★ 近況(2010年1月〜4月)★ 

  

2010年1月2日(土)  『墓参』
  気がつくと2日,慌てて年始の墓参りに自転車で行きました。いつも通りの親不孝者で,年末の清掃を兼ねているのが心苦しいところです。東山にある墓地は,京都市内の眺めのよいところです。寒さで震えながらも,爽やかで気持ちの良い新春を感じました。
2010年1月4日(月)  『エジソン記念碑』
  今年の初詣は,岩清水八幡宮としました。以前から見たかった「エジソン記念碑」が目当てです。何度か訪れていましたが,いつもケーブルカー利用で気づかなかったのです。正規の参道を登ると,簡単に見つかりました。最初は昭和9年(1934年)の建立で,昭和59年(1984年)に移転して建て替えられたそうです。1年間に渡って2000名以上の生徒に自作カーボン電球の実験をしたのは世界でも類例ががないと自負しており,感慨深いものがありました。その時に開発した特別な点灯装置を普及させたいのですが‥
2010年1月7日(木)  『欠陥プリンタ?』
  昨春に購入した業務用プリンタが不調というより,もともと不完全という問題があります。再び,修理に来てもらったのですが,サービスマンも苦労されています。前回同様に機械の総入れ替えの大事となりましたが,結果は,もちろん「変化なし」(不調のまま‥)。日本最大のプリンタメーカーにしては,お粗末なことです。
2010年1月9日(土)  『会食』
  結婚することになった末娘の嫁ぎ先のご両親と会食をしました。初対面でしたが,気さくな雰囲気でほっとしました。かなり気疲れしたにも係わらず「会食したという現実感がない!?」‥という,何とも不思議な気分です。これが,親の気持ちということでしょうか‥
2010年1月18日(月)  『母の命を越える』
  今日,母の生きた年月を越えました。この年齢で最期だったとは,さぞ,無念だったことと実感しました。母は戦中戦後の厳しい中を生き延び,私欲が全くない神の様な存在でした。母より遥かに病弱で,私欲の塊のような私がより長生きするのはありがたことであり,不思議なことであり,どこか間違っているのかもしれません。しかし,元気一杯ということでの峠越えでないのが現状です。
2010年1月19日(火)  『熱中時間での再会』
  深夜,NHKの「熱中時間」再放送を見ると,どこかで出会った方が登場しています。娘がすぐに気づきました。九州の大刀洗駅前で偶然出会ってお世話なった淵上宗重さんです。「大刀洗平和記念館」の館長ですが,他の博物館の館長もやっているということで,そちらの見学も誘われました。しかし,予定があって,叶いませんでした。番組はそちらの博物館の紹介でしたが,それはそれは面白そうな展示で,惜しいことをしました。これが,2度目の偶然に出会いで,驚き,感激しました。
2010年1月23日(土)  『理科の研究会,イオン電線』
  武庫川女子大学附属中学校高等学校で,シンポジウム「理科教育における観察・実験の意義」−観察・実験の意味と効果の検証−なる研究会があり,科学お楽しみ広場へ出展しました。内容は,久々の「イオン電線」です。本質的,簡単,安価,すぐできる,壊れない‥こういった究極のエココンセプト作品として自信がありましたが,少々インパクトに欠けるようです。人を引き付ける格好の良さも必要ということでしょうか‥
2010年1月24日(日)  『法事』
  昨日,岐阜の里で伯父さんの法事があり,昨夜に到着しました。法事の終了後,柿の剪定をしていた時に異物が目に入り,それからが大変。とにかく痛い,片方に入っただけなのに,もう一方の目も開けられない。何かを見ようとすると,痛いほうの目も動くからのようです。これでは自動車の運転は無理で,帰京できなくなりました。
2010年1月25日(月)  『目が見えない』
