★ 近況(2003年9月〜12月)★ 

  

2003年9月1日(月)  「パスカル電線」
今夏は,「パスカル電線」に関する出来事がたくさんありました。群馬県へ見学に行けた事。勤務先の特別展で展示できたこと。ソニー科学教育研究会で製作実習ができたこと。他府県での講座もたくさんありました。S市教育研究所では38人の参加者での製作講座。N県教育センター,K県立教育センター,W県教育研修センター,F県教育研究所などで紹介講座が実施されました。また,日本の先生だけでなく,韓国の先生からの見本請求もありました。久々の当たり年でした。
2003年9月4日(木)  「誕生日」
本日は,奥さんの誕生日。何かプレゼントを…と悩みますが,必要なものは何でもあるわけで,思いつきません。結局は、家族での食事会をレストランですることになりました。年齢は昨年に大台を越え,誕生日もあまり気乗りしなくなりました。
2003年9月7日(日)  「科学講座」
親子を対象とした科学講座を担当しました。内容は,京都新聞に記事を執筆,昨年度の個人研究テーマ…などによって興味が深まっていた「ヨウ素の実験」としました。非金属,昇華,還元漂白,甲状腺,ヨウ素液,海藻,うがい薬,傷薬など,ヨウ素関連で触れたいことはいっぱいです。しかし,対象年齢と時間の関係で,その一部しか扱えません。科学へのきっかけ作りになればよい…ということはわかっていますが,じっくりと講義をしたいものです。
2003年9月13日(土)  「全面禁煙」
16日から,京都市役所が全面禁煙になるというニュースがありました。JR西日本でも,10月1日から駅のコンコースでの全面禁煙が始まります。受動喫煙防止をマナーの問題に矮小化してきた姑息な動きが,「健康増進法」によって遮断されようとしています。法律の力は大きなものと実感しましたが,この国は,どうして法律によらねば正しい道を歩めないのでしょうか…。今まで,科学的な根拠をベースに心に訴えてきましたが,力によらねば解決できなかったことに,むなしさを感じます。
2003年9月13日(土)  「火星観望会」
昨日は,火星大接近ということで,勤務先の火星観望会が実施されました。火星は雲間に見え隠れし,気が重い観望会でした。ようやく空が晴れたのは1時間延長した9時30分近くになってからで,参加者の笑顔と私の疲労は両極端でした。
今日1日は,ほとんど起き上がることが出来ませんでした。体力勝負は,かないません。
2003年9月19日(金)  「理科教材会社」
理科教材を開発・製造している国は,日本とドイツとアメリカくらいしかないそうです。日本の科学技術は,そういった教育土壌が大きな役割を担っています。島津理化が草分けですが,京都にはマリスなどの活躍もあったそうです。しかし,多くの製品は中小の工場の手作業での製造らしく,この先,どうなるか心配になります。関係者の方と,そんな事を考える機会がありました。
2003年9月20日(土)  「光万華鏡」
「こどもみらい館」で,幼児対象の講座を担当しました。依頼により,内容は「光万華鏡」作りです。2年前と同じテーマですが,内容や展開を少し変えており,前より発展しています。同じ内容の講座を繰り返したくないというこだわりを持っていますが,2度目も熟練のよさがありました。
午後は,信楽へ,娘の陶芸材料を買いに行きました。化学薬品が所狭しと並び,陶芸と化学の結びつきがよくわかります。化学実験室の薬品とは違った,命のような力強いものを感じました。
2003年9月23日(火)  「秋分」
お彼岸ということで,早朝に,お墓参りに行きました。父が亡くなって間がないこともあり,主に父を思い出しますが,この墓に入っているのは母に遺骨です。父の遺骨は、未だに仏壇にちょこんと置いてあります。細かいことを言わない自由な宗派に属していることもあり,気楽です。そういえば,生れ故郷のおばさんたちは,亡きご主人の遺骨を竹筒に入れて持ち歩いておられました。次は私が遺骨になる番であり,これからの人生に悩みます。
2003年9月27日(土)  「藤原秀夫先生」
