髪は口ほどにものを言う

  諏訪さんの描く主人公はいつも同じ姿をしています。切れ長の一重まぶた、くっきり細い鼻筋、頑固そうな大きめの口、そして一番の特徴は肩にばっさりとかかるストレートの長い髪。本来なら頭を丸めなくてはならない仏教僧の玄奘は「一人前の僧になるまで髪を切らない」と長髪をなびかせ、三国時代の男性は長い髪を結って頭頂でまとめ、布で覆っていたはずなのに、孔明は「面倒だから」と髪をおろしたままです。
  
  しかし作中で自ら「罪人の髪型」と言うように、当時男性が髪を結わずに頭頂をさらすというのはめったにないことだったそうです。それどころか、北方謙三さんの『三国志』には、以下のような記述すらあります。
  「二人の武将が縛りつけられている。(略)具足を剥ぎ取られているのはともかく、髪を切り取られた頭頂が、むき出しにされている。人間に対する扱いではなかった。(頭頂を晒すのは、最大の恥辱とされていた。)「むごいものです」趙雲が言う。刎ねられた首でさえ、巾くらいはつけて晒される。」(『三国志』二の巻・ハルキ文庫・角川春樹事務所)
  首を晒すことより頭巾をかぶせていないことの方が「ひどい」と思われていたんですね。そんな時代に「面倒だから」という理由で髪を結わないなんて、現代で言うなら、「きゅうくつだから」と女性が服を一枚も着ないで生活しているようなものですよね。それなのになぜ諏訪さんはあえて孔明をあの髪型で描いているのでしょう?

  これはあくまで私の考えですが、孔明の(またほかの主人公達の)髪型は「自由の象徴」なのではないでしょうか。

  ほかのページにも書きましたが、諏訪さんは史実を綿密に調べた上に独自の切り口から大胆な解釈を行い、全くオリジナルな物語を作っています。今までに『三国志』を読んだことのある方は、『諸葛孔明 時の地平線』を読みながら、毎回「ええっ、この場面を・このエピソードを・この人物をこういうふうに描くなんて!」と驚きの声をあげているかもしれません。史実(原作)を下敷きにしていても、『諸葛孔明 時の地平線』は諏訪さんの物語だし、そこで語られているのは彼女が一貫して描き続けているものです。「この話は史実(原作)と違う、だからおかしい、まちがっている」と思う人もいるでしょう。でも、「確かに史実とは違うかもしれないけれど、私は想像力と創造力を使って自分の物語を自由に語りたいし、私のキャラクターたちにも彼らの人生を自由に生きさせたい」という姿勢の表明があの髪に象徴されているのではないか、と私は思っています。

  (追記)
  もうひとつ、作画上の理由としては、あの髪型は演出効果をあげやすい、ということもあるかもしれませんね。うつむくと顔にかかって影を落とし、必死に走ると乱れ、怒ったり驚いたりすれば逆立ち、とキャラクターの内面を効果的に表現することができます。『諸葛孔明 時の地平線』1巻をお持ちの方は70ページの1コマめを見てみてください。士元の言葉に動揺する孔明の心を髪の動きが完璧に表現していると思いませんか?


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