★ 近況(2003年1月〜4月)★ 

  

2003年1月1日(水)  「新年」
大晦日の昨夜,いつも通り,東山を歩きました。「紅白歌合戦」放送中は人通りも少なめで,とても気持ちの良い,京都の年越しができます。ライトアップされた高台寺の夜景が素敵で,昨年に引き続き,ゆっくり見学しました。清水寺は山門が改修中でしたが,本尊公開ということもあってか,ごった返していました。大晦日に歩くようになってから,もう35年以上になります。昔は,人通りが非常に少なく,暗くて怖いような道でした。観光資源は,着実に整備されてきました。京都は年々魅力的になってきたのですが,意外と京都の人は気付いてないのかもしれません。除夜の鐘を聞きながら帰路につきました。
2003年1月2日(木)  「年賀状」
昨年は父が亡くなり,年賀状は控えました。しかし,連絡しなかった方とついうっかり出された方があって,意外とたくさん受け取りました。また,昨年末は,「不幸があって年賀状を遠慮します。」というはがきは過去最高の数でした。それらを見ながら,「私も日本も年をとったなあ…」と,つくづく思いました。
2003年1月5日(日)  「明日は出勤」
まだ,喉痛がよくならず,咳も続きます。年末以来,もう10日ほども風邪が治らずに苦しんでいます。この休みはいったい何だったのかと淋しくなります。昔から休みになると病気がちで,「病は気から」ということがよくわかります。明日は,かなり回復するはずです!?
今日は,朝から台所で化学実験をしていました。何かしたくてたまらなかったのです。
2003年1月11日(土)  「パスカル電線」
本日は休日出勤で,H市から来られた視察者への応対もしました。教材の展示ケースを見せると、その中の「パスカル電線」をご存知の方がおられました。今夏,「パスカル電線」の講座を受けられたのです。しばらくして,気付きました。H市の中理研の講座用に「パスカル電線」を提供したのです。あまりの偶然に驚きました。
2003年1月13日(月)  「成人式」
末娘の成人式。着付や写真撮影で,どたばたしているうちに一日が過ぎていきました。いつのまにか,立派になったものです。親らしいことは,お小遣いを渡すことだけになったようです。
2003年1月18日(土)  「相続」
友人の司法書士に頼んでいた相続に関する書類ができました。あとは,法務局に提出するだけです。父が亡くなって1年近く経ち,ようやく一区切りできそうです。ほっとしましたが,父が手を振りながら遠ざかっていくような想いを感じました。
2003年1月26日(日)  「腰を痛める」
本日も休日出勤。昨日は,勤務先の学術顧問であるH先生の叙勲祝賀パーティがあり,写真撮影係をしました。週末といっても,休む余裕はありません。写真撮影は好きなので苦になりませんが,腰を痛めました。いつもは手と肩をやられるのですが、とうとう腰にきました。撮影機材のペンタックス67Uは,レンズとストロボを取り付けた総重量が3.5kgもあります。マニアックな趣味も,そろそろ潮時かもしれません。
2003年1月30日(木)  「大雪」
昨夜,岐阜の里へ出かける予定でした。里の家は管理用の小さな小屋ですが,電気・ガス・水道・浄化槽のメンテなどの支払いが必要です。それらの口座振替手続きが終わっていなかったのです。しかし,大雪でチェーン規制となり,名神の京都東インターから引き返すことになりました。今日は,里の農協などへ電話し,郵送で何とかなりそうです。ご迷惑をかけます。
2003年1月31日(金)  「大賀さん」
日経新聞で連載していた,ソニーの大賀典雄さんの「私の履歴書」が終わりました。大賀さんの生い立ちは,ソニー関係の出版物でも詳しくなく,興味深いものでした。カラヤンとの出会いとなるきっかけも初めて知りました。誕生日当日の執筆内容がソニーを去る発表で,いつもながら見事な演出でした。最終回は,音楽家に戻るという宣言で,どこまでも大賀さんらしい割り切りの良い身の振り方です。井深さん,盛田さん,そして大賀さん,ソニーは素晴らしい人材に恵まれました。
2003年2月1日(土)  「放送50周年」
テレビ放送50周年ということで、特集放送が流れています。まだ,半世紀しか経ってないのが不思議なくらいです。また,私の誕生とほぼ同時にスタートしたということに特別な思いを感じます。しかし,放送から通信への流れは明白で,今後は難しいことになるでしょう。
2003年2月9日(日)  「大原の朝市」
朝6時,小雨の降る中,大原の朝市に出かけました。7時開始の15分前に着いて,ゆっくりと買い物を楽しみました。地元の特産品はもちろんですが,ケーキやパンや鮮魚から,なぜかソニーのAIBOまでありました。サンショの花とタケノコの煮物など,たくさん買い込みました。
