★ 近況(2005年1月〜4月)★ 

  

2005年1月1日(土)  「もう2005年!」
昨日の大晦日に,ようやく年賀状を出し,ぎりぎりの仕事納めとなりました。家の中は本やレポートや実験道具が散乱し,これが年の初めかと思うと悲しくなります。
お昼になって,ようやく朝食…おせち料理とお雑煮は健在で,ほっとします。いただいた年賀状をデータファイルに入力し,夕方は奥さんの実家へ新年のご挨拶…瞬く間に第一日が過ぎてゆきます。
2005年1月3日(月)  「製作と宿題」
年末に送付依頼が殺到したパスカル電線を,大晦日の夜から作っています。また,勤務先の仕事の宿題レポートも書いています。このレポートに字数制限があるのを入力時まで気付かず,丁寧な長文を書くというミスをしてしまいました。とにかく丁寧にやっておけば何とかなるだろうというつもりもあって説明を見なかったのですが,入力した余分の文字を弾かれた時はあわてました。いずれにしても,明日は仕事始め…半日でよいからボーとしてみたかった。
2005年1月5日(水)  「講座」
大学の時の同級生からFAXあり。内容は,教員研修講座を依頼されたので,相談に乗って欲しいということでした。懐かしく,また,嬉しいことで,何とか力になれればと思います。しかし,本日依頼されて,講座日は今月の21日というのはちょっと無茶だと思いました。いろんな事情があるのでしょうね…
2005年1月9日(日)  「朽木」
3連休のはずですが,土曜と月曜日は休日出勤で,今日だけの休日でした。貴重な1日のはずですが,特別なあてもなく,いつもの朽木の朝市へ買い出しに出かけました。昨年は,雪で行けなかったこともあり,不安とともに,雪景色が見たいという気持ちがありました。幸い,道路に雪はなく,降り積もった雪を楽しみながら朽木に着きました。
途中の雪景色を新しいデジタル一眼レフで撮影しましたが,特殊なCCDのおおかげで白飛びは少なく,輝く雪を見事に描写してくれます。こうなると,フィルムに戻るのは本当に難しくなります。ここまで技術が進化したのかとプリントを見ながら感動していますが,この気持ちをわかってもらえる方は少ないでしょうね!?
2005年1月16日(日)  「通信レポート」
所属する少し変わった化学研究会に提出するレポート(A4,14ページ)をようやく完成し,送付しました。多忙で余裕のない中,こういった活動は辛いのですが,このゆとりのエネルギーがなくなればおしまいだと思います。しかし,おしまいになりそうな勤務状況であり,これからどう生きるか判断を迫られます。
2005年1月22日(土)  「パスカル電線研修会」
昨日,大学の同級生が,教員研修会の講師をされました。私が協力させていただいたとはいえ,依頼から半月ほどで本番とは恐ろしいものです。状況から考え,「担当できない!」と拒否することも可能だったはずです。また,パスカル電線を用いた講座は初めてで,きっと不安で自信もなかったはずです。それだけに,そのバイタリティに驚き,ショックさえ感じました。私の年代は,「できない!」というのが”恥”だと感じる最後の世代であることに関係しているような気もします。本日届いた以下の報告メールに,私も嬉しくてしかたがありません。
※受講者は,まず,どんどん表情が明るく生き生きしてきたように感じました。最初石のようなイメージがしていたのですが,いろいろ自分の考えや感想などを出してくれながら,うれしそうに喜んでくれている,と感じるようになっていきました。製作が終わって自分自身で製作した道具で方位磁針実験や連続ブランコをやって,「ウオー、・・ウオー・・、ウオ―――っッ。」,「こりゃあ,ええわあ。」なんて言って興奮しているのを見て,初めて感じる満足感に酔いました。
2005年2月6日(日)  「私の日々」
