須達龍也著「真鬼畜王」より



 二十一は、歩き続けた。
 何日歩いたか、記憶も定かではない。時に朦朧として、雨水をすすり路傍の草を食んだ。食当たりして、腹の中のものを全て吐いた。木にもたれ、かすれる意識の中で、赤い着物の女が手招くのを見た。立ち上がって追うと、女は逃げる。追えども追えども、幻のように女との距離が縮まらない。
 赤い女を見失い、雨の中を夜通し歩いて、森の中に戸の無い門を見つけた。かってにくぐったが、家の戸は閉まって入れないので、裏に回って軒下に横たわった。
 父う・・・・姉え・・・・・
 育ての親から野宿の術は教わったが、それを使う気力は失っていた。
 ごめんよ・・・・俺、何もできない・・・・
 夢を見た。佐渡での最期の夜、月光としのぶと、三人並んで寝た。暖かい思い出がよみがえり、二十一は眠りに落ちていった。


真鬼畜王 外伝

山本二十一記
<中編>
 
THE EMPEROR STRIKES DAWN




「迷子の猿かと思えば、人の子ではないか」
 目を開けると、雨も止んで明るくなっていた。体の震えは止まらず、体中が痛む。声の方へ顔を向けると、白い被り物の尼がいた。その横には金髪の異人、大陸から来た女であろう、金色の甲冑に直刀を下げた剣士がいた。
「具合が悪そうじゃな、立てるかえ? 人ならば名くらいあろう、思い出せるか?」
 ゆっくりと、やさしく語りかける声。しのぶよりは、ずいぶん年上の女性のようだ。暗い時はわからなかったが、離れた所に堂のような建物もあった。寺であれば尼がいるのも当然。こわばっていた体から、少し力が抜けた。
「ぼくは、二十一・・・・・山本の二十一だ」
 それだけ言うと、腹がしびれ胸が苦しくなった。目をつっぶて痛みをこらえ、また尼を見上げると、じっと見つめる瞳があった。と、女剣士が寄ってきて、尼を下がらせた。
「山本二十一、とな? リック・アディスンの名を騙る弱虫とは何度も会ったが、その名を使う輩は初めてだ。どこで知ったかは問わぬが、証明してみせよ!」
 女剣士は泥と垢に汚れた衿をつかんで表へ引きずり、木刀を渡した。
「さあ、証明せよ! できなければ、その首が飛ぶぞ。ただし、逃げるなら追わぬ。」
 女剣士は大陸風の直刀を抜いた、刃渡りは1メートル近い、JAPANには珍しい長物だ。青い目は怒りに似た殺気に満ちている。ぶんぶん、上から下へ右から左へ、風を切って剣を振るう、JAPANには無い剣法だ。
 この動きは見覚えがある・・・・・木刀を構えながら、二十一は懐かしい感覚に包まれた。剣や体付きは違うが、佐渡で手合せしたリック・アデイスンとそっくりだ。そう思ってからは冷静になれた。息を整え、切っ先を見切ることに集中すれば、次の動きの間にスキが見えた。
 たあっ、二十一は突っ込んだ、狙いは喉の一点。
 がしっ、木刀は剣に受け止められた、左の首筋に1センチ手前だ。
 その交差を軸に剣が回り、鍔が手首を叩いた。次いで、柄が腹を突いて、二十一の体はふっ飛んだ。
 ああ、こうだったのか・・・・・佐渡でリックにやられた時は、何も見えなかった。パイロードの切っ先をかわして内懐に飛込みながら、不思議な力に跳ね返されたようにしか感じなかった。今度は全部見えた。あの時より、少し進歩してたかもしれない。大の字に倒れながら、二十一は満足して笑ってしまった。
「レイラ様、もうよいでしょう」
 尼の呼びかけに、女剣士はゆっくり礼をした。穏やかになった顔は、試しが終わった事を示していた。
「湯浴みの用意をしましょう、新しい着物も。それから朝餉を。その間、二十一殿は香様におまかせします」
 女剣士はレイラ・グレクニーだった、昔に会っていたはずの人であった。尼は天香尼、月光としのぶの主人だ。二十一は起き上がり、昨夜に四天王寺の石柱を越えたのを思い出した。
 父う・・・・姉え・・・・おれ、着いたよ。つと、涙があふれた。
「二十一、よういらした。月光としのぶは息災か、一緒ではないのか?」
 がくっ、膝がくずれた。香が肩を支えなければ、ばったり倒れていた。
 うわあぁっ、二十一は声をあげて泣いた。森の木々が呼応したかのように揺れてざわめいた。


