★ 近況(2004年9月〜12月)★ 

  

2004年9月1日(水)  「出勤時間復帰」
夏季休業期間が終わり,出勤時間が元に戻りました。いつもより1時間遅寝の習慣ができた頃で,寝不足にマイナス1時間は厳しいものでした。
今夏は,余暇が全くありませんでした。周りの先生方は,「理科が杉原先生の余暇みたいなもの!」と,取り合ってくれません。確かに,いつも理科関係の発表や情報収集に行くだけですから,その通りかもしれません。しかし,精神的に満たされない欲求不満がどこかに燻っています。
2004年9月2日(金)  「注文殺到」
「パスカル電線」の注文が,本日だけで7件…嬉しい事ですが,こんな日が続くようでは無料送付の限界となります。辛い事ですが,プレゼントの休止をホームページに掲載することになりました。休止は2回目ですが,1000台(現在700台)までは続ける予定に変更はありません。明日の夜から製作開始です。
2004年9月4日(土)  「お見舞い」
小田原の叔母さんの容態が急変,お見舞いに行きました。もともと病弱で生死の狭間を漂っている私にとって,他人事ではありません。いつも悲観的に考えがちで,新幹線の中では涙がでてきました。しかし,思ったより元気そう…父のときも母のときも同様で,「頑張れ!」と心の中で励まし続けました。
小田原は,海にも山にも近い素敵なところだと気付きました。今夏はバカンス皆無で,余裕があればゆっくりしたいところです。
2004年9月5日(日)  「増産」
プレゼント用の「パスカル電線」を作り続けました。といっても代表的な家内制手工業,部品の購入→切断→接着→塗装→組み立てなど,意外と手間なもの。なんでこんなことしてるんだろうと疑問に思うこともありますが,出来る事があるというのは嬉しいものです。一歩も家を出ず,製作に励みました。
2004年9月11日(土)  「プレゼント再開」
ある程度,まとまった数のパスカル電線が完成し,プレゼントを再開しました。最近,付録している「○○」も,かなりの数を入手しました。1ケ月は,なんとか対応できるでしょう!?
○○県教育研究所でパスカル電線の講座をされます。ありがたいことです。その時,パスカル電線でモーターを回すという内容も盛り込むそうです。これは,千葉の石井先生の提案ですが,少し着磁の変った丸型フェライト磁石が必要です。その入手が難しかったのですが,見つけていただいたのです。まだまだ,進化するパスカル電線です。
2004年9月15日(水)  「逝去」
叔母さんが12日に逝去されましたが,14日が友引ということで「14日通夜,15日告別式」となりました。感じの良い叔母さんで,悪い思い出が皆無です。近い方々の悲しみは計り知れないことと思いますが,新たな旅立ちを温かく見送ってあげるべきだと思いました。さて,次は,私の世代が送られる番です…
ここ数年は,勤務にどっぷりの毎日です。そんな中,急に私的なことが入ってくると,ふっと我を思い,動揺しました。
2004年9月17日(金)  「30万アクセス」
このweb pageが30万アクセスとなりました。怪しげで薄っぺらな内容であることは(指摘されるまでも無く),本人がいちばんよく認識しています。それにもかかわらずアクセスが増え続けることに感謝しつつ,日本の教育関連サイトのお寒い現状を愁います。京都でも全国でも,数多くの素晴らしい実践があります。それらがwebに載ってくれば,どんなに教育は進歩することでしょう。
「情報は,発信するところに集まる。」…情報内容を評価するのではなく,情報発信によって自らが評価される取り組みこそ教育を変えていきます。
2004年9月20日(月)  「休暇」
久々の3連休。最近は,休日のほとんどは家で過ごすようになりました。掃除や植木の剪定,草抜きなどの身の回りのことに追われていると,すぐに夕方になります。昨日は,教材置き場となっている部屋を少し整理しました。さまざまなジャンルのもので埋め尽くされ,進入すら容易ではありません。仕方なく,まとまりのついていない教材を少し捨てることにしました。ほとんどが手作りの教具や資料で,貴重極まりないのはわかります。しかし,それだけに重たすぎて,手に余るというのが実感です。人生が拡大期から整理期に入ったということでしょう。