昨日の午前中は,娘の卒業制作展の見学…陶芸というのは,技法の習得に時間がかかるようで,作品展ごとに一歩一歩の階段を登るがごとくの成長であることがわかります。そして,本日の卒業作品…さすがに一応のまとまりを見せ,嬉しいというよりほっとしました。前回の作品までは,私が取り組んでも同等の領域までいけそうな気がしていましたが,このレベルになると,もう無理ということがわかります。悔しいですね…
見学の後,奥さんと豪華客船上で少し遅いフルコースの昼食,夜は,映画鑑賞となりました。車を運転中に偶然見た電光ニュースに「パッチギ」を見つけたのです。60〜70年代の,日本が最も元気だった頃が私の学生時代であり,当時の京都を題材にした映画となると,映画嫌いとしてもたまらないものを感じました。鑑賞後,周りのお客さんの会話を注意深く聞きましたが,当時を知っているかそうでないかで全く見解や評価が違うようです。職場でも世代間の違いを意識する事が増えてきましたが,仕方がないのでしょうね…
素敵な旅館で一泊しましたが,このようなことは,本当に久々なことでした。
2005年2月9日(水)  「イベント準備」
11日に勤務先で開催する,京都議定書発効記念「京都子ども環境フォーラム」の準備に追われました。学校の取り組みパネルの点検や企業展示の受け入れなどもありましたが,当日の段取りなども調整する必要があり作業が進みません。通常業務の多忙の中,化学で担当した展示がなかなか仕上がらないのです。小さな展示ですが,本当に気を遣います。
そんな中でも,形だけできればよいとは思いたくありません。展示は,二酸化炭素の性質を前面に出したものとしましたが,関係するエコセンターの展示などとの関係も検討し,意義ある内容であると考えます。二酸化炭素が危険物ということではなく,二酸化炭素との調和をなくした人間の営みが問題なわけです。二酸化炭素が,炭素原子と酸素原子から出来ているということの意味を,きちんと理解してこそ道が開けると考えました。これこそ,理科における環境教育だと自負していますが,いかがでしょう!?
新しく購入したデジタル一眼レフカメラに助けられました。燃え上がる炎やドライアイスから立ち上る白い湯気がとてもきれいに写り,簡単にパネルができました。高価なカメラを買った反省で少々心苦しかったのですが,少し気分が晴れました。
2005年2月11日(金)  「環境フォーラム」
「京都子ども環境フォーラム」の当日となり,私は,発表していただく方への細々とした対応担当で疲れました。何事も,予定通り,思い通りに進みません。しかし,発表者がいちばん大変なわけで,私の気苦労はどうでもよいのです。研究や取り組みのステージ発表は,上手な司会者やベテランの主事さんらの機器操作もあってスムーズに進行しました。「うちの皆さんは,すごい!」と思います。そして,私は落ち込みました…
2005年2月20日(日)  「研究会」
恒例の「京都自然科学教育研究協議会」の研究会が宇治で開催され,午前中は「科学お楽しみ広場」ということで,授業に役立つさまざまな観察実験の紹介がありました。もちろん,私も展示しました。
午後は,京都大学の酒井敏先生の講演があり,それは,とても刺激的なものでした。ホームセンター利用の安価な手作り器具での驚くべき観測値と,その見事なデータ処理を提示していただき,興奮しますね。これだけの優れた内容の研究会なのに,ささやかな身内の会といったもので,それが何とも惜しいところです。
先生の余談で,私も昨年に購入した放射温度計で雲の温度がわかること。そして,青空に向けると宇宙の温度を測ってることになる(もちろん,補正が必要ですが…)ことを知り,驚き,感動しました。
2005年2月27日(日)  「病」
先週末から持病が悪化し,家の中を移動するのがやっとという療養の休日となりました。ぼんやりしているのも面白くないので,プレゼント用のパスカル電線を作っていました。加工済みの部品10台を送付セットにするだけで,2日かかりました。何とか,3月中の注文に応じられるでしょう。
2005年2月28日(月)  「薬」
