『失いし刻』

かなみちゃんにんたいちょーEX

Written by WASTE

 

 

 

 

私は裏切ってしまった……

国を……

主を……

友人を……

 

私は失ってしまった……

国も……

主も……

友人も……

 

今、私にあるものは……

 

 

 

 

 女は街道と呼ばれていた場所を歩いていた。

 かつては多くの人が行き来したであろうその道も今は人影絶え、踏まれる事が無くなった雑草が石畳の隙間から這出てその存在を主張していた。

 女は一人ではなかった。

 今の世の中、女が――いや、それが屈強の男であろうとも――一人で道を行くなど自殺行為でしかない。だが、女の行為は更に非常識であった。

 女の連れは乳呑児だった。

 未だ襁褓もとれない無力な赤子。それをしっかりと胸に抱いていた。背には最小限に纏められた荷と短く細身の剣があった。

 女は一言も発しなかった。

 ただ黙々と両の足を動かし、規則正しく呼気と吸気を繰り返す。赤子もぐずる事も無く静かに寝息をたてている。

 女は歩いていた。

 その足取りは急いでいるものでは無かったが、まるで何かに追われているように歩いていた。

 

 

 

あの人を愛していると思っていた。

あの人が愛してくれていると思っていた。

あの人だけがいてくれれば、他に何もいらないと思っていた。

 

……だから全てを裏切った。

 

 

 

 女はふと歩みを止め、後ろを振返る。

 女の耳が捉えたものは羽音だった。

 大きい。鳥の類ではない。

 それも一つ二つではない。おそらく十以上。

 やがて視覚でも確認する。それは常人であれば見つける事など出来なかったであろう。しかし女の目は飛び来るそれが、次第に大きさを増してくるのが分かった。

 辺りを見回して身を隠す場所を探すが、そこには藪一つ、木一本すらなかった。女は一つ舌打ちすると先程まで向かっていた方へ駈け出した。

 

 女のスピードは赤子を抱えた女性が出せるものではなかった。しかも数百メートルを走ってもそれが衰える事は無く、呼吸も速くはなったものの乱れる事は無かった。

 しかし、後ろから来るものは引き離されない。いや、それどころか先程より近づいている。おそらく女がそれを見つけたときには、相手も女を見つけていたのだろう。そして女が動きを見せたことが、かえって相手の興味を引いてしまったようだ。

 

 逃げ切る事は出来ない。そして遮蔽物も無い。

 そう判断した女はやがて走るのを止め、近づいてくるものに向き直る。

 自分の胸の赤子を見ると、相当揺れたであろうのに未だに目を覚ましていなかった。近づいてくるもの、これから起こる事も知らず穏やかな寝顔を見せる赤子に、女はほんの微かに笑みを見せる。しかしそれも一瞬の事で、すぐに表情を引締める。そして自分と赤子を結ぶ紐を確かめると、背から剣――見る者が見ればそれが忍刀と呼ばれる物である事に気づいただろう――を抜き地面に軽く突き立てた。

 既に相手が何であるかはっきり判る距離になっていた。ドラゴン女と呼ばれる翼を持った女の姿をした魔物。それが十二匹。暫く前であればこんな魔物が纏まって飛び回っているのを人間達が見逃すはずは無い。しかし今では魔物の跳梁を断固として妨げる事の出来る人間、いや人間の組織は存在しなかった。彼女達は相手が一人と侮っているのか、周りを囲むような事もせず、ただ一直線に女に向かってきていた。

 

 

 

 

妊娠している事に気付いたのは逃げ出してすぐの事だった。

あの人の子であるはずは無かった。

……あいつの子だった。

悩み、苦しんだが、正直にあの人に告げる事にした。

 

……でも、返ってきた答えは私の望んだものではなかった。

 

 

 

 