 とおいおそらに、かあさんねむる
 ぼうやはよいこだ、おねんねしましょ
 ねんねんころり、ねんころり・・・・・
 二十一の背に湯をかけ、香は唄った。しのぶも唄った子守歌だ。
 髪に櫛を通して髷を結い、薄い髭を剃れば、大陸の血が交じった貴公子の顔が現われた。レイラが懐かしげに小首をかしげ、新しい小袖を着付けた。
 朝餉は山菜を入れた粥、久しぶりに温かい物を腹に入れた。食当たりが回復してないので、二杯目は断って横になった。
 薄い掛け布団に香が入ってきて、二十一に添い寝するかたちになった。じわり、温かさが病んだ体と頭を癒す。
 佐渡の太郎杉に登った事、リックと手合せした事、御朱印船の底に隠れて島を出た事、魔人に襲われた事・・・・・二十一は思いつくまま語った。うんうん、首肯きながら香は聞いた。月光としのぶの死を語る時、また涙があふれた。嗚咽する少年を胸に抱き、香はまた子守歌を唄った。


 目覚めると、もう次の朝だった。
 粥を三杯も平らげて、すぐ庭へ出るや、木刀を振った。昨日のレイラの術を反復し、自分の術にしようとしたのだ。
 おまえは将の剣を身につけるのだ、リック・アディスンのような・・・・
 しのぶの言葉が頭で響いていた。
 ふう、手を止めて息をついた。ひとつぶ汗が額に流れた。香が寄ってきて、二十一に手拭いを渡した。
「月光としのぶは、良い仕事をしたようですね」
 育ての親の名を聞き、息を呑んだ。あふれそうな涙を、汗ごと手拭いで拭き取った。二十一が見返すと、香の目にも涙があった。
「その情けの深さを忘れないで。剣や槍ではなく、仁と徳で世を導いておくれ」
 それは香の父、織田信長の治世を否定する言葉だった。幾多の大名小名が覇を競っていたJAPANを力で征した男の周囲は、常に恐怖と怨嗟の悲鳴のただ中にあった。姫の身ではめったに城から出る事はなかったが、心に民草の声は響いていた。この世のどこかに、戦いを望み混乱を楽しむ人知を超越した存在がある。それを知るゆえに、それを望まない女は苦悩してきた。
 レイラがいないのに気付き、二十一が問うと、大阪城へ発ったと香は答えた。大阪城と聞いて、また少年の心は揺れた。産みの母の住む所、今回の旅の目的地でもある。
「母上に会うのも大切じゃがの、おまえにはより大きな仕事がある」
 香は二十一を連れ、境内の奥へ進む。
 四天王を祀った大きな堂を過ぎて、裏の小さな堂の前で足を止めた。念を入れて戸の封印を外す、中は一人入るのがやっとだ。また封印を施した箱がひとつ、堂の中はそれだけだった。
 香が箱を開けた、剣が一振りあった。黄金造りの鞘と柄の飾りに簡単したが、剣の大事は折れぬ事と切れる事、抜いて身を見なければ何も判断できない。
「聖刀日光、そなたの父も使った名刀じゃ」
「日光!」
 二十一にとっては、亡き父の形見の刀であった。魔人レイを屠り、カミーラやジークと戦った時の武器である。それ以前には、勇者小川健太郎が魔王ガイを屠った。月光としのぶの仇、魔人ケイブリスを討つには必須の物である。
 ぱちん、触れようと伸ばした二十一の手を香が打った。
「この刀は、自ら使い手を選ぶ。おまえが聖刀に相応しい剣術の上手になれば、ある朝、目覚めた時の枕元に聖刀はあるでじゃろう」
 香は箱を閉じ、また封印をした。堂の戸も念を込めて封印した。特別な力を持った術者以外は開けられない御堂となった。
「聖刀を望んでも意味は無い、聖刀に望まれる剣士におなり」
 意志を持つ刀、聖刀の話は月光からも聞いていた。剣の腕前だけなら、リック・アディスンや見当かなみもランスに劣らぬ名人である。だが、彼らは聖刀に選ばれなかった。それ故に、人々は新たな聖刀の使い手を渇望していた。使い手が現われた時、聖刀は自ら封印を破って出てくるのだ。
 香に打たれた手の甲が痛んだ。まだ仇が討てる時ではない、自分の未熟を知らされて、二十一は唇を噛むしかなかった。