朝には病も少し回復し,通常通りの出勤…周りから見ると「いつも元気!?」。しかし,すぐに歩くものも辛い状況となりました。医者に指示された特別な常備薬もなくなり,帰宅後,すぐに病院へ。病院はインフルエンザらしい患者さんでいっぱい…かなり待たされて診察し,ようやく薬を手にしました。さて,これから,病の苦しみ以外,この薬の副作用との戦いも勃発…動悸,手の震え,胃痛,不眠など,ああ大変。
2005年3月3日(木)  「総合教育センター」
今週の夕方は,月・水・木と総合教育センターへ出張…「杉原先生,また会いましたね!」という声までかけられましたが,けして暇なわけではなく,辛い出張です。センターでは,共同研究が最後の追い込みです。任せているメンバーは極めて優秀ですが,本当は私がやりたいということもあり,悲しくなります。病は,特別な薬のおかげで,少し回復傾向です。
2005年3月4日(金)  「残念!」
発想の視野が狭いと,思い込みによるとんでもない判断ミスを生じます。教育基本法の第2条「教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。」…法律より日常の偏狭な風習や人間関係といったものが優先されることの恐ろしさをひしひしと感じました。簡単なことなのですが,解決には時間がかかりそうです。本当に怖いのは,「無知」ということです。
2005年3月7日(月)  「共同研究発表準備」
さまざまな書類の山に追われる日々で,明日の共同研究発表はどうなるのか不安でたまりません。しかし,スタッフが優秀だと見事なもので,急速にまとまっていきます。ひとつでも突発事項があれば無理という緊迫感は,それなりに楽しいものに感じてきました。冊子,パワーポイント,シナリオ…今年もぎりぎりで間に合いそうです。
2005年3月8日(火)  「共同研究発表会」
化学の発表が終わりました。最近は,指図はしても自ら研究に手を出す事は少なく,思い通りにならないことを苛立ちながら見ている辛さがありました。しかし,今回は,当初の目標が達成され,発表も願いどおりのものとなり,感謝で涙が出ました。しかし,あまり感情を表に出さずに,できるだけ淡々と対応するのが私のいつものシャイなところ…。
次は,明日の個人研究発表会です。私は,全国のさまざまな研究発表を知っていますが,こんなおもしろいものはありません。
2005年3月9日(水)  「個人研究発表会」
今年は「炭素」について発表しました。本年度の学習で炭素を取り上げていますが,もとは,私の半導体(半金属)としての炭素へのこだわりが出発点。その意図を再認識してもらおうというのが発表の趣旨でした。学習は2時間ですから,炭素の一部しか対象にできません。しかし,炭素は幅広く役立っている特別な存在であり,理科教育の中心に位置付けられてもよい物質です。
2005年3月10日(木)  「交換レンズ」
広角ズームレンズを購入しました。デジタル一眼レフカメラはCCDサイズが小さく,焦点距離が1.5倍になります。その関係で、フィルム時代の24mm〜50mm(フィルム換算で36〜75mm)でも役不足。結局12〜24mm(35mmフィルム換算で18〜36mm)の広角ズームを買わざるを得なくなりました。大きなCCDがコストアップなのはわかりますが,商売上手といわざるをえません。
2005年3月12日(土)  「夜間拝観」
東山の夜間拝観が始まりました。昨日の初日は雨でしたので,本日,出かけました。晩御飯を作るのをさぼるという目的もありました。冬枯れの中のライトアップは商魂たくましいともいえますが,新たな発見や出会いもあって楽しいものです。高台寺が特に素敵です。
二年坂横の骨董品店で,昔,ラジオメーター(羽の裏に万国旗が描いてありました)や懐中日時計を見かけました。幕末か明治期のものだったようで,当時の人々の科学の扱いを想像できます。中学生の頃に見つけ,とても欲しかったのですが非売品でした。以来,来るたびに覗いていましたが,何年か前からは見かけなくなくなりました。
2005年3月22日(月)  「学習準備」
