進む。
 56号線と合流してしばらく歩いていると、急に雨が降り出した。釣具屋の軒先を借りて雨宿りをしていると、釣具屋から出てきた40歳過ぎと思われる男性が「雨に降られると大変ですね。傘を持っていますか。ありますから使ってくださいよ」と自分の車の方を見ながら話しかけてこられた。傘も合羽もあるので、と丁重にお断りしたが、もし自分が逆の立場になったら、見ず知らずの人に返してもらえるあてのない傘を渡せるだろうか、と思った。この男性からごく自然に出た好意は何がそうさせるのか、と考えさせられ頭が下がる思いがした。

 雨が止んだのでまた歩き出したが、しばらく歩いていると急に今度は土砂降りの雨が降り出した。幸いなことに目の前に屋根付きのバス停があり、雨宿りをさせてもらった。20分くらいだっただろうか、雨が止みまた歩き出した。このまま行くと宿に早く着きすぎるので宇和島城に登ってみることにした。登っていく石段の両側の雰囲気が実にいい。踊り子草が沢山可愛い花を咲かせていた。

 天守閣まで行き見学させてもらい、最上階から宇和島の町を眺め、写真を撮った。雨の心配もなくなり天守閣の前の広場で簡単な食事をした。桜はすでに散ってしまっていたが、満開のころにはさぞかし沢山の人が花見を楽しんだだろうと思われる広場だった。

 今夜の宿「クワライフ宇和島」に2時に着いてしまった。ゆっくりと風呂に入りフロントの前を通りかかったとき、時々お会いした札幌からのご夫婦に出くわした。私たちは一時、列車、バスを利用したのでもうお会いすることもなかろうと思っていたのに、このご夫婦は番外札所も回っておられて、バスやタクシーも利用しているようでお会いできた。これも何かのご縁かなと思った。

平成14年4月4日 晴れ

 朝、食堂で例の札幌のご夫婦にお会いした。どうも今夜の宿も同じらしいがゆっくり構えておられるので先に宿を出た。
 しばらく歩いたところで、軽自動車が停まって龍光寺の方に行くので乗らないかとお誘いを受けた。ありがたく接待して頂いた。だらだらした坂道だがあっという間に41番札所龍光寺の近くまで運んで頂いた。
 その後は順調に42番札所仏木寺、43番札所明石寺と参拝し終えて、3時過ぎに今夜の宿「宇和パーク」に到着した。今日はお接待して頂き楽な歩きだったが、明日と明後日は宿の関係で相当にきつい歩きとなる。

 この宿のレストランで食事をしていると、例の札幌のご夫婦のご主人が入ってこられた。5時ごろに到着したらしいが、きつかったと、あまり元気がなかった。


平成14年4月5日 晴れ

 今日も快晴。ありがたい。今日の歩行距離は30キロほどで急がないと遅くなると思っていたので、午前中は相当に頑張った。今日は遍路道を歩くことはほとんどなく56号線をひたすら歩いた。たまに遍路道にはいると、小さな花たちが気持ちを和ませてくれる。それに車があまり通らないのがいい。

 今日気が付いたことがある。お接待と言えば、車に乗せてもらえるとか、食べ物や何か品物を頂戴することだと思っていた。これはもちろんお接待だが、行き交う方達の挨拶と励ましの言葉や笑顔、また、生徒さん達のごく自然に出てくる笑顔の挨拶、これがお接待でなくてなんだろうと、やっと気が付いた自分を恥じた。
 こんなことを考えながら歩いていると、少し広場がありそこに停まっていた軽自動車から女性が降りてこられ、家内に伊予ミカンのお接待をしてくれた。これも本音のところはありがたい。

 56号線でなかなかトイレがなくて困ったいた。遍路道に入って大洲南久松公民館でトイレをお借りしたが、そこの職員のKさんという方が、わざわざ2人にコーヒーとお茶の接待をして下さった。トイレを借りるのさえ迷惑だったのにお茶までご馳走になってしまった。優しい笑顔が印象に残った。

 途中、十夜ケ橋を参拝して、少し休憩させてもらった。出発しようとしたときに3月20日に「金子や」でお会いした札幌からのご夫婦でないもう一組のご夫婦にお会いした。奥さんが少し足を痛めているようで、今日で中断して家に帰るとのことだった。

 午前中頑張ったからか案外早く2時半頃には内子町の今夜の宿「松乃屋」に到着した。この旅館は前回も泊まらせてもらったが、格式があり上品な女将が印象的だった。夕食の時前回はおられなかった若い女性が食事の世話をしてくれたが、この女性に対する教育も行き届いており女将の人柄がなせることだと思った。

