今月の『諸葛孔明 時の地平線』

★『flowers』2003年5月号(2003年3月28日発売)

・赤壁の戦いに敗れた曹操はわずかな側近のみを連れて敗走していく。しかし江陵への道の要所要所に待ち受けるのは、軍師・孔明の命を受けた趙雲・張飛といった劉備軍の名将たちだった。彼らの攻撃を必死に逃れた曹操だが、江陵まであと1歩のところで眼前に関羽が立ちはだかる。絶体絶命の曹操の前に現れたのは・・・。

・今月号は『三国志演義』でいうと「華容道」のエピソードにあたります。
「演義」では敗走する曹操を助けたのは、以前曹操に恩を受けたことのある関羽なのですが、やはり「時地」にはひとひねりありました。「時地」では関羽が曹操に恩があるということは全く触れられていないので、諏訪さんはどうするつもりなんだろう、と思っていたのですが、結果としてはちゃんと「関羽が逃がした」ことになるんですね。もしあの場面で関羽が本気を出していたら、ほぼ100%の確率で曹操をしとめることができたんですから。

・今回のハイライトは曹操と孔明の対話ですが、現在の世界情勢(イラク戦争)を考えつつ、孔明のことばを噛みしめるように読みました。この作品を通じて諏訪さんが言い続けてきたことが、2人の対話という形で決して声高にではなく静かに語られています。

このシーンが全頁数38pに対して20pもあるのは、ここがいわば今までのストーリー中でも最大のクライマックスのひとつであるからでしょう。しかし通常クライマックスというともっと派手な動きがありそうなものですが、諏訪さんはただ単に2人が話しているだけのシーンで20pも持たせているのには驚きました。こんな地味な場面でこれだけ読者をひきつけるのはすごいことではないでしょうか。

・そして場面が変わって久々の士元との漫才(?)シーン。なんだか連載初期の2人を見ているようで嬉しくなりました。緊迫した対話の後だからなおさらです。孔明の手紙があれだったとは、まったく諏訪さんはいつも私(たち)の予想を裏切ってくれますね(いい意味で)。士元の「おまえ、ひどすぎるんじゃないか!?」ということばも、掲示板で話題になっていたように「士元を作戦のコマとして使ったから」ということに対してではなかったのがいかにもぼっちゃまらしい(笑)。点目の孔明も久しぶりです。でもまじめでカタブツな孔明にくらべて、いつも笑ったり怒ったりいきいきと表情が動いていた士元だったのに、この展開は悲しい・・・。皮膚移植手術して!>華陀

しかしあの燃える船の中からどうやって士元は助けられたのでしょうか。もちろんあそこで死んでしまうとは思っていませんでしたが、当然のように助かって治療を受けていたのでちょっとびっくり。女スパイさんも無事でなによりでした。そしてあれが士元の夢ではなかったとしたら、自分を殺そうとした男をどうして彼は助けてやったんでしょうね。「その覚悟は敵ながらあっぱれ」とでも思ったのかしら。

・ひとつだけ疑問に思ったことがあるのですが、迂回路を探しに行った曹操の部下たちはなぜ彼をひとりだけ残していったのでしょうか。ああいう場合は万一に備えて曹操の周囲に護衛を残して、数人だけが道を探しに行くのでは? もちろんそうしていたらあの対話シーンは成り立たないけれど・・・。(そういえば「時地」には曹操の護衛の許チョって出てきませんね。)


★『flowers』2003年4月号(2003年2月28日発売)

・士元は間者として孔明の策を報告するが、曹操は信じようとせず孔明の思惑を見破ろうとどうどうめぐりの思考に陥っていく。一方孔明は東南の風を呼ぶべく拝風台で祈祷を始める。呉の人々が半信半疑で見守る中、ついに風が吹き、呉水軍は曹操軍に猛攻をかけた。燃えさかる軍船の中で、士元と曹操は対峙するが・・・。

・単行本派の方、申し訳ありません。今月号はまったくネタバレなしで紹介するのはあまりにも難しすぎます・・・。上記のあらすじ程度のネタバレはご容赦ください。

では行ってみよう! 諏訪緑版「赤壁の戦い」。

・とうとう今月号で士元の行動の謎が明らかにされました。みなさま、予想と合っていましたか? 去年の10月号で孔明が士元と再会してから早7ヶ月。約半年も続いた謎だったわけですね。でも毎月「次はどーなるの?」と待ちきれない思いをしていたので、あれから半年も経っていたなんてなんだか嘘みたいです。この半年長いようで短かった。

・というわけで士元の行動について。一言で言うと、「あー、君のファンでよかったよー」です。(笑)。 あまりにも士元に不利な状況証拠が多い中で、「でも彼はそんな人じゃないはず・・・」と思っていてよかった。「信」ってこういうことね!(え、違う?) ネタバレのためここでは多くは語れませんが、「敵をあざむくには味方から」をうまくやりとげた、ということでした。いつもへらへらのぼっちゃまの中にあんなに熱い気持ちがあったなんてちょっと感動です。そこまでの覚悟があったとは思っていませんでした。

・もうひとつ今月号で気がついたのは、孔明が裏付けをしっかり取っておきながら、いわば敵の目をあざむくための儀式を真剣に礼をつくして行なっていたことです。

古代社会では呪術は生活に密着したもので、現代の考えから見て一概に「非科学的、非論理的」と切り捨てることはできないものだったと思われます。『三国志』のころ日本ではまだ弥生時代、卑弥呼が呪術で統治していました。しかし中国ではすでに「神頼みなんてあてにできない」という認識があったのでしょうか。呉の臣下も「神だのみなんて恥さらし」と言っています。

しかし孔明の儀式はひじょうに真剣で、「敵の目をあざむくためだけの便宜的な行動」には見えません。彼は呪術を信用しているわけではないけれど軽んじているのでもない。心を静め曇りのない目で世界を見るための精神統一法とでも考えて、呪術と科学のバランスをとっているのではないかと思いました。(この辺は「シノワズリアドベンチャーシリーズ」と少しつながるものがあるかもしれません。登場人物も一部共通しているし。←根拠はそれ?)

・その登場人物(安期生)のせりふが印象的です。今回のメインは「赤壁の戦い」なのに、さりげなく入っている「諏訪版三国志」のテーマにせまるかも?なお言葉。「やがてはひとつの龍へと収斂されて」というのが今後のストーリー展開のポイントになっていくんでしょうか。



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