今月の『諸葛孔明 時の地平線』

★『flowers』2005年9月号(2005年7月28日発売)

・ギョウの宮殿では曹操の後継者争いが始まり、仲達も、兄が戦地を視察中に何者かに殺され、本人の思惑とは裏腹に否応なく政治の渦中に巻き込まれていく。
涼州奪還の戦いは、馬超・張飛の連合軍が一旦撤退はしたものの、孔明の策で一気に優勢に巻き返した。
曹操に命じられて漢中攻略戦への出立を間近に控えた仲達は、思うところあって「柏家」を訪れる。

・今月の表紙は初めて隴ちゃんが登場。昔から別嬪さんだったけどすっかり大人の女性になりました。着物の柄も奥ゆかしくてかわいい。馬やロバではなくて鹿に乗っているのもイメージぴったりです。
脇役&動物シリーズの表紙、子竜や共都姐さんも希望。この姉弟ってなんだか桑田乃梨子さんの『だめっこどうぶつ』に出てくる熊川姉弟を思い出します。子竜はあんなに脳天気じゃないけどね(笑) 姉御肌の姉さんはそっくりかも。

・今月は初っ端から会議の描写、やっぱり時地は文官の三国志なのですね。しかしこの会議、やけに現代日本的。当時の中国でもこんな会議をしていたのかな? この8時間という具体的な数字はいったいどこから…。こういう資料をちゃんと調べて裏を取っているとしたらすごいです。なんだか諏訪さんならそのくらいやってそうだわ。
しかし孔明ですら公的な仕事のときはちゃんと正装しているのに、仲達のお気楽な服装はいったい…。髪は結ってないし無精ひげだしラクダのシャツ着てるし。て言うか当時ニット素材ってあったのか? あのラクダシャツの襟元はどう見てもニットぽいのですが。
それにしてもこの陳羣はかわいいです。馬岱系キャラ? 君たち、ここは学級会ではないのだよ、と言いたくなってしまいます。

・場面変わって劉備陣営、当たり前のように馬超がいて一安心です。先月号の「生きてまた会おう」が妙に意味深なせりふだったので、ひょっとしてこれっきり退場? と不安にかられていました。よかったよかった。
馬超は一応病没ということになっているようですが、正確な没年や理由は明らかではないらしくて、時地ではどういうふうに退場になるのか、考えるだけでどきどきしてしまいます。北方版のように思い切った措置を取っていただけると嬉しいなあ。
でも史実どおりの展開で、孔明の心に鮮烈な印象を残す、というのでもいいかも。
今月は孔明が終始冷静なのに対して、子竜と馬超は相変わらず「少年漫画のライバル」していて微笑ましかったです。あかんべしている馬超って子竜の脳内映像ですよね。子竜の頭の中ではこういうキャラなわけね、馬超は。わはは。

・今月ようやくと言うべきか唐突にと言うべきか、黄忠が初登場。できれば一言でも説明がほしかったところですが、作中でやるとそこだけ浮いてしまうのかも。丹羽先生のエッセイに期待しましょう。時地では「五虎将軍」というネーミングは出てこないのかな?
しかし時地は「少女漫画だから美形ばかり出てくる」と言われがちですけど、実は諏訪さんって老人やおじさんを描くの上手ですよね。若い2枚目よりも気合が入っているような気がします。あのシワの描き込み具合に。

・先月号で「?」だった「柏家」、仲達の許婚の家だったんですね。やっぱりちゃんと考えてあるんだー。
許婚のお嬢様は英さんにちょっと似てますね。年の差があるところも共通点。
でも孔明と比べると仲達はなかなかいいダンナさんになりそうな気がします。「立場上いろいろな家との縁組が決められておりましてな」「このていどの男でもモテモテなんですな」ってなかなかこんなに気負うことなくさらっと平気で言えないのでは。
時地の仲達は、廃屋での孔明の印象でもそうだったけど、あるものをあるがままに受け入れる、改革もするけれど基本的にはちょこっと力を加えてやるだけで、あとはなるように流れにまかせる、という性質があるみたい。孔明のように「〜ねばならない」という気持ちがあまりなさそうな。
孔明は英さんとの婚約のときに「お嬢さんの本当の幸せを考えて云々」とか言ってましたもんね。仲達は「こういう家に生まれちゃったんだから(生まれる家は選べないし)、結婚もこういうふうに決められて当たり前、じゃあそのなかで皆が幸せになる道を考えましょう」という感じです。
でも案外隴ちゃんとお似合いのような気もしますよ。さすがにそれはないでしょうけど。
そうそう、今回、前半の兄の件で曹操と仲達の間に溝が入り、それが後々仲達がとんびがあぶらげかっさらっていく(なんつー表現だ)遠因になるのでは? と思ったのですが、隴ちゃんとの会話を読む限りではそうでもなさそうです。
最初仲達は曹操を「実に興味深い」と見ていたけれど、その印象は今どうなっているのかな? 仲達も孔明と同じく、曹操という「時代の熱」に影響されているのでしょう。2人の関係(というか仲達の曹操に対する感情)が今後どう変わっていくのか楽しみです。