2003年2月15日(土)  「相続」
父が亡くなり,不動産の相続手続きをしていましたが,ようやく終了しました。財産はわずかですが,何代にもわたって放置してあったので大変でした(要するに,私がよくわかっていなかった)。来月は父の一周忌,ずいぶんと時間がかかりました。
2003年2月16日(日)  「小野郷の朝市」
朝8時,雨の降る中,小野郷の朝市に出かけました。開始の8時30分に着いたのですが,まだ準備中。近くの喫茶店で時間つぶしをしてから,再度,訪れました。雪の中から掘り出したという小さなフキノトウ,寒さに負けずに成長した立派なシイタケなどを買いました。フキノトウは天ぷらにして食べましたが,春の味と香りが口の中一杯に広がりました。
2003年2月23日(日)  「朝市,ふたたび」
周山でも朝市が開催されていることを知り,先週に引き続き出かけました。野菜と共に,アズキネコヤギという,芽のとても多いネコヤナギの枝を買いました。帰りに,小野郷の朝市に寄ると,小野郷中学校のO先生が,生徒と共に自作した園芸材料を販売しておられました。実は,先週も,これが目当てで出かけたのです。ようやく入手できました。
2003年3月5日(水)  「共同研究発表会」
共同研究発表会が終わり,ほっとしました。今は,指示したりまとめたりすることがほとんどで,自ら手を出す余裕はほとんどありません。このような研究はおもしろくないだけでなく,進み具合がよくわからず不安でいっぱいでした。研究に没頭できたのは,他の仕事が少なかった最初の数年だけでした。
2003年3月7日(金)  「個人研究発表会」
毎年のように発表していますが,けして,豊富なネタがあったり,時間的な余裕があるわけではありません。まず,発表することを決める…という,自らを厳しい状況に追い込むという手法です。しかし,研究活動は,発想より体力勝負です。どこの職場でも,私より病弱な方はなく,命をすり減らすことになります。今年は,簡単なヨウ素の検出方法に気づきましたが,さてオリジナルといえるのかどうか?…これから文献を探す必要があります。
2003年3月15日(土)  「一周忌」
父の一周忌です。親戚の方には,遠いところからお参りに来ていただき感謝します。父はにぎやかなことが好きだったので,もっと多くの方々に集まってもらおうとしましたが,ご迷惑と考え,なるべく内輪で行いました。しかし,20名ほどになり,狭い我が家は,いっぱいでした。かなりユニークな記念品を用意しました。
2003年3月21日(金)  「青少年の科学体験まつり」
千葉の盛口襄先生から連絡があり,大阪の尼崎市で開催された「青少年の科学体験まつり」の見学に行きました。かつて,この大会が守口市や倉敷市で開催されたときは出展者で,とても楽しかったことを覚えています。見学より出展する方がずっと楽しいのです。アルケミストの会の皆さんが,とても興味深い7つのブースを構えていました。ところが,肝心の盛口先生のブースが見つかりません。聞くと,奥さんの具合が悪くて出展できなかったそうです。心配なことです。
2003年3月22日(土)  「水フォーラム」
京都を中心に開催されている「世界水フォーラム」の分科会があり,京都市立小学校などに設置した雨水貯蔵タンクの報告を兼ねたパネラーをやりました。報告者ですから気楽に考えておりましたが,その後の討論もあり,水問題についていろいろと勉強しました。結果,さまざまな考え方のあることを知り,かなり不安なままの報告となりました。しかし,理科教育と水問題については,かなり整理する機会となりました。
2003年3月23日(日)  「チェーンメール」
20日にアメリカ軍のイラク攻撃が始まりました。勝手に攻め込んで「戦争」というのは?です。やはり,「イラク侵略」というべきでしょう。フセイン政権に問題があるのは確かですが,武力で解決しようという姿勢はもっと怖いものです。
侵略反対に関する,何通も同じチェーンメールをいただいておりました。自分の名前を付け足して,500人目となればホワイトハウスに送付するというものです。引っかかりはあったのですが,時間切れ寸前の20日朝,いてもたってもいられなくなり,あちこちに転送しました。結果,「転送しました。」という熱い返信,「チェーンメールはよくない!」という冷めた返信,それぞれを数通いただきました。
2003年3月26日(水)  「買い物旅行」
24日の夜から出かけ,本日,帰りました。研究旅行のようなものです。あまり成果はなく,結局は買い物旅行となりました。親戚へのお土産は,それぞれに10kgのタマネギ…喜ばれましたが,これでいいのかな?