平成14年4月6日 曇り後雨

 「松乃屋」の女将に見送られて6時ごろに出発した。今日の歩行距離は長かったので、朝食はおにぎりでもと思って昨日到着したときに話したら、夜明けが早いのでお客様に合わせますよ、と言ってくれた。5時半頃でもよろしいですかとお聞きしたら、快く承知してくれて、美味しい朝食を頂いての出発となった。
 宿を出てしばらくして56号線から外れて379号線に入り突合まで行き、そこから380号線に入った。
 昼食用のパンを買った店の女性から、缶コーヒー2缶のお接待を受けてしまった。かえって申し訳ないことをした思いでお礼を申し上げた。

 1時半頃から降り出した雨が本降りになり合羽なしでは歩けないほどになった。雨の中今夜の宿「リバーサイド富士」に2時45分頃に到着した。今日の疲れがとれるようゆっくりと風呂に入った。いまだに本降りが続いている。明日の天気が気にかかる。

 久万町は気温が低いせいか桜の花がまだ残っていた。「リバーサイド富士」の名前通り、部屋の窓から川が見えてせせらぎの音が聞こえてくる。川の名前は二名川というらしい。

 このごろになっていつもお寺でお願いしていることを思い返してみた。4つのお願いとも神仏にお願いすることではないような気がしてきた。
 長女に関するお願いは長女の努力、長男に関するお願いは長男の努力、私たちに関することは私の努力、知人に関することも私の努力にかかっていると思った。しかし長女と長男に関することは親のお願いとして、また、私たちと知人に関しては私自身も努力するがどうか側面的に見守って欲しいとの思いから、勝手なことだがお参りするときは従来通りお願いすることにした。

平成14年4月7日 曇り時々晴れ

 「リバーサイド富士」の女将の話では昨夜は相当降ったらしい。幸いなことに朝には上がっていた。女将に見送られて宿を出たのが7時少し前。しばらく国道33号線を歩いて県道に入る。渓流沿いの道を歩くのは気持ちがいい。遍路道に入ってからはアップダウンの繰り返しで実にきつかった。しかし、高級ホテルのロビーのじゅうたんの上を歩いているような落葉のクッションが素晴らしい。

 裏山から入ったような感じで45番札所岩屋寺に到着した。岩肌が上の方でこちらにせり出しているような感じがした。岩が落ちてきそうな気がする。
 岩屋寺の下の茶店で簡単な昼食を済ませて44番札所太宝寺に向かった。この間は逆打ちになってしまった。太宝寺に向かうときにはほとんど車道を通ったが、峠御堂トンネルを出た後遍路道に入った。この道はあまり気分のいい道ではなかった。もう少し暖かい時期なら、何匹かのヘビに出くわしただろうと思われる道だった。太宝寺を参拝した後、今夜の宿「民宿笛ケ滝」に3時半頃に到着した。この宿は例の札幌のご夫婦から教えてもらって予約した宿でキジ鍋を食べさせてもらった。「よしのや旅館」でお会いした外人さんとまた同宿になった。

平成14年4月8日 曇り時々晴れ、夕方一時雨

 「民宿笛ケ滝」を出たのが、7時前。国道33号線を三坂峠まで登った。遍路道を通らずにそのまま国道33号線を下ったが、距離が遍路道より大分長かったようだ。
 46番札所浄瑠璃寺を参拝し終わったのが12時過ぎ。47番札所八坂寺まではすぐだった。次の48番札所西林寺を参拝し49番札所浄土寺に向かおうとしたとき、駐車場でミカンを売っている人からミカンのお接待を受けた。
浄土寺に到着したとき、どうも 「花祭り」 と称して地元の人がお接待をしていたようで、家内がお菓子とかミカンが入った袋をもらってきた。次の50番札所繁多寺の参拝を終えて51番札所石手寺に向かおうとしたとき、今度はアイスクリンを売っていた人から、またミカンのお接待を受けてしまった。

 今日の最後のお寺石手寺に着いたのが5時少し前だった。参拝を終えたら5時を過ぎており、参道の両側にあった土産物屋さんはほとんど閉まっていた。
 しばらく歩いて今夜の宿「メルパルク松山」(松山郵便貯金会館)に到着した。道後温泉の湯を引いた大浴場でゆっくりしたが、今日の長旅の疲れはすぐには取れそうになかった。「メルパルク松山」は前回も泊めてもらったが、今回も感じのいい宿だった。

平成14年4月9日 曇り後晴れ

 今日はそれほど距離がないので気分的にゆとりがある。7時過ぎに「メルパルク松山」を出発して、道後温泉の本館の写真を撮った。52番札所太山寺へは順調に歩けて到着したが、到着したと思ってからがきつい上りが続いた。それだけ境内が大きいと言うことか。お寺の建物も相当立派に思えた。
 53番札所円明寺へ。ここまではそんなに遠くなく参拝を済ませてから境内の一隅を借りて簡単な食事をした。
 後は今夜の宿「太田屋旅館」まで歩くだけだった。今日、久しぶりに海を見た。波が割合に高くて濁っていたせいか水がそれほどきれいではない。太平洋のあの紺碧の澄んだ美しさがないのが何だか非常に寂しく思えた。それに今日も黄砂がひどい。これも中国大陸の環境が悪くなっているためだろうか。あるいは地球温暖化のせいだろうか。

