今月の『諸葛孔明 時の地平線』

★『flowers』2003年12月号(10月28日発売)

周瑜の死による情勢変化を見越し、呉の人質となっていた劉備は孔明の手引きによって荊州へと脱出するが、その際手助けをした毫と朱津がなりゆき(?)で一緒についてきてしまう。毫は人質とも劉備の許婚ともつかない微妙な立場のまま、年が明けても張飛の館に滞在していた。
孔明は「蛮」の反乱問題で馬謖の意見を仰ぐがなかなか彼の信頼を得ることができず頭が痛い。そのうえ士元は真っ向から孔明の信念に反する策を掲げて軍師中郎将の役職につくと宣言した。

・赤壁のように派手な動きはないけれど、物語がじわりじわりと動いているのを感じる今月号でした。

前半で描かれる束の間の平和な日常生活、執務室(?)で馬良と策を練り馬謖と論を交わす孔明、静かなシーンが続いた後、孔明が自ら動いて士元を訪れると停滞していた状況が少しずつ動き出す。やっぱり孔明は主役、主役の動きに物語は呼応して動いていくものなんですね。

・前半、張飛の館でのシーン。おっとりと座って子どもたち(含・毫)を見守っているのは張飛の奥さんでしょうか。今のところ「時地」ではごくふつうの女性として描かれているようです。香香さまというのはきっと張飛の娘、のちに阿斗(劉禅)と結婚することになります。2人がなかよく遊んでいるようすも、阿斗がかくれんぼで子竜になついているようすもとてもほほえましい。きっと阿斗は「趙子竜は命の恩人」ということを物心ついた頃からずっと聞かされて育ったんでしょうね。

・劉備の「お姫さまには心に決めた相手がいるようだぜ」というせりふの直後、ページをめくると子竜のアップ。これってやっぱり…と思わせられそうですが、個人的にはこれはフェイントではないかと。こういう演出で読者には「毫が好きなのは子竜?」と思わせておいて実は、という展開がありそうな気がします。だって彼女が子竜を好きになる動機ってかなり弱いでしょう? 自分より腕が立つ、自分をお姫様扱いしてわざと負けたりしないというくらいで、それ以上のインパクトってなかったような気がするんですが。

ということはやっぱり朱津(これだけ詳細な過去が設定されているということはひょっとして実在の人物?)が相手と思われるんですが、それなら諏訪さんは今後の毫と劉備の関係をどういうふうに描くつもりなんでしょう。表面的に見たら史実(毫は劉備と結婚して…云々)と一致するようにして実は、となるのでしょうが今から楽しみです。

・共都姐さん最近出番が多いですね。子竜のエピソードが多いから、それにからんでコミカルなシーンを、という役割なのでしょうか。北方版三国志の張飛の奥さん的なポジションもあるみたい。(北方版では張飛妻は武術の達人で孫夫人を完璧に負かしたのち、夫人と姉妹的な友情を結びます。)私が今月号で一番好きなコマはP178の3コマめ。一生懸命に毫を姐さんから遠ざけようとする子竜の手を振り切って共都に駆け寄る毫、その背中を追うように小さく描かれた子竜の手がかわいい〜。手書き文字で「あっ」とか焦っちゃってるし。

しかし子竜、毫、共都の身長・体重設定ってどのくらいなんでしょうか。キャラ設定スケッチブック見てみたいですー。

・今月号も登場の馬謖、これから当分目が離せないキャラになりそうです。彼と孔明の会話を見ていると、なんだか孔明と曹操の会話のような気がするのですが。特に「その批判が批判どまりで善後策がないなら…」というあたり。もちろん孔明と曹操、政策や思想は全然違うのですが、頭のいい人の論法というものは似ているのかもしれませんね。でもその後でつい反省しちゃうところが孔明ならでは、なのですが。

