★ 近況(2009年9月〜12月)★ 

  

2009年9月3日(木)  『検査』
  前回の検診から半年経ち,再び内蔵のMRI検査で京大病院を訪れました。学生の時に使っていたNMRと原理は同じですから,親しみはあります。しかし,我が身の検査となると気が重い重い。結果を聞くのは17日,さて,どうなんでしょうか?
2009年9月11日(金)  『病院予約』
  手術のアフターケアで,,近所の病院を訪れました。「もう,大丈夫です。次回は異常を感じたらで結構です。」ということで,ほっとしました。
2009年9月12日(土)  『炭山講演』
  宇治市の炭山で,地域主催の講演をしました。小学生以上という幅の広い対象で(親子講座ですね),少々悩みました。しかし,夜の講座ということで,灯りを扱うことは最適で,私自身がとても楽しみでした。いつものことながら持ち込み物品が多すぎで,時間内にこなせるのか?,ぐずり出した子供がでたらどうしよう!‥といった不安で,とにかく先を急ぎました。しかし,お行儀の良い子供たちと熱心な住民で,予想外に早く終われました。参加者に助けられたという思いのある講演でした。帰りは,依頼していただいた先生宅でご馳走になり,ありがたいことでした。
2009年9月17日(木)  『病院予約』
  京大病院の予約日で,MRIの結果を聞きました。医者といっしょに画像を見ましたが,「大丈夫でしょう!?」ということで,ほっとしました。しかし,荒い点の集合で,私にはよくわかりません。また,半年後の検査を予約しました。それでも気分が少し晴れ,午後から岐阜の郷へ出かけました。
2009年9月18日(金)  『映画』
  岐阜の郷の近所に,巨大なシネコンがあります。そこで,映画「ココ・シャネル(フランス版)」の封切り日の一回目を見ました。先月のアメリカ版を見た関係で,その続き鑑賞です。映画はドキュメンタリーではないので,その違いが興味深かったのです。心配で,昨夜に予約しての鑑賞でしたが,好きな席を自由に選べました(予約者はゼロでした)。本当に評判なの?
2009年9月19日(土)  『光ファイバー撤去』
  契約を解除したNTTが光ファイバー回線を取り外しに来ました。しかし,実際は何もせず,「このままにしておきます。いつでも復帰できますから‥」ということで,レンタルしていた終端装置だけを持ち帰りました。契約も「休止」で,それも5年更新‥電話回線同様,NTTのシステムはよくわかりません。
2009年9月30日(水)  『血液検査』
  昨日の血液検査の結果と対策について医者と相談しました。しばらく止めていた薬を再開し,多少,数値は低下傾向です。他にも標準から外れた赤字のデータがあり,気になります。
2009年10月1日(木)  『アラジンのランプ』
  イスタンブールからアラジンのランプが届きました。日本の灯明の次は,海外がどうなのか気になったのです。偶然に近い形で入手できたもので,とても満足です。さて,どんな油を入れて,どのように点火するのでしょうか?‥これからが考えるわけですが,これが面白い。
2009年10月2日(金)  『58歳』
  今日は58歳のお誕生日,母が58歳2ケ月で逝去し,それが私の運命の一つの目安でした。それ以上は,ありがたい授かり物といった気持ちで生きていくつもりです。しかし,この2ケ月が不安(-_-;)
2009年10月3日(土)  『お米が届く』
  親しいH先生に,お米を届けていただきました。片道40分くらいかかるはずで,手間を考えると申しわけないことです。他にないおいしいお米で,大歓迎,大感謝。
2009年10月8日(木)  『ウィニー』
  ウィニーで,高裁判決は無罪。問題はありますが,有罪になれば怖いことでした。江戸時代の五人組の連座制みたいなもので,場合によってはネット利用も大きく制限されることでしょう。私はウィニーを使いませんが,技術的な可能性には期待します。「ほっとした。」というのが実感です。