 例の外人さんとまた、同宿になった。

平成14年4月10日 曇り後晴れ

 朝食を終わったとき例の外人さんのお名前とメールアドレスを教えてもらった。お名前はWilliam(通称Bill)Macherさん。奥さんは和子さん。
 今日はほとんど196号線を歩く。波の穏やかな瀬戸内海が美しい。今日も黄砂がひどく遠くがかすんで見える。
 途中休み休みで54番札所延命寺に着いたのが2時ごろだった。
 Macheさんが少し遅れて到着した。私が帰宅したらメールを送る約束をして写真を撮らせてもらった。この外人さん実に気さくで誰とでも話をして、いつもにこにこしていて本当に遍路を楽しんでいるように見える。
 延命寺を後にして55番札所南光坊に向かう。前回は色々な人に教えてもらいながら歩いたが、今日は迷うこともなく到着できた。参拝を済ませて今夜の宿「笑福旅館」に到着したのが4時ごろだった。

 夕食の時、同宿は私たちを含めて8人。内、夫婦連れが3組で、皆、原則的に歩きで回っているようだった。隣で食事をしていたご夫婦はご主人が70歳の時に歩き始めて以来毎年巡拝して今年5回目で75歳だそうで「こんなにお金がかかるのに何故やるのでしょうね」と言いながら奥さんともども嬉しそうに満面の笑みを浮かべていた。

平成14年4月11日 曇り後雨

 「笑福旅館」の女将に見送られて宿を出た。宿を出てしばらく行ったところで家内が今日はゆっくりと歩いて欲しいと言ってきた。どうも右膝を痛めているようだ。今日も相当距離が長いので困ったなあ、と思ったがこれは仕方がない。いつもは私が先導するが今日は家内を先に歩かせ後から付いていった。

 56番札所泰山寺、57番札所栄福寺、58番札所仙遊寺と歩みは遅いが案外早く参拝することができた。ただ、仙遊寺の仁王門からお寺までの階段が相当にきつかった。59番札所国分寺までは距離はあったが途中で道を間違えることもなく到着した。
 前回と同じように「タオルの里 五九楽館」のご主人からミニタオルのお接待を受けた。参拝を終えて帰るときにこれも前回と同じようにアイスクリンをお接待してくれた。これがまた、抜群に美味しかった。
 私のデジタルカメラを見て、インターネットをやっているならと名刺を頂戴した。ホームページを開設しているようでアドレスは

 http://www.dokidoki.ne.jp/home2/tadasuke

 国分寺を後にしたところで心配していた雨が降り出した。しかも、段々と本降りになり今夜の宿「ビジネスホテル東予」に着くまでの3時間ほど雨の中を歩いた。宿に着いたのは3時半頃だった。

平成14年4月12日 晴れ

 「ビジネスホテル東予」を7時半頃に出発した。昨日の雨も幸いにして上がり、快晴。9時少し前に61番札所香園寺に到着した。前回と同じく今夜はこのお寺の宿坊に泊めて頂く。
 荷物を預けて身軽くなって60番札所横峰寺へ向かう。荷物を預けるときにお寺の人に往復どれくらいかかるかとお聞きしたら、普通の人で参拝の時間を入れて6時間半くらいと答えてくれた。9時過ぎには香園寺を出発したが遍路ころがしの一つと言われるだけあって結構きつい上りが続く。登るだけでなく下るところもあり、また登るを繰り返してやっとの思いで12時半頃に横峰寺に到着した。ゆっくり参拝して麓から持って行ったパンとかミカンで昼食代わりにしたが、日溜まりのベンチでも長く座っていると汗が引いて寒くなって来る。1時過ぎにはお寺を後にした。
 下がる方はさすがに楽で、枯葉のじゅうたんのような道が心地よい。家内は下るときも膝が痛むようで我慢して歩いているのが分かり可哀想になった。

 香園寺に帰ってきたのは4時過ぎだった。普通の人並みか少し遅いかなあ、という感じだった。香園寺をゆっくりと参拝して宿泊の手続きをして部屋に入った。
 横峰寺に向かう山中で下りてくるあのMacherさんと出合った。しばらく行くと今度はもうお会いすることもなかろうと思っていた札幌のご夫婦菱田さんとお会いした。
 Macherさんも菱田さんご夫婦も今夜は香園寺の宿坊とのこと。Macherさんとは夕食の時にビールを飲みながら奥さん、2人のお嬢さんそれにお家の写真などを見せてもらって随分と打ち解けた。明晩も同じビジネスホテルらしい。

 菱田さんのご主人が夕食後部屋に来られた。宿のことを気にされてのことだったが、聞いてみると明日は同じで、その後の2日も同じ宿になるらしい。
 5年前に始めたというご自分で書かれた仏画を葉書大に縮小印刷したものを3枚も頂戴した。絵心が元々おありなのだろう、素晴らしいものだと思った。

