「生きちょるだけで丸儲け」の生活
和 田 節 子
「生きちょるだけで丸儲け」 この言葉は以前放映された、朝の連続ドラマ 「わかば」
に出てくる、主人公のおばあちゃんの言葉です。私はこれを聞いた時、なんとも
快かしい響きが燈りました。実はこの言葉は亡くなった母の口癖でもありました。私
が愚痴を言うと、いつも「生きとるだけで丸儲けたいねっ」と言っていました。若い
頃の私は 「なんねっ!それは……」と、反感で答えていたのです。
うち
私自身脳梗塞を患ってから一年半の後、家の中で転倒して、リハビリ治療で少し良
くなっていた右腕の肩骨にヒビが入りました。その痛みにもまして腕を半年間も固定
された状態だった為に、肩と肘の間接が固まってしまい、最初からのリハビリを繰り
返すことになりました。ちょうど、その頃に更年期の時期が重なり、何とも苦しい日
うつ
々でした。鬱の状態が続き、どうにもたまりません。外出することが嫌になり、人に
会うのが嫌な毎日でした。気拝が塞ぐと、身体までが動かなくなります。とうとう両
腕ともに、上がらなくなってしまったのです。家事さえ、何一つ満足にできません。
料理の包丁を持っても力が入らず、洗濯物にしても干すことも畳むことも、思うよう
に出来ないことが情けなくて「こんなに何も出来んで痛むんなら、いっそ死んだ方が
楽やわ」とまで考えるようになりました。
それでも、お寺に暮らすことは有難いことでした。お寺には否応なしに、多くの方
が来られます。人と接しないわけには行きません。また、外出が嫌でも、土曜学校で
行事があれば、子供達と一緒に外に出かけねばなりません。ですから引籠ってなど、
いられませんでした。それに本堂で『お経』を読んでいると、知らずしらず大きな声
が出てきました。そんなことをしているうちに、いつしか気分が少しずつ晴れ、それ
に伴って身体も回復へと繋がっていくようでした。
胴梗粟を起こしたことで、いろんな検査を受ける事になり、糖尿病も悪化してい
五回のインスリン注射を打つ生活になりましたが、今は逆に病気になってよかったと
思ったりしています。もし病気にならなかったら、自分の身体のことは勿論のこと、病気の苦しさを知ることもなく、ひとのなやみを想像することさえできなかったでしょう。そ
れと病気になったことで、私は自身の死について、考えることになりました。今まで
には沢山の身近な方々を見送ったにも拘らず、自分の「死」については現実的に捉え
ずに、考えることを遠ざけていたのです。死は余すことの無い百パーセントの確率で
来る、しかもそれは刻々と自分に近づいていることを忘れていたのです。それに死だ
けではありません。「生老病死」の全てが避けては通れない道なのに、元気な時には
よぎ
頭を過らす事さえしませんでした。
近年、体力や肌の若返りや長寿などと、称したサプリメントが大流行です。本来
「若返。や不死」等あるはずが無いと分かっているのに、つい惑わされてしまいま
す。若返ることも、戻ることも出来ない大切な命を「死んだ方が楽」だなんて、なん
と勿体無い事を考えたのでしょう。朝のドラマで「生きちょるだけで丸儲け」を耳に
した時に考えました。恒河沙のように多くの人達おかげで、いえ人ばかりではなく数
え上げることの出来ない多くの物や事柄の、おかげにょって今の自分が生きているこ
かたじけなさを思いました。そう思えた時、人間は皆、自分のおもいで生まれてきたわけ
ではありませんから、自分勝手に命を粗末にすることは出来ない薯だったのです。
今、与えられている境遇を素直に受け入れて、喜びを感じる暮らしでありたいと願い
いつ
ます。そんな中に何時とも分からないし、お迎えも無いけど、死は必ずやってくるの
ではないかと考えました。
これからの人生にも「悲聾父々」の何に遇ったとしても、私には無意味で無駄にな
ることはありません。今こうして過ごしている日々時間は、二度とは帰って釆ないと
思うと、時は本当に惜しく又有り難いことです。
人間は有り難いことに「喜怒哀楽」を、身にも心にも感じることができます。です
から落ち込んだり、反対に自信過剰になったりしがちです。いずれの時でも自分勝手
な独りよがりの気拝は横において「いただいて、生かされている命」を思い起こせ
ば、思い上がった心はいつのまにか「ありがとう」の気持に変わってくるのではない
これから先に自分を見失ったとき、どうやっていきたらいいのかわからなくなったとき
には、自分や人などあてにならないものを、頼りにするのではなく「お念仏」という本当に信頼できるものを「鏡」に移して、正しい考えを支えとして生きたいと願うの
です。そうすれば、生きていることの意味が解らずにいる人、生きていることに何
の喜びも見出せないでいる人、イソターネット等で知り合い集団で自殺を考える人達
も、無くなるのではないかと思うのです。
私自身の生活を振り返ってみると、いろんなことが走馬灯になって流れていきま
す。地団駄踏んでも、どうにもならず苦しかったこと……、すべてのものに感謝した
いほど嬉しくてたまらなかったこと……、今思い出しても顔から火が出そうなくらい
恥かしい想いをしたこと……等々。
しかし、それらが総て私を生かして支えてくれた『頂きもの』であったと思われま
す。それならば「生きてるだけで丸儲け」 の生活ではないかと、この年齢になってや
っと考えているのです。
うち
いまだ完全には身体も気拝も、治癒できたわけではありませんが、感謝の中にリハ
ビリを続ける日々の生活です。
合掌