★ 近況(2007年1月〜4月)★ 

  

2007年1月1日(月)  「新年」
昨夜は,除夜の鐘を聴く恒例の東山の散歩もせず(もちろん,いつも通り「紅白」も見ず‥),パソコンの前に座ってディスプレイに集中していました。そうそう,年末は,お墓のお参りもしませんでした。亡き父母も,事情は分かっているはずで,気を悪くするはずはありません‥過保護の息子は,そう,固く確信しております。さて,なんとなく時計を見あげると,「新年」になっていました。特別に意識する精神的余裕はありません。充実してるのか,感動が薄れたのか‥その両方であるのが,嬉しいような悲しいような。
2007年1月4日(木)  「仕事始め」
毎年ながら,なんとなく気分の違う日です。やらねばならないことをたくさん抱えておりますが,気持ちに余裕があるのが不思議です。今春は,昔なら定年退職‥そういった気分が,微妙に関係しているようです。
2007年1月7日(日)  「雪の中の講演」
5日(金)
午後,友人を誘って(というか,ご一緒していただき‥)岐阜の家へ向かいました。車の後部には実験用の荷物をぎっしり,積めるだけ押し込んであります。京都を離れるとほっとします。夜は,久々に自由な話題で盛り上がり,楽しい一時を過ごせました。
6日(土)
朝,仲間内の研究会の開催される名古屋へ向かいました。午後が講演ですが,昼まで準備に終われました。参加者は,知人が多いのですが,普通ではない優れた実践をされている方ばかりなので緊張しました。招待された夕食は豪華なもので,とても気分良く過ごせました。友人は,巽先生と彼の遺した「自然誌」を感動的に紹介しました。同じ仲間内のことなので,かなりの衝撃であったようです。夜は,再び,岐阜の家へ戻りました。
7日(日)
目覚めて,外を見ると雪が舞っています。さあ,大変! 急いで名古屋へ出発しないと危険です。大垣インターから名神を進みましたが,次第に吹雪となり,路面は白くなってきました。周囲の車は減り,皆さん,危険を察知されているようです。徐行運転で,ようやく一宮インターに着き,これが限界。一旦,一般道路に降り,名神をUターン。まだ,道路の凍結までに時間があるという判断ですが,賭けのようなものです。西へ進むにつれて雪も減り,多賀SAで一息ついて,ようやく朝食‥これが油断で,窓の外は再び吹雪‥あわてて京都へ急ぎました。研究会の2日目は参加できず残念でしたが,命があったことを喜びましょう!
2007年1月13日(月)  「東京ツアー」
理科施設の見学と,理科グッズの買出しに,東京ツアーを実施しました。昨年末,職場の主事さんの「仮説社へ行きたい!」という声に,「案内しましょう!」と応えてしまいました。私が,よく出かける代表は「東京」‥観光地でもなく,出張先でもないのに頻繁に訪れるということは,よく考えれば珍しいはずです。つまり,「私が案内しなければ,誰がする?」ということに咄嗟に気づき,引き受けたのです。
東京駅に集合し,「丸の内→仮説社→国立科学博物館→上野公園→中村理科工業→秋葉原(秋月電子通商など)」という行程ですが,この道は一人で何度行き来したことでしょう‥わが町のように案内できるのは,嬉しいことです。
気軽に案内したようですが,無駄がない効率的なルートと見学地を綿密に検討しました。年末には,下見もしてあります。こういった先生の自主研修ルートの設定は,今後にも活かせることと考えました。いずれにしても,東京はおもしろいところですが,身近な方は,ほとんど訪れたことがないようです。そうそう,京都も,理科的にとても興味深いところで,東京と肩を並べるといってもよいのです。東京をよく知るが故に,確信を持っています。次は,京都ツアーです!?
