今月の『諸葛孔明 時の地平線』

★『flowers』2004年12月号(2004年10月28日発売)

・成都で職務を執る孔明のもとに呉から魯粛と兄・諸葛瑾が訪れた。会見の席で瑾は孔明に自分の息子・喬を養子として迎えてほしいと頼む。人質政策ではないかと反発する孔明だが、呉と蜀の関係はそこまで切迫していたことに思い至る。
劉備から士元が残した蜀の農地に関する調書を託された孔明は士元最期の地となった堰堤を訪れ、それが建設された500年前の治水技術に驚く。英のアドバイスもあり、孔明は「残されたものを守り受け継いでいく」決意を新たにするのだった。

・久しぶりに瑾兄さんが登場。あまり変わらないようでいて、1巻の頃と比べるとやっぱり少し年を取ったように見えます。そういえば1巻で隴ちゃんの縁談をまとめたときは孔明を子ども扱いしてさっさと自分で話を進めてしまったのだけど、さすがに今では仕える主君は違っても文官として対等に考えているような節もあり結構私としては嬉しかったり。
人物たちがあまり年を取らないように見える絵のせいもあってか、読んでいてもあまり作品中での月日の経過に気がつかないのですが(私だけ?)、やっぱり確実に時間がたっているんだな、と思わせられました。
あ、でも、時間の経過に気がつかないのは孔明の内面が変わらないからかも。
養子の話に対して見せた潔癖さと言い、この人はほんといつまでも青年だなあ、と思います。「清濁併せ呑む」ことを良しとしないでどこまで行けるのか、ちょっと不安ながらも興味津々といったところ(無責任な発言だな)。
そういうことが得意だった士元なき今、そこをカバーしてくれる人材は蜀にはなかなかいないような…。

・夜中に屋外で酒を飲む劉備、『紀信』の1シーンを思い出します。
「オレはやつにとって信頼に足る主じゃなかったんだなあ…」という劉備のため息がとても悲しい。
でもキツイかもしれないけど「信頼」って一方通行じゃないんですよね。お互いの歩み寄りがなければ築けない関係。劉備は士元に信頼してほしいと思う前に、自分は士元のことを本当に信頼していたのか、信頼していたとしてそれをちゃんと士元に伝える努力をしていたのか。
どちらも相手の懐にもう一歩が踏み込めなかったのは、孔明と劉備の間に(そして多分関羽、張飛、子竜と劉備の間にも)あった啓示とも言えるような「直感」が士元と劉備の間にはなかったからかもしれません。隴ちゃん救出作戦のときなど士元は結構劉備に一目置いていたようなところもあったのに…。
まあ士元は周瑜を理想の主と思っていた節があるし。
2人に不足していたものは会話もだけどわかりあうための時間もだったんでしょうね。

・堰堤での寧寧と孔明の会話、静かで心に沁みました。
魯粛・瑾との会見後に士元がもういないことを「心が認めたがらない 気持ちがついていけない」と考えていた孔明も、彼女と話すことによってようやく気持ちに折り合いがつけられたようです。
冒頭「なぜ? 孔明さまがわたしに謝られるのですか?」のくだりでは、寧寧が孔明を非難しているようでちょっとどきっとしましたが、彼女の真意は「なんでも一人で背負い込むのはもうやめてください」ということだったのかな。
「後世に名を残したいなんて下品な望みはないよ」という3巻の第12場に出てきたせりふがここで出てくるなんて、私は思わずじわっときました。思えばあのときが孔明が初めて士元のことを認めたときだったような。それに多分士元は寧寧にははっきりと言葉にして言ってはいなかったのだろうに、彼女はちゃんと士元のことを理解していたんですね。

・孔明にとって英さんとの会話はいつもなごみと新しい発見があるようです。ダムの再建を考えて目を輝かせる孔明を見つめる英さんの目もまぶしそうでなんだかかわいい。
孔明の夢がいつのまにか英さんの夢になっているのかも。とても遠くにある、でも同じところを見つめているカップルというのはいいですね。
しかし英さんの「いつでも人は同じくらいなんじゃないでしょうか」という言葉は、良い点だけではなくて悪い点にも言えると思うと複雑な気持ち。
昔の人と同じように現代の人も愚かだ、という意味でもあるわけですから…。


★『flowers』2004年11月号(2004年9月28日発売)