 あと十メートル。

 相手がそこまで近づいたとき、女の両手が動いた。

 先頭を飛んでいた二匹のドラゴン女が苦鳴を上げ、バランスを崩すと地面に激突する。

 片目に棒手裏剣を突き立てたまま苦痛にのた打ち回る二匹に目もくれず、女は地面の刀を抜くと後続のドラゴン女に斬り掛かった。自身と自らの武器の非力を自覚している女が狙ったのは、相手の持つ蝙蝠のような翼。仕留める必要は無い。飛べなくしてしまえば自分の足なら十分に逃げ切れる。幸い自分の方が小回りが効く。懐に飛び込んで一撃で相手の皮翼を十分に切裂くと素早く間合いを取り、更に回り込まれないように大きく相手との距離を開ける。それを繰り返して九匹目の翼を切裂いた。

 ……残り三匹。これなら……

 そう思ったのが油断に繋がったのか。九匹目はそれまでの者と異なり、翼を裂かれても怯む事無く爪を振るってきた。女は何とか反応し刀で受けたものの、その力を受けきれず大きく弾き飛ばされ地面に倒れこむ。

 受身を取ったため大きなダメージは無かったが、動きが止まってしまったことは致命的だった。女は直ぐに身を起こしたものの、立ち上がって逃げる前にドラゴン女が十重二十重に女を取り囲む。

 逃げられない。前後左右、そして上も全て塞がれた。

 自分達傷つけた小癪な人間を串刺しにしようと槍や爪を振りかざすドラゴン女達に、もはや女にはなす術は無くただ目を閉じ、赤子を庇うように強く抱き締めるしかなかった。

 

 

 

 

あの人は私を裏切り者と呼んだ。

本気で私に切り掛ってきた。

逃げる事が出来たのは奇跡のようなものだった。

 

私は悟った。

あの人の優しさは、他人という鏡に映った自分自身に向けられたものだったと。

 

あの人が今どこで何をしているか、私は知らない。

 

 

 

 

 苦痛はやってこなかった。

 何かが地面に落ちる音に女が目を開けると、体の各所を焼かれたドラゴン女が数匹地に伏し、残った者も女ではなく別の何かに意識を向けているようだった。

 女が事態を理解する前に数本の光条がドラゴン女達を襲い、更に数匹を打ち倒す。同時に女が向かおうとしていた方向から鬨の声があがり、剣を持ち鎧を着けた十人程の人間が突進してくるのが見えた。

 彼等が着けている鎧。各所が原色に塗られた――汚れ、傷付いているが――その鎧は女が良く知っているモノだった。いや、良く知っていた、と言うべきか。

 そして、彼等の先頭に立っている小柄な人物。彼女は……

 女は自分達の命が助かったという事実にも気が付かず、座り込んだままただ呆然と彼等がドラゴン女達を討ち取っていくのを見つめていた。

 

 

 戦いが終わっても呆然としたままだった女を我に返らせたのは、顔の直ぐ下から発せられた小さな声だった。はっとした女が顔を向けると、戦いの最中にも泣き声一つ上げなかった赤子が女をビックリしたような目で見つめていた。慌てて女は赤子の怪我の有無を確認し、怪我が無い事が判ると大きな安堵の溜息を吐いた。

 

「大丈夫?」

 そんな女に先程の小柄な人物が近づきながら声を掛ける。女の肩がビクッと震える。

「無茶だよ。今時たった一人で…それも赤ちゃんを連れて街道を歩くなん……」

 言葉が途切れる。歩みが止まる。

「…………かなみ……ちゃん?」

「………………メナド……」

 

 

 

 

誰があいつを殺し、私が何をしたのか、直ぐに明らかになった。

私とあの人には賞金が掛けられた。

掛けた人間の正気の度合いを疑いたくなるような額だ。

 

……でも、もうその賞金を払う者はいない。

 

 

 

 

