富山西部〜能登南部
金沢を抜け、倶利伽羅峠〜高岡〜氷見〜七尾〜羽咋と廻ってきました。
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倶利伽羅峠 寿永2年(1183年)5月11日 源義仲(木曽義仲)と平維盛とが対戦 源氏4万、平氏10万 角に松明を燃やした「火牛」 500頭を放ち、突撃したという。 驚いた平氏は地獄谷に落ちていったそうです |
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平氏の霊を弔う。 | これが「火牛」!!八墓村〜〜! | トイレのマークもこんなんです。 |
次は前田利長の築いた高岡城と国宝の瑞竜寺(利長を祭るために弟の利常が建立)です 高岡城は城跡公園になっており、堀が残ってるほかは何もありません。 縄張りはキリシタン大名の高山右近がしたそうです。一国一城令により廃城。 |
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瑞竜寺。見事です。一見の価値あり! | 信長、利家、利長らの石廟(慰霊)です 利長の石廟は彫刻が見事です |
高岡城跡の前田利長像 明治に公園として提供されました |
高岡を後にし、七尾方面に向かいます。途中、氷見ブリで有名な氷見漁港に寄ってみました。 一般向けにはあまり売ってません。直接都市部に行ってしまうようです。値段も高め… |
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一般向けの市場が入ってる道の駅。 でも、魚は結構高い!何も買わず… 結構敷地代が高いそうな… |
氷見ブリ一本1万7千円〜。 氷見は魚場が近く、種類豊富な 「きときと」鮮魚が捕れるそうです |
近くの商店街で海鮮ちらしを食す。 道場六三郎が来たそうです。 ハンドボールに力が入ってます。 |
氷見から七尾へ。金沢に移る前に前田利家が居城としていた小丸山城、要害の七尾城(畠山氏居城)があります。 | ||
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七尾城にはかなり山を登ります。 向かいの山から七尾城を望む 麓まで城下町が連なっていたらしい |
本丸跡の石碑。 よく、こんな山の上に作ったものです 昭和9年、国指定史跡になりました。 |
見事に築かれた石垣。戦闘用の城。 1577年、上杉謙信により落城。 |
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小丸山城も史跡跡は公園です。 利家の兄の安勝が城代。 その後、次男の利政が入城。 |
利家とまつの像。 利家は、戦陣に明け暮れていたため ほとんど城には居なかったそうです |
相撲の土俵がありました。 盛んなのでしょうか? |
七尾市で夕方近くになってきたので、羽咋、金沢と通って帰ろうとしたところ、末森城を偶然見つけたので、寄りました。 末森の合戦で有名です。1584年、越中の佐々成政により攻められました。 この城が落ちていれば、前田家の劣勢は避けられないところでした。 城将の奥村永福の決死の防戦により、前田利家が救援に間に合い、佐々軍を退けました。 「利家とまつ」でも、大きく取り上げられていました。 |
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小高い山の上に目立つ看板 国道159号線沿いにあります。 駐車場も入り口近くにあります。 健脚でないときついです。 |
本丸までは20〜30分歩きます。 林道になってるので、足場は悪いです 本丸跡は広場になってます。 前田軍は奥の道から入城したそうです |
入り口にある石碑。 大河ドラマがをきっかけに加賀、能登 には説明の看板がゆき届いてます。 |
仕事で来てますから!(半分遊び!?) |