2007年1月18日(木)  「田中直染料店」
共同研究の材料購入で,「田中直染料店」へ行きました。京友禅の関係で,日本を代表する染料のお店です。店員さんに質問すると,研究室へ呼ばれ,丁寧に説明していただけました。話を聞いて,よく分かったのは,私たちが,染をいかに理解していないかということです。化学領域に所属しているといっても,全くの素人で,しょうがありません。いや,知らないからこそ,問題点や閃きが出てくるんだという開き直りで突っ走ろうとしています。しかし,さすが,田中直染料店です。感心させられるだけでなく,その熱意にはあきれます。貴重な情報をいただきましたが,私たちとしては,全く新たなものを見つけたいと思っています。それだけに,先行き大変であることがわかりました。
2007年1月27日(土)  「三日会」
「三日会」という,母校(立命館高校)化学部の同窓会が存在していることがわかり,宴会に誘われました。私より干支で一回り以上年配で,そんな頃から化学部が存在していたとは驚きでした。これだけ,世代が離れていると返って興味深いもので,とても楽しみな会でした。尊敬する恩師「藤原秀夫先生」にお会いできることも喜びでした。他にも,近い年代の仲間が誘われ,興味深い出会いがありました。ただ,そのまま化学を楽しみ続けている方は少なく,どうやら,私は,かなり幸せ者のようです。
2007年2月3日(土)  「科学読み物研究会」
奥さんに頼まれていた「科学読み物研究会」の講演を,午後2時から「子どもみらい館」で担当しました。私がはっきりしなかったことにも原因で,年齢層の幅が広くなって,どの年代に焦点を当てればよいのか検討がつきません。仕方なく,詳しいレポートを添付することにしました‥これに時間がかかりましたが,私にとっても,やっていることを整理するよい機会になりました。
講演で困ったことは,火気厳禁!‥灯明から始まる明かりの歴史を実験しながら解説しようという趣旨なので,悩みました。内容は豊富にありますから,それなりに構成できましたが,次回は,真っ暗な中で灯明に点火し,昔の人々の暮らしと科学の歩みについて説明したいと思いました。
しかし,この会に集うお子さんは,積極的で知識も豊富で,驚かされます。私にとっても,よい経験となりました。また,巽正平「自然誌」も,まとめて購入いただき,今後の活動に活かしていただけるようです。ありがたいことです。
2007年2月4日(日)  「不都合な真実」
映画は,あまり好きではありません。暗い,埃っぽい,立ち見‥といった過去の思い出があるからです。しかし,見ないわけにはいかない映画もあります。それが,「アル・ゴア」さんの「不都合な真実」です。昼過ぎに出かけたのですが,満員で次々回の7時となりました。夕食を食べての出なおしとなりましたが,このような映画が人気ということで,とても嬉しくなりました。映画は,知っている内容が多かったのですが,ゴアさんのプレゼンテーションは見事なもので,その説得力に感激しました。かなり前からゴアさんのファンで,その的確な主張を本では読んでいましたが,パソコンを屈指した表現の可能性に新しい時代の幕開けを感じるほどでした。
2007年2月9日(金)  「ゲストティーチャー」
梅小路小学校の研究発表会で,ゲストティーチャーとして招かれました。クラスを2分割して,それぞれのグループが私たちの話を聞くということですが,もう一人のゲストティチャーが,なんと,よく知っている方でした。それは,本当に久々の懐かしい出会いでした。不思議としか思えないことで,熱心な感じのよい生徒たちということもあり,心躍る楽しい授業となりました。オカルト大嫌いですが,時々,奇跡を信じたくなります。
2007年2月10日(土)
「デジタル一眼レフカメラ」

8日に近所のカメラ店へ行くと,新製品のデジタル一眼レフカメラの初回出荷分の一台がありました。次回は,いつに納入されるか未定とのこと‥悩みました。前の同じ機種は,3ケ月待ちという信じられない状況でした(実際は1ケ月で見つけてもらいましたが‥)。そこで,本日,「えいや!」と購入してしまいました。こんな高価なカメラを2年で買い換えるというのは贅沢なものですが,家や車に比べればタダみたいなものと一人で納得しております(-_-;)。
