★ 近況(2009年1月〜3月)★ 

  

2009年1月1日(木)  「新年」
勤務のこと,体調のこと,いろいろと悩み深い年の幕開けです。やらねばならないことは多いのですが,何をなすべきか,何を優先すればよいのか,容易に判断できません。気がつくと,一日が過ぎていました。
2009年1月2日(金)  「お墓参り」
父母のお墓参りに行きました。年末にお掃除を済ませておくべきですが,新年が増えてきました。こんないい加減なことでも,大好きな父母は笑って許してくれるという確信があります。愛情深いというより,甘やかされて育てられたのでしょうね。
2009年1月8日(木)  「小西和人さん」
元週刊釣りサンデー会長の小西和人さんが,昨日に亡くなったそうです。一度だけ,講演を聞く機会がありましたが,もう,感動で興奮する内容でした。わかりやすく開けっぴろげな方で,諫早湾で頑張った山下弘文さんに通じるものを感じました。
2009年1月9日(金)  「指導者講習会」
化学領域として担当したのは「カルメ焼き」と「紙漉き」ですが,長年続けてずいぶん慣れてきました。特に「カルメ焼き」テクニックは貴重なもので,教えることによってコツがわかってきました。職人のノウハウは,自身で気づきにくいものです。こんなところで教える意義に気づきました。教育は,教えることによって先生が高まるという側面が大きいんですね!?
2009年1月12日(月)  「東京見物」
東レ理科教育賞の審査で,浦安の本社へ行きました。その帰りに,東京見物をしました。今回は,靖国神社に行き,「遊就館」を見学しました。考え方はいろいろありますが,プレゼンとしてはお見事な展示で感心しました。また,日本刀の特別展があり,刀匠から高品位な玉鋼を購入することができました。長年,欲しかったもので,感激しました。他にも,皇居周辺の庭園や日比谷公園などを見学しました。
2009年1月17日(土)  「幼稚園講座」
伏見区の幼稚園連合の科学講座を担当しました。120名以上の参加者ということもあり,持ち込み物品の量は大変なものになりました。忘れ物があれば大変‥一人での準備ということもあって,12月いっぱいかかりました。恐らく,勤務として担当する講座では,過去最大の準備物です。終わると疲れきっていることに気づきましたが,満足感は高く,何とも気分の良いものでした。
2009年1月24日(土)  「滴塾,サントリーミュージアム」「三日会」
サントリーミュージアムで海外の工業デザインの展示会があり,出かけました。あまり見かけなかった海外製品の展示が多いのですが,当時のソニーなどのデザインなどに通じるものがあり,懐かしいものでした。帰りに滴塾に寄ると,なんと宇田川榕庵の『舎密開宗』が展示されており,感激しました。夜は,私の高校時代の化学部同窓会「三日会」がありました。今年は幹事を仰せつかり,宴会だけというのも面白くないので「島津創業記念館」見学を兼ねました。いつもながら丁寧な解説をいただき,ありがたいことでした。しかし,恩師の顧問「藤原秀夫先生」はGSバッテリーに勤務経験があり,島津源蔵さんのエピソードなど,より詳しい説明をされていました。
2009年1月28日(水)  「浜本さん」
懐かしい水俣の浜本さんが,NHK−TVに登場されていました。子供たちに水俣病のお話をされている映像に,涙が溢れてきました。教師になって,何を目指すのか,何を教えるべきか悶々と悩んでいた時,浜本さんのお話を聞きました。感動というより大きなショックを受け,彼の手を握りしめ,「浜本さんの願いを次代の子供たちに伝えます。」と話したのが昨日のように思い出されます。テレビでは触れられませんでしたが,地域での活躍は,浜本さんにとって特別な思いのあることを知っています。
2009年2月4日(水)  「病院予約」
今日は府立病院の予約。内蔵とは別の脊椎異常の診察であり,こちらは,自覚症状として徐々に悪化しており,不安なことです。勤務での力仕事は,主に他の方がいやってくれるのは嬉しいのですが,座っていることが多いと微妙な問題が膨らんでいくようです。
2009年2月7日(土)  「審査委員長」
母校(立命館中学校)で理科の自然研究コンテストがあり,審査委員長をしました。ポスターセッションがあって,それぞれが見事なプレゼンをしています。そして,そのプレゼンも審査対象ということです。これは初めての経験でしたが,実に新鮮で興味深いものでした。真面目で緊張する後輩の生徒たちへの表彰状手渡しは,とても嬉しいことでした。
2009年2月13日(金)  「基礎セミナー」