母校の文化祭があり,中・高等学校の恩師である「藤原秀夫先生」に,久々に会いました。私が,いつになっても頭が上がらないというか,どこまで頑張っても近づけた気すらしない先生ですから,すごいものです。あのような素晴らしい授業は,今では存在しないことを断言できます。これは,悲しい現実です。80歳を越えたそうですが,忙しくて大変ということです。とにかく,多彩多芸な方で,理科にこだわらない広さも魅力です。藤原先生の教育をまとめて発表すれば,日本の理科教育に役立つのは間違いありません。今,日本が目指そうとしている理科教育の未来形は,すべてありましたから…。母校の入り口にある石碑の「理想は高く 姿勢を低く、大地に足をふんまえて 一歩づつ前へ前へと進もう。」は末川博先生のもので,握手したぬくもりを今でも忘れません。
2003年10月2日(火)  「秋」
数日前から,勤務先はキンモクセイの花の香りで満ちています。意識しなくても気づかされる香りは素敵なもので,懐かしい思い出とも結びついています。我が家のキンモクセイも香りを漂わせ,前の畑は,父が植えた赤と白のヒガンバナが満開です。ヒガンバナは秋から冬にかけてのもので,植木など撤去作業時には気づかなかったのです。苦情が出ない限り,このままにしておきましょう。
今日は,私の誕生日…大したことができないまま時が流れます。
2003年10月12日(日)  「たたら製鉄」
昨日の夜,岐阜の故郷に出かけました。柿のようすを見たり,植木の剪定や草抜きのためです。そして,本日の午後,長浜に寄ってから帰りましたが,偶然,おもしろいイベントに出くわしました。「長浜きもの大園遊会」で,見事な着物姿の女性で溢れていました。それはそれで興味深いのですが,いたるところに万華鏡があって楽しめました。日本最大の万華鏡というのもありましたが,これはいまいちでした。
それより,もっとよかったのは「たたら製鉄」の実演が見られたことです。前に訪れた,たたらの里「吉田村」の方(しかも,私とそっくりの姓名)もおられ,目の前で実演されていました。てんびんふいごも活躍し,夕方のけら出しでは,真っ赤な鉄が見られました。聞くと,朝からの作業ということです。たたら製鉄は,3日3晩ということになっていて,それがネックで取り組みに躊躇していただけに,この時間を知っただけでも大きな収穫でした。
2003年10月26日(日)  「柿狩り1」
故郷の柿(松本という早生種)が収穫時期ということを聞き,24日(金)の夜、慌てて出かけました。早朝からの大急ぎの作業を終え,夜には帰宅しました。今年は,アメリカシロヒトリに葉を食べられたり異常気象の影響があってか…小さいだけでなく,熟し過ぎ,適度なもの、未熟と,かなりの幅があって困りました。送付した方々には申し訳なかったのですが,柿は収穫後の追熟が可能です。気に入ったときに召し上がってもらえればと思います。疲れきり,帰りは奥さんに運転してもらい,気がつくと家に帰っていました。
2003年10月29日(木)  「予備学習」
センター学習の予備学習(次年度の事前学習)を行いました。今年の化学領域のテーマは「炭」です。鉛筆の芯や墨(筆記具),かつての再生産可能な燃料である木炭,汚れの浄化(活性炭),半導体(フィラメントやカーボン抵抗器)といったさまざまな興味深い性質があります。20年近く前の「たくさんのふしぎ」創刊号『いっぽんの鉛筆のむこうに』が発端ですから,ずいぶんと練り続けたことになります。いつものことながら,講義だけなら簡単です。しかし,実験しながら気づいてもらおうというのは大変です。やりたいこととできること,そのジレンマで悩みます。
2003年11月6日(木)  「審査」
ある有名な科学賞の審査をしました。対象は中学・高校生です。出展された作品数は少なく,審査に手間はかかりません。ただ,最近の問題点の傾向はよくわかります。広がりがないのに,無理に深めようとしているのです。身近な自然がなくなり,自然は探すものという現状。そして,家庭内にものがあふれても,ブラックボックスばかりの複雑系。また,「知識より考えること!」という中ではどうしようもないようです。市民ひとりひとりがそれなりの歯車となり,国家全体として機能しておればよいということでしょう…考え過ぎか?