 逃げ出したかった。この場から。しかし立ち上がる事が出来なかった。

「ホントにかなみちゃんなの?」

 メナドが口にした名前に覚えがあったのだろう、周りの戦士達が殺気立つ。中には一度鞘に収めた剣を抜き、かなみに向ける者もいる。

「待って! そんな事しても意味が無いよ……もう……」

 戦士達を抑えたメナドだったが、彼女のその言葉はかなみの胸にぐさりと突き刺さった。

 直接の行為は抑えられたものの。怒り、憎悪、蔑み。かなみに向けられたそれらの感情にその場が満たされかけたが、

「メナド〜。おわったらか〜」

「襲われとった人は無事ですかいのー」

 舌足らずな声とのんびりした声が雰囲気を和らげ、いや、ぶち壊した。

 妙ちくりんな被り物を頭に載せた幼女、アスカとその祖父であるチャカだった。アスカはメナド達の方へトテトテと歩いてくると、座り込んでいるかなみを覗き込む。

「ほえ〜、だれらろ〜?」

「おお! かなみさんじゃないか! あんた、生きとったか……。良かった……本当に良かったのう」

 何も分かってないアスカと、かなみが生きていた事を素直に喜ぶチャカ。そんな二人を見て、かなみに敵意を向けていた戦士達も気を殺がれ剣を納めるしかなかった。

 その様子を見てメナドが言う。

「とにかく、かなみちゃんと二人で話をしたいから、皆はここで待っててくれるかな。

 ……かなみちゃん、いい?」

「……うん……」

 差し出されたメナドの手をかなみは握らなかった。触れる事が出来なかった。

 

 

 

 

今、人間の世界に国と呼べるものは無い。

ゼス、ヘルマン、JAPAN、……そしてリーザス……

全て滅んだ。

 

今の人間は魔物達に嬲られる哀れな存在に過ぎない。

きっと、ジルの時代もこうだったんだろう。

 

 

 

 

 皆から離れてもメナドは暫く口を開かなかったが、やがてポツリと言葉を押し出す。

「生きてたんだね……」

「うん……メナドも……」

 沈黙。メナドはかなみの方に顔を向けていないし、かなみも俯いたままだった。

「……あーーー」

 一秒が一時間にも感じられるようなその場の空気に抗議するかのように、もう一人が声を上げる。その声の方に顔を向け、メナドが表情を緩ませる。

「……あんな事があったのに泣かなかったんだね。えらいね、キミは」

「うーー」

 赤子は差し出されたメナドの指に手を伸ばし、掴もうとする。

「ふふっ。ちっちゃい手……柔らかい」

 メナドは自分の指を赤子に委ねたまま、暫くその顔を眺めていたが、

「……ひょっとして、この子……王様の?」

 茶色の髪と瞳。きかん気の強そうな顔。赤子がかつて二人の主であった男の血を引いているであろうことは、彼を知る者であれば容易に想像が出来るものだった。かなみはその問いに言葉を発さず頷く事もしなかったが、メナドにとっては肯定も同様だった。

「そっか……」

 あらためてメナドはかなみを見る。元々細身といって良い身体つきではあったが、今の彼女は明らかに昔に比べて痩せていた。やつれていると言ってよい。

「御飯食べてる? ちゃんと食べないとおっぱい出ないよ?」

「大丈夫……それは……」

「そう? ……そういえばこの子、元気そうだもんね。でもかなみちゃんだってもっと元気にならないと」

「…………」

 かなみはそれに答えなかった。メナドが自分を気遣ってくれる事は嬉しかった。しかし、だからこそ答えられなかった。

 

 

 

 

「あの男が生きていれば……」

そういう声も耳にする。

 

そうかもしれない。あの時のリーザスにはそれがあった。

魔剣、聖刀、魔人。それらの魔人達に対抗する術……

……そして……あの男……

 

わたしの所為でそれは失われた。

 

 

 

 

「あのね、ぼく達……今、魔人達と戦ってるんだ」

 メナドの言葉にかなみが顔を上げる。

「勿論まともに戦う事なんて出来ないよ。ゲリラ戦、ってヤツだね。

 リーザスは無くなちゃったかもしれないけど、生き残った人はまだまだいるし。それに美樹ちゃん達だって捕まってない」

 国が滅びてしまった以上、人間が魔人達に抗うにはそれしか無いだろう。小さすぎる抵抗かもしれないが、それでもメナド達は諦めてはいなかった。希望はほんの小さなものかもしれないが、絶望だけは決してしない。するものか、とその目が語っていた。その目を見ているのが辛くなり、かなみは再びメナドから視線を外した。メナドの方はかなみから目を逸らさず、更に続ける。