  昼前に奥さんが救援に駆けつけてくれました。ありがたいことです。自動車を運転してもらって,地域の評判の眼科医に診ていただきました。痛み止めの処置をしてもらいましたが,短時間効いただけでぶり返します。簡単には直りそうもなく,とにかく急いで帰京することにしました。夕方,京都のかかりつけの眼科医に診てもらい,多少,快方に向うように感じました。とにかく,帰宅できてほっとしました。
2010年1月28日(木)  『目が痛い』
  ようやく目の痛みが引いてきたと思ったら,ぶり返しました。先日の痛みに近い痛さで,少ししか目を開けられません。再び眼科医へ行くと,顕微鏡のような装置で丁寧に調べて,深く刺さっているまつ毛を見つけていただきました。それからベットに寝かせられての顕微鏡手術となりましたが,なかなか抜けません。目の手術は精神的に辛いものです。いずれにしても,先日とは違った原因で,同じ目が同じような痛みというのは不思議なことです。今回は,直後から,かなり良くなりました。
2010年1月31日(日)  『原稿提出』
  今日は,出版予定の化学の本の原稿締切日。ぎりぎりまで推敲し,深夜12時直前にメールで提出しました。共著なので,他の方の出方を見守っていましたが,締めきり時間になっても提出されない方がほとんどです。締切日を勘違いしていたのか,メーリングリストの設定が間違っているのか,急に不安になってきました。
2010年2月1日(月)  『確定申告講習会』
  今年から自分で確定申告をする必要があります。そこで,講習会に参加しました。理科のように論理的な筋道があるのではなく,「こうなってます。こうします。」という内容を聞くのは,とにかく辛い。付き添ってもらった娘に期待することにしました。
2010年2月2日(火)  『畑作り』
  明日から,購入したお隣の倉庫の取り壊しです。それに合わせて,境にあるブロック塀の撤去も依頼しましたが,塀の横にはたくさんの植木があって移動場所が必要です。そこで家の前のコンクリートを割っての露地作りをしていました。それが,昨日,ようやく完成しました。
  剥がしたコンクリートの下から顔を出したのは建設廃材を含む石のように固い土‥それを砕いたり除去したりした後,40cm程度の深さまで腐葉土や園芸用土壌と入れ替えました。畳2枚もない程度の広さですが大変な作業!‥毎日やって2週間ほどかかりました。「掘った土は倍になり,入れた土は半分になる。」このことが,よくわかりました。
2010年2月3日(水)  『取り壊し開始』
  朝からお隣の倉庫の取り壊しが始まりました。「丁寧に作業します。」ということでしたが,ユンボーやトラックが入り,騒音は大きく,かなりの近所迷惑です。周辺のお宅へのご挨拶はしましたが,苦情がきても不思議ではなく,精神的に辛い一日を過ごしました。明日から一週間ほど続くようです。
2010年2月8日(月)  『取り壊し終了』
  ようやくお隣の取り壊しが終わりました。何もなくなると,とても広い空間がぽっかりと開きました。接していた我が家の壁は骨組みがむき出しで,雨が降ると浸水しそうです。大工さんが,防水シートで覆ってくれました。次の段取りは,我が家の補修工事となりました。
2010年2月9日(火)  『測量』
  役所に新築許可を得るため,更地の丁寧な測量作業がありました。中京区と右京区の境界位置にあるためか,図面と実際が合いません。総面積も,多分違っているようです。こういったことは良くあるらしく,「結論は実測値が優先」ということです。当然とは思いますが,どこか納得できません。
2010年2月13日(土)  『レポート送付』
  所属する研究会へレポートを送付しました。原則として年に4回レポートを送付しないといけません。今は時間的な余裕がありますが,昨年までは辛いことでした。午後は,理科サークルの例会に参加しました。
2010年2月17日(水)  『交通事故』