 翌、明けきらぬ内に、二十一と香は寺を出た。
 山を下り、町へ出た。にぎやかな楽市を抜け、牛車や荷馬が往来する大通りへ出れば、目の前に大阪城があった。
 かつての五層の巨大な天守閣は、リーザスが攻めた時に焼け落ちていた。あれから十数年、塀や下屋敷は再建なったが、本丸は土台の石垣のままだ。毎年のように再建が議論され、いまだに手付かずであった。
「若い尼さんよ、勧進なら俺様とどうだい?」
 赤ら顔の大男が香の手をつかんだ。尼姿の娼婦と思い込んでいるのだ。
「下がれ、うつけ者が!」
 二十一が割って入ると、大男は酒臭い息で大剣を抜いた。きゃあ、周囲は悲鳴で間をあける。
「俺様の名を知っているのか、小僧。このウツケ・モロー様は元リーザス白軍で、あのペガサス将軍の配下で働いた事もあったんだ。そんな木切れでやる気なら、度胸だけは誉めてやる、かかって来い!」
 またか、二十一はため息。大陸の名前は難しいのであった。魔物が跳梁する大陸から逃れてきた人々はJAPANに新しい繁栄をもたらしたが、文化的誤解から治安を悪化させる者たちもいた。
 ブンブン、大剣を振り回すモロー。ふっ、息を入れて、二十一は中段に木刀をかまえた。大陸の剣法を見るのは何度目か、一昨日のレイラは剣の速度にメリハリがあった。リックの剣は目にも止まらぬ速さがあった。モローの剣は、ただ鈍いだけだ。
 たああっ、振りかぶるモローの内懐に飛込み、下から剣の鍔を突き上げ、柄でベルトのバックルを突いた。カウンターに決まった。
 すっと横にかわせば、ずどおぉん、モローは前転で大の字に倒れた。
 タイミングは今ひとつ、二十一は舌打ちした。レイラやリックのように、相手を突き飛ばすまではいかなかった。
「まあまあ、石につまづきなさるとは、朝からの酒は控えなされませ」
 香の言葉に、体を起こしたモローも剣を納めた。
「そ・・・・・そうじゃのう、昨夜より深酒が過ぎたようだ。ちと水でも浴びるとしよう。小僧、命拾いしたな」
 モローは初めゆっくり歩き、やがて駆け足に去った。体面を繕っていたが、やられた事を誰より判っていたようだ。
 勝ち負けを否定する香に、不満を抱いた二十一だった。が、ケンカの仲裁ならば良い治め方、と考えを改めた。負けず嫌いで、リックに疲れ果てるまで挑み続けた自分自身を思い出していた。