2003年11月7日(金)  「腰痛」
朝起きると,腰痛でほとんど立ち上がれません。昨日の紙出し作業で無理をしたのがたたりました。抱えてもらって立ち上がり,コルセットをして何とか出勤。本日は,明日の科学の祭典の準備作業で,休むわけにもいきません。しかし,力作業が多く,見て見ぬ振りをするのは辛いもの。
今年の私の出し物は「樟脳ボート」です。私の樟脳好きは学生時代から…こういった長年にわたる思い込みは,なかなか理解してもらえないものです。その一部の出し物なんですが,お手伝いいただく先生方が次々にかわいい樟脳ボートを製作され,予定していたイメージとは違う方向へ。ちょっと引っかかりながらも,目を引く出展になりそうで,それなりに良かったです。
2003年11月8日(日)  「科学の祭典」
昨日と本日は,「青少年のための科学の祭典(京都大会)」が勤務先を会場に開催されました。こんな時に,昨夜から不調を極め,朝には何度ももどしました。結果,飲まず食わずで夕方まで演示を続け,ふらふらでした。そんな中,お手伝いいただいた先生は熱心に取り組まれ,頭が下がります。ただ,私の願いを伝える樟脳の水蒸気蒸留装置やクスノキは邪魔だと撤去され,残念なことでした。
今大会に合わせて,樟脳ボートの核心となるテクニックを工夫しました。大会パンフレットは紙面の余裕がなく,そのヒントとなった方法しか掲載できませんでした。しかし,このヒントも,私の知る限り公になっていないもの…これで,家庭でも樟脳ボートが復活できそう!
2003年11月16日(日)  「柿狩り2」
金曜日の深夜,2回目の柿狩りに,故郷へ出かけました。今回の品種は富有柿で,熟し具合も時期も適当でした…といっても,少し追熟したほうが美味しいのですが。昨日(土曜日)に帰るつもりでしたが作業に手間取って翌日となり,朝6時に里を出ました。妹がフリーマーケットに出品したいということで,9時までにお店(広沢池横の稚児神社)に届ける必要があったのです。400個ほどの柿は,すぐに完売したそうです。故郷の柿をすべて収穫するのは不可能で,今年も過半数は残してきました。さて,どうなるのでしょうか…
2003年11月21日(金)  「万華鏡」
月末のPTAフェスティバルへ向け,大きな万華鏡を作っていました。筒の直径を大きくすると,それに合わせて長さもファインダーの穴もスリットも大きくする必要があります。当たり前なんですが,いつも作っている小型版のバランスの良さを認識しました。クロスターフィルムと鏡を組み合わせるというアイディアだけでなく,こういった細かな調整作業にこそ手間と時間がかかります。
2003年11月22日(土)  「パスカル電線」
送付用のパスカル電線の在庫が減ってきました。そのため,数日前から帰宅後の製作作業を続けています。深夜になって,ようやく10セット完成し,12月中は何とかなるでしょう。今年は,各地でパスカル電線の講座が開催され,ありがたいことでした。
2003年11月23日(日)  「朝市」
朝6時に家を出て朽木村の朝市に行き,山菜そばを食べながら珍しいものを物色しました。1mほどのヤマノイモ…恐らく,畑で,塩ビパイプの中で育てたものでしょう。私の生まれ故郷の山村では,石垣の傍に芽を移植し,大きくなれば石を崩して水平にポコっと採るというアイディアを聞いたことがあります。栃餅も,懐かしい故郷の味覚です。祖母は栃の実の灰汁取り名人で,美味しい栃餅を作ってくれました。大好きな鯖寿司も買いましたが,不耕起栽培米ということです。不耕起栽培は、自然農法の提唱者である福岡正信さんからはじまったものだと思います。著書『わら一本の革命』は,目を覚まされる思いで読みました。日本の自然環境は水田にまつわる豊かな水環境がベースになっており,その崩壊は地域共同体の崩壊と同一基盤に立つものです。また、今日の子どもの変容の原因でもあります。自然の水環境をベースにする不耕起栽培は,日本の未来のあり方(地域と教育)に少なからず影響を与えることでしょう。
