Arthur Or The Decline And Fall Of
The Britsh Empire
(1969)

キンクス史上はっきりとオペラ仕立てなのはこの作品からか。そもそもの成り立ちとしてはテレビドラマとの連携作品だったらしい。レイも共同脚本を書き、ノリにノった新しい試みとなるはずだったのが、テレビ局の都合でドラマはご破算となり音楽作品としてのこのアルバムを発表するも、一歩発表が早かったフーの 「トミー」に「最初のロックオペラ」という輝かしい冠も獲られていまうという、実に不幸というかなんというか、レイにとっては痛い思い入れがあるのではな いかと思われる(ある意味キンクスらしい顛末ともいえるけど)。
タイトルのアーサーとは、レイの義兄(レイの長姉・ローザの夫。レイはローザ姉さんになついてたらしい)がモデルらしい。ということでこれは円卓の騎士のお話ではなく、ふつーの家族が幸せを求めた道のりと結果の物語なのである。まあそういう背景についてはもっと詳しいサイトさんで見ていただいたほうが確実だし、わたしもリアルタイムじゃないから正直詳しい話はわからないのでさっさと感想に入ります(笑)
名曲はいくつも入っており、裕福で強い英国を歌ったノリのいい「Victoria」から2曲目と3曲目は一転して戦争で戦わされる兵士と上官の哀れさや子供を戦場で失った母親の悲しみを歌う。アーサーの生まれた国は一気にきな臭い状況になってるわけで、さあここで「Drivin'」が歌われる。要はいやな ことからの逃避行のドライブに出かけようという歌で(笑)、こういう歌の内容を単にネガティブといって鼻で笑うか、人間ひとりがどうやったって変わらない 悲しい大きな状況のなかで、それでも生きている姿に自分を重ねるかによってキンクスファンになるかならないかが分かれるのかもしれない。レイは無謀な希望などはけして歌わない。流れに身を任せるしかない大衆の姿をリアルに描くので、そういう作風が「皮肉屋」と取られるのかなあと思ったり…。根拠のない希望をエエかげんに歌うよりずっと良心的なミュージシャンだと思うんですけどねぇ。
「shangri-La」 も、オーストラリアに移住してお金を稼いで国に帰って家と車を持って小さな理想郷をやっと手に入れる、その理想郷は果たしてほんとに理想郷と成りえてるのか?人間誰もが「小さな本当の幸せ」を求めて生活してるのにそんな小さな幸せですら手に入りがたいという矛盾。
本当にレイが他のミュージシャンと決定的!に違う点は、レイが偉大な芸術的才能をもったロックミュージシャンという(普通ではない)立場にいながらもあく までも普通の生活を送る人間としての視点を持ち続けてるという点だと思います。普通の生活を送るレイ・デイヴィスが生活してて感じる事柄や、あるいはレイが第三者として冷静に見た普通の人間の姿など、カメラの位置は違うにしても撮っているテーマは全てこれと言っていいのではないでしょうか。レイには芸術家としての気取ったような特殊な感覚はまるでなくて、どちらかというとショービジネスという一つの大きな会社のなかで働いている会社員のようである(あくまでも立場が、です)。
この「アー サー」もレイの中には素晴らしいアイディアや斬新な試みや情熱があるのに、予算だのテレビ局の事情だのでやりたいことがやれない。これって上司に「君の企画は素晴らしいねぇ」などと一旦は言われてその気になってたのに「やっぱり君の企画はお金もかかるし実現不可能だよ」と覆された新人社員の様ではないか(苦笑)まあロックミュージシャンなのでそれでも自身のアルバムとしては発表できるけれども、そしてもちろんとても素晴らしいアルバムなのだけれども、レイとしては「もっともっと完璧な作品になったのに…」という思いがあるのだろうなあ。真の開拓者の報われなさというものを、レイを見てるとしみじみ感じます。
他にもいい曲てんこもりで、それを聴いてもやはりこのときレイの頭には偉大なアイディアが渦巻いてたんだろうなあと思える。「some mother's son」の悲しさ、「brainwashed」はカッコいいし、「she's bought a hat like princess marina」はのちのRCA時代を髣髴させる安っぽいキャバレー調のふんがふんがした感じがたまらなく好き♪儚い「young and innocent days」はレイお得意のメロディ(後の「不良少年のメロディ」にも通じるような)。
キンクスらしさにみちたアルバムです。