恐らく,勤務先で担当する最後の講座となります。希望する小学校先生を対象とした講座で,内容は担当者の自由でした。この願ってもない機会に取り上げたのが「パスカル電線」です。私のために用意された最後の劇場は,私の独演会場でした。「天に感謝する」そんな特別な気持ちで望んだ会でしたが,思いが優先するとトチリもあり,まだまだ学ぶことが多いことに気づかされました。
2009年2月17日(火)  「最後の学習」
今日が,私の担当する最後のセンター学習となりました。「電気ペン染色」という新開発実験を活かした内容で,満足できるものだと思っています。22年の間には,必ずしも満足できないものもありました。それだけに,思い残すことのない内容での締めくくりはラッキーでした。事務局長が2時間参観され?でしたが,「最後なので‥」ということでした。これには感激し,とても感謝しています。
2009年2月22日(日)  「京都自然科学教育研究会」
朝10時から亀岡市の「ガレリアかめおか」で「京都自然科学教育研究会」が開催されました。机2台分の実験を持ち込みましたが,市民からも好評で大忙しでした。講演者の井本伸廣先生のお話は興味深いものでした。彼は,亀岡市の教育長をしておられます。
2009年2月24日(火)  「エコセン会議」
勤務先に隣接するエコセンターの定例会議に出席しました。外部評価会議のようなもので,事業全般を聞いて自由に意見が出せます。勤務先代表ながらボランティアという不思議さですが,意外とおもしろいのです。この会議によって,環境教育と理科教育の違いの大きさに気づきました。温暖化防止の環境教育には問題点が多く連携するというより,改善点だらけだと感じました‥大変です。
しかし,この会議への出席も今日が最後,先週の勤務先の専門委員会も私にとって最後でした。ほっとしつつ,とても寂しいものです。
2009年2月26日(木)  「病院予約」
内蔵の腫瘍の検査ということで,不安で呆然としながらのX線CT撮影でした。結果は来月ですが,私は,どうしてこうも悲観的に考えるのでしょうか。1年後の自分は,全く意識も出来ません‥
2009年3月3日(火)  「共同研究発表会」
テーマは「触媒」,私が提案して実施する最後の研究となりました。このテーマは魅力的ではありますが不安で,長年,躊躇してきた内容です。多忙な私は指示だけでほとんど手が出せないことはわかっています。しかし,講師の2人が極めて優秀なこともあって踏み切りました。化学領域の5名の現メンバーは全くといってよいほど違ったベクトルを持っていますが,全体としては極めてまとまりがあり,今までで最強メンバーであることに気づかされました。ありがたいことです。
発表はいつも通り広く浅くで,学会発表とは違った方向ですが,これは,教育として活用できるかどうかで取捨選択したためで,納得の上での判断です。いつもの事ながら,これだけさまざまな実験をして見つかったことは一握りです。その一握りがどれほど嬉しく意義深いかは,関係者しか気づきません。といっても,私は指示しただけでほとんど手をつけていません。若い二人の丁寧な努力に心から感謝します。 ですが,
2009年3月4日(個人研究発表会)  「瞬間たたら製鉄」
どうしても完成させたかった「たたら製鉄」に,ほぼメドがつきました‥10年近くかかったでしょうか。自然の砂鉄と木炭を用いるので,それぞれの性質の違いがあり,こうすれば完璧ということではないのですが,それこそが過去のノウハウに通じるものだったように思います。特に,木炭の性質の違いの大きさに気づかされました。少しだけですが,先人の苦しみと知恵を知った思いです。いずれにしても,最後の発表が思い出深いものとなりました。これも,ありがたいことです。
2009年3月5日(木)  「経過観察」
昨日の個人研究発表で,本年度の大きな催しは終わり,次年度準備に移ります。ようやく一段落した今日,運命の宣告日です。余命を示唆されても仕方がないなと思えるほどの絶妙のタイミングです。それ故,そうなるような気がしていました。さて,結果ですが「経過観察」‥悪くも良くもなっていないという現状維持で,重苦しい状況ながら駆け足したい気分ではあります。
2009年3月7日(土)  「コピー機逝く」
長年使い続けた業務用モノクロA3コピー機を廃棄することになり,業者に引き取ってもらいました。25年ほど前から使い続けたミノルタ製で,2代目にあたります。教材研究,資料,テスト作成などに大活躍してくれました。しかし,退職すれば無用の長物になるだけでなく,パソコン出力も出来ないモノクロ仕様では仕方がありません。搬送モーターの故障だけですが,メンテ業者からは新機種への交換を求められ,廃棄の潮時と感じました。子供か友人が去っていくようで,言いようのない辛さを感じました。重たくて持てず,衰えている体力にも気づきました。