・さてさて、後半登場の士元。最初のコマから話題沸騰(笑)。掲示板での「お楽しみ中?」というご意見に私は「昼まで寝てるところを寧寧さんが『お客様ですよ』と呼びに来たのでは」とお返事しましたが、よく見てみるとそういう状況じゃなさそうですねえ。ここはやっぱり皆さんのおっしゃるとおりかと。でも寧寧さんも一緒になって昼までごろごろしてちゃーいけませんよっ。まあ惚れた弱みってやつでしかたないのかしら。士元っておぼっちゃま育ちだから自分に好意を持ってる人にうまいこと甘えて相手を思い通りに動かすの得意そうだもんね。

・やっぱり私は士元ファンのせいか、孔明と士元が話しているシーンが一番好きかも。劉備との会話も張り詰めていたものがふっと解放されるような安心感があっていいのですが、士元との会話は緊張感と気持ちよいリズムがあってなんだか読んでいてわくわくします。「おまえがそういうもの言いをする時はあやしいんだ」とかね。そのせりふを聞いてじっと孔明を見る士元の表情も「うおー、なに考えてんだ??」って感じで嬉しい。

今月号、孔明と士元とうとう決裂? の衝撃的ラストシーンでしたが(もー、またしても引きが利いてますね〜)、問題は劉備が士元の策をどう受け止めるか、ってことですね。いままで孔明を信頼してまかせてきた(時々軌道修正しつつも)劉備ですから、士元の策がいいと思ってもホイホイと採用するものでしょうか。

★『flowers』2003年11月号(9月28日発売)

呉国太邸に滞在し、連日地元の名士に紹介され歓待される劉備をひそかに護衛する子竜の背後から、何者かが突然斬りかかる。難なく撃退されたその少女は孫権の妹・毫だった。それまで剣の腕が自慢だった彼女は、子竜に教えを乞い、彼を負かすことを目標に修行を続ける。
その頃荊州には文官の募集に応じて孔明の友人、馬良とその弟・馬謖が訪れていた。
そして1年。とうとう江東の雄・周瑜が病没、形勢は音を立てて動き始める…。

・今回は新キャラクターが続々と登場。まず孫夫人こと毫(諏訪さんオリジナルのネーミング?)と毫の従者・朱津(時地オリジナルキャラ?)。

毫は『うつほ草紙』の一の宮や『おろち舞』のクシナ姫を思わせる、諏訪さん漫画ではおなじみの、姫という身分からは想像できないくらい元気でまっすぐな女の子。政略結婚や人質策に対する考え方は諏訪さんの意見を代弁しているのでしょう。人間こんなに正直に生きることは(特に彼女のような立場では)難しいけれど、だからこそ自分の信念に正直に生きることの大切さが伝わってくるような気がします。

ただひとつ気になったのは、もちろん人として生まれたからには自分の信念に沿って自分らしく・人間らしく生きる権利があるけれど、身分制度がしっかりと確立していたこの世界で、彼女(とその周囲の権力者たち)には「ノブレス・オブリージュ」という発想はなかったのかな、ということです。もちろん彼女が言うように「政略結婚は女人を人質にさし出すことで成立する」「使い古された非人道的な策」であることは認めるとしても、もしも孫権が「この乱世で貧しい家の娘たちは泣く泣く身を売って家族を養っている、おまえは今まで姫として皆にかしずかれ養ってもらい恵まれた育ちをしてきたのだから、平和で皆が飢えずにすむ国になるように民のために劉備と結婚してくれ」と言われたらどう答えていたでしょうか。

もちろん「皆が犠牲になっているんだから私も犠牲にならなくてはいけない」というのはやっぱり間違っていると私も思います。誰もが誰かの犠牲にならない世の中が理想なのですが、一歩一歩理想を目指して道を踏み固めていくのは時々とてもまどろっこしくて気が遠くなりそうになる。つい楽で早い道を選びそうになる。口で言うのは簡単なのだけど…。

諏訪版孔明が弱いとか悩みすぎとか言われるのもわかる気がします。でも「しょうがない」という言葉で片付けてはいけないことなんですよね、物語の世界でも現実の世界でも。ふう。