特別サービスしてもらった3本100円という大きなダイコンなどを抱えてエッチラオッチラと車に向かう時、「先生!」という声で振り向くと親しい先生…彼は,休日を楽しく過ごしていたようで,買出しくらいしかできない私は,少し惨めでした…
2003年11月24日(月)  「休日出勤」
雨模様の中,休日出勤です。机上に封筒があり,パスカル電線の講座をされたY県の教育研究所の先生がご挨拶に来られたことを知りました。22日の土曜日だったようで,お会いできず残念でした。遠いところをありがとうございました。
2003年11月25日(火)  「ヤマノイモ」
朽木村で買ったヤマノイモを食べました。すりおろすと餅のようで,手につくとすぐに痒くなります。ダシ汁で薄めますが,それでも,(どろどろ)でなく(どろん!)。味と香りは懐かしいものですが,完全天然物と比べるとあっさりしていて食べ易いですね。故郷にはヤマノイモを用いた団子汁があります。ところが,畑栽培品を用いた団子は,固まらないそうです。畑栽培は1年で出荷できるはずで,そのあたりに差があるようです。
昔,イノシシ狩りの猟師さんに聞きました。イノシシはヤマノイモが大好物で,鋭い牙を使って夢中で掘り起こすそうです。美味しいはず!
2003年12月29日(土)  「PTAフェスティバル」
国際会館のイベントホールで「PTAフェスティバル」が開催されました。その科学関係の出展を依頼されましたが,久々のことで,とても嬉しい! 東京の「青少年のための科学の祭典」などに出展していた楽しい日々は数年で,後は雑用に追いまくられています。自らの思いを大切にした生き方は,全くといってよいほどできていません。今日は,貴重な一日。参加者も多く,教えられることもたくさんありました。
2003年12月3日(木)  「インフルエンザ」
持病の予約日で,病院にいきました。いつも通りの診察の後,インフルエンザの話題になり,すぐに注射をすることになりました。実は,体質不安があり,インフルエンザの注射をしたことはないはずです。注射直後のショック,しばらく微熱が出る可能性などを聞き,かなり不安になりました。この後,故郷へ車で行く予定をしていることもありました。それでも注射したのは,SARS対策です。家でしばらく様子を見て,夜の10時頃に出発予定とします。
2003年12月4日(木)  「立会い」
朝の1時過ぎに故郷に到着。午後1時から,土地の境界確定の立会い作業がありました。近くに高速道路の取り付け道ができるとかで,周辺道路を拡幅されます。そのために,我が家の畑が削られるのです。全く嬉しくないことですが,反対する雰囲気になく,素直に従いました。道路行政が問題になっており,本当に高速道路はできるのでしょうか?
2003年12月6日(土)  「新パソコン」
木曜日に新しいパソコンが届きました。3年間酷使したパソコンは疲労気味なだけでなく,新しいメディアに対応しにくいのです。金曜日から,インターネットの設定やソフトの引越し作業をしていました。ほとんどは娘にしてもらいましたが,私がするとハングアップ…理由は,古いソフトと新しいハードのバッティング。このままでは,CDのデータが読めない。他のパソコンで読んで,LAN-HDに転送,それを新しいパソコンで読み込んで…とややこしいことをしなければなりません。前のパソコンが壊れる前の移行作業なので,精神的に余裕があります。それが救いです。いずれにしても,パソコンは未完成商品!
