★ 近況(2002年5月〜8月)★ 

  

2002年5月11日(土)
明日は父の四十九日忌となり,その準備で大変です。注文していたさまざまな品は昨日までに届き,その仕分け作業。仕出屋さんへの最終確認。お参りに邪魔となる家具の異動と大掃除。そして,形見分けとなる品の整理をしましたが,母の時と同様,大したものはありません。できれば,すべてを手元に置いておきたいのですが,最後は捨てなければなりません。身近な方にご利用いただくのが最善です。
2001年5月12日(日)
お寺さんの都合で,12時からのお参りとなりました。たくさんの方々に遠い所まで来ていただき,こんなありがたいことはありません。父の育てていた植木も,かなり貰い手がありました。形見がどこかで生育を続けるというのは嬉しいものです。
2002年5月16日(木)
朝からかなり強いの耳鳴りとたまらない痛みの肩こりが続き,職朝後に帰宅し病院へ行きました。いずれも左だけの症状だったので,右脳の軽い脳梗塞かなと思いました。父が脳梗塞を患ったこともあって,心配でした。検査では異常は見当たらず,耳鳴りは耳管狭窄,肩こりは不明ということでした。鼻からの耳管の掃除をしていただき,湿布薬をもらいました。夜になっても,あまりよくなりません。
2002年5月18日(土)
四十九日忌が終わり,業者が祭壇を引き上げました。仏壇だけになり,ずいぶんと寂しくなりました。思い出は大切にしたいのですが,いつまでも意識し続けるわけにはいきません。段取りがうまくできているなと感心します。我が家にはずいぶんと大きな先祖からの仏壇があります。「じゃまだな」と思っていましたが,ようやく,「なるほど」と気付きました。
2002年5月25日(土)
昨日の夜から岐阜の里へ行ってきました。父の形見の植木を親戚に届けてきたのです。車の運転席の頭の上まで葉が覆い被さり,枯れ葉とクモとアリマキが頭の上に落ちてきました。深夜の移動で目立ちませんでしたが,明らかに異常な車でした。
いちばん背の高かったシダレウメは貰い手がなく,里の家の庭に移植しました。穴掘りをどうしようかと悩んでいると,親しくしている大工さんがユンボでホイッと土をかき出してくれました。本当に助かりました。
昼前,近所で花嫁さんが見られるというので出かけました。それはそれは立派な家で,艶やかな花嫁さんでした。都会にはない近所の皆さんの暖かさと気さくさに満ち溢れ,気持ちのよいものでした。
2002年5月31日(金)
深夜,裏の戸をあけると,青白い光が飛んでいます。ホタルです。子どもが小さかった頃,山でとってきたホタルを何度か放しましたが,まさか定着するとは思いませんでした。いや,我が家のせいではなく,ホタル自身が舞い戻ったのかもしれません。いずれにしても,小さな明かりに,さまざまな思いが甦ってきました。
2001年6月1日(土)
父の作っていた最期の作物であるタマネギの生育を調べました。マーケットでもほとんど見かけない大物からラッキョウの大型程度のものまで様々です。無理せず,自由に育てるとこうなるのでしょうか。数は,普通のタマネギが80個ほど,赤タマネギが20個ほどです。大きなものと葉が枯れているものから収穫し,妹と分けようと思います。
昼過ぎ,軽い目眩の後,目の前がノコギリ状に歪みました。15分ほどで回復しましたが,2ヶ月ほど前にも同様の症状があり不安です。
2002年6月9日(土)
先月の半ば頃から,後頭部がどっくんどっくんと脈打つ症状が続いていますが,昨日から激しくなり頭痛も気になります。連休なのでほとんど寝ておりましたが,不安な事です。先週,病院の予約日を間違えて行かなかったのが失敗でした。
サッカーワールドカップのテレビ中継で日本初勝利の後,岐阜の叔父さんの町長再選の電話がありました。79票差ということで,厳しい選挙戦でした。ほっとしました。
2001年6月15日(土)
午後,下の娘とルーシー・リー展を見に信楽町の「陶芸の森・陶芸館」へ行きました。イギリスで活動していたにも係わらず,かなり日本的な作品に驚きました。陶芸館は高台にあり,爽やかな風が吹いていました。
丸ニ陶料という陶芸材料の店に寄ってロクロを買いました。ここは,多彩な興味深い商品があるだけでなく,とても雰囲気のよいお店です。
2002年6月16日(日)
父のタマネギをすべて収穫しました。少し離れたところでも栽培していたことがわかり,結局,普通のタマネギが100個ほど,赤タマネギが30個ほどになりました。これが,父からの最後のプレゼントです。妹と奥さんの里とで3等分しました。
2002年6月21日(金)
父の飼っていたヒゴイを逃がしました。本格的な夏が近づき水質管理に不安なこと,世話を頼んでいた娘がgive upで,仕方ありません。さて,どこへ逃がすべきか,ずいぶんと悩みました。慣れきっており,こんな釣られやすい魚も珍しい事と思います。結果,1ケ所しか思いつきませんでした(自然といっても,どこも厳しい!)。バケツを水の中に入れると,いやがって出ていきません。無理矢理,追い出しましたが,手元からなかなか離れません。しばらくして,30cmほどもある白に黒と緋色のヒゴイが泳ぎ出しました。父の大切な思い出が,ゆっくりと手元から去っていきました。
2002年6月23日(日)
昨夜から今日にかけて,叔父さんの法事で岐阜の郷へ行ってました。法事までの短時間に京都から運んだ植木を植えたり,庭木の剪定をしたりしました。住むあてのない家の整備をするというのも変なことですが、こういった無意味な労働も意外と楽しめます。
2002年6月28日(金)
「身近なアルカリとその利用」というテーマで中学校の教員研修講座を担当しました。中学校からイオンの学習がなくなったことに合わせ,酸とアルカリの内容が大幅に削減されました。そのなかで,どうするのか?…という悩みから企画したテーマです。危機感がベースですが,講座では先生方に楽しんでもらわなければいけません。さて,どうだったでしょうか?
