★ 近況(2002年9月〜12月)★ 

  

2002年9月4日(水)  「誕生日」
本日は,奥さんの誕生日です。年齢は大台に乗り,結婚するまでと,それまでの年月がほぼ同じになりました。私のような奇人変人と長年に渡って生活を共にしていただき,感謝にたえません。本音です。
2001年9月8日(日)  「樟脳ボート」
樟脳ボート作りの講座を実施しました。私にとってはとても懐かしいものですが,ご存知の方は(担当する先生を含め),ほとんどおられません。かつて日本で発達した樟脳化学工業の栄光も取り上げようとしたした講座ですが,対象年齢もあって思い通りにはできませんでした。なお,この講座を実施するだけで10年以上の時間をかけました。その熱意に我ながら感心しますが,身近な方にその気持ちをご理解いただくのは無理なようでした。
2002年9月12日(木)  「休日も忙しい!」
勤務先の全館休館日で休日です。朝から掃除や植木の手入れ,銀行へ娘の学費の支払いや区役所へ書類をもらいに行ったりと,大したことをしていないのに時間が過ぎていきます。久々に,近所を自転車で走りましたが,倒産した馴染みのスーパーマーケットの解体工事が目につきました。この地域には小学校入学前に移り住みましたが,当時は開業したところで活気に溢れていました。商品の品質は怪しげでしたが,亡き母といつも買い物に行った思い出の店です。少し離れたところにできた大手資本の大きな店が賑わっています。
2002年9月13日(金)  「逝去」
13日の金曜日という何とも不吉な日に,友人のお父さんが亡くなりました。私の父と同様,シベリア抑留を体験し,生死をくぐり抜けた戦争の犠牲者です。また,貴重な生き証人が減り,日本がどうなっていくのか不安です。
2002年9月14日(土)  「アナログ」
「こども○○館」の講座準備で朝から台紙作りなどをしていました。幼児対象の講座は大雑把でも丁寧すぎてもだめで,ああ難しい…。夕方に準備をしに会場を訪れましたが,作業がなかなか進みません。
こどもみらい館の帰りに,修理を頼んでいた電気製品を受け取りに行きました。そのついでに,修理店の2階の中古品コーナーを初めて見学しました。昔,あこがれた高級オーディオ機器が格安で多数陳列してあり少し興奮しました。買う金銭的な余裕はありますが,家には置くスペースがなく,また,5.1chサラウンドの世界が広がっている状況では手が出ません。音源となるメディアが新規登場すると,ガラクタの山を築く仕組みに疑問を感じます。アンプやオープンデッキを見ていると,私の頭の中がアナログであることに気付きました。
2002年9月16日(月)  「出張講座1回目」
「こども○○館」での講座を担当しました。午前10時〜ということでしたが,8時40分頃から会場準備を始めました。「不思議なはっぱあそび」というテーマでの講座は初めてで,持参物品も多くて大変です。不安な中,シナリオを確認しながら必要物品を確認し,なんとかいける!…と感じたときには,もう子ども達がやってきました。お話ししたい内容は山のようにありますが,相手が3〜6歳児では限界があります…というよりほとんど無理です。そのもどかしさで不満爆発寸前!…しかし,子ども達は嬉々として活動しており,まあいいや…という結果でした。保育士や幼稚園の先生の難しさを実感します。次週もあります。
2002年9月20日(金)  「樟脳成型器」
10月4日に新たな出張講座を依頼されました。テーマを考え,8日の「樟脳ボート」のリメイク版としました。その準備として,新規設計した「樟脳成型器」を製作しました。簡易版のつもりだったのですが,改良版になってしまったようです。この講座では,私の懐かしさ以上のものを見つけ出したいと思います。
2002年9月21日(土)  「繊維状蛇紋岩」