昨日(25日)は,父の命日でしたが,旅先ということもあり,あまり意識しませんでした。ヒトは忘れることにより,たくましく生きていくのかもしれません。いや,私だけが親不孝者なのかもしれません…
2003年3月30日(日)  「光ファイバー」
朝,9時30分〜昼頃までかかって,光ファイバーを屋内に引き込む工事が行われました。ゴンドラ車両で,電柱からの工事が昼まで続きました。工事の後の検査では64Mbps出ているとのこと…。もっと出るはずと考えている私に,「これだけ出れば十分です。」という返事でした。うちのパソコンへの接続は後日ですが,細い光ケーブルにうっとりします。しかし,料金は今までの10倍を越え,ゾーッとします。
2003年4月4日(金)  「光通信開通」
本日は,娘が休日で,ルーターを介してパソコンと光ファイバーを接続してくれました。ディスクトップパソコンにはケーブル接続,ノートパソコンには無線接続をしましたが,速いはずのケーブルでも6Mbps…こんなものなのかと絶句! 回線の混み具合やプロバイダでの遅延があるのでしょうが,期待したほどの超高速ではありません。しかし,ISDNの100倍以上ですから満足すべきなんでしょうね。
2003年4月9日(水)  「ISDN」
朝,ISDN回線からアナログ回線へ切り替える工事が行われました。その関係で,帰宅したときは電話が通じない状態でした。予定通りなんですが,あわてて接続や設定変更をしました。ISDN用のターミナルアダプタを外して,FAX電話をパルス設定に変更した後,モジュラージャックへ直接接続します。簡単なようですが,パソコン横のターミナルアダプタへ入力する線,そこからFAX電話と別の電話へ向かう線,もちろん、パソコンへ繋がっていた線があります。それらをクリアする関係で,本棚を動かし,畳を何枚もめくりました。舞い上がるホコリでクシャミが止まらなくなり,大変でした。当時,とても高価だったターミナルアダプタは,捨てるしかありません。
2003年4月10日(木)  「休日」
私と娘2人は,偶然にも休日が重なりました。そして,次の日曜日はそろって仕事になります。そこで,選挙の不在者投票に行きました。下の娘は,初めての投票でした。その帰りに,広沢の池〜嵯峨野〜大覚寺へと花見に向かいました。平日の花見は初めてで,お年寄りを中心とした落ち着いた雰囲気は素敵でした。
娘たちと歩く大沢の池の周囲は淡いピンクに美しく包まれており,非現実的な映画の世界に入り込んだような気分になりました。「この桜は,あと何回見られるだろうか…」ふと,残りの人生を考える私に気づきました。
2003年4月13日(日)  「ないしょ出勤」
昨日は,正規の休日出勤でした。本日はお休みですが,仕事が溢れ,ゆっくりしておられません。仕方なく出かけ,夕方までかかりました。一人でいると邪魔が無く,びっくりするほど仕事がはかどりました。休日が潰れたことより,その喜びで嬉しくてたまりません。
2003年4月14日(月)  「庫本正先生」
本日の日本経済新聞の文化欄に,庫本正先生が執筆されています。福音館の「コウモリ」という本の著者として知った先生です。当時は,秋吉台科学博物館館長さんだったように思いますが,この本には感動させられました。丁寧な観察が中心で,擬人化や感情移入の記述がないにも関わらず,何の興味もなかったコウモリに引き込まれます。見事な科学読み物だと思いました。この記事をみて,あの本の素晴らしさがようやくわかりました。ただ,残念なことに,「コウモリ」は絶版なのです。
2003年4月19日(土)  「重労働」
昨日の夜から岐阜の里へ出かけ,家の掃除や草抜きや植木の剪定をしてきました。空家は,湿気とカビで何ともいやな臭いで満ちています。ただ,雨が降り,草は抜き易くて助かりました。柿の木は,近所の方に剪定していただき,いつもながら感謝・感謝でした。
近所にある巨大なホームセンターで,安いコピー用紙(A4-2500枚1150円)や整理箱などカートに山積みになるまでお買い物。どこに行っても同じようなことをしています。
2003年4月25日(金)  「週末」
もう,月末の金曜日,ゴールデンウィークは目前です。4月になってから,年度当初の仕事の立ち上げ,新学習のスタートと…とにかく多忙でした。息つく暇もないだけの仕事をこなしたつもりですが,内容はほとんど思い出せません。「駆け抜けた」といったところなんでしょうね。さて,ゴールデンウィークですが,我が家の予定は何もありません。家事と趣味の仕事で潰します。
2003年4月26日(土)  「日本橋」
大阪の日本橋へ,仕事で使う予定の電子ブザーとLEDを調べに行きました。京都では,あまり多くの品種がないからです。しかし,期待したほど見つからず,困ったことです。ついでに,何かおもしろい電子部品はないかと探しましたが,ほとんど見つかりません。電子立国日本の危機を,再び感じました。
父が育てていた赤いボタンが,立派な多くの花をつけました。その数は最高で,父の死後,放置された1年を見返すかのようです。
2003年4月27日(日)  「屋外園」
正規の休日出勤日でした。屋外園を見まわっている時,お世話をしていただいているS先生からお話を聞きました。勤務先の屋外園は,嘱託のS先生らによって,狭いながらも実に多種多様な野草や樹木で彩られるようになりました。私は,そのおもしろさをある程度理解できるだけに,いつも感心して見ています。しかし,子供たちに,どのように伝えればよいかと考えると悩みます。自然観察というのは,時間と手間のかかる分野です。
2003年4月29日(火)  「レポート」
所属するサークルに提出する研究レポートを書き上げ,送付しました。世話係の壱岐の先生に集約し,全国に発送されます。父の死後,多忙だった1年間を見返すつもりで,一気に書き上げました。余裕がなくても,何とかなるものです。
夜,テレビを見ていると,私が相談にのった内容を放映していました。あまりの小ネタで,笑うしかしょうがないものでした。