「四天王寺様、御来城!」
 門兵は声高らかに言った。かつての城主の姫を迎える兵たちは一様に畏まっていが、誰も二十一には注目しない。ただの下人と思っているかのようだ。
 本丸の庭に通された。
 池の畔に傘が立ち、釜から煙が上っていた。女性が二人、金髪のレイラがいた。もう一人の黒髪の女は二十一の母、山本五十六だった。
「お役目ご苦労さまです」
 香に頭を下げる五十六、その母の横顔を息子は瞬きもせずに見つめた。喉が締め付けられるように痛い、胸が高鳴り体が揺れた。母が振り向いた時、二十一は凍り付いた。笑顔ではなかった。
 鋭い武人の目が、少年を見据えていた。
 刀を目利きする時の月光が同じ目であった。この男は使えるか否か、侍の目利きをされているのだ。悟った二十一は侍の目を返した。
 香が膝をたたいて、二十一に挨拶をうながした。
 ごくり、唾を呑み、二十一は手をついて語った。
「山本二十一、ただいま帰りました。え・・・・・と、母上さまにあられ・・・・ましても、も・・・・・」
 昨夜、香と何度も練習した口上は途切れて、言葉が続かない。木刀を振るほうが、何倍も楽に感じる少年であった。
 あはははは、黄色い笑いが緊張した場を崩した、レイラだった。
「ランスくんと一緒で、堅苦しい挨拶が苦手なんだ」
 顔を上げると、レイラばかりか母の五十六まで笑っていた。がくっ、肩の重しが一気にはずれて落ちた。
「山の中で倒れてたり、変なところまで似てるのよね。まあ、高飛車でないあたりは、まだ救いがあるわ」
 いつの間にか、赤い忍服の女が五十六と並んでいた。見覚えはあった、見当かなみだ。佐渡から大阪まで一人で歩いたつもりが、常に見守られていたのだ。事実に気付いて、小さくなる二十一。
「ほんに大きくなった、父様によう似て・・・・」
 母の目がうるんでいる、気付いた息子も感激に目がうるんだ。が、母が自分ではなく亡き父を見ていると知って、少しムッとした。見なおすと、母の目は武人にもどっていた。
「剣の腕は聞いておるが、弓はどうかな?」
 弓は強いほうではない、佐渡では弓を使う機会が少なかった。自信無げにうつむく二十一を、五十六の目は見逃さなかった。