・朱津くんは多分「時地」純粋オリジナルキャラですよね。わざわざ出てきているということは、きっと何か重要な役割を担っているのでは、と期待大です。型破りなお姫様と忠実な従者ってベルばらの昔からの黄金パターンですが、諏訪さんがどんな描写をしてくれるのか楽しみ〜。

・息継ぐ暇もなく登場の新キャラクターは馬家の兄弟。兄の馬良は地味だけど落ち着いて分別もあり信頼できる人柄、という演義のイメージにぴったり。弟の馬謖のほうは「うわっ、キターーー!」って感じですか(笑)? 時地版意期ともいう気もなきにしもあらず。 華陀や士元との会話が今から楽しみです。私はまず最初に「この人が『泣いて切』られちゃうのか…」と思いました。生意気そうな、自信過剰そうな様子は演義のイメージに沿っているけれど、この反発ぶりは孔明ならずとも「19歳か(まだ若いね〜)」と思わず顔がほころんでしまいますね。彼が今後孔明との関係をどのように築いていくのか興味津々です。自分が漢民族ではないような口の利き方をしていますが(漢民族じゃないんですか? 詳しく知らないのですが)、ひょっとして孟穫ともすでに面識があったりして? その辺が今後の展開にも関わってきたりして? わー考え出したら止まらない〜。

・今回おおっと思ったのが、劉備が江東から抜け出し孔明のもとに戻る一連の場面。なんだかすごく実写で見たいと思ったのですが。夜の長江を吹き渡る風、沖へ向かって懸命に漕ぎ出す小船、それを迎える孔明の舟が闇の中をすべるように近寄ってくる、掲げる灯と灯…うわー絵になるー! ひょっとして夏に見た映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」がいまだに尾を引いているのかな。

・最後に。とうとう周瑜がこの世界から去っていきました。亡くなったということ、もはやこの物語世界に登場することはないということ、史実を元にしているとは言えフィクションなのに、その中でひとりの大切な人がいなくなるということが、時としてどうしてこんなにつらいんでしょう。

ご冥福を心からお祈りします。

★『flowers』2003年10月号(8月28日発売)

孫権の妹との縁談に隠された劉備暗殺の罠を、孔明は孫権の母・呉国太から断らせることでかわそうとする。しかし劉備に会った国太は彼の人柄に打たれ、事態は孔明の思惑を超えた動きをする可能性が出てきた。
劉備と子竜を国太のもとへ向かわせる一方、孔明は単身周瑜のもとへ蜀を手に入れる策を持って乗り込むが…。

・孫権の母・呉国太、脇役ながら存在感のあるいい味を出してます。というか、脇役だからこそ、この個性。特に美人でもない太目の中年女性ですが魅力的です。美形キャラだけでなくこういうキャラがちゃんと描けてこそ漫画はおもしろくなりますよね。

ご存知の方も多いと思いますが、「太」というのは中国語で「夫人、ミセス」という意味。「呉国太」は呉という国の夫人、つまり呉の王妃ということですね。名前ではありません。現代でも「張太(ちゃんたい)」と言えば「張夫人・張さんの奥さん」という意味で使います。「太々(たいたい)」と言えば「奥さん」という呼びかけになります。(文末・注)

・国太に「気に入る入らぬは私の決めること (略) しばらくこの館にご逗留願えましょうか?」と言われて神妙に「仰せのままに」と受ける劉備の後ろで「おいおいどーする気に入られちゃったよ〜。話が違うじゃん、孔明…」と言いたげな子竜が今回妙にツボにはまってしまいました。いや、ここ笑うところじゃないよね〜、と思いつつなんだかおかしい。緊迫した場面がちょっとなごみます。