2009年10月11日(日)  『新学習』
  昔作った電位分解装置の余分探し(学校からの依頼),御池フェスタの行灯探し(センターからの依頼)などを兼ねて,久々にセンターへ行きました。ちょうど,新学習の準備中で,休日出勤という追い込みの時でした。いくらでも助言は出来るしノートと指導案も作りたくなりましたが,もう,そんな立場ではありません。
2009年10月13日(火)  『水銀鉱山』
  岐阜の郷の柿狩りのついでに,三重県丹生の水銀鉱山を見学しました。中央構造線沿いの水銀鉱床は有名で,ここの水銀は,奈良の大仏の金鍍金に用いられたという謂れのあるものです。神宮寺でも,水銀精錬所跡でも,突然の来訪にも関わらず丁寧にご説明いただきました。また,地元「まめや」さんの農村料理のバイキングは素敵なもので,とても気持ちの良い見学となりました。
2009年10月14日(水)  『柿の収穫』
  富有柿の早稲種である「松本」が4本あり,その収穫をしました。今年は,丁寧に摘果作業をしたために,大振りのものが増えました。また,生り年のようで,500個ほど収穫できました。ただ,農薬漬けにしていないので,ほとんどのヘタ部分に害虫が侵入しています。見た目が悪く,悩むところです。
2009年10月17日(土)  『研究会』
  久々に理科の研究会に参加しました。自宅に居ると理科の会話が減り,寂しい思いをしています。それだけに,かなり嬉しい場となっています。参加した他の先生方にはご迷惑なことかもしれませんが。今日は小学校の新課程「電流の熱作用」‥かなり面白い内容で,新しい実験を提案しました。
2009年10月21日(水)  『午後の理科室』
  ようやく中断していたweb siteを再開しました。退職に合わせ,名称変更もしました(プロバイダも変えました)。かつての「遊々サイエンス」の名前を復活させるのが夢だったのですが,どう考えても内容にそぐいません。もちろん,「理科室」そのものではだめですし,「放課後の理科室」や「休日の理科室」では遠すぎます。「午後の理科室」は和製英語で「GOGO science」となり,「YUYU science」に近い雰囲気なのが気に入りました。
2009年10月25日(日)  『樟脳ボート』
  「御池フェスティバル」という催しの出展を「京都パスカル」が依頼され,土日の2日間,市役所前の地下街「ZEST御池」でボランティアをしました。内容は,最近凝っている樟脳ボートですが,今回は,ようやく実用となる直線水槽が完成し,お披露目となりました。これで,ほぼすべても問題点を克服し,復活より新生といってよい樟脳ボート遊びが完成しました。樟脳に興味を持ったのは学生時代,樟脳ボートに取り組み始めて約20年,ようやくしっかりした芽が出ました。
2009年10月30日(金)  『東北旅行』
  28日から2泊3日,奥入瀬渓流や蔵王のお釜や平泉など秋の東北旅行を楽しみました。義父の依頼でしたが,こんな嬉しい付き添いはありません。天候にも恵まれ,これ以上の紅葉やお釜は見られないと確信できるほどの見事なものでした。また,奥入瀬は新婚旅行の地でもあります。思い出深い体験となりました。
2009年11月2日(月)  『富有柿の収穫』
  東北旅行の翌日である31日(土)から岐阜の郷へ富有柿の収穫に行きました。近所のお世話になっている方から「今年は半月ほど熟すのが早くなっている。」という電話があったからです。確かに,ほぼすべてが完熟状態で,あと数日遅かったら大変でした。自然というのは,毎年いろいろあって悩まされます。完熟の味は見事に甘く,お店に並んでいるのとは明らかに違います。本当の柿とはこういうものだと思いました。
2009年11月6日(金)  『科学の祭典準備』
