TEA FOR TWO 〜 2人でお茶を


  「煙草」ときたら「一服」、「一服」と言えば「お茶」でしょう。ということで、今回はお茶の話です。と言っても前稿「喫煙者(スモーカー)を狩れ!」のように「フィクションにとってのリアルとリアリティとは?」などとしちめんどくさい話ではありません。「こんなこと知らなくても全然かまわないけど、知ってたら作品を読むときに少し楽しいかな?」程度の話です。それこそお茶でも飲みながらゆっくり・ぼーっと読んでください。

  私の記憶に残っている諏訪作品のお茶のシーンは全部で3つです。
  『玄奘西域記』で大学を訪ねてきたハザクに玄奘がお茶を入れようとするシーン(文庫2巻・P18、容器にダージリンと書いてあります)。クマーラ王がハルシャ王からの手紙を読んでいるシーン(文庫2巻・P299、ティーカップにアッサム茶と書いてあります)。それから『諸葛孔明 時の地平線』で「三顧の礼」の3回目に訪ねてきた劉備に孔明がお茶を出すシーン(コミックス4巻・P22、マグカップ状の茶器を使っています。お茶ではない可能性もありますが、私はお茶だと思います。)

  中国では有史以前からお茶が飲まれていたそうです。お茶の原産地は雲南省、チベットの山岳地帯、ビルマ奥地の山野です。中国人は雲南省に自生していた野生の茶葉を摘んで飲んでいたとか。神話では天地創造に携わった3人の神、伏羲・女[女咼]・炎帝神皇が人間に食物のことを教え、子孫を産み、産業を興し技術を伝えたとされていますが、この炎帝神皇がお茶を発見して人間に教えた、となっています。それくらい古い時代からお茶があった、ということですね。
  実際にお茶が文献に登場するのは『三国志』が最初です。(「呉の人、茶を採り是を煮る」という記述があるそうです。)当時はまだ嗜好品というより、薬用効果のある貴重で高価な飲み物だったようです。そんな貴重なものを貧乏書生兼農夫だった孔明が持っていたのは、彼の家に雲南出身の医者・華陀が滞在していたからにちがいありません。あのシーンでは白湯を出したとも考えられますが、ここはやっぱりお茶を常備していたと思いたいところです。
  そして『玄奘西域記』に登場するお茶はアッサムとダージリン。現代の感覚では紅茶だと思いそうですが、紅茶が作られるようになったのは案外最近のことで、中国では18世紀後半、インドでは19世紀前半です。しかしアッサム地方の奥地には野生の茶樹が原生していたそうですし、お茶というものが中国にあるということは伝わっていたのではないでしょうか。中国から取経僧が来るくらいですから、物品の交流もあったと思います。天竺で一番豊かな国カーマルーパの最高権力者であるクマーラ王ですから、そのような珍しく貴重なものを手に入れていた可能性は高いでしょう。(新しくて珍しいものが好きそうですよね。)彼らが飲んでいたお茶はたぶんインドに原生していたお茶を摘んで、中国茶(緑茶)を参考に作ったものだったのでは?(と想像は限りなく・・・。)

  さて孔明や華陀が飲んでいたお茶ってどんなものだったんでしょう? 当時は烏龍茶のような発酵させて作るお茶はまだありませんでした。緑茶の葉を固めたものを飲むときに削って粉末状にしてお湯に溶かしていたらしいです。
  現在緑茶でこの形のものは作られていないようですが、華陀の故郷・雲南省で採れる「雲南沱茶(うんなんとうちゃ)」というお茶があります。色はかなり黒っぽく、プーアル茶に似たくせのある味です。慣れないとおいしく感じないかも。うすめに入れるといいみたいです。沱茶というのはお茶の葉をお椀形に固めて持ち運びやすくしたもので、飲むときに必要な分だけ削ります。三国志時代のお茶もこのような固めたタイプだったので、気分だけでも味わえますね。口中の油分を洗い流してさっぱりさせたり消化を助けたりする薬効(?)もあるそうですから、さらに気分は「華陀のお茶」。写真のものは神戸の中華街で買いました。(500円でした。)でも以前香港で買ったもののほうがおいしかったです。中国・香港・台湾へ行かれる機会があるかたは試してみてください。

[追記] この文章は2002年12月に書かれたものです。この後『flowers』2003年7月号の『諸葛孔明 時の地平線』において、黄家を訪ねた孔明に英がお茶を出すシーンが出てきました。
(2003年8月8日追記)

          

★かなり砕けていますが茶葉が固まった状態です。 ★水色(すいしょく)は烏龍茶やプーアル茶に近いです。


参考資料 『紅茶読本』(味覚選書・改訂版) 斎藤禎・著 柴田書店 
        1975年5月20日初版発行、1991年5月25日改訂10版発行
                                   

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