★ 近況(2001年1月〜4月)★ 

  

2001年1月1日
昨日の大晦日は,京都市役所前での新世紀セレモニーを見学していました。私は,35年ほど前から、大晦日の京都市内散策を定例化しておりますが,今年ほど人通りの多いことはありませんでした。昔のひっそりとして清楚な大晦日が懐かしいですね。
2000年1月2日
盛口襄先生が呼びかけられた理科教育研究会「安房科学塾」が,年末にありました。全員レポートのあわただしい1泊2日ですが,多彩で奥深い実践は素晴らしいものでした。討議を聞くだけがやっとの私は別にして,新世紀の理科教育に希望が持てます。
2001年2月1日
有明海でノリの被害が広がっています。1月28日の「諫早湾の潮受け堤防を開けろ!」という漁民の海上デモは,1500隻7500人という空前の規模となりました。科学的調査で原因を調べるというコメントがありましたが,水門以外が原因だとは考えられません。原因があって結果が出たのに,原因を調査するというのです。科学的という言葉が非科学的に用いられているようです。
デモの先頭に山下弘文さんがおられると信じ,じっとテレビを見ていましたが見つかりません。気になっていたら,新聞の小さな記事を見つけました。山下さんは昨年にお亡くなりになっていたのです。1度だけお話しを聞く機会があり,それは生涯忘れえぬ感動的なものでした。
2000年2月2日
山下弘文さんの逝去で落ち込みましたが,昨年は,阪神淡路大震災地の救援連絡会議代表を務められた草地賢一さんも亡くなられました。草地さんの講演も聞きましたが,身の引き締まる感動的なものでした。また,高木仁三郎さんという貴重な方も亡くなられました。世紀末は,「環境」「NGO」「原子力」それぞれの代表格の方が逝去され,戸惑っているばかりの私が情けないです。
2001年2月8日
昨日,NHKテレビの「その時歴史が動いた」は,「杉原千畝さん」がテーマでした。勇気ある正義の決断として世界的に評価されていますが,国益という観点からも高く評価される行動であったと思います。一部の誹謗中傷が信じられません。
2000年3月1日
下の娘の高校卒業式でした。仕事は休める雰囲気ではなく,参加できませんでした。前は,あらゆる学校行事に当然のように夫婦で参加しましたが,いつのまにか状況が変わっています。これは間違っていると確信しつつ,思い通りにできないことが悔しいです。
2001年3月7日
勤務先の「共同研究発表会」がありました。今年の化学領域のテーマは「漂白の化学」で,市販品と自作のさまざまな漂白剤を化学しました。家庭にあふれた化学薬品は,商品ということで教材化しにくいのですが,化学の原理原則から離れているわけではなく結構おもしろいと思いました。身近な化学薬品の問題点を考える上でも,まずは化学的な基礎教養が不可欠ですね。
2000年3月8日
勤務先の化学領域の皆で,福井県今立町の「パピルス館」に紙漉き体験に行ってきました。それもおもしろかったのですが,私は,ついでの立ち寄った「武生ナイフビレッジ」が印象的でした。ここは,刃物工房が併設された刃物の店です。15年程前,京都の寺町で変わった形の鉛筆削り専用ナイフを3000円近くで買いました。それが,ここの製造したものだったのです。以来,娘2人が小学校を卒業するまで9年間,毎日私が削り続けましたが,使いやすく,刃は少し凹んだだけという丈夫さでした。この見事な鉛筆削りはグッドデザイン賞を受賞したそうですが,残念ながら高価すぎて売れず,今は同じデザインで安価な別物に変わっていました。
2001年3月12日
今日は,「個人研究発表会」がありました。私は,「ホログラム万華鏡」をテーマにしました。昨年末に,「簡易ホログラム分光器」を製作し,関連の開発もようやく一段落したからです。ここまでくるのに5年かかりました。できてしまえば簡単ですが,手探りの前進は大変です。
2000年3月19日
