育児ノイローゼから子供を殺してしまった母親の歌。 夜中に赤ん坊が起きてゆっくり寝てもいられない、 「どうしたの?どうしたら泣き止んでくれるの…?」 大好きな絵本を読んで寝かし付けても今日はいっこうに泣き止まない 「静かにして?お願いだから。」 …赤ん坊の首を締める母親。 日が高く上った頃、薄暗い家の中で紙風船をあげながら、 自分のしたこと、赤ん坊のことを思っては泣く母親。 そして今でも“かすみ”は畳の下で静かに眠っている。 ざっとだけどこんな感じに解釈しました。時間の経過とかだいぶ端折ったけど(ニガ 漏れはかすみは子供だと思います。
846 :03/04/22 23:08 ID:on3ouvfp
京がフールズで主人公の男って言ってたけどかすみにでてくるのは 母と娘だけだよね?どこに男がいるんだw
Nana :03/04/23 00:39 ID:MHIPqAof
うーん。もう一人男の子の子供が居たりするかも。 赤ん坊って書いたけど、最初のセリフとかは5歳くらいな気がするんですよ。 でも、夜泣きするのは赤ちゃんだし。 母親が後を追ったか、精神病になったかで居なくなって みんなバラバラになって最初のセリフがあるのかも。 母親と離されたとか…。 まだまだ浅いな、自分の解釈(ニガ
846 :03/04/23 01:18 ID:EdDbUUwe
娘を殺したのは父親では? 娘が「ママは何処にいるの」って言ってるんで、母親はすでに畳の下とか。
858 :03/04/23 01:24 ID:mv37/lWK
>858 すごい!そうかも、見目形とかって母親の面影が子供にあるとか…。 夜泣きの正体は母親が居ない事で泣いているとか? それで泣き止まないから子供も殺してしまった。て感じかも。
Nana :03/04/23 01:24 ID:mv37/lWK
紙風船で遊ぶのに夢中になってる間に母親とはぐれて 「ママは〜?」って涙が溢れて、 母親はその間父親に殺されてて… 母親との思い出が溶けてなくなる=殺される って流れかなぁ? [彼女]が[かすみ]とは限らないとも思えるし。
Nana :03/04/23 02:04 ID:mZGm5gy+
フールズで畳の下にいるのは主人公の男か母親か子供と京さんが言ってました。 主人公の男=父親(だよね?)が畳の下にいるとすると、母親はまあ 死んだか出て行ったかで、父親が自殺。 娘が父親の死体を埋める。理由としては離れたくなかったから、とか。 こんな感じで妄想してみたんだけど普通この状況じゃ娘残して死ねないよね。
Nana :03/04/23 02:04 ID:mZGm5gy+
フールズで畳の下にいるのは主人公の男か母親か子供と京さんが言ってました。 主人公の男=父親(だよね?)が畳の下にいるとすると、母親はまあ 死んだか出て行ったかで、父親が自殺。 娘が父親の死体を埋める。理由としては離れたくなかったから、とか。 こんな感じで妄想してみたんだけど普通この状況じゃ娘残して死ねないよね。
Nana :03/04/23 02:04 ID:mZGm5gy+
かすみ、皆娘々言ってるけど何で娘だと思った? 私は「小さなこの子が望む微笑んだ五月は来ない」 って所から五月は端午の節句が有るから そういった意味で息子かと思ったんだけど。
865 :03/04/23 18:53 ID:vZwHtn88
>865 「かすみ」っていうのが女の子の名前を連想させるからかな? 漏れも男の子だと思うけど、どうもこれがひっかかるんだよね・・・
Nana :03/04/23 19:12 ID:0gHmbWYE
かすみっていうのは母親の名前じゃないかなぁ?