2002年6月29日(土)
夜7時から父の100ケ日の法要を勤め,一区切りつきました。まだ,お骨納め,墓地の名義変更,相続など多忙ですが,父の大きかった山をゆっくり乗り越えつつあるような気分です。
2002年6月30日(日)
最近,「パスカル電線」の請求が増えてきました(といっても,1週間に1件程度ですが…),送付作業は1時間以上かかり,結構面倒ですが,とても嬉しいことです。本日は,新たな請求に備えて,部品の発注や組み立て作業をしていました。すでに,無料配布も数百セットとなりました。一生かかって一つの教材を広める…些細なようで大きな目標です。
2002年7月3日(水)
勤務先の屋外園に父のソテツを植えていただきました。おかげで,父の形見のソテツが生き続けられることになりました。
家の前にあったソテツは,あまりに大きくなりすぎていて,もらっていただける方がなかったのです。大きな植木鉢に植えてあったので勤務先までの移動は簡単だろうと思っていたのですが,自動車の荷台に上げるだけで3人がかりでした。
屋外園に地植えしてもらったのですが,穴掘りや移動など大変だったことと思います。心から感謝しています。
2002年7月7日(日)
5日(金)の夜,従兄弟の結婚式に参列するために軽井沢へ向けて出発しました。
6日(土)は,霧が峰の八島湿原から和田峠を越えました。和田峠は,矢じりなどに使われる黒曜石の産地として古代から有名なところで,今も峠下の茶店で購入できます。鋭い割れ口の良品を2個(一番良いのとその次に良い品ということでした。)買いました。楽しい店主で,できればゆっくりしたかったのですが,すぐに軽井沢へ向かいました。
軽井沢では旧市街で両手に一杯のショッピング,そして最奥のシューハウスでは結婚式に出会いました。森の中の質素な教会との調和が素敵でした。
7日の従兄弟の結婚式は,JR軽井沢駅近くの素敵な式場で,式場での牧師さんの言葉が印象的でした。食事会(披露宴)は,形式的な挨拶がなく,とても気楽でした。久々に,「ペンタックス67U」で写真撮影をしましたが,その美しいファインダー像と独特なシャッター音が嬉しかったです。超広角の45mmレンズ(35mm換算では22.5mm)を多用し全体を広く写しましたが,フィルムが大きいので隅々まで解像するはずです。デジカメが追いつくには,まだまだ時間がかかることでしょう。
2002年7月10日(水)
学習研究社の編集部から「NEWコンピュータと教育2002-8」が送付されきました。このホームページの情報を利用した総合的な学習の実践報告が掲載されているからです。山口県と兵庫県の小学校の交流実践でもありますが,ご利用いただき感謝します。ただ,雑誌に掲載しても,私への連絡がないというのはどうなんでしょうねえ!? 質問をしたり,もっと積極的に利用してもらってもいいのに…
2002年7月13日(土)
本日は休業日で,家事がたっぷりあります。しかし,午前中の作業で疲れきり,午後は寝ていました。昨夜の勤務が影響しているようです。先日の11日も休業日だったのですが,同じく,午後は寝ていました。その前夜も遅くまで仕事があったのです。やらねばならないこと,やりたいことは増えるばかりですが,体がついていかない年齢を感じます。そろそろ,新たな道を目指すべきだと真剣に考えています。
2002年7月14日(日)
池に逃がしたヒゴイを探しました。死んで浮かんでいないかと心配しましたが,すぐに見つかりました。底を覆った水草の中に埋もれています。隠れているつもりのようですが,白い背中が目立ちます。
結婚式の写真が仕上がりました。ブローニーフィルムの圧倒的な高画質は素晴らしいもので,少しでも満足できないプリントは「現像のミス!」と断言できます。つまり,画質はカメラよりフィルムサイズが優先し,これは,デジカメでいえば画素数,オーディオでいえばレコードよりCDということです。「品質は情報量で決まる。」それを実感します。
2002年7月19日(金)
子ども達は,明日から夏休みです。それに合わせ,勤務先では「甦れ!昆虫少年」という特別展の幕開けです。開催側の気持ちを前面に打ち出したネーミングは従来なかったスタイルで,よくぞ原案通り許可されたものだと感心しました。その委員長だったわけですが,スタッフの優秀さもあって,私の係わった特別展としては最もスムーズに仕上がりました。病弱な私も,かつては昆虫少年でした。
