法話

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御縁のもとに
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[子供の問い]
  我が家にはいわゆる「お仏飯で育った子」が三人(一姫二太郎、三姫)います。
 その誰もが、寺での生活を好んではいませんでした。幼い頃には街に「ジングルベル」 の音楽が流れ出すと、決まって誰かが、
 「なんでうちはクリスマスをせえへんの?みんなの家では、ケーキを  食べたり、プレゼントかてもらえるんやで」 等と同義異語に不服 を言ったものでした。 その折、私の答えも決まっ 「うちは仏様(阿弥陀様)が中心の寺やから、キリスト様のお誕生日  はせえへんけ ど、御開山(親鸞聖人) のお誕生日は、お祝いしてプ レゼントを渡してもええよ。そやけどホンマは、あんた達かて仏様からプレゼント (贈り物)をもろうてんのやけど…」
 「ほんま!プレゼントつて何?何もろうてんの?」
 「そやね、こうして元気に居させてもらうんも、仏様からのプレゼントの一つやと思うけど…」
 「へぇーそしたら、病気になったらプレゼントもろうてへん事になるやんか」
 と年齢に伴い、理屈がついてきます。
  そのうち、きちんと話をしなければと思っている間に、子供達の方で「クリスマス」や「プレゼント」 の事もあきらめたのか
、口にしなくなりました。
 しかし、依然と寺の生活を嫌がっていました。

 [ 進学を機に]
 そのうちに長男が高校受験となり、好きな部活を続けたい思いから、宗門の学校を選ぶことになりました。同じ宗門校に通えるのならば、「仏教コース(放課後)」も受けて欲しいと親の欲がでます。本人としては部活が中途半端になる事で、ずい分と迷った揚げ句に親の申し 入れを受諾する事になりました。
 そんな訳で最初の頃は、渋々受けていた授業でしたが、三年生も終わりの頃には 『歎異抄』 の第三条にも書かれる「善人なおもて往 生をとぐいわんや悪人をや」(善人ですら往生をとげるのです。ましてや悪人が往生をとげられないことが、ありましょうか) とある文当  面に、善人と悪人が逆ではないかと疑問をもったようでした。
  しかし、その後も宗門の大学に進ませていただくことになり、そこで「法然上人」や「親鸞聖人」 のお心を学び、悪人とは、法律や道徳 などの倫理的な行為でいうところの悪人ではなく「極悪深重の凡夫」で救われる因さえないわたくLで、自分では何もできない。仏様にお まかせする (他力の信心) しかない。
 この身を悪人とよばれ、逆に自分の力で修行することに依って、救われることを願う(自力の信心) の人のことを善人といわれました。
 そして、善人には如来様をたのむ心がかけているところから、本願のめあてとなるのは、他力にまかせきっている悪人こそが、正機であ ると『観無量寿経』の意を読み替えられたのだと知らされて、その疑問は解けたようです。
[ 長男の病]
 そんな息子が大学の二回生の夏休み、突然の病に倒れ、一夜にして意識不明で昏睡状態に陥りました。
 その間に人工呼吸器がつけられて生存率が一パーセントと告げられても、現実として受け入れられませんでした。
 五日間の昏陸の後、意識が少しつつ戻り、目・耳・ひじ・手首と徐々に動き始めました。
 その後も順調に回復するものと毎日が楽しみでした。
  しかしある日を境にして、鳩尾から下の感覚が戻らなくなり、二年四ケ月の入院生活の今も感覚は出てきません。
 それでも彼は元気に「車椅子」 に乗り、「わしにとって足が動かんということは大したことではなかったんや」という姿は、
 「病気になったらプレゼソトもらってへんことになるんか」と言った息子からは想像もできません。
 身にかかる御縁をそのまま受け入れられるほどに成長させていただきました。
  そして、同じように寺を嫌がっていた長女も弟(息子) の病気が契機となり、昨秋に得度させてもらいました。
 それもこれも、御縁のもとに導かれての事と、喜ばしていただいております。

    和田 節子(わだ せつこ)
  1948年、福岡市に生まれる。1964年、得度習礼。
  1992年、教師(住職課程)教習

  現在、浄土真宗本願寺派正明寺坊守。
   〒601〜1314 京都市伏見区日野谷田町13