  自転車で葛野大路を南下している時,突然に側道から飛び出した自動車にはねられ,ボンネットの下敷きになりました。自分で自動車の下から這い出すことができ,間一髪で大事には至らなかったようです。身体の異常を調べましたが,興奮してよくわかりません。自転車も調べましたが,これもよくわかりません。運転手の方は,顔面蒼白です。それを見ると,「もし,逆の立場だったら‥」という思いで,いてもたってもいられなくなりました。「大丈夫!」と小さく言って,さっと立ち去りました。家に帰って話題にすると,「後遺症があれば大変。保険で面倒を見てもらえるから,名前だけでも聞いておくべき!」と怒られました。確かにその通りで,体の異常がないか,急に不安になってきました。
2010年2月18日(木)  『歯』
  歯が欠け,歯医者に行きました。先日も同じことがあり,不安です。
2010年2月21日(日)  『理科の研究会』
  恒例の「京都自然科学研究集会」が京田辺市で開催されました。午後は「楽しい科学広場」ということで,地元の子どもたち相手の実験広場となりました。久々の子ども相手は楽しかったのですが,500名の参加ということで,かなり疲れました。
2010年2月22日(月)  『壁面工事完了』
  むき出しとなっていた我が家の壁面工事が終了しました。新築予定の隣家は,これからです。今は,ガラス,陶器,針金などの廃材がいたるところに顔を出している更地です。
2010年2月23日(火)  『国際物理オリンピック』
  開催が危ぶまれていた「国際物理オリンピック」をタイ国が引き受けたというニュースがありました。恐らくIPSTが担当するはずで,懐かしい方々の活躍となることでしょう。大変だと思いますが,とても嬉しく思います。ご苦労様です。
2010年2月24日(水)  『大安』
  大安ということで,末娘の結婚のお祝いに,叔父さんと妹がきてくれました。ありがたいことです。風習に則った立派なセットとともに,恐縮するほどのお祝いをいただきました。娘の結婚が,次第に現実味を帯びてきました。お隣の新居はこれからで,まだまだ考える事はたくさんあります。
2010年2月25日(木)  『歯』
  またまた歯が欠けました。歯がだめになると寿命ということも聞きます。娘も結婚するとなると,親の存在も薄れていいということでしょう‥
2010年2月28日(日)  『理科の研究会,クスノキ』
  大阪の藤戸小学校で,「大阪科学教育研究集会」が開催されました。私は,樟脳ボートの演示用に2mもある大きな直線水槽を持ち込むことにしました。運搬手段に悩んでいましたが,知人の先生に車を出してもらって助かりました。感謝します。樹木医の方のクスノキの講演は私の展示とも考えとも一致するもので,ようやく仲間に出会えた喜びを感じました。
  今日は,2ヶ月ほど前から急に簿記の勉強を始めた娘が検定試験を受けました。2級と3級の同時受験でしたが,さて,どうでしょうか?
2010年3月1日(月)  『滅失登記』
  お隣の倉庫の撤去に伴う滅失登記で,法務局へ出向きました。役所は,建物も,内部も,役人も,書類も時代に取り残されたようなレトロな雰囲気で,昔の映画の中に足を踏み込んだような空気を感じました。書類の不備もあったのですが,おっとり丁寧な対応で,なんとか受理していただきました。帰宅すると,司書資格の通信教育をしていた奥さん宛てに単位認定終了のお知らせが届いていました。ようやく願いが叶ったようです。
2010年3月3日(水)  『予約診療』
  予約診療で○立病院へ行きました。△△異常であるにも係わらず自転車で出かけられるのは,まだまだ余裕があるということです。しかし,間違いなく寝たきりのトップランナーで,先行き不安‥
  午後は,娘の結婚のお祝いに,奥さんの里から3名で来られました。あまりにも過分なお祝いをいただき,感謝を通り越して驚きました。娘の結婚は今月の14日‥,ようやく身近な出来事だと意識できるようになりました。
2010年3月4日(木)  『確定申告』
  確定申告をしました。今年の書類が最もややこしいということで悩んでいましたが,いつの間にか何でも堪能な上の娘が仕上げてくれていました。今年は病院費用が大きく,その書類の束の整理も見事にできていました。臨時の申請所は書類記入する人で溢れていましたが,ハイ!と提出してお終いでした。
