『諸葛孔明 時の地平線』地図

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・この地図は『諸葛孔明 時の地平線』に出てくる地名を記したものなので、『三国志』的に有名な地名でも載っていないものがあります。(官渡、長安など)
・地名は『三国志』関連の地図を見ながら手入力したので、多少の位置のずれはご容赦ください。
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『諸葛孔明 時の地平線』地名一覧
ア行
 烏林(うりん) 曹操の漢水方面軍の基地。陸口の対岸。張昭の要請で3万本の矢を揃えるために孔明がこのあたりに船を出した。その後刺客に刺され重傷を負った。(5巻・第24場)

カ行
 夏口(かこう) 曹操南下に備えて周瑜がこの地に滞在する劉備を訪ねた。場合によっては劉備を暗殺するつもりだったが、孔明の機知で失敗に終わる。(5巻・第24場)
 合肥(がっぴ) 江東軍の前線基地。周瑜、曹操軍からの流れ矢に当たって負傷。(7巻・第32場)
 葭萠(かぼう) 曹操軍牽制のため劉備・蜀合同軍が布陣。(8巻・第38場)
 漢中(かんちゅう) 五斗米道の教祖・張魯の本拠地。曹操軍に負けて逃れてきた馬超と馬岱が滞在した。(第44場)
 ギョウ(ぎょう)注1】 曹操が袁尚を破り河北を平定して定めた都。(4巻・第18場)
 許都(きょと) 献帝を擁した曹操が住んでいた都。(2巻・第6場)
 桂陽(けいよう) 赤壁の戦いの後、趙子竜が孔明と共都の協力を得て太守と和平交渉して治めた地。荊州南部4郡のひとつ。(7巻第31場)
 公安(こうあん) 赤壁の戦い後の劉備の本拠地。(7巻・第30場)
 江夏(こうか) 劉表の長子・劉gが太守になった地。(3巻・第12場)
 孝敬里(こうけいり) 司馬懿の本家がある温泉地。荀ケが直々に司馬懿を迎えにやってきた。(8巻・第38場)
 交阯(こうし) 越の士燮が住む地。人質にされた毫姫と共都を救うため、孔明・子竜・朱津が訪問した。(8巻・第37場)

サ行
 柴桑(さいそう) 孫権の居城がある長江沿いの都。(2巻・第5場)
 襄陽(じょうよう) 荊州の牧・劉表の本拠地。(1巻・第1場)
 新野(しんや) 孔明と出会った頃の劉備の本拠地。劉備は「新野は城と呼ばれているが 中身はでっかい塢」と評した。(3巻・第10場)
 成都(せいと) 蜀の中心地。益州の牧・劉璋の邸がある。(第42場)
 西南夷(せいなんい)
 (昆明・こんめい【注2】) 
南方の国境地帯で少数民族が多く住む地。現在の雲南地方。孔明、士元、華陀が旅の途中で立ち寄り、孟獲と安期生に出会う。(2巻・第7場)
 赤壁(せきへき) 孫権と劉備の合同軍が数において圧倒的に有利だった曹操軍を火計をもって撃退し曹操の天下統一を阻止した長江沿岸の地。(5巻・第28場)

タ行
 丹徒(たんと) 孫権と孫権の母・呉国太の邸がある長江の河口近くの都。(7巻・第32場)
 長坂坡(ちょうはんは) 曹操軍の南下により新野を脱出した劉備一行が逃亡中のところを曹操の夜襲にあい敗走した地。(5巻・第20場)
 潼関(どうかん) 曹操軍と馬超軍の戦で一旦は馬超が勝利したが、離間の計により逆転され馬超は軍のほとんどを失い敗走した。(8巻・第39場)
 当陽(とうよう) 長坂坡で人質に取られた甘夫人と阿斗を子竜が単身で奪還したがビ夫人は死亡。(5巻・第20場)

ナ行

ハ行
 巴丘(はきゅう) 周瑜が病没した地。(7巻・第34場)
 博望坡(はくぼうは) 孔明が軍師の初仕事として10万の曹操軍を5千の兵で撃退。(4巻・第16場)
 ハ陽湖(はようこ)【注3】 孔明と子竜が呉と同盟を結ぶため訪れ、周瑜と再会した江東水軍の基地。(5巻・第21場)
 樊城(はんじょう) 曹操南下から逃れて劉備軍がたどりついた漢水沿岸の城。襄陽城の川向かい。(4巻・第19場)
 フ城(ふじょう)【注4】 劉璋と交渉するにあたって劉備が籠城を計画した城。法正の居住地。(第42場)

マ行

ヤ行
 予章(よしょう) 孔明たち兄弟が襄陽にたどりつく前に滞在していた、孔明のおじが太守をつとめていた地。(2巻・第6場)

ラ行
 耒陽(らいよう)【注5】 赤壁の戦いの後、士元が軍師になるまで県令として赴任していた地。(8巻・第35場)
 ラク城(らくじょう)【注6】 鳳雛・ホウ士元最期の地。東州兵の残党に矢を射掛けられ堰堤(ダム)に転落。(第45場)
 隆中(りゅうちゅう) 孔明が劉備と出会う前、水鏡先生の学問所に通いながら弟妹と農耕生活を送っていた地。(1巻・第1場)
 瑯邪(ろうや) 孔明の出身地・曹操と出会った地。曹操は父の仇をとるため孔明の住む街を襲撃した。(1巻・第1場)
ワ行


【注1】ギョウ 漢字は偏が「業」、つくりが「おおさと」
【注2】西南夷、昆明 作中では「西南夷」と呼ばれているが、範囲が広いため「昆明族が管理している」とのせりふからこの地図には「昆明」を載せています。
【注3】ハ陽湖 ハの漢字は偏が「番」、つくりが「おおさと」
【注4】フ城 フの漢字は偏が「さんずい」、つくりが「立」の下に「口」
【注5】耒陽 作品中にこの地名は出てきません。
【注6】ラク城 ラクの漢字は偏が「各」、つくりが「隹」



参考資料
『現代視点・中国の群像 諸葛孔明』 旺文社 1985年1月初版発行
『三国志演義4』井波律子・訳 ちくま文庫 2003年1月第1刷発行
『三国志 一の巻』北方謙三 ハルキ文庫 2001年7月第1刷発行 




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