2002年7月22日(月)
自宅で,連日のように深夜まで教材を作ってます。8月初旬に講師として参加する「小・中科学教育セミナー」のものです。正規に承認された出張ですが,勤務先行事ではないという事情もあって家で準備せざるをえないのです。60名分を依頼されていますが,余分を考えて75セットの作成を進めています。内容は,「光万華鏡一式」と「LEDおよび点電球実験器」です。3時間の2回講演という経験のない長丁場ですから,演示実験もかなりの種類になります。その準備も大変です。
2002年7月26日(金)
センター外での出張講座をしてきました。テーマは「光万華鏡」です。親子で参加のため100名ほどになり,マイクを使わないと声が届きません。こんな規模の実験講座は初めての経験でした。参加者の2/3ほどは,遠くて手元が見えず,大声で説明するだけというのは不安なものです。地元の多数の先生方に補助をしていただき,どうにかこうにか終えましたが辛い講座でした。
2002年8月6日(火)
中理研の後期講座が1日で終了しました。昨年は2日でしたが,明日からの「小・中科学教育セミナー」開催の関係で短縮日程となりました。私は,セミナーの方の準備で多忙で,ほとんどかかわれませんでした。今年は従来になく盛況で,私も何かやりたかったですね。
2002年8月11日(月)
「小・中科学教育セミナー」で担当した8日の講座は,何とか無事に終えました。参加者が少なかったのが心残りでしたが,午前中2時間30分,午後は3時間というたっぷりの時間をいただき感激でした。私の好き勝手な実験オンパレードを見ていただいた先生方に,心から感謝します。持ち込んだ実験器具は,助手席まで含めて車にぎっしり一杯となりました(後方は全く見えず!)。それでも忘れ物があり,前日の夜に奥さんに届けてもらいました。会場の山の家,かなり山奥にあり,11時過ぎに奥さんが到着した時は感激しました。
セミナーが終わった9日(金)の夜,岐阜の里へあわただしく出発しました。娘達を伴って行くのは久々でした。母の生まれ故郷である藤橋村にあるお墓(分骨してある)にお参りするとともに,夜は近所のシネコンで「ネコの恩返し」を見たり,揖斐川町の花火大会を見たりと,結構楽しい里帰りとなりました。ただ,主目的は,里の家での植栽・剪定・雑草取りで,それはそれは大変でした。しかし,皆で手分けすると、とても気持ちよくできます。
2002年8月18日(日)
私の提案した「割り箸からリサイクル紙作り」というテーマの講座(市民サイエンス教室)が,開催されました。割り箸からの紙作りは,平成13年度のセンター実験室学習(中学2年生の化学領域)の中心となる実験で,とてもきれいな紙らしい紙ができます。よく似た取り組みもありますが,「塩素パルプ法」としての位置付けはオリジナルだと思います。
2002年8月22日(木)
本日は,中学校理科観察実験講座(化学分野の2回目)を担当しました。「縦型銀めっき槽」を用いた鏡作りですが,鏡作りを経験された方はほとんどおられなかったようです。それだけに,縦型水槽のありがたさをどの程度わかっていただけたのか,ちょっと不安でした。各校10セットをお持ち帰りいただきました。製作は同僚の先生にすべてお願いし,大変な苦労をかけました。
2002年8月26日(月)
下の娘がスペイン・フランス・イタリアというコースの美術の研修旅行に出発しました。先生に案内していただけるという結構な旅です。検討の結果,連絡はネット利用としましたが,新しく設置したBBSに記入するようにしました。履歴が一覧となり,通常のメールより便利かもしれません。
2002年8月27日(火)
自由課題の工作研修があり,職場の机上用本立てを作りました。これが3作目で,最初はB5サイズ中心,2作目はB5とA4が半分づつ,そして今回はA4が中心の棚作りです。次第に書類の標準サイズが変化してきたのです。私は,B版が好きだったのですが…。
2002年8月31日(土)
本日で,もう夏季休業は終了…というと間違いで,もともと夏季休業なんてないのです。いつも通りに土曜と日曜日の休日があっただけです(それも,休日出勤でかなり消えた)。京都以外へは里へ出かけただけでした。年々多忙になるとともに,今年から父の役割を引き継いだ関係で,ますます余裕がなくなりました。仕事と家事で,ほとんどの時間が潰れます。