・そして後半、とうとう孔明と周瑜が決裂。原作(史実)からいうといつかこの日が来ることがわかってはいたけれど、やっぱり読者もつらいです、孔明や士元と同様に。

2人がどうしても共闘できなかった、決裂せざるをえなかったのは立場の違い(「『多少の犠牲』の多少の中に入ったことはない… 切り捨てられる側になったことがないんだ 孔明と違ってね」という士元の言葉に顕著ですが)だけではなく、周瑜のせりふ「そなたは江東の傘下に入るしか道はなくなるのだ」が結構ポイントなのではないかなあ、と思いました。孔明は兵力の差こそあっても周瑜と、そしてゆくゆくは曹操とも対等な立場に立ってこの国を治めていきたいと思っていたのでしょうが、周瑜の目的は他の勢力を「傘下に入れて」孫権に天下を取らせることだった。でも孔明が目指しているのは誰も傘下に入れたり入れられたりしない世の中なのだと思います。最近の流れでは、「曹操を許すことができない」と言いながらも、もしかしたら共存できるかもしれない、というふうに気持ちが動いているふしもありますし。

曹操の南下を阻止する、という共通の目的があったときは周瑜と共闘できたけれど、その目前に迫る危機ががなくなってしまったらもう同盟を続けていけなかったというのは、読者にとってもとても悲しく残念なことでした。2人とも「この国のすみずみまで 民のひとりひとりまで明るくなるような」世界を作ることを目指していたはずなのに、その作り方についての方針が相容れないものだったためにもう一緒に進むことはできなくなってしまったのですね…。
   
・周瑜の「私はそなたの才智を利用した」という言葉にたいして、孔明は「利用しあった関係? いや そうじゃない」と思っています。利用という言葉をどのように解釈するかで意見のわかれるところと思いますが、「相手のことを考えず自分の都合のいいように使った」と定義するなら確かに2人の関係は「利用しあった」わけではない。掲示板でも話題になりましたが、きっと周瑜は先の短い自分の生涯のことを思って、孔明が自分を裏切ったという負担を感じないようにそういう言い方をしたのでしょう。そういえば周瑜は以前孔明に「貸しができた」「借りを返してもらうぞ」とよく言っていたものですが、死を目前にしてそのような利害関係に基づいた人間関係という考え方にとらわれなくなったのかもしれません。

でも誤解を恐れずに言ってしまえば、友情ってお互いに悪意なく利用したりされたりする(それが不快にならない)関係、という側面もあるんじゃないかなー、という気もします。これは個人的な見解。

・今回終盤で周瑜のバックに描かれた花が睡蓮だということにじわりときました。孔明と話し合って決裂して、心の平静を得たときに背景にあるのが仏様の花、というところが…。もうすぐ周瑜は仏様の世界に行ってしまうんだなあ、とちょっと泣きそうになってしまいました。

・泣くと言えば、孔明が泣き虫すぎるという感想を時々目にしますが、私個人的には泣いてもいいじゃないの、と思います。特に今回は泣くのも当然の状況でしょう。私だって泣きますよ、ああいう立場になったら。ひょっとして「いい年の男があんなによく泣くのはみっともない」ということなのかな?

私はフェミニズムの人でもジェンダー研究の人でもありませんが、男らしいとか女らしいとかよりも人間らしいかどうかのほうがはるかに大事だと思うし、男が泣いたって全然かまわないと思ってます。泣くだけで何もしない・できないというのは論外ですが。男らしさや女らしさは時代や文化によって変わるけれど、人間らしさは不変ですしね。

(注)この文章を書いたときはこう思っていたのですが、私の勘違いでした。申し訳ありませんでした。
掲示板でrenrenさんがご指摘くださったとおり、正史『三国志』呉書の『呉夫人伝』によると、呉国太は「呉の王妃」ではなくて呉家から孫家に嫁いできた女性だということです。(中国では結婚しても女性の姓は変わりません。)
国太という呼び名は多分「国の夫人」ということでよいと思うのですが…。正史には「国太」という呼び名は記載されていないので、演義での呼び名だと思います。  (2004年4月6日付記)


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