  夕方,明日開催の「青少年のための科学の祭典」の準備に,久々に科学センターへ行きました。最近はセンターを忘れつつありますが,建物に入ると一瞬にして現役気分になります。もう,染み付いているといってよい感覚です。来場者と私の位置関係,展示物の見やすい配置,説明順序など,シナリオを考えての展示を検討しました。ようやくひと段落すると9時近くになっています。お約束の最終準備時間は8時‥あわてて帰りました。
2009年11月8日(日)  『科学の祭典』
  第一回の東京大会への参加を要請されてから,ずいぶんと時間がたちました。まだ無名だった米村傳次郎さんらとの懐かしい想い出が蘇ります。今回のテーマは,ここ数年取り組んでいる「樟脳ボート」,改良を繰り返し,ようやく悩んでいたすべての課題を解決できました。先日の御池フェスティバルが練習となり,細かい改善も進みました。これを基本として全国に普及させたいものです。楽しい2日間は,あっという間に終了です。
2009年11月11日(水)  『セミナー準備』
  石川県で開催されるセミナーの講師を依頼され,明日が出発日です。今日は準備で大忙し‥さまざまな実験器具を持参しますが,関連用品も多数あり,一つでも忘れると大変です。何度もシミレーションをしますが,予備物品まで考えると,とんでもない量になります。自動車に詰め込むのは,どう見ても無理‥こうなるとシナリオを変更する必要が出てきます。苦渋の事業仕分けと申しましょうか!?‥辛いところです。
2009年11月14日(土)  『高校生セミナー』
  石川県の高校生理科部員(91名)対象のセミナー講師として,12日から2泊3日で参加しました。前日は,お世話をしていただいた先生方による歓迎会もあり,嬉しいことでした。タラの生白子が,こんなにも美味しいとは知りませんでした。自身が理科部員であった頃の懐かしい思い出もあり,2回目となるセミナーは嬉しくてたまらないものでした。こんな気持ちだと,内容が上滑りしやすいもので,事実,その通りにだった思います。しかし,専門家の卵たち‥気に入った部分だけを咀嚼していただけると信じています。
  長距離の運転に体力の自信がなく,奥さんとの旅行も兼ねました。往路の高速では強風でゆらっとする車に慌てたり,御前崎の白い波しぶきに日本海の厳しさを感じました。また,兼六園と金沢城の見事なライトアップは,金沢での素敵な思い出となりました。お土産は,以前から興味津々だった「フグの子(フグの卵巣の漬物)」としました。フグ毒(テトロドトキシン)は,どうなったのでしょうか?
復路は,多賀SAから歩いて「多賀大社」に行きました。滋賀県の地方色を強く感じる立派なところでした。
2009年11月18日(水)  『逝去』
  早朝,妹の嫁ぎ先のお母さんが逝去。昨夜,救急車で搬送された病院に駆けつけましたが,回復することはありませんでした。悲しみに沈む余裕もなく,通夜や明日の告別式の準備など,とても慌しい日となりました。ご自宅の整理で書類の選別をしましたが,この年代の方が乗り越えてきた様々な過去が垣間見えました。一つの命の大きさと重さを感じました。
2009年11月19日(木)  『告別式』
  最も大切にしなければいけない告別式でしたが,あれやこれやと細かい作業と共に不手際もあり,落ち着きませんでした。夕方,ご自宅に遺骨となってお帰りになりました。お寺さんのお経が終わって近親者だけになって,ようやく故人の写真を見つめることができました。知的で品の良いとても素敵な方でした。
2009年11月18日(水)  『インフルエンザ予防接種』
  新型インフルエンザの接種枠には入れてもらえませんが,とにかく,従来のインフルエンザワクチンの接種をしました。いつも通り,奥さんは懐疑的で,接種しません。人にもよるのでしょうが,初めて接種した10年ほど前から人生が変るほどの効果がありました。接種費用を考えたコストパフォーマンスですが,私の場合は,明らかに+となります。
2009年10月23日(月)  『日所長逝去』