2004年10月3日(日)  「石灰石採集」
昨日は,私の誕生日。50歳を過ぎると,この日の存在を忘れたくなりますね。いつもなら,多少豪華な夕食となるところですが,夕方から一人で岐阜の里へ出かけました。近々実施する事前学習用の石灰石を採集するためです。石灰石は白っぽいものという固定概念がありますが,勤務先にあったものは黒っぽかったのです。そこで,石灰石の会社に勤めている従兄弟に案内してもらって,白い石灰石を探したのです。出荷用に野積みされている石灰石は黒く,求める品質ではありませんでした。しかし,採掘現場を調べると,さまざまなものが見つかりました。あまりの種類の豊富さに,今までの石灰石のイメージが大きく変わりました。これだから,現地での観察はおもしろいのです。しかし,採集した石灰石の重さは大変なもの…雨の中,何度も山を登り降りし,背骨の欠陥個所が痛み出しました。
2004年10月12日(月)  「父の鯉」
明日から4年生の学習ということで,センター川の点検をしていて,水槽部分にたくさんの鯉がいることに気付きました。プラネタリウム池の掃除のために避難していたのです。その中に,父の飼育していた白い鯉を見つけました。家での管理ができなくなって放したのですが,生きていました。狭い水槽で飼われていた関係か,放した当時は同じ場所でじっとしていて不安でした。その後,姿を見なくなり死んだものと思い込んでいました。懐かしい家族に再会したようで,とても嬉しかったです。昔どおり,とても穏やかな表情の鯉です。
2004年10月19日(火)  「事前学習1」
小学校6年生用の事前学習(化学領域)が実施されました。事前の研究授業ということもあり,かなり自由な内容を試します。私は,一年のうちで最もおもしろい機会だと思いますが,必要以上に意識過剰になる先生もおられるようです。今回は,カルシウムをテーマとしましたが,私が10年以上あたためてきたものです。授業者は石灰石とカキ殻を利用されましたが,うまい選択だと思いました。
2004年10月26日(火)  「事前学習準備」
明日は,私が事前学習の担当者。こういった研究授業はおもしろく,うれしさの余り興奮状態でした。何事も初めての取り組みは,不安と期待が入り混じった独特な盛り上がりを感じます。絶対に過去の真似や流用をしたくないのは,この喜びを知っている(正確には「知ってしまった」)からです。「よりよい選択」というのは,結局は無難な物まね路線となります。学習の本質は,新しい扉を開け続けるところにある…つまり「本質に究極はない」ということなのです。これは,自身を常に否定し続けることでもあります。こういった論議をもっと深めていく事が大切だと,いつも思います。
2004年10月27日(水)  「事前学習2」
中学1年生を対象にした事前学習(化学領域)を,私が担当しました。終わってほっとしたというより,担当できた事が嬉しくてたまりませんでした。センター勤務が長いので,他の人に担当していただき,私は影でお手伝いすべきだとは思います。しかし,できれば,いつも前に立ちたいというのが本音です。人生も残りわずか…研究したいテーマのメモは数百項目もあり,できるだけチャンスが欲しいのです。
2004年10月30日(土)  「柿狩り1」
昨日の夜,岐阜の里へ柿狩りに出かけました。今年は,台風とアメリカシロヒトリの被害で,厳しい出来であることは予想していました。深夜のヘッドライトに浮かび上がった柿の実は,やはり寂しい数でした。今朝は小雨だったので慌てましたが,収穫作業はすぐに終わりました。せっかくの秋の実りですが,寂しい思いでした。本日収穫した柿は「松本」という品種で完熟しないと少し渋みが残るようですが,昔ながらの柿らしい味です。余った時間は,植木の剪定や雑草取りに追われました。
2004年11月1日(月)  「審査」