2009年3月10日(火)  「高校生へのお話」
教職を目指す高校生が来館し,実験しながら短い講演をしました。科学と教育,理科教育のあり方とこれからの社会など,本音で語れました。恐らく,聞いたことのない刺激的な内容だったと思います。未来へのバトンタッチのつもりでした。今日も,思い出深い機会となりました。
2009年3月11日(水)  「会議」
本年度の最後の指導課会議がありました。あとは,次年度センター学習の準備に没頭するだけです。新しい教具にもメドがつき,難しい製作物品はクリアできそうです。学習の構成は新しいメンバーに任せるのが筋ですが,任せすぎも無責任‥その頃合を模索しています。また,私が22年間に開発した数多くの教材教具を少しでも多く資料保存したいのですが,どこまで可能でしょうか! これが,最も心残りです。
2009年3月15日(日)  「陶芸作品バザー」
陶芸作品のバザーがあり,この数年,毎年出かけています。今年は一番乗りで,先頭で2時間近く待って会場入りしました。気に入った作品を買いまくりましたが,さて,どう使うのか? とにかく満足感一杯の興奮するバザーでした。
2009年3月16日(月)  「K県教育センターから訪問」
K県教育センターの先生が,私を訪ねて来られました。科学センターの特色ある施設「大きな器材庫」を案内していると,H先生が入ってこられました。彼女は,今春にK県に採用予定です。そのことに触れると,H先生の新採研修担当であることがわかりました。偶然とは面白いものです。
2009年3月20日(金)  「まごの店」
連休を利用して岐阜の郷へ出かけました。今回の寄り道は再び松阪の「まごの店」,ファンとなったようです。丁寧な仕事に,感激というより感謝ですね。また,岐阜宅の近所に出来た巨大シュッピングモールを見学しました。「お店街」というより一つの大きな町で,驚きを通り越して呆れてしまいます。かつて,魚やチョウを追いかけ暗闇にホタルが舞い上がった里が跡形もありません。
2009年3月23日(月)  「来賓」
小学校卒業式の来賓として列席するため,自転車で出かけました。近くの畑には,菜の花が満開です。よく見るとミズナで,この時,初めてアブラナ科であることに気づきました。本来の菜の花はアブラナを指しましたが,今はほとんど目にすることはなく,さまざまな菜の花もどきが普通です。気持ちの良いサイクリングの後,感じの良い卒業生を見送りました。私にとってこのような機会が最後かと思うと,特別に感慨深いものがありました。
2009年3月24日(火)  「昼食会」
近所のお店で,化学領域のお別れ昼食会を行いました。外では落ち着いて食べられないという性格で,事務机での食事を続けていました。数少ない外食の機会が特別な会となり,ささやかながらも思い出深いものとなりました。皆様の心遣いに感謝します。
2009年3月25日(水)  「命日」
今回の月参りは母の命日となりました。母は58歳と2ケ月で亡くなりました。病弱の私を支え続けてくれた母の死は,いつしか,私の生きられる年齢限界と考えるようになっていました。10月が私の58歳で今年が最期という意識があります。長生きできても,これ以上は「人生のおまけ!」‥そんな思いが付きまとってその先を考えられません。
2009年3月31日(火)  「20703歩」
  とうとう最後の一日となりました。朝,総合教育センターで辞令式があり,退職辞令を受け取りました。懐かしい昔の仲間と一緒になり,気が楽になりました。午後は,勤務先の指導課でお別れ会がありました。長らく多くの職員を見送ってきましたが,22回目は私の番となりました。何を話そうかとお正月頃から悩み続けてきましたが,あまりに多くの言葉が浮かびます。結局は,その場で溢れ出る内容となりました。センターに異動したときに生徒が贈ってくれた「激励文で埋められた白衣」での挨拶は,22年前から考えていた予定の行動でした。白衣の温かくて優しい重さに,心から感謝しています。
  お別れ会の後の数時間は,残された最後の時です。開発教材を展示室に並べ続け,門限の10時,誰も居なくなった暗い実験棟を後にしました。迎えに来てくれた奥さんの自動車に私物を積み込み,助手席に座ったとき,何とも言えないものが込み上げました。「終わった‥」という安堵感と,やり残した悔しさ,奥さんへの感謝など複雑なものです。そして,車がなければ歩けないと思えるほどの疲労感があり,万歩計に数字を見ると「20703歩」‥通常勤務では過去最多となりました。