「ね、かなみちゃん…… かなみちゃんもぼく達と一緒に来ない? 赤ちゃん連れて一人でやっていくのは大変だし、ぼく達も出来るだけ仲間が欲しいし……」

 メナドの申し出にかなみは頭を振る。

「……ありがとうメナド。でも、駄目……」

「そんな、かなみちゃ……」

「わたしの……所為だもの……。リーザスが無くなったのは…… 世界がこんな風になったのは……」

 搾り出すようなかなみの言葉にメナドは一瞬絶句する。

「で、でも…あれは…… 仕方なかったんだよ…あれは……」

 それでも何とか弁護しようとするメナドの心遣いはありがたかった。しかし、

「……さっきの人達を見たでしょ。わたしの所為だって事は皆知ってる。それに……」

 メナドにとって、あの男が単なる主君でなかったことをかなみは知っていた。あの男はメナドを救い、支え、認めていて……メナドはあの男を愛していた。それはメナドだけではない。それを知っていた筈だった。そして、彼女達からあの男を奪ったのは、他ならぬ自分。自分が何をしてしまったのか、今では良く解かっていた。

 かなみはそれ以上言葉を続けず、メナドもそれ以上何も言えず、その場には沈黙だけが残った。

 

 

「おーーー」

 メナドが指を握らせたままで何もしないことが不満になったのだろう、赤子が再び声を上げる。その声に二人は我に返り、かなみは軽く赤子の身体を揺すり、メナドは頭を撫でてやる。

「うーー」

 かなみとメナドが構ってやった事で今度は満足気な声を出す赤子に、二人は同時に微笑む。

 そのまま二人は赤子をあやしていたが、今度はかなみの方からメナドに呼び掛ける。

「じゃあメナド…… もう、行くから……」

「あ、かなみちゃん……」

 その言葉にもう一度引き止めようとしたメナドだったが、かなみの顔を見てそれが無駄――少なくとも今は――である事を悟る。赤子に触れていた手をゆっくりと下ろし、かなみに尋ねる。

「何か、当てがあるの?」

 その問いにかなみは首を振る。

「でも、大丈夫だから……」

 小さな、しかし決然としたかなみの声に、メナドはそれ以上言葉が無かった。

 メナドのその様子を見て、かなみが別れを告げる。

「さよなら、メナド」

 踵を返し離れていくかなみに何も言う事が出来なかったメナドだが、その距離が十数歩程になった時、言葉を掛ける。

「かなみちゃん!」

 ゆっくりとかなみが振返る。

「……またね」

 それだけを、しかし笑顔でメナドはその言葉をかなみに送る。

 一瞬戸惑った顔をしたかなみだったが、やがて再会してから初めてメナドに笑みを向ける。

「うん……また、ね……」

 同じ言葉を返す。そして再び歩を進める。もう振り向く事はない。

 行くべき所がある訳ではない。しかし先程よりしっかりした足取りで前へと。

 

 しばらくかなみを見送っていたメナドだったが、やがて踵を返す。ゆっくりと仲間のところへ戻りながら思う。いつかまた会える。いつかきっと。

 

 

私は失ってしまった

でも、何もかも失ったわけではない

今、私にあるものは……

 

 

過ぎた時は戻らない

失ったものは取り戻せない

でも、全てが失われたのでないなら

 

いつかきっと……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後書き

 

 というわけで『かなみ幸福エンド』のAfter Storyです。見ての通り、幸福エンドのはずが全然幸福ではありません。あのエンディングでかなみが幸福になる要素を全く見つけられなかったもので。なにせお相手はアレだし、自身は妊娠しているし、リアをはじめとして仇と狙っている人も少なくなさそうだし。おまけにゲームではランスが人間世界統一前に死亡した場合、ケイブリスによって大陸が征服されてしまうような流れですから。自分一人の目先の幸せを求めた結果、自分を含めた全員が不幸のどん底になってしまったと言う訳です。まあ、大元はランスのかなみに対する扱いが悪かった所為なわけですが。

 

 しかし、根性無しの私には救いが無い話というのはどうにも精神的にキツイので、多少今後に希望を持てるような展開にしましたが……その所為かどこか未消化な話になってしまったような。もっと徹底的にダークな話にするべきだったかも……。(笑)

 

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