  日高敏隆所長が14日にお亡くなりになり,明日,新聞発表されるという電話がありました。昨年から体調不良で心配していましたが,急なことで驚きました。ご冥福をお祈りします。所長は,聞き上手ではなく,とにかく話好きでした。何度かお話しをしましたが,いつも,動物行動学の面白い話が延々と続きます。科学センターにとって,このような方こそ欠かせない存在でした。
  タイ国IPSTの所長へ挨拶状を送付する時,日所長のサインをもらいました。語学に堪能で有名ですから,英語の手紙にかなりクレームが付くだろうと覚悟していました。ところが,文面を全く見ず「ここに書くんですね!」と,一瞬の早業でサイン終了。実に気持ちの良い対応で,ファンになりました。
2009年11月25日(水)  『府立病院』
  いつもの定期健診です。病状は不安なものですが,当日が近づくと元気になります。脊椎の物理的な異常なので精神的なものは無関係に思いますが,そうでもなさそうです。何事も,気持ちをしっかり持たないと‥と思いました。
2009年11月28日(土)  『仮契約』
  娘の結婚で必要となる新居と陶芸工房のために,お隣を購入することになりました。今日が,その仮契約日でした。「隣の空き倉庫を借りられませんか?」といったお願いが発展し,土地,建物のすべてを購入することになりました。本当に新居となるのか?,資金は大丈夫か?,物件に問題はないのか?‥話を始めて一ヶ月ほどでの仮契約は不安だらけです。唯一の安心は,友人の司法書士が契約の仲介をしてくれることです。感謝,感謝。
2009年11月29日(日)  『京都の紅葉』
  昨日,北野天満宮の紅葉をテレビで紹介していました。小さい頃に天神さんの境内で遊びまわっていた私は,隅々までよく知っているつもりです。梅の名所なのは当然ですが「紅葉?」‥気になって自転車で出かけました。そこは境内の西端の紙屋川沿いで,すべって遊んだ懐かしい御土居跡周辺でもあります。何時の間にか整備され,紅葉の名所へと変貌しています。素敵ではありますが,少々複雑な気分でした。その後,二条城の見学もしました。二の丸御殿や庭園は何度か訪れていますが,実に素晴らしく,初めてのように感じます。年とともに見方考え方が変るからのようです。
2009年11月30日(月)  『補職者会』
  前勤務先の最後の宴会である「補職者会」に参加しました。「歓送迎会」という位置づけですから,挨拶もきちんと考えていました。4月からずっと構想を練ったもので,こんなに丁寧な準備は初めてです。ところが,あちこちで井戸端会議が続くだけで,いつの間にか宴は終わっていました。前も同じようなことだったので,準備したプレゼントや実験道具の持参は直前で止め,それが正解でした。残念で?なお別れとなりました。
2009年12月1日(水)  『寄付』
  「京○協」という団体が寄付をしたというテレビニュースを見ていると,目録を渡している理事長が知人(高校時代の同級生)なのです。この業界で中心になって活躍しているという噂は聞いていましたが,その通りでした。「赤き血潮」の仲間に,とても嬉しくなりました。
2009年12月10日(木)  『柿の木の剪定』『ランプ』
  8日から2泊3日で,岐阜の柿の木の選定作業に行きました。丁寧な剪定は初めてで,どうしてよいのか悩みました。農作業が,こんなにも難しいとは思いませんでした。お隣の大工さんの親切な指導兼お手伝いもありましたが,完全には終わりませんでした。木を見上げ続けたためか,首の痛みがとれません。
  往路,春日井市の「江戸川屋ランプ」に立ち寄りました。日本を代表するランプ屋さんで,製造・販売・修理まで,すべてをこなす貴重な存在で,営業している文化財といえます。ネットで何度か購入していましたが,ようやく訪れることができました。ランプのお宿や篤姫さんのセットのランプなど,ここの協力ということです。もちろん,気に入ったランプを購入しました。
2009年12月12日(土)  『伯父さんの葬儀』