同僚の先生と大江山へ出かけました。天気が良くて空気も爽やかで,とても気分のよい遠出となりました。目的は「繊維状蛇紋岩」で,平賀源内が火浣布を作った石ということです。予定していた採集場所はスキー場として整地が進み,見つかりません。近くの採石場にありましたが,本日は操業中で近づけません。しかし,予備学習に用いるだけの量を道沿いで拾うことができました。大江町には,戦場で歌われた唯一の反戦歌「ここはお国の何百里」の歌碑があります。
2002年9月23日(月)  「出張講座2回目」
「こども○○館」での2回目の講座です。初回と違って,ずっと落ち着いて実施でき,気分のよいものとなりました。終わっても,疲れがまるで違います。午後は,お墓参りに大谷祖廟へ行きました。実は,前日も行ったのですが,交通渋滞で近づく事も出来なかったのです。
娘のサービスで,このweb pageの最初のページのアイコンをすべてリメイクしました。ぎざぎざ画像になりましたが,ファイルサイズ低下により表示速度が速くなったはずです。
2002年9月28日(土)  「将門岩」
午後,比叡山の「ガーデンミュージアム」へ行ってきました。奥さんの仕事の関係でのお付き合いです。どこに行ってもお土産購入が好きで,今回は,2人とも燭台を買いました。奥さんは、暗闇での読み聞かせ用,私は分光分析用のろうそく台です。他には,モネの睡蓮の絵柄の傘やお菓子などを買い,大きな袋と傘を抱えて夕闇迫る山をえっちらおっちら降りました。家に帰ると,娘に「これ,ヨーロッパでよくみかけた傘やんか…。恥ずかしくて,私はささない!」と言われました。made in chinaでした。
比叡山頂には有名な「将門岩」があります。閉鎖直前の回転展望台の近くです。平将門と藤原純友がこの岩に立ち,都を見下ろしながら反乱を約束したそうです。この将門岩はホルンフェルスで,南に広がるマグマによって砂岩が焼かれてできたものです。そして,マグマは花崗岩となり風化侵食を受け,複雑な地形の低い山地となりました。比叡山ドライブウェイが複雑に曲がりくねっている理由でもあります。また,焼かれて硬くなったホルンフェルスは残って山頂となり,結果として都を見下ろす格好のロケ地となりました。この岩に立ち,京都盆地の形成と人々の歩みを考えるのは楽しいものです。
2002年10月2日(水)  「誕生日」
今日は,私の誕生日…だからどうってことはないのですが,いろいろと考えてしまいます。創造的な仕事をする立場ではなくなりつつあり,苦手で不向きなことばかり増えていきます。もともと趣味のない仕事だけを楽しんでいた人間が,求める仕事から切り離されるのはかなり辛いものです。残り少なくなった人生を意識すると,新たな道がちらつきます。
娘からの考えられたプレゼントがあり,嬉しいですね!
2002年10月4日(金)  「出張,そして出張」
朝は10時から理科教育市民会議のお世話に○○高校へ,午後は3時〜実験教室の講師として○○学習施設へ,それぞれおもしろいのですが,他にもやらねばならないことが多く,厳しい日々です。
2002年10月5日(土)  「キンモクセイ」
昨日は,キンモクセイの強い香りに,急に包まれました。我が家の小さな庭のキンモクセイも, 化学の実験室前のキンモクセイも,同じ日に弾けるように香りを出しました。温度変化か?日照時間か?ガスか?,何らかの連絡手段があるはずで,植物ながら見事なものです。この香りにはとっても懐かしい思い出があり,香りをかぐと無意識に思い出します。嗅覚は,食べ物が毒かそうでないかを食べる前に判断する重要な感覚です。それゆえ,原始的感覚で,潜在意識にも近いということでしょう。
今日は,休日出勤でした。
2002年10月6日(日)  「信楽」
信楽へ行き,陶芸の森で「朝日陶芸展」と「暮らしに美を求めて−陶磁器試験場の技術とデザイン−」,移動して「伝統産業会館」も見学しました。会館前の「丸ニ陶料(陶芸ショップ)」では,娘の陶芸材料を購入しました。電気炉が30万円程であります…場所さえあれば,欲しいものの一つです。私の結婚式の引き出物は,信楽焼きの鉢でした。