「かまえ・・・・・ていっ!」
 バババッ、一斉に矢が放たれ、壁の的を射た。並んだ射手たちは、すぐさま次の矢を弓にあてて号令を待つ。
「かまえ・・・・・待て、弓控え!」
 射手たちが弓を下ろし、息を抜いた。弓場の隅に新しい人影を見て、号令の意味を知った。城主が来たのだ、皆片膝を落として礼をとった。
 織田の配下である頃より、山本五十六の弓の術は抜きん出ていた。大阪城に帰って、最初に弓の道場を開いたのは自然の成り行きだ。JAPAN随一の弓使いの術で、山本五十六が国主代行の任に相応しいと万人に認めさせてきた。
「射てみせよ」
 五十六が命じて、二十一は弓を持った。弦は五人張り、大阪では一般的な強物だ。矢は四尺、中距離用である。
 第一射、的の上に外れて刺さった。第二射、左へ外れて隣の的に当たった、見物の衆から笑いがもれた。第三射、的を並べた壁の上を越え、場外へ飛んで消えた。
「よい、わかった」
 五十六が弓を取り上げ、下がらせた。しびれた手を振って、二十一は不出来を恥じた。佐渡では自家製で三人張りの弱い弓を使っていたから、強い弓は制御できなかったのだ。矢も三尺の短めの物が慣れていた、戦闘用ではなく狩りのための弓矢である。
 同じ弓を持って、五十六が矢を射た。
 びゅん、ひゅうぅっ、別物の音で矢が飛んだ。
 ガン、的に命中。深々と矢尻が突き刺さり、矢のぶれがすぐに止まった。
 弦のはねる音、矢の風切り音、的への命中音、女の細腕とは思えぬ轟音がとどろいた。息子ながら、二十一は母の術に驚いて口が閉まらない。
 五十六は我が子を一瞥し、矢に気合いを込めた。
 はあああぁっ、第一射とは異質な気合いに、二十一は口を閉じて見入った。リック・アディスンが必殺のバイ・ラ・ウエイを放つ際の気合いにも似て見えた。
 ごおっ、矢は大気を巻き込んで飛んだ。
 ばこおぉん、的が砕けて落ちた。
「お見事、疾風天破!」
 声があって、拍手が起きた。
 ごくり、二十一は息を呑んで瞬きもできなかった。幼い日に見ていたはずの術だったが、今日初めて、そのすごさを知った。
「疾風天破、この術を使う者が山本の家を継ぐ。しかし、今のところ、わたししかできぬ。誰ぞ、わたしを越える者よ出よ!」
 山本五十六は叫んだ。相手は弓場にいる全員だった。
「ぼくが使ってみせる、必ず!」
 二十一が応えて言った。五十六は小さく頷いたが、笑みは無かった。
「おまえには厩舎の番を命ずる、手羽先の世話の後で弓の稽古をするがよい」
 母ではなく、城主の命令だった。五十六は踵を返し、レイラとかなみを供に弓場を出ていった。
 茫然と見送る二十一の背後では、また号令があって弓の稽古が始まった。産みの母との短い再会は少年を失望させたが、侍の心には火をつけた。あの術を自分のものにする、将の剣を身につけるのと同じく、もうひとつの目標を得たのだ。
「山本の息子であれば、国家の経営や人心の掌握こそ身につけるべきでしょう。剣や弓など下の者にまかせて、戦略や外交交渉こそ上に立つ者の仕事です」
 レイラは二十一の処遇に不満をもらした。
「ここはリーザスではなく、JAPANです」
 五十六は迷い無く言い切った。剣や弓など、侍として抜きん出た芸がなければ尊敬は得られない国である。若い二十一は侍としての武芸が不足している、礼儀作法より前に身につけるべき事があるのだ。
 剣は教えられないが、弓は教えられる。母は息子に新たな試練を与えようとしていた。疾風天破の術を会得した者が山本の家を継ぐ、その掟を課そうというのだ。五十六が女の身で山本の家を継いだのは、疾風天破を使えるのが兄弟の中で彼女一人だけだったからだ。より強い矢を射る者、遠くへ射る者はいるが、疾風天破の術を使えるのはJAPANで彼女だけだ。それが強みであったが、同時に弱みとなり始めていた。後継者の無い術は消えるしかない、山本の家は存亡の縁にあった。


 夕刻、厩舎で新人歓迎の宴がささやかに行なわれた。
 ぴーぴー、戸板の向こうで手羽先が啼く、佐渡ではほとんど見なかった。酒や料理以上に少年には興味深い。
「若と並んで座れるなんて、めったな事じゃ・・・・・おっと、若と呼んじゃいかんかったわ」
 おしゃべりな椎の三平が口をすべらせた。正式な跡取りではない二十一を若君あつかいしてはならぬ、それは五十六の命令だった。
「侍なら、手羽先くらい騎りこなせんと格好がつかんの。ここで寝泊りせいとは、母様も配慮されとる」
 頑固そうな在津出次が禿頭を揺らして合いの手をうつ。
 これも修業の内か、二十一は少し納得した。母と一緒に過ごせないのは寂しいが、城の男たちと親しく話せる場は楽しい。もう子供ではない、早く一人前の侍になるのだ。決意を胸に、布団にくるまった。
 翌、東の空が白くなり始めた頃にたたき起こされ、手羽先の世話をすることになった。重い餌桶と水桶をを運び、人より早く朝の飯を与える。次は厩舎の掃除、一日でたまった糞を外に出して肥だめに運ぶ。その間に、三平と出次は手羽先の体を洗っていた。明るくなる前に大汗をかいて、すっかり糞の匂いが染み込んだ。顔を洗って着替え、ようやくな自分の朝飯は麦飯に一汁一菜、それでも佐渡の頃より御馳走と言うべき物だった。
「うまそうに食うのう、働いた後では当然か。他に何か望む物があるか?」
 出次が二十一の食いっぷりに目をみはって言った。若いから、いくらでも腹には入る。ううむ、少し考えて、二十一は答えた。
「カレーパン!」
「おおっ、父様の好物だの。じゃが、大陸の物ゆえ、なかなか手には入らんぞ」
 そうか、と二十一は汁のおかわりをした。舌は贅沢に慣れていないし、侍は不断の質素が大事と月光から聞かされていた。
 腹がふくれて、また手羽先の所へ行った。
 すぐに騎りこなしてやる、顔を寄せてつぶやき、くちばしに触れてみた。
 ピィーッ、鳥は突然いなないて首を振った。二十一は手を引いた。
「そこは触れちゃいかん、手羽先の世話は少しずつ教えたるよって。鳥には家柄や血筋は通じん、真心で向かわなくっちゃのう」
 三平が笑いながら間に入り、手羽先の頭をなでる。ふうふう、怒っていた鳥の息が静まっていった。
「そう、真心でお願いするんじゃい。背に乗せて下さい、手柄をたてさせて下さい、とね。そうすると、鳥は意気に感じて、戦場を縦横に駈けてくれるんじゃ」
 人に対するように鳥に対せよ、言う事はわかった。が、納得はいかない。家畜に頭を下げるような事は、少年の小さなプライドが許さないのだ。