先週に,本年度最後のセンター学習が終了し,急ピッチで新学習の準備を進めています。センター学習は自由な内容ですから,どこまで徹底するかは私たちの良心にかかっているといえます。逆に言えば,自身の内面が試されるわけで,こんな厳しいことはありません。妥協したり満足した瞬間に,自身の存在価値をなくしそうな恐怖を感じます。ただ,実際は時間と予算の勝負…しかし,それを隠れ蓑にしていないかと反省します。
2005年3月25日(金)  「会議」
朝は「運営委員会」と「指導案委員会」,午後は「特別展委員会」「両課協議会」,要するに終日会議。指導案の「評価」については,学校教育と社会教育の位置づけの違いを明確にする必要があり,整合性を求めると難しくなります。評価の方法論に流れず,さまざまな論議をするなかで事業の本質が見えてくるのですが,そうはいかない早急な動きが出てくるかもしれません。また,特別展の展示案を示しましたが,その作業にかかわれる可能性は低く,辛い提案です。あまり具体的なものを提案すると,担当者がおもしろくないものです。要するに,具体的な作業をしていただく方の熱意と力量で良し悪しは決まります。
2005年3月26日(土)  「故郷へ」
昨日を境に,ほんの少しゆとりができました。次週は新年度ですから大変…そこで,金曜日の夜から岐阜の空き家の管理に出かけました。今朝は小雨で作業が進まず,午後から草ぬきや木の剪定。いつも通り,農協のお店で安い野菜をどっさり,巨大なホームセンターでは非常用の水などを購入しました。これが,いつもの春の旅行です。仕事以外は,単調な日々です。
2005年3月29日(火)  「年休」
昨日の午後,そして本日と休んでいます。ほとんど声の出ない状態で,しゃべらずに座っているとよいのですが,少し動くと疲れてフラフラになります。医者は「副鼻腔炎のような症状だね!?」ということですが,原因はよくわかりません。持病以外にもよくわからない異常が多発し,不安なことです。
2005年3月30日(水)  「化学領域親睦会」
木屋町の料亭で,化学領域の親睦会を行いました。予定していなかった異動者があり,お別れの会になりました。7年間の在籍は人生にとってあまりに長いわけで,それがどういうものであったのか,我が身に振り返っても考えさせられる事が多いですね。十分に心の整理できないまま予定の時間は過ぎ,明日から新たな日々が始まります。「確かに存在するのは今日この瞬間だけ!」,今日に悔やまず明日の悩まず,「明日は明日の風が吹く」ということなんですが…
2005年3月31日(木)  「私の履歴書」
日経紙上で連載していた,石坂公成先生の「私の履歴書」が終了しました。「私が学問の世界に飛び込んだのは,自然科学の美に魅せられたからである。そして,それは我々夫婦の共通した感覚であった。」「私はしたいことをしたが,彼女もやりたい仕事をやったはずだし彼女らしく生きたと思う。」そして,最後の締めくくりが「我々の人生はおもしろい人生であった。」…入院して6年半になる彼女の病室で朝から夕方まで過ごされる先生の日々が,とても満ち足りたものである事を羨ましく思いました。
今の理科教育には,「自然科学の美」なんて言葉が出てくる余地はないですねえ…
2005年4月1日(金)  「新年度」
今日から新年度なんですね!…思い出したように気づきました。多忙な毎日が継続していると,何か区切りがほしくなりますね。
地元の朝刊の先生の異動欄を見ると,仲間の一人が若くして退職です。同僚に聞くと,「杉原先生が休んでいるとき,訪ねて来られましたよ。」ということでした。気になっていても相談にのる機会はなく,最後まですれ違いでした。
新しく来られた先生の紹介がありましたが,新卒の方が多く,知っている方はおられません。気持ちとしては,ソニーの設立趣意書にある「真面目ナル技術者ノ技能ヲ最高度ニ発揮セシムベキ自由豁達ニシテ愉快ナル理想工場の建設」…そんな職場を目指してはいるのですが。
声は少し出るようになりましたが,喉の痛みは相変わらず。この,土日で治さねば!