平成14年4月13日 晴れ

 香園寺を7時前に出発した。62番札所宝寿寺、63番札所吉祥寺、64番札所前神寺とそれほど離れておらず順調に参拝できた。前回も思ったが前神寺の本堂は優美な形をしている。前神寺を参拝し参道を出口の方に歩いているとき、おさい銭入れだと言って小さなかわいらしい袋をお接待で頂いた。

 休憩していたとき、またMacherさんとお会いした。この人いつもにこにこしている。
 前神寺を出てからはひたすら歩くのみ。距離は国道を行くよりも幾分長いようだったが遍路道に入った。遍路道に入ってしばらく行ったところでベーカリーの模様の入った小さな車が少し前の方で停まった。私たちが近づいて行くと若い女性がパンをお接待ですと言って家内に手渡された。ちょっとの間の立ち話だったが、その人はまだお若いのにご主人を亡くされて一度遍路したことがあると話され、少し目が潤んだように見えた。こちらも涙が出そうになった。こうして2人で歩ける幸せに感謝せずにはいられなかった。

 遍路道もなくなり国道11号線に出てからは車の排気ガスを気にしながら、ひたすら歩き3時前に今夜の宿「ビジネスホテル美空」に到着した。ここは夕食がないので入る前に近くのコンビニで色々と買い込んでいった。歩いてお腹がすいているので美味しい。ちょっとしたことでも幸せを感じる。

 今夜は菱田さんご夫婦、Macherさんも泊まっているはずだが、夕食が一緒でないから確認することはできなかった。

平成14年4月14日 晴れ

 「ビジネスホテル美空」の朝食は和食だけだ。朝食の時に菱田さんのことをお聞きしたら、洋食が好きな菱田さんは今しがたここを出ましたとのこと。食事をしていたらMacherさんが食堂に入って来られた。この人は慌てないのが実にいい。どうもいかに短期間で歩ききるかを競争しているような日本人がいないではないが、もっとゆとりを持ったらいいように思う。

 「ビジネスホテル美空」を7時過ぎに出発した。今日は参拝するお寺がない、というより65番札所三角寺まで行き着けない。前回歩いた道を記憶していなかったが、国道11号線を歩き通さなければいけないと思っていた。しかし、幸いなことに土居町に入ったころだっただろうか遍路道があり宿に着くまでずっと遍路道を歩くことができた。途中「生協宇摩診療所」の開所一周年記念のイベントをやっていた。しばらく道路から見物していると可愛い女の子がチョコレートと飴をお接待だと言って持ってきてくれた。カラオケを聞きながら歩き出したら女性が追いかけてきた。今度は小さなおもちが2個入った袋を家内共々お接待して頂いた。

 前回泊めて頂いた旅館だったのに記憶が全然残っていなくて、地元の人に聞きながら今夜の宿「大成荘」に到着したのは3時前だった。ここの女将は前回も思ったが実に上品な方だ。

 今日は途中何回か見かけた交通標語「春うらら マナーとゆとりで伊予の路」が印象に残った。山の新緑が美しい。
 菱田さんご夫婦、Macherさんと楽しい夕食の一時を過ごせた。結願まで酒断ちをしているというお酒好きの菱田さんにはいささかお気の毒だったが、Macherさんと飲み交わしたビールがことのほか美味しかった。

平成14年4月15日 曇り後雨

 7時前に「大成荘」の女将に見送られて菱田さんご夫婦、Macherさんと共に宿を出た。玄関を出るとき女将が靴の中から新聞紙を取り出している。前日は雨は降っていなかったが少しでも汗の水気を取り、気持ちのいい出発をさせようとする女将の細やかな気遣いに感謝する。前回も心優しい女将とは思っていたが、今回もその思いは変わらなかった。

 皆、一緒に出たが遍路道に入ってからはそれぞれの歩調に合わせてバラバラになった。65番札所三角寺を参拝し終えて今夜の宿「民宿岡田」に向かったが、お寺を出て最短コースに入る道を間違えたようで、途中追い越されたはずのないMacherさんが椿堂(常福寺)を越えてしばらく行ったところで休んでいたのには驚いた。
 1時半頃に食堂に入り、おうどんを食べた。食堂に入るころからボツボツ降り出した雨が、食事を終わったころには本降りとなり、雨具がなくては歩けないような降りになった。30分ほど傘をさして歩き2時半頃には「民宿岡田」に到着した。
 菱田さんご夫妻がもう到着しており、番外にも行ってきたと涼しい顔。そして色々と手はあるものよ、と奥さんがおっしゃった。にこにこしている。Macherさんもほどなく着いたようで夕食の時に顔を合わせた。
 今後、88番までの宿を全て予約した。結願の予定は4月22日。