自宅前に鮮やかな赤と白のヒガンバナが,ずらーっと一列に並んでいました。父が植えたものです。それが一斉に枯れているのが目に付きました。突然,噴出すように伸び上がって咲いた花は,やはり突然,役割を終えました。冬越しの準備が進んでいます。
2002年10月9日(水)  「クラッシュ」
昨日の朝,パソコンが壊れていることがわかり,大ショック。Safe modeで動くことがわかり,あわててメルアドをディスク保存。これは可能でしたが,メール保存は失敗。返事を出さねばならなかったメールがあったはずですが,わかりません。前にも自宅や職場のハードディスクが壊れて大変だったことがあり,文書ファイルなどはMOとCD-RWの両方に保存しています。Scan Dhiskで異常がないので,ソフトやゴミがたまり過ぎて混乱したということでしょう。物理的な故障でなく,ほっとしました。職場が休みだった娘に復旧してもらいました。
先ほど,田中耕一さんのノーベル賞受賞ニュースが入りました。近所の島津製作所の技術者であり,変人という自己紹介もあって,とても親近感がもてます。高木仁三郎さんとは路線が違いますが,同じく市民科学者といえます。
2002年10月10日(木)  「BBQ」
本日は定休日で,お隣りのエコセンターと共催のBBQパーティをしました。会場の雲ケ畑は緑と青空が広がり,爽やかでおいしい空気は最高です。いつも発作気味で,空気のよさはとてもよくわかります。
夜は,永松記念教育センターでの会議でした。帰宅後は,パソコンソフトのインスツール作業に追われました。インターネットだけで,ブラウザ2種類,編集用ワープロ(Tera Pad),FTP(FFFTP),モデム,メルアド,メールの振り分け,お気に入りの設定など(しかも,2人の娘は,それぞれ違った設定),ああ大変。娘に教えてもらって何とかしましたが,一人でやる自信はありません。まだまだ,パソコンは難しい道具です。
2002年10月11日(金)  「ノーベル賞」
朝は,島津製作所の本社前に寄り道してから出勤しました。大きな垂れ幕が下がり,報道関係者と思える人が社員らしき人にインタビューしていました。「ありがとうございました。」というアナウンスも聞こえてきました。帰宅後,夕食を食べに行った近所のファミリーレストランのドアを開けると,そこにも「田中耕一様 受賞おめでとう」という大きなポスター…恐らく田中さんもよく来る店だと思います。
午後4時に地元の新聞社の記者が来られ,理科教育についての意見を求められました。日々,さまざまな仕事に追われ,こういった会話をする機会がありませんでした。それだけに,少しすっきりしました。
2002年10月13日(日)  「15万アクセス」
昨日,このページが15万アクセスを突破…嬉しいことですが,更新が十分にできない多忙な日々が続き,辛い気持ちです。
昨夜から今日にかけて,岐阜の里へ行ってきました。そろそろ柿の収穫シーズンで,その下見を兼ねて雑草を抜いたり植木の剪定などをしてきました。午前中に3時間の作業をし,昼食後,倒れるように寝てしまいました。気がつくと夕方,あわてて残りの作業を終えて帰京しました。少し早く熟す柿が4本あり,それは来週にも収穫する必要があるようです。例年より1週間早くなり,予定を見直すことになりました。
2002年10月14日(月)  「ロズウェル」
岐阜で見た日曜日の新聞のTV欄の下に,最終回のロズウェルの案内が掲載されていました。関西より少し早い放映で,時間も夜の11時です。関西は12時過ぎで,しかも時々は朝の2時…これでは視聴率は稼げません。前回は,アメリカ流の厳しいもので,考えさせられました。関西でも,次回で最終となります。NHKの,この時間帯は,外国のおもしろい番組が多いです。
2002年10月18日(金)  「ロズウェル最終回」