2005年4月2日(土)  「盛口襄先生」
昨日は,夜の9時過ぎまで勤務先で私物の整理をしていました。新年度ということで,さっぱりさせたかったのです。その時,ファイルの間から1枚の紙が落ちました。見ると,盛口襄先生からの懐かしい手紙でした。1枚にきちんと納めたワープロ打ちで,手書きがほとんどの先生らしくない丁寧なものです。読み返すと,その心あたたまる内容に嬉しくなります。本当に,素敵な先生です。身近では,このようなお手紙をいただける方はおられません。いや,私が,身近な人に,このようなお手紙を差し上げるべきなんでしょうね…自身がどうなのかが問われる年齢になっています。
2005年4月10日(日)  「親戚旅行」
昨日,祖母の遺骨の須弥壇納めということで,関係する親族がバスをチャーターして来られました。花見の渋滞で到着が遅れましたが,無事,東本願寺で手続きを終えました。その後,バスに乗って,北陸への一泊旅行にお付き合いしました。鴨川の五条大橋を渡るとき,車窓から見る河原の花々は青空に映え,それはそれは素晴らしいものでした。京都に住んでいると,渋滞の観光シーズンは出歩かないので新鮮な驚きでした。そんな花見の最盛期の親戚旅行でした。
親戚ばかりというのは気楽なもので,気を遣うこともなく,だらーと時間が過ぎていくという結構なものでした。仕事で多忙な中,正直なところ辛かったのですが,よい機会でした。京都には親戚が少なく,岐阜の故郷のよさを羨ましく思いました。
2005年4月19日(火)  「新学習」
新しいセンター学習がスタートしました。さまざまな状況変化によりとても多忙となりましたが,それにも関わらず,過去最高の準備物となってしまいました。もともと化学実験は準備物が多いので,少し熱を入れるとこうなります。ゆとり教育の中,経験や知識の乏しい生徒を意識してという事情もあるのですが,メンテなどの後始末と次の準備はやはり大変です。また,学ぶ意義も明らかにしつつ設定したテーマであり,単におもしろくて興味をもてればよいというわけでもありません。30数年,同じコンセプトでやっているのではありません。
2005年4月20日(水)  「パソコン」
新しいディスクトップパソコンが届きました。今春,奥さんが職場を異動し,パソコンの使用頻度が増えたことによります。使用可能なノートパソコンが3台ありますが,キーサイズや配置など,使いにくいのです。ディスクトップパソコンは2台となりましたが,両方とも水冷タイプで,その静粛性は深夜でも全く気になりません。「必要なものはすぐに購入する!」「不要なものは徹底的にケチる!」という考えですが,結果,家は廃棄物倉庫のようになってますね‥
2005年4月25日(月)  「周期表」
現行の中学校理科の教科書は,周期表の掲載が不許可となりました。ゆとり路線の中で3割削減という追い込まれた事情があったにせよ,お話にならない暴挙といえます(それまでは,指導要領に明記されていなくても教科書に掲載されていました)。それが一転,次回の検定で復活となったどころか,文科省が全国に配布するというのです。180度の転換といえるのもので,その間,教えられなかった生徒たちはどうなるのでしょうか。しかし,先生というのは偉いもので,そのあたりは見抜いて,全国で教え続けたはずです。教育に責任を持つとは,こういうことなのです。
2005年4月30日(土)  「美濃和紙」
岐阜の故郷へ行くついでに美濃和紙の見学に行きました。「美濃和紙会館」では,漉き枠や簾の精巧な仕組みと匠の技を知り,驚きました。会館前の川は,幅が広いにもかかわらずきれいな水が流れています。昔は,たくさんのコウゾの皮を洗っていたことでしょう。今は小規模な伝統産業となったようですが,和紙はとても魅力的な工芸品です。
義務教育では光合成による糖の合成と澱粉の関係を丁寧に教えますが,同じく糖を基点としたセルロースとの関係を教えません。植物は,酵素で簡単に分解できる澱粉と容易に分解できないセルロースを巧みに作り分けます。そして,ヒトは,栄養分として澱粉を利用すると共に,セルロースを用いて1000年以上の保存性がある紙を作ります。理科として何を教え,何を学ぶべきなのか!? 「紙」‥されど紙!