2010年3月6日(土)  『風邪?』
  木曜日から風邪気味で,今朝は病院へ行きました。何度もふらつき,階段を降りるのが危険という状況が続いていました。風邪とは別の症状のような感じもあり,困ったことです。
2010年3月7日(日)  『廃棄』
  娘の結婚式の一週間前となり,親にとっても過去との決別が必要だと思いました(子離れ?)。そこで,身の回りの整理と不要物の廃棄を始めました。身体の異常も続き,そういった意味での身辺整理でもあります。ざっと見渡しただけで大変な量です。理科の教育雑誌だけでも3誌を継続購入しており,数十年分となると大変です。デジタル化され資料的価値が薄れたこともあり,すべて廃棄としました。採集した岩石,鉱物も膨大で,お隣の娘の新居の更地に捨てることにしました。それぞれの石には想い出がありますが,資料的価値があるほどの美品は少なく,仕方がないところです。
2010年3月10日(水)  『予約診療,ラジオ解体』
  9時から○大病院でX線CT撮影,夜は,近くの病院で定期的な予約診療‥病院通いが続きます。こういう日は先行きを悲観的に考えるもので,身辺整理を継続しました。そして,前からどうしようと悩んでいた自作真空管ラジオを,ついに解体しました。中学時代に作った真空管8本(実質10本),ダイオード2本の凝りまくった通信型で,設計からオリジナルです。台頭してきたトランジスタは同じ型番でも特性の違いが大きく,少し凝った回路を作動させるのは大変でした。しかし,真空管の終焉は明らかで,作りながら時代の変化を感じていました。いろいろな想い出が詰まった特製のラジオで,シャ−シのチューニング機構の工作なども自身が驚く凝りようでした。
2010年3月13日(土)  『アンプ解体』
  今日は,高校時代に作ったトランジスタアンプを解体しました。化学部に所属して化学一筋といったところでしたが,自宅ではこそこそと電子工作に凝ってました。家では化学実験ができないという事情もあったからです。その集大成がモノラルの20W出力プリメインアンプです。鉄シャ−シ,アルミパネルの加工はもちろん,回路設計,プリント基板の作成から,とにかくすべて自前でやりました。今のように適当なICやキットがあるわけでなく,トランジスタを一個ずつ組んでいくのは大変なことでしたが,それだけに思い出深いものです。全くの秘密の工作物で,初めての公開が「奥様」‥しかし,全く興味を示していただけませんでした‥
2010年3月14日(日)  『結婚式』
  末娘の結婚式でした。我が娘という贔屓目ではなく,実に気持ちの良い式でした。友人と親戚がほとんどで,気遣いのいらないのも良かったです,しかし,人前結婚式ということで親の役目としての適度な緊張感もありました。久々の暖かい日和で,広々とした窓からは京都御苑の蛤御門が見え,場所も素敵でした。義弟が頼んでくれた仕事仲間のカメラマンは,それはそれは見事な役割を演じ,プロの凄さを知りました。シャッターを押しっぱなしといった状況で,通常,こんな丁寧な仕事をしていたら身体が持たないと思いました。かなり著名な女性フォトグラファーであるそうです。式後ですが「新居が完成していない,多忙で新婚旅行に行けない。」‥つまり,お互いが親元に帰りました。
2010年3月16日(火)  『還付,お祝い』
  確定申告の還付額の連絡がきました。提出した書類の額と全く同じ,つまり娘の計算通りでした。普通ではない特別な内容が多かっただけに,恐れ入りました。
  娘の結婚祝いとして,お世話になった先生から素敵なプレゼントが届きました。アメリカ土産の見事な工芸作品と大きなカステラです。カステラの全面には素敵なお祝いの言葉‥嬉しく,ありがたいことです。感謝します。
2010年3月17日(水)  『電球』