昨夜,ロズウェルの最終回が放映されました。楽しく,ユーモアと夢がありながら,裏切りには極端に厳しい制裁が待っています。青春ドラマなんですが,アメリカ人の国民性とともに,最近のアメリカの国内・海外政策について考えさせられました。いずれにしても,ロズウェルがなくなるのは,寂しいものです。
2002年10月19日(土)  「柿狩り」
柿狩りに,岐阜へ行ってきました。助っ人に奥さんのお母さんをお願いし,昨夜出発し,本日の夜に帰宅しました。早稲種の4本だけの収穫でしたが40箱の送付ができました。あと,20本近くありますが,摘果をしていなかったためブドウのような房状になり,困ったことです。父がいないと,どこかでミスをしています。知らないところで,いろんなことをしてもらっていたのです。また,父の顔が頭をよぎりました。
2002年10月20日(日)  「保護者会」
娘の大学の保護者会です(正しくは,後援会の総会の後の付録行事です。)。先生を囲んでの座談会と懇親会(立食パーティー)がありました。夕ご飯を浮かすために行ったというところもあり,食べてさっさと帰りました。しかし,大学の芸術系は,おもしろいものです。将来の生活が成り立つのかという不安もありますが,それがなければこれ以上のものはないでしょう。芸術は人生のゆとりや余裕といったものではなく,ヒトの本質的な活動だと思いました。ああ,今から人生をやり直したい…
2002年10月24日(木)  「予備学習」
勤務先の最も大きな行事が,予備学習です。1年間継続する実験室学習の検討用で,荒削りであるがゆえに興味深いものです。必ず実験が伴いますから,頭で考えた通りにはいきません。どうしてもこうせざるをえない本音が出そうで出せない。つまり,本音をいったからといって妥協できるものでもないのが理科の厳しいところでもあり,おもしろいところでもあります。結果は不満だらけですが,思っていたことがある程度できました。これから改善を続けるわけですが,一応,ほっとしました。
2002年10月30日(水)  「病院予約」
夜の7時前に永松記念教育センターへ書類を提出し,次は妹宅へお米を届けてから帰宅,直ちに予約してあった病院へ駆け込みました。この病院は最近,業務上のトラブルが発生して大変でした。しばらくはご迷惑だろうと,本来の予約日を先に延ばし,薬なしの不安な日々を過ごしていました。先ほど,薬を持ってルンルン気分で帰宅しましたが,なぜこんなことで喜ぶのか?…ちょっと変ですね。
2002年10月31日(木)  「娘の一人旅」
娘が,焼き物の研究に有田・伊万里・唐津などへ4泊5日の一人旅に出掛けました。朝,京都駅まで車で送りましたが,不安もなく気楽に見送れることが嬉しいような悲しいような,妙な気持ちです。着実に一人立ちしつつあります。
2002年11月1日(金)  「科学の祭典実行委員会」
ある自然研究コンテストの審査用資料作り,環境関係の審査のための書類整理と掃除,科学の祭典(京都大会)の実行委員会,その間にTV局を始め,さまざまな電話やFAXや手紙や相談など…ああ大変!  気がつくと9時30分を過ぎています。まだまだ,頑張っている人がいるようですが,仕事を終えました。家に電話しても誰も出ず,心配になったからです。帰宅すると,奥さんが風邪で喉をやられ,食事もできない状況でした。私が病弱なだけに,家族も病気になるとかなり不安です。
2002年11月9日(土)  「青少年のための科学の祭典(京都大会)」初日
いつの間にか京都大会も7回目となりました。私は大会の係ということもあって,出展できませんでした。今日はセンターとしての正規の勤務日だったこともあり,少し遠くから眺めることになりました。いつも主体的に関わっているつもりですが,出展もしないと現実感がないものです。辛いことでした…
2002年11月10日(日)  「青少年のための科学の祭典(京都大会)」2日目