日本学生科学賞の審査をしましたが,お世話係も兼ねており,多忙なだけでなく神経も遣います。さまざま事情で,日程も薄氷を踏むがごとき厳しいものでした。たくさんの作品が集まり,それぞれが期待しておられるだけに,丁寧な取り扱いと厳正な審査が要求されます。結果は納得できる選定となり,気持ちの良いものでした。受賞作品を見ていると「すごいな!」…と,いつも感心します。ただ,問題は,こういった取り組みの裾野の広がりです。
2004年11月3日(水)  「学校祭」
娘の大学の学校祭に出かけました。4回生の最後という事もあり,特別な思いもありました。芸術系の大学というのは種々雑多なものがあって無茶苦茶といった雰囲気ですが,次第に冷静に観察する事ができるようになりました。他と違うのは,結局は自己との闘いをしているというところにあるようです。教師は生徒の評価が仕事という部分があり,自己研鑽や自己評価を後回しにすることがあるようです。さて,私ですが,もし第二の人生が許されるなら芸術系を目指したいと思います。
2004年11月7日(日)  「科学の祭典(京都大会)」
6日と7日は,科学の祭典(京都大会)でした。昔,恐らく,京都の誰も知らなかった初期の東京大会を懐かしく思い出します。後藤道夫先生や(故)林良重先生に依頼され,思い通り好き勝手な内容で実演していたのはずいぶん昔の事になりました。今は事務局の世話係で,ブース出展もなく,その辛さはたまらないものがあります。どこかで,路を踏み誤ったようです。どうすればよいのでしょうか?
2004年11月8日(月)  「ISO」
化学の祭典の後片付けが終わり,ほっとする間もなくISO14001の内部監査の準備です。明日と明後日が監査日で,試薬の管理チェックなどに追われました。また,12日(金)は,石川県での講演会があり,その準備を進める必要もあります。ただ,この準備はとても嬉しい作業で,ほとんどは自宅でコツコツと進めています。久々に他府県で,正式に出張として講演できるという事で,ワクワクする気持ちを抑えるのが大変です。
2004年11月12日(金)  「講演」
12日に,かなり前から何度も依頼されていた講演を担当する事が出来ました。対象は石川県の高校科学部の皆さんで,とても楽しいものでした。高校生のためというより自分のためというのが本音で,最初から相手の状況を考えない一人相撲の内容を企画しました(理科は範囲が広く,それぞれの興味も理解度も違うという事情もあります)。私の高校時代は化学部の日々で,後輩相手の講演となるとどんなものがよいか悩みました。そして,短い時間に理解してもらうより,何らかのカルチャーショックを与えたほうが得策と判断しました。結果,参加者の評価は両極端になることと思います…意図どおりなら!
しかし,こういった企画を続けている石川県は素晴らしいところです。歓迎会や当日ご参加いただいた先生方は,自然体で理科を楽しんでおられるようで羨ましく思いました。
2004年11月13日(土)の2  「柿狩り2」
石川県の講演へ行く前日と前前日は,準備で3時間程度の睡眠となり,ふらふらでした。手配していただいた宿舎は高級旅館で,ゆっくり寝られたのですが,それでも不十分です。そんな私を心配して,奥さんが金沢駅まで迎えに来てくれました。ありがたいことです。おかげで,奥さんに運転してもらって,無事に岐阜の里に到着しました。
前回に引き続き,富有柿の出来も最悪でした。台風の頭上通過,数年前に進出したアメリカシロヒトリの被害など,難しい状況がありました。しかし,昨年の10分の一程度もない収穫には驚きました。ただ,作業は簡単で,講演で疲れた身体にはよかったわけです。これも,亡き父母の配慮かもしれません。
2004年11月15日(月)  「スイセン」
勤務先の実験室の裏庭は北向きで,砂地です。そこに,数ヶ月前,父の栽培していたスイセンなどの球根を多数埋めました。砂崩れを防ぐ役目も期待してのことです。しかし,枯れて見えなくなり,半ば諦めていました。しかし,鮮やかな新芽が一斉に顔を出していることに気付きました。半年近く水をやり続けた成果か,生命の強さか,いずれにしても嬉しいものです。