  今日,東芝が発熱電球の生産を停止しました。二重コイルの開発など,GEと伍して戦ってきた明かりのシンボルが消えるのは寂しいことです。また,電球の教材化は私の十八番だっただけに,特別な思いがあります。教材にLEDが登場していますが,返って電球の良さが際立つことと思います。
2010年3月18日(木)  『予約診療』
  先日のX線CTの結果を聞きに,○大病院へ行きました。変化はないようですが,新たな検査機器の導入もあり,再検査を提案されました。再び,ラジオアイソトープを用いての検査ということです。
2010年3月21日(日)  『理科の研究会,無極性DC-DCコンバーター内蔵LED豆電球』
  大阪化学サークルの例会にお邪魔しました。実験室は久々で,居るだけで気持ちのよいものです。実験や教材の話は楽しく,気分の良い時間を過ごせました。持参したものの一つが,サイキットのS社長から提供していただいた「口金に無極性DC-DCコンバーターを内蔵したLED豆電球」です。レモン電池一個で点灯するという凄いもので,従来の豆電球と置き換えても違和感がありません。教材に用いられるようになったLEDは扱いにくいもので,解決策の有力候補だと思います。学校周辺の様子は,景気低迷の現実を実感させる厳しいものでした。
2010年3月22日(月)  『東山花灯路』
  「東山花灯路」の最終日ということで,夕方に出かけました。地下鉄「東山三条駅」で降りて三条通を歩いていると,「竜馬の結婚式」の説明板が目に付きました。ここが,結婚式を挙げた本当の場所ということです。何となく歩いているだけで,新たな発見があります。所々に桜の花が目に付く中,三年坂まで歩きましたが,外国語での会話を耳にすることが多くて驚きました。西欧系の方は外見でわかりますが,それ以上に中国語の会話が多いようです。日本人は静かに歩く人が多いせいか,まるで外国に居るような雰囲気でした。青蓮院の美しいクスノキの大木,知恩院の勇壮な山門,円山公園の光アート,二年坂から三年坂までは個性的なお店が続き,歩くだけ楽しめました。何度訪れても,変化があって飽きません。
2010年3月23日(火)  『KI』
  RI検査が迫り,ヨウ化カリウム(KI)剤を飲み始めました。検査に用いるのはヨウ素131というラジオアイソトープで,甲状腺への被爆を低減させる必要があるからです。原発事故と同じ処方ということで,何とも気が重い一週間が始まりました。
2010年3月25日(木)  『シキミ,簿記検定』
  北野の天神さんの縁日ということで,出かけました。お目当ては「シキミ」の購入‥仏事で必要なことが多く,自前で確保しようという目論見です。さて,大きく育ってくれるかどうか? 娘の簿記検定(2級と3級)の合格証書が届きました。いつもながら,お見事です。
2010年3月26日(金)  『予約診療,ガス工事,司書資格』
  ○大病院で△△シンチグラフィの検査を受けました。これに先立ち,24日に,ヨウ素131の静脈注射をしました(シリンジは3mm程度の厚さの金属で防護)。結果は来月の予約診療となります。本日は,朝からお隣に関係するガス工事が行なわれました。本管が敷地内を通っていることがわかり,移動させることになったのです。ユンボー,ダンプ,機材運搬車などが次々に到着し,道路は長時間の通行止め‥私の責任ではなのですが,オロオロしていました。午後には,奥さんの司書資格の証書が届きました。とても嬉しい知らせです。
2010年3月27日(土)  『建築許可』
  大工さんが来られ,昨日,建築許可が降りたことがわかりました。ほぼ一ヶ月間待ちわびた,念願の知らせです。ただ,許可条件が地盤改良ということで,追加の費用が発生しました。大震災以来,審査が厳格になったそうです。悪いことではないのですが‥
2010年3月31日(水)  『ローム社長』