Nana :03/04/23 19:15 ID:vZwHtn88
林檎飴を片手に泣いていた、、、 月の明るい母親の葬式の夜 「ねえママは何処にいるの?」と娘は言った 母親そっくりなこの子を目に焼きつけ抱き締めた 虫が騒めく八月。 小さなこの子が望む、母親がいた頃の五月は来ない 紙風船を空へ高く そこには涙が溢れて 紅い飴玉を舐めると、想い出がほら一緒に溶けて無くなる 娘の小さな泣き声が響く午前四時頃に目覚めた 娘の大好きな絵本を読んで寝かし付け、暗闇の中、殺した。 さよなら。 紙風船を空へ高く そこには涙が溢れて 紅い飴玉を舐めると、想い出がほら一緒に溶けて無くなる 後何年たてば私(父親)は泣かずにすむ? 日が枯れ落ちた葬の底は真実と、、、 そよとの風も無い真昼の十三時 娘は今も畳の下 「かすみ」は母親をなくした娘の父親の想いの詩だと思った。 個人的な解釈でスマソ。
Nana :03/04/23 19:16 ID:ttYWjQx6
かすみって名前じゃなくて、「景色がかすむ」とかのかすみって意味かと思った
Nana :03/04/23 21:48 ID:nkACRsOs
私も景色がかすんでるっていう意味かと思ってました。 涙のせいで景色がかすむ、とか 思い出がかすんでいくとか、そういう意味を全部含めた意味で 『かすみ』なのかと思ってましたιやっぱ人の名前なのかな。
Nana :03/04/23 22:44 ID:F1tjke9O
私は登場人物3人パパ、ママ、娘、で 夫婦間になんか問題が起こり夫は妻を殺し畳の下に埋め、 それを知らない娘が『ママどこ〜?』とパパにあどけない表情で言ってて、 それを聞かれたパパはとてもいたたまれなくなって、 娘を抱き締めたみたいな感じで解釈したよ
Nana :03/04/24 16:30 ID:ejJDpyq7
主人公は娘(少女)で母親と二人暮し、 母親と二人で夏祭りに行って暗闇(もしくは霧)の中はぐれてしまう 「ねぇ、ママは何処にいるの?」林檎飴を片手に泣いていたら 目の前で殺される母親(もしくは既に死んでいる) 母に抱きつく(?)主人公(犯人は主人公も知っている人?) 「小さなこの子が望む微笑んだ五月はこない」 五月に母親と一緒に父親に会いに行くか、一緒に暮らす約束 「紙風船を空へ高く」母と居た頃を思い出し「涙が溢れて」 「紅い飴玉」と一緒に想い出が溶けていく(霞んでいく) 幼い主人公に母親の最期は辛すぎて、忘れようとしているが 毎晩、その悪夢にうなされて目を覚ましてしまい、父親か誰かに寝かし付けられる 後何年経てば忘れられるのだろう? 思い出したくない情景だが、真実(犯人)を知っているのは主人公だけなので 遠まわしに色々質問され、次第に無口になり最後には引き籠りになってしまう ちょっと妄想入ってるけど漏れはこう解釈しますた。
Nana :03/04/24 21:18 ID:aTQZmL5X
漏れも曲聴いてたらこんな情景が浮かんだ 夏祭り。多分林檎飴のせいだろうけど
Nana :03/04/24 21:55 ID:mBwbwxyb
はぐれてしまう…か。 漏れ的にはヤパーリ母親の葬式だと思われ。 “月読み葬の闇へ” 月読み=月日が過ぎっていう意味では? 一月、二月、三月…と月を読む(=過ぎる)みたいな。 葬の闇へ=葬は葬式。葬式って暗いし、闇って感じだから“葬の闇へ”だと思われ。 月日が過ぎ、お母さんの葬式の日が来た …みたいな感じかな。あくまでも漏れ的解釈でつ。
Nana :03/04/24 23:47 ID:0dD7571z
漏れ的解釈は、 母親が死んで育児ノイローゼになって息子を殺した父親の話だとオモタ でも息子を殺したのを知ってるのは畳の下にいる母親だけ 母親殺したのも父親ということで 妄想でスマソ
Nana :03/04/25 04:10 ID:KGaf4X0v