 前回この宿にお世話になったときは元気な奥さんがおられた。インターネットでお亡くなりになったことは承知していたが、宿自体がなくなってしまうのではないかと一時心配したが、ご主人が頑張って宿を続けると言うことをこれもインターネットで知り安心していた。奥さんがおられるときは奥さんが目立ちご主人は影の存在のようだったが、今は張り切って切り盛りしておられた。宿を存続させることが奥さんへの供養だと考えているような気がした。

 菱田さんのご主人が以前、この宿に泊まったときにお酒をしこたま飲んだことはご本人からお聞きしていた。酒絶ちをしていると聞いた「民宿岡田」のご主人が信じられない、と驚いていた。

平成14年4月16日 曇り時々晴れ

 朝、目が覚めてみると以外にも雨は降っていない。今日は雨の中を66番札所雲辺寺までの登り下りを覚悟していた。朝食の時の泊まりの人たちの顔が明るく、皆喜んでいる。
 7時ごろに「民宿岡田」のご主人に見送られて宿を出た。しばらくして振り返ってもご主人はまだ手を振っている。道が少し曲がって見えなくなるまで見送ってくれた。前回は奥さんと2人で見送ってくれたのに、奥さんを亡くした今はご主人1人で少し寂しい。しかし、以前は奥さんの陰に隠れるようにしてあまり表面に出てこなかったが、今は1人で歩き遍路のために頑張っておられる。笑顔がいい。是非、お元気で今後とも頑張って欲しいと祈らずにはおられなかった。

 雲辺寺には9時過ぎに到着した。登りをそれほどきついとは思わなかったのは、登りに慣れてきたためだろうか。参拝を終えて、67番札所大興寺へ向かったが下りの道はきつかった。膝をかばっての歩きになってしまいスピードが全然出ない。家内も膝が痛そうだ。
 意外なほど時間がかかり、大興寺に着いたのは1時半頃だった。前回は大興寺のすぐ横にある「民宿大平」さんにお世話になったが、今回は観音寺市内まで入ることにしており「若松屋別館」を予約していた。4時ごろに宿に着き、さっそく風呂に入り疲れた足をもみほぐした。

平成14年4月17日 曇り後雨

 昨晩は相当な雨だった。一時は雷鳴で目が覚めてしまうほど荒れていた。「若松屋別館」の女将は朝食は6時からできますよ、と言ってくれたが今日はそれほどの距離もないので6時半でお願いしておいた。6時半から朝食を頂き、支払いするときに驚いた。安い。立派な部屋に通されて美味しい食事でこの値段は安すぎるように思えた。
 7時ごろ女将に見送られて宿を出るときは幸いにして昨夜来の雨は上がっていた。ところが68番札所神恵院、69番札所観音寺の山門(この2カ寺は並んで建っている)に到着したときに突然雨が降り出し、すぐに本降りになってしまった。このお寺は前回も雨だったことを思い出した。
 参拝を済ませて写真撮影となったが、雨の中の写真撮影は難しい。雨を避けなければならないし、いい場所に雨を避ける場所がなかなか見つからない。それに露出時間が長くなるので、どうしても手ぶれが心配になる。それでも何枚かの写真を撮った。
 次は70番札所本山寺へ向かうことになるが、このお寺に行く道を前回は間違ってしまい雨の中とんでもないところを歩いていた。地元の親切な女性に道が間違っていることを教えてもらった経験がある。今回はその時の苦い経験があるので間違うこともなく到着した。

 本山寺の参拝を終えて困ってしまった。次の71番札所弥谷寺へ向かう道の目印をどこにも見つけることができず勘を頼りに歩き出したが、全然いつもの遍路マークが見つからない。雨の中、橋の上で地図を確認してもどうもよく分からない。困っていると乗用車が停まり弥谷寺なら方向が逆だと教えてくれた。そして乗っていけと言う。合羽が濡れており座席を濡らすからとお断りしたが、そんなことはいいからと再度勧められて甘えてしまった。
 車の中でこの方も車で88ケ所を2回半巡拝したと言っておられた。いろいろとお話を聞いているうちにお寺の麓まで来てしまった。上まで行くと言うのを駐車場で降ろしてもらい、納札をお渡ししてお礼を申し上げた。この方は三豊郡のTさんという方で本当に申し訳なくありがたいと思った。

 弥谷寺を出てからはすぐに遍路道に入り、迷うことなく73番札所出釈迦寺に到着した。72番、73番と巡るのが本来の姿なのかも知れないが遍路道から言えば73番の方が少し近い。近い方からと出釈迦寺を参拝した。お寺の境内には弘法大師が身を投げた、と言われる捨身ケ嶽の遙拝所があり、捨身ケ嶽禅定の建物が望見できた。続いて72番札所曼陀羅寺を参拝した。

 途中、食堂でゆっくりと時間をつぶしたつもりだったが、曼陀羅寺のすぐ横にある「門先屋」には1時半頃には着いてしまった。宿のご主人も女将もあまりにも早かったので驚いていたが、途中のお接待のことをお話しながら部屋にあげてもらった。部屋からは曼陀羅寺が見えるし、お経の声も聞こえてくる。それはそれで何かいい感じがした。

