メトロノーム  ボク存在説
■ボク存在説■  

>山に捨てられた少年が 
自分の方向性を見失った or 
やりたい事とメトロノームのやってる事が
違う気がして凹んだ過去の「シャラク」 
>人里離れた穴蔵で 
メトロノームがいる、ヴィジュアル系というジャンルの外。 
具体的に想像するなら多分、テクノというジャンル 

>幻と言われたボクを偶然見つけたお話です。 
輪郭は有ったけど上手い事形に出来なかった表現 
おそらくテクノとしての自分の曲・活動のスタイルを 

>沢山の人に見せたくて ようやく街まで運んだが 
多分、FLOPPYとして活動を始めたという事=『街まで運んだ』 
最初の最初は、今に比べたら
活動ペースものんびりだっただろうし 
ソロ活動ってのは手探りでやっていった事だと思う。 

>誰の注意も惹かないのは  
>ボクが存在しないからですか?何でですか? 
多分、動員がそんなに増えないだとか
そんな感じ=『誰の注意も惹かない』? 
とりあえず、本当を出して打ち込んでいるFLOPPYが 
認めてもらえてない気がして葛藤してる。

>君には見えるか? 泣いてる心を 
ここだけ上手い事補える自信が無いんだけど 
泣いてる心を の次に来るのは 
(押し殺して仕事をしてるのが) じゃないのかな。と思った。 
とりあえずプラスイメージの言葉はなさそう 

>孤独を気取って病を纏って 
ぶっちゃけメトよりフロッピーのが素敵ですから!みたいな 
感情を隠す事無く表に出して鬱々してる状態。 
もしくは、音楽性の違いのせいで周りの人間が信用できないような 
陰口を叩かれてるような、そんな気分になって 
例えば「いつもの四倍」使わないと
明るくなれないような所まで病んできてる? 

>少年は歩く ボクを知らせたくて 
メトのシャラクとして有名になったら
「小林写楽」も有名になるかな? 
「シャラク」として居るのは辛いと表現していたら
「写楽」としての活動が自分の本当にやりたい事だと
皆気づいてくれるかな? 

>ボクがわかるのは誰もいないのに 
元々「メトロノームのシャラク」が好きなファンは、
「ボク」すなわちFLOPPYの
小林写楽(の、キャラクターや楽曲・ライブのスタイル)の方が
好きなんて多分言ってくれないだろう。 
歩いても「ボク」の事を誰も知ってくれない。 
自分が認めて欲しい「小林写楽」としての活動を。 
心から理解してくれるファンは、「少年」=シャラクの歩く場所 
つまりはメトのライブ会場や
「メトロノーム」に興味を持つ新規の子とか)にはいない。 

>少年は今日もボクを背負って歩く 
それでも、『メトロノームのシャラク』として活動をして
FLOPPYと二足のわらじを続ける。 

「シャラク」がメトを続ける理由がどこにあるのかは
この歌からじゃ読み取れない。 
最近メトの方も多分動員減ってて(ワンマンのキャパはダウンしてる) 
1年半程度ファンやってるまだまだ新規の漏れでも 
ライブの雰囲気が変わったなあって思う。
最近の曲ってノリ悪い訳じゃないけど落ち着いた曲が多いし。 
麺の好みが変わったんだって言ったらそれまでなんだけど。 
これで上がろうか考える人、昔のメトは
もっと楽しかった気がするなあって 
一瞬頭をよぎる、漏れみたいなファンに対して 

『ボクがわかるのは誰もいないのに』 
『君には見えるか?泣いてる心を』 

って言われてる気がした。 

131-134 [sage] 投稿日: 2006/10/12(木) 04:03:54 ID:8AjSzfPb0