『紀信』
 
   紀元前204年、漢帝国の建国前夜。後に漢の高祖となる劉邦は項羽軍に追いつめられて籠城策をとっていたが、糧道を絶たれ全滅の危機に陥っていた。軍師・陳平は劉邦とわずかな側近だけでも落ち延びさせるため影武者を立てるよう提案する。身代わりとして白羽の矢が立ったのは、いつも怒りをあらわにして相手かまわず毒舌を吐く白髪の少年、紀信だった。


            



   『紀信』は『プチフラワー』1990年7月号に掲載されたわずか45Pの短編で、諏訪緑さんの初期の代表作です。初期と言うより第1期と言った方がいいのかもしれません。この作品はそれまでの諏訪さんの集大成であり、のちに彼女の代表作にして出世作である『玄奘西域記』で花開くことになる主題がぎゅっと凝縮されたエッセンスとして表現された作品である、と位置付けることができるでしょう。 
   その主題は『紀信』においては非常にピュアでシンプルな形で提示されているゆえに、発表当時はあまねく万人に訴えかけるというわけにはいかなかったかと思われます。諏訪さんのメッセージが『玄奘西域記』で広く読者の共感を呼ぶまでには今少しの時間が必要だったようです。
   いわば『紀信』は宝石の原石にたとえられるような作品だったのだと思います。見る人が見れば、カットして磨いたあとのすばらしく美しい姿を読みとることができる、洗練されてはいないけれど可能性に満ちた、むしろその洗練されていないところが魅力的な作品。修辞に優れてはいないけれどその分テーマがストレートに心に響いてくる作品。
   
   主人公の紀信はいつもすべてに苛立ち、その苛立ちを隠そうともせず、誰彼かまわず毒舌を撒き散らし、人の言葉の揚げ足を取り、友人にも主君にも当り散らす、およそ心の平穏を知らない少年です。中盤で友人の周苛によって明らかにされるその言動の理由、「いつまでも明けない夜」のエピソードに象徴されるような闇の中をずっと歩いてきた少年にクライマックスで不意打ちのように訪れる一条の光。その「信」という光を見出した瞬間、彼の世界は闇から光へとあざやかに反転していったのでした。 
   人はひとりでは生きられない。言い古されて手垢のついたフレーズですが、すぐれた作品はその表現手段(漫画、小説、音楽、映画、等々)を問わずその真実を姿を変え方法を変え、繰り返し教えてくれるものでしょう。

   「だがハザク 会えて--- うれしかった きっと…来てくれると信じていた…」(『玄奘西域記』迦摩縷波国の巻) 
   『玄奘西域記』を読むたびに必ず泣いてしまう場面がいくつもありますが、このハッディのせりふは私にとってその筆頭とも言えるものです。『紀信』で飾り気もなくそっけないくらいにストレートに描かれていたテーマは、まっすぐにここに通じていたのだと思います。



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