今月の『諸葛孔明 時の地平線』

★『flowers』2006年6月号(2006年4月28日発売)

・曹操の死後、司馬仲達と曹真は遺言どおりに葬儀を執り行い帝へ禅譲を迫る。
遠く蜀の地でその報せを聞いた孔明は曹操の死に衝撃を受けつつも彼らの行動の意味を測り、今後の対応に腐心する。そして曹操の思惑通り蜀は劉備を漢王朝最後の皇帝として擁立し、天下は三分されることとなった。
関羽の死から1年半後、いよいよ劉備軍が荊州へ出兵しようという朝、劉備の元に訃報が…。

・関羽・曹操に続き、張飛も退場です。
3回続いて重要な人物が亡くなったせいか、なんだかあれよあれよというまに話が進んでいったという感じ。
特に今月号、張飛は今まであまり主人公・孔明との接点がなかったせいか、ちょっとあっけない展開だったなあという気もなきにしもあらず、です。
曹操は孔明の最大の敵・同じ人間(というものの総体というべきか? 作中ではこの時代の体現とも表現されていました)の裏表という大事な役割だったし、関羽は登場回数は少なめでもたとえば第17場(ずいぶん前だなあ…)で仕官直後のまだ迷いが多かった孔明に武人の考え方と軍師の立場の違いを示唆するなど孔明との接触もありましたし、この2人の死は物語の中でちゃんとひとつの楔として機能していたと思うのですが。
張飛が物語に対する関わりが薄いのは、時地が三国志としてはかなり文官寄りの語り口を採用しているからだと思います。でも文官と武官は頭(精神)と身体のように切っても切れない間柄のはず、欲を言えば張飛のような「武」一筋の人物についても読者に共感を抱かせるような描き方がされていれば、今月号の展開ももう少し感情移入できたかなあ、と。
まああれもこれもと望んでもいけませんね。

・漢王朝の帝を名乗るか否か、の孔明と劉備の会話、いわゆる名君と呼ばれた人物は多かれ少なかれ劉備が言ったように「帝や王朝なんてものは実体はなく 人々の心の中にある幻影にすぎん」「道化のような役」ということを自覚していたのだろうな、と思いました。
この場面、2人の聡明さを表すシーンでもありますが、ちょっと視点が俯瞰的すぎるかなあ、というのも気になるところ。「時代」の様相って過ぎ去ってみないとなかなかわからないものですから。でも2人の「時代」という言葉の使い方には、当事者というより後世の歴史家の視点があるような気がします。同じ聡明な人物でも、時代の渦に巻き込まれて精一杯泳ぎきろうとしている実感は曹操のほうが濃かったかもしれません。作品中の役割として、孔明と劉備は作者の代弁者的存在という立場なのでどうしてもこうなってしまうのでしょうが。
この会話の最後に、劉備が「人びとのふつうの暮らしのため 秩序を定め遂行していく政治機構」を作り維持していくのは「権勢でもなく栄華ともほど遠い 地道で苦難な道のり」と言うシーンがあります。それはまったくそのとおりで、でも孔明がそのことを「覚悟して」しっかりと受け止めることができたのも、孔明の頭の良さや志の高さ、意思の強さだけが理由ではなくて、そのことをわかってくれている、認めてくれる人がちゃんといる、というのが大きかったのではないでしょうか。どんなに立派な人でも、やっぱりこの世に自分のことをわかってくれる人がほんの少しでもいてくれる、と思えなければ何かを達成するのは、いや生きていくことそれ自体さえも難しい、と。
だから劉備は別格としても、孔明のそばには士元がいなくてはならなかったし、士元がいなくなった後では子竜や馬超が必要だったのですね。

・それから馬謖! 南越の間者だったことが馬良にばれてしまいましたが、あのまま本当に蜀を出て行ってしまったんでしょうか?
この会話のシーンが5月で次のページの出兵が7月と、2つのエピソードの間に2ヶ月もたっていますが、この間馬謖の身の振り方がどうなっていたのか疑問なところです。ほんとにこのまま退場しちゃったのなら、「泣いて馬謖を切る」は時地には出てこないわけ? それともこれからまた新展開があるのかな?? あのエピソードを諏訪さんがどう描くか楽しみにしていたのですが…。気になるーー。