ボディ番号を見ると,どうやら322台目‥できたてのほやほやですが,大丈夫でしょうか? さまざまな設定をしてシャッターを切ると,宣伝通りの「新化」を実感しました。フィルムの時代と違って,新しいデジタル機器は,予想を超えて格段に進歩しています。どこまで変わっていくのでしょうか‥怖いくらいです。
「コピー」
家には,20年ほど前から業務用のA3判のコピーを設置しており,今日は,トナー交換とメンテをしてもらいました。メンテ契約をしてあり,何度でも,すぐに来てもらって新品同様になるのはありがたいのですが,今回は,厳しいことを言われました。機械が古くて,次に故障したら修理不能かもしれないというのです。確かに,一度更新しただけですから,少なくとも10年は使っているわけで,仕方がないのかもしれません。また,世の中は,デジタルカラー複合機の時代です。初めてコピーを設置した当時は珍しく(今でも業務用は珍しい!?),ご近所さんが来られてコピー屋さんのようでした。しかし,いつの間にか前時代の遺物になろうとしています。
しかし,トナー代金はメンテ契約も含めて約○万円‥大変です。
2007年2月11日(日)  「灯心」
奈良県の安堵町にある「安堵町歴史民族資料館」を見学しました。安堵町は,恐らく,唯一の灯心を作っているところです。灯心は,「イ」の髄ということですが,細い畳表の「イ」から,あのような太さの灯心が出来るとは不思議です。しかし,「イ」の別名は「灯心草」,どういうことでしょうか。もしかしたら,「フトイ」ではないかという疑問もあったのです。
資料館で質問すると,意外なことがわかり,驚きました。やはり,出かけてみるべきですね。また,なぜ,安堵町で「イ」の栽培と灯心作りが行われたのか?,安堵の語源は?‥など,とても興味深いことがわかりました。さらに,資料館は,奈良県を独立させた今村勤三さんの生家であるとか,近所に富本憲吉記念館があったりして,久々にとても楽しめました。
「灯心」の,切ってない大きな束を購入しました。もしかしたら,すぐにでも,貴重な骨董品になりそうです‥
2007年2月15日(木)  「山の学校」
「山の学校」(松香堂書店)を勤務先の皆さんに紹介しました。著者の尾瀬順子先生は,生徒の起業実践など,ユニークで創造的な活動をいつの間にかサっとされる謙虚な方です。著書は,それらの取り組みを紹介したもので,多くの方に見ていただきたい貴重な本となりました。このような尊敬すべき理科の先生が京都におられることを,とても,嬉しく思います。
2007年2月24日(土)  「墨と和ろうそく」
先日,奈良の安堵町で灯心を調査した続きで,同じく奈良の「墨の資料館」へ車で行きました。詳しい地図も持っていたのですが,道は狭くて曲がりくねって前へ進むのが怖くなります。仕方なく,近くの薬師寺の駐車場に車を置いて歩いて探し,ようやく見つけました。墨の置かれている現状を見る思いでした。しかし,灯心は「灯明,墨,ろうそく」に関係するだけでなく,「油煙→煤→墨」から「有機物と炭素」の関係,炭素と筆記具(墨,鉛筆やシャーペンの芯など),更に地球温暖化と二酸化炭素など,理科として関連して考えることはたくさんあります。
午後は,京都で和ろうそくの製造販売をしているお店へ行きました。作業は店頭でされており,驚きました。日本で一番高価な和ろうそくを作っているそうですが,作業を見ていて「なるほど!」と思いました。
夕方は,奥さんのお母さんへ,誕生日プレゼントの数珠を届けました。その時,庭にクチナシの実が生っているのに気づき,数枝いただきました。クチナシのほとんどは八重咲きで,実を見かけることは稀です。しかし,染料として料理や草木染に広く用いられています。花の香りもよいものですが,実も素敵です。
明日は休日出勤日‥多忙です。
2007年2月25日(日)  「ロンドンと京都」
ロンドンにいる姪から携帯メールに「御所の食べられるドングリ」についての質問がありました。なんで,京都の話題なんだ?‥もしかしたら日本に帰っているのかも?と,「どこにいるの?」と返信すると,「ロンドン!」。返信するため携帯のボタンを日本語でピコピコ押しながら,通信のインターネット革命が,世界の距離感を一気に失わせたことを実感しました。大変な時代になっているのです!?