 菱田さんご夫妻も同じ宿だったが、宿泊客が多くて食事の部屋が別々になってしまった。
食事が終わって菱田さんの部屋に家内と一緒にお邪魔した。いろいろとお話ししたが明日からは別行動になりもうお別れですね、と言うことになった。寂しい。

平成14年4月18日 曇り

 朝、菱田さんご夫妻をお見かけすることはなかった。靴がまだあったのでご挨拶してから出かけようかとも思ったが、昨晩すでにお別れはした、と思ってお部屋にお邪魔することはしなかった。
 「民宿門先屋」のご主人に見送られて、7時前に宿を出た。74番札所甲山寺へはほどなく到着した。参拝を済ませて75番札所善通寺に向かう。前回もそうだったが大師堂のある方に入って参拝し、今度は一旦お寺を出て大門から入り金堂(本堂)を参拝して赤門から出た。さすがに大きい。

 それから76番札所金倉寺に到着して駐車場の方から入ろうとしたら、せっかく歩いてきたのだから正式に山門から入ったら、と地元の女性に言われて引き返して山門から入って参拝した。一服しているとお坊さんらしき人から今日はどこまで、と聞かれたので78番札所郷照寺をお参りし坂出市で泊まる、と言ったら、この時間なら国分寺までは行けるもったいない、と国分寺まで行くことを勧められ少しその気になったが、郷照寺を参拝した段階で予定を変更しなくて良かったと思った。もし、国分寺まで行ったとしたら早くても6時を過ぎただろう。私たちの足では出で精一杯だったと認識した。
 そのお坊さんから77番札所道隆寺への道を教えてもらったが、分かりやすかったが少し遠回りしたような気がした。道隆寺を参拝してからしばらく時間がかかって郷照寺に到着した。納経所がすごく立派になったのと、池のある庭園の新緑の美しさが印象に残った。郷照寺を後にして今夜の宿「ビジネスホテルオマツ」に着いたのは4時ごろだった。フロントで見慣れたMacherさんの荷物が目に付いた。フロントの人が荷物を置いて次のお寺まで行きました、と教えてくれた。

 今日までいろいろなお接待をして頂いたが、現金のお接待は全然なかった。前回は何回も頂いたのにやはり不景気なのだなあ、と思っていた。それが今日初めて女性から千円ものお接待を家内が頂いた。自然に頭が下がった。

平成14年4月19日 晴れ

 今日は距離が長いので「ビジネスホテルオマツ」を6時少し前に出た。前回は国分寺の前の店が休みで何も買えず、お接待で頂いた柿を食べて白峰寺への遍路ころがしを歩いたことを思い出して、昨日、夕食の買い込みをしたコンビニでパンなどを買い込んだ。
 7時前に79番札所高照院に着いたので本堂も大師堂も扉が開いていなかったがとにかくお参りした。
 80番札所国分寺へも順調に到着して参拝を済ませた。パンを買って行ったのは正解だった。門前の店はまた休んでいた。
 これからが今日の正念場。81番札所白峰寺への登りである。前回は登りでしんどい思いをした記憶があったが、今回はそれほどしんどいとは思わなかった。前を歩いていた遍路の人が遍路道は道がぬかるんでいると地元の人に教えてもらったので、しばらく県道を歩いてそれから遍路道に入ったら、と本の地図を見ながら教えてくれた。教えてもらった通りしばらく県道を歩いて途中から遍路道に入った。後で地図を見たが県道を通らずに最初から遍路道に入っていたら遠回りになっていたようだ。
 11時ごろには到着してゆっくりと参拝し出口で簡単な食事をした。82番札所根香寺へは遍路道があるところは全て遍路道を歩いた。途中大分ぬかるんでいるところもあった。

 根香寺のモミジは秋の紅葉も素晴らしいが今の新緑も美しい。山門からの参道を新緑に包まれながら歩くことができた。根香寺を出てしばらく歩いていると、昨夜同宿だったのでどこかでお会いするだろうと思っていた例Macherさんに出合った。16日の朝、「民宿岡田」で挨拶を交わして以来のことである。今夜の宿をお聞きしたら、JR鬼無駅の近くの「民宿百々屋」とのこと。また、同じ宿になった。参拝後は鬼無駅の方に下りていくのだが、これがまた単調な下り道。車道をできるだけ避け遍路道があるところは遍路道を歩いたが嫌になるほど長かった。駅の近くで高知でよく食べた文旦が目に付いたので買って宿に向かった。宿に入る直前にMacherさんが入るのが見えた。追い抜かれたはずはないのにどうしてだろうかと思った。後で聞いたら、車道を下りているとき、道が左右に分かれているところがあり、私たちは迷った末に右に入った。そこでMacherさんは左を取ったらしい。長い距離を歩いたことになったようだが鬼無の盆栽を見られたから良かったと思い慰めた。