林檎飴を片手に泣いている息子。月の明るい母親が父親に埋葬された夜。 「ねえママは何処にいるの?」と父親に聞く息子。 父親は母親に瓜二つの息子を目に焼き付けて抱き締めた。 虫が騒ぐ八月の祇園坂の一角に有る扇子屋。 かつては父親と母親と息子の三人で住んでいたが今は父親と息子の二人暮し。 息子の望む母親が居た去年の五月の様な微笑ましい端午の節句はもう来ない。 紙風船で遊んでいても母親の事を思い出して涙を流す息子。 紅い飴玉を舐めていても一緒に想い出迄溶けて霞んでいく様だ。 父親は小さな泣き声に午前四時頃目を覚ました。 息子の大好きな絵本を読み聞かせてやり何とか寝かし付けるが 暗闇の中で色々な感情が滲み出し首を絞めて殺してしまう 紙風船で遊んでいた母親と息子の事を思い出して涙を流す父親。 紅い飴玉を舐めていても一緒に想い出迄溶けて霞んでいく様だ。 後何年経てば悲しみから解き放たれるのだろう? 例え月日が流れても父親が母親を殺害し埋葬したのは紛れも無い真実である。 風の無い穏やかな真昼の十三時、母親は今も畳の下で永遠に眠り続けている。 私はこういう風に解釈しました。 何故か聴いていて一番のサビと二番のサビの解釈が違って来る様に感じたので 息子主観と父親主観といった感じに変えてあります。 題名の「かすみ」は単純に母親の名前、 例え想い出が霞んでも霞む事は無い犯してしまった罪と解釈しました。 感想等頂けると嬉しいです。
Nana :03/04/25 11:12 ID:dEER0VC1
漏れ的解釈では 紅い飴玉想い出がほらの「ほら」がなんかひっかかる。 なんか泣いてる子供に飴玉をあげてあやしてるような感じ 部分的スマソ;
Nana :03/04/25 17:13 ID:lmDkbGGS
私も、ほらってとこひっかかった。 私は、846の解釈が好きなんだけど 子供を殺してしまった母親が、心の底じゃ こんな事で思い出が無くなるわけ無いって分かってるのに 「紅い飴玉を舐めると、思い出がほら、 解けて無くなるんでしょう?」 って飴を舐めるみたいに感じた。
Nana :03/04/25 17:55 ID:bophxpFz
林檎飴の所、夏祭り派と葬式派いるけど 夏祭りではぐれてしまう・・・っていうのを 思い浮かばせて、 遠回しに母が死んで、死に別れるって言ってるんだと思いますた。
Nana :03/04/25 20:04 ID:Ug0Fg4br
だいたい結論でてると思うけど、だれも触れていないことをいくつか。 時代設定は何十年も前かと。今の子供はあんまり紙風船で遊ぶことはしないし。 死体は畳の下に直接あるわけじゃなく、今ではあまりない、家と地面との間が空いて いる家で、(高床式倉庫みたいなの)地面に死体が埋めてある。 「彼女」が死んでからだいぶ時間がたっている。「今も」とあるから。 畳の下で眠っている「彼女」は、主人公が殺したとは限らない。 戦争は・・・関わってないよなあ?あるいは病死かも。 問題なのは、なぜ自分の家の敷地内に死体を埋めるのか。人目に触れるのを避け るためか?やはり殺人か。正式な、人を集めての葬儀はしていない。「葬」は葬式 の「葬」ではない。単に「ほうむる」ということ。遺体はそのまま土葬。 混乱させたらスマソ。なんかいろいろ考えてたら詞に引き込まれて軽い鬱。
Nana :03/04/26 04:16 ID:AIr5o3Cu
主人公・父(自分)。妻とは離婚か何かで離れ離れ。 子供(娘?)は引き取る。慣れない子育てにストレスがたまる。 「見目形目に焼付け抱き締め」 最後に忘れないように子供の姿を目に焼き付けて子供を絞殺。 紙風船を空へ投げながら子供の事を思い出す。 赤い飴玉(=林檎飴)が溶けて、子供との思い出も無くなる。 (子供を殺してしまったので、新しい思い出というものは出来ない) 午前4時、罪の意識からか絞殺する瞬間の子供の泣き声にうなされて目が覚める。 気が狂い始めた父親は最後に子供が好きだった本を読んで暗闇の中、自殺を決意する。 月読み葬=娘 日が枯れ落ちた葬=自分 最後に出てくる彼女は娘。
かすみ :03/04/28 21:55 ID:EPwOVGMy
親子三人で祭りに行って=微笑んだ五月 八月に妻が死ぬ(病気か何かで) で、子供があまりにも死んだ妻に似ていて、 妻を深く愛していた旦那サソは、悲しみに耐えられなくなって、 夜中に子供を殺してしまった。 そして、旦那サソは自分が独りにならないように 子供だけでも傍に置いておこうとおもって畳の下(=葬の底?)に・・・ (妻は普通に火葬されてしまって傍には居ないから。)