・公安の仮城に戻った孔明のもとへ「士元が行方不明」との報が届く。にわかには信じがたく呆然とする孔明だが、蜀を巡る事態は緊急を要するため士元の行方を探索するより先に成都包囲へ向けて進軍を開始する。
士元の3年に及ぶ根回しが功を奏し、成都は無事無血開城され劉璋も益州牧の座を劉備に明け渡した。
士元が消息を絶った地をようやく訪れることができた孔明。しかし士元の最期を思い涙する間もなく曹操・孫権が蜀に向けて動き出そうとしていた。

・冒頭のシーンは先月号の1ページ目と同じ。先月は不思議だったあのページの謎がとけました。
宏と会話する士元は親バカ入っててちょっとかわいい〜(孔明もいずれこうなるのかね?)。「人生ってのは甘くないんだ 君もぼくになにかくれなくっちゃね」とはまたわが子に対しても士元らしいせりふですが、結局この被り物は孔明の手によって彼らのもとに届けられたのだと思うとなんだか不思議。
でも本当は士元も宏が「いるだけで『なにか』を与えてくれている」のだということはわかっていたんでしょうね…。
華陀はきっと士元の生命が残りわずかなのを知っていて夢を見せてあげた(夢と思わせてテレポーテーションさせた?)のでしょうが、身近な人の余命がわかってしまうのは彼にとってはとてもつらいことなんだろうと思うとなんだか切ないです。それとも既に華陀はそんな感情は超越した世界に行ってしまっているのかな。
五丈原でも華陀は同じことをするんでしょうか。

・公安で士元行方不明の知らせを受けた一同のようす、何を言われているのか一瞬わからなかった孔明の表情にも、いつのまにか馬謖が劉備陣営に少しずつ心を寄せていたらしいのも印象的でしたが、個人的には張飛の反応が泣けました。
士元のことを「真の男とはかくあるべし」と称え心酔していた張飛は、悲報を信じたくなくてわざと豪放磊落に振る舞い孔明を力づけようとしているのだけど、百戦錬磨の武将である彼には状況を聞いたときに多分もう士元は生きていないだろうということがわかってしまった。孔明の背中をたたいて励ましながら実際は自分に信じ込ませようとしている、でもそれ(士元の無事)はまずありえないことだと張飛は知っているはずです。
あの3コマは類型的な描き方のようにも見えますが、私はたったあれだけの描写でこれだけのことが表現できるというのはやっぱりすごいなあと思いました。

・今回も先月に続いて悲しい回だったけど、育児疲れの寧寧・英・黄先生にはちょっとなごみました。幼児のパワーはばかにできない(笑)。黄先生はきっと「早くうちの娘にも…。しっかりせんか孔明!」とか思ってるんでしょうね〜。
最近なんだか英さんが娘らしくなってきました。寧寧さんの影響でしょうか。しかし「お寄りになりますか?」はよかった。そこは誰の家じゃ! 「孔明さまのお邸ですけど」とひとりツッコミをする英さんに「ちょっと通りかかっただけなので」とボケをかます孔明(アンタの家だろが!)。2人はやっぱりお似合いのカップル(?)なのかも。←関西人的発想だなあ

・ほんのちょっとだけですが久しぶりに仲達が登場。生涯の好敵手になる孔明のことを初めて意識したらしきシーン、私が仲達好きということを差し引いてもなんだかわくわくしますね。
一方孔明はだいぶ前に(第15場)「最近の曹操は名門の司馬家からもひとり参謀に入れようと画策中とか」と発言していたり。
長い物語はこうして過去の伏線が思わぬところで効いてきたりするのも見所のひとつです。

 

★『flowers』2004年10月号(2004年8月28日発売)

・交渉で劉璋の退陣を促し蜀を手に入れようとしていた劉備の意に反し、士元は独断でラク城の攻略を進めてしまう。
ラク城陥落後士元を訪ねてきた孔明と戦場の焼け跡で会話を交わす士元。
彼が蜀攻略を急いだ理由は周瑜に「4年以内に蜀を取らないと呉が荊州の劉備を攻撃する」と脅されていたためだった。
期限が限られていたため焦って戦に踏み切った自分の行動とその結果を振り返り、士元は初めて孔明の「信頼を得るため時間をかけて交渉する」という主張を理解するのだった。
その夜初めて共に酒を酌み交わし腹を割って話す2人。お互いの長所・欠点を率直に語りあい、孔明は「だから 一緒にやれば ちょうどいいと 思わないか」と提案する。
しかしついに劉璋が降伏、士元も公安へ帰るめどがついた矢先、敗残兵の矢が士元の背中を…。