 手羽先の世話が一段落して、二十一は弓場へ向かった。
 途中、うし車の前で足を止めた。荷車の上に船が載っていた。が、普通の船ではなく、船尾の左右に大きな風車が付いている。
「おおっ、小僧、生きとったか!」
 大声に振り向くと、あの船長だった。うしの手綱を部下に渡し、ハンは二十一に抱きついた。
「てめえの親のおかげで、俺は大切な船を無くし、部下も大勢亡くした。ついでに、大阪までの船賃も未払いのままだ」
 口は悪いが、目は怒っていない。魔人ケイブリスに船を襲われ、共に荒海に放り出された。九死に一生の再会を喜ぶ老船乗りに、少年は手を握って応えた。
「これは何?」
「これはチューリップ4号、かのマリア・カスタード博士が作った空を飛ぶカラクリよ。大陸から持ってきたんだが、とんと買い手がつかねえ。燃料のヒララ鉱石がJAPANに無いとは、まったく計算違いさ」
 へえ、二十一は風車に触れてみた。闘神都市に墜落して放置されていたのを、カスタムの工房で修理した物だった。空を飛ぶと聞いて、手羽先以上に興味がわいた。
 はたと弓の稽古を思い出した。ハンと別れ、二十一は弓場へ急いだ。
 母、五十六は先にいて、現われた息子を睨んだ。初日から遅刻の新入生に、ただちに用意を命じた。
 息を整え弓をかまえて、二十一は気付いた。手羽先の世話で腕が萎えている、指先から肩まで力が入らないのだ。まずいと思いつつ、八分まで弦を弾いて矢を射た。
 バン、的の中央に命中した。
 射た二十一のほうが驚き、また悟った。強物の弓は弦を目一杯引き絞ってはいけない、柔らかく弦を弾いて射るコツであった。
 息子の術の進歩に笑みして、五十六は立ち上がった。弓に矢をつがえ、気合いを込めた。
 疾風天破だ、予感した二十一は目を見張った。
 しゃあっ、矢が飛ぶ。ババン、的が砕けた。
 気を抜いて、弓を下ろす五十六は耳を澄ましていた。息子の呼吸が自分と合一しているのを知り、一歩前進と満足した。
「気合いを矢に乗せるのを剣に置き換えれば、父の術、ランスアタックにも通じるはずである。剣と弓を両立させた武人は多くないが、おまえはできるか?」
「やってやるぜ!」
 父と同じ口癖を息子がした、五十六は懐かしく感じた。
「長崎より早手羽先にございます!」
 小姓の声が弓場に響いた。城主の顔になり、五十六は弓を置いて場を断った。
 二十一は弓を持ち、また稽古を始めた。厩舎にもどったら手羽先に礼を言おう、ついそんな気になっていた。