  昨日,岐阜の伯父さんが亡くなったという電話で驚きました。私たちが柿の木の剪定作業をしている時に病院へ搬送され,そのまま帰らぬ人となったそうです。選定作業に夢中で,お隣の緊急事態に気づかぬまま帰京してしまいました。11日には再び岐阜の郷へ向い,通夜と葬儀に参列しました。自宅での湯棺の風習はなくなっていましたが,納棺儀式など,亡き人をおくる丁寧な作法には感心しました。葬儀場も立派なもので,他との重なりもなく,ゆっくりと故人を偲ぶことができました。伯父さんは気さくなのにきちんとした方で,田舎の良さを感じさせる人格者でした。
2009年12月16日(水)  『売買成立』
  代金を完済し,お隣の物件の売買が成立しました。今まで経験の無い高額の支払いということもあり,何ともいえない興奮状態にありました。予定外の進展で金銭的に余裕がなくなったのは辛いことですが,お隣を購入できるのはまたとないチャンスです。それも,娘が住むというのであれば,文句はいえません。
2009年12月17日(木)  『リフォームから新築へ』
  当初,リフォームと考えていたお隣ですが,老朽化(耐震強度不足)もあって,すべてを撤去して新築せざるをえないようです。仕方なく,とにかく大工さんに相談(新築依頼)しました。金銭面で問題山積ですが,動きだしたらしようがないです。
2009年12月20日(日)  『デンマルク国の話』
  日経新聞一面の春秋欄に「デンマルク国の話」が出てきて驚きました。内村鑑三著「後世への最大遺物」の文庫本の後半に収録されていたのを学生時代に読み,環境に関する考え方の基礎となりました。しかし,この本を人に勧めたことはありませんでした。今日から見れば大した内容でもないと思えることと,自身の発想の原点を明かすのには抵抗がありました。それだけに嬉しい記事で,仲間(筆者)に出会えたような感動を覚えました。
奥さんは,12月に入ってからスクーリングで大忙し。図書館司書の資格取得まであと一歩のようです。
2009年12月24日(木)  『クリスマス』『執筆依頼』
  仕事を止めている娘による,見事な手作りケーキや食事が並びます。流石に専門家です。家の売買などで精神的に疲れきった年末でしたが,ようやくほっとするものを感じました。
  出版社の担当者から,ようやく「化学実験事典改訂版」執筆分担に関するメールが届きました。何らかのミスがあったようで,一ヶ月ほど遅れた連絡となりました。1月末の締め切りで焦りますが年末まで多忙‥本格的な執筆は年明けからになりそうです。
2009年12月25日(金)  『墓参り』『ランプミュージアム』
  年末の墓参り(掃除)に,大谷祖廟へ行きました。自転車の遠乗りでしたが,体力的に限界だと思いました。帰りに八坂神社西門前の「ランプミュージアム」を訪れました。前から気になっていた博物館ですが,何となく遠慮していました。入ってみるとびっくりするコレクションで,感激するやら驚くやら‥探し求めていたものがすべてあるといってよいのです。所狭しと展示されて十分な解説とはいえないのですが,私にとっては宝物のような展示です。あまりの見事さに,どうやって収集できたのか?その謎にも迫りたいと思いました。今回は,奥さんと娘が一緒なので短時間で後にしましたが,興奮冷めやらずといったところです。
2009年12月29日(火)  『安房科学塾』
  28日,29日と,千葉県館山市で開催された「安房科学塾」へ参加しました。盛口襄先生が不参加なのは知っていましたが,会える事を期待し,帰りの新幹線の予約は3時間ほど後にしました。これが幸いして,帰りの館山駅まで見送りに来られた盛口先生とゆっくりお話しする時間がとれました。この会にとって盛口先生がいかに大きな存在であるかがわかります。かなり厳しい症状であることは聞いていますが,お元気そうです。ご高齢にもかかわらず,頭は明瞭で,普通に議論されます。結果,いつも通り頭の上がらない存在でしたが,今は,それがとても嬉しいことです。
  帰りの新幹線は暗い車窓でしたが,「今年も良い年だった!」としみじみ思いました。