2007年3月6日(火)  「共同研究発表会」
勤務先では,毎年,共同研究をしています。科学的にして,教育としての意義ある内容,そして,新規性‥かなり欲張りな難しい壁に挑み続けています。今年は,「染色」をテーマに,従来なかった発想での実験を具体化しました。しかし,それでほっとして,いくつもの綻びに気づきませんでした。指摘されると,時間不足を言い訳にしておりますが,本音は「短時間で,ここまでよくやった!」と満足しております。それくらいの開き直りがないと,より良い発展はありません。
2007年3月7日(水)  「lime light披露」
今日は「個人研究発表会」‥私の発表の目玉は,「lime light」の白い光を,皆さんにお見せすることでした。ファラデーのクリスマス講演「ろうそくの科学」の時代は,電灯として「アーク灯」,さらに「lime light」というガス灯が輝いており,どちらも世界初のものです。今,さまざまな灯りを調べていますが,灯火から始まり,当時のエポックメーキングであった「アーク灯とlime light」に行き着きました。灯心を用いる灯火は,神社などで見るチャンスはあっても,「lime light」は,そう簡単ではありません。昨年は「アーク灯」の報告,そろそろ,興味分野も終着点にたどりつきそうです。
2007年3月9日(金)  「lime light発見」
化学領域の皆さんを誘って「島津創業記念資料館」へ行きました。ここは,中学生時代の理科の恩師「藤原秀夫先生」に教えていただいた懐かしいところです(当時は,予約制)。展示は専門的で,理科の先生であっても説明なしではわかりにくいものが多いようです。今回は,館長さんの名調子でとてもよくわかりました。京都は,科学技術立国の原点のような地です。また,理科教育は,それに伴って普及した(させた)ことは,資料館でよくわかります。
見学中,ハッとしました‥なんと!?,目の前に本物の「ライムライト」の点灯器具があるのです。「石灰光」という日本名になっていましたが,「lime light」という英語の説明もついています。10数年捜し求めていたものが,突然,目の前に現れたのです。lime lightは,2日前の個人研究発表会で実験紹介したところです。あまりの偶然に,不思議な運命を感じないわけにはいきません。それとともに,25年ほど前,前任校の倉庫で見たアーク灯を思い出しました。あの時計仕掛けの精密メカニズムの点灯器具が残っていたら,目立つ展示物になっていたことでしょう(廃棄されました)。島津製だったはずで,惜しいことをしました。
2007年3月12日(月)
「確定申告」

午前中は会議,午後は休みをとって確定申告‥多忙な時期ですが,今年は仕方がない事情がありました。税務署へ行くと,ずいぶんと離れた特設会場で実施されていることがわかり大変! ようやくたどり着いた会場はとても広くもので,申告する人で溢れかえっていました。なんとか提出して帰宅すると,すぐ,病院へ定期健診‥実は,1月10日の予約日に行けず,今日になってしまいました。診察と薬代は,いつもながら,かなり高額でドキッ,ガクッときます。診察待ちの間に,以前から読み進んでいたヒラリー・クリントンさんの紹介本を読み終えました‥実に,おもしろい!