・とうとうその日がやってきました。
もう半年くらい前から「そろそろ…」「いつ頃…」と思っていたので、実際にその日が来てしまうと案外心の重荷をやっと下ろすことができたような気もしています。
赤壁〜蜀取りの経過は通常の「三国志」では割と一気呵成というか、荊州を首尾よく手に入れて、怒り心頭の周瑜がタイミングよく(コラ)亡くなって、一気に挙兵、蜀へ侵攻、と話がテンポよく進んでいくイメージがあるのですが、時地ではずいぶん違う様相を示していたと思います。
士元の行動の謎と劉備・孔明の不戦主義がその主な要因だと思うのですが、何かともどかしい展開だったこのパートも今月号できっちりと決着がつき、クライマックスというにふさわしい回になりました。
諏訪さんは会話を描くのが上手い作家さんだと思います。今回も人物の動きはほとんどなく、孔明と士元の会話のみでこんなに読み応えのある内容を描けるというのはすごい。『玄奘西域記』のクライマックス、ハルシャ王と玄奘の会話を思い出しました。

・いやもう今回私の感想なんかどうでもいい、とにかく本編を読んでください、と言って終わりにしたいのですが、そうもいかないので思ったことをつらつらと書いてみます。
いつにも増してだらだらした内容で申し訳ありません。

・今まで士元の火傷の跡が描かれなかったのは少女漫画だからさすがに制約があるのかな、と思っていましたが、今回の演出のためだったのでしょうか。
そういえば焼け焦げた死体があんなにはっきりと描かれていたのも今回が初めてかも。傷や死体を克明に描かないと戦争の悲惨さが表現できないのはよくわかるのですが、現在の状況ではそこまで描かないと読み手側に伝わらなくなっているのかな、と残念に思います。
この場面で士元が孔明に傷を見せたのは、人間のおごりがこんな結果を招いてしまうのだということ、しかも自分はそれを身をもって体験していながら「名誉の負傷」という言葉に惑わされ(たのかもしれなく)てそのことに気づかなかったということを言いたかったのでしょうか。

・今回読んでいて一番残念に感じたのは、なぜ2人は今までこのように腹を割って話し合うことができなかったのかということです。いろいろなことを話し合い協力して事に当たる習慣ができていたら、事態はこんなふうには進まなかったかもしれないのに。
なぜ士元は周瑜の言葉を孔明に言えなかったんでしょう。赤壁の際に一人で策を立てて行動した結果がうまくいったせいだったのかも? そうだとしたら大変に皮肉なことです…。士元にはやはり孔明への対抗意識がほんの少しでもあったのでしょうか。学問所でも孔明の方から自分に話し掛けるのを待っていたような発言をしているし、なまじ富と知識と教養があったせいで自意識がじゃまをしたのかなあ。

・士元は物語の冒頭から主人公・孔明とずっと共にあり、孔明を冷静に客観的に見守りつつ時には軌道修正をうながし、その成長を見守っていく「目」としての(あるいは作者や読者の分身としての)役割があったのではないでしょうか。
蜀取り寸前まで話が進み、まさにこれから孔明の政治家としての本領発揮(成長という点ではある程度完了)という段階になって彼が退場していったのは物語の構成上では史実以上に大きな意味を持つのかもしれません。

・以前「作品紹介」のほうにも書きましたが、諏訪さんの作品は本当は歴史物ではないのかもしれない、と今月号を読んで改めて思いました。
よく時地の登場人物の思考・行動様式は三国時代のものではない、という意見を聞きます。私個人的には三国志ファンと言うより諏訪さんのファンなのでそれはそれで全然かまわないと言うか問題ではないのですが、歴史好き・三国志好きの人にとっては大きな問題なんだろうなあ、と思うと複雑な気持ち…。

・それにしてもラスト3ページの士元は、こちらが展開を知っているからかもしれませんが、自らの役割を果たし、人生がまもなく終わるのを知っているかのような、心安らかな印象があります。
あんな平静な気持ちで逝けたのはせめてものなぐさめかもしれない、と士元ファンの私は思いました。



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