2004年11月20日(土)の2  「大忙し」
朝は,日本学生科学賞の授賞式で講評をしました。作品と受賞者が初めて一致し,なるほどと思われる雰囲気の皆さんであることがわかりました。式というのは単なる「形」ですが,気持ちの良いものでした。ただ,短時間しか講評時間をいただけなかったのが「残念!」。
午後は,まず,娘の作品展をしている素敵な民家へ行きました。ここは,通常は非公開のところで,隣の小学校の校舎と同じくらいの大きさがあります。手入れは不十分ですが,「侘と寂」を意識した庭と家屋の造りは素晴らしいものです。作品とのマッチングもよく,結構なことでした。
次は,大阪の日本橋へ行きました。研究用の部品が欲しかったのです。いつものジャンク屋さんへ行くと,入り口横に1コ380円で山積みされておりました。ついでに予定外のものも,重くて持てないところまで購入しました。
夜は,岩倉の実相院のライトアップされた夜間拝観へ出かけました。入り口の殺風景な駐車場と打って変わり,色とりどりの紅葉に包まれた庭に圧倒されます。山あいの谷川の上に造られたようで,その高尚な趣味性に感心します。ただ,建物の維持は難しそうです。
2004年12月3日(金)  「講演」
小学校で実施された授業研修会で実験講演をしました。小学校の先生方を対象とするのは初めての経験で,参加者数が?であったこともあり,準備にかなり悩みました。せっかくの機会ですから,できるだけ興味深い内容で,しかも,あまりご存じないと思われることをテーマにしたつもりです。しかし,これは微妙な領域で,先生方の表情を追いながらの難しい講演となりました。結果,いつも通り,反省点が多々ありますね!
夜は,高台寺と円徳院の夜間拝観に出かけました。高台寺の池に映る紅葉は,素晴らしいものです。円徳院は非公開の寺院のはずですが,30年ほど前,恩師の先生方の作品展で訪れたことがありました。今回,初めて見ることができた石庭風の庭は,興味深い素敵なものでした。
2004年12月4日(土)  「大阪」
大阪の梅田ステラホールで開催されている「本田宗一郎と井深大展」を見学してきました。展示されている商品は,ほとんどがよく知っているものです。懐かしい友に再会したような気持ちにさせられるとともに,自らの過ぎ去った歳月を感じました。出口にあった最後の展示は,本田宗一郎の「私の手」のスケッチでした。素晴らしい感動的な「手」でした。
帰りに,空中庭園の屋上に出て遠くを眺めましたが,雨が降り出し,あわてて戻りました。その後,西梅田に新しく出来たソニーのショールームなどを見学しました。京都に戻り,家に帰るバスに乗る前に立ち寄った店で,高価な一眼レフデジカメを発注することになってしまいました。このデジカメ,いつ入荷するか?という商品です。モノが溢れている時代,入手が難しいことにありがたさを感じてしまいました。企業戦略にのせられているんでしょうが,「まあ,いいか!」と素直に納得してしまいました。
2004年12月16日(木)  「テレビ」
テレビを贈ることになり,注文しました。最近は薄型テレビが目立ち,その方式や性能差もあって興味深いものです。有機ELやSEDなどの新技術も出番を待っている,とてもおもしろい時期だと思います。しかし,薄型でなくてよいなら技術的にブラウン管ディスプレイが優位だと思います。全く悩まず,ソニーのDRC-MF信号処理のブラウン管タイプとしましたが,2011年までの繋ぎというのが残念です。
2004年12月19日(日)  「藤橋村」
叔母さんの100ケ日が,故郷の勝善寺で執り行われました。朝の6時前に家を出て,なんと8時30分には到着してしまいました。ここは,私にとっての故郷でもあり,なんとなく落ち着くところです。お寺の天井には,ます目ごとに見事な天井画が描かれ,その艶やかさは見事なものです。
2004年12月21日(火)  「りんご」
りんごが届きました。手に持つとひやっとした感覚で,東北の寒い冬と子どもの真っ赤なほっぺを思い浮かべます。新鮮なりんごは特別な味と歯ごたえで,生きる力を感じるようです。