Nana :03/07/22 00:09 ID:6Rf0Sk/S
この歌詞は今と過去を混ぜていると思うので 一回僕が思う順番に直します。 >目を覚ます 小さな泣き声が響く午前四時頃 大好きな絵本を読み寝かし付け暗闇の中 さよなら 娘の大好きな絵本を読み終えると母親は姿をくらましてしまう。 >虫が鳴き騒めく八月の祇園坂と扇子屋 小さなこの子が望む微笑んだ五月は来ない それから少し時は流れて主人公(父親)と娘は 散歩に出かけている。 しかし母親が居なくなってしまった時から この子はもう笑わなくなってしまった。 >林檎飴片手に泣いていた...月読み葬の闇へ >「ねぇママは何処にいるの?」見目形 目に焼き付けて抱き締め >日が枯れ落ちた葬の底は真実と... その日の夕暮れ、昼間買ってあげた 大好きな林檎飴も片手にもってついに娘は泣き出してしまった。 この子に辛い思いをさせるくらいならと思い 主人公は娘を殺してしまう。 葬って言うのは殺すことをあらわしていて 日は落ち月がでる頃に殺してしまうということではないだろうか。 >そよとの風も無い真昼の十三時 彼女は無口に今も畳の下 >紅い飴玉思い出がほら一緒に溶けて無くなる >紙風船を空へ高くそこには涙が溢れて >後何年で涙は終わる? それから何年後かの真昼の十三時。娘の死体はまだ畳の下にある。 主人公は娘の大好きだった林檎飴を食べているが もう娘のことは覚えていない。 「思い出が一緒に溶けてなくなる」は記憶に関する病気になって どんどん思い出がなくなっているのを表していると思う。 そして何故か紙風船を見るたびに それで遊びたくなってしまい遊ぶと涙が溢れてしまう。 この不思議な涙は後何年経てば終わるのだろう。 主人公はそう自分に問いかけた。 ちなみに紙風船は娘が好きだった遊び道具。
投稿日: 2006/07/13(木) 22:30:21 ID:NbeapDRn0
祭りをやってる通りは賑やかで明るいけど、ふと路地裏へ入ると深い闇
詩・ポエム板 230 名前: 名前はいらない [sage] 投稿日: 04/11/30 05:25:51 ID:v/I3KeeG
数行ごとに解釈するやり方では途中で分かりにくくなると思うので、 先に、自分の解釈のポイントになる部分を言います。 まず、対極的な二つの世界、二つの存在が、 同じ時空で交差している詩だということです。 つまりどういうことかというと、 @ 夜⇔昼 架空のまたは妄想上の世界⇔現実の世界 A 女の子⇔母親 同じ人物の過去のイメージ⇔現在のイメージ また、殺人や死体を臭わせる部分がありますが、あくまでも比喩であって、 この3人の登場人物の間で、殺害行為などはなかったと解釈しました。 Aから分かるように、かすみというのは、女の子の名であり、母親の名であり、 そして、妄想と現実が交差して景色が霞んでいく様子から、 「かすみ」と名づけたんだと思います。 巧みで多重的な比喩と、設定の難解さの点では、 これ以上うまく書けている詩は、今のところないように思います。 といっても、あくまでも個人的な解釈です。ご了承を。 林檎飴片手に泣いていた…月読み葬の闇へ 「ねぇママは何処に居るの?」見目形 目に焼き付けて抱き締め >林檎飴(=お祭りの出店に売っているもののなかで、京が特に好きなもの)持った、 その女の子は泣いていた…(お祭りの帰り道、一人道に迷った子で、 一人で帰ることができず泣いている。設定上、林檎飴を持たせていることから、 京がこの女の子に特別な思いを抱いていることが表されている) >月読み葬の闇へ、は、主人公の男とこの女の子との関係が長いものであること、 場面が、人の死を示す葬の世界、夜へと転換していくこととを示している >「ねぇママは何処に居るの?」 女の子は「ママ」を探して(つまり、もう一人の自分を探して) 男にベソをかきながら尋ねるが、男は答えることができない >見目形 目に焼き付けて抱き締め その女の子は母親(つまり現実の世界にいる女性)の姿に似ていて、 男は思わずその姿を目に焼き付けて、幼い女の子を抱き締める 虫が鳴き騒めく八月の祇園坂と扇子屋 小さなこの子が望む微笑んだ五月は来ない >八月の祇園坂と扇子屋(=京の生家?