  ロームの社長である佐藤研一郎さんが,本日限りで退任するという報道がありました。彼は,高校の化学部の大先輩にあたります。化学部の同窓会で,同じ年代の方から佐藤さんの活動を聞きました。一人黙々と金属イオンの定性分析をされていたそうです。高校化学部から大学の電気科,そしてカーボン抵抗器の開発ということで,なるほどと思いました。同窓会でお会い出来ることを楽しみにしていますが,そういった会合はお好きでないようです。いずれにしても化学部全盛時代の部員で,尊敬する顧問の藤原秀夫先生の存在が大きかったはずです。
2010年4月1日(木)  『高台寺』
  高台寺の桜を見に行きました。何度来ても,いつ来ても,素敵なところです。ここでも,例年になく外国の方が目立ちました。京都の観光資産‥これこそ省エネの環境,平和産業になると思います。
2010年4月2日(金)  『予約診療』
  △△シンチグラフィの結果と今後の相談に,○大病院へ行きました。よくわからないのですが,不安な状況のようにも受け取れるもので,悩まされます。いずれにしても,更なる精密検査が必要ということでPETを予約しましたが,予約が詰まっていて来月検査となります。これからどうするか?ですが,とにかく,身辺整理の掃除(廃棄)を加速しましょう‥
2010年4月4日(日)  『道路完成』
  岐阜の郷の別宅前の道路が完成したという連絡が入り,昨日から出かけていました。ご近所にいろいろとご迷惑をかけていたことも知りました。国の公共工事ですから問題は発生しないと思っていたら,工事業者の対応に問題があったようです。結果,ご近所でチェックする必要があったということです。不在で申し訳ないことでした。
2010年4月8日(木)  『紅枝垂コンサート』
  平安神宮の「紅枝垂コンサート」を見に行き,宗次郎のオカリナの音色を楽しみました。見事な紅枝垂桜に「これを見たら死んでもいい!」という声も聞こえ,同調とまではいきませんが,少し納得しました。22回目で,始まった頃,存命だった父らと出かけたことを思い出します。スタッフも運営に慣れたのか,満足できる素敵なものでした。開演までの間,近所の「ウェスティン都ホテル京都」裏山を見学しました。丁寧に整備した山の中腹に超VIP用の別邸風の宿舎が建ち並び,ここが,とんでもないホテルであることがわかります。自然石(チャート)の隙間を流れる滝の見事さに唖然としました。
2010年4月9日(金)  『地盤改良』
  お隣の地盤改良工事が始まりました。1m掘り返した土に地盤改良剤を混ぜて,元に戻します。ユンボーが大活躍「掘って混ぜて押さえて‥」,見事な手さばきで感動するほどです。夜は,ライトアップされや二条城の見学に行きました。さまざまな八重桜があり,見事でした。ここも,多くの外国の方で賑わっていました。
2010年4月11日(日)  『ツタンカーメンのエンドウ豆』
  大植先生から種子をいただいた,ツタンカーメンのエンドウ豆が大きく育ちました。ピンクと赤紫の美しい花がいっぱいで,濃い紫のさやも増えてきました。20年ほど前に栽培した時は,貧弱な出来でした。余裕があると,こうも違ってくるのですね。薄赤く染まった豆ご飯が楽しみです。
2010年4月13日(火)  『理科教材教具開発ハンドブックV』
  前勤務先が年度末に発行した「理科教材教具開発ハンドブックV」を届けていただきました。毎年発行している「センター報告」の教材関連の抜粋集で,私の執筆もいくつか入っています。樟脳ボートに関しては改良発展内容が多く,今回,全面的な書き直しができました。許可していただき,感謝しています。
2010年4月16日(金)  『基礎工事,府税事務所』
  月曜日に地盤改良工事が済み,今日は基礎の鉄筋の設置もほぼ終わりました。日程の関係もあって,作業は雨の中でも続きました。寒さも厳しく,作業員の方には申し訳ないことでした。鉄筋の組み方は丁寧で美しく,セメントで埋めるのは惜しいような気がします。大工さんに話すと,「写真をとって役所に出しますから‥」ということでした。
  雨の中,歩いて府税事務所に行きました。提出を求められていた書類についての相談です。役所らしからぬ親切丁寧な応対で,気持ちよく手続きができました。