2003年12月7日(日)  「ふたたび,朝市」
美山町の2ケ所の朝市に出かけました。美山町のさまざまな取り組みは素晴らしいもので,とても好きなところです。今回は,役場の近くの素敵な小学校を見つけました。教師になりたての頃,美山牛乳の小さな工場を見学し,初めて低温殺菌牛乳のことを知りました。牧場の廃棄物とリサイクルの考え方,および,その実践を知ったのも,この時です。牛乳工場の方の力強い説明には,感激させられました。もう30年近く前の事ですから,その先進性に驚かされます。美味しい美山牛乳を飲みながら思い出し,気分のよいお買い物をしました。わらづとに包まれた手作り納豆が楽しみです。
前のパソコンを妹に譲ろうと不要なファイルを削除している途中,突然,ハードディスクがクラシュ…もう回復しません。このパソコンは,所有者に迷惑をかけないよう,ぎりぎりまで頑張ったようです。廃棄物になったとき,ようやく感謝の気持ちに目覚めました。
2003年12月16日(火)  「誕生日」
今日は,長女の誕生日。収入のある社会人に,気に入られないプレゼントをしてもしょうがないもので,なんとなくこの日を迎えました。しかし,そろそろ年頃で,新たな不安材料となってきました。5日は,次女の誕生日でしたが,多忙な娘で,個性的なこともあって,やはり何となく過ぎていきました。寂しいような,成長した証で嬉しいような,複雑な気持ちです。そして,自らの先行きが気になりだしました。
2003年12月29日(月)
27日(土)  「東京」
館山市で開催される研究会参加を兼ね,まずは東京へ行きました。不況の中,不思議なほど元気な街です。
「下町風俗資料館」不忍池横にある下町風俗資料館に行きました。電気パン焼き器(レプリカ)が展示されていると聞いていたからです。しかし,展示品は分散した倉庫にたくさんあり,入れ替えて,今は展示してないそうです。「そんな…!」
「NHK放送博物館」高柳先生の(イ)の再現装置がありましたが,カメラは機械式スキャンの興味深いものでした。鉱石検波ラジオの見学が主目的でしたが、方鉛鉱らしきものに可動式の腕棒をあて、最適位置を探すという市販品には驚きました(ネジでぐるぐるするタイプは知っていたのですが…)。私の自作検波ダイオード開発以来、ぜひ、見たかったものです。ここ愛宕山はピョコンと出っ張った不思議な丘で、日本で始めて公共電波を発信したところのはずです(記念碑でもないかと庭を探しましたが、見つかりませんでした)。その目の前に東京タワーがそそり立ち、なるほどと納得します。
「秋葉原」夕方は,いつも通り,秋月電子通商を訪れ,頼まれていた電子部品などを購入しました。秋葉原は,DVDビデオソフト,TVゲーム,そして平面テレビ,DVD機器といったエンターテインメント用品…つまり,AVの娯楽関連が目に付き,これでいいのかなと不安になります。

28日(日)  「館山1日目」
館山は遠く、JR京都からJR東京までと、JR東京からJR館山までは20分ほどしか違いません。正確にいうと、館山から目的地の布良まで30分かかりますから、東京がほぼ中間地点です。よく,こんな遠くまでやってくる気になると自身で感心します。
午後1時30分から次々に発表があり,その並外れた実践に,いつも打ちのめされます。どうして,こんなに柔軟な頭の先生方が存在するのでしょうか? 私は,いつもギャラリーのようなもので,ショックを受けるために参加しています。しかし,ショックを受ける場があるということは,幸せです。

29日(月)  「館山2日目」
朝の3時過ぎまで討論が続き、6時頃には太平洋の寒風の音で目が覚めました。まず,7時前には,物理教育の神様のようなI先生の超簡易モーター作り。7時30分の朝食後から発表再開です。76歳の盛口先生の実践は,年齢を感じさせない斬新なもので,毎年のように驚かされます。

29日(月)  「再び東京」
研究会はお昼で終了し,いつも通り,あわてて帰路に着きました。しかし,せっかく遠くまで来たので,再び,秋葉原を歩きました。そして,27日は見つからなかった電球のソケット(勤務先のY係長に頼まれた展示場用の部品)を再び探したところ,「見つかりました!」。また,新学習用に必要な,最適な規格のトランス探しも課題でしたが,これも,ラジオデパート地下で見つけました。秋葉原というのはすごいところで,思ったものは何でも見つかります。
※大切なことは,”求めるものがあること!”
2003年12月31日(土)  「大晦日」
館山から帰宅後,猛烈な速さで年賀状を書いていました。お世話になった方々に一言でも添えるのが礼儀ですが,親戚だけでも大変な枚数となり,失礼させていただきました。我が家で,最近は550枚ほど書いてますが,どこもこんなものでしょうか!?
おせち料理の,美味しそうな香りが漂ってきました。