ムック  ぬけがら
私には ミヤ氏が父親を思って書いた詞に思えるのですが。

Nana 投稿日: 05/01/16 02:35:48 ID:YSQ10KKy



私はミヤの自分自身との葛藤のことなのかなと思った。 
というわけでやってみました、解釈。 

>あぁ どうして僕は生まれてきたのだろう 
>今、僕はぬけがらで瓦礫に彩りを与えてる 
今僕は「ムックのミヤ」(=ぬけがら)として
ファンだったり音楽シーンだったり(=瓦礫)に
影響を与える存在だけど、どうして生まれてきてしまったんだろうと思う。 

>砕け散った心 繋ぐことはできずに 
誰もこの崩れていく心を繋ぎとめることはできない。 

>敗色なる異に身をあずけ続けていた 
すべてのプレッシャーに負けてしまいそうな、
弱く醜い本性としての自分(=敗色なる異)にただ身をあずけていた。 

>暗がりに差し込む光 それはいつもどうしようもなく冷たくて 
とても弱い「本性としての自」分を救う手段は「ムックのミヤ」として
詞を書きギターを弾き、認められること。(=暗がりに差し込む光) 
でもそうするためには自分の心を犠牲にして
過去のつらいことを思い出し吐き出さなくてはならない。 

>希望あふれる朝焼けは まるで世界の終わりかのように 
そんな弱い自分が認められ賛美される(=希望あふれる朝焼け)には、 
ライブであったりレコーディングであったり、
すべて「ムックのミヤ」としての自分でなければならない。 
そこではまるでこのまま世界が終わってしまうのではないかと怖く思うほど
幸せであり満たされていると感じる。

>その愛がすべて奪っていった 錆びついた理性 
>断壁は意味をなさず崩れてしまった 
しかし今では「ムックのミヤ」としての
自分を慕う(=その愛)人たちが増えすぎて、 
本性である弱く醜い自分はもう存在している意味を成さなくなり
崩れ落ちていくばかりだ。 

>もう何も欲しいものなんてない 戻れないのなら 
>僕はいつか からっぽのぬけがらになる 
誰も「本性としての自分」を認めてくれない。
「ムックのミヤ」としての自分から戻れない。 
だから僕は「本性としての自分」を捨てて「ムックのミヤ」としての
自分(=ぬけがら)をすべてにする。 

>ただ一度 ただ一度だけ この僕が 
>泣くことを許してほしい 
最後に一度、ただ一度だけ「本性としての自分」をさらけだすことを許して欲しい。 

>あぁ 何度眠っても 
>あの夜が明けることなんてない 止まったままの時計 
「ムックのミヤ」として生きようと決めた思いが
揺らぐことは無い。(=あの夜が明けることなんてない) 
だから「本性としての自分」が動き出すことは無い。(=止まったままの時計) 

>瓦礫の中 いくら叫んでもあなたはいない 
どんなに「ムックのミヤ」である自分が歌にして叫んでみても 
「本性としての自分」(=あなた)はもう見つけることが出来ない。

>呼吸が止まるほどの雑音 置き去りにされた子猫 
めまぐるしく動く音楽シーンや、
批判したかと思えばまた盲信するファン。(=呼吸が止まるほどの雑音) 
結局「ムックのミヤ」としての自分は虚像であり、中身など誰も見ようとしない。 

>削りとられたアスファルトがなみだ流してる 
>もう何も欲しいものなんてない ぬけがらの僕は あぁ ただ・・ 
今認められている詞だって曲だって、
「本性としての自分」の過去の傷をえぐって(=削りとられたアスファルト)つくったんだ。 
だけど自分は弱く醜い「本性としての自分」を認めようとせず、消してしまった。 
「本性としての自分」を捨ててまで
「ムックのミヤ」(=ぬけがら)になった意味は果たしてあるのか? 
本当に必要なのは見せかけだけ強がる自分ではなく
「本性の自分」としての弱い自分なのではないか? 

>もう一度 ただもう一度だけ その瞳開いて 
>僕にほほえみかけておくれ 
やはり間違っていた、「本性としての自分」をもう一度呼び覚ましたい。 
弱く醜くてもいいから本当の自分にもう一度会いたい。

ムック「ぬけがら」最後 [sage] 投稿日: 05/01/21 02:05:44 ID:ecNHKXJi0