・今月は諏訪さんの体調がよくなかったのか、ネームがなかなかできなかったのか、大きい絵はそうでもないのだけど小さい絵や目立たない部分の背景が少し荒れているように思えました。「待ちくたびれたぞ 趙子竜!!」のコマとか。でも馬超は案外ぞんざいな(失礼)絵のほうが雰囲気出ているかも。
諏訪先生、毎日暑いのでお身体お大事に〜。


★『flowers』2005年8月号(2005年6月28日発売)

・曹操の書簡が届いた約9ヵ月後、孔明の邸を訪れた女性は「柏家の使用人」と名乗り、英に包みを託していった。
彼女の様子からホウ家の関係者ではないかと思った英だが、包みを開けた孔明の反応と訪問時のようすを照らし合わせて、行方不明の孔明の妹・隴が訪ねてきたのだと思い当たる。
無事が確認できはしたけれど、彼女の不可解な行動は孔明を困惑させる。
呉では親劉備派の筆頭・魯粛が没し、情勢は刻々と変化していく。
そしてついに馬超が涼州の各部族と連合して決起し、蜀の援護を得て曹操から涼州を奪還するため出立しようとしていた。

・今回の表紙は孔明と桃を持った謎の子ども。中国の神話や歴史に疎いのでよくわからないのですが、これは何か有名な話を下敷きにしているのでしょうか。
個人的には坂田靖子さんの漫画『桃源郷』を思い出しましたが。

・隴ちゃんの行方がずっと気になっていましたが、とりあえず無事だとわかって安心しました。
でも正直言ってもう少し引っ張ってもよかったかな、という気もします。人質に取られてから今まで何年たってるんだ引っ張りすぎ、ということもあるでしょうが、先月号の引きで「隴ちゃんの運命は!?」と不安になっていたのに、かなりあっさりと不安が解消されてしまった感がありました。
柏家というのにも何か意味があるのかな。単に仲達の親戚か何かで隴ちゃんをかくまってくれている家の名前なのかもしれないけど、ひょっとしたらなにかの暗号とか、孔明にならわかるような謎かけがあったりして。
彼女を助けてくれたのは仲達だというのはほぼ確定と見なしていいと思うんですが、それなら孔明は仲達に大きな借りができたわけです。今までも時地の孔明が南征・北伐をするのがちょっと想像できなかったけれど、妹を助けてくれた仲達を討つために軍を出す展開にどう持って行くのかますますわからなくなってきました。
それとも隴自身も誰が助けてくれたのか知らなくて(真相を知る人が少ないほど曹操の命令に背いたことがばれにくくなりますから)、孔明も仲達に特に恩を感じない、ということになるのかな?

・そして後半、今回の一番の見せ場は孔明と馬超の会話でしょう。
(考えてみると「会話」が見せ場の三国志ってやっぱりかなり独特なのでしょうね。厳密に言えば時地は「三国志」と言うより「諸葛孔明物語」なのかもしれませんが、それでも今までになかった語り口なのは確かです。)
いやー何といっても「うっとおしいぞ その性格」ですね! 今まで誰も言わなかったこと、孔明の頭のよさと真面目で真剣に平和を願う気持ちに押されて(ごまかされて? いやいや・笑)言えなかったことをさらりと言い放つ馬超、やっぱりいい男だー。
あ、でもダム視察のときにも寧々に「なぜ? 孔明さまが私に謝られるのですか?」と言われてはいたけれど。でもあのときは確かに、もっと早くから腹を割って話し合っていれば、というのもあったし。
馬超の言葉にはかつて子竜が言ったのと同じく「すべてを自分ひとりで背負い込むな」という意味もあったのでしょうが、それよりも「みんなが自分と同じだと思うな」というニュアンスのほうが強くて、それは、人はみんなそれぞれに違う、その違いを尊重しなければならない、でも人である以上共通するところ・わかりあえるところは確かにあって、頭ごなしに否定するのではなくわかりあおうと努力しなければならないのだ、というこの物語のテーマに通じているのだと思います。
この流れに持ってくるために何年も前から張っていた隴ちゃんという伏線をここで出してくる構成にも感心しました。何かを伝える(コミュニケーションをとる)には気持ちだけじゃなくて技術も必要なのですよやっぱり。
馬超との会話の後で、初めて孔明が「オレ」と言ったのが嬉しかったです。タメ口がきけるようになったのは、やっと馬超に心を開いたということですもんね。赤壁でたくさんの羌人を殺したという罪悪感は一生消えることがなくても、それが馬超との友情を持つのに妨げになるわけでは決してない。もちろん簡単にはいかなかったけれど。
しかし史実(演義)どおりにいくならそろそろ馬超にも退場の時期が迫っています。
そう思って読むと孔明の「生きてまた会おう」というせりふが泣きたくなるくらいに悲しい。ひょっとしてこのまま退場してしまうのかなあ…。


★『flowers』2005年7月号(2005年5月28日発売)

・漢中に陣を敷き蜀攻略を狙う曹操軍を撤退させるための策を孔明は張飛に一任する。戦場で曹操と雌雄を決することを望む馬超にそれをまかせなかったのは、曹操軍に少なからぬ数の馬超の同胞・羌族が含まれていたからだった。
赤壁で自らが殺した兵のことを思うと、孔明は馬超に「なぜ張飛を起用するか」が言い出せない。しかし劉備との対話の中で、孔明は為政者として強い意志と罪悪感をもって責任を持ち続けることの大切さを悟る。
一方、仲達は兵達との会話の中で漢中からの上手い撤退策を思いつくが、曹操への進言によって思わぬ波紋が起きることに…。

・連載再開で巻頭カラーです。今回の表紙も美しい〜。「動物と私」シリーズ(勝手に名前つけるな)も主役&龍で絶好調、しかも久しぶりの総髪(と言っていいのか)に孔明らしからぬ派手な衣装でちょっとびっくり。こういう衣装には元ネタというか資料があるのでしょうか?

・馬超は初登場のときからキャラが立っていましたが、最近ますますいいキャラクターになってきましたね。子竜との漫才シーンはいつ見ても楽しい。この2人、反発し合っているようで実はよくしゃべっているのを見ていると、時地の大きなテーマのひとつである「対話の重要性」を感じます。口ではいろいろ言いながらも話すことで理解を深めているような気が。もちろんお互いに武将としての腕を認め合っているというのも大きいのでしょうが。
しかし馬超は単純明快なようでいて鋭いというか、いや単純だからこそすぱっと割り切った見方ができて、それは短所かもしれないけど何かと思い悩む性質の孔明にとってはこういう人が側にいるのはとてもいいことなのではないかと思います。
後半の「下劣な男め」「じつにくだらん!」とばっさり断言する潔さは孔明にはないもので、もちろん「対話もせずに単純に人を判断しない」という自戒が孔明にはあるのだけど、たとえ気休めにすぎないかもしれなくても、そういう明快さが必要なときもあるのではないでしょうか。

・今月号も劉備と孔明の会話をしみじみと読みました。この2人の会話にはいつも新しい発見があります。しばしば孔明が劉備に教え諭されることが多いようですが、実際劉備も孔明からは少なからぬ影響を受けているのではないかと思います。
だって自分以外の他者がいる、他者を認めるというのはそういうことだから。
今回私は「いや それは違うぜ 孔明」「どの時代の為政者も 罪から逃れられないんじゃないか?」という言葉が心に残りました。このきっぱりとした否定に孔明と同様に劉備の強い意志を見たような気がします。
それと、本当は罪から逃れられないのは為政者だけではなくて誰でもそうなんじゃないのかな。よく「罪もない民衆」などという言葉を使いますが、私達の生活も「前の時代の 大勢の死・苦痛の上にある」のだし、過去のことに対する直接の責任はないにしても、過去の事実を踏まえてよりよい未来を作っていくことには全員が責任を持たなければいけないのではないかと思います。

・以前から時々「隴ちゃんはその後どうなったのかな」という話題が掲示板やなにかで出ていましたが、とうとう出番が! やっぱり諏訪さんちゃんと考えててくれたんですねえ、よかったよかった。と思うまもなく危機が〜。
でも「ぼっちゃん」な仲達のことだから多分殺せなくてこっそり助けてくれてるのではないかと思うんですが…。希望的観測だけどそう思いたい…。
でも前回孔明と仲達が出会ったのはこのエピソードの前哨という意味もあったんじゃないかなあ。
もしも隴ちゃんが「顔も知らない敵の軍師(どうやらえらい切れ者らしい)の妹」というだけならあるいは仲達も曹操の言うとおりにしていたかもしれませんが、一度でも会って親しく話して共感もしたし刺激も受けた、戦がなければきっといい友人になれていたに違いない、「顔の見えている」相手の妹となれば、殺すに忍びない、殺せないと思うのは人情ではないかと。
そしてそのことこそが孔明が「対話」にこだわる意味だと思うんです。
馬超だって「漢人」という抽象的な概念しかなかったころは「漢人を皆殺しにする」と言ってはばからなかった、でも漢人の知り合い・友人(と言っても差し支えないですよね?)ができ、劉備を慕う人たちに会ってしまった今となっては考えが変わってきているはず。
人を属性や集団として見るのではなく、個人と個人として相対すること、理解しようと試みること、それが「一番遠回りで絵空事に見えた道が 一番安全で近道だったんじゃないだろうか」ということなのではないでしょうか。



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