 食事の時Macherさんと2人でビール3本。食事が終わってから彼が近所で買ってきたとYEBISUビールを2缶持って部屋を尋ねてきてくれた。また、2人で飲んだ。
 Macherさんが明後日の宿を私たちと同じ宿に予約した。

平成14年4月20日 曇り一時晴れ

 6時45分くらいに朝食を済ませて「民宿百々屋」を出た。83番札所一宮寺へは前回道に迷った記憶がある。今回も何回か地元の人に道を尋ねたが割合すんなりと到着することができた。
 ゆっくり参拝して次は84番札所屋島寺へ向かう。屋島寺へは距離はあるが目標がはっきりしていて迷うことはない。途中栗林公園に入ろうかと思ったが屋島でゆっくりしようと入るのを止めにした。
 屋島寺へ向かう遍路道は急坂で前回は雨の中段々暗くなってくる坂道を苦労して登った記憶があるが、今回は汗はかいたがそれほどしんどいとは思わなかった。12時半頃には屋島寺に到着しゆっくりと参拝した。宝物館にも入り見学した。
       山頂を土産物屋を見ながら周り讃岐うどんを食べた。曇っておりあまり遠くまでは見えなかったが、瀬戸内の静かな海に浮かぶ島々はやはり美しい。
 登ってきた道を下り始めたとき、Macherさんが登ってきた。明日は同じ宿だからまたお会いしましょうと言うことで別れた。家内が少し膝を痛めておりゆっくりと下りていたが、もう少しで下りきるところでMacherさんに追いつかれてしまった。やはり足が速い。
 Macherさんの今夜の宿は「ビジネスホテルわかさ」。私たちの宿は「ささや旅館」。この旅館の場所が分からず少し行き過ぎたが3時過ぎには到着した。気分的に非常にゆったりしている。(宿についてから分かったが場所は屋島に登るケーブルの駅のすぐ下)
 
平成14年4月21日 雨

 7時前に「ささや旅館」の女将達に見送られて雨の中を出発した。直後に食事を世話してくれた女性が雨の中を走って追いかけてきた。何か忘れ物をしたのかと思ったら、キャラメルを5個「どうぞ」と言って渡してくれた。雨の中の歩きを気遣ってくれてのことだろうが有り難かった。キャラメルをもらったから言う訳ではないが女将も良くできており、また従業員か家族かは分からないが、女性達が実によく教育されているように思えた。

 途中、少し道を間違えたようだが、なんとかケーブルの駅前に到着した。そこから遍路道を登ったがそれほどしんどいと思うこともなく85番札所八栗寺に到着した。参拝を済ませて写真を撮ったが、美しいお寺の建物が雨でけぶってしまい、暗くて露出がうまく合わず手振れが心配だった。
 次は86番札所志度寺に向かうのだが、雨の中を歩くのはやはりつらい。景色を眺める余裕がなくなってしまう。志度寺に到着して参拝の後写真を撮った。このお寺には美しい五重塔があるのに恐らく写真はきれいに撮れなかったと思う。

 87番札所長尾寺に向かう途中で讃岐うどんの店に入った。ところがこの店がセルフサービスの店でそのやり方が分からない。迷っていると関東の方ですか、と聞かれてしまい、出は讃岐だとは言えなかった。私が讃岐にいるころはセルフサービスの店などはなかったように思う。
 しかし、非常に合理的にできており他のセルフサービスの店も大体同じと思うから初めての方のためにそのシステムを紹介すると、まず、最初に「かけ」か「つけ」かを聞かれる。「かけ」は普通のうどんのようにダシの中にうどんが入っている。「つけ」はダシにつけて食べる。醤油は淡口か濃い口かと聞かれ、次は確かうどんの玉は大か並かを聞かれた。そのあと自分の好みの具を勝手に取る。天ぷらとか揚げとか何種類か用意されている。これを取ると勘定するところがあり、そこで支払いを済ませて自分の席まで持って行って食べる。食べ終わるとお盆と食器を所定の場所に返す。この場所の近くに入口とは別の出口があり、単純な導線が描けるようになっている。イメージとしてお分かりいただけたでしょうか。安くて美味しかった。家内も気に入り、もう一度セルフサービスの店で食べたいね、と言っていたが、明日は結願。恐らくその機会はないと思う。

 ほどなく87番札所長尾寺に到着した。参拝を済ませて、写真を撮ったが境内の一隅に咲いていたハナミズキの雨に濡れた花の白さにしばらく見とれてしまった。境内の売店でおはぎを買い、お寺の山門の後ろにある今夜の宿「あずまや旅館」に2時過ぎに入った。

 同宿の人はMacherさんの他に男性が2人いた。この人達も歩いている。食事の時、皆、明日はいよいよ結願ということでいささか気分が高まっているのか、ビールを飲んで前夜祭のような雰囲気になってしまった。ちなみにビールの本数はMacherさんと私で5本。こちらがアホほど飲んでいるので刺激されたのか男性がそれぞれ2本。