2004年12月22日(水)  「栃餅」
故郷産のお餅の詰め合わせが届きました。懐かしい栃餅が気に入っていますが,最近流行の黒米を入れた餅なども楽しみです。岐阜のお餅は関東文化圏に属するようで,切り餅です。お餅だけで,いろいろと感じたり考えたりする事があります。
昨日,上野千鶴子先生がテレビ出演しておられました。京都在住だった事もあり,昔から親しみを感じている尊敬する先生です。社会の仕組みの変革を通して男女共同参画を進めるべきですが,言葉のやりとりといった些細な事に終始する指導や発言が一般化しているようで気になります。
韓国で「日本版シンドラー」という評価の故布施弁護士に,韓国建国勲章が授与されたというニュースがありました。「外国人を弾圧する人たちは自国民に対しても同じことをする。だから布施先生は日本においても真の愛国者だ。」という駐日大使のコメントに感動しました。
2004年12月25日(土)  「レポート」
安房科学塾のレポートがようやくできましたが,見直してみると,その不十分極まりない内容に気付きます。かなり大きな視点に立って取り組んだ教材なのですが,具体的には些細な実験に終始しています。真似でない事が取得のつもりですが,どこかで同じようなことがやられているかもしれません。考えると,次第に辛くなってきます。夕方,実験道具とともに発送しましたが,自らの至らなさに悩みます。どうして,いつも自信がないのでしょうか…
2004年12月27日(月)  「東京」
安房科学塾の前日は,東京での調査研究ということにしています。今年はどこの博物館を見学しようかとネットで探していて気付いたのが,東京はほとんどが月曜休館というお約束…28日からは予定通りの年末休になるところが多く,昨日が最終日だったようです。いつも立ち寄る秋葉原にある電子機器のお店もお休み…何とも困った事がわかりました。しかし,ホテルは予約済みだったので,とにかく東京へ出かけました。
主な訪問先は仮説社に決め,高田馬場に行きましたが,1時間ほど探し回ってもなぜか小池ビルが見つかりません。どうなっているのでしょうか!? 仕方なく,新宿のヨドバシカメラを見学し,京都で注文しているデジタル一眼レフを探しました。マイナーな機種であることは知っていましたが,ヨドバシにも見本が1台しか置いてないという状況です。注文しているお店は「1月末には手に入るかもしれません!?」という怪しげなことですが,東京も変わらないようです…
2004年12月29日(水)  「戦跡めぐり」
28〜29日の安房科学塾は充実した研究と実験発表が続き,楽しいものでした。そのまま,全国へテレビ中継してもいいような会が,自発的な私塾の形で数十年続いているのは稀有な例だと思います。いつものことながら,「どうしてこんなすごい先生がいるの!?」とあきれます。私の参加理由はショックを受けに行くようなもので,それがリフレッシュとなっています。
今年は,オプションで「館山戦跡めぐり」がついていました。館山らしからぬ荒天で寒さ震える中,案内の方の丁寧な説明は衝撃的なものでした。苦しみと悲しみと怒りで言いようのないショックを受けました。かにた婦人の村の山頂にある冷え切った教会に安置されている遺骨は,やっと永眠の地を得た方々のものでした。この事実を隠そうとする動きは,再び悲劇を繰り返すことになるでしょう。
2004年12月30日(木)  「年賀状」
ようやく年末,まずは年賀状書きです。その前に,注文していたカメラが店に届いたという電話があり,早速出かけました。1ヶ月早い納入にお店の方も驚いておられるという,珍品に属する?カメラです。デジタル一眼レフは3台目で,ようやくレンズ交換可能な機種になりました。手持ちのストロボはTTLに連動せず,新たに購入せざるをえなくなりました。メディアもマイクロドライブとなり,高容量のNi-H充電電池も必要で,大変な出費となりました。数回,シャッターを切って無事を確認した後,とにかく年賀状書きです。ひやっとした爽やかな空気に,お正月が近いことを感じます。