南風と波斯風

  『うつほ草紙』において重要な役割を果たす2面の琴(琵琶)は、奈良東大寺の正倉院に納められているものがモデルとなっています。毎年秋の「正倉院展」ではその宝物の一部が公開されますが、今年(2002年)の展示には残念ながらこの2面は出品されません。が、この機会にこれらの琵琶について調べてみました。

           


1.螺鈿紫檀五弦琵琶(らでんしたんごげんびわ。「南風」のモデル。長さ108.1cm、幅30.7cm。) 画像はこちら
   
  「正倉院の宝物」といえばまずこれがあげられるほどの有名なもの。正倉院に関する本には必ずといっていいほど写真が載っているし、図書カードの図案にもなっているので見覚えのある方も多いでしょう。なぜこんなに有名なのかというと、五弦のインド系琵琶は世界にこれたった一つしか残っていないからです。もちろん美術工芸品としての価値も非常に高いものです。
  インド系の楽器ですが、表面に描かれているのは「らくだに乗ったペルシャ(イラン)人がペルシャの四弦琵琶を演奏している」図です。また螺鈿細工に使われている貝は南海産のもの。このように多方面の文化と材料を折衷してこの楽器を作った職人は唐の工人だったと考えられていますが、これがどういう経路で日本に来たかは不明とのことです。『うつほ草紙』では日本→ベトナム→インド→ペルシャと旅をした春音が作った琴なので、この折衷様式も筋が通っているわけです。


2.楓蘇芳染螺鈿槽琵琶(かえですおうぞめらでんそうびわ。「波斯風」のモデル。長さ97cm、幅40.5cm。) 〈画像はこちら〉
 
  前述のインド系五弦琵琶より少し短めで幅が広いこの楽器は、ペルシャのリュートを原形にしています。裏面の螺鈿細工は「螺鈿紫檀五弦琵琶」に似ていますが、表面の絵は革を貼った上に白色顔料を塗り、その上に各色の顔料とにかわを混ぜた絵の具で描かれています。
  『うつほ草紙』ではこの琵琶が大きくはっきりと描かれている場面がないのですが、資料によると「画面中央の白象の背中に、腰鼓を打つヒゲの胡人(イラン人)、笛を吹く唐の子供二人、舞踊中の帽子をかぶった童子を描く。これらの遠景に、紅葉に彩られた絶壁と、その場を飛んで山岳の巣に帰る鳥の群に、没する夕日の残光があたっている」ようすが描かれているそうです。


  ところで、「螺鈿紫檀五弦琵琶」という名前が『うつほ草紙』に出てくるのはたった1回。コミックス3巻P60の藤原良房の独白です。(文庫では2巻P154)
  良房の父・冬嗣が「天平年間ー光明皇太后が東大寺に献納した宝物中の宝物」を借り出したまま返していないため、この時点では藤原家のものになっているのですが、ここで描かれている絵を見てもわかるとおり、俊華牙の「南風」とは当然まったく別のもの。しかし物語中ではこの皇太后が納めた「本物の」五弦琵琶はこのまま藤原家に残り、現在にいたるまでに行方がしれなくなってしまった、その代わりに納められた「南風」が今でも正倉院に残っていて、こちらのほうが「本物」になってしまった、ということになりますね。ややこしい・・・。

           


  余談ですが、正倉院には『玄奘西域記』の玄奘三蔵が翻訳した直筆の経典も納められているそうです(!)。
  これは「大乗大集地蔵十輪教五巻」というもので、現世の治めかたを説きながら、仏になる方法を説いたもので、鑑真が唐から持ち帰り、聖武天皇に献上したものであろうと言われています。サイズは縦27.9cm、横58.5cm、全長20mで、黄麻紙に書かれています。
  なんというか、世界はつながっているものなんですねー。

  (正倉院宝物については『正倉院物語』中川登志宏著・向陽書房 を参考にしました。)


[追記]
  2004年秋の正倉院展に南風のモデル・楓蘇芳染螺鈿槽琵琶が出展されました。図録やチラシに最近の研究による詳しい解説があるのでこちらに追記します。
  捍撥(かんぱち)と呼ばれるバチの当たる部分に描かれている絵は象に乗った楽師や唐子が音楽を奏でる「騎象胡楽図」と呼ばれるもので、唐朝で人気のあった形式だそうです。このような狭い画面に前景から遠景までの広大な景観を詳細に描く様子は当時の山水画の水準の高さを示しています。
  かつてはこの琵琶は絵の水準の高さから唐で制作されたと考えられていましたが、近年の研究により絵具の成分や螺鈿にアワビが使われていることなどから日本で製作されたことがほぼ確定しているとのことです。
  (『平成16年 正倉院展図録』 『奈良国立博物館だより 第51号』より)

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