平成14年4月22日 曇り後晴れ

 7時ごろに「あづまや旅館」の女将に見送られて宿を出た。この女将の心遣いが嬉しかった。まず、雨に濡れた皆の靴に古新聞を2回詰め替えてくれたこと。それと支払いを済ませた後に、昼ご飯にでもと千円とオロナミンCドリンクをお接待して頂いたこと。

 大分きついと聞いている女体山越えは避けて前回と同じ峠を越えた。途中遍路道があるところは遍路道を歩いた。いつものことながら山中に入ると必ずウグイスの声が聞こえてくる。11時過ぎにはついに88番札所大窪寺に到着した。最後だからゆっくりと周り、心静かに読経もしたが前回同様私には涙が出ることはなかった。家内は出たよ、と言っていた。
 終生の友であって欲しいと願っているひとに、結願を報告するメールを送った。時に平成14年4月22日11時37分。


 昼食に讃岐うどんを食べ12時31分の長尾行きのバスに乗り、琴電と乗り継いで高松まで帰った。高松駅が立派に様変わりしているのにはびっくりしてしまった。
 坂出駅で途中下車し用事を済ませて赤穂の自宅に着いたのが5時半頃だった。長い旅が終わった。


あとがき

 帰宅してゆっくりし、疲れもとれたが、この度の四国遍路で私は変わったのだろうかと考えてみた。変わったようには思えない。強いて言えばほんの少しだけ気が長くなったかもしれないが、本当のところは分からない。

 菱田さんの義兄の方からメールをいただき、ご夫婦が大窪寺に参拝するときに女体山越えをしたことを知った。その後電話でお話ししたが、頑張って良かったと、喜んでおられた。

 アメリカにいるMacherさんの奥さんに私が帰宅してすぐにメールを送らせてもらった。丁重なお礼のメールを頂いた。その後、メールで写真をお送りしたら、ずいぶん痩せたというメールが届いた。
 
 4月30日にMacherさんから突然電話をもらった。今、倉敷にいるという。倉敷と赤穂ならすぐ近くだから、赤穂に来たらとお誘いしたら明日4時ごろ行ってもいいかというのでもちろんいいと承知した。
 5月1日の3時半ごろに今、姫路城にいるとの電話が入った。彼の行動力には感心する。姫路城の見学は2度目らしい。そして赤穂に着いたのは5時39分。すぐにお風呂に入ってもらい寿司を肴にビールで乾杯。
 この人はアメリカ人なのに生卵と日本酒はどうも苦手のようだが、その他は生魚、納豆、漬物、梅干し、らっきょーなんでも食べる。遍路をしているときも何度か回転寿司屋に入ったというのを聞いていた。彼はビール、私は途中で日本酒に変えてずいぶん飲んだ。アメリカの奥さんから夜電話するとのメールが入っていたが、電話がかかり彼は嬉しそうに話していた。

 Macherさんが金剛杖と菅笠を持っていなかったのでどうしたのかお聞きしたら、金剛杖は大窪寺で、菅笠は高野山に置いてきたと言っていた。金剛杖は持って帰りたかったらしいが、飛行機に持ち込めないだろうと思い止めた、と少し残念そうに話してくれた。

 5月2日、家内と一緒に大石神社、赤穂城跡、御崎の展望台からの瀬戸内海、坂越の街並みを見てもらい、今日は東京に行く、というので相生駅までお送りした。アメリカに是非来て欲しいと言われたが、行くとも言えず、里帰りする奥さん共々また遊びに来てください、としか言えなかった。

 菱田さんご夫妻、Macherさんにはずいぶんよくして頂いた。菱田さんは北海道、Macherさんはアメリカ、そう簡単にはお会いできないのが寂しい。しかし、思い出として忘れることはないように思う。

 出発の前に金剛杖の長さを測っていた。帰って測ったら、私の杖は47ミリ、家内のは10ミリ短くなっていた。足を痛めていた家内よりも大分減り方が大きい。これは私が杖にすがって歩いた距離が長かった証拠だろうか。

 3月15日に買った靴は歩き終わって家に帰ったときにはかかとが擦り減ってコーナーの部分は底の部分がなくなっていた。以前使っていたウオーキングシューズを履いてみるとクッションが全然違う。その違いは擦り減った靴は裸足で歩いているような感じと表現したらお分かりいただけると思う。私の足を1カ月余り守ってくれた靴だが、丁重にお引き取り願った。

 今回の遍路でも沢山の方々から親切にして頂きました。そのほとんどが一期一会の出会いでしょう。しかし、私たち夫婦の心の中ではこれからも感謝の気持ちと共にいい思い出として終生忘れることはないと確信しております。そして、頂いたご厚情を今度は誰かにお返ししたいと思っています。本当にありがとうございました。

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