 翌日、手羽先の世話の後で、篠田源五郎の供をする事になった。家老筆頭の篠田が率いる十五人組が二隊、城外で戦稽古をする。その随伴だ。
 昨日の早手羽先がもたらした報せは、長崎に魔人現わる。貿易商の館が襲われ、街は半分が火の海となったらしい。死者の数は伝わってないが、大阪城は騒然となった。その中で、この家老はいつもの訓練だ。常在戦場を心得とする、篠田源五郎らしい振る舞いである。
 篠田の率いる力士たちは、いずれもリック・アディスン並みの巨漢ぞろい。彼らが独特の鎧に身を固め隊列を組んで突進すれば、へたな手羽先騎兵などは突き倒され、踏み潰されるほどだ。川原に線を引き、紡錘形の玉を取り合う独特のぶつかり稽古が始まった。見物の衆も集まり、二十一も石に腰を下ろして見る。
 ドカン、ガツン、岩も割れるような音を出して力士たちが激突を繰り返す。玉が飛んで、取って走る力士、追う力士。佐渡で見た勧進相撲は一対一だが、三十人が二手になっての乱戦は迫力十分だ。
 ひゅう、力士の手からこぼれた玉が、ぽとりと二十一の手に落ちた。
 返そう、と立ち上がった。この時、意図せずに線を踏み越えてしまった。どどどど、鬼の形相で全ての力士たちが二十一に向かって走った。
 やばっ、二十一は訳もわからず逃げた。
 時にからかいで、時には仕官を目指して、この稽古には飛び入りが付き物だった。力士たちは容赦なく飛び入りを追い回し、そして圧し潰すのだ。その最新の目標に、二十一はなってしまっていた。
 右から来るのをかわし、前に立ち塞がるのをくぐり、左から寄るのをよけて走った。佐渡で十年鍛えた獣の足だ。
 ピリリリリリ、ホイッスルが鳴った。
 力士たちの動きがピタリと止まる。二十一は線を踏み越えていた。それはゴールラインだった、ダッチダウンである。
「え・・・・・と・・・・・?」
 頭をかいて立ち尽くす二十一に、ホイッスルの主、篠田源五郎が歩み寄る。
「もう一度、走ってみろ」
 篠田の命令で、一番小さい鎧兜が用意された。それでも、小柄な二十一が着れば、大きくてぶかぶかだ。十五人組の片方に組み入れられ、与えられたポジションはハーフバック。指示は簡単で、ホールを受けたらゴールラインへ走れ。もうひとつ、玉を地面に落とすな、それだけである。
「レディ!」
 クオーターバックが号令一声、玉を二十一に投げた。
 玉を受けて前を見れば、進路を塞ぐように敵方と味方のラインが激突している。わずかな隙を見つけて走り抜けると、敵方十五人は一斉に二十一に向きを変えた。兜で視界が狭い、気付いた時には倍もある力士がおおいかぶさって来た。
 やられる! 二十一は巨体の下敷きになる自分を覚悟した。力士の方が上手だった、さっきの走りで飛び入りの手の内は読んでいたのだ。
 ガツン、割って入ったのは味方の力士、崩れるように敵方の力士と倒れこんだ。
 走り抜ける二十一を、横から掴みかかる敵方。
 足を取られて倒される、と思ったところへ、また味方の力士が敵方の手をふさいで激突した。
 またも走り抜けると、ピリリリ、ホイッスルが鳴った。
 足元のゴールラインを確認し、息をはずませて振り返ると、背後にピタリと追走してきた味方の力士たちが笑っていた。
「速いのう、ガードして走るのに苦労するて」
 がはははは、笑いながら兜を大きな手でたたかれた、背中を肩を次々たたかれた。手荒い歓迎の挨拶だった、力士たちに実力を認められたのである。
 じわり、二十一は泣いていた。
 佐渡の山を走る時、崖を登る時、木に上がる時、いつも月光としのぶが傍にいた。すべて自分の力でやっている、と思っていた。でも、危ない時には、必ず助けてくれた。今の力士たちと同じように、常に二十一を守ってくれていたのだ。
「それこそ、御家人のなすべきかな。手柄や武功は主人のもの、御家人は役割をはたす事こそ本分である」
 篠田が首肯きながら言った。
 今は亡き育ての父と母は、己れの役割を果たした。その結果として、自分は大阪にいて、これら力士たちの仲間となれた。今度は自分が役割を果たす番、二十一は空を見上げて月光としのぶの名を口ずさんだ。
「早う、強くなりなされ。そして、我らに役割を与えてくだされ」
 同じ空を見上げながら、篠田は御家人の言葉を二十一にかけた。若、と呼ぶのは禁じられているが、次代のJAPANを担う若者を見つけた喜びが顔に滲み出た。
 と、見上げた空の一角、雲間から何かが姿を現わした。
 おおーっおおーっ、川原で見物の衆もそれに気付いて声をあげた。
 城のようにも見える巨大な物体が浮いていた。それが動いて近付いて来るのだ。
 敵だ、二十一は直感した。