記録係ということで,写真撮影だけをしていました。このおかげで,初めて,すべてのブースを見られました。午前中は運営に関する記録,午後は出展者の記録撮影としましたが,2日目の午後ともなるとお疲れで補助スタッフ任せの方も増え,すべての出展者の撮影は無理でした。申し訳ないことです。
出展者は,高校や私学の先生が元気で,小・中学校の先生が目立ちにくかったように感じがました。
2002年11月16日(土)  「柿狩り」
先月に引き続き,岐阜の里へ柿狩りに行きました。前回は,松本という富有柿の早稲種でした。今回は,普通の富有柿ですが,摘果作業ができなかったこともあり,小さめのものがびっしりです。いくらとっても採りきれず,過半数をそのままにして夕闇で終了。ああ,もったいない…
今回は奥さんのお父さんにも参加していただきました。といっても柿狩りではなく,マツの木の剪定です。極めて器用な方で,パッと見違えるような剪定ができました。
2002年11月19日(火)  「整理」
家の公共料金などの各種書類が混乱していました。それを,クリアファイルに整理する作業を続けています。父から私への名義変更などが一段落したこともあります。ほぼまとまりましたが,合計25冊になり驚きました。恐らく,どこの家でも同じ程度の書類があると思います。こういったことを理解し,一家を維持するだけでも大変だと思いました。
2002年11月21日(木)  「プリンタインキ」
「プリンタインキがなかったので買っときましたよ。」という奥さんの声。気になって袋を見るとインキ6色がそれぞれ2本で,計12本。写真専用紙も入っており,総額15000円程度でしょうか…。すべてが奥さんの生徒の写真用です。いつものことながら,出費がかさみます。
2002年11月24日(日)  「年始挨拶はがき」
「父がなくなり,年始挨拶を遠慮します。」というはがきを書いてます。父が登場する年始のはがきは最後となりますから,悩みました。例えば,生前の楽しそうな顔写真を入れることなども考えました。遺された私たちにとっては悲しいことですが,父にとっては満足した一生だったと思うからです。しかし,いつも通りの多忙さで,一家で意思統一する余裕が無く,通常の内容での作成となりました。送付先は,お悔やみいただいた方すべてとするのが礼儀と思いますが,かえってお気遣いいただくのも気にかかります。また,すべての方を把握していないこともあり,いつものあて先のみとしました。
2002年11月28日(木)  「研修会」
児童館で,職員研修会の講師をしました。今回は,「カルメ焼き」がテーマです。このテーマでの出張講座は初めてで,しかも20名分(参加は25名)もの準備は大変でした。このテーマは,材料が安価で,高温加熱する関係で細菌による食中毒の不安もありません。ただ,少しテクニックが必要です。そこがおもしろいのですが,マスターしていただけましたかどうか…
2002年12月3日(火)  「相続」
父がなくなり,税金の対象にもならないわずかなものですが,相続の必要があります。そこで,司法書士をしている高校時代の同級生K君に頼みに行きました。当時の仲間は,だれもがそうですが,仕事を楽しんでいるところがあります。また,自己主張が明快ですが,自分勝手ということではありません。高校の校風が独特でしたが,時代背景も大きかったように思います。
関係書類を集める作業は難しく,春から今までかかりました。何代にもわたって相続を放置してきたことに原因があります。ややこしくてK君には申し訳ないことですが,私は,ほっとしました。
2002年12月4日(水)  「イルミネーション」
ローム株式会社のクリスマスイルミネーションを見に行きました。昨年は,同時テロの影響で自粛されたようですが,今年は見事なものが復活しました。我が家でも,かなり派手なイルミネーションを飾ってきましたが,今年はありません。器用に飾り付ける父の姿がないからです。娘が復活したいと申しておりますが,どうなるでしょうか?