今日は,ホームページ開設3周年のお誕生日です。そして,アクセスがちょうど50000を越えました(夜の12時で50025)。稚拙で不十分な内容ばかりなのに,多くの方にクリックしていただき感謝するばかりです。更新作業が滞っていますが,とにかく多忙なんです。
2001年3月20日
日本を代表するといっても過言ではない,理科教育関係書籍の出版社「新生出版」が先月末をもって廃業しました。つまり,「遊々サイエンス」もなくなるわけで,驚きと悲しみと怒りが込み上げてきます。事情はわかりますが,理科離れが先生にも及んでいるようで,戸惑います。
2001年3月25日
3月24,25日に,久々の「京都パスカル春の遠足」という研修旅行を実施しました。岡山県吹屋は,銅とベンガラの産地です。黄鉄鉱や黄銅鉱を加熱して製品を得るわけですが,この時にとんでもない毒ガスが出るわけです。簡単な化学反応式ですが,説明を見るまで気付きませんでした。苦しい歴史があったということです。島根県吉田村は「たたら製鉄(たたらの実物が現存する)」の里で,映画「もののけ姫」の舞台でもあります。鉄は近代化の要であるとともに戦争に関係し,さらには巨大な権力を生み出しました。さまざまなことを考えさせられる,とても興味深い見学地でした。
2001年4月1日
親しい先生達15人ほどで,大文字山の「褐簾石」を採集に行きました。案内は高田先生で,太閤岩の下では花崗岩を割って探しました。午後は比叡平南東の洞窟内で砂を採集し,持ち帰って選び出すことになりました。
学校に勤務していた時は,毎年のように生徒対象に大文字山観察会を実施しました。褐簾石を探すのが上手な生徒がいて,次々に見つけるのが不思議でした。慣れでは私が上ですから,才能といったものを感じます。
2000年4月3日
自動車通勤が原則禁止となり,帰宅が大変になりました。四条烏丸で25分ほどバス待ちしましたが,車の排気ガスで次第に持病の呼吸困難になってきます。また,1日中,喉はがらがらで,まともに喋れません。こんなことでは,通勤が続けられるか不安なだけでなく仕事もままなりません。車からの脱却が必ずしも健康的とはいえない個々の事情があります。
※その後,自動車通勤の特別許可が出て,ほっとしました。
2001年4月30日
4月29日、名古屋の博物館「産業技術記念館」を見学しました。
トヨタ自動車の製作過程を展示した博物館が開館したという情報を聞き,かなり以前に「京都パスカル」で見学にでかけたことがあります。しかし,間違って「トヨタ博物館」という自動車の展示館に行ってしまいました。当時は,最新の情報は新聞報道が中心で、それを切り置きしないと,わからなくなりました。そこで,電話番号サービスの利用となりましたが,頭に「トヨタ…」とついていなかったため探せなかったのです。現在は,インターネットの検索エンジンで「トヨタ自動車」を検索し,リンクをたどって,すぐに見つかります。
目的の博物館は,「産業技術記念館」といい,昔のトヨタの本社工場跡にあり,当時のレンガ造りの壁を生かした素敵な博物館です。場所は,名鉄名古屋駅から1区北の「栄生駅」下車,徒歩3分です。展示品の半分は豊田佐吉の紡績機(これがおもしろい!)で,あと半分の自動車展示も製造に主眼をおいた見事なものです。とってもお勧めです!
2001年4月30日
4月29日、名古屋の科学館「名古屋市科学館」を見学しました。
ここでは,私が製作協力した「パスカル電線」が展示品になっているのですが,一度も見学したことがありません。そこで,それだけを目的に出かけました。電線は電気の展示スペースのなかにあり,すぐに見つかりました。なかなか上手に作ってありましたが,顕著な反応を示しておらず,また,説明書きも不十分で少しがっかりしました。やはり,教材は,先生がいて値打ちが高まると思いました。しかし、名古屋市科学館はおもしろいところで,お勧めです。