平成19年6月4日  宮入一門会

 新作刀展覧会の発表に合わせた年中行事の宮入一門会の会合が、6月4日に新宿のホテルで有ったので、今回初めて展覧会に出品する義村君と行ってきました。

 この日は朝4時半に家を出たので10時頃に東京に着きました。一門会には少し時間に余裕が有りましたので、それではという事で、先ずは銀座刀剣柴田さんに顔を出してみました。目的は拵えにつける刀装具の目抜きなどを探しにゆく事と、顔つなぎというか軽い営業活動です。お店に入って陳列ケースを見渡すと、素晴らしい目抜きが有りました。こういうのを一目惚れというのでしょうか、こんな目抜きにはそうそう出会えるものでは有りません。喉から手が出るほど欲しかったのですが、でも、どうしても懐具合が許しません。結局泣く泣く諦める事になってしまいました。(一目惚れはしても諦めるのも速いのが、いまだに独身の原因か?)今回の出張はしょっぱなからちょっと落ち込み気味です。

 それから近くのapple銀座でメールチェックをしていたら、おなかが減って目眩がしてきた。それもそのはずで、朝食を4時過ぎに食べたきり。一門会は食事付きなのですが、新宿に着く前に、花のお江戸で行き倒れになる訳にもゆかず、結局JR有楽町の駅の下でちょとラーメンを一杯食ってしまいました。

 新宿のホテルに着いたのは午後1時前でした。ロビーには久々に見る一門の面々の顔が有りましたが、今年は少し人数が少ないようです。元々出席率のあまり良くない会ですが、今回は一門会の会長をはじめ、一部の人はこの日に開かれていた刀匠会の理事会が長引いていた為にこちらに出席出来ず、例年より更に少ない人数となってしまったようです。

 刀匠会の理事会が長引いた原因は、日刀保(日本美術刀剣保存協会)の内紛問題が刀匠会や三匠会も巻き込んで、大もめにもめているかららしいです。私は刀匠会の会員ではありませんので、会員宛に大量に出回っている文書は殆ど見ていません。ですから中で何が起っているのか良く分からないのですが、事態はかなり深刻な様です。問題は日刀保が文化庁の指導に従わない事らしく、そのあおりを食って今年の新作刀展では特賞の高松宮賞も文化庁長官賞も無くなってしまいました。こんな事は前代未聞の事です。これは文化庁の後援が取れなくなったという事で、今年は大阪城での展覧会も取りやめになってしまいましたし、長野東急での即売会も無くなったという事です。日刀保は国からお墨付きを頂いて日本刀に関わる業務をしている財団法人ですから、国からの指導に従わないとなると、これから先、更に困った事になりそうです。

 刀匠会を含む三匠会は日刀保の下部組織ですが、会員はこの事態にどう対処するか話し合いをしている様です。でも刀匠会も三匠会の内部も一枚岩でない様で、文化庁の指導に従うよう主張する人、日刀保側につく人、目の前の危機を見ても殆ど関心を示さない人とばらばらな感じがします。更に話を聞くと、この問題は訴訟合戦になっていて、怪文書まがいのものが飛び交い泥仕合の様相を呈して来ているように見えます。

 まあそんな事は刀匠会の会員でない私には直接関係ない事で、どうでもよいのですが、この影響で日刀保たたらへの国からの補助金も無くなるという噂も出ていました。こちらは日刀保たたらの運営に大変な影響が有りますから大問題です。もし運営が行き詰まる様な事が有れば、刀鍛冶への玉鋼の供給が止まる事になります。これとても全て自前で地鉄をまかなっている私には直接の影響は有りませんが、日本刀の文化、ひいては日本の鉄の文化という観点から見れば大変な損失です。今、目の前の利害の問題でもめている人たちには、その事が見えているのでしょうか? 先人達が大変な苦労して残してくれた世界にも類例のないこの文化財を、自分たちの都合だけで途絶えさせてしまっていいものなのでしょうか? そんな事が許されるはずが有りません。当事者の皆さんにはもう少し冷静な判断をしてもらいたいものです。

 まあ色々な話を聞きながら、例年とはかなりおもむきの違う一門会となりました。例年ならここで既に大盛り上がりで二次会三次会とつながってゆくのですが、このような状態ですからさほどお酒も入らずに、一門会は白けた雰囲気で終わってしまいました。結局、まだ日も高く時間もあるので、それならと鴬谷の平成名刀会へ営業に出かけました。(といっても殆ど無駄話をするだけですが)そうこうするうちに日もとっぷりとくれてきましたので、後はお決まりの酔いどれ路線へ軌道修正。浅草の観音様の裏あたりで日付が変わるまで刀鍛冶の悪友と飲み続け、結局はお定まりの一日となりました。宿に帰ったのは何時だったか良く覚えていませんが、ちゃんと自分の部屋で眠りについてい長い一日を終えました。

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