2002年12月5日(木)  「お誕生日」
下の娘の20歳の誕生日です。せっかくの記念日ですが,祖母からのケーキ(ロウソクが20本付属!)が届いた以外は,特別なものは何もなし。いつも通り,冷蔵庫に有るありあわせで夕食をつくりました。ちょっと,かわいそうでした…反省してます。
2002年12月11日(水)  「ノーベル賞」
田中耕一さんがノーベル賞を受賞されました。彼の研究した「質量分析器(MS)」には思い出があります。学生時代,京都にはMSが3台しかなく,そのうちの1台(とんでもなく大きなものでした)があったところに就職予定だったのです。そのMSは,島津製作所がイギリスから購入し,いらなくなった中古ということでした。島津は,このMSを研究して自社の商品へ結び付け,その延長線上に田中さんの発明があったということでしょう。それだけに,親しみを感じます。
2002年12月12日(木)  「パスカル電線」
「パスカル電線キット」に用いる電線やターミナルやネジを買いに大阪の日本橋まで行きました。キットのプレゼントですが,総数は500台を越えました。市販品の値段に換算すると2000万円ほどになります。ただ,原価は70万円程度で,東レ科学振興会からいただいた70万円の賞金を,ちょうど使い切ったわけです。せっかくの賞金の使途としては満足のいくものでした。
※プレゼントを始めて10年近くになりますから,平均すると毎週1台程度となります。この程度であれば,そんなに手間も費用もかかるわけではありません。今後も,無理なく,無料プレゼントが続けられそうです。
2002年12月13日(金)  「黒門市場」
昨日,日本橋の帰りに「黒門市場」に寄りました。日本橋の電気屋街は,中学生のときから通ってますが,黒門市場は初めてです。スーパーマーケットは地域の特色をあまり感じませんが,こういった生鮮食料品の商店街では地域のおもしろいものに出会えます。京都の「錦市場」を始め,東京の「アメ横」,金沢の「近江町市場」など,博物館のように興味深い場所です。特に年末は,絶好の観察シーズンです。
2002年12月15日(日)  「風邪」
土・日は,風邪で寝てました。寝たくなかったのですが,風邪薬の副作用で起きてられません。先週は,「ISO14001更新審査」「理科市民会議」「親睦会」「情報教育コンクール審査」「運営委員会」「指導室会議」「大阪へ買い物」と,とにかく多忙でした。ほっとしたのでしょう…
2002年12月16日(月)  「水質分析」
午後,学生時代の友人のいる水質試験所へ,化学領域の5名で見学に行きました。勤務先へ水質検査にきた方から偶然に彼のことを知ったのです。田中さんのノーベル賞の対象となった機器の仲間であるガスマスや原子吸光分析器などがあり,とても興味深い見学となりました。
夜は,上の娘の誕生会(といっても,祖母から届くケーキがメイン)。学校を卒業し国家試験に合格し,就職もできてほっとしたのも束の間,結婚が視野に入る年となり,まだまだ大変です。
2002年12月23日(月)  「砂鉄採集」
砂鉄採集を主目的に,21日(土)に山陰へ2泊3日の旅に車で出かけました。
21日(土):安来市の「和鋼記念館」を見学しました。砂鉄から作られる和鋼の展示館で,「たたら製鉄」がわかりやすく展示解説されています。島根県吉田村の実物の「たたら」を,昨年と一昨年の2回見学していたこともあって,とてもよくわかりました。
22日(日):主目的の砂鉄採集です。弓ケ浜海岸にたくさんあるという先輩の専門家からの情報に期待していました。確かに砂鉄混じりの砂がところどころにありますが,頻度は低く,密度も50%までもいかないようです。高校時代に,隠岐の外浜海岸で見たような真っ黒の砂浜は見つかりません。海岸を北西に進みながら探し続け,ようやく50%程度の場所(幅数十m程度)を見つけ,不満ながら採集しました。密度が低い分,量を確保する必要があり大変でした。
23日(月):帰路は山陰海岸沿いとし、奥さんに運転してもらいながら車窓から双眼鏡で砂鉄を探しました。海岸の砂が少しでも黒っぽいと確認に向かいましたが,いずれも密度が低く採集するほどではありません。