「繋がり」
夜,パソコンのメーラーを開けると,Sさんからのメール。「ええ!!あの○○さんですか?なつかしい!」というもので,びっくり。「島津創業記念資料館」訪問時に説明をしていただいた館長さんを話題にした返事でした。館長は,大柄なのに控えめで熱意溢れ,とても印象的な紳士です。展示品「lime light」との出会いといい,不思議な繋がりを感じました。
2007年3月17日(土)  「塗装工事」
岐阜の里は,人が住まなくても次第に朽ちていきます。本日は,屋根と外壁の塗装工事をしてもらいました。昨夜訪れ,工事を見ていましたが,掃除や植木の選定など,私のすることもたくさんあります。スイセンの花がたくさん咲き,ツクシも伸びきっています。スダジイの幹にしっかり巻きついたヘデラの強さに驚かされました。日差しは暖かく,春です! 昼食のついでの「岐阜市科学館」を訪問しました。ギフチョウの展示が充実していて,ああ,ギフチョウの本場は岐阜だった‥と納得しました。科学館は比較的近所にあるのに,気づきませんでした。
2007年3月20日(火)
「方位磁針」

依頼していた方位磁針の試作品を持って,S理化器械が来られました。展示品(パスカル電線の方位磁針の磁化方向が、ちょっとしたことで変わってしまうのです。結果,しょっちゅう,方位磁針のNS極が正しく向いているかの点検と修正作業の必要があります。これは,学校の実験でも同じで,困ったことです。理解に苦しみますが,明治以来続く課題のようです。指針が,磁力ではなく保持力を強くすればよいのですが,そんな商品は存在しないようです。なぜなのかは,教材会社もご存じありません。こんな簡単な商品は自社生産せず,外部から購入するだけという事情もあります‥要するにミステリー理科教材なのです。極めて簡単な作りでも,試作品ということで「1個15000円かかりました。」‥これでは,商品化できません。もちろん,数十個必要な展示品への採用も無理です。
2007年3月28日(水)
「お別れ会」

今日は,指導課のお別れ会。異動の方,退職の方‥噂には聞いておりましたが,突然の出来事のようで戸惑います。何もかもがこのまま続くような気がしていたのですが‥家族とは違います。いろいろな出来事がありましたが,楽しかったことだけが思い出されます。皆さんが晴れやかな表情なのは嬉しいのですが,このままの私は複雑‥いずれにしても,新年度の準備(特に”新学習”)で,頭の中は一杯です。
2007年4月14日(土)
「凝集沈殿」

新学習は海水の凝集沈殿をメイン実験とした関係で,海水がたくさん必要なります。そこで,道順と時間のチェックを兼ねて,日本海まで出かけました。京都の北部なので,ちょうどサクラが見ごろ,楽しい道中となりました。最近は,特別な用事もなく出かけるのがおっくうになり,良い機会でした。河口を通過中に,「アーッ!」と驚くものに気づきました。濁った川の水が海に注いでいますが,海は澄んでいるのです。学習で実施予定の「海水による凝集沈殿」のせいです。今までも見ていたのでしょうが,意識しないと気づかなかったようです。
帰路は,「美山」に寄り,懐かしい美山牛乳を飲みました。教師になった直後,美山牛乳の加工場(今とは違う小さな場所)で,乳牛の飼育と生態系の調和,そして牛乳の低温殺菌についての説明を受けました。それは素晴らしい講義で,私の発想のすべての原点になりました。もう30年ほど前のことで,「環境」が学校教育で取り上げられるとは予想だにできなかった頃のことです。
2007年4月15日(日)  「「台所の修理」」
水道の蛇口付近から水漏れが続いていました。また,台所の床のグワグワでも長年困っていました。それを,ようやく修理していただけました。大工さんは,床の構造が通常とは違うことに気づいておられましたが,それは当然で,この台所は父が作ったものです。もの作りを楽しむという姿勢だったのですが,子供の頃,すごいなと思いました。私も多少は受け継いだようです。