 ビリビリ、障子が震える。庭の犬が怯えたように吠えている。
 魔人パイアールの空中戦艦エンタープライズは、すでに空の半分を覆っていた。
「御館様、中へお入りください!」
 侍女の悲鳴にも似た声に、縁側に立つ五十六は小さく首肯いただけだった。
 艦首にRの旗が立っている、魔王が乗っているのだ。
「ついに、ここまで・・・・・」
 この十年、JAPANは平和と言えた。カラーのクリスタルを禁制として、大陸から持ち込ませないようにしてきた。だから、魔人たちはJAPANに踏み込む理由を持てなかった。が、ついに禁は破られた。長崎の商人が秘密裏にクリスタルを持ち込んでいたのを、魔人に気付かれたのだ。
 戦艦は高度を落として近付きつつある。その巨大な影の中に大阪城は入った、真昼の闇が歩行すら困難にする。
 闇の中で、五十六は振り返り探した。
 二十一・・・・・・!
 ややあって、朝から篠田が城外に連れ出したのを思い出した。
「なんということ・・・・・城主失格だ」
 五十六は自嘲した。国より民より、ただ我が子を心配する凡百な母たる自分が可笑しかった。


「降下部隊、準備完了!」
 PG隊から報告を受け、艦橋の魔人パイアールは首肯いた。
 ちらり、後の王座を見た。魔王は身じろぎもせず、ただ頬杖をついている。
「よし、作戦開始!」
 命令を出して、またパイアールは魔王を見た。
 双角のイスカンダルと呼ばれる漆黒の仮面に隠れて、その表情をうかがい知ることはでない。左手が魔剣カオスに置かれているのに気付いた。魔王が自ら戦いに出たがっている、そんな時の仕草と親しい魔人サテラから聞いていた。
 街を火の海に沈めた長崎とは違う戦いを演出して、この天才な頭脳の冴えを見せてやる。魔人は少年の笑みをうかべ、また正面のディスプレイへ目を移した。舷側の扉が開き、PGが飛んで出ていく姿があった。
 画面の大阪城を見て、魔王は仮面の下でつぶやいた。
「俺様が迎えに来たぞ・・・・・来い、我が下へ」


「母上っ!」
 二十一は走った。
 逃げまどう城下の町民たちの流れに逆らい、ひたすらに城を目指す。篠田と力士たちも走ったが、二十一は遥かに先行して走っていた。
 魔人ケイブリスが襲ってきた時は、ただ小さくなって震えるばかりだった。月光としのぶが、自分の身代わりに死んだ。今度は違う、それは願いにも似た誓いだった。何もできずに逃げはしない、侍の子として戦うのだ。そして、母を守るのだ。
 まだ遠い大阪城で、火の手が上がるのが見えた。


<続く>




タイトルのわりに、魔王がチョイ役ですね。細かい事は気にしないで、次は最終回です。

エンタープライズが大阪を攻める場面がもっと読みたい、と言う方は誠志道場で冬彦氏の「魔王ケイブリス」を読みましょう。

2004.3.21
OOTAU1