は京都の祇園坂に近く、扇子屋は実在するそうです) =八月は夏祭りの季節、京と同じようにこの女の子もお祭りが好きなのだと思う 女の子は、その時味わった楽しさを思い浮かべながら、 またお祭りに行けることを楽しみにしているが (お祭りのときは、この女の子は笑顔で元気いっぱいなんだと思う) >小さなこの子が望む祭りの季節(五月なので、しいて言えば葵祭かも…?)が もうこの子に訪れることはない >多分、この詩が示唆する「祭り」というのは、楽しく過ごせた日々の意味。 紙風船を空へ高くそこには涙が溢れて 紅い飴玉思い出がほら一緒に溶けて無くなる >紙風船を空へ高く=女の子が好きな遊びに男が付き合ってやっている >そこには涙が溢れて=決して「ママ」を見つけることができない幼い女の子を思いやって 男の目には涙が溢れる。できるだけ高く紙風船を飛ばそうとするのは、 不憫な女の子を慰めるため。 >紅い飴玉思い出がほら一緒に溶けてなくなる その女の子の紅い林檎飴が、いずれ溶けてなくなる頃には、 二人の楽しかった日々の思い出も、一緒に溶けてなくなってしまうだろう 飴玉が溶けるように、女の子(=母親)の記憶から二人の思い出が徐々に消えてゆく そう男は思っている 目を覚ます 小さな泣き声が響く午前四時頃 大好きな絵本を読み寝かし付け暗闇の中 さよなら >目を覚ます 小さな泣き声が響く午前四時頃 夜中に突然目を覚まし、母親に会えない不安と悲しさで幼い女の子は泣き出してしまう >大好きな絵本を読み寝かしつけ その子の大好きな絵本を読んで(3〜5歳くらいの設定?)男は女の子を寝かしつける >暗闇の中 さよなら 朝四時まだ外は暗い。でもこの女の子が目を覚ます時には、 この子は現実の世界へ帰らなくてはならない、そういう意味での「さよなら」 つまり、男が女の子と一緒に居られるのは、日が落ちてから昇るまでの間だけ 紙風船を空へ高くそこには涙が溢れて 紅い飴玉思い出がほら一緒に溶けて無くなる 後何年で涙は終わる?日が枯れ落ちた葬の底は真実と… >後何年で涙は終わる?=あと何年で、現実と妄想の世界を行き来するしかない 俺の悲しい状態は終わるのか? >日が枯れ落ちた 日が枯れる=日が暮れる、という表現より絶望感を含んでいる >葬の底(葬=母親の精神的な死) 男は女の子と一緒いるが、同時に肝心の母親は死んでいるも同然の状態の世界。 >真実と… 闇の世界、妄想の世界の底にあるのは、誰にも知られることのない真実と… そよとの風も無い真昼の十三時 彼女は無口に今も畳の下 >そよとの風も無い=そよとの意味が分かりません;外(そと)???? 風がないのは、夜とはまた別の意味で死んだ世界だから。つまり、現実の世界。 >真昼の十三時=真昼。つまりこの時間にはもう女の子は男と一緒におらず、 >彼女は無口に今も畳の下=ここで言う「彼女」は「母親」 畳の下で死んでいるのは、現実の世界では精神的に死んでいるも同然の母親。 なぜ自宅の畳の下なのかというと、現実の世界ではすぐそばにいるから、 または、男から見て、母親が心理的にはごく近い距離にいることを表している 主人公の男の中では、一人の女性の存在が、過去のイメージと現在のイメージに 完全に分断され、幼い女の子と大人の女性という姿で表現されている。 女の子はママとの一体化を求めているが、それは叶いそうにはない願い。 男はそれを知っているので、一貫して女の子に対し、 哀れみのような気持ちを向けている。 男の自宅の畳の下に眠る女性(本当に死んでいるわけではない)。 夜の間だけ、その女性が見る夢の中で、 女性は幼い女の子に姿を変え、男と一緒にいることができるとも考えられます。 でも、昼間=現実の世界では、男は女性に会うことができない。 そういうふうにも解釈したりしました。 女の子=母親というのは、ちょっと突飛な解釈かなと思いましたが、 あえてやってみました。ではまた明日。
詩・ポエム板 850 名前: VULGAR [sage] 投稿日: 2007/01/19(金) 03:46:29 ID:vhtLXlhv