★『flowers』2006年5月号(2006年3月28日発売)

・成都の劉備陣営に関羽戦死の報が届いた。悲嘆にくれる武将達に劉備は荊州への出兵を命じる。報復のためかと危惧した孔明だったが、劉備の真意はかつて苦難をともにした難民たちを救出することだった。
魏の都・洛陽では曹操の病状がますます悪化、余命を悟った曹操は自分の死後の施政について曹真と仲達に指示を出す。それは国を統一し一国独裁の体制を固めるかと思えた仲達の思惑とは裏腹に、国を3つに分裂させる結果を示唆していた。秩序を求める遺志は理解できても、三国鼎立の真意を仲達は知ろうはずもない。
そしてとうとう危篤状態に陥った曹操のもとへかつての侍医・華陀が訪れる…。

・関羽に続いてとうとう今月号では曹操も退場です。
そろそろ物語自体が終結に向けて一気に動き出そうとしているのか、掲示板に書き込みしてくださったかたもいらっしゃいましたが、なんだかあっというまの出来事だったような気がします。
もちろん何ヶ月も前から曹操の病気は描かれていたのだし、唐突というわけでは全然ないのですが、曹操はこの物語において冒頭から主役・孔明の運命を決め(というか運命そのものになっていたような節も)、孔明の対となるキャラクターとして物語の一方での牽引役となってきただけに、その最期なのだからもっとなんというかもったいぶってもよかったのでは、とも思います。
でもここで徒に劇的に盛り上げまくろうとしないところが諏訪さんらしいところかも。

・世代交代の時期は一足早く魏のほうにやってきました。
仲達は「自分の信じる道を探す」ことは決意したものの、まだまだ状況に流されているようす。このままの状態でいつのまにか魏を乗っ取ってしまうというのも物足りないかも。もう少し話が進んだら腹をくくって自分が矢面に立つ覚悟も出てくるのでしょうか。
曹操の「帝はおまえが殺せ」から「帝は死んだと皆に信じさせること それが肝要なのだ」というせりふ、これはやっぱり仲達が隴を殺せなかったことを知っているからこそ、だと思ったのですがどうでしょう。
そうでなければわざわざ仲達を指名しないと思うし、あの含みのある言い方も気になります。本当に殺したいのなら「絶対に殺せ」というような言い方をするはずなのに、「死んだと信じさせろ」というのは「実際には死んでなくても皆が死んだと信じることが大事だ」ということですよね。
かつての曹操なら自分の計画の邪魔になるものは徹底的に排除したはずなのに、さりげなく逃げ道を作っておくような行動に出たのは華陀じゃないけど曹操の変化かと。
でもはっきりと「殺す必要はない」とは言わずに、仲達が言葉の裏を読み取れなければそれでもいい(きっと読み取れるとわかってはいるけど)、というくらいの譲歩ですが。

・臨終の曹操と華陀の会話を読み、やはり諏訪作品では会話・対話というのは特別な意味を持っているのだなあと思いました。
普通これくらいの重要なキャラクターの最期なのだから、曹操の回想とかモノローグが延々と続いてもおかしくないんですけど。
曹操のせりふに「この国には 欲に歪み人間同士が喰いあいながらも (いつの時代も)それを超え秩序を回復しようとする理念の力が息づいている」とありますが、なんだか現代人には耳が痛い話…。
今の時代にもちゃんと「理念の力」は働いているのかな? 今までの歴史を見る限り、「いつの時代も」なのかもしれないけど、未来がどうなるかはわからない。最近のニュースや世界情勢からは世の中はどんどん悪くなっているような気がするし…。
これまでずっと「理念の力」をもって人間はなんとかやってきたのだから、これからの世界でも私達がそれを働かせてちゃんとやらなきゃね、という諏訪さんのメッセージなのかもしれません。



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