採集が目的でなかったときはすぐに見つかり,いざ探すとなると大変です。探し物とは,いつもこのようなものです。途中に「倉吉」に寄りましたが,素敵な街です。特にレトロで独特な雰囲気を持った「結納屋」さんが気に入りました。
なぜ砂鉄採集かというと,勤務先の事業に関係しています。まだ採用が決まったわけでもないのですが,早めの準備です。
2002年12月25日(水)  「OHP」
OHPの修理が終わって,戻ってきました。業者によると,修理箇所はヒューズということで,その交換だけで28000円。「それはヒドイ!」と文句を言うと,代品の提供,出張費,各部点検などで,問題ないということです。つまり,「人件費」…日本の製造業がピンチな理由でもあります。考えさせられました。
問題は,修理に出す前に分解して十分に調べたのに,故障箇所を見つけられなかったことです。しかし,難しかったのです。ヒューズといっても切れているわけではなく,ヒューズのガラス管内部かヒューズボックスとの接触部かの導通がなくなったようです。これは,スイッチを入れた瞬間に流れる大電流によって接点が酸化したことに原因があるのでしょう。大電流機器に共通した弱点です。普通はスイッチの接点がやられるのですが,ヒューズにも接点といえる部分があったということです。
業社は、「とても多い故障です。」ということでした。もし,突然,動かなくなればヒューズ周辺を疑う必要があります。これは,テスターで簡単にわかるはずです。よい,勉強になりました。
2002年12月29日(日)  「安房科学塾」
27日の早朝から,「安房科学塾」(理科の先生の自主的な研究会)へ参加するために東京へ向かいました。塾は28日と29日ですが,せっかくの機会ですから前日に東京見物をすることにしたのです。
27日(金):「日本科学未来館」を見学しました。展示意図がわかりにくく,結局,4時間30分もいることになりました。お客さんより展示品を優先しているところが難しさの原因でしょうね。こんな展示もあっていいとは思いますが…
新橋駅の前に,姪が勤め出した電通の新本社ビルがありました。併設の「カレッタ汐留」はかなり有名なようです。夕方は,いつも通り,秋葉原へ行きました。「秋月電子通商」は,相変わらずのにぎやかさです。デジタル化が進み,アナログ世代の私は次第にわかりにくくなっています。頼まれていた整流用ダイオードを買いましたが,必要な規格である400V-1Aはなく,汎用性の高い1000V-2Aだけでした。便利ではありますが,かつて,必要に応じた規格のものを買っていた時代が懐かしいです。
28日(土):千葉県館山市の漁港近くの旅館で,午後1時から「安房科学塾」が開催されました。私を除いて,蒼々たるメンバーで,1泊2日ながら実に有意義な勉強が出来ます。私は,喉痛が悪化して食事もできにくいだけでなく,頭痛もあり悲惨な状況でした。せっかくの機会を十分に生かしきれませんでした。
29日(日):塾は午前中で終了し,午後から京都へ向かいましたが遠いものです。市販薬でぼんやりしながらの長い車中でしたが,気がつくと京都駅でした。円町駅に迎えに来てくれた奥さんに感謝!
2002年12月31日(火)  「付け木」
大晦日は多忙です。風邪で喉と頭が痛くて大変だったのですが,寝ているわけにもいきません。
:お墓参りに,東山の大谷祖廟へ行きました。母と先祖の遺骨が入っており,父の納骨はまだです。急ぐ必要もないと思いますが,世間の目も気になります。市内が一望できる高台ですが,空はどんより曇っており,希望の持てない新年を暗示するかのようです。
:錦市場で買い物(というより自然観察か?)をしましたが,その移動中におもしろい買い物ができました。「付け木」です。20年近く捜し求めていたもので,数年前には伊勢のおかげ横丁まで行って現代版を購入しましたが,今回のものは日常使っていた当時のものです。一からげをまとめて購入したかったのですが,拒否され,小分けにした2束だけとなりました。まとまったおれば文化財級の価値があったと思われ,とても残念でした。