今月の『諸葛孔明 時の地平線』

★『flowers』2005年3月号(2005年1月28日発売)

・益州の馬超のもとへ孔明に左遷された彭ヨウがやってくる。孔明を恨むあまり外様の馬超をたきつけて孔明を亡き者にしようというたくらみだった。
一方荊州・公安では荊州の半分を奪還した陸遜の真意についての軍議が行われ、孔明は内外ともに問題が続出し心の休まる暇がない。
荊州をめぐり一触即発の状況を画策する陸遜の真意は、また孫権・劉備の不和を利用しようと虎視眈々と付けねらう曹操の思惑は…。

・今月号は記念すべき連載50回目! 諏訪先生おめでとうございます。
「三国志」全体で見ればまだまだ先は長く、ようやく折り返し点に来たかなというあたりですが、今後も今までのように読み応えのある連載を楽しみにしています。
少女漫画で「三国志」という前代未聞の試みですが、ぜひとも五丈原まで描ききって堂々のラストを迎えていただきたいですね。

・さてさてまずは表紙から。
1月号から動物&脇役シリーズだったけれど、今月は動物&孔明でしかもカラーページ。動物もいままでの表紙が馬や虎など実在の動物なのに対して今月号は麒麟です。さすが主役は特別?
と言うか麒麟と言えばビール、じゃなくてすぐに思い出すのは小野不由美さんの『十二国記』シリーズ。あの作品に出てくる麒麟の役割や特性と孔明のキャラクターはなんとなくかぶるところがあるように思います。
まさかそこまで意識して描かれたわけではないと思いますが。
でも今月の扉絵すごく好きです。10巻の表紙になるといいなあ。

・以前から馬超が気に入っていましたが、今月号でますますお気に入りに。表情が豊かでかわいいです〜。整った真剣な表情よりもムッとしてるところとかあきれてるところとか、なんだか生き生きしてますよね。馬岱との対比というか名コンビぶりもほほえましい。まあ好き放題やってる王子様(誰のことだ・笑)を常識人・馬岱が一方的にフォローして回ってる、といったところですが。馬超に振り回されるバタちゃんはかわいいぞ。(特にP205の4コマめ)

・劉備たちとの軍議のシーンを読んで、しみじみと孔明は「世界」に出たのだなあ、と思いました。
なぜか唐突に連載初期の、自分の道を選んで進むことを望みながら恐れていた姿が思い出されてしまって。
最近登場人物が増えて状況も複雑になってきてじっくり読まなければわかりにくいような展開になっていますが、「世界に出る」って結局は「人に出会う」ということなのかな、とか思ったり。
世の中にはいろんな人がいていろんな考え方があるから摩擦も起きる、うまくやれないこともある、思い通りにいかないこともある。皆が生きやすい、皆が幸せになれる理想の世の中を目指しているのに、それは間違っていないはずなのに、というジレンマはあるけれど、でも、利害関係も性質も価値観も違う人どうしがそのままぶつかり合うというのは不幸なことではあるのだけどある意味健全なことなのかもしれません。全員が同じ世界ってやっぱり不自然だもの。
馬謖が読み上げる陸遜の調書を聞く孔明の表情が印象的です。
陸遜もまた孔明や馬超と似た境遇にありながら、どうして3人はこんなに違ってしまったのか。また彼は朱津とも似た生い立ちをしているのに、どうして彼らは違う道を選んだのか。もちろんそれ(個性)が人間のいいところなのではありますが。
孫家に恨みがあるから劉備と孫権を対立させるという目的はわかるけれど、それなら彼が最終的に目指しているものは何なのでしょう。曹操に代わって天下を取る、ということでもなさそうですし。一応三大勢力が落ち着いている今の状況には入り込めなさそうな気がしますが…。

・掲示板でも話題になった曹操と仲達のシーン、あらためて読み直してみるといろいろと発見が。
まず曹操の服。この時代豹柄ってありなの? 似合ってるから無問題?
いやそれは冗談として。
剣を向けられたときの仲達の言葉や態度ですが、その前のシーン(うちで本を読んでいる)を参照してみると、やはり彼も「世界」に出て行こうとしているのかな、という感じがします。今までは地方行政の改革に腕をふるって「自分の考えが組織のすみずみまでゆきわたり 改善されていくさまを見るのが ただおもしろく興味深く」と思っていたのが、曹操に登用されてより広い世界に触れたことがきっかけで、ひょっとしたらすでに「国を自分の思い通りに動かしてみたい」という望みを(無意識のうちにかもしれないけれど)持ち始めているのではないか、と。あの震えているシーンも、そういう望みを自分が持っていることを自覚したことへの恐れなのかもしれません。孔明が託された責任の重さに震えて涙したときのように。
しかし曹操はやっぱり仲達を気に入っているのですね。後になって震えがきたとはいえ、曹操に剣を向けられて平静に理路整然と受け答えができたのは彼だけですから。
いやしかし、最近話が「三国志」的にも諏訪さんオリジナル解釈的にもどんどん複雑になってきて、読むのがちょっと大変です。でもその大変なところが面白いんですよね〜。ちくま文庫の『三国志演義』で予習復習しようかな。


★『flowers』2005年2月号(2004年12月28日発売)

・少数民族への差別をなくすため法の改正に乗り出した孔明と法正。だが今まで羌人を「財産」と見てきた蜀の豪族たちを説得するのは容易ではない。馬謖の助言により「利益・不利益」の視点を持ち出すことでかろうじて第一関門を突破することはできたようだが道はまだ遠く、孔明は豪族でありながら真に国や民のことを考えていた士元に思いを馳せる。
その頃呉では蜀に対して煮えきらぬ孫権の態度に不満を持った陸遜が行動を起こし、魏では曹操が江東に牽制の兵を出そうとしていた。

・最近扉絵は脇役シリーズ? 今月号は虎と馬謖ですが、この虎がなんとも個性的でユーモラス。先月号の司馬懿の馬といい、どこかに元ネタ(多分遺跡の壁画とか)があるのではないかと思います。お心当たりのある方、よかったら教えて下さい〜。

・孔明と蜀の豪族たちとのやりとり、「利益・不利益」の視点を出したのが馬謖ということもあり、今後は馬謖が以前の士元の立場にたつのかなあ、という気がちょっとしました。孔明もいろいろと連れまわしたり仕事を手伝わせたりして馬謖を育てるつもりのようですが、士元のことを回想するシーンなどを読むとやはりまだまだ馬謖では心もとない。年齢や育った環境が違うというのもありますが、馬謖には余裕がないのが一番の原因かと。
でもその余裕も生まれや育ちに決定される部分が大きいので彼のせいとばかりは言えませんが。

・よく政治家としての諸葛孔明は非常に潔癖で公平な人だったと言われていますが、このエピソードでその一部が垣間見えたような。
馬謖が「あなたの理論は新しすぎる」と言っていますが、政治に公平で健全な経済的視点を持ち込むのが斬新だったということなのかな? お金はひとつのところに溜め込まないで回さないといけない、みたいな。

・今回は蜀・呉・魏と3つの陣営が平行して描かれて、なんだか「三国志」だわー、とわくわくしました。今までどうしても孔明=蜀に比重が大きかったので。
陸遜と呂蒙もようやく登場ですね。陸遜に関してはもう少し線の細そうなイメージを勝手に持っていたのでちょっと意外。時地版陸遜は豪胆で頭も回る、地味だけど手強い、やるときゃやるぜー、みたいな印象です。今後の活躍に期待大。

・そして魏では先月に続いて司馬懿の出番が〜。
今はまだ自分の考えが形になってうまく機能しているのを見ることが幸せ、という段階のようですが、彼がもう1歩先を見据えて行動するようになったときが今から楽しみです。
筍ケの言葉「曹操の懐にあっておまえのなすべき道を見出してほしい」が実現したらどうなるのか。曹操(魏)を内側から操って、自分の考えを形にしてうまく機能させることによりなすべき道を進む、と、うまくやっていけるのかな。
それが実現できたとしたら、申し訳ないけどやはり孔明よりも彼のほうが一枚上手かもしれないですね。目的を達成するためには正攻法で押すだけでなくてうまく引くこともあえて泥をかぶることもできる、というか。理想がない(今のところ)ぶん司馬懿のほうに分があるのかもしれない。目の前の目的を達成するために一番有効な手段を取れるわけですから。
彼はまだ目覚める前の龍なんでしょうね。そして目覚めないかもしれないからこそ恐ろしいのかも。だって目覚めなければ「理想」はいらない、「頭脳」だけでやっていけるんだし。
(ああなんだか支離滅裂…。)

・今回ラストの引きに「おお! そうきましたか〜!」とちょっとわくわく。この後どうなるのだ〜?
でも馬謖は孔明を心の中で「あの人」なんて言ってるくらいですから、以前のような敵意はないはず。殺さなくても自分たち少数民族にとっていいように働いてくれるならそれでもいい、くらいに思ってるんじゃないかなー。(はっ、緊迫感なし? そりゃマズイか。)


★『flowers』2005年1月号(2004年11月28日発売)

・蜀郡の太守となった法正は過去に羌人を迫害した豪族を次々と処刑し始めた。内乱を危惧した孔明は、偶然出兵の見返りを求めに訪れた馬超とともに現場へ向かう。
私怨に走る法正の気持ちは馬超を同道した孔明の「少数民族を迫害させぬよう法を制定する」という言葉によって収められた。
一方曹操陣営では、後継者問題にからみ司馬仲達がいよいよ表舞台に出る可能性が…。

・今月号は話的にあまり大きな動きはなかったのですが、なんだか落ち着いてじっくりと読めました。
好きなキャラ2人(馬超と仲達)が久しぶりにいい役で登場したせいかも。
諏訪さんが公式サイトの日記でときどき書いてらっしゃる「描きにくいキャラ」って馬超のことでしょうか。
バリバリの武人で体育会系で、というと子竜なんかもそうなんですが、それに加えてカリスマ的なオーラもあるし民族のためという使命感も悲愴感も持っている、というあたりがちょっと捉えにくいのかも。
と言うかあの(諏訪作品の中では)男くさい雰囲気が諏訪さんにとっては今までのキャラとちょっと勝手が違うのかもしれませんね。
私は北方版三国志の馬超がすごく好きで、あの少し内省的(といってもいいかな? 蜀を離れてからラストに向けての描写あたり)な部分が時地馬超の悩みの部分(「漢人の血を絶やすことはできないのか」)と重なるところがあるように思います。

・孔明が法正を説得する場面では、だいぶ前(2巻の曹操との会話)に出てきた「法による統治」がいよいよ具体的になってきた感があり、なんだかわくわくしてしまいました。あの曹操との会話を読んだのはだいぶ昔のような気がするのですが(作品中では12年前)、あの頃まだ何者でもなかった孔明がようやくここまで来たんだなあ、と。
しかしこのシーンの馬超は男前でしたね〜。(結局それか!)

・後半仲達のエピソードに続くまでのインターバルは孔明の家庭の事情(オイ)。
ひとり「子どもを政治の道具にするなんて!」と憤る孔明を尻目に、最初こそ驚いたものの淡々と&着々と養子縁組を受け入れる周囲の人たちがいいですね〜。黄先生もちゃっかりと「もっと言え」とか言ってるし。多分現代に比べてこの時代は、政治的な目的に限らず養子縁組というものがかなり一般的だったのでは。
喬くん本人もめちゃくちゃ乗り気だし、あまり堅苦しく考えないでもうさっさと結婚して養子もらってみんなで大家族になっちゃえば? と言いたくなってしまいます。
ほら昔は何世代も同居して、叔父さんとか叔母さんとか、どういうふうに血がつながってるのかよくわからない遠縁の人とかも一緒に住んでたじゃないですか(ちょっと違うか)。
いやまじめな話そういうアバウトさも孔明には必要だと思うのですよ。本人は「みんなに甘えることになる」のを心配してすまないと思っているみたいだけど、近しい人にとっては「遠慮なく甘えてほしい」っていうのもありますから。

・そして後半は久々に曹操&仲達の登場。待ちかねましたー。
以前もちょっと思ったのですが、仲達ってもうひとりの孔明みたいなところがありますよね。
性格はかなり違うのだけど、頭の働き方(って変な言い方だな)はよく似ている。
もしもあのとき孔明が曹操のもとに残っていたら、ひょっとしたらこういうふうになっていた可能性もあるかも、と思うと興味深いです。
まあ仲達のようにのほほんとした性格でないと、曹操と不器用に正面衝突してあっというまに粛清されていたかもしれませんが。
しかしお兄さんも仲達バージョンアップ版と言うか、柳に風を体現したみたいな人で好感度大です。切れ者ぞろいで有名な家系ということだけどあまり鋭い感じではなくて、ほかの兄弟もみんなこんな雰囲気なのかな?
そしてラストでは孔明との邂逅の可能性も示唆していますが果たして…。
あの時代は今と違ってメディアも発達していないし、相手がどんな容姿なのかどんな性格なのかは風評で判断するしかなかったはず。交通も発達していないし遠く離れた場所にいる2人が実際に会うなんてまず考えられないことだったでしょうが、もしもそこをあえて覆すのならどういう